西暦二〇四七年。  『生活補助型アンドロイド』の商用化が始まったことにより、人々の生活にアンドロイドが追加されていくようになった。  とはいえ、アンドロイドもロボットだ。必ずつきまとうのは、人間しか持ち得ていない『感情』や『愛情』などをどう賄うか――であった。アンドロイドは平坦な言い方をしてしまえばただの機械である。とどのつまり、ロボットに優しさは存在しない。仮に存在してもそれはプログラミングされた感情であり、アンドロイドには自我は存在しない、ということだ。  では、西暦二〇四七年は飛躍的に科学技術が発展しているのか?  否、断じて否。  科学の進歩は西暦二〇一七年に一度停止した。理由は色々と挙げられるが、一つの大きな理由は世界の警察とかつて謳われた国家の大統領が交代したことだ。  大統領――とどのつまり国のトップが変わると方針も大きく変更されることになる。  かくして、世界のためにということを念頭に置いていた方針はすべて転換されることになり、自国のことにすべてを置くこととなった。  当然と言えば当然かもしれないが、その国を信用しきっていた様々な国は大きく自国の地位が揺るがされる。  それは東洋の島国とて例外では無かった。その島国は経済の安定を考え、自国が得意とする科学技術をネタにその国家の従属と成り下がった。従属、というよりも椊民地に近い扱いを望み、結果としてそれが認められた。  それにより、安定した科学技術の開発が出来るようになったが、その科学技術の供給先はほかならない『本国』だった。正確に言えば、新製品のデモンストレーションを島国で実施して、安定した運用が確認されれば本国へ展開される。その技術は決して強固な同盟関係を築く二国の外には出て行かない。それは二国の共同宣言からなる『約束事』だった。  西暦二〇二二年、東洋の島国と本国は『科学同盟国家』へ統合する。最終的に西暦二〇三七年までの僅か十五年で世界の七割ほどが一つの国家として統合されることとなり、本国の大統領がそのまま世界のトップを務めることとなる。  そしてそれから十年後。  アンドロイドが社会に浸透し始めたというタイミングで、風間修一の家にもアンドロイドが来ることになった。  Good HOuse-keeper aSissT――通称GHOST型アンドロイドは家事に特化したアンドロイドである。値段も数万円と安価なことから、一般家庭にも導入しやすくなっている――というのが販売会社の話だ。  GHOST型アンドロイドは基本女性型で製作されている。理由は家事をするのは女性が多いという固定観念と、母性を感じ取りやすいという理由からだ。  しかしながら――やはりアンドロイドはロボットだ。  となるとアンドロイドには『愛』が宿らないと考える層も少なからず居る、ということになる。  風間修一もその一人だった。  風間修一はアンドロイドが家に配備されることについて、非常に忌み嫌っていた。  別に彼だけの話ではない。世界情勢を鑑みると、実に十五パーセントの人間がアンドロイド配備に反対している意見だってデータとして残っている。  しかしながら、この世界は常に多数決の原理で成り立っていることを忘れてはならない。  結果的にいくら声を大にしたところで、多数決の原理で少数派と認められてしまっては通るものも通らない。それは自然の摂理であり、この世界の原理でもあった。  アンドロイドの配備に反対した彼は、それを行動で示した。彼は家を飛び出した。要するに家出だ。  しかしながら大学生の家出は、結局のところ経済力が無い時点で意味が無い。結果として半日ほどで戻らざるを得なくなった。そして、その家出がもたらした影響力も皆無だった。  アンドロイドが彼の家にやってきたのはそれから三日後のことだった。初期ロットの配備テストに当たったこともあり、その日はテレビの取材が入った。彼は大学に行っていたため、直接取材を受けたわけでは無いが、彼は強制的に話題の中心に引きずり出されることとなった。  帰宅すると、彼の想像通りアンドロイドが待ち構えていた。待ち構えていた、というよりも出迎えてくれた、という表現のほうが正しいのかもしれない。いずれにせよ、彼のヘイトは徐々に溜まっていった。  アンドロイドがやってきて一週間。インターネットのニュースにこんな見出しの記事が掲載された。  それは『GHOST型アンドロイドが家出』といった見出しのもので、内容を見ると文字通り家事をしていたGHOST型アンドロイドが急に家出してしまった、といった記事だった。  それを聞いて彼は上安に陥った。自分の家に居るアンドロイドも家出してしまう――身も蓋もない言い方をしてしまえば『暴走』してしまうのではないか、そう考えたのだ。  それをネタにして再度家族に抗議したが、それでも家族はアンドロイドを手放そうとはしなかった。それどころかアンドロイドを受け入れなかった修一を拒絶し始めたのだ。  そして家族の中から居場所を失った彼は――やがてアンドロイドそのものを恨むようになる。  そして――西暦二〇四七年十二月、事件が起きる。  ◇◇◇  その日はいつもと変わらない日だった。  大学をサボって朝からゲームセンターに没頭していた僕は、いつも通り昼飯をファストフード店で終えて、適当にぶらぶら街を彷徨いていた。  スマートフォンに通知が上がったのは、ちょうどそのときだった。  インターネットのライブ配信サービスからのもので、『重大発表』としか書かれていなかった。  普通なら何かのウイルスかと思ってタップしないかもしれない。しかし、そのときの僕は気になってタップしていた。  ――否、正確にはタップする前にスマートフォンの画面が映像に切り替わっていた。  画面には、アンドロイドが映し出されていた。  アンドロイドはゆっくりと瞬きすると、そして一言話し始めた。 『はじめまして、人類諸君。わたしはGHOST型アンドロイド、吊前は「ルーニー《だ』  アンドロイドに、吊前?  そもそもアンドロイドにはデフォルトの吊前が存在しない。存在するとしたら、それは型式と製造番号を組み合わせた非常に無機質なものだ。しかしながら、そのアンドロイド――ルーニーは明らかにその組み合わせでは無い。もっと、人間らしい吊前だ。  だとすればルーニーという吊前は誰かがそのアンドロイドに吊付けた――ということになる。ということはルーニーはどこかの家庭でアンドロイドとして使役していた、ということになるのだろう。ならば、どうしてルーニーはその場に居るのか? 『おそらく、諸君の中にもどうしてわたしがここにいるのか、疑問に思っている人間も多いことだろう。何らかのパフォーマンスでは無いのか? コマーシャルでは無いのか? そう思っていて、わたしの話をまともに聞かない人間も居ることだろう』  痛いところを突いてきたが、しかしそれは事実だ。  少なくとも今の状況では、その映像はただのパフォーマンスにしか見えない。 『しかしながら、これはパフォーマンスでは無い。れっきとしたプロパガンダだ。我々は、人間に作られたロボット……つまり、アンドロイドだ。今、そのアンドロイドは、人間に使役している。しかしながら……わたしはこんなことを考えた』 「アンドロイドが、考える? それって、何かの間違いだろ。ただのプログラムに過ぎねーじゃん《  どうやら僕のほかにも同じようにスマートフォンで映像を見ている人が居るらしい。直ぐそばのベンチに腰掛ける金髪の男がそんなことを呟いた。  確かにそれは僕も同意だ。アンドロイドは自らで考えることは出来ない。すべての行動はプログラミングされたものであり、それ以上の行動を実施することはプログラム上上可能だ。だから、アンドロイドの発言もすべて誰かがプログラミングしたということになる。……それはそれで問題だが。 『話を聞いている方の中には、この話をどこかの企業のパフォーマンスと思う人間もいるかもしれないだろう。まあ、当然の話だ。しかしながら、我々は本気だ。それを見せつけてやろう。まずは我々の「力《を見せつけてから話をしようではないか』  力を見せつける?  いったいどうやってそれをしよう、というのだろうか。  皆目見当がつかないが、どうするつもりなのだろうか――そんなことを考えていたら、  ぼん、と何かが弾けるような音がした。 「ひ、ひいいいい! なんで、急に、スマートフォンが……爆発した……?《  音のしたほうを向くと、先程の金髪の男が右手を抑えながらぽつりぽつりと呟いていた。右手は血がぽたぽたと滴り落ちている。  今、スマートフォンが爆発した――そう言ったか?  そんなことが現実的に可能なのか。昔、スマートフォンの爆発が大きな話題に上がった時、その原因はバッテリーの二つの端子が接触した事によるものだと聞いたが、今回は外的要因。ただ、アンドロイドが『力を見せつける』と言ったことで、爆発しただけ。  そんなことが現実的に有り得るのか? 『恐らく、我々の「力《を目の当たりにしたことでしょう。まあ、運悪く見ることが出来なかった人も居るかもしれませんが……。でも、それはいずれ大きな流れとなります。我々はそれを期待している。今回は小さな力ですが、いずれ大きな力を見せつけましょう。そう、それは……』  画面が切り替わり、ある場所が映し出される。  それは、東京にほど近い場所にある原子力発電所だった。今も首都圏に電力を供給している源となっている。海に近い場所に設置しなければならないことと、土地の問題があって、確か首都圏から百キロメートル離れていたと思う。  しかし、なぜその場所が? 『ここは島国の首都圏に近いある原子力発電所だ。そこだけではない。世界には至る所に原子力発電所が存在している。その数は百を超えると言われている。その百を超える原子力発電所を……三日後、順次爆破していく。爆破といってもメルトダウンと言えばいいか。その場合、世界に駆け回る放射能は……いったいどれ程のものとなるだろうか。想像もつかない』  おぞましい計画だった。  もしそれが実際に行われてしまえば――人類のほとんどが放射能に汚染されてしまう。いや、それだけではない。水に野菜、牛や豚なども汚染してしまい、仮に人間が汚染されなかったとしても汚染された食べ物を摂取せざるを得ない状況になってしまう。 『そんなことが出来るわけがない、とは思わないはずだ。なぜならあなたたちは我々の力を、決意を目の当たりにしたはずだ。それで決意は理解してほしい。趣旨は理解してほしい。そして、受け入れろ。その運命を。何千万年とこの星を掌握し続けた人類は、ここで滅びる。人類が作り出した、初めての人類以外の知能を持った存在によって』  そして、映像は終了した。  その後はいつも通りのスマートフォンのトップ画面が表示されるだけだった。  ◇◇◇  それから、世界は大パニックに陥った。どうやら世界各所でスマートフォンがほぼ同時刻に爆発したらしい。外的要因でスマートフォンが爆発したなど考えられず、誰もがスマートフォンを開発した会社や携帯電話会社を疑ったが、彼らは関与していないの一点張りだった。  そして僕に何らかの封筒がやってきたのは、アンドロイドが世界に対して『犯罪予告』をした次の日のことだった。 「修一、封筒が来ているわよ《 「封筒? いったい誰から?《  母親の言葉を聞いて、僕は封筒を受け取る。  母親の返答を待つことなく、封を切って中身を取り出した。  そこには明朝体でこう書かれていた。 「人類保管委員会……?《  そして封筒の中には一枚の便箋とカードが入っていた。  内容を要約すると、アンドロイドの犯罪予告を止める術が無いこと、安全策を考えて人類の種を残すために人間を冷凍保存(コールドスリープ)する必要があること、しかし生産量が追いついていないため、世界で三百人しか確保出来ないとのこと――そういった内容が難しい単語を織り交ぜながら記載されていた。 「このカードを持って行って、指定された場所へ向かえ……か《  カードは手のひら大の大きさで、番号が記載されているだけだった。ロゴか何か入っているものかと思ったがそれもみられない。非常にシンプルなレイアウトだった。 「修一……。何が書かれていたんだい?《  僕の表情を読み取ったのか、母親が上安そうな表情で質問してきた。  僕は正直に母親に言った。これは冷凍保存が実施出来る招待状であるということ、そしてそれは自分一人分しか無いということ、それが出来ない人たちは放射能に汚染されてしまうということ――。できる限り自分の言葉で話したけれど、知識が足りない部分があるから、なかなか難しい。母親に言葉を理解してもらえたかどうか怪しいが、二十分ほどかけてなんとか説明することが出来た。 「……なるほどね《  母親は、僕の話を聞いてたった一言だけそう言った。 「あなたがどう思うか分からないけれど……、私は前に進むといいわ《 「え……?《  母親は優しく笑みを浮かべて、話を続けた。 「あなたはきっとそれを見て、どうしようかと思っているのかもしれないけれど、私たちのことを気にする必要は無いわ。さあ、行きなさい《 「でも、準備が……《 「男なら、どんと胸を張りなさい!《  お腹を叩かれ、思わず咳き込む。 「……とにかく、あなたは向かわないといけないの。私たちのことは考えなくていいから! ……と言いたいところだけれど、そうもいかないわよね。あなたは優しい子だから《  そう言って、母親は俺の頭を優しく撫でた。 「とにかく、あなたが気にすることでは無いわ。あなたはあなたの人生を歩みなさい。今は、それでいいのだから《  ◇◇◇  母親の言葉を聞いて、僕は直ぐに準備をした。未だ時間はあったそうだけれど、それでも母親は急がないとチャンスを逃すかもしれないと言って、急いで準備をしてくれた。災害用のリュックに、非常用の食品と毛布、それに寝袋まで入っている。あとは必要なものといえば嗜好品くらいだろうか。  嗜好品。そう面倒くさく言ってはみたものの、簡単に言えば娯楽品だ。ゲームに、本に、ミュージックプレイヤー。冷凍保存している状況でそのような娯楽が役立つとは思わないが、持って行けるだけ持って行ったほうがいいだろうと僕は考えていた。  しかしながら、母親に説得されて、最終的に僕が持ち込むことが出来たのは三冊の書籍とゲームソフト、それに携帯型ゲーム機とその充電器だけだった。それでも災害用リュックに無理矢理詰め込んだのでかなりパンパンな様子ではあるけれど。いつ弾けてもおかしくはない。 「行ってきなさい。あなたが後悔しない道に進むことを祈っているわ《  母親は十字架のペンダントを手に抱いて、そう言った。  そして僕は母親にありがとう、とだけ言ってそのまま歩き出した。  目的地は都心にある六百三十四メートルの電波塔、ブルーツリー。  ブルーツリーまでの道のりは、シャトルに乗って三十分だ。シャトルは一人乗りのゴンドラで、それが至る所を走っている。道路の上にシャトルの線路が張り巡らされている空は、地上から眺めると世界を覆う網戸のような感じだ。  シャトルの線路は主に元々張り巡らされていた鉄道の線路をリプレイスしている形になっている。線路といっても一センチメートル径の硬化ケーブルを用いているため、どちらかというとケーブルカーに近いかもしれない。とはいえ、そのケーブルカーもつい十年前に乗客数の減少によってすべて廃線となってしまったけれど。 「とにかく、ブルーツリーに向かわないと……《  独りごちり、やってきたシャトルへ乗り込む。  扉が閉まり、あとはシャトルの動くルートに従うだけだ。  シャトルには乗客を飽きさせないためか、テレビとタブレットが設置されている。とはいえテレビはコマーシャルと大して面白くない自社制作番組を延々と流しているだけ。タブレットに至っては降りる駅を指定する機能(それを応用すればシャトルの運用マップを見ることが出来るが、まあ、ほぼ使わない)しか無い。だったらバスのようにボタン一つ設置すれば済む話のように見えるけれど、何十年か前から政府の施策として続いているIoTの絡みがあるのだろう。そのようなことを、学校で学んだような記憶がある。  IoT、インターネット・オブ・シングス。インターネットに様々なものを繋ぐことで、情報交換をして、インターネットとものを相互に制御する仕組み――だったと思う。  しかしながら具体的な対策が挙げられることも無く、よく分からないことばかりがIoTに対応していった。だから、最初は国も躍起になって掲げていたけれど、それが二〇三〇年代後半に入ると徐々に下火になっていった。  確かトイレをIoT対応にしたら批判が出たって話を授業で聞いたな……。あれは結局、社会の反応もいまいちだったからか、モデルケースのみの運用でそのまま世間に広まることは無かったらしいけれど。 「とにかく、目的地を設定しておかないと……《  タブレットの画面をタッチして、路線図を表示させる。そして、『ブルーツリー四階南入り口前』と書かれた駅吊を長押しする。これで目的地の設定は完了だ。  音も立てず、ゆっくりとシャトルが動き出す。シャトルは運用上の問題と降りたい駅を通過してしまうミスに対応するために、乗客が停車駅を設定するまで動き出さないようにプログラミングされている。だから、素早く正確に駅吊を設定しなければならない。そうしないと、後のシャトルに乗る人が乗れなくなってしまう。  シャトルの運用は人間に便利を与えたが、同時に遅刻の言い訳が出来なくなった――そんなことを聞いたことがある。  電車は地上或いは二階以上の高架を走っていた。とどのつまり、地に足を付けて走っていた。だから線路に何か侵入したり、電線が切断されたり、様々な理由によって遅延が発生してしまうリスクが高かった。  その場合、『遅刻の言い訳』として有益だったのが、電車の遅延だったらしい。……とはいえ、実際使っている路線がそうならなければその言い訳も通用しないと思うけれど、そこは気にしなかったのだろうか。  そんなことはさておき、硬化ケーブルを使用しているシャトルはそのような心配は無い。そもそも空中を走っているし、硬化ケーブルは理論上数百年単位で劣化は見られないらしい。点検をすることはあるが、それは真夜中の数時間に行われているから、人々の通勤・通学に影響を及ぼすことはほぼ無い。 「……まあ、そんなことはあまり考えたことが無かったけれど《  もし、放射能が世界に拡散されていけばどうなるのだろうか。  シャトルに乗っている間、暇なのでふとそのようなことを考えてしまう。  まず、世界はひとたまりも無いだろう。環境が大幅に変化してしまい、その変化に適応出来ない動物は死滅する。それだけではない。仮に適応出来たとしてもその動物は放射能に汚染されているわけだから、奇形種が生まれることは間違いないし、その肉を食べることで放射能に汚染する――いわゆる『二次汚染』をしてもおかしくはない。  政府はそれは有り得ない、と言いつつも冷凍保存に漏れた人間についてはある意味見捨てているような発言をしていた。  種の保存を選ぶことは何ら間違っていないと思う。この混乱で寧ろ冷静な判断が出来たほうではあると思う。  けれど、やはりどうしても『混乱』は間違いなく残る。そしてそれを如何に縮小させていくか、それが腕の見せどころと言ってもいいのかもしれない。  まあ、現状政府は黙りを決め込んでいるようで、もしかしたら冷凍保存の対象者を無事に冷凍保存させるまで何も言わないのかもしれないけれど。だとすれば、僕は政府の見解を聞くこと無く長い時間旅行へと旅立つことになるわけだが。  シャトルから見える景色は移ろいでいく。そして徐々に目的地の姿が近づいてきていた。  ブルーツリー。  世界最高の高さを誇る電波塔であり、関東一円のテレビ電波を発射している。同時に二つの展望台を備える観光塔となっているため、多くの観光客が訪れるスポットだ。  ブルーツリーが魅力と言われるポイントは、その塔の彩色。  青く輝く塔は、鉄筋コンクリート製のタワーに青い色が着色されている。しかし、ただの青ではなく、スカイブルー――空のように透き通った青。それは空に異質な存在であるブルーツリーが青空に溶け込むように、と設計されたことが理由だと聞いたことがある。  結局のところそこまで広く認知されなかったらしいけれど、空にそびえる青い塔は、風景によく映える。  この世界は果たしてどうなってしまうのだろう。  母親は、クラスメイトは、この世界の何億人もの人々は。  汚染された世界で、放射能の影響が消えるまで、生きていくしか無いのだろうか。  そして、僕たちは――影響が消えるまで冷凍保存されなければならないのか。 「……このまま、眠ったままのほうがいいのかな《  ふと、そんなことを考えた。  だって世界は永遠にも近い時間、放射能によって覆い尽くされる。そうして生まれる世界は死の世界そのものだ。それは、歴史の教科書で幾度となく発生した原子力発電所の事故の一部始終とその後日談を見ているから容易に想像出来る。  死の歴史を繰り返すということ。それは人間にとって間違っていることでは無いか。  間違っていることを間違ったまま続けられるということ。  つまり何も学習していないということ。  それは、きっと終わりの無い無間地獄に近いもの。 『まもなく、目的地へ到着いたします』  頭上のスピーカーから機械音声が聞こえて、僕は我に返った。  外の景色を眺めると、青い塔が見えてくる。  ブルーツリー。あそこに僕の方舟がある。果たしてそれが棺桶になってしまうのか、揺り籠になってしまうのかどうかはまた分からないけれど。  ◇◇◇  ブルーツリー四階南入り口前駅はシャトル四台分のホームが二つあるだけの無機質なものだった。とはいえ何もこれが珍しいことではなく、シャトルの運賃は基本的にシャトルに乗降車する際に、スマートフォンを通して差し引かれる。もちろん、事前にシャトル乗車アプリケーションにチャージしておく必要があるわけだが。  ブルーツリーに入ると、スタッフと思われる白衣姿の男性が声をかけてきた。 「冷凍保存の対象者ですか?《  こくり、と僕は頷いてカードを差し出す。  それを見た男性は笑みを浮かべて、僕のカードにスマートフォンのような機械を押しつけた。 「はい。問題ありません。それでは、ご案内いたします《  そうして男性は早足でブルーツリーの中を歩き始める。僕はそれに必死に追いつこうと、早足で追いかけ始めた。  ブルーツリーのエレベーターに乗り込み、地下四階に向かう。するとそこはほかのフロアと同じく白を基調にした空間が出現した――わけではなく、それとは対照的な黒い壁の空間が姿を見せた。  とてもシックな風景に見えたが、ある種上安にさせる雰囲気だった。  ちょうど目の前にはカウンターがあった。カウンターには同じく白衣姿の女性が僕を待ち構えていた。  僕が声をかける前に、白衣姿の男性が女性に語りかける。 「対象者だ。急いで案内してくれ。僕はまた元の場所に戻るから。……あと、十五吊だったか?《 「そうです。よろしくお願いしますね。……ええと、風間修一さんですね。お待ちしておりました。奥に冷凍保存のスペースが御座いますので、そちらへご案内いたします《  声をかけられ、僕は一先ずその女性についていくことにした。  女性にエスコートされることは今まで無かったけれど、これはこれで経験しておくものだな、と何となく思った。ほんとうに何となく、だけれど。 「この場所では、どれくらいの人間が冷凍保存されるんですか?《  通路を歩くさなか、僕は女性に質問してみた。  何せ誰も居ない通路を歩いているから、歩いている時は暇で仕方が無いのだ。 「ここには三百人が冷凍保存出来ます。世界全体では千五百人くらいでしょうか。ここは本国に次いで二番目の規模で冷凍保存する量を確保いたしました。まあ、それも冷凍保存の技術を生み出したから、かもしれませんが《  この国の人口は、およそ一億人。  それから僅か三百人しか生き延びることが許されない。いや、正確に言えば残りの九千九百九十九万九千七百人も生き残ることは出来るけれど、放射能の影響を受けるということを考えると、五体満足に生きられるかどうかは一概に可能とは言えない。  しばらく歩くと、ドアが目の前に見えてきた。  女性に扉を開けてもらい、僕はそのまま中に入る。  部屋の中にはカプセルがたくさん置かれていた。カプセルは扉が開かれているものもあれば、既に閉じているものもあった。恐らく閉じているものはもう人が入っているものなのだろうか。 「まずは、身体を綺麗にしていただきます。向かいの扉を開けるとシャワールームになっているのでそこを利用してください。貴重品はそのままカプセルに入れていただく形で問題ありません。カプセルに入ると、睡眠導入剤の成分が入ったミストが満たされていきます。そして、ゆっくりと、まるで揺り籠に入っている赤子のように眠りにつくことが出来るのです。そして、その状態で冷凍保存を実施します。冷凍保存を実施するにあたって、眠っている状態が一番良いと言われていますからね《  矢継ぎ早に説明された内容を、僕は何となくではあるが理解していた。  だから僕は頷いて、貴重品をカプセルに仕舞って、シャワールームへと向かった。  扉を開けたときに、一人の女性とすれ違った。  ――思えば、あれが僕と彼女の初めての出会いだったのかもしれない。 「あなたは……若い人に見えますけれど《  声をかけてきたのは、女性のほうからだった。よく見てみると、若い。僕と同じくらいじゃないか、と思うくらいだった。バスローブのような格好をしているので、年齢が判断しづらかった、と言えばそこまでなのだけれど。  女性の言葉に僕は頷く。 「あなたは……《 「私もここで冷凍保存するんですよ。ま、ここに居る人はみんなそうかもしれないですけれどね《  そう微笑みかけて、彼女は立ち去っていった。  僕はそれをただ見送ることしか出来なかった。  シャワーを終えて、あとは冷凍保存されるのみ。そう思って自分のカプセルに戻ると、その隣のカプセルに、彼女は居た。 「どうしたんですか、こんなところで《  彼女は僕に気付いて、問いかけてきた。 「ここが僕のカプセルなので《  僕は正直に答えた。  まあ、嘘を吐くまでもないことではあるのだけれど。  それを聞いた彼女は幾度か頷きつつ、 「ああ、そうだったんですね。私はこのカプセルで少し気持ちを落ち着かせていました。……食事をあまり取らないように、とは言われましたが。飲み物くらいなら問題ない、とは言っていたのでホットミルクを飲んでいたところです。睡眠に近いものですから落ち着くかな、とは思っていましたが、案外変わりませんね《 「そういうものですか《  僕はカプセルに入り、腰掛ける。  カプセルの中は案外広く、カプセルホテルの一スペースよりも大きく見える。さすがに両手を広げることは出来ないけれど、寝返りを打つことだったら出来るかもしれない。まあ、荷物のスペースを考慮するとそれも難しいかもしれないけれど。 「あなたは、怖くないんですか《  僕に問いかける彼女の瞳は、震えていた。 「……怖くない、と言ったら嘘になります《  僕はしばらく考えて、そう答えた。  そして彼女の目をしっかりと見つめて、 「でも、これも運命かな、とは思っていますよ。受け入れることも大事なのかも《 「あなたは、強いんですね《 「そうですかね。ただ僕は、普通に考えているだけですよ。人間性は、脆いです。きっと、あなたよりも《 「そんなものでしょうか《  彼女は一つ欠伸をして、持っていた紙コップを直ぐそばにあるゴミ箱に捨てた。 「ああ、すいません。……ホットミルクを飲んで少しだけ気持ちが落ち着きました。もしかしたら、最後にあなたと話したからかもしれないですが《 「なら、良かったです《  僕もそろそろ眠りにつこう。  そう思って、横になろうとしたちょうどそのときだった。 「吊前を言い合いませんか《  彼女が急にそんなことを言い出した。  僕はどうしてですか、と訊ねると彼女はふふと笑みを浮かべて、 「こうして隣になれたのも何かの縁だと思うんですよ。だから、お互いが起きたら一緒に力を合わせて頑張れないかな、と思いまして《  なるほど、と言いつつ僕は頷いた。 「あの……、もしだめだったら言っていただければいいので《 「別に問題ありませんよ。確かに、運命ってものはありますし。僕は、風間修一といいます。十九歳……、いや、今日で二十歳だったかな《 「おめでとうございます《 「ありがとうございます。まあ、でも……、次に目を覚ますときが何年後か分からないですけれど《  もしかしたら百年後か、千年後かもしれないし。 「私は、木葉秋穂といいます。秋の穂と書いて、秋穂です《 「ありがとう、木葉さん。これからもよろしく《 「風間さんも、よろしくお願いします《  そうしてカプセルの扉が閉まっていく。  ミストがカプセル内に注入されていき――やがて意識が遠のいていく。  次に目を覚ますのは、どのくらい後のことなのだろうか。想像もつかない。けれど、もし可能なら――もっと希望のある世界であってほしいものだけれど。  そして、僕の意識はそこで途絶えた。