ガラムドの神殿。  およそ一千年前にガラムドを崇敬する人々によって建築された神殿である。名前の通り、その要所要所にガラムドをモチーフとしたオブジェクトが並べられており、また装飾品なども着飾られているものもあることから、かつては多くの信者がここに訪れたのだろう。  そして僕は今、その神殿の奥深くにある小さな泉のほとりに立っていた。  長い夢を見ていたような、そんな感覚だった。 「おい、フル・ヤタクミ。大丈夫か?」  気がつくと、僕の背後には赤い髪の青年、バルト・イルファが立っていた。  バルト・イルファの声を聞いた僕は、ゆっくりと頷く。 「うん。大丈夫だよ。なんか長い夢を見ていたような気がするけれど……。こっちの世界ではどれくらい経過している?」 「どれくらい、ったって……。そうだな、君が気を失ってから大体五分くらいだったかな? 時計を持ち合わせていないから具体的な時間ははっきりと言えないけれど」 「五分……!」  五分。  僕は僅か五分で『偉大なる戦い』を追体験した、ということになるのか。いや、もしかしたらガラムドが僕を招いた空間はこの空間とは時間の流れが違うのかもしれない。それはあくまでも憶測に過ぎないけれど。 「……なんだい? ぼうっとしちゃって。別に僕は君がどうなっていようとどうだっていいけれど、そういう雰囲気になっているのは少し気に入らないね。もっと僕に分かるように話してくれないものかな?」 「ああ……。いや、でもきっと話したところで分かっちゃくれない気がする。ただ、これだけは言える。今、シルフェの剣には解放された力が宿っているということを」 「……解放された、力?」  バルト・イルファもその言葉の意味を理解していなかった。  当然だろう。その出来事は、実際に経験しなければ理解なんて出来るはずもないことだからだ。 「……君がどんな経験をしたかは分からないけれど、とにかく、強くなったというか、ここに来た意味があるならばそれでいいのかな。ま、力があってもそれを使いこなせるか否か、という話だけれど」 「……で。問題はここからだよ、予言の勇者クン?」 「その呼び名をされたのも、何だか久しぶりな気分だな。で? 何が『問題はここから』なんだ?」  僕が何も気付いていないことにようやくそこで悟ったのか、バルト・イルファは深い溜息を吐いた。 「いいか? 君がどのような経験をしたのか、正直そんなことはどうだっていい。問題は、そこからだ。どうやらシルフェの剣から強い力を感じるけれど、それも使いこなせるかどうかという話。さらに言ってしまえば、その力を得たところでオリジナルフォーズとリュージュを倒すことができるのか? そこが最大の問題だと思うけれどね」 「成る程ね……。はっきり言われちゃうと、そこは困った話になるけれど……でも別に問題は無いよ。オリジナルフォーズを無力化させるための方法も見つけて来た」  さすがにバルト・イルファも予想外の解答だったようで、僕の言葉を聞いて目を丸くしていた。 「……君がどうしてそこまで自信たっぷりなのか、分かったような気がするよ。成る程ね、それなら全てがうまくいく。でもその方法って何なんだ? それさえ分かれば、あとは実行するだけだろ。だったら難しい話じゃない。もちろん難易度ってものはあるだろうけれど……、ゴールまでの過程が見つかっているのと見つかっていないのとでは話が大違いだし」 「かつて、ガラムドはオリジナルフォーズを封印した際、別の神より『祈りの巫女』の力を授かったんだ」  話さなければ、何も解決しない。  そんなことを言ってしまえば、そもそも僕が何も方法を見つからなかったと言えば隠し通せたのではないか、って?  少なくとも、今の僕にはそんな余裕は無かった。  メアリーも救いたい。そして世界も救いたい。  そんな第三の選択肢をバルト・イルファに提示して、同意を得ようと思っていたのだ。  はっきり言って、甘い考えだ。そんなことは、誰にだって分かっている。  けれど、今の僕にはそれしか方法が思い浮かばなかった。 「祈りの巫女、か……。それにしても、聞いたことの無い話だねえ。それを使えば、オリジナルフォーズを封印出来るという話かな? けれど、ガラムドですら二千年しか保てなかったのに、今回の封印がそれを上回るとは思えないけれど」 「それは……」  確かに、バルト・イルファの言うとおりだった。  でもそれは確かに、間違っていないと言い切れることは出来ない。はっきり言って、バルト・イルファがいくらそう言ったところで、それは憶測に過ぎないのだから。  対して、僕の意見はガラムドから直接提言されている。だから、憶測よりかは確信を持ちやすいのだ。けれども、それをバルト・イルファにどう証明すればいいかというのは大きな問題になるのだけれど。 「まあ、いいや。とにかく君がどうしようと僕の知った話ではない。でも、世界は救って貰わないといけない。そうじゃないと……、君を僕に託した人に迷惑がかかるからね。それに、僕は君が世界を救うと信じているわけだし」 「信じていた?」  バルト・イルファからそんな言葉が出てくるとは思っていなかった。  それは僕がバルト・イルファをそういう風に思っていたのだということの裏返しになってしまうのだけれど。 「ああ。そうだよ。信じている。……君は必ずこの世界を救うだろうとね」 「なぜ、そこまで確信しているんだ? そもそも、百年前お前は……」 「妹を助けたかった」  バルト・イルファは、僕の言葉を遮るように言い放った。 「妹を助けたいと思った。だから、僕はリュージュの計画に参加した。参加せざるを得なかったんだ。そう言ったところでただの言い訳になってしまうかもしれないし、君が信じてくれるとは思えないけれどね。それでも、これが真実だ」  バルト・イルファはそう言うと、ゆっくりと歩き始める。 「僕と妹……ロマはほんとうの兄妹じゃないんだ。まあ、そんなことは君も十分理解していることだと思うのだけれど」 「イルファ兄妹は……偽りの兄妹だった、と?」 「そんな簡単に説明できるものじゃないんだ。僕とロマの関係は」  したり顔で笑みを浮かべるバルト・イルファは、どこか奇妙な雰囲気を放っていた。  バルト・イルファは近くにある手頃な岩に腰掛けると、僕を見つめ、 「……そんなに気になるなら、教えてあげようか? 僕とロマの話を。時間は無いから、簡単に説明する形になるけれど。それで君が理解できるかどうかはまた別の話だろう?」  それは、その通りだった。  それに僕はバルト・イルファのことを何も知らない。知ろうと思っていたわけでもないし、知る意味が無いと思っていたのかもしれない。  そしてバルト・イルファは告げる。  僕の無言の返答を、了承と受け取って。 「……それじゃ、話を始めようか。僕と、ロマの話を。そして、『十三人の忌み子』について」  そうしてバルト・イルファは掌に炎を生み出した。  やがてそこには一つの影が生まれていく。  幻影。  炎に浮かび上がる影が、徐々にその姿を見せていく。  その姿は二人の少年少女だった。そして、その少年少女はどこかで見たことのあるような――二人だった。 「この二人は……もしかして?」 「僕と妹は、十三人の忌み子として生活を共にしていた。……そもそも、十三人の忌み子については、あまり知らない事があると思うけれど、簡単に言えば、リュージュが才能を開花させるためにラドーム学院だけではなく世界の至る所から子供を集めてきた。その数が十三人。だから十三人の忌み子、と呼ばれている。とても単純明快な発想だけれど、そこまではついてこれているかな?」  僕は頷く。  それなら問題ない、とバルト・イルファは言ってさらに話を続けた。 「十三人の忌み子の中には、君もよく知っているルイス・ディスコードも居た。けれど、彼は十三人の忌み子の中では落伍者だよ。……もっとも、それを実感していたのはルイス本人じゃないかな。リュージュはそこまで彼のことを気に掛けていなかったようだから」 「リュージュは何を目的に……十三人の忌み子を生み出したんだ」 「新しい世界を切り開くためだ」 「新しい世界? まさか、そこで神にでもなるつもりだったのか」  僕はあきれ顔でそんなことを言った。  僕が昔住んでいた世界ではそんなことを宣った主人公がいる物語があったような気がするが、あくまでそれは物語だ。現実では有り得ない。  けれど、リュージュはそれを現実にしようとしていた――ということなのだろう。  バルト・イルファの話は続く。 「そう。確かにその通りだ。新しい世界で神になる。リュージュはそう考えていたのかもしれない。そこまでは、はっきり言って彼女しか知り得ないことだからね。ただ……ずっとリュージュはこんなことを言っていたよ」  一息おいて、バルト・イルファはゆっくりと言い放った。 「この世界の上位には、私たちが知り得ない別の世界が存在する。私はそこに干渉する存在になりたい……と」 「上位の存在……?」  僕はバルト・イルファの言葉を反芻する。  別に、今言った発言がバルト・イルファがすべて考えたものではないことは確かだ。紛れもなく、リュージュが自らの思想をバルト・イルファたちに伝えるために発言したものであるだろうし、僕とバルト・イルファが聞くタイミングでは知識も環境も異なる。  とはいっても。  バルト・イルファの発言をある程度理解しておかなければ、今後リュージュと戦う上でどうしていけばいいかというヒントを得られる可能性だってあるわけだし、もう少しバルト・イルファとも歩幅を合わせることが出来るかもしれない。  そう思って僕は、バルト・イルファの話をしっかりと、ゆっくりと理解するために、噛み砕きながら聞いていく。 「この世界には、創造神が居ると聞いた。それは、この世界を監視している存在であり、管理している存在であり、完成させた存在であるという。けれども、その存在により僕たち……それはリュージュも含むし、誰だって該当しない人間はいないらしいのだけれど、まあ、実際の所、僕はそこまでその話を細かく気にすることはなかった」 「創造神」  僕は、直ぐにある存在を思い浮かべた。  それは二千年前の過去に出会った、自らを創造神と位置づけた不思議な存在。  それは二千年前の過去に出会った、人間のように見える、しかしながらその力は欠く仕切れていなかった存在。  ムーンリット・アート。  創造神は二千年前の過去で、滑稽に笑みを浮かべていた。  創造神は二千年前の過去で、人間の行動に失笑していた。 「……そう。創造神。彼女はそう言っていた。彼女曰く、この世界の生きとし生けるものは、創造神により生き方を定められている、と。そしてそれを僕たちが知ることも出来ないし、仮に知るタイミングを得たところで、それを回避する術は無い。それは残念なことだ、と言っていた」 「でも、それを苛めたところで何の意味も見いだせていないような……」 「そんなことには気付かない。それほどに、リュージュの勢力は彼女の力に飲み込まれていた」 「飲み込まれていた……?」 「簡単に言えば、彼女はカリスマ的存在だった。どれくらい強いカリスマだったかと言われれば、説明に苦しむところはあるけれど一つだけ例示するならば、彼女が『死』を命じれば全員躊躇無く自らの命を絶つことが出来るだろう。それくらいに彼女は一つの宗教を作り上げていた、といっても過言では無いだろう」 「……リュージュが『十三人の忌み子』を研究していたのは何故だ?」 「創造神は、生きとし生けるものの生き方を管理している。それは即ち、創造神より下の存在が創造神と同じ役割を持つことが許されていなかったからだ。けれど、リュージュはあるとき神世から存在する伝説の法具を見つけることが出来た」 「法具?」 「知恵の木の実……聞いたことはあるだろう? 『惑星の記憶』をエネルギーとして充填した法具だ。あれを使うことにより、禁忌と呼ばれていた魔術を容易に実行することが出来るようになった。その一つに……人体改造が含まれていた」 「人体……改造?」  気がつけば僕は、ずっとバルト・イルファの言葉を反芻するだけとなっていた。  バルト・イルファが敵じゃなく、味方だからこそこの状態になることが出来るのかもしれない。 「僕たち十三人の忌み子には三つのプロジェクトが同時に進行していた。一つは上位世界へ具体的に侵攻するための手段を求めるため、一つは創造神と対等な知力を持つ存在を生み出すため、そしてもう一つは……創造神と戦う際の戦力を身につけるため。まあ、残念ながら最初の二つはどちらも計画途中で頓挫して、六名の『実験体』が残された」  バルト・イルファはどこか悲しそうな表情でそう言った。  僕はずっとこの話を聞いていたから表情まで確認していなかったのだが――もしかしてバルト・イルファにとってこの話はとても辛い話なのでは無いだろうか? 「実験体に……バルト・イルファにロマ・イルファ、そして……ルイス・ディスコードが残っていたのか?」 「まあ、そうなるね。最終的に『適合』したのは僕とロマだけ。ルイスも合成獣(キメラ)化に成功したけれど、はっきり言ってぱっとした能力までは保有していなかった。だからリュージュもそれを理解していたのだろうね。ルイスは何度も自分の能力が如何に使えるかプレゼンテーションをしていたけれど、それも失敗に終わった。結局、『火』の元素と『水』の元素をそれぞれ身体に取り込みメタモルフォーゼした僕とロマが選ばれた」 「メタモルフォーゼ……?」 「メタモルフォーズ化したことを、メタモルフォーゼと言う。覚えておいて損は無いと思うよ。ま、専門用語だから使う場所を間違えると意味が無いけれど。昔の言葉では、TPOって言うのかな?」  一息。  バルト・イルファはつまらなそうな表情にチェンジして、さらに話を続ける。 「ここで何も気付かないのかい?」 「何も、気付かない……? …………あ!」  数瞬の間を空けて、僕はバルト・イルファの言葉にゆっくりと頷く。 「メタモルフォーズは……人間が作り出すことが出来るのか……?」 「ご名答。と言っても、僕がそういう答えを出せるように誘導していたのだから、そういう結論になるのは自明だったけれどね」  メタモルフォーズは自然にできあがった。そんなことをどこかで聞いたことがある。二千年前の過去を追体験した時だったと思うけれど、一万年以上昔の世界では核――もっともこの世界には核という技術は無くて、きっと僕の居た世界と同等の科学技術を有していたのだろうけれど――を使った何らかの実験が行われていたのでは無いかということ。そうして、それによってもともと複数の生命体だったものが一度高温で身体ごと溶かされたのち、融合を遂げた。そしてその融合体はDNAごと大きく構成を変化させ、メタモルフォーズへと姿を変えた……確かそんな感じだったと思う。  しかし、バルト・イルファの話だとそれは大きく食い違うことになる。それとも、メタモルフォーズを人工的に作り出すことの出来る技術を、リュージュが開発したということになるのか? 「リュージュはオリジナルフォーズを解放すること、それこそが上位世界への扉を開く術だと考えていた。この世界はエネルギーの総量が常に一定になっており、キャパシティも決まっている。そしてそのキャパシティをオーバーフローする時、上位世界への扉が開かれる。どこから得た情報なのかははっきりしなかったけれど、リュージュはその情報を信じていた。だからオリジナルフォーズの復活を第一目標としていた」 「ちょっと待てよ。それだとまだバルト・イルファがメタモルフォーズだという理由にはならないぞ」 「君もオリジナルフォーズと戦って、あの膨大なエネルギーを見知っているだろう?」  十年前の記憶を思い起こす。  直接戦ったわけでは無いけれど、オリジナルフォーズから感じるエネルギーは壮大だった。  勝てるのか、と思ったほどだった。とっさに畏怖の感情が浮かび上がるほどだった。 「オリジナルフォーズについて調べた結果、オリジナルフォーズはエネルギーを生み出す炉のようなものを自らの体内に保持していることが分かった。それと同時に、オリジナルフォーズの周囲はハイダルクやスノーフォグの自然とは大きく異なる生態系が構築されていることも、ね。そこでようやくリュージュたちは理解したのだろう。オリジナルフォーズは、封印されていてもなおエネルギーを生み出しており、そのエネルギーは周囲の自然に影響を与えるほどだと」  オリジナルフォーズはエネルギーを生み出すことが出来る。  そしてそのエネルギーが周囲に与える影響は、たとえ微量のエネルギーであっても甚大なものである。 「オリジナルフォーズについて、僕が知っていることはそれほど多くはない。なぜなら、その情報の大半はリュージュ自らが得て、大切に保管していたからだ。しかし、リュージュ自身は誰からその情報を得ていたのかははっきりとしていないけれど」 「……リュージュしか知り得ていない情報があった、ってことか?」 「そりゃ、当然だろう。だって僕たちはリュージュから生み出された。いわば創造主とも言える存在だ。そんな彼女が知らない情報を、どうして僕たちが知り得ることが出来るのか? 逆に質問してみたいくらいだよ」  バルト・イルファの言葉ももっともだった。  確かに彼の言うとおり、その言葉が正しいのであれば、という補足を追加してしまうことにはなるのだろうが――リュージュ以上にオリジナルフォーズのことを知っている人間などいないだろう。  そう、人間であれば――の話だが。 「リュージュが得た情報は、はっきり言ってこちらからは正しいかどうかは判別できない。何故か、って? 簡単なことだろう。ともかく我々はその情報のソースを知る権利は無いんだ。権利が無いということは、知り得ることが出来ないということになる。即ち、リュージュが話した内容こそが真実。皆、自ずとそう感じるようになったということだよ」 「……とどのつまり」 「洗脳だね。それに僕たちは気付いていたし、或いは気付かなかったものもいたかも知れない」  洗脳。  自分よりも情報をもっている存在というのは、確かに操られても仕方ない。或いは優位に立つことができる上では重要なことだといえるだろう。  問題はその『洗脳』をいざ始めてしまったら、いつまでも続けなくてはならないというものになってしまうわけだけれど。 「……でも、リュージュはきっとそんなことを気にするほどの存在ではなかった。というか、気にしていたら今のような地位に立つこともできなければ、そんな望みを果たそうとも思わないと思うよ。全ては『なるべくしてなった』ってことだろうね」 「……でも、リュージュはほんとうにそれを狙っていたのか?」 「愚問だね。間違いなく狙っていただろう。それどころか、それよりも大きなものを狙っていたに違いない」 「それは……?」 「神の地位だ」  バルト・イルファは簡潔にそう言い放った。 「君もとっくに知っていることだと思うけれど、リュージュは神の血をひいた存在だ。祈祷師はそういう血統だから、それは火を見るよりも明らかなのだけれど、彼女はそれを嫌ったのだろうね」 「嫌った……?」 「自らの存在よりも、血統だから、祈祷師だから、といったバックボーンばかり見られるようになったということさ。もともと、彼女は祈祷師の親を持っていたし、彼女が祈祷師になったのも『なるべくしてなった』と周りからは言われていたらしい。なんやかんやで、最年少で王国お抱えの祈祷師になるなど、『天才祈祷師』とも呼び声は高かったんだけれどね」  それを聞くまで、僕はリュージュはただのエゴイストだと思っていた。  自分のことしか見えていない。自分のことしか考えていない存在。それがリュージュだと、勝手に思い込んでいた。 「つまり、リュージュもリュージュでいろいろと思うところがあったわけだよ。それを誰がどう思うかは別として。彼女も彼女なり悩んで生きてきた。しかしながら、彼女は不器用過ぎた。あまりにも長く生き過ぎて、生きていくことに不器用になってしまった。その結果が……」 「ああ、だって言うのか?」  正直、バルト・イルファは色眼鏡で見ているのだと思った。  だからこそ僕は否定の論調から入った。 「まあ、きっと気になっているのだろうけれど、それは間違いでも何でも無いんだよ。結局の所、リュージュの命令を誰も疑うことを知らなかったのは、きっと洗脳されていたからではなくて、本能的に彼女の命令に従おうと思っていたからかもしれない」 「それは、バルト・イルファ……。君も、なのか?」  その問いに、バルト・イルファはゆっくりと頷いた。 「でも。それはやはり……」 「信じられないかい。まあ、それも良いだろう。どちらにせよ、今僕たちが話し合うべき課題はそんな簡単なものではなくて、どちらかといえば、もっとビッグなスケールの話だろう。マクロな話題とでも言えばいいか」 「ミクロだがマクロだがどうだっていいが、その話題転換については賛成だ。僕たちが今からやるべきことに比べれば、リュージュの生い立ちなど小さいことに過ぎない」  僕は自らを奮い立たせるために、そう言い放った。  そうしてしまった方が楽だと思ったからだ。  そうしてしまわなければ、何も始まらないと思ったからだ。 「……しかしまあ、君も変わった人間だよね。だから予言の勇者なんて呼ばれているのかもしれないけれど」  バルト・イルファは小さく溜息を吐いて、首を横に振った。  呼ばれているのかも、というか呼ばれたのは此方だし今でもどうやって元の世界に戻ればいいのか分からないのだが、それをバルト・イルファに言ったところで何も解決するはずが無いので、とにかく今は口を噤むだけだった。  それしかすることが、出来なかった。 「ホバークラフトはまだ使えるか?」 「まだもなにも、僕たちはここに来てから一時間も経っていないはずだぞ。だから燃料も十分残っている。どうしたんだ、いったい。その言い方だとまるで数ヶ月は経過していたかのような物言いだけれど」  ああ、そうだったか。  僕の言い方は間違っていた。確かに、僕だけの認識であればあの世界に数ヶ月は閉じ込められていたわけだけれど。 「……そうだった。うん、間違っていたよ。ホバークラフトを使って、リュージュの拠点まで向かうことは可能か?」 「当たり前だ」  そう言って、僕とバルト・イルファは強く手を握る。  目的地は――空に浮かぶ要塞、リュージュの城だ。  ◇◇◇  その頃。  飛空艇の中のとある一室。メアリーはとある男性と食事をしていた。  ルーシー・アドバリー。  彼はメアリーの知り合いだ。いや、もはや知り合いという一言だけじゃ片付けられないくらい、メアリーとルーシーの関係は深いものとなっていた。もっとも、メアリーとルーシーでその考えはそれぞれ食い違っているようだったが、お互いがそれに気付くことはない。  ルーシーとメアリーが食事をしている場所は、普段飛空艇の職員が使用する食堂だ。食堂とは言っても、長机が一つおかれている簡素なもので、メアリーとルーシーはその両端でそれぞれ食事をとっている状態になっている。 「……あなたから食事に誘うなんて、ほんと久しぶりのことね」  沈黙を破ったのはメアリーだった。メアリーは、なぜルーシーが自分を誘ったのかということではなくて、もう一つ、気になっていることを自分なりに解明したかった。だから、彼女は食事を了承するに至った。  ルーシーは首を傾げ、笑みを浮かべる。 「そうかな? まあ、別に何か問題があったわけではないけれど。ただちょっとね、君に一つ聞いておきたいことがあったからさ。そこについて」 「そこについて?」  メアリーはルーシーの言葉を反芻する。  ルーシーはニコニコと笑みを浮かべながら、 「そう。僕とメアリー、そしてフルについてのことだよ。僕たちはずっと旅を続けてきた。世界を救うための旅を。十年前にはあんなことになってしまったけれど、ようやくそれを解決する糸口が見つかった。だから僕たちは、やっと別のことについて一区切りつける必要があると思うんだよ」 「別のこと?」  ルーシーは手に持っていたフォークを皿の上に置くと、ゆっくりと頷いた。 「……メアリー、君は僕とフル、どちらが好きなんだい?」  空気が、凍り付いた。  メアリーは何とか今の状況を取り繕うとして、慌てながらも、極めて冷静に話を始める。 「え、ええと……。いったい何を言っているのかしら? 別に、私はあなたもフルも嫌いじゃないわよ」 「そんなことを聞いているんじゃないんだよ、メアリー。そんな、当たり障りのないことを聞いているんじゃないんだ」  嫌な雲行きになってきた。  メアリーはそう実感して、どうにかして話の流れをこちら側に持ち込みたかった。  しかして、それはもう遅いことには――メアリーは気付かなかった。 「……ねえ、メアリー。どうして君はあいつのことが好きなの? 十年間、僕と君はずっとこの世界を救うべく旅をしてきた。どうすればこの世界を救うことが出来るか、共に考え続けていた。けれど、君の頭の片隅には……いつも彼が居た。フル・ヤタクミ、そりゃあ、僕と彼、そしてメアリーはずっと世界を救うために旅をし続けてきた、大切な仲間だ。けれど、フルが居なくなってからもずっと君は僕のことを見てはくれなかった」  矢継ぎ早に、ルーシーの話は続いていく。 「だから僕は君に見て欲しかった。君に目線を移して欲しかった。けれど、やっぱり、どうしても、迷ってしまうということはそういうことなのだよね」  あはははははははははあはは!!  ルーシーは急に立ち上がり、壊れたように、狂ったように、笑い始めた。  笑って、嗤って、ワラッテ。  やがてゆっくりとその声は止まると、メアリーを見つめる。 「メアリーは僕を見てくれなかった。一番、僕が好きだった人は僕を見てくれることはなかった。居なくなった人のことを、居ない人のことを、ずっと眺めていた。だったら、こんな世界……」  ――滅んでしまえ。  その言葉を、ルーシーが言った直後、飛空艇が大きく横に揺れた。 「いったい、何が……!」  そしてルーシーの背後にあった『影』がゆっくりと顕現する。 「……うふふ、ほんとう人間って馬鹿よね。だって自分の欲望のままに行動するのだから。たとえそれがどれほど堅牢な人間であったとしても、永遠に近い時間に揺り動かせば、それすらも可能とするのだから」  メアリーの頭の中に声が響く。 「お初にお目にかかる。私の名前は『ハンター』。もっとも、ハンターというのは私の個体を示す名前であって、私自身が所属する……正確には、『種』の名前とでも言えば良いかな、それは別に存在している。その名前は『シリーズ』という。シリーズのハンター、そう覚えておけば良いよ」  影はやがて、ゆっくりとその姿を現す。  それは少女だった。少女は何も身につけておらず、黒い髪の半分で顔を隠していた。  少女――ハンターはニヒルな笑みを浮かべながら、メアリーを見つめる。  メアリーは警戒しつつも立ち上がり、ハンターに問いかける。 「あなた……ルーシーに何をしたの……!」 「ルーシーに何をした?」  ハンターはメアリーの言葉を反芻すると、ゆっくりと浮かび上がり笑い出す。  その行動にメアリーは理解できず、一歩前に踏み出し、腰に携えていた護身用のナイフを取り出した。 「何がおかしい!」  ひとしきり笑い終えると、ハンターは告げた。 「私は何もしていないよ。したのは、お前だろう? 強いて言うならば、の話だが。いずれにせよ、人間は罪深き存在よ。ま、そのおかげでこうやって『仕事』を行うことが出来る」 「仕事、ですって?」 「簡単なことだよ。我々シリーズもまた、創造神、ひいては神と違う独立の考えのもと動いている。とはいえ、ほかのシリーズも動き始めているだろう。すべては一つの目的のために」 「その目的って……」 「もうわかりきっているのではないかしら?」  くるりと一周回って、ハンターはメアリーを見つめた。 「……人間が創造神に関わる可能性が非常に高まっている。ならば、この世界は一度グレードを落とさなければならない。いわゆる、一種の『自浄作用』を実行する必要がある。それが私たちの役割」  そうして、一つの衝撃が生まれた。  ◇◇◇  その衝撃は、地上のホバークラフト――即ちフルとバルト・イルファも確認していた。 「何だ、あの光は……!」 「いったい何があったのかは分からないけれど……。でも、向かうしかない!」  ただ、その衝撃はリュージュの城塞から発せられたものではないということもまた、フルは目撃していた。  ならば、その衝撃はどこから? 「あそこに飛んでいたのは、確かメアリー・ホープキンたちが乗っていた飛空艇だったような……」 「メアリーが……!」  フルは運転していたホバークラフトのアクセルを踏み抜いた。  とはいえ、直ぐにスピードが出るわけでもなく、今出ているスピードが最高速度であるということは重々承知の上での行動となるわけだが。 「おい、フル・ヤタクミ。心配になっている気持ちは分かるが……、あそこまでどうやって行くつもりだ?」 「それは……!」  確かに、その通りだった。  どうやって飛空艇に向かえば良いのか――今はそれを考える必要があった。 「だから、先ずは、ちょっと立ち止まってみようよ。そうすれば少しは本質が見えてくるはずだ」 「本質……か」  フルはゆっくりと目を瞑る。  そうして、再び飛空艇を見つめた。  飛空艇があった場所には、エネルギーに満ち満ちている球体が浮かんでいる。 「あれは……エネルギーの……塊?」  エネルギーの塊、と表現したフルはどうやればそこへ向かうことが出来るか、と考えたことと同時に――そこに居るメアリーたちは無事かどうか考えていた。  考えるだけで、そこにどうやって向かうべきか、どうやればメアリーたちを助けることが出来るか、ということについてはさっぱり分からなかったわけだが。 「エネルギーの塊……か。また厄介なものが出てきたな。どうする、予言の勇者フル・ヤタクミ? この状況を乗り越えることもまた、お前に課せられた試練……なのだろう?」 「勝手にそんなことを言うな。……でも、まあ、確かに間違っていないかもしれないな」  フルはずっと考えていた。  どうして自分が『予言の勇者』としてこの世界にやってきたのか、ということを。  けれど、今はもうそんなことどうだってよかった。  結局の所、僕はこの世界で共に旅をしてきた仲間を、ただ救いたいだけだった。  メアリー・ホープキン。  ルーシー・アドバリー。  二人と共に旅をしてきたからこそ、その絆はそう簡単に切れることではない。  それはフルも理解していたし、メアリーとルーシーも同じ気持ちだろう――なんて勝手に思い込んでいた。 「とはいっても、やっぱり難しいことには変わりないな……。あんまり、難しいことばかりを話していても無駄なことは分かっているし。ただまあ、君だって分かっているだろう? どうやってここを乗り切るべきか。乗り切るのが難しい課題であっても、乗り越える上でどうやって活躍していけば良いか。それは別の人間が考える話ではなくて、君が考えることである。それは、君自身が一番理解できている話なのだろうけれど」 「バルト・イルファ。さっきから、他愛もない話ばかり続けるのはやめてくれないか? 君も何も考えついていないのだろうけれど、でも、それは、僕の考えを混乱させることにも繋がってしまう。それは君も十分に理解できていることだと思うのだけれどね」 「……フル・ヤタクミ。ならば、打開策は考えついているのかな? だったら僕は何も言うまい。君の行くべき道に従うよ。もっとも、君がどういう道を歩んでいくのか、今の僕にはまったくもって分からないわけだけれど。当然だよね、だって僕は予言者じゃないし。祈祷師のような、あんな能力(ちから)は、持ち合わせてはいない」  バルト・イルファとフル・ヤタクミの他愛もない会話は続いていく。  具体的には、生産性のない会話とでも言えば良いだろうか。いずれにせよ、毒舌にならざるを得ない程会話に内容がないものとなっていた。  しかしながら、それは同時に彼らの中で何か考えが浮かび上がりつつあることを意味していた。たとえばここで意味のあることを話しているならば、きっと彼らは策をそこで止めていただろうし、それ以上話すこともなかっただろう。しかし、今は違う。彼らの中で何も考えがまとまっていないからこそ、しかして話を切るわけにはいかなかったからこそ、彼らの中で話を続けていかなければならないから、そうやって内容のない会話が続いていくのだった。  いずれにせよ、彼らの中の問題はただ一つ。  解決すべき問題は、たった一つだけだった。  そうして彼らはその問題を解決するべく、今はただ大地を駆けるだけだった。  ◇◇◇  メアリーが目を覚ますと、そこは小さなベッドルームだった。  ベッドルームは、もともとメアリーの部屋だった場所で、それがそうであると気付くのに、彼女は少しだけ時間を要した。 「どうしてこんなところに……?」  メアリーは彼女自身の記憶を思い返す。  ルーシーとの会話。メアリーはルーシーの『心変わり』に疑問視していたが、徐々におかしくなっていくルーシーが告げたある一つの質問、それがターニングポイントだった。  ――メアリーは僕のことが、好き?  そうして、彼女は思い出した。 「そうだ……。確かあのあとルーシーの影からよく分からないものが出てきて、飛空艇が壊されて……。それじゃ、今私が居るこの空間って、いったい……?」  ゆっくりと身体を起こし、彼女は景色を眺める。  ベッドは壁に接着する形でおかれており、それ以外には何もおかれていない部屋だった。  そして、それ以外の要素を排除するかのように、無造作に床と壁と天井が千切られていた。  なぜそんな表現なのかといえば、それは破壊されたというよりも、何か大きな腕のようなもので引き千切られた――と表現したほうが正しいとメアリーが思ったからだった。  メアリーは恐る恐る立ち上がると、その千切られた端から下を眺めた。  そこに広がっていたのは、紫色の空間だった。  空間はよく見ると球体のようになっており、瓦礫がその球体の中で浮かんでいるように見える。そしてメアリーが眠っていたベッドが設置されている床もまた、その瓦礫の一要素として浮かんでいる。 「ここはいったい……」 「ここは、あんたとあいつ以外の存在に邪魔をされたくない、と言ってあいつが作り上げた『城』だよ」  背後から声が聞こえ、メアリーは振り返る。  気がつけばそこには一人の少女が立っていた。  烏帽子を被り、白と赤を基調とした服に身を包んだ少女は、メアリーにも見覚えのある存在だった。 「リュージュ……。どうしてあなたがここに……!?」 「リュージュ?」  メアリーがリュージュと呼んだ少女は、その言葉を聞いて首を傾げる。  しかし直ぐに状態を把握したのか、ゆっくりと目を細めた。 「……ああ。おぬしには、私がリュージュに見えるのか。リュージュといえば、神の地位を狙う祈祷師だったな。祈祷師は神の血など引き継いでおらぬ、ただ能力を引き継いでいるだけの存在に過ぎないのに、神になろうと烏滸がましい存在だ。まったくもって度し難い」  そして、同時に、リュージュの身体がぐにゃりと歪んだ。  まるでそれは、コーヒーにミルクを注いで混ぜていったように。  やがてその存在は、一つの結論に落ち着いた。  すべてを黒で塗り潰した少女のようにも少年のようにも見える存在。  それがメアリーの目の前に立っていた。 「……あなたが、ハンター?」 「然様。私の名前はハンター。この世界を再生するために、活動している存在だ。そうして私は今その目的を達成するべくここに居る」 「達成するべく……って、まさかルーシーをあんな風にしたのは」 「いいや? 確かに、方法を教えたのは私だが、その手向けをしたのはお前だろう」 「……私?」 「ああ。そうだ。お前がやったんだ。お前がやったからこそ、今があるんだろう。そうして、お前はそれを理解していないようだけれど。でも、それを理解しないなどとは言わせないぞ。お前は、あの旅の中で……フル・ヤタクミを好きになった。好意を抱いた。別にそれは悪い話じゃない。人間の心理の上では、長い間一緒に居た存在を好きになることは道理と言ってもいいだろう。しかしながら、あと一人の相手はどうなるか……という話だ。その心理は男にも女にも適用されるという。それ即ち、ルーシー・アドバリーもそういう思いを抱いてもおかしくなくて?」  ルーシーも同じ思いを抱いている。  それはメアリーが初めて知った事実――ではない。正確に言えば、さっきの会談で初めて知ったとでも言えば良いだろうか。或いはそういうそぶりは見えていたけれど、良くも悪くもメアリーが鈍感でそのことに気付かなかった、ということかもしれないが。 「……だとしても、それが悪いことだとは思えない」  メアリーは単刀直入に、ハンターに告げた。 「……ふうん。やっぱりあんたはどこか変わっているのかもしれないね。当たり障りのない言葉で言ってしまえばそれまでだけれど、それらを無視して言ってしまえば、たった一言で片付けられる」  長々と言ったハンターは、一息ついたのちにメアリーを指差して、 「変人だよ、あんたは。いいや、正確にはあんただけじゃない。ルーシー・アドバリーも、はたまたあの予言の勇者とやらもだ。本来人間は自分のことだけ考えていればいい。それだけで暮らしていくことは出来るはずだ。……まあ、文明が進むにつれて、『思いやり』なんていうくっだらないワードが出てきてはいるけれど、それは別に無視したって何とか生きていける。煙たがられるかもしれないし、それを突っぱねることが出来るのなら、その生き方もありかもしれない」 「だけれど、人間はそんなことをしない」  メアリーの言葉に、ハンターは深い溜息を吐く。 「そう。そこが笑えないところだ。人間は自分だけの価値観で必ずしも生きていこうとはしない。自分と他人の価値観で、譲り合って生きている」 「あなたたちが理解できないのは……それ?」 「さてどうかな」  煙に巻いたハンターは口笛を吹く素振りをしながら、 「私たちはそもそもこの世界が間違った方向に突き進まないために『リセット』する立場なんだ。大洪水を引き起こしたり、隕石を墜落させたり、火山を噴火させたり……。とてもこの世界の生物には対処しきれない未曾有の災害を引き起こした。もちろん、それによって生物が予想外の成長を遂げることもあった。滅びる存在あれば、生まれる存在もあるだろう。神は私たちにそう告げていたよ。……今となっては、それも何となく理解できるようになったがね」 「神は、ガラムドのこと? それとも……ムーンリット?」 「おや。ムーンリットの名前を知っているなんて。いったい全体、どこでその情報を仕入れた? メアリー・ホープキン、あんたにその情報が仕入れられる時間なんて、少なくともこの時代には無かったはずだけれど」  ハンターは回りくどく、また、わざとらしい口調でメアリーに問いかけた。 「ああ、それならね。教えてあげましょうか。昔の話よ。……リュージュの息がかかった施設に閉じ込められた時に、そんな資料を見たことがあるわ。私たちの知らない、創造主の物語がね」 「まさか……シュラス錬金術研究所?」 「ご名答」  メアリーは小さくウインクしてそう言った。 「ま。あの時はそんなことが真実だとは思わなかったけれど。……でも頭の片隅に残しておいたのは正解だったわね。おかげで今の話にもきちんとついていけている」 「……ムーンリットのことを知っていようとも、それがどう逆転する要素になる?」 「ならないでしょうね。もっとも、あなたが私よりも知識を多く有しているのは間違いないでしょうから」  メアリーは歩き始める。  とはいえ、その行動には意味を持たない。ただ歩くだけで彼女の中の考えがまとまるのかもしれないが、そんなことはハンターが知る由も無い。 「……ならば、ムーンリットに敵対しても無駄ということは理解できているだろう? ただお前たちは私たちの行う『消滅と再生』を見届けるしかないのだから!」 「『消滅と再生』……ね。それがどれだけ意味をなすものかははっきりと見えてこないけれど、とはいえ、あなたたちがやろうとしていることは間違っている。それだけははっきりと言えることよ」 「……分かったような口を聞いて。お前たち人間に何ができて、何をするというのか。それもわからないままやってきて、何が理想だ。何が真実だ」 「人間がいない方が、この世界のためになるというのなら……、どうして人間はこの世界に生を受けたのかしら?」 「神様の気まぐれ、というやつだろう」  これ以上話をする意味がないと思ったのか、ハンターはくるりと回転して、ゆっくりとメアリーから離れ始める。 「いずれにせよ、もうこれ以上君達と話をする時間は無い。もったいないとでも言えばいいだろうね。急拵えではあったが、作戦はうまくいった。あとはこれを最終フェーズに進めるだけだ」 「最終フェーズ……ですって?」  メアリーの言葉は震えていた。  それを、彼女が把握していたかどうかまでははっきりとしなかったが。 「私たちはこの計画について、いくつかのフェーズを決めていた。そしてそれを段階付けていくことによって、より計画の進行をスムーズにするよう心掛けた。簡単に言ってしまえば、いくつか修復できるポイントを用意しておいた、ということよ。そうしておけば少なくとも修復不可能なところまで陥ることはないだろう、と判断していた。……結果的にそれはうまくいくことになって、今のこの状態になっているわけだけれど」 「フェーズを分けていた……。それは私たちにもわからない間に、ということね」  こくり。  ハンターはゆっくりと頷くと、メアリーを見つめてさらに話を続ける。  より深い闇の世界へと、彼女を誘っていく。 「最初のフェーズは、予言の勇者の登場だった。最初、私たちは予言の勇者をいかにしてこの世界に誘き出すかと思ったけれど……、それは案外簡単に『彼』がやってくれたからよしとしましょう」 「つまりフルがこの世界に呼び出されたのも……、最初からあなたたちの目論見通りだったということ……!」 「その通り♪」  メアリーの言葉に、間髪を入れることなくハンターはそう答えた。 「ま、それを理解したところであなたたちには何も出来っこありませんが。それにしても、想像以上にうまくいきましたけれどね。『選ばれし勇者』を演出するだけで、ここまで騙されるなんて!」 「騙される……ですって?」  メアリーは首を傾げ、ハンターに問いかける。 「ガラムドに模した存在をあなたの夢に顕出させたのも、ラドーム学院にフル・ヤタクミを召喚したのも、そのあと上手い具合に事が進んだのも。全部私たちが仕組んだからに決まっているじゃない。……それとも、あなたはまだ『神秘』というのを信じているクチかしら。神秘というよりは……そうね、『奇跡』とでも呼べばいいかしら? いずれにせよ、そんなものは最初から存在しない。私たちが裏から操ることによって、あたかも人間には理解し難い力が働いているだけの話。そうして、その説明し難い力を人間は『神秘』やら『奇跡』やら仰々しい単語で呼ぶわけ。わかった? だから、あなたたちの言うところの奇跡は、私たちが干渉したから発生しただけに過ぎないわけ」  奇跡も神秘も、全てシリーズが生み出したまやかしに過ぎない。  それを聞いたメアリーは、目の前が真っ暗になった。絶望に覆い尽くされた、のではなくて、今まで信じていた奇跡やら神秘やらが、全くもってデタラメだったということに、彼女は怒り心頭だった。  いずれにせよ、彼女が考えていることをいくらハンターに伝えようとも変わってくれるわけもなければ変えてくれるわけもない。とどのつまり、メアリーはこの事態を自分自身で変えなければならないわけだけれど。 「……さて、メアリー・ホープキン。真実を聞いてもなお、あなたは立ち向かうつもりかしら? 確かにまだ話していないけれど、いくつかのフェーズに沿って進行してきた。そしてその最初のフェーズだけを説明しただけに過ぎない。はっきり言ってしまえば、今のうちに逃げておいたほうが、あなたたちが傷付くことはない。そうでしょう?」  メアリーは考えていた。  本来ならばそんな考える暇なんて与えられるはずもなく、直ぐに発言しなければならない。 「……いいや、」  それでも。  メアリーは前に突き進む。  きちんと向き合わなければならないと思った。 「そうであったとしても、私は向き合わなければならない。フルがどういう存在であって、どうやってこの世界に呼び出されて、どうやってこの世界に赴くこととなったか。それがどれほどショックを受けることだろうと……それを私が拒むことは、許されないと思う」 「尤もらしいことを言ったあとに、引くことは許されぬぞ? まあ、構わない。たとえどんな道筋を歩むことになろうとも、お前の忌まわしき血筋が消えることはない。……まあ、お前自身が絶やすことも可能ではあると思うが」  ハンターはメアリーを試していた。  そうして、この物語を進めて良いのか、話を聞き続けて構わないのかとメアリーは思った。  仮にフルがこのままオリジナルフォーズを倒したとして、世界を平和にしたとして、それはフルが作り出した英雄譚ではない。シリーズが作り出した、仮初めの英雄譚だ。  だが、それで良いのだろうか?  フルがずっと苦しんできたのに、それを一人で背負い込んだままで良いのだろうか? 「……私は、それでも構わない」 「ほう?」 「気付いたのよ。私はずっと、向き合ってこなかったということに。フルはずっと『勇者』の重圧に押しつぶされることなくやってきた。それって……その、凄いと思う。けれど、私たちはそれには気付かなくて。それよりももっと酷いことをさせてしまった。だから、私たちはそれに贖わないといけないし、そのためにはフルのことを知らないといけない。だから……」 「人間って、何でここまでも愚かな存在なのかしら。だから滅ぼしたくなるのよね。ま、それは私じゃなくてハンプティダンプティやハートの女王が決める話だけれど」 「だから、方便はどうだっていいの」  メアリーは目を瞑る。  何をしでかすのか、ハンターは予想出来なかった。  刹那、メアリーは踵を返し、走り出した。  目的地は、ルーシーの居る、その中心地。 「話を聞いて欲しかったんだけどなあ、私としては」  しかしながらそれでハンターの目を欺くことは出来やしなかった。 「……ハンター!」  目にも止まらぬ速さで、ハンターはメアリーの前に立ち塞がった。 「あなたは話のわかる人だと思っていたけれど……、どうやら頭が回るだけだったようだねえ。ま、別に私は人間に近付こうなんて思いはしないのだけれどね。やっぱり人間と向き合うなんてことは無理かあ……」 「とりあえず。もう話はしなくていいよね? だってあなたから逃げ出したんだから。話を聞くことの出来る唯一のチャンスを、あなた自身が逃したんだから」 「……ええ、そうね。まあ、私は元から聞く気は無かったけれど」 「ふうん。いつルーシーを救えるかチャンスを伺っていたってわけね。まあ、別にいいけれど、そこまで気にすることでも無かったんじゃない? 確かにルーシーがああなったのはあなたが悪いけれど、それを悪いなんて認識していないのでしょう?」  メアリーとハンターは対峙する。  いつこの場からタイミングを見て抜け出すことができるのか、そんなことばかりを考えていた。 「言っておくけれど、もう私の目を誤魔化すことは出来ないよ。ルーシーを救うことがあなたにとっての贖罪と思っているかいないかは別として……いずれにせよ、ルーシーはもう救えない。あなたのせいでルーシーはああなったと言っても過言ではないのだから。まったく、勇者一同って案外薄情者ばかりよね。勇者があんなことをしたら、勇者を敵として扱っているんだから。勇者には失敗が許されない、ってわけかしら」 「そんなこと……!」 「思ってない、なんてどうして言い切れるわけ? あなたがどう思っていようと別に問題は無いとでも思っているのかもしれないけれど、大間違い。それはあなたとしての理論で、私としての理論としては……いいや、言い直すならば、世界としてのスタンダードとしては間違っている、とでも言えばいいかしら。あなたがどう思っていようとも、あなたは無意識に勇者を傷付けたということになるかな。寧ろ、そちらの方が問題のような気がしないでも無いけれど?」 「それは……」  そこで、直ぐに答えてしまえば良かった。  答えてしまえば良かった、のに。  メアリーは直ぐに答えることが出来なかった。しどろもどろとまでは言わなくても、答えを発するためにその場で思考を停止しまったのだ。  だから、隙を突かれた。 「あなたは、無意識のうちに勇者を傷付けた。けれど、同時に、あなたの中にはそれを諌める気持ちもあった。『そんなこと言われても仕方がない』という気持ちが。逃げるという気持ちが。あなたの中にはあった」  徐々に、メアリーはハンターの言葉にのめり込んでいく。  それは彼女の持つ魔力が、言葉に干渉しているのかもしれないが――そのことについてメアリーが理解しているはずもなく。 「……違う。違う、違う!」  メアリーは頭を抱える。  その場から逃げるように。  その場から、逃げ出すように。  その場から、その空間から、その世界から。  メアリーはすべてから逃げ出したくなっていた。 「……メアリー・ホープキン。あなたは祈祷師の娘として一生を歩んできた。そして、あなたは祈祷師の娘という立ち位置が嫌いだった。そんなとき、神託があった。それは、予言の勇者に仕えなさいという神託だった。……それが私たちの計画に組み込まれていたものだということも知らずにね!」 「そんなこと……そんなことが」  有り得ない、なんて言えるのだろうか?  そんなことを言えるはずがない。メアリーは思っていた。彼女だって、そんなことは有り得ないって分かっていた。分かっていたけれど、それを彼女の中で客観的に肯定することは、出来なかった。  出来なかったからこそ、気持ちの整理が付けられなかった。  気持ちの整理が付けられなかったからこそ、つけいられる隙を与える結果となった。  それはすべて、彼女の『甘え』が結果を生み出したことだ。 「メアリー・ホープキン。あなたはずっと逃げ続けてきた。あなたはずっと、己の運命を受け入れずにいた。そうして、縋るように予言の勇者――フル・ヤタクミと旅を共にした。その結果、世界が滅びる結果となった。そうして今度は『世界を復活する』という大義名分を掲げて旅を続けた。それもまた、あなたの『祈祷師リュージュの娘』という運命から逃げるため。すべて、そう。あなたはずうっと逃げ続けてきた。その生き方に、意味はあるのかしら?」 「私は……いいや、逃げてなんて……」 「ほんとうにそう言い切れるのかしら?」  歩み寄るハンター。  ゆっくりと、ゆっくりとメアリーは後ろへと下がっていく。  しかしもともとこの空間は狭い空間だったために、直ぐに彼女は追い詰められていく。 「さあ、メアリー・ホープキン。いくら逃げようとしても無駄ですよ。あなたはこれ以上逃げることは出来ないのですから! 別に私はいいのですよ。認めてしまえば良いのです。逃げていたことを、リュージュの娘であることに葛藤を抱いていたと認めてしまえば。あとは楽なことですよ? あなたがどういう気持ちを抱いているかは二の次になりますが、そんなこと、私にはどうだっていい話だ。いや、寧ろ好都合と言ってもいいでしょうけれどね」 「好都合……ですって」  メアリーは薄れゆく意識の中で、何度も反芻していた。  ――自分は、必要だったのか?  そうして、彼女はハンターの言葉に、押し潰されるように、意識を失った。  ◇◇◇  地上。  未だに僕とバルト・イルファはどうやって空へと向かうべきか――それを延々と考えていた。とはいえ、少しは何か浮かんでくるものかと思っていたけれど、ところがどっこい。案外浮かんでこないものだったり、するわけだ。ほんとうはもう少し頭を捻ればいいのかもしれないけれど、捻れば捻るほど、何も浮かんでこない。それはまるでカラカラのぞうきんを絞っているかのように、僕たちの頭脳はもはや限界に達していた。 「……いったい全体、どうすればいいのだろうか。なあ、バルト・イルファ。お前の炎の魔法で、空に浮かばせることを出来ないのか? 例えば、このホバークラフト全体を」 「出来ると思っているのか。そもそも、僕の魔力じゃ、このホバークラフトをあそこまで浮かばせるほどの力を生み出すことは出来ない。いくら僕たちが『知恵の木の実』からエネルギーを分け与えられているからと言っても、限りはあるよ」  知恵の木の実からエネルギーを分け与えられている。  何だかんだここで初出の情報を手に入れたところでそれを持て余す未来しか見えてこない。  ただ重要そうな情報であることは間違いないから、一先ず覚えておくことにしようと思うけれど。 「……ま。とにかくそんなことはどうだっていいわけだ。問題としては、どうやって」  バルト・イルファは上を指差す。 「あの空間に行くことが出来るか、ということだけれど。そういえば、君、魔導書はどうした?」 「魔導書?」  僕はバルト・イルファの言葉を反芻する。  突然魔導書なんて単語が出てきて、いったいどうしたのかと思ったからだ。  対して、バルト・イルファにはその単語に一つ宛があるようで――。 「君ね……。魔導書といえばあれしかないだろう? ガラムドが残した叡智の書、ガラムドの書だよ。あれにはたくさんの魔法が書かれているはずだ。そう、例えば……そこに『空に浮かぶ魔法』だって書かれているんじゃないのか?」  ◇◇◇  案外あっさりとその魔法は見つかった。  百二十四ページ、移動魔法――『サイト・スイッチ』。  その言葉を呟くと、同時に文字以外描かれていなかった魔導書のページに、魔方陣が描かれていく。それはまるでホログラムのような立体的に浮かび上がるような形だったけれど、きっとそれをバルト・イルファに説明しても理解してはくれないのだろう。  そしてホログラムとなって浮かび上がった魔方陣は、そのままホバークラフトを飛び出して地面の上に描かれる。  するとそこからふわりと風が吹き出して、上昇気流のようになっていた。 「……成程、ここに乗れば何とかなるかもしれない。移動魔法とは、そういうことだったのか」  鳥が上空で羽ばたかないのは上昇気流があるから、という話を聞いたことがある。  要するに、今の状況がそれだった。ホバークラフトでそれが可能かどうかは分からないけれど、先ずはやってみないとなんとも言えない。 「……それじゃ、向かうとしようか。だめだった場合は……なんてことは考えずに。ガラムドの書の中にあった魔法だ。失敗することはあるまい。まあ、それもガラムドを信じている人間ならば平気でそんなことを口にするのだろうけれど。君は?」  正直、信じていようが信じていまいが使ってしまったのだから、信じるしかない。  それが正直な感想だった。 「君がどう選ぼうと、僕は一緒に歩く。それは僕が勝手に決めたことではあるけれど……、それでも僕はついていく。君がこの魔法を信じているならば、僕もこの魔法を信じるということさ」  ゆっくりとホバークラフトは動き出し、気流の発生している場所へと向かう。  それはバルト・イルファも僕のことを信じているのだということにほかならなかった。  或いは、僕ではなくてガラムドの書を信じているだけなのかもしれないけれど。  そんなことを考えていると、ホバークラフトはあっという間に気流の発生源の場所へと到着した。  今のところ浮かび上がる気配はない。かといってこのまま待つわけにもいかない。長い間吹き上げるような風が吹いているようだけれど、さすがにホバークラフト全体を持ち上げるほどの風は吹いていないようだった。 「フル・ヤタクミ。ほかに魔法はないか? さすがに僕も、ガラムドの書を信じているとは言え、これでは浮かび上がる様子がまったく見えてこない……」  さすがのバルト・イルファも愚痴を言いだした、ちょうどそのときだった。  ホバークラフトがゆっくりと、ふわりと浮かび上がり始めた。  最初は、無重力の感覚を味わったタイミング。まさかそんなことが実際に起こりえるとは思わなかったためか、バルト・イルファはとても慌てている。ハンドルから手を離さない、いや、離したくない。そんな様子に見えた。 「ま、まさか……。ほんとうに飛んでいるというのか……!」 「そうとしか考えられないだろ。ほら、景色を見ると、まるでスローモーションのようにゆっくりと上に上がっていくぞ。やっぱり、ガラムドの書の魔法は凄いな。こんな大きいものまで空に浮かばせてしまうんだからな……」  ガラムドの書。  そう簡単に言ってみせるけれど、実際の所、僕もこの魔導書のすごさを理解しきれていない。それはすべてを使い切っていないから――ということもあるのだけれど、こんな人間の叡智を超えた力を軽々と使いこなすことの出来る魔法が書かれている魔導書は、人間が使う代物ではないのだろうか、なんてことを考えてしまうのだ。  かつても、人間の歴史においてその身に余るエネルギーを所有した結果、争いが起き、それが戦争という大きなムーブメントとなった事例が、僕の居た世界でもよく繰り広げられていた。 「……それにしても、このガラムドの書というのは、オーバーテクノロジーな雰囲気がしてならないな。いったい誰が書き上げたのか? やはり、名前の通りガラムドか。だとすれば、ガラムドは魔法にも長けていたということになるが」  バルト・イルファはそんなことを僕に聞こえるような声で言っていた。どうせ彼のことだから独り言にはなるのだろうけれど、それにしても声が大きすぎる。  それにしても、バルト・イルファはなぜ僕と共に行動しているのか。  そしてバルト・イルファの狙いは――彼から聞いたことはなかったかもしれないけれど、おそらくは妹であるロマ・イルファを救うためだろう。  ロマ・イルファは今、リュージュと共に居る。リュージュの目的を遂行するために共に行動しているのだろうけれど、バルト・イルファはもしかしたらロマ・イルファがリュージュの目的を達成するために行動しているということ、それ自身が彼女自らの意思によるものでは無いと思っているのかもしれない。  もちろんこれは彼に聞いた話ではない。だから、結局そのことに関しては推測の域を出ないわけだけれど。 「……ガラムドは不思議な存在だね」 「うん?」  バルト・イルファの言葉に、僕はそちらを向いた。  バルト・イルファは不思議そうに首を傾げて、 「だってそうだろう? ガラムドは世界を救った。そしていつ書いたかは知らないけれど、魔導書を書いた。それもその内容は簡単にほかの魔法学を学んだ専門家が使えない高度な魔法ばかりが揃っているという優れものだ。……考えたことはないか? ガラムドはその時代に生きるべき存在だったのか否か、という話だよ。まあ、だからカミサマになれたのかもしれないけれど」 「それとも、神よりも上の存在が、ガラムドをカミサマに仕立て上げるために生み出した……とか?」  神に仕立て上げる。  それは考え的にとても気になるものだけれど、はっきり言って今はそんなことを言っている場合じゃない。  仮にガラムドがそういう存在であったとしても、現に今僕たちがガラムドの書にシルされた魔法を使わなければ、天空へと旅立つことは出来ないのだから、そこはシンプルに感謝しなければならないだろう。 「ま。ガラムドのことはどうだって良いかもしれないね。今はそのおかげで空に向かうことが出来るわけだし」  案外楽観的に考えているんだな。  何というか、バルト・イルファの考えは未だに底が見えてこない。  そして、僕たちは――浮遊している飛空艇へと近づいていくのだった。  ◇◇◇ 「神の国?」  リュージュの言葉に首を傾げるロマ・イルファ。 「きっと『シリーズ』とやらも焦りを見せているのかもしれないな。想像が出来ていない方向で、この世界から時空の狭間へと旅立つことが出来るのだから」 「……それは、前にリュージュ様が話していた、あの?」 「その通りだ。この世界の周りに流れている時空の流れ……、そこから別の世界へと向かうことが出来るだろう。そしてその中には、創造神が住まう世界だってあるはずだ」 「そこへ向かえば、リュージュ様の野望が叶うわけですね」  ロマ・イルファの言葉に、ゆっくりと頷くリュージュ。  彼女の計画は完璧だった。  完璧だったからこそ、リュージュは油断していたと言っても良いだろうし、それによって完璧に計画が遂行されるかどうか分からなくなる――それすらも一瞬盲目と化していた。  ◇◇◇ 「この飛空艇は、今からとある場所へ飛ぶ。いや、正確に言えば、とある世界へと旅立つと言っても良いだろう」  飛空艇。  メアリーが倒れた後、ハンターは笑みを浮かべながら独りごちる。 「それで良い。それで良いのだ。……私たちは、別の視線に目を向ければ良い。今はただ、私たちの世界ではない別の世界に目を向けさせれば良いだけの話。まあ、予言の勇者がほんとうに人間を守ることが出来る程の力を有しているというならば、の話だけれど」 「それで、それは何とかなりそうかな?」  そこに、誰かの声が加わった。  ハンターの独り言だけだった会話とも言えないような独白に、一人の言葉が加わった。 「あら。ジャバウォック。……もしかして私を心配して迎えに来てくれたの?」 「まさか。……正確に言えば、心配だから見に来たというほうが正しいかな。いくらモニタリング出来るからって、やっぱり帰りが遅いと心配になるだろう?」  それを聞いてハンターは失笑する。 「……ま、それもそうね。それで? 計画は順調よ。あとは私もモニタリングに戻れば良いのかしら。文字通り、世界を壊す準備は出来たと思うけれど」 「壊すんじゃなくて、再生する。それもその手助け、だよ。目的を見失っちゃだめだ」 「……この世界の神を殺しといて、よく言えるわよね……」  ハンターの言葉に、表情を持たないジャバウォックは帽子の鍔を持って答える。 「さて。無駄話をしている時間は無いよ。そろそろ向かおうじゃないか、僕たちの世界へ。神の死と、それによって迎えるこの世界の新生を見届けようよ」 「それもそうね。……きっと、『あれ』も、目を覚ます頃かと思うし」  がるうううううううううううううううううううう!!!!  ハンターの言葉から少し遅れて、地上から空を切り裂くような咆哮が聞こえた。 「ああ。そうだね。何せこの計画には、『あれ』が居ないとなんともならない」  そうして、ハンターとジャバウォックは練習するまでもなく声を合わせて、同時に言葉を紡ぎ始める。 「「さあ、お前の力を解き放て、オリジナルフォーズ。お前を生み出したすべてを破壊するために」」  刹那、地上から一つの光線が放たれた。  それは文字通り、空を切り裂き――一つの穴を作り出していった。  その先に広がっているのは、完璧なる黒。誰一人として、その穴の先は何も分からない。  誰しも不安を抱えるはずなのに、ハンターとジャバウォックは笑みを浮かべていた。 「きっと今頃、あの神になりたがっている祈祷師とやらもこの異変を見て、喜んでいるでしょうね」 「祈祷師。……ああ、リュージュのことだね。まあ、彼女はどうなるか分からないけれど、いずれにせよ、落胆するんじゃないの? あの穴を通るイコール神の国に行くとは確定していないわけだし」 「……もしかしたら、違った意味での『神の国』かもしれないからね?」  ハンターの言葉に、ジャバウォックは何かを悟ったような口調で、 「その通りだ」  とだけ、言った。  ◇◇◇ 「オリジナルフォーズは、いったいどこへ向かおうとしているんだ……」  バルト・イルファは、オリジナルフォーズが作り出した虚空の暗闇を見上げて、そう呟いた。 「オリジナルフォーズが作り上げたあれは……、闇?」  いいや、違う。  ただの闇ではない。  ただの空間ではない。  あれは、別の世界に繋がる何か――?  そうしてそれを感じ取ったのは、フルが一番最初だった。 「バルト・イルファ。もしかしたら、あれは……別の世界へと向かうことの出来る『扉』じゃないか?」 「扉?」 「そうだ。紛れもない、扉だ。もちろん確証はまだつかめていないけれど……、でも普通なら空に穴が空くことはない。そうだろう?」 「それもそうだが……。でも、その先に世界が広がっているとは限らないだろ?」 「と、いうと?」  バルト・イルファの問いに首を傾げるフル。  フルはバルト・イルファの言葉を理解していないようで、それを悟ったバルト・イルファは深い溜息を吐いた後、ゆっくりと説明を始める。 「いいか、フル・ヤタクミ。あの穴は確かに有り得ない構造となっている。もしかしたら時空の狭間……とどのつまり、世界と世界の狭間に無限にも広がる『海』へと向かうことが出来るだろう。しかし、その先は? ほんとうにその先は別世界へと繋がっているという証明が出来るだろうか」 「それは、はっきり言ってエゴだろ。見つかるはずもない、そんな証拠」 「だったらフル・ヤタクミ、君が言った仮説も仮説の域を抜けない」  フル・ヤタクミとバルト・イルファの話し合いは平行線を辿っていた。  だからこそ、話し合いは終わることがない――と思われていたが、それは強制的に終了せざるを得なくなった。  理由は、たった一つ。 「着いたぞ、フル」  浮遊する飛空艇、その一つのかけらに到着したためだった。  飛空艇は既に崩壊の一途を辿っており、彼らが乗り合わせたのはその分割したパーツの一つ。場所で言うと、船室の一つ。ベッドが無造作に置かれている場所だった。  そして、そのベッドに横たわる一人の女性。  それは彼らが良く知る人物だった。 「メアリー……!」  フルは、その名前を呼ぶと、ホバークラフトから降りて駆けだしていく。  メアリーはぐったりとしている様子だったが、フルの声を聴いて、目を開けた。 「……フル?」 「メアリー……。大丈夫か? どうしてこんなところに? ルーシーはどうした?」 「おいおい、フル・ヤタクミ。そんな状況でたくさんの質問を投げかけたところで、処理しきれないだろう。……今は、再会出来たことをただ噛み締めておくべきだ」 「バルト・イルファ……。あなた、どうしてフルとともに行動を共にしているわけ?」  メアリーが先に引っかかったのはそこだった。  前もバルト・イルファとフルが共に行動している状態を目の当たりにしていたが、しかして彼女がそれに質問することは無かった。出来るタイミングが無かった、と言ってもいいだろう。 「いや、僕は……」 「それは僕のやりたいことと、彼のやりたいことが合致したからだ。目的の合致……、といえば良いかな」  フルよりも先に、バルト・イルファが答えた。  バルト・イルファの言葉を聞いてメアリーは首を傾げ、 「どういうこと?」 「これを語ることは……まあ、難しい話かな。簡単に言ってしまえば、一人の少女を救済したい。ただそれだけのことだ。僕にとって、大事な『彼女』のね……」  オリジナルフォーズはゆっくりと浮かび上がる。  そしてその姿を、フルたちはただ眺めることしか出来なかった。  オリジナルフォーズが向かう先には――オリジナルフォーズ自身が作り上げた、虚空の暗闇。 「オリジナルフォーズは……いったいどこへ向かおうとしているんだ?」 「いや、分からない。けれど……きっとあの世界には、君が求めているものがあるんじゃないか?」 「え?」  バルト・イルファの言葉に、フルは振り返る。 「オリジナルフォーズがこの世界から消える、とすれば……。今度はオリジナルフォーズが向かう世界が危機に瀕する。この世界の人間は平和に暮らすことが出来るだろうけれど、あの世界はどうなるだろう?」 「そんなことを言われても……」  フルは当惑していた。  確かに、これによってこの世界が救われたとしても、オリジナルフォーズは完全に消滅したわけではない。僕たちはただ消えてしまったオリジナルフォーズの恐怖から、一時的に逃れることが出来る――ただそれだけのことだった。 「オリジナルフォーズが消えてしまえば……、確かにこの世界は平和になるかもしれない。けれど、それは一時的だと思う。だって、それはあなただって分かるでしょう……?」  メアリーは、僕の背中を押すように、そう言った。  メアリーの表情はとても優しいものだった。それはフルがこの世界に初めてやってきた時に見せた、その笑顔のように。  メアリーはずっとフルのことを心配していた。  たとえ予言の勇者がこの世界を破壊していたとしても。  たとえ世界の誰もが彼を非難しようとしても。  メアリーだけは、彼を信頼していた。彼を心配していた。そして彼の行く末を――案じていた。 「あの先に広がっているのは、いったい何だと思う?」 「バルト・イルファ……。貴様、知っているのか?」  バルト・イルファは首を横に振る。 「いいや。そんなことは無い。けれど、絶望の化身であるオリジナルフォーズをそのまま別の世界に解き放って良いものか、なんて思っただけのことだよ」  バルト・イルファが言いたいことは、ずっと分かっている。  けれど、フルはバルト・イルファがそれを言いたがらないのが、どうにも腑に落ちなかった。  自分にそれを言わせたかっただけなのか――なんてことを思ったが、今はそんなことはどうだってよかった。  彼には、たった一つの道しか見えていなかった。 「オリジナルフォーズを倒す。そして、ルーシーも救う」  彼に与えられた選択肢は、たった一つ。  ハッピーエンド以外認めない。  そうして彼は、剣を手に取った。  その刹那、オリジナルフォーズは――跳躍した。  正確には既に浮かび上がっていたため、空中を踏みしめて高く跳躍した。  オリジナルフォーズは真っ直ぐに、飛空艇を目指している。 「不味い……! このままだとぶつかるぞ……!」 「でも、どうすれば! 飛空艇はもうバラバラになっているから、簡単には……」 「とにかくあのホバークラフトに乗り込め! 話はそれからだ!」  フルは飛空艇に着地していたホバークラフトを指差し、メアリーたちを誘導していく。  フルとメアリー、バルト・イルファが乗り込むと、メアリーはホバークラフトの扉を閉める。 「フル、どうするつもり!?」 「黙ってて。……ええと、移動魔法『サイト・スイッチ』!」  ガラムドの書を持ちつつ、彼は呟く。  同時にホバークラフトは浮かび上がり、それを見たバルト・イルファがハンドルを握る。 「急いで移動するぞ、つかまれ!」  バルト・イルファの言葉に、フルとメアリーは即座に行動を取る。  その直後、飛空艇ごとルーシーの身体を、オリジナルフォーズの口へと吸い込まれていった。 「ルーシー!」 「……なぜ、ルーシーを吸収する必要があったんだ」  思わず叫ぶメアリーと対照的に、どうしてそれをする必要があったのかという疑問を浮かべるバルト・イルファ。  それはフルも同じだった。どうしてルーシーがオリジナルフォーズに食われなくてはならないのか。そして、そもそも――どうしてルーシーがああなってしまっているのか。 「フル。ルーシーがああなってしまったのは……、『シリーズ』と呼ばれる存在のせいよ」 「シリーズ……」  フルはメアリーの言葉を反芻する。  だが、今はそのことについて考える必要は無かった。 「見ろ、フル・ヤタクミ。オリジナルフォーズが……、さらに上へと浮かんでいくぞ!」 「やはり、バルト・イルファの想像は当たったようだな……」  オリジナルフォーズは、一直線に空へと浮かぶ穴に向かっていき――やがて中へと入っていった。 「どうする、フル・ヤタクミ? これで向かわない理由は無くなったようなものだが」  バルト・イルファは振り返り、フルのほうを向いてそう言った。  フルとメアリーは何も言うこと無く、ゆっくりと頷いた。 「それじゃ、向かうとするか。……捕まっていろよ、二人とも!」  そうしてバルト・イルファが操縦するホバークラフトもまた、空へと浮かぶ穴へと入っていく。  最後に。  ホバークラフトを追いかけるように、リュージュの移動要塞もまた穴へと向かっていた。 「リュージュ様、ほんとうにあの穴へ飛び込むおつもりですか?」 「ロマ・イルファ。何を怖気付いているのかしら。あの先に広がっているのは未知なる世界。とどのつまり、あの世界へ向かうことこそ私の使命。オリジナルフォーズも向かったようだからね。向かわない理由は無いわ」 「……そうですか。まあ、ついていかない理由も、私にはありませんけれど」  そうして、リュージュとロマ・イルファを載せた移動要塞もまた、空へと浮かぶ穴に飛び込んでいく。  ◇◇◇  長い暗闇だった。  ホバークラフトに乗っていたフルたちは、穴の向こうへと抜けると――その光景に驚愕した。  そこに広がっていたのは、摩天楼だった。  高い塔、高いビル、飛行機。あの世界には何一つ存在しなかったものが、ここには無数に存在していた。  バルト・イルファとメアリーは、その光景に見覚えは無い。それは当然だった。  だが、その光景を唯一知っている存在が居た。  そうして、彼は、目を丸くさせて――こう呟いた。 「ここは…………東京…………?」