オリジナルフォーズが落下していく。  飛び立っていたはずのそれは既に力を失い、地面へと落下していく。  地面――正確にはそれはただの摩天楼。高層ビルが連なっている場所だった。  たくさんの悲鳴が聞こえてくるが、それを遮る術は無い。  そうしてオリジナルフォーズは、無数の高層ビルを崩していき――そのまま横たわった。  フルたちが東京にやってきたのは、ちょうどその時だった。 「ここは……東京……」 「東京、って? フルはこの場所を知っているの?」 「知っている……。ここは、元々僕が暮らしていた世界。だけれど、どこか様子が違う……」 「きっと、オリジナルフォーズが来たことで少し変わってしまったのかもしれないね。いずれにせよ、ここが予言の勇者が居た世界か……。何というか、僕たちの居た世界とはまったく違う構造の世界になっているようだね」  バルト・イルファは冷静に今の状況を分析する。  そしてその言葉は、フルも想像している通りのことだった。  フルが……正確には古屋拓見が暮らしていた世界は、もう少し未来だからだ。彼が辺りを見渡してみても、日本一高い電波塔は見つからないし、高層ビルもどこか少ないように感じられる。  そこから彼が導き出した結論は、至極簡単なものだった。 「……たぶんここは、僕が居た世界で間違いは無い。けれど、正確には時間軸が違う。たぶんここは、僕が居た時間軸よりも過去の時間軸……」 「となると、非常にまずいことになるな」  そう言い放ったのはバルト・イルファだった。 「なぜだ?」 「考えてみれば単純なことだが、この時間軸は君が僕たちの世界へ旅立った時よりも過去の時間軸だったな? ということは、今よりも若い君がいるということだ」 「……それがどうした。それくらいわかっているぞ」 「話は最後まで聞いてから理解するんだな。……ええと、つまりだな。もしここでこの時代に住む君が死んだら今の君はどうなる?」 「消えるだろうね。だって命は連続的だから。断続的ならまだしもここと向こうは連続した時間軸のはずだ」  フルの言葉にバルト・イルファは頷いて、 「さすがにわかっているか。まあ、そこでわかっていなければ論外だったから何も言わないでおこうと思ったが」 「何が言いたいんだ、バルト・イルファ。……多分だが、その考えは正しいぞ」 「君もわかっているんじゃないか。だったら話は早い。……つまりだ、この世界のオリジナルフォーズが仮にこの世界の古屋拓見を『不注意で』殺してしまったとしたら、僕たちの世界にフル・ヤタクミは現れない。しかしそうなるとオリジナルフォーズは復活しないから……ここでタイムパラドックスが生まれてしまう」  タイムパラドックス。  とどのつまりは、時間軸における矛盾のことだ。いや、この場合は堂々巡りといっても言葉の意味が通るだろう。バルト・イルファはそれを危惧している。そもそもこの世界に古屋拓見が二人いること自体タイムパラドックスになりかねないのだが、敢えてバルト・イルファはそこに触れなかった。  なぜそれを危惧しているのか。答えは単純明快だ。それが発生して、何がもたらされるかは、誰も想像ができないからである。 「タイムパラドックスは引き起こしてはならない。もちろん、オリジナルフォーズを倒すことこそが僕たちの使命とも言えるけれどね。……いや。そもそも、オリジナルフォーズがこの世界にやってきてしまった時点で、時間軸は改変されてしまったということになるのだろうけれど……」 「最初からそんなクヨクヨいってられないわ。……私たちは何としてもあれを倒さないといけない。私たちの世界からやってきたあの憎悪の権化を、これ以上この世界で蔓延らせてはならない!」  メアリーが全てを持っていってしまったような発言をしてしまったが……、少なくとも今のフルたちにそんなツッコミを入れられるほどの余裕は無かった。或いはそんなことをする必要が無いと思ったのかもしれない。  そして、フルたちを乗せたホバークラフトは地上へと落下していく。   ◇◇◇  東京、永田町。  首相官邸。 「……あの異形についての報告は上がったか?」  年老いたスーツ姿の男性が、側にいる男性……彼の秘書に問いかける。  秘書の男は弱々しくもしっかりとした口調で、彼の言葉に答えた。 「残念ながら、未だ。被害もはっきりとしていない状況ですから……」 「それはわかっている。だが、あれが何であるかわからない限り……『駆除』は不可能だ」 「承知しております」  秘書は頭を下げる。 「……しかし、このままでは埒があかないな」  男は背もたれに体重を預け、呟いた。  男の言葉に答えるように、秘書はタブレットを取り出した。 「総理。一応このタブレットに、現在の状況をまとめました。宜しければ一度ご確認ください」  総理と呼ばれた男はタブレットを受け取ると、その画面を見つめ始める。  そして総理はその画面を見て、目を丸くした。 「……これはどういうことだね」 「残念ながら、それが真実です。勿論、『X』が落下してからまだ一時間も経過していませんので、憶測の域を出ない情報もありますが」 「当然だ。こんなもの……誰が信じろというのだ」  そこに映されていたのは、研究の報告書だった。  未だ『X』が突如上空から落下してきて一時間も経過していない。しかしながら、Xが落下したことにより様々なものが変化したとその報告書には書かれている。  その中で、一番総理に響いたのは、 「放射能の空気中の濃度が増大傾向にある……。こんなものを国民に発表出来るわけがなかろう」  この国は、被曝国だ。  約七十年前、この国に核の炎が落とされた。それにより多くの死者が出て、放射能に汚染された人間も多く出た。それにより、未だに健康被害に悩まされる人間がいるくらいだ。  だからこの国は世界の中でも放射能に関する不安と危険視が強い。無論、放射能は使い所を間違えれば七十年前の悲劇のようになってしまうのだから、危険視するのは当然なのだが。 「……それだけではありません。あのXには、自身でエネルギーを作り出すことが出来るそうなのです。全てにおいて自己完結した存在、とでも呼べば良いでしょうか」  自己完結。  それがどれほど凄いものなのか、と言えば至極簡単であり至極当然のことだった。  普通、どのような存在であったとしてもエネルギーを生み出すためには『源』が必要である。人間が食事をとるように、植物が光合成をするように。それが自然の摂理であり、それが今までのデファクトスタンダードだった。  しかし、X……オリジナルフォーズは違う。  オリジナルフォーズは元からエネルギーを限りなく生み出すことが出来て、それを使いこなすことが出来る。厳密には表現が違うが、永久機関そのものと言えるだろう。 「……いかがなさいますか。既にアメリカは動き始めており、先程国務長官から連絡がありました。排除に協力するかわりに、研究結果の公表とXの一部を被験体として渡すよう要求したそうです」 「相変わらず、強欲の国だ」  総理は溜息をついて、背もたれに身体を預ける。 「では、無視なさいますか?」 「いいや。そんなことが出来る立場ではない。だからと言って言いなりにはなりたくないな。……ううむ、少し考えると言っておけ。今はともかく時間を稼ぎたい」  アメリカも恐らく何処からか『自己完結たる存在』の情報を掴んだのだろう。しかしながらそれが確定的ではない現状、研究を行うためには被験体を『所持』しているこの国に協力を仰ぐしかない。そのためには手土産が必要だ。 「……きっと、アメリカはその先にある利益を考えているんだろう。私たちが何処まで調べ上げているか見当がついているかどうかは別として、だ」  秘書が居なくなってから、総理は独りごちる。  しかして彼の考えもまた見当がついていないから予想しているだけに過ぎず、結局のところどうすれば良いか彼自身も悩んでいた。 「ならば我が国としてやらなくてはいけないこと」  それは、長期的思考ではなく、短期的思考。  この国を他の国に荒らされないために考えついた、アイディアだった。 「短期決戦だ。……我が国が進むには、それしかない」  そうして、国民が知らないところで物事は進んでいく。  それは国民が知る必要もないこの国の暗部であり、決して公文書に残ることのない時間だった。  ◇◇◇  オリジナルフォーズに空から近付いていく戦法をとった僕たちは、近付いていくにつれて、オリジナルフォーズが何をしているのかより鮮明に見えてきた。  一言で言ってしまえば、オリジナルフォーズは何かを空気中に吐き出し続けていた。白のような透明のようなそれは、液体ではなく気体だった。正確には、液体だったものが空気に触れて気化している、と言ったほうが正しいのかもしれない。だからこそ煙のような反応が出ている、という説明がつく。 「……なんだ、これは。いったいなんなんだ……!」  初めに言い放ったのは、バルト・イルファだった。  そもそも、僕以外の人たちにとってみればこの世界自体が『異世界』だ。ともなれば、この高層ビル群を見るだけで、違和感を覚えるに違いない。  あの世界を『魔術至上主義』という単語で示すならば、この世界は『科学至上主義』といえるだろう。魔術なんて空想無形な概念は淘汰された世界、それがこの世界だ。  ともあれ、科学至上主義たるこの世界が今は魔術に淘汰されつつある現状は、僕にとっても驚きを隠せなかった。だって、考えてみれば分かる話なのだけれど、魔術というこの世界には存在し得ないパーツが、それに相反する科学を信奉する世界に一雫垂らしただけで、世界を崩壊に陥らせているのだ。それを驚かなくて、何を驚けというのだろうか。 「……どうして、こんなことになってしまったんだ」  思わず僕はそんなことを呟いてしまった。 「きっと、この世界は別の世界よ」  言い放ったのはメアリーだった。  彼女は震える口で、ゆっくりと話を続けた。 「多分、多分だけれど、この世界はフルの居た世界ということは……私たちの暮らしていた世界とは別の世界。世界と世界とは理が違うはず。だからその世界には無かったものがこの世界に持ち込まれたとき、この世界にあるものに『適用』されていくのではないかしら?」 「……メアリー・ホープキン。お前はいったい何を言っているんだ?」 「バルト・イルファ。あなたなら分かってくれると思ったのだけれど。案外あなたも頭が硬いのね」  メアリーは、何故かバルト・イルファを嘲笑する。 「だから」  バルト・イルファはさらに話を進めようとしたが、それをメアリーは言葉で遮った。 「人の話は最後まで聞きなさい、バルト・イルファ。あなたが気になる気持ちも分かるけれど、先ずは順序だてしていかないと何も始まりはしない」 「……だが、メアリー・ホープキン」 「だがもへったくれもない。先ずは私の話を聞きなさい。話はそれから。……ええと、話というよりかは質問になるかもしれないけれど、そこから話してあげる」  メアリーは踵を返すと、僕の方に向いた。 「……見た感じ、倒れている人が多いように見えない?」 「…………え?」  僕はメアリーの言葉を聞き、辺りを見渡してみる。  オリジナルフォーズは完全に地上に落下していた。だからその影響は甚大なはずだった。  しかしよく見てみると、摩天楼の破壊は僅かに過ぎない。いや、もっといえばあれほどの質量を持つ『物体』が落下したのだから影響がこれ以上に出ていてもおかしくはないはずなのだが……。 「気付いたかしら?」  メアリーはニヒルな笑みで僕に問いかける。そうしてこれは僕を試しているのだと、確信できた。  僕は考える。  なぜオリジナルフォーズが落下したあとは、非常に僅かなものしか残っていないのか。  僕は考える。  そもそもオリジナルフォーズが落下したという事実はどうやって断言できるのか。  僕は考える。  僕は考える。  僕は、ゆっくりと考える。 「……気付かないようならば、教えてあげても良いけれど」 「いいや。それは良い。出来る限り自分で考えさせてくれ。話はそれからだ」  メアリーの助け舟を拒否し、なおも考え続ける。  きっとメアリーが言っていることは、間違いなく『それ』なのだろう……と。  そうして僕は、漸く一つの結論を導いた。 「……オリジナルフォーズは、まだ落下しきっていない……ということか?」 「その通り。オリジナルフォーズはきっとまだ落下しきっていない。しかし高台など、一部の場所については対応しきれておらず、オリジナルフォーズが落下しているかもしれない。けれど、未だにオリジナルフォーズは落下しきっておらず、未だ落下の行動を取り続けている、ということになる」 「落下しきれていないとして、どうしてあの区々が壊れていないのか?」 「……まさか?」  メアリーは一歩二歩進めて、眼を細める。僕を見つめて、首を傾げる。  メアリーの仕草は、少女のそれだった。今のメアリーは十年経過して、どちらかといえば大人びた雰囲気ではあるのだけれど(そもそも、もともとの頃から大人びた雰囲気は放っていた)、今のメアリーはあの頃のメアリーですらあまり見せることの無かった一面だった。僕はそれがとても珍しいと思うし、恥ずかしいと思うし、羨ましいと思えた。 「……フル。どうかした? 考えすぎて頭がショートした? ……それならそれでクールダウンの時間を設けるけれど」  メアリーの言葉で我に返る。  僕が考えた結論は、きっとメアリーも考えついていたことに違いない。  そう思って――勝手に思い込んでいるだけれど――僕は言い放った。 「オリジナルフォーズは今もまだ浮いている。そして……オリジナルフォーズは、膨大に生み出すことの出来るエネルギーを吐き出している。そしてそのエネルギーは、恐らくだけれど、この世界に悪い影響を与えているのだと、思う。だから、」  だから人は多く死んでいる。  僕は――そう結論づけた。  ◇◇◇  整備場には一台の戦闘機が飛び回る時を待っていた。 「……東京上空に巨大生物? ゴジラやウルトラマンじゃあるまいし、そんなことが現実に有り得るのか?」  戦闘機に乗り込むであろうパイロットはペットボトルの炭酸飲料を飲みながら、そう軽口を叩いた。 「空を飛ぶなら、ゴジラじゃなくてモスラじゃないっすか? ……まあ、それはそれとして。ただ浮いているだけならまだしも、放射能を吐き出しているらしいっすよ。もしかしたら、体内で核かそれに近い何かを生み出しているんじゃないか、ってのがもっぱらの噂っす」  タオルを首に巻いたメガネをかけた青年は、青色の缶飲料――エナジードリンクを飲み干す。  パイロットは深い溜息を吐いた後、ゆっくりと戦闘機へと乗り込んでいく。  エナジードリンクを持った青年は、ちょうどそこにやってきたもう一人の人間を見ながら、首を傾げる。 「遅いっすよ、柊木さん。どうかしたんすか?」 「……ああ、済まなかったな。ちょっと野暮用でな」  そうして柊木と呼ばれた男はせかせかと中へ入っていった。  後部座席に乗り込んだタイミングで、パイロットは嘯く。 「……にしても、巨大生物か。何ともファンタジーな話だとは思わないか」 「そうかい? そもそも俺にはそんな話、信じられないし信用もしていないがな」  戦闘機に乗り込んだ二人は、そんなことを話しながら、出発準備を進めていた。  パイロットは様々なものを指差しつつ、出発前の最終確認を取っていた。 「計器よし、シートベルトよし。……こんなもんか?」 「神への祈りは?」 「生憎無宗教でね。お前は?」 「俺もだ」  深い溜息を吐いて、ヘルメットを被る。  パイロットが、エンジンを起動し――やがてゆっくりと戦闘機は動き始めた。 「……ま。巨大生物がどんなものか物見遊山でもしようぜ、相棒」 「お前を相棒とした覚えはないぞ」 「つれないねえ」 「そんなもんだろ」  そして、戦闘機は空へと飛び立っていった。  飛び立った戦闘機は一機だけではなかった。全国各地、様々な場所から戦闘機が首都である東京目掛けて飛び立っていった。  目的は、突如現れた謎の巨大生物の殲滅。  しかしながら、自衛隊員は皆感じていた。  その巨大生物が、ほんとうに我々の力で倒すことができるのかという不安を。  その巨大生物が、どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないという恐怖を。 「……しかしまあ、やはり怖いものだな」  それは、東京近郊の基地から飛び立ったあの二人も同じだった。  御影秀敏。自衛隊員として、正直なところ飛び出た才能や技能はない。五段階評価で常に三または四を取る男だと称されている。  御影は鳥肌が立っていた。得体の知れない恐怖に。自分の乗る戦闘機への不安に。地上に残した家族への心配に。  国を守る仕事とはいえ、まさか国内に突然現れた敵の殲滅など想定しているはずもない。  結果的に、この戦いは初めての試みと言えるだろう。実戦を試みと言って良いのかはまた、別の話になるが。 「何が? まさかお前ほどの男が、得体の知れない謎の巨大生物に怖気付いたなんて言わないだろうね?」  柊木夢月。  彼もまた自衛隊員の一員であり、御影と同様平々凡々な存在であるといえるだろう。 「……分かっているよ、柊木。だがな、やはり怖いものは怖いよ。幾ら怖くないと取り繕うとしたって難しいものは難しい」 「でも、それをなんとかするのが我々の仕事だ。そうだろう?」 「それはそうかもしれないが……」  柊木は視線を前方から移し始める。 「ほうら、そろそろ見えてきたぞ。あれが噂の……巨大生物か。それにしても化け物だな、まったく」 「それはそうだが、しかしてどうやって倒すつもりかねえ、司令官様は」 「さあ?」  柊木は首を傾げ、御影の言葉に答えた。 「さあ、って……」 「だって分からないものは分からないじゃないか。司令官様には司令官様なりの考えがあるんじゃないの。下々には分からない考え方が……」 「ま、それもそうか。別に俺たちが考えているわけじゃねえからな、作戦を。所詮は右向け右のやり方だ」  皮肉交じりに柊木がそう告げると、巨大生物をじろじろと眺めながら、 「……にしても、司令官様はあれをどうやって倒すつもりなのかね、やっぱり気になるところではあるが。見たところ、普通の兵器は効きそうに無いけれど」 「それをどうにかする作戦を考えるのが上で、それをどうにか実行するのが俺たちだ。いつもそうだっただろ? 今回もそうするだけさ」  悲観する柊木に対して、御影は冷静を保っている。 「そうであればいいけれどねえ……。ん?」 「どうした?」  柊木の言葉に、御影は目線だけを横に移す。 「……いや、気のせいか。あの巨大生物の傍に浮遊する物体があったような気がしてな。飛行機にしては小さいし、人にしては大きすぎるし」 「浮遊物体? まさか。今、あの物体は立ち入り禁止だし、もし考えられるとしたら……」 「あの生物と一緒にやってきた?」  となると、あの生物のことを何か知っているかもしれない。  あの生物を倒す打開策を見出せるかもしれない。 「今、変なことを考えなかったか?」  柊木の思考を制したのは御影だった。  御影は戦闘機の操縦桿を傾けながら、 「確かにあの浮遊物体に近づいて確認をするのは良いアイデアかもしれない。だが、その浮遊物体が味方である保証はないし、あんなに近くまで行ったらもろにあの巨大生物の攻撃を食らいかねない。一応、今は一度も攻撃をしていないとはいえ、だ。そこは警戒しておく必要があるのは、当然のことだろう?」 「それは……」  御影の言い分も尤もだった。  いや、寧ろ今は御影の言い分を適用するしか無いと言ってもいいだろう。この状況をエスカレーションしても良いだろうが、おそらく返答は同じ或いは近しいものになるはずだ。  ただ、あの浮遊物体は彼の中で気になっているものとしてずっと残り続けていた。  出来ることならそれを明らかにしておきたかったが、彼は組織の人間だ。個人の意思を尊重し続けていれば、やがてその影響は組織に波及する。  その影響を分かっていたからこそ、柊木はもう一歩踏み出すことが出来なかった。  恐らく彼がそんなことを考えない無鉄砲な性格ならば、そのまま踏み出していたかもしれない。或いは戦闘機の操縦を行っていれば、相手の言い分など聞くことなく、無理矢理に向かっていることもあっただろう。  しかし、彼はその点に関しては慎重な性格だった。  だから、御影の否定を素直に受け取ることが出来たし、それ以上進むことも無かった。彼が戦闘機の操縦をしていなかったことも一因と言えるだろう。 「……まあ、とにかく上の指示を待つことにしよう。上はまだ何も言っていなかったよな?」 「ああ。確か、巨大生物まで向かって待機していろ、って言っていたはずだ」  上――つまり司令官の指示は単純明快なものだった。  巨大生物に出来る限り近づいて、攻撃のチャンスを伺う。  それは今東京に向かっているすべての戦闘機に命じられているものであり、先んじて攻撃することはいまのところ許されていない。  首都である東京がこのような惨状になっていても、だ。 「……それにしても、戦争は起きないと思っていたけれど、まさかこんな訳の分からないものがやってくるなんてな。もしかしたらさっきも言ったかもしれんが、ファンタジーの領域だよな。確かこの国ってファンタジーに関わる部署がどこかに存在していなかったか?」  余裕が出てきたのか、御影は軽口を叩き始める。  柊木もその噂は聞いたことがあったのか、軽く頷きながら彼の言葉に答えた。 「ああ。確か、宮内庁にあったって話だろ。……でもあれって、どちらかというとオカルトめいたほうの部署って聞いたことがあるけれど」 「へえ。詳しいんだな、柊木。もしかして、有名だった?」 「……風の噂で聞いただけだよ」  柊木と御影の会話は唐突に終了する。  今はただ、上からの命令が来るのを今か今かと待ち構えるだけに過ぎなかった。  巨大生物――彼らは知るよしも無いが、その名前はオリジナルフォーズと言う――は、今も東京の上空を不気味に浮遊しているのだった。  ◇◇◇ 「……不味いな」  僕たちはオリジナルフォーズをどうするべきか考えつつも――周囲の状況を確認していた。  オリジナルフォーズの周囲には、たくさんの区々が存在している。それはこの国の首都である東京の中心にオリジナルフォーズが落ちたのだから当然と言えるだろう。  そして、とっくに区々にいる人々は避難をしていて、恐らくもうこの周辺で生き残っている人間はいない――はずだ。 「これからどうしましょうか。……フル、あの空を飛ぶ物体は、多分やばいものよね」 「ああ、そうだ。あれは戦闘機といってね、あれを使ってこの世界の人間は空から状態を把握する。そうして、あれは戦闘兵器にもなる。詳細は省くけれど、あそこから爆弾を放つことだって可能だ」  実際のメカニズムはまた別のものだけれど、そこをとやかく言うと、それはそれで面倒なことになるから言わないでおこう。僕はそう思って空を眺める。  上空には戦闘機が飛んでいる。きっと今はまだ攻撃をしないのだろう。それは確証のない自信だけれど、案外それは当たっていると思う。  攻撃よりも先に、偵察をする。  偵察をすることで、この状態を速やかに把握して理解するために。 「偵察、か……。この世界の人間の知性もそれなりにある、ということか」  バルト・イルファの言葉に、僕は頷いた。  いずれにせよ、この状況は打開しなければならない。  この状況――それは即ち、オリジナルフォーズがこの世界に与えている影響だ。  メアリーの推測通り、この世界に影響を及ぼす何らかの物質が放たれているとすれば――このまま放置してはいけないし、放置して良い理由にはならない。 「じゃあ、どうする? フル・ヤタクミ」  バルト・イルファの言葉を聞いて、僕は顔を上げた。  気がつけば、バルト・イルファとメアリーは僕を見つめていた。  もしかしたら、僕の声は――彼らにも聞こえていたのかもしれない。 「提示される問題は二つ。凶暴化したルーシー・アドバリーのこと、そしてもう一つがオリジナルフォーズだ。もともとは一つしか無かったわけだが……、シリーズという謎の存在のせいで、こんなことになってしまった。本来ならもっと早く気付くべきだったかもしれないが……、残念ながらそこまでの知恵は持ち合わせていなかった」 「それはもう、今更言うべきことじゃない」  言い放ったのは、メアリーだった。  メアリーは悲しそうな表情をしつつも、しかしその目線ははっきりと前を見据えていた。  だが僕たちにとっての勝利は、オリジナルフォーズの殲滅だけじゃない。  きっと今も、ルーシーはもがき苦しんでいる。  彼も、解放しなければならないだろう。 「しかしまあ、簡単にできる話では無いな」  僕の考えを読んだのか、バルト・イルファは深い溜息を吐いた後、そう言った。 「簡単にできる話だと思っていたのが、そもそもの間違いだよ。フル・ヤタクミ。そもそも君は何を考えているのか分かったものでは無いが、一応言っておくと、君は『預言の勇者』としてあの世界にやってきた。この言葉の意味が分かるか? 結局の所、ルーシー・アドバリーの救済はただのオマケに過ぎない。それだけは肝に銘じてほしいものだね」 「バルト・イルファ……! それでもあなた、」 「人間な訳がないだろう?」  メアリーの怒りのこもった一言に、バルト・イルファもたった一言で片付けた。  しかしそれは冷酷であり残酷でありながら、それはもっとも的確な言葉だったといえるだろう。  けれど、それは――僕にとっては考えたくない選択肢に過ぎない。  ルーシーを助けない選択肢、だって?  そんな選択肢、選ぶはずが無いし――選べない。  だって、ルーシーはずっと旅をしてきた仲間だ。たとえ、彼が僕のことを恨んでいても、僕は助けたい。それが仲間だから。それが友達だから。 「……何となく、君はそう言っても諦めないと思っていたよ」  バルト・イルファは一歩僕に近づく。  そうしてバルト・イルファは柔和な笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。 「フル・ヤタクミ。君はルーシー・アドバリーを助けたい。そう思っている。だが、あれは簡単には助けることは出来ないだろう。なにせ、あれはオリジナルフォーズの遺伝子を強引に埋め込まれたことによって作り上げられた、いわば『メタモルフォーゼした人間』だ。そういう点では僕やロマと同じ存在といえるかな。となると……もう救う術は無い。正確に言えば、彼を人間に戻す術は無い、ということだけれど」 「人間に戻せない……? そんなこと、あるのかよ。それじゃ、ずっとルーシーはあの姿のままなのか!!」 「さて、どうかな」  バルト・イルファはルーシーを指差す。 「話を聞く前に、君に選択肢を与えようじゃないか、フル・ヤタクミ」 「選択肢? あんた、この場に及んで何をふざけて……」 「はいはい。部外者は黙ってくれ」  メアリーの言葉を流して、バルト・イルファは首を傾げる。 「ルーシー・アドバリーを助ける方法は確かに存在するよ。けれど、それはとても可能性が低い『おまじない』のようなものだ。成功しないかもしれないし、もし失敗したら、それこそ彼を殺さなければならない。では、それを踏まえて……」  一息。 「フル・ヤタクミ。君は、ルーシー・アドバリーを救うか? それとも殺すか? なあに、難しい選択肢だからね。ゆっくりと、慎重に選ぶと良い。なにせ、もうこの先戻ることは許されないのだからね」