そして、『僕』の意識は再び会議場へと戻された。 「……思い出したようですね?」  キガクレノミコトが、悪戯めいた笑みを浮かべて僕に問いかける。 「すべてというわけでは無いけれど、思い出しました。……もしかして、あのロボットの企みは成功した、ということですか」 「ロボットの企みというよりは、オール・アイの考えのもと……と言ったほうが正しいかもしれませんね」  キガクレノミコトは深い溜息を吐いたのち、 「オール・アイはそのプロジェクトを実行し……、正確に言えば教唆し、そしてその通り実行したことで、世界は壊滅的被害を受けました。けれど、それもすべてリセットのため。神託を受け、世界を滅ぼした。そして、人間の数を減らした。人間の数を減らしただけでは無く、冷凍保存された人類が住みやすい環境にするために、敢えて残しておいた人間もいたわけですが」 「敢えて、残しておいた?」 「浄化ですよ。すべては」 「浄化?」 「世界を一度リセットする。しかし、それをしてしまうと環境を滅ぼしてしまうことになりますね。それは、あなたにも理解出来ていることかと思いますが、つまりはそういうことですよ。環境を滅ぼしたあとは、それを再生しなければなりません。しかし、それを超常的力でやってしまうと、意味が無い。では、どうすれば良いか? 答えは分かりきっていることでしょう。……この世界をやり直すために、人間の力でゆっくりと環境を再生させる。その時間が、おおよそ一万年と言われています」  一万年。  それは途方もつかない時間だ。僕が居たあの世界も、あの時代も、たかが二千年程度だったはず。その五倍と考えると、環境の再生も簡単なことでは無い――ということなのだろう。 「感心してもらっては困るのですよ。問題は、それではありません。確かに人類は、愚かな存在かもしれません。しかし、我々のように人間とともに生きてきた神も少なからず存在しています。……オール・アイはその中でも、過激派といった感じでしょうね」 「過激派、ですか」 「そう。そして、その目論見を食い止めていくのが私たち。どこまでやれるかは分かりませんが。なにせ、あのオール・アイは人心掌握が上手すぎる」 「やろうとすれば、出来るのでは無いですか?」 「だからといって、やるわけにはまいりません」  出来ることは出来るのか。  そんなことをふと口に出してしまいそうになったが、すんでの所で止まった。 「……ヒトが関わる問題であるならばまだしも、この問題は我々神のカテゴリて留めておかねばなりません。おわかりですか?」  神と神の問題に、人間を介在させるわけにはいかない。  そういった気合いが見えてくるようにも思えた。 「この世界を管理しているのも作成しているのも、神ですよ。ただ、この世界に住んでいる動物の意思を聞くことなく世界全体に関することを決めてしまって良いのでしょうか。責任を取るのは、我々だけで良い」 「……しかし、この戦いは人間も参加することになるんですよね?」  さっき、この勢力を指揮してほしい、と言ったのは嘘になるのだろうか。 「ええ。それについては申し訳ないと思っています。我々は最後まで、人間が参加しないように考えておりました。けれど、オール・アイはそれを許さない。意地でも、元々の世界の人間を、この戦争で殺そうと考えている。たとえムーンリットの考えに反しようとも、それは許されません」 「じゃあ、どうすれば……」 「簡単ですよ」  キガクレノミコトははっきりと言い放った。  そして、キガクレノミコトはどこからか一振りの剣を取り出した。  林檎の形がグリップに象られているその剣には、横の部分に『By Silver-Feather』と書かれている。 「銀の……翼?」 「正確には、羽毛ですね。銀には退魔の力を持っています。そして、使う人間のパフォーマンスが最大となるように、羽毛のように軽く出来ている。それが、シルバー・フェザー。弓と杖も作成を考えていますが、それだと長い名前になるのですよね。人間は名前にこだわるといいますから、どんな名前にしたほうがいいでしょう?」  うふふ、と笑みを浮かべつつキガクレノミコトは言った。  こんな一大事と思える状態で、名前のことを考えるというのはなんとも呑気な考えだと思う。  しかし、名前か。シルバー・フェザー。……シルバー、フェザー……、シル、フェ……。 「もしかして……」  そこで僕は何かを思い出した。  もしかして、この剣は……。 「何か、いい名前が浮かびましたか!」  キガクレノミコトは僕の呟きを聞いて、直ぐさま反応した。  参ったな、出来れば聞かれたくなかったけれど……。でも、この状況から逃れるには、うまく答えるしか無いのかもしれない。  そう思って、僕ははっきりと答えた。 「……名前を省略しただけなんですけれど、シルフェの剣、というのはどうでしょうか」  シルフェの剣。  それは、僕があの世界にやってきてエルフの隠れ里で手に入れた伝説の剣。  確かガラムドがエルフに託したものだったと思ったけれど、まさかこれがずっと昔から残されていたものだとは思いもしなかった。まあ、そもそも神様が残したものだから二千年以上昔に作られていてもおかしくはないか。 「シルフェの剣、ですか。いいですね、良い名前です。やはりあなたにお願いして良かった。あなたにお願いしていれば、きっといい名前が付けられるだろうと前々から考えていたのですよ。ですから、あなたにはこれを差し上げましょう」  鞘に収められた一振りの剣を、キガクレノミコトは丁寧に僕に差し出した。  その剣は、僕が初めてその剣を見た時と比べて、雰囲気が違っているように見えた。どんな雰囲気だったかというのは具体的にはっきりとは言い切れないけれど、見た感じただの剣にしか見えなかった。  では、あの世界で見た剣はどうだったかというと――どこか聖なる雰囲気を放っているように見えた。 「……この剣は、今は普通の剣です。当然と言えば当然のことかもしれません。ですが、これを如何に力を加えていくか。簡単なことです」  キガクレノミコトは刀身にそっと手を当てる。  いったい何をしでかすのかと思っていたが、キガクレノミコトが先に答えてくれた。 「これから、この剣に力を込めていきます」 「力を、込める……。それで、どうなるのですか? もしかして、次元を超えることが出来るとか……」 「そこまで甘いものではありませんね」  ばっさりと言われてしまった。 「次元を超えることが出来れば、さっさと私たちは力を剣に注入しているでしょうね。しかしながら、それなりに力を持つことになるでしょう。神の力……、その意味をあなたはいつか気付くことになります」  回りくどい話し方だったので、僕はキガクレノミコトに質問をしたかった。  しかしキガクレノミコトはその隙を与えない。 「この力は英雄の力と言っても過言ではないでしょう。なにせ、私たち神の力を注ぎ込むことになるでしょうから。ああ、もちろん剣だけではありませんよ? 同じような作り方で杖と弓も作っていますから、そちらにも同じように力を注ぎ込んでいきます」 「注ぎ込むことはいいんですけれど……」 「どうかいたしましたか」  キガクレノミコトは首を傾げる。  僕がずっと気になっていたことは、たった一つ。 「……力を注ぎ込むことによって、あなた方はどうなるんですか」  具体的には、今ここに居る『使徒』と呼ばれている存在はどうなってしまうのか。力を注ぎ込むことで消えてしまうのだろうか。  その質問に対して、キガクレノミコトははっきりと答えた。 「きっとあなたも想像出来ているのでは無いですか。力を注ぎ込むということは、私たちの生命力……正確に言えばこの世界に顕在していくために必要な力をすべて使い果たすということになります。ですから、剣・弓・杖に力を注ぎ込めば、それは即ち、私たちがこの世界に存在出来なくなる、ということになります」 「とはいっても、ストライガーは元々人間だったから、彼女は残るのかな?」  言ったのは欠番だった。 「そうなりますね。恐らく私は、神になっていた力を失うだけで、ただの人間になるだけかと思いますよ。いずれにせよ、この場に居ることは出来ないでしょうが」 「……いずれにせよ、消えてしまうということですよね?」 「ええ、そうですが?」  表情を変えること無く、キガクレノミコトは問いかけた。  僕の質問について、どうしてそのような質問をしているのか――と思っているようだった。  そしてそれは、消えて無くなってしまうことに疑問を抱いていないようにも思えた。 「……さっきから思ったのですが、もしかして私たちが消えることに、不安を思っているのですか。慈しみを思っているのですか。だとすれば、それは愚問ですよ。なぜなら私たちは少なくとも一万年以上この世界で過ごしています。人間とともに、生きてきました。長く居すぎたのですよ、この世界に。ですから、最後はこの世界に住む人間を助けるために、力を使いたいと思っているのです。どうか、その思いを……分かってはいただけないでしょうか」 「それは、皆さん決心している、ということですよね」 「当然」  短く答えた。  その目線は、じっと僕を捉えていた。表情は百戦錬磨の戦をくぐり抜けた兵士のようだった。既に覚悟を決めたような表情だった。 「受け入れて、いただけないでしょうか。この戦で、リーダーとして、勝ち抜くことを」  再度、キガクレノミコトは問いかける。  その目線がとても痛い。出来れば少し時間がほしいと思ったけれど、そうも行かない状況なのだろう。オリジナルフォーズが目覚める、それを携えて敵がやってくる、しかしいつやってくるかは定かでは無い。それを考えると、急いで対策を取らねばならない。  だったら、リーダーを決める段階で話がゴチャゴチャになっているのは、はっきり言って話にならない。  それに、この世界を救うために僕は元々の世界からやってきているんだ。  それを考えていたら、気がつけば僕はシルフェの剣をキガクレノミコトから受け取っていた。  ◇◇◇  神殿協会、総本部。 「オール・アイ。準備が整いました」  闇夜の祈祷室。レイシャリオはなおも祈祷を続けているオール・アイに語りかけた。  オール・アイはずっと祈祷を続けている。  世界の行く末を知っているのは、今も昔も彼女だけだ。そしてその預言の的中率から、彼女を信じる人間も多い。とどのつまり、オール・アイは今や一種の神と言っても過言では無かった。 「……オール・アイ、準備が出来ましたが。如何なさいますか」  祈祷の最中には話しかけないこと。  それは神殿協会の中で共通認識として存在していた。けれど、今はそういう常識が通用する事態では無い。現にオール・アイも『緊急時は除く』と発言しているため、そして、今がその緊急時だ。 「選択肢は無い。オリジナルフォーズを起動なさい。そうして、世界の破壊と再生を果たすのです」  対して、オール・アイは決して悩むことを見せなかった。  そのまま、導きの通りに発言しただけ――人によってはそう考えることもあるかもしれない。  しかしレイシャリオはそう考えなかった。それはオール・アイが預言したことではなくて、預言と偽っているただの彼女の意思なのではないか――そう考えていた。  もしそうであれば神と偽った罪に裁かれるべきだ。その場合は言語道断で重罪に問われる。  でも、その証拠を見つけない限り、告発することは出来ない。  それはレイシャリオにとって酷な話だった。当然ながら、相手は証拠を見せるような隙を与える訳がない。だからといって追いかけ続けると今度はこちらが隙を見せかねない。  だから今は膠着状態。  揺らぎの無い世界、といえば可愛いものかもしれないが――しかしてそれは間違いでは無い。 「揺らぎの無い世界を、あなたはどう思いますか」  オール・アイは普段と同じトーンで、レイシャリオにそう問いかけた。  レイシャリオは小さく首を傾げ、オール・アイの発言について考え始める。 「揺らぎの無い世界、ですか。特に思ったことはありませんが、まあ、平和なことは良いのでは無いですか? それとも、何か問題があるのでしょうか」 「大ありですよ。……まあ、それをあなたはどこまで考えるか、という話にはなりますが。いずれにせよ、平和であり続けること、それは正しいことかもしれませんが、そのスケールはあくまでも人間に関する話。例えば世界というスケールで考えると……途端に人間のスケールで考えていたことは、簡単に当てはまらなくなります。なぜだかおわかりですか?」 「世界には人間以外の生き物が暮らしていて、人間だけの考えで動かすことは難しいから……ですか」  オール・アイは頷くと、ここで漸くレイシャリオのほうを向いた。 「そうです。その通りですよ。この世界には、人間以外にも様々な生き物が存在しています。そしてそのピラミッドの上に人間は立っている。様々な科学技術を駆使した上での、話しではありますが」 「……お言葉ですが、それとオリジナルフォーズの起動に何の意味が?」 「きっとあなたも嫌と言うほど分かるはずですよ、レイシャリオ枢機卿」  それだけだった。  オール・アイはその言葉だけを口にして、再び祈祷に戻った。  幾度と声をかけたところでオール・アイは反応しなかった。レイシャリオはその言葉に何か含みがあるようでできる限りその謎を解明したかったが、ここで焦りを見せるわけにはいかない――そう思って、今回はその場を後にすることとした。  レイシャリオが立ち去ったのを確認して、オール・アイは一人笑みを浮かべていた。  レイシャリオはある段階まで情報をつかんでいる。そしてその予想を確信なものにしようとしている。オール・アイはそう考えていた。そして、レイシャリオの予想がその計画の神髄であることも、彼女は理解していた。  オール・アイは預言を神から受け取っているわけでは無い。だからといって、嘘を吐いているわけでもなかった。 「……きっと、あの枢機卿はそう遠くないうちに真実に辿り着くはず。けれど、それは人間たちにとって途方も無い真実だ。きっと、そう鵜呑みには出来ない」  オール・アイの計画は。  この世界の行く末は。  レイシャリオだけではなく、きっとほかの人間も聞いたところでその事実を信じることはないだろう。オール・アイはそう予想していた。  そして、レイシャリオがそのことを他人に話したところで誰にも信用されないし――確実に己の権威を傷つける結果になることも推測出来ていた。  だからレイシャリオは真実に辿り着いたところで、それを他人には話さない。  それをすれば、彼女に残された未来は自滅しか無いからだ。 「レイシャリオ……。彼女はとても頭が良い。人類にとっての宝といっても過言では無いでしょう」  オール・アイは呟き、窓から空を眺める。  外はすっかり夜になっているようで、ちょうど月の明かりが差し込んでいた。 「けれど、彼女がもし真実に辿り着いた時には……殺さねばなりませんねえ」  オール・アイは月を見て笑っていた。  そしてその光景と言葉は、誰にも伝わることは無いのだった。  ◇◇◇  シルフェの剣を受け取ってから、キガクレノミコトの身体から徐々に光の粒のようなものが浮かび上がってきた。いや、キガクレノミコトだけではない。ストライガー以外のほかの『使徒』の身体も同じように光の粒が身体から浮かび上がってきていた。 「どうやら、我々がこの世界に居ることが出来るのもここまでのようですね」  キガクレノミコトがぽつりとそう呟いた。 「つまり、この世界から消えてしまう……ということですか」  僕の問いに、キガクレノミコトは頷く。  キガクレノミコトはゆっくりと口を開いて、 「なに、悲しむことではない。寧ろこれは世界が進化していくためのプロセスだと思ってもらえれば良い。世界がどうなろうと君たちの知ったことでは無いかもしれないが……いずれにせよ、古い世代からずっと生きている存在は、ここに存在し続けてはならない。それが人間であろうと、そうでないとしても。いつかは弊害が出てくるのですよ」 「でも、そうだとしても……。やっぱり、あなたたちが居るべきでは」 「それは人間の常識での問題でしょう。世界の、次元の、問題からしてみればとっても小さな……些細な問題ですから」 「些細な問題であったとしても……。それは変えることは出来ないのですか!」  僕は思わず感情的になってしまう。それは普段の僕とは違うのかもしれないけれど、でも、ここで一番情報を知っているであろう存在を逃してはならない――僕はそう考えていた。 「それは、あなたのエゴですよ」  まるで心の中を見透かされているような気がして、僕は言葉を失った。  すっかり姿形は残っておらず、輪郭がぼんやりと見えるくらいにまでキガクレノミコトの姿は消えていた。 「でも……」 「でも、ではありませんよ。あなたが何を望んでいるのかは分かりませんが……、いずれにせよ、あなたが私たちの残留を望んでいるのは、確実にあなたの自意識から来ているもの。とどのつまり、エゴイズムによるものです。あなたがそれを理解しているのか、理解していないのかは定かではありませんが」  図星だった。  だからこそ僕はキガクレノミコトに対して、何も言い返せなかった。 「……まあ、あなたに対して何か咎めるつもりはありません。私たちは消え去って、その力を剣に授ける。そして、行動はすべて人間に託すのですから。あなたの行動一つでこの世界が崩壊しかねない。そんな重要なことを、あなたに託したまま私たちは無責任にこの世界から旅立つのですから」 「そこまで言ったつもりは……」 「けれど、これだけは忘れないでおきなさい」  唐突に。  強い口調でキガクレノミコトは言い放つ。 「世界には大きな意思がある。そして我々はそれに従うしか無い。逆らうことは許されない。それは世界の上位にある【箱庭】が監視しているから」 「箱庭……? 意思……?」  ここに聞いてあまり聞いたことの無いパワーワードが出てきた。  いや、正確に言えば【箱庭】に関してはキガクレノミコトがさらりと言っていたか。その詳細についてはあまり言っていなかったように思えたけれど。確か、ムーンリットという創造神が居る場所だったか?  いや、そんなことは関係ない。  なんでキガクレノミコトは急にそんなことを? 「良いですか、風間修一。はっきり言ってしまえば、私たちだけでは箱庭へと向かうことは不可能でしょう。ですから、この世界の仕組みを変えることは出来ません。ですが、もし可能ならば……、いつかは出来るはずです。そして、箱庭に向かったなら、これだけは決してしてはなりません」  そこでキガクレノミコトの身体、その輪郭も消えていく。  キガクレノミコトの言葉も、徐々にノイズが混じり聞こえなくなっていく。 「……神の…………は…………耐え切れ…………だから…………」  そうして、キガクレノミコトの身体は完全に消失した。  彼女の身体から出てきた光の粒は、僕が持っていたシルフェの剣に注がれていく。  光の粒が注がれた剣は、どこか神聖な雰囲気を放っているように見えた。 「これが……」 「さあ、行きましょう。風間修一」  残されたストライガーは、僕に向かって言った。  彼女は使徒として、唯一残った存在だ。そして使徒の中で唯一の人間だ。だからこの世界に存在し続けることが出来た。  だから彼女はずっとここに居るのだろう。 「私も力を使ったので、使徒としての特別な力は無くなってしまいましたが……、いいえ、今はそう言っている場合ではありません。シルフェの剣に力が注がれた以上、もう時間が無いのです。急いで、宣言をせねばなりません」  そう言って僕の手を取ると、足早に会議場を後にする。 「ちょ、ちょっと待ってくれ。宣言って? いったい、誰に対して何を宣言するんだ?」  僕の質問に対して、さも当然と言えるような態度で、こちらを振り向くこともせずに答えた。 「何を宣言するか、って? それは分かりきった話では無いですか。この世界の人間に対して、オリジナルフォーズという脅威に立ち向かう。大いなる戦いの始まりを、今ここに人間の前で宣言するのです」  ◇◇◇ 「宣言をすることについて、私が司会を進行します。あなたはただ、従っていればいいだけです。お飾り、と言えば言い方は悪いかもしれませんが、正直その通りと言ってもいいでしょう。……けれど、あなたの意思を貫いてもらって構いません」  会議場を後にした僕とストライガーは、地上にある茶屋に居た。茶屋と言っても人が来ているわけでは無くて、カウンターに店員が一人居るだけの非常にシンプルなお店だ。お客さんは来ないのだろうか、というシンプルな疑問を浮かべたけれど、それはあまり気にしないほうが身のためだろう。 「……ほんとうに、みんな消えちゃったのね」  店員さんが悲しそうな溜息を吐いて、そう言った。 「消えた、わけじゃないですよ」  そう言ったのはストライガーだった。  ストライガーはそう落ち込まないようにしているとはいえ、それでも抑え切れていないようだ。 「……それは、いったい? というより、あなただけ残ったのは……」 「言いませんでしたっけ。私は、もとは人間だったんですよ。まあ、それはあまり知識として蓄える必要も無いことではありますけれど」 「そうでしたっけ?」  案外重要な情報を暴露したように見えるけれど、店員さんはあまり気にしていない様子。というか、昔聞いていたけれど忘れていた――とかそんなように見える。  店員さんは持っていた水差しをカウンターに置いて、 「でも、これから何を始めるつもり? あの子たちが居なくなってしまって、ここで暮らしていた私たちはどうすれば良いのかしら?」 「それは簡単なことですよ。……それと、あの子たち、とは言わないほうがいいって前々から言っていたじゃないですか。ああいうなりをしていますが、彼らは立派な神様です。大神道会の崇敬対象であり最高権力者である存在。それが使徒でしたから」 「それはそうだけれど……、もう消えちゃったのでしょう? だったら、別に呼び名でどうこう気にすることも無いと思うわよ。私は別に蔑称でそう呼んでいるわけでは無いのだし」 「それはそうかもしれませんが……。いや、言い過ぎました。きっと、こんな争いはキガクレノミコトは望んでいないでしょう。だから、ここは話を一旦リセットさせましょう。風間修一、良いですか」  ここで話は唐突に僕に振られることとなった。  何というか、もっと良い話題の振り方があったんじゃないだろうか。 「……何でしょうか」 「その様子だときちんと話を聞いていなかったようですが、きちんと説明いたしましょう。いいですか、これからあなたは人類にある宣言をしてもらいます。それは――」 「戦争をおっ始める、ということですか。正直言って、僕は反対ですよ。どうして戦争をしないといけないんですか。やるなら神の扉を開くために尽力した方が良いと思いますが」 「それをしているよりも早く、オリジナルフォーズがここにやってくるとしたら? 正確には、この世界の人間を滅ぼすとしたら? それでもあなたは無視すると言いたいのですか」 「……それは、」  それは違う。間違っていない。  僕はこの世界の人間を救うために、一番手っ取り早い方法を選択しただけに過ぎない。  けれど、それは間違っているのだろうか?  やはりそれは、間違っているのだろうか? 「……まあ、別にいいですけれどね。あなたがどうしようと、それはあなたの自由ですよ」  案外、あっさりとストライガーは退いた。  しかし、直ぐにストライガーは右手の人差し指を立てると、 「でも、あなたの行動が即世界の行く末に直結するということはお忘れ無く。あなたが神の扉を開こうと思っているのは大いに結構。しかし、忘れたつもりではありませんね? キガクレノミコトも言っていた、あの言葉を。神の扉を開くには、ムーンリットに会いに行くには、不可能であると。そしてそれは、世界の『意思』が関係している……と」 「世界の、意思……」  確かに、キガクレノミコトは言っていた。  世界の意思があるから、たとえ可能であったとしても神の箱庭――ムーンリットが存在するその世界へ向かうことは不可能だと。  もしムーンリットに会いに行くならば、ムーンリットに認められるかムーンリットに気付かれないように神の扉を開けるほか無い。  しかし、今の僕たちにはそれは不可能だ。 「……ならば、どうしますか?」  まるで僕の心を読んだかのように、ストライガーは訊ねる。  僕にはもう選択肢は一つしか存在しなかった。  だから、僕は言った。 「……戦争を、始めるしか無いようだな。非常に不本意ではあるけれど」  最後に付け足した言葉は嫌々行動に示しているだけ。そう店員さんやストライガーに思われたかもしれない。  しかし、それでも構わない。  この世界の人類を救うために、僕が今できることをするだけ。ただ、それだけのことだ。  ◇◇◇  ある地下。レイシャリオと彼女の部下であるティリアは長く続く階段を降りていた。  階段は神殿から少し離れた宿舎から地下深く伸びており、それは限られた人間しか入ることを許されない。レイシャリオもその『限られた人間』の一人だった。 「レイシャリオ様、ほんとうにオール・アイの命令に従うっすか?」 「……従うしか無いでしょう。彼女の後ろには、大きな権力がある。否、正確に言えば彼女の力によって大きな後ろ盾を作り出すことが出来ている、と言ってもいいでしょう。今の私たちに、オール・アイを正面からなんとかすることは出来ません」 「では、どうすれば……。このまま、オール・アイの部下に成り下がるつもりっすか」 「そこまでは考えていませんよ。ただ、今は時を待っているだけです」 「時を待つ?」  ティリアは首を傾げる。 「ええ。紛れもなく、時を待っているだけに過ぎません。けれど、あなたの言うとおり、オール・アイの部下になってしまうことになるのは間違いないでしょうね。それをあなたは気に入らないのでしょう?」 「当然っすよ。ただ、レイシャリオ様が従うならば……それも致し方ないことと受け入れるしかないっすけど」  ティリアの言葉に、レイシャリオは頭を下げる。  彼女にとって、ティリアは数少ない信用出来る部下だ。何も部下の人数が少ないわけではない。彼女の中における『信頼』の重要度が高いだけだ。  ティリアとレイシャリオは、長く上司と部下の関係にある。ティリアが神殿協会に入ったのは、レイシャリオが原因であると言われている。しかしながら、その関係性は彼女たちにしか分からない。ほかの人間は彼女たちの関係性をただの上司と部下の関係としか判断していない――というわけだ。 「……ティリア、あなたは長く私に仕えてくれた。それはとても感謝しているわ」 「何を、おっしゃっているんすか? まるでその発言だと……」 「あなたには、もうこれ以上この神殿協会の悪に加担してほしくないわ」  レイシャリオは立ち止まり、踵を返した。  そしてその瞳は、まっすぐティリアを見つめていた。  ティリアはレイシャリオの表情を見て、それが彼女の意思表示として――彼女の考えとして、強固なものであることを理解した。  理解したからこそ、ティリアは一歩前に踏み込んだ。 「……レイシャリオ様、私がどんな人間だったか、知ってるっすよね?」  ティリアの表情もまた、強張っていく。それはレイシャリオも直ぐに理解していた。理解できないほど、長い付き合いではない。  だからレイシャリオもそう簡単に騙せるものではないと理解していた。  しかしながら、そうであったとしても――。 「知っているわ、ティリア。あなたはほんとうに強い子だということも、あなたがどれほどの悲しみを抱えていたかということも、そしてあなたがどれほど……神殿協会に救いを求めていたかも」 「なら、どうして……」 「これは、あなたのことを思って、の話」  きっとそこまで言わないと、ティリアは納得してくれないだろう。  レイシャリオはそう考えて、さらに踏み込んだ話を進めていく。 「きっと、これからこの世界は違う世界へと進んでいくと思う。世界そのものは変わっていくことはないだろうけれど、それ以外が徐々に変化していくことでしょう」 「それは……それもオール・アイの預言ですか?」 「いいえ。私の妄言ですよ」  オール・アイは常に世界の未来を見通している。  しかしながら、それを彼女自身が実行することは適わない。彼女だけではなく、彼女以外の存在を使うことで、自らの力によって預言を実現させている。  それがオール・アイの行動だった。 「妄言であるならば、それが実現出来ない可能性だって……」 「あなたは、いったい何を見てきたのですか? オール・アイがいったい誰を使役していると?」 「しかし、オール・アイが使役している勢力はあなたの勢力とほぼ大差ないくらいじゃないっすか。それでどうして諦める理由になるんすか」 「オール・アイは……。確かに、あの勢力に真正面から向かえばなんとかなるかもしれませんね。けれど、それは妄想です。現実的に、オール・アイの行動に神殿協会全体が動きつつあるのは自明。ならば、」 「だったら潔く逃げるって言うんすか! レイシャリオ様らしく無いっすよ、そんな後ろ向きな考えは!」 「私は……」  レイシャリオは、一人では行動することが出来たとしても、それを伴うには彼女とともに居る人間――いわゆる『レイシャリオ派』と呼ばれる人たちにも被害を被ってしまうことについて不安視していた。  そもそもそれは百も承知でついてきているとはいえ、いざ死が目の前にあれば怖くなるのも当然だろう。たとえ聖職者であったとしても、それが神の国への誘いであったとしても、それは彼女たちにとっての恐怖そのものには変わりなかった。 「でも、あなたは」  それでも、ティリアは話を続ける。  たとえ冷たく突き放されたとしても、目の前に居るその人間は――かつて彼女の命を救った恩人だったからだ。  それでも彼女は彼女を慕っていた。  それはティリアが、レイシャリオに対する感謝の意を示している行為――そのものであるといえるだろう。  それでも。 「私を救ってくれた……恩人に、私は……恩を返すことすら出来ないんすか?」  ティリアの言ったその言葉に、レイシャリオは何も言い返すことは出来ない。  それは彼女の中に、未だわだかまりがあるからかもしれない。 「……これから先、何が起こるか分かりません。それでもあなたは私と一緒に向かおうとするのですか?」 「当然じゃないっすか。それは私がレイシャリオ様に仕える時に、とっくに誓っていたことっすよ!」  即答だった。  裏を返せば、それほどにティリアがレイシャリオを信頼している証と言ってもいいだろう。 「……あなたはそう言ってくれると、私はとてもうれしいですね。正直な話、私はずっと緊張していたのですよ。あなたの話はいつも私の緊張を解してくれる。それを、あなたが知っているか知っていないかはまた別の話ではありますが」  レイシャリオは孤独だった。  それは彼女が、いわゆるレイシャリオ一派としての勢力を形成していたとしても、それは孤独の裏返しに過ぎなかった。  彼女は悲しむ姿を見せない。  それは彼女が枢機卿という地位に立っているから。  枢機卿は、常に強くあらねばならない。  枢機卿は、常に強者たる存在であらねばならない。  枢機卿は、常に隙を見せてはならない。  その観念に駆られて、ずっとレイシャリオは生き続けてきた。  若くして枢機卿の地位に上り詰めた彼女は、エリートの中のエリートとして神殿協会でも一目置かれていた存在だった。  そもそも枢機卿自体が神殿協会の最高権力者として存在しており、彼女は二十八歳の若さにして枢機卿になった前代未聞の過去がある。  そのため、彼女を恨む人間も少なくなく、襲撃を受ける機会も多い。  彼女が私用の護衛としてティリアを枢機卿付に任命したのは、半年前のことだった。  ティリアは盗賊だった。神を信じぬ存在として神殿協会から目を付けられている存在の一つに盗賊があるが、もともとティリアはその盗賊の副長を務めていた。  ティリア曰く、レイシャリオの姿が格好良く、その場で神殿協会に入りたいと頼み込んだのだという。  対してレイシャリオも強い護衛を探していた。別に彼女の一派が全員信用出来ないわけではないが、信用出来て、強い存在は何人でも居たほうがいい。しかしあまりに多すぎると転覆する可能性があるとほかの枢機卿に疑われる懸念もあるが、それも考慮に入れた上での判断だった。  ティリアは魔法を使えない。しかし、盗賊の頃から槍術に秀でていた彼女は、錫杖を使うシスターとは違い、槍の形をした特殊な錫杖の使用を認められている。  それは風の精霊の加護を受けており、普通よりもジャンプの跳躍が浮かび上がると言われている。現にそれは彼女の戦闘において大いに役立っている。 「……ティリア」  レイシャリオは、彼女の気持ちに気付いていなかったのかもしれない。  レイシャリオはこれ以上犠牲を出したくなかった。  ティリアはレイシャリオを守り通したかった。見捨てられたくなかった。  お互いがお互いに、その気持ちに気付いていなかった。 「ティリア、分かりました。あなたの言い分もごもっともです。ですが、私はあなたを危険な目に遭わせたく無かった。確かにあなたは私の護衛……ボディーガードです。でも、あなたはこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかないのです。それをどうか、理解してほしい。受け入れてほしい」  沈黙の時間が流れる。  それは僅か数秒の出来事ではあったものの、彼女たち当事者間にとってみれば永遠にも似た時間が流れたに違いない。 「……やっぱり、分かりません」  口を開いたのは、ティリアからだった。  燭台の火がゆらりと揺れる。 「分からなくても構いません」  レイシャリオは冷たくティリアの言葉に答えた。  ティリアはレイシャリオのことを嫌っているわけではない。寧ろ逆だった。しかしながら、そうであるからこそ、レイシャリオの言っていることが分からない。  見つめ合う二人の関係は、一言で表すことなど到底考えられない。  だからこそ、ティリアもレイシャリオも、簡単に別離を告げることが出来ないのだった。 「構わない、って。そんなに冷たく言わなくてもいいじゃないすか」 「あなたのためを思っているのです。どうか、分かってください」  ティリアとレイシャリオの会話は平行線を辿るだけだ。このままではどちらかが折れない限り話は終わることがない。  レイシャリオはここでティリアと分かれて、危険な目に遭うのは自分だけで構わないと考えている。  対して、ティリアは自分はレイシャリオのボディーガードなのだから最後まで共にありたい、そう考えていた。 「……今は時間もありません。分かりました。あなたの意思を尊重して、一緒に参りましょう。ただし、あなたはこれから何を見ることになるか。そしてそれによって後悔するかもしれませんよ?」 「レイシャリオ様のボディーガードとして居る以上、後悔はしないっすよ!」  後悔しない。  それは単純な言葉ではあるが、そう簡単に言える言葉でも無い。  難しい認識であるかもしれないが――しかしながら、彼女の認識はそれで間違っていない。後悔しないと言い切るには、それなりの覚悟が必要だ。そして、ティリアはそれを保持していた。たとえ、彼女がそれを認識していなかったとしても。 「あなたはほんとうに元気ですね。笑顔を見せている、と言ってもいいでしょう。ほんとうに、それが私にとって――」  支えだった。  支柱だった。  願いだった。  今まで押しつぶされそうな程の重圧プレッシャーを感じつつ仕事をこなしてきた彼女にとって、数少ない心の支え。  それがティリアだった。 「では、先に進みましょうか」  再び、レイシャリオは前を向いてゆっくりと階段を降りていく。  長い中断に思えたが、案外それは一瞬だった。彼女たちの話し合いが長く感じただけであって、第三者から観測すれば僅か数分の出来事に過ぎない。 「この先には、何があるんすか?」  ティリアが問いかける。  しかし、レイシャリオは直ぐにその質問に答えることは無く、数瞬の間を置いて、 「この先にあるのは、もうあなたにもとっくに分かっている事実ではありませんか?」 「……え?」  ティリアは目を丸くする。  確かに彼女の中にも、この先にあるものが何であるか――何となく想像はしていた。けれど、レイシャリオのその発言はまるでその心の中を見通していたような、そんな感覚すら感じられた。  とはいったものの、ティリアの中には未だ一抹の不安が過ぎっていた。  正確には、ずっとその不安が頭の中を滞留している――と言ってもいいのだろうか。 「まあ、いいでしょう。あなたは、あまりこの神殿協会の内部事情には詳しくありませんからね。あなたは常に神へ祈りを捧げ、シスターとしてその役目を担ってきました。けれど、あなたは知らない。神殿協会の裏の顔を。我々がこれほどの規模の組織になり得た理由を」  やがて、レイシャリオは立ち止まる。  そこにあったのは小さな木の扉だった。  鍵も付けられていないその扉を開けると、風が吹き込んできた。  否、正確には違う。風が吸い込まれている。  そこは仄暗い空間だった。壁に燭台が取り付けられているから何とか状況が把握できるといったものの、それでも視界は限定される。壁は今まで石煉瓦で作られていた物とは異なり、岩肌がそのままにされていた。整備はされていないらしい。  しかし燭台に火がついているということは――ここに誰か来ることがあるということだ。さすがのティリアもそこまで分からないわけでは無かった。 「……ここは、いったい?」 「姿を見せてあげたほうがいいでしょうね。そのほうがきっと、あなたの理解も早いことでしょうから」  そう言ってレイシャリオはどこからか取り出した手燭に火を付ける。  そして、空に手燭を掲げた。 「これは……!」  そこに浮かび上がったのは、巨大な人間の顔だった。  否、正確に言えばそれは間違っている。人間の顔だけではなく、馬、牛、羊といった様々な動物の顔や足など、様々なパーツがごちゃ混ぜになっている。  そしてそれは、一つの大きな異形を作り上げていた。  恐怖というよりも、畏怖に近い。  ティリアがそれを初めて見て抱いた感情は、それだった。 「これは……いったい」  何とか心を落ち着かせて、ティリアはレイシャリオに訊ねる。  レイシャリオは踵を返し、ゆっくりと頷く。その笑みは、手燭の火に照らされて、どこか不気味に映し出されていた。 「これは、オリジナルフォーズ。オール・アイが言っていたでしょう? 復活し、動かせ、と。彼女が言っていたその預言は、正確に言えば間違っていた。既にオリジナルフォーズは復活していた。しかし、そのエネルギーが足りないのか、或いはエネルギーは足りていてもプロセスが足りていないのか分かりませんが……、未だこのバケモノは眠りに就いたままです。いつ目を覚ますのか、分かったものではありませんが」  淡々と。  まるで授業中、学生に説明をする先生のように。  ただ冷静に、レイシャリオはその異形について説明をした。 「オリジナルフォーズによる恩恵はかなり我々にも与えられていました。そもそも、ドグ様がここを聖地としたのも、オリジナルフォーズを見つけたからでしょう。ここには不思議なエネルギーが満ちている。そしてそれは、我々にも使う権利を与えられている。それをドグ様は神の力と認識した。それが……一般市民に語られることのない、神殿協会の始まり」  歩き始めるレイシャリオを見て、ティリアも慌てて歩き始める。  オリジナルフォーズは確かに眠っているようだった。しかしながら、生き物特有の息をする動作も見られないし、あまりに静か過ぎる。ほんとうに生きているのかどうか疑ってしまう程だった。  ティリアは歩きながらもオリジナルフォーズの挙動を見つめていたが、 「ティリア。そう監視しつつ歩いていても、オリジナルフォーズは動き出すことはありませんよ。安心なさい。それよりも、ほら……。ここにあるものを見るといいわ」  レイシャリオに宥められ、ティリアは再び前を向いた。  そこに広がっていたのは――無数の機械だった。動くのかどうか定かではない程、ボロボロになっていたそれは、計器類からキーボード、椅子や鍵付棚まで整備されていた。  まるでそこに一つの研究施設があったような、そんな場所が広がっていた。 「……これは?」 「これは研究施設、と言われている場所。なぜ、そう曖昧にしたかといえば、それがほんとうにそうであるかはっきりしていないからです」  レイシャリオは机に置かれていた古い本を持ち上げた。  埃を払い、それをティリアに差し出す。 「この本を、見てみれば分かる話ですよ」  本?  ティリアはそう思いつつ、レイシャリオから本を受け取る。  本はハードカバーの体裁となっており、簡単に読み解ける程の薄さには見えなかった。しかしながら、レイシャリオが渡したからには見なければいけないだろう――ティリアはきっとそう思ったに違いない。  レイシャリオはティリアがそれを受け取ったのを見て、踵を返す。 「それはこの研究施設の日誌……。この施設で何があったかを記しているものです。その中身を知っている人間は枢機卿以上の存在と、オール・アイのみ。しかしながら、案外それは誰もが知るべき情報であると私は考えている。だから、先ずはあなたに開示しようと思う。このオリジナルフォーズが、どういう生き物であるか……」  それから、レイシャリオはティリアに、彼女が知っている『オリジナルフォーズについて』話し始めた。 「オリジナルフォーズは、かつて別の生き物として存在していた。寿命があり、傷を負えば死ぬ。そういう存在だった。だが、オリジナルフォーズは違う。元々の生き物から、ある進化を経て、永遠にも似た命を手に入れた化物となった」 「神の力を得た生き物、という話じゃなかったんすか……?」 「あれはただの間違いですよ。神の力なんて信じた方が負けです。枢機卿である私がそれを言うのは間違いではあるかもしれませんが、いずれにせよ、真実を教えてあげなければならない。それが私にとっての懸案でした」 「……懸案、ですか」  レイシャリオは俯いていた。  彼女はずっと苦悩していた、ということでもあった。とどのつまり、神の力だと揶揄されていたオリジナルフォーズが、神の力では無いと判断すると言うこと――それは即ち、神など居ない、ということに繋がってしまうのでは無いか、ということでもあった。  彼女はそうではないと思いながらも、オリジナルフォーズの扱いについてはどうすべきか考えていた。  オリジナルフォーズとは、どういう存在なのか。  神の力でないとすれば、人間の力であるとすれば?  それを否定することも、肯定することも今の彼女には出来ない。  神を信じるイコールその組織への存在意義と化している彼女にとってみれば、簡単に神を否定することもどうかと思うが。 「……レイシャリオ様は、神様はいないって考えているんすか……?」 「……、」  レイシャリオは何も言わなかった。  いや、言わなかった――というよりかは言えずにいた、といったほうが正しいのかもしれない。  彼女は未だ葛藤している。そしてそれはティリアも知ることは無い。いいや、知らなかった。知るはずが無かった。なぜならずっと彼女はティリアにそのことを隠していたのだから。隠していたことを、何となく知ることは出来たとしても、完全に理解することは不可能だ。  となれば、ティリアの取る行動は一つ。 「別に、誰もレイシャリオ様を咎める人は居ないっすよ」  ティリアは優しく語りかける。  レイシャリオは、その言葉に思わず頭を上げた。  見ると、ティリアが優しく微笑んでいた。  ティリアはさらに話を続ける。 「レイシャリオ様がどれ程の悩みを抱えていたのかは、はっきり言って分からないっすけれど……、それでも、一緒に悩みを抱えてあげることは出来ます。考えることは出来ます。悩みを聞くことは出来ます。だから、落ち込まないでください。一人で抱え込まないでください。レイシャリオ様が悲しむことは、私にとっても辛いことっすから」 「……ティリア、あなた」  レイシャリオは言葉をゆっくりと紡ぐことしか出来なかった。  レイシャリオの言葉を聞いて、漸く我に返ったティリアは顔を真っ赤にさせながら、 「あああああああ! ええと、すいません! 私、レイシャリオ様の護衛なのに、そんな上から目線で言ってしまって! ええと、別に、そんなつもりで言ったわけじゃ……」 「いい、いいの……。ティリア。ありがとう。私、あなたのおかげで、少し楽になった」  涙を拭ったところで、レイシャリオは前を向いた。 「問題を一つ提起しましょうか」 「問題?」 「オリジナルフォーズを復活させるには、どうすればいいか」  単純な問題だった。  しかしながら、解決するには難しい問題でもあった。 「……オリジナルフォーズを復活させることで、この世界は大変なことになってしまうのでは? だから、レイシャリオ様はオール・アイの命令に背こうと」 「いいや、そんなことは考えていないよ。問題は、オール・アイの傀儡になりたくないだけ。それに、この世界に何がもたらされるか、ってそれは簡単なこと。ただの大量破壊。それだけ」 「レイシャリオ様は、それを分かっていてオリジナルフォーズを復活させようと?」  はあ、と深い溜息を吐くレイシャリオ。 「だから言っているではありませんか、ティリア。私はそれで困っているのですよ。オール・アイの傀儡に成り下がりたくない。しかし、チャンスは今では無い。しかしながら、その通りにオリジナルフォーズを復活させてしまえば大量破壊と虐殺は免れない。ジレンマ、とでも言えば良いでしょうか、私はずっとそれを考えながらあの階段を降りて……、やっとここに辿り着いたわけです。しかし、それだけの短い時間では、何も考えつかなかったわけですが」 「オリジナルフォーズを復活させるには、どうすればいいっすか?」  ティリアの言葉に小さく頷くレイシャリオ。  そして彼女はポケットから小さな鍵を取り出した。 「この鍵を、あの機械に差し込めばシステムが起動する……そう言われています。正確に言えば、オール・アイからそう言われただけなので、私は懐疑的ではありますが。ほんとうにそんな単純なプロセスでオリジナルフォーズが復活するのだろうか、と」 「オリジナルフォーズは復活しない、と考えているんすか?」 「いいや、そういうことでは無いわ。けれど……、間違っていることも考えている」 「間違っていること?」  ティリアはレイシャリオの発言を反芻する。 「そう。オリジナルフォーズを復活させること、それが世界にとって正しいこと? 私はそう思わない。だから、私はオリジナルフォーズを復活させるわけにはいかない。それをすることで、どれくらいの人間が死んでしまうか……簡単に見当がつくからね」 「そう言うと思っていましたよ、レイシャリオ枢機卿」  銃声が一発、虚空の空間に響き渡る。  そしてその銃弾は真っ直ぐにレイシャリオの心臓を貫いていた。 「レイシャリオ様……!」 「おやおや、やっぱりあなたも居ましたか。ティリア・ハートビート。いずれにせよ、あなたも殺すつもりではありましたが。何せ、あなたはレイシャリオ殿の忠実な下僕。きっと、私の勢力に加担しようなんて思いはしないでしょうからね」  そこに立っていたのは、フェリックス枢機卿だった。  フェリックスは右手に拳銃を構えていた。音源と、銃弾はそこから放たれたものであると即座にティリアは理解した。  ティリアは錫杖を構え、睨み付ける。 「……睨み付けたところで、現実は変わらぬよ。ティリア・ハートビート」 「どうして、レイシャリオ様を!」  錫杖を構えたまま、臨戦態勢のまま、ティリアは詰問する。  対してフェリックスは冷静を保ったまま、 「邪魔だからだよ」  はっきりと、たった一言で言い放った。  その言葉はティリアの堰を壊すには十分だった。  刹那、ティリアはフェリックスめがけて走り出す。構えていた錫杖は杖というよりも槍のような形状になっているため、長いリーチと突撃に特化している。それはティリアの元々の得意分野であると言っても過言では無いし、現に彼女が錫杖をカスタマイズしているのは、彼女自身からレイシャリオに提言していて、その了承を得ているからだ。  ティリアの集中力は、レイシャリオだけではなくほかの勢力の人間からも目を見張るものがある。  そして、集中力を一番使いこなせる武器といえば――槍だろう。剣より長いリーチを誇り、一対一であれば相手の攻撃範囲よりも広い範囲を取ることが出来る。もちろん、弓のほうが攻撃範囲は広いかもしれないが、集中力と一瞬の隙を見張る力があるならば、弓ではなく槍にしたほうが失敗するリスクは少ない。  だからこそ、ティリアには絶対的自信があった。たとえ拳銃を持っていたとしても、自分の力さえあれば槍で敵うはずだ――そう考えていた。  しかしながら、その見立ては完全に失敗だった。 「……君は近代武器を完全に見誤っていた」  フェリックスはそう言って、引き金を引いた。  そしてその銃弾はティリアの腹部を貫いた。 「……そんな」  勢いは完全に停止し、そのまま崩れ落ちるティリア。  ティリアの身体から、血が溢れ出して止まらない。  熱い。熱い。熱い。熱い。  身体から血が溢れ出して止まらない。どうすればいい? どうすればこの痛みから逃れられる? 「ああ、あ、あああ……!」 「ふむ。どうやら銃弾による痛みは経験が薄いように見える。或いは、一度も経験をしたことは無かったかな? なにせ、この時代では珍しいものだからね。戦争に関する技術はある一点集中型になってしまったから、それ以外の技術があまり発展することが無くなってしまった。希有な技術と言ってもいいだろう。そして、その一つが私の持っている拳銃、というわけだ」 「……拳銃。そんなものが、この世界にあるというの……」 「無いわけは無いだろう。事実は小説よりも奇なり、とは言った物だよ。いずれにせよ、君がその未来を見ることはもう出来ないだろうけれどね」  フェリックスはティリアの頭部に銃口を突きつけて、笑みを零した。 「君は素晴らしいシスターだったよ。忠誠心も厚く、力も強かった。きっといつかは彼女のように枢機卿になることも、もしかしたら出来たかもしれない。ただし、君は唯一の失敗をしてしまった。何だと思うかね? ……ああ、もう何も言えない状態か。ならば教えてあげよう。君の唯一の失敗、それはレイシャリオの勢力についたことだよ。彼女は若く、強者につくことを知らない。それがレイシャリオの失敗であり、君の失敗だ」 「貴様は……、神のことを信じていない、蛮族だ」  ティリアはやっとの様子でそう言った。 「神など居ないよ、この世界には。現実に存在している物だけを私は信じている。神は居ないが、オール・アイのあの能力、あれは才能という枠をとっくに飛び越えている。もはや、彼女こそが神という存在と言っても過言では無い。存在しない神よりも、存在する預言者。それが、世界の意思だ」 「外道が……! 神の裁きが下るぞ……!」 「だから言っただろう。…………神など居ない、と」  そして、フェリックスは引き金をゆっくりと引いた。 ◇◇◇  フェリックスは小さな鍵を見つめながら、笑みを浮かべていた。  すっかり動かなくなってしまったティリアとレイシャリオの身体を一瞥したのち、 「……神を信じることは悪いことでは無い。だが、君たちは神を信じすぎた。社会というものを少しは知っておかねば、この世界で生きていくことは出来ないのだよ。……しかしまあ、レイシャリオのカリスマ性は良かったものであったかもしれないがね」  少なくともフェリックスはレイシャリオを評価していた。  一番に、枢機卿でありながらもあの若さで出世出来たことだ。あの年齢で枢機卿になれたことは、正直な話神殿協会でも異例なことであると言われていたためでもあるが、それを認める程の才能があった――だから、一昔前の神殿協会ならば彼女を殺すことは勿体ないと判断されていたことだろう。  それくらいの才能だった。  けれど、今は違う。  オール・アイの預言に魅力を感じた上層部は、レイシャリオの存在に否定を示すようになった。  もともとレイシャリオはオール・アイの預言に懐疑的であることは、ほかの枢機卿も薄々感じていたため、このような結果となった。 「まあ、神を信じるのは人の勝手だがね、結局神など存在しないのだよ。存在するように見せかけている。もしくは、神が居るけれどその存在はほんとうに崇高な存在であると見せかけている。神は気紛れな存在だからね、私たち人間を救うために活動などするはずがない。ボランティア精神の強い神ならばまだ別の話だろうがね」  そう言って、フェリックスは小さな鍵を機械に差し込んだ。  同時に、機械のモニターに電源が入り、ある文字が表示される。 「……さあ、始まりの時だ。この戦いが終わった後、最後に残るのは我々か、それともあの旧人類か。オール・アイは旧人類が世界を再生するなどと預言していたが……、そんなものは終わってしまえば良い話だ。我々がこの世界を守っていた理由は、旧人類の大地を整えるため? そんな馬鹿な。そんなくだらない話が現実に起きて良いはずが無い。絶対に、あの預言が通ってはいけない」  オール・アイの預言は、今まですべて真実と化した。  ならば今回の預言も紛れもなく真実になるはず――誰もがそう信じて疑わなかった。 「……でも、私は信じない」  起動ウインドウが表示されて、タイマーがゼロになる。  モニターの向こうに広がっている異形――オリジナルフォーズはこの後直ぐに目を覚ますといわれている。  それによって引き起こされる戦い。それにより何がもたらされ、何を失うのか――、今は誰も分からないことだ。  だからこそ。 「……さあ、目覚めろ。オリジナルフォーズ。世界を破壊し尽くせ、そして、旧人類を根絶やしにしろ!!」  すべては、自らの欲望のために。  彼はオール・アイの預言に逆らうために、オリジナルフォーズを利用しようと考えていた。  オリジナルフォーズが起動を開始する。目を開け、その大きな身体をゆっくりと動かし始める。  破壊の権化。  世界を再生するための存在。  オリジナルフォーズが、オール・アイの預言通り、ついに動き始めた。  ◇◇◇  その巨大な咆哮はジャパニアの茶屋でも聞こえていた。 「……ついに、来たようですね」  ストライガーは慎重な面持ちでそう言った。  覚悟はしていた。けれど、いざ始まるとなると、やはり恐怖が僕の心を支配していた。  当然かもしれない。今までの『予言の勇者』としての戦い方そのものもあったけれど、今回はそれ以上に、自分の行動がイコール世界の命運に直結する。しかも今まで戦ってくれたメアリーとルーシーは居ない。僕と、ストライガー、それに普通の人々だけだ。一般市民は戦闘能力は皆無と言っても過言では無いだろうから、その人たち全員が参加できるのは無理な話だ。  となると、完全な負け戦。  しかしながら、歴史上ではオリジナルフォーズの封印に成功したはずだった。  ならばどうやって封印に成功したのか? 簡単な道筋だし、僕はその歴史を知っていた。  ガラムドが僕にしてほしいこと。それはこの戦いの再現であり、人類の勝利だ。  つまりはガラムドの誕生、そしてオリジナルフォーズの封印。それが僕の役割。  でも、どうやってガラムドはその力を宿したのか?  普通にガラムドはただの少女だったはずだったが――。 「教えてあげましょうか」  声が聞こえた。  僕はそれを振り返る。そこに立っていたのは、一人の少女だった。少女は青い髪をしていて、小さなルービックキューブを持っていた。 「あなたは……いったい?」  少女は不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと頷く。 「そうでしたね。あなたは何も知らないんでしたね。何せ世界のルールが違う世界から来ているのですから。まあ、そうでなかったとしても私のことを知る人間はほとんどいませんかね。そもそも住む世界が違うのですから」  回りくどい言い方だが、要は私とあなたは違う――ということを言いたいのだろう。  はっきり言って腹立たしいほどこの上ない。 「怒っているのですか? まあ、そう思うのも致し方ありませんね。先ずは自己紹介から行きましょうか。私の名前は……ムーンリット。この世界を創りし神。神の中でも頂点に立つ……創造神と呼ばれている存在です」  ムーンリットは無垢な笑顔でそう言い放った。  まるで子供のようなその笑顔に、僕はあっけらかんとした表情を取ることしか出来ないのだった。 「ムーンリット……。貴様、確か、この世界をどうにかしようとしていたはずじゃ!」  僕は貰ったばかりのシルフェの剣を構え、臨戦態勢を取った。  僕にとって、今のムーンリットは敵か味方かはっきりしていない。しかしながら、キガクレノミコトの発言から察するに、今回の状態は創造神の気紛れによるものだ――そう言っていた。  ならば、創造神にその気紛れを無くしてもらえればいいのではないだろうか? 簡単なことではあるが、案外想像はつかないことだった。けれど、ほんとうにそれで何とかなるのか――それは疑問であり愚問だった。  しかし、創造神はそれを聞いて一笑に付した。 「世界をどうにかしようと? 私が? それは大きな間違いだ。確かに私は創造神だ。どんなことだってやってのけることが出来るだろう。でも、それは私の価値観の問題だ。考えてみたことは無いか? 私がつまらないと言っただけで世界を滅ぼすことは、確かに簡単にできることだろう。それはスイッチを一つ押すだけでいい。いや、それは表現の問題だから、実際にはもっと違う話にはなるが……、いずれにせよそれくらい簡単なことだ。でも、私の気持ちの問題で世界を滅ぼすことは間違っている。さすがの私も、それくらい弁えているつもりだ」 「ならば、どうしてこのような結果になっているんですか。もし、あなたが何もしていないというならば、世界は……」 「二つ、可能性がある」  ムーンリットは人差し指と中指を立てて言った。 「一つは、私の気紛れ。まあ、そう言ってもらっても仕方ない事実はある。しかし、私はやりたくないことはやらない。だって後々面倒なことになるから」 「もう一つは……?」 「話を急かすな、嫌われるぞ?」 「余計なお世話だ」  ムーンリットと話をしてみて思ったが、何というか人間くさい考えの持ち主だと思う。キガクレノミコトが言っていたことを総合すると、創造神ムーンリットは何を考えているか分からない、もっと超越的存在だと認識していたが、これを見ると――。 「何か、考えているようだけれど。私が頭のおかしい存在だと認識していたかしら?」  頭がおかしいということは思っていない。  しかしながら、どうしてもそういう風に捉えてしまうのだ。人間というのは『思い込み』を一度発動させてしまうと、簡単に戻すことはできない。犯人の嫌疑がなかなか外れないことと同じものだと言っていいだろう。 「……まあ、それは別に掘り下げる必要も無いでしょう。問題は、ここから。もう一つの可能性、それは……『神の箱庭を乗っ取ろうとする輩がいる』ということ」 「箱庭を乗っ取る?」 「そもそも、神の箱庭には世界を操作するすべての操作基盤が置かれている。その操作基盤を管理しているのが私だが……、神は別に他にも居る。それがお目付役とも言われる立ち位置にいる存在だ。その名前を、『元代神』。箱庭の管理は出来ないけれど、創造神に何があった場合その意見を提言することが出来る立ち位置にある。簡単に言ってしまえば、唯一の抑止力とも言える存在。まあ、私は彼と対立することは無いけれど、対立した時代もあったらしいわよ。いつかは分からないけれど」 「創造神は他にも居るのか?」 「まさか」  ムーンリットは鼻で笑った。 「そんなことあるわけないでしょう。一つの次元時間軸に創造神は一柱だけ。ただし、この次元時間軸は繰り返しの歴史でね。始まりから滅亡までの一つの次元時間軸が終わったら、再び宇宙の大爆発が起きる。人間の世界ではビッグバンという話かしら。確か。ただし過去の次元時間軸の歴史は一つのデータとして残っているのよ。そして箱庭にいる存在は誰しも閲覧をすることが出来る。そうして過去に起きたことは繰り返さないようにする。そういう目的もあるわけよ」 「それじゃ、過去に箱庭を乗っ取ろうとした存在がいた、と?」 「そう。そして今もそうなりつつある。あいつは強硬手段を執って、私の思考を停止させた。いかにも簡単で、いかにも酷なやり方で……ね」  ◇◇◇  箱庭にて、一人の男は笑みを浮かべていた。  ムーンリットは今や箱庭の操作基盤を動かすことは出来ない。ルービックキューブも数少ない操作基盤の一つではあるが、あれ程度では出来ることも限られている。それに操作基盤のマスターから監視することも容易に可能であるため、ムーンリットが精神的に死んだことが嘘であることも容易に理解できた。 「ムーンリット……。やはり、君は僕を騙していたのだね。まあ、何となく想像出来ていたことではあるけれど」  操作基盤は白と黒の縦長の盤が幾つも組み合わさっている状態となっていた。足下にもペダルが数個置かれており、それも操作基盤の一つとして存在していた。 「……まあ、僕の計画通りに進んでいるから、別に問題ないのだけれどね。ムーンリットはそれで問題ないと認識しているのだろうけれど、まさかそれも僕の想像通りだって思わなかったのかな?」  そうして、男は椅子に腰掛けると、楽器を演奏するように操作基盤の板を指で押していく。  モニターには様々な場所が映し出されるようになり、それを見て男は操作基盤からモニターに視線を移した。 「さて、ムーンリット。君の抵抗を見せてもらうよ? どこまで君が抗えるのか、楽しみだね。まあ、それも僕の考える計画のレール上の話に過ぎないけれどね!」  ◇◇◇ 「……つまり、箱庭を操っているのはその、」 「元代神、ね」  ムーンリットの言葉に僕は頷いた。  とどのつまり、ムーンリットと一緒に箱庭には別の存在が居る。そしてその存在が箱庭を乗っ取ろうとしている――と。 「最後については憶測に過ぎないけれど、まあ、確実でしょうね」 「心を読むのを、辞めてもらって良いですか?」 「いいじゃない。別に。減る物でもないし」 「……いや、そういう問題じゃ無いですよね?」 「話を戻しましょうか。いずれにせよ、あなたはこれから世界を救う。では、どうすれば良いか? 簡単なことですよ。私がちょっと世界を弄ってやればいい。ただ、それだけの話。人はそれを『奇跡』と呼びますがね」  奇跡。  人の力を超越したもの、と言ってもいいだろう。それを成し遂げることは先ず人間の領域では不可能だが、それが神や自然になされたものであれば可能性はゼロでは無い。しかし、果報は寝て待てという話では無いが――それを待っているくらいなら確実に出来る方法を探したほうがいいだろう。  いずれにせよ、奇跡というものはそう簡単に起きる物では無い。仮にそんなものがあったとしたら、それは奇跡ではなく、別の何かになるだろう。  しかし目の前に居るその存在――神は奇跡を起こすと言っている。奇跡を簡単に起こすことができるのも、神ならでは、ということなのかもしれない。  ムーンリットの話は続く。 「……おーい? 大丈夫かい? 話はまだ終わっていないのだけれど。急にフリーズしたり、或いは自分のモノローグに浸らないでくれないか? 話が終わってから勝手に一人でやってくれるなら構わないけれど、その段階でされると話がいちいち切れることになるから面倒だから」 「いや、大丈夫だ。問題ない。……ところで、奇跡はどうやって起こす?」 「簡単なことですよ。私が命じればあっという間にできあがります。簡単な話です」 「……いや、だから、どうするんですか?」 「あなたの娘に神の力を宿します」  簡単なことだった。  あまりにも簡単なことではあったけれど、それによってどうなるというのだろうか。 「神の力……と言っても、唐突に何を言い出すかと思われるかもしれませんが、簡単に言ってしまえば、その力は『祈り』の力ですよ」 「祈りの力……?」 「英雄と呼ばれる存在には、いくつかの条件があります。一つは、英雄と語られる人間性。もう一つは、その能力。能力がたぐいまれなるものであればあるほど、英雄と呼ばれる価値は上がるでしょう。あなただってそうですよ。いつかは英雄と呼ばれる時代がやってくるかもしれませんね。それこそ、今のあなたの行動は、英雄譚そのものですよ」  英雄譚。  英雄。  いずれにせよ、英雄は英雄たる所以が必要――ということなのだろう。 「英雄には特殊な力が無くてはなりません。あなたの持つ、シルフェの剣もそうです。それは、オリジナルフォーズに対する数少ない手段。そしてそれを持っているあなたもまた英雄の一人となり得る」 「シルフェの剣……」  僕はじっとシルフェの剣を見つめる。  確か、妖精からこれを受け取ったときも言っていた。これは伝説の剣である、と。しかし、まさか自分がその剣が出来る場面を目の当たりにするとは思いもしなかった。  これもガラムドの想定の範囲内なのだろうか? だとすれば、何というか、気紛れの極致だと言っても良い行動だな。 「祈りの力、その話に戻しましょうか」  ムーンリットは語り出す。 「祈りの力とは簡単です。ただ祈っていれば良いだけの話。……言い方は悪いですね。簡単に言ってしまったので、端折ってしまいましたから。端折らずに説明したほうがいいですよね?」 「そりゃ、当然ですよ。教えてください」 「ううん、説明するのはあまり得意では無いのですが……」  得意じゃない、って。  それはそれで困るんだけどな。出来ればきちんと分かるように説明してもらえると今後の行動に制約がかからなくて済む。 「……祈りをすることで、奇跡のスイッチとする。祈りをすれば、それは確実に神に届き、奇跡が起きると思い込ませる……とでも言えば良いでしょうか。人心掌握するためには、それが一番簡単な手順ですからね。先ずは自分の力を示し、頭を垂れさせる。そうすれば主従関係が成立しますから」 「詐欺師と同じやり方じゃないか」  思わず呆れてそんなことを言ってしまった。  だが、それも予想通りと思っていたのか――ムーンリットの表情は変わらない。 「詐欺師、ですか。そう言われてもおかしくはないでしょうね。けれど、それは間違っている行動ではありませんよ。仮にその奇跡がかりそめのものであったとしても……、人はそれを信じて疑わない。あなたもそうでしょう?」  ムーンリットは不敵な笑みを零す。  しかし、ムーンリットの発言は真実なのだろうか? それ以前の問題を、僕は考えていた。  ムーンリットの発言をそのまま受け取るならば、ガラムドはこれによって力を手に入れるということになるのだろうか。ガラムド――今は一花という名前だが、きっと彼女が紛れもなくガラムドへと昇華するのだろうか。  だとすれば、それは彼女に酷なことではないのか。突然何も知らない子供に、神の力を分け与えること。他の人間とは違う能力を手に入れること。そして他の人間とは違う地位につくこと――。その苦労は計り知れない。 「でも、彼女にはその素質がある」  ムーンリットはそんな僕の思考を遮るように、話し始めた。  矢継ぎ早に、僕の意見など聞きたくないと言わんばかりに、さらに言葉を覆い被せていく。 「彼女は巫女になれる。巫女、祈りの力を持った存在。そして神との対話を可能とする存在。その存在になることが出来る、その素質を持っている。あの一花という少女には」 「何を言っているんだ、彼女はまだ子供だぞ? そんな状態で出来るはずが……」 「世界を救う立場に立つのは、子供だろうが老人だろうが、男だろうが女だろうが関係ない。世界を救うべき立場に立てるか否か? という判断だけで言えば、それは本人のさじ加減によるかもしれないけれど、それでも、才能は付与されるもの。仮に本人が嫌がったとしてもそんなことは知ったことでは無い。私が才能を与えれば、それは才能を持つ若者となる」 「つまり、才能のある若者とやらを作り出す、と……!」 「面白い試みだろう?」  試み――ムーンリットはそう言っているが、僕から見ればそれはただの気紛れに過ぎない。結局の所、ムーンリットは何を考えているのかはさっぱり分からない。  だが言動からある程度推測することは可能だ。 「……結局の話、何度あなたに言ったところでムダだろうから、これだけは説明しておきましょうか」  長々と前置きをして、ムーンリットは話を始めた。 「人間がどうこう言ったところで、『世界の意思』には逆らえない。それは私だってそうだ。世界の意思には従うしかない。たとえそこで一つの種族がほろびようとも」  その選択は、大いに間違っていた。  否、間違っている話だからこそ、ムーンリットは僕に話をしたのかもしれない。  その選択は世界の意思となる。  その選択は大きな意思の合意となる。  その選択は上位世界からの忠告となる。  結果的にその選択は、たとえ世界の誰もが間違っているとしても遂行されなければならない。  ムーンリットは、僕にそう語りかけているようにも見えた。 「ムーンリット……、お前はいったい何がしたいんだ?」 「世界の意思、その遂行のため」 「世界の意思とは何だ?」 「何だろうねえ。いずれにせよ、人間が触れていいものではないと思うよ。私のような一端の神でも知らないことはあるんだ。人間が知っていい事実なんてこれっぽっちも無いはずだ」 「ならばなぜ僕に『世界の意思』を伝えた?」  ムーンリットは僕の問いに失笑する。 「伝えるに値する存在だったからさ。あなたがどういう存在であれ、私はそうすべきだと思った。たとえそれが世界の意思では無いとしても」  つまり今の会話は、ムーンリットの独断?  ますます話が見えてこない。いったいムーンリットはどうして僕にその事実を伝えたのか? もしかして、何かしてほしかったのか? 神ではなく、ただの人間にしかできないことを。 「勘違いしないほうがいい。これは私の好意だ」  ムーンリットは僕の思考を遮るように話を始めた。  そして、矢継ぎ早に言葉を紡ぎ始めていく。 「とどのつまり……これはただの気まぐれだ。気まぐれによるものだ。たとえ何か成し遂げる可能性があったにしても、それは気まぐれ。重く受け止めなくていい」 「重く受け止めなくていい……ね。それはどうだか。その考えは人それぞれにも思えるが? いずれにせよ、その考えは間違っている。どう考えても誰かに正義を押し付けるなんて、間違っている!」 「じゃあ、どうするつもりだ?」  ムーンリットは両手を広げて、僕に問いかけた。 「今の状況を鑑みて、お前はどうするつもりだ? オリジナルフォーズは、みるみるうちにこのジャパニアに向かっているぞ。そして、そこに到着してから繰り広げられるのは、一方的な虐殺だ。……当然だよな、世界最強の存在だ。それも、その理由は、対抗策が無いからという如何にも単純な理由に過ぎない。そのまま進めば人類は滅び……やがてこの惑星は死の惑星と化す。まあ、いずれにせよ、それ自体も世界の意思と嘯くことになるのだろうがな。だが、今お前の目の前に居るのは誰だ? この世界の創造主だ。そして、その創造主が神の力を一人の少女に与えようと言っている。こんな好機をみすみす逃すつもりか? もう一つ追加してやるが、デメリットなど存在しないぞ。寿命の消失をデメリットとして捉えるならば、また別の話だが」 「寿命の消失?」  さらっと流したが、とても重要な事実を話したような気がする。 「……寿命の消失とは簡単なことですよ。ってか、神の力を与えるというのはイコール、神になるって話ですね。ということは、寿命はほぼ無限になるということ。そして、それはこの世界での目的を達成すれば、神の世界へと向かうということ。それにより、永遠に生き長らえることが出来る。ま、神になるんですからそれくらいのメリットはあって当然でしょう?」 「ちょっと待ってくれ。いったいぜんたい訳がわからない。どうしてそんな大事な話を放置していた?」 「大事な話でしたか。あら、私にとっては普通の話かと思っていましたが」  どうやら神様と人間の間には常識に関して、埋めたくても埋めるのが難しいくらいの差があるようだ。僕はそれを、身を以て実感した。  ムーンリットと僕の見つめ合いは、暫くの間続けられた。お互いにお互いが話をするタイミングを窺っていた、と言えばそれまでだが、しかしそれは間違っていなかった。  ムーンリットという存在を見極めるための、絶好のチャンスだと認識していた僕は、如何にムーンリットから情報を聞き出そうかと躍起になっていた。だから必死にムーンリットの発言にしがみついていたのかもしれない。 「……あなたの決断は、世界の運命を左右する」  ムーンリットは僕の不安を増長させたかったのか、さらに話を続けた。 「確かに簡単に決められる話では無いでしょう。けれど、それを如何に良い方向へ持っていくか……というのも求められます。今のあなたには、全人類の生命がかかっている。そう言っても過言では無いのですから」 「脅迫か、それは」 「さあ、どうでしょう?」  不敵な笑みを零して、ムーンリットは答えた。 「ただ、あなたには選択肢などないように思えますがねえ? どう足掻いても、答えは一つだと思いますよ。それがあなたの思考にそぐわないものであったとしても。それは世界の意思となるのですから」 「……貴様、最悪な神だな。僕は絶対に、お前を神とは認めない」  僕はその選択をするしか無かった。  その選択をするしか、ほかに方法が無かった。  ムーンリットもそれに気付いていたのかもしれない。気付かれたくなかったのは確かだったが、こうなってしまっては仕方がないことだと思う。 「神とは認めてもらわなくても構わないよ。……とは、言えなくなっていることも事実かな。私たち神は、人々の信仰の上に成り立っている。とどのつまり、信仰が無くなるということは、我々がこの世界に存在出来なくなると言っても過言ではない。この言葉の意味が理解出来るかな?」 「……いい加減にしろ」 「あらあら、怒っているのかな? でもあまり気にしないほうがいいと思うよ。あなたは世界を救う勇者になる。私は世界の意思を遂行する。win-winの関係になるわよね。ほんとうにありがたい話になると思うのよ?」 「だが……」  ムーンリットの言うことも間違っていない、と思う。だが、やはりどこか振り回されている感じがするのも否めない。 「さあ、選びなさい。風間修一。あなたの判断で世界はどうなるか……それはあなたにも分かりきっている話のはずですよ?」  ムーンリットは手を差し出す。  ムーンリットは僕がその選択をするってことを確信しているのだろう。勝者の余裕、というやつだ。いずれにせよ、ムーンリットは心ぐらい読めているのかもしれないが、それはそれとして認識するしかない。 「……ムーンリット、お前は」 「さあ、選択なさい。あなたはどういう道を選ぶかはあなたの勝手だけど、あなたの選択によって世界がどうなるか……それを理解してから決心しなさい」 「分かった」  決断するのはもっと早かったけれど、それを言葉に出すまではかなり時間がかかった。 「……神の力を、彼女に与えてくれ」  ムーンリットは小さく笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。  一つの動き、その全てが腹立たしかった。  もしそれが神とやらの行動で無いとするならば、多分言葉よりも拳が出るところだった。  ムーンリットは目を瞑り、何か呟き始める。詠唱か何かの類だろうか。いずれにせよ、僕には理解出来ない言語であることは間違いないだろう。  ムーンリットの詠唱はそう時間がかからなかった。多分一分くらいの感覚だったと思う。 「……ありがとう。これで、この世界は救われることでしょう。一つの大きなブレイクスルーを終えることが出来ました。まあ、これからどうなるかはあなたたち人間が決める話になりますが」 「人間が決める? それは元からの話じゃないのか?」 「それは人間が考えているだけの話。実際には私たち神や、世界の意思に通ずる存在だけのこと。まあ、あなたたちはそう考えたいのかもしれないのけれど。世界の代表は人間と思っていたら大間違い。結局あなたたちも世界の意思には逆らえない」 「ブレイクスルー……、その次は何が起きると言うんだ?」 「それはお伝え出来ませんね」  あっさりと拒否されてしまった。 「……じゃあ、結局人間はそれに従うだけ……?」 「ええ。そうなりますよ? それについては致し方ないと思いますよ。というか、それを受け入れるしかありませんねえ。ま、それは仕方ないですよ。自然の摂理、というものです」 「……やはり、お前とは相容れない」 「相容れなくて、結構。……さて、私としては、やることは終わったのでそろそろおさらばと行きましょうか。それじゃ、頼みましたよ。風間修一、世界を救う創世の勇者よ。あなたが世界を救うこと、それは世界の意思です」  そして、ムーンリットは姿を消した。  初めて出会ったが、ほんとうに勝手な神様だ――そんなことを、僕は思うのだった。 「……おい!」  僕が現実に揺り戻されたのは、ストライガーの声だった。ストライガーは呆れたような苛立っているような、そんな表情だった。いずれにせよ、淡白な反応をしている僕に対しての反応だったのだろう。  ストライガーの方を向いて、首を傾げた。 「どうか……したか?」 「それはこっちの台詞だ」  ストライガーは深い溜息を吐いて、 「今は何の話をしていたか、きっと分かっていないだろうから、最初から説明してやる。オリジナルフォーズという勢力をいかにして無効化するか。それについて対策を話し合っていたのに、当の本人がそうなってしまっては、これからが大変だな」 「それは言い過ぎじゃない? 急に言われて、頭が混乱しているのよ、きっと」  そう言ったのは茶屋の店主だった。はっきり言ってその救い手はとても有り難かった。実際、話を聞いていなかった――ということになってしまうのだから。  ストライガーは二対一になって自分の立場が悪くなったことに気付いたのか、咳払いを一つして、カウンターに置かれた水を飲み干した。 「……それじゃあ、これからの作戦について、話し合うことにしましょうか」  ストライガーはそう言うと、作戦について語り始めた。  作戦についての談義は世間話も交えながらだったため、簡単に自分の中で整理すると、とんでもなくシンプルな作戦だった。  一言で説明するならば、相手を迎え入れる。  やってきたオリジナルフォーズをジャパニアで迎え撃って、そのまま撃退する。非常に単純な作戦だとは思うけれど、問題はそれを現実に実行出来るか、ということだ。やっぱりそこは一番の問題だと思うし、そこは何とかしないといけないだろう。  ストライガー曰く、戦いに参加するのはほとんどが男性、しかも十八歳以上と限られている。理由は、女性と子供は非力であり、さらに守るべき存在であるということだった。成る程、確かにそれは間違っちゃいないだろう。 「では、こちらの戦力はどれくらいなんだ?」  僕はストライガーに質問を投げかけた。  ストライガーは溜息を吐いて、 「言いましたよね。ジャパニアの戦力は、どれほど掻き集めても一万人くらいだ、と。なので、最大戦力がそれくらいと言っていいでしょう」  一万人。  ジャパニアの最大戦力――とどのつまり、言い換えればそれはその人数が兵力と言ってもいいだろう。ろくに兵器がないのに、一万人しか使えない? 負け戦と言っても過言ではないように思えるが、それは間違っちゃいないのだろうか。  ストライガーの話は続く。 「……人数ははっきり言って多くはありません。けれど、それは致し方ないことなのです。どうかご理解いただきたい。ジャパニアに居る人間の中で、戦争への賛同とその準備をしていただけているのはその人数だけ、となるのですから」 「ということは、それよりももっと多くの人間が参加する可能性があった、と?」  なるべくなら怪我する可能性のある人員は必要最小限にしたほうがいいだろう。しかしながら、問題はオリジナルフォーズの戦力だ。たとえ一万人の戦力が居るとして、技術力は低い。  となると、オリジナルフォーズに対抗するためには出来る限り人を集めておく必要がある、ということになる。さっきの話と矛盾するが、オリジナルフォーズの戦力が未知数であることを考慮すると、仕方ない。 「まあ、あなたが心配するのも致し方ないでしょう。実際、あなたにこの話をするまで、何度も交渉を重ねていました。けれど、失敗に失敗を重ねて、結局その人数に落ち着きました」 「もともとはどれくらいですか?」 「一万三千五百人、端数はもっとありますけど」  つまり三千五百人が不参加ということか。まあ、総数からのその人数は多いほうだろうし、全然問題はないだろう。寧ろストライガーは功労賞を与えてもいい気がする。  ストライガーは立ち上がり、僕の方を向いた。 「とりあえず、あなたには今回の戦いを勝利に導いてもらわなくてはなりません。そうしなければ、人類に勝利はありませんから」  そしてストライガーはそのまま立ち去っていった。  ◇◇◇  問題は山積みだった。そして、その問題を如何に解決していくかを考えるために、家に帰る足取りはとても重たかった。 「……まずは一花に『あの力』が宿っているのかどうか、それを確認しないといけないな」  恐らく、その力が彼女に宿っていたら彼女は紛れもなくあの存在へと昇華することとなるだろう。  ガラムド。  この世界の神的立ち位置に居る存在で、僕にこの試練を受けるよう指示した存在でもある。 「もし、彼女がガラムドだと言うならば……、僕は、風間修一は、ガラムドの親ということになる」  別にそれは間違った認識では無いと思う。  確かに色々な宗教の神も、普通の人間から生まれていたような気がするし、それについては認識の違いという一言で片付けられるだろう。  だが、ほんとうにそうなのだろうか?  ほんとうにそれで片付けてしまっていいのだろうか。 「……やはり、色々と確認しないといけないな」  結局、まずは現状を把握しなければ何も始まらない。だから僕は、一花に会いに、家に帰るのだった。  家に帰ると、一花が玄関に立って僕を出迎えてくれていた。いつも通りの彼女の笑顔に、僕はほっと胸を撫で下ろす。 「お父さん、おかえりなさい!」 「ああ、ただいま」  一花の笑顔に、僕も笑顔で返す。 「あなた、もうご飯できているわよ。食べる?」  奥から秋穂が出てくる。タオルで手を拭きつつ出てきたところを見ると、何か洗い物をしていたのだろうか。  僕は秋穂の言葉に頷いて、靴を脱ぎ、リビングへと向かうのだった。  夕食の時間はあっという間に流れていった。会話はしたけれど、取り留めのないものばかり。当然ながら今日あったことについて質問も受けたけど、今はそれをはっきりと言い出せなかった。  それは紛れもなく自分の中で、悩んでいたからだった。しこりがあるからだった。暗い部分があったからだった。 「……あなた、どうしたの。顔色が悪いように見えるけれど。あまり、美味しくなかった?」  時折秋穂にそんなことを言われてしまう始末だ。僕はそんなことはない、いつも通り美味しい料理だと言って秋穂の機嫌を取りなした。とりあえず、いつも通りの自分を見せていかねばならない、そう思っていたから。  今の僕に出来ること。  それは家族を不安にさせないこと。  それしか考えられなかった。ただ、そうなるともともと僕が居た世界の家族も、きっと不安な毎日を送っているに違いない。時間と空間が違う場所に居るわけだけれど、いつになったら戻ることが出来るのだろうか?  最近思うのは、この世界を救ったところで、僕は元の世界に戻ることが出来るのだろうか、という話だ。実際問題、ガラムドがそれを遵守してくれるとはあまり思えない。というよりも無理だと思う。 「……そう? なら、いいけど。てっきり私は、今日のお出かけで何かあったのかな、って思っちゃった」  なぜ女性はここまで勘が鋭いのだろうか。確かに、確かにその通りだ。だがここで、今度戦争が起きて、自分はその戦線のトップになったと伝えたところでどれくらい信じてもらえるだろうか。  いや、或いは信じてもらっても実感が湧かないかもしれない。また、或いは僕にその職を降りるように言いだすかもしれない。別にあなたじゃなくていいと言ってくるかもしれない。  僕はそこまで言われても仕方ない、そう思っていた。  とにかく僕は、無言を貫いた。今後その話がメジャーな話になってしまうとはいえ、まだ心の整理が出来ていないことも事実だ。時間を遅らせることは、はっきり言って最適解とはいえないことだろうけれど、とはいえ、今の僕にはそれしか出来なかった。  夕食の味ははっきり言って覚えていない。食べたような感じがしなかった、というよりも美味しく味わえるような精神じゃなかった、というほうが正しい説明になるかもしれない。  夕食後は適当に時間をつぶし、タイミングを見計らって寝室へと向かった。その間いろいろと話すことはあったけれど、正直それも覚えていない。今後何かあった時にそれについて再確認と喧嘩の火種になることは間違いないだろう。  いずれにせよ、過ぎたことはもう仕方がない。そう思ってしまったほうがいい。そういうわけで僕は今眠くもないのにベッドで横になっていた、というわけだ。  天井を眺めつつ、僕は今日起きた出来事を整理していく。とはいっても、いくら整理したところで何か新しいものが見えてくるとは思えないけれど。まあ、やらないよりはマシだ。 「お父さん」  ……と長いモノローグに浸るタイミングで、僕を呼ぶ声が聞こえた。  僕をお父さんと呼ぶのは、たった一人しか居ない。 「……一花、どうしたんだ?」  一花が部屋の前に立っていた。  彼女はただゆっくりと僕を見つめていた。眠れない、という単純な理由で来たわけではなさそうだ。第一、それが理由だとすれば行くのは母親である秋穂の寝室になるだろうから。  一花はずっと僕を見つめていて、僕も一花を見つめていた。そんな奇妙な空間での沈黙が僅かの時間続いた。 「お父さん、入ってもいい?」  先に沈黙を破ったのは一花だった。はっきり言ってそちらから沈黙を破ってくれるのはとても有り難い話だった。色々な問題があるとはいえ、彼女から話を切り出してくれるのは自然な出来事だし、そちらのほうが話を聞き出しやすい。  そんな私情はさておき、一花の言葉に僕はゆっくりと頷いた。別にそれを断る理由なんて無かったからだ。とはいっても、一花の話したいことは何かはっきりしない以上、力になれるかははっきりとしないわけだが。 「一花、どうかしたのか? 眠れないのか?」  僕が一花に質問したのは、一花が僕の隣に腰掛けてしばらくしてのことだった。彼女が僕の側に来るまではよかったのだが、そこからが問題だった。案外簡単に話し始めてくれるものかと思っていたが、話してくれなかった。子供というのはひどく自己中心的な人間だったんだな、と風間修一の中の自分は考えるのだった。 「あのね、今日、夢を見たの」  ゆっくりと、しかしはっきりと、言葉を細切りにしながら、一花は僕に教えてくれた。 「夢?」  こくり、と一花は頷く。  夢だけなら、まだ子供にありがちな微笑ましいエピソードとして片付けることが出来るだろう。とどのつまり、話を流すことだって出来る。  しかし、違った。  そんなもので片付けられるほど、一花の悩みは単純なものでは無かった。 「あのね。私がいつものように勉強をしていると、空から声が聞こえたの」 「声?」  気付けば僕は一花の言葉の反芻しかしていなかった。  しかしながら、それは仕方ないことだと認識してほしい。一花の疑問をただの疑問として適当に放置してしまうことは誰だって出来るかもしれないが、それは僕がムーンリットとの会話を交わしていなかったら、の話。ムーンリットからあの話を聞いてしまっている以上、一花の夢の話を無下にすることは出来ない。  一花の話は続く。 「……その声は、私にこう言ったの。あなたは神に選ばれた存在だから、人のために為すべきことをやりなさい、って」  やるべきこと。  それはいったいどういうことなのだろうか――なんてことは野暮だ。ムーンリットの言葉を借りるならば、一花に備わった力は――祈りの力だろう。  祈ることにより神の力を借りて、『奇跡』を起こすことが出来る。  普通に考えればその力は有り得ない力だろう。その力が許容された時点で、それは奇跡なのだから。 「為すべきこと、って何だか分かるのか?」  それを聞いて、一花は何度も首を横に振る。  ということは一花は何をすればいいのか分からないのに、ただその声から『為すべきことをやれ』と言われたから何かを成し遂げようとしているわけだ。  その意思だけは評価するが、しかしながら、誰かも分からないその声にあっさり従うのはいただけない。まあ、どうせムーンリットか彼女に関連する存在なのだろうが、一花はムーンリットの存在を知る由も無い。だったら、これ以上あまり言わないほうがいいだろうし、考えないほうがいいだろう。きっとそれが、お互いのためだ。 「……でも、何となく分かるの。為すべきことなのかどうかは分からないけれど、何となく……」 「何となく?」 「うん。それがほんとうに正しいことなのかは分からないけれど……」 「いいよ、別に。正しいことなんて、誰にも分からない」  僕の言葉は適当な発言だったかもしれない。 「……何か大きな力が、ここにやってくる」  しかし、彼女の発言は的を射ていた。 「世界はどうなるのか、それは分からない。けれど、その大きな力によって、私たちの日常が脅かされてしまう……。だから私たちは、それに立ち向かわないと」  すぐに僕は、一花の発言はあることを意味しているのだと理解した。  預言。  それもある程度的確で、誰もが疑わないようなこと。  不安を煽る発言であることは間違いないが、しかしながら、人は必要以上に不安に煽られなければ、何もやらない。となると、一花の発言は恐怖で人を統治すること、そのことと繋がってしまうことだろう。  しかし、きっと本人はそんなことを気にしてなどいない。気にしていたら一花が先に滅入ってしまうだろう。  とにかく、問題にするのは一花ではない。彼女が聞いたその声と、実際に備わった『力』だろう。声の正体はムーンリットだとして、まさかほんとうに力が備わっているとは思いもしなかった。  祈祷をトリガーとして、神の力を発揮する。  それは即ち二千年後のこの世界で権力を振り翳している祈祷師という存在そのものだった。 「……一花、話を聞いてくれ」  もうこれ以上隠し通すことは出来ないだろう。  僕はそう確信して、一花に話を始めた。 「実は一花が話したこと、それは真実だ。正確に言えば、これから起きることになる。それを夢で見たということは……、一花の見たその夢は予知夢だ」 「予知……夢?」  僕は頷く。  少女に話をする。それは即ち、理解してもらうために言葉をある程度噛み砕いて説明しなければならないということだ。はっきり言って、そう簡単に出来るものではない。だが、やらねばならないのも事実だった。  ではどちらを取れば良いかーー結果はもう、分かりきっていた。 「一花、落ち着いて聞いてくれ。その大きな力と……僕たちは戦わなくてはいけないんだ」 「戦う?」  分からないことではない、僕はそう思っていた。  だからその言葉も反芻しただけで、ただ事実の再確認程度の内容だと認識していた。 「そう。つまり、戦争だ。これから僕たちはその大きな力……オリジナルフォーズというのだが、それと戦争を始めることとなる。誰が勝つかなんて分からない。けれど、少なくとも今までの平穏な日々はやってこないと思う。それだけは……残念ながら、確実だ」  僕はその後、ゆっくりと彼女に真実を告げていった。  それについては今までの繰り返しになるから直接モノローグという形で語ることは無いと思うけれど、実際の所、それは言いたくなかったことではあった。できる限り隠し通したかったことだったが、もうこれ以上隠しきれない。僕はそう思っていた。 「……それで、お父さんはどうするの?」  すべての事実を聞いて、先ず一花が言ったのはその言葉だった。 僕は何をすれば良いのか。確かにそれは一花の言うとおりだった。僕はムーンリットから――キガクレノミコトから――ストライガーから――色々な存在から話を聞いていた。そして、それはすべて『受け入れる』形にほかならなかった。  それは自分の意思を尊重している話では無い。そう言われてみればその通りだし、それをずっと受け入れていた自分も間違ったことである、それは理解していた。  けれど、それをどうすればいいのか――僕は考えてなどいなかった。受け入れて入ればいい、という考えは間違っていた。 「僕は、そうだね……。どうしようか」 「お父さんが決めればいいんじゃない?」 「僕が?」  一花の言葉は、はっきりと僕に聞こえた。  短く、しかし的確なその言葉はしっかりと届いた。 「そう。だって、お父さんがその役割を担っているんでしょう? だったら、それをするかしないかはお父さんが決めるべきだと思うの! もちろん、やるやらないもそれぞれだと思うし」 「でも、それだと……。世界が滅んでしまうだろう?」  僕の質問を聞いてもなお、一花は表情を崩さない。 「世界が滅んでしまうからといって、お父さんがすべてやらないといけない理由にはならないでしょう?」 「それは……」  確かにその通りだった。  ただ僕は、そう言われたから、そう指定されたから、ただやっているだけに過ぎない。 「お父さんのやりたい道をすすめばいいじゃない。たとえそれが世界から非難されることであろうとも。私は、お父さんの味方だよ」 「お父さんの……味方、か」  一花の言葉は、一点の曇りも無く輝いていた。  だからこそ僕はその言葉に眩しく感じていたのかもしれない。 「だったら、僕は猶更それを受け入れないといけないな……」 「お父さん。それって、つまり……」  一花の言葉を聞いて、僕はゆっくりと頷く。 「受けるよ、この話。僕に世界を救えるかどうか分からないけれど……、それでも、やれるだけのことはやっておきたいと思うから」  ◇◇◇  二日後。  その日は突然やってきた。  確か昼下がりのティータイム。僕たちは家でのんびりと過ごしていた、とても平和な時間だった。  この平和な時間がいつまでも続けばいいのに――そんなことを思いながら、僕は空を眺めていた。  はじめの違和感は、太陽だった。  この世界には太陽が一つしか無い、はずだった。  にもかかわらず、空には太陽が二つあった。否、そのうちの一つはもう一つと比べればあまりにも小さく、太陽というよりも一つの隕石のような――。  そして――そんな悠長に構えている場合では無かったことは、僕たちは直ぐに思い知らされることとなる。 「風間修一は居るか!?」 「何かありましたか! ストライガーさん。ってか、ストライガーさんが来るということは……」 「そう、あれはオリジナルフォーズよ! まさか連中、こんなにも早く投入してくるなんて……。はっきり言って、想定外だわ」 「オリジナルフォーズ……! そんな馬鹿な、どうしてそんなにも早くジャパニアに辿り着けたんだ……!」 「きっと、私たちの想像以上に物事が進んでいた……、そういうことになるでしょうね。とどのつまり、私たちの予定ではまだ復活する予定のなかったオリジナルフォーズは、どうやらとっくに復活していて、二日の間にジャパニアに到達した……ということになるのでしょうね」 「ね、ねえ……? 話が理解できないのだけれど……、オリジナルフォーズっていったい」  見ると、話がまったく理解出来ない様子の秋穂がキョロキョロと辺りを見渡していた。  僕は結局秋穂に事実を言い出すことが出来なかったのだ。  最大の失敗とも言えるだろうその事例を、僕はどう贖罪すべきかと思っていた。  伝えることをせず、問題を先送りしていたのだから、すべて僕の責任だ。  しかしながらそれは秋穂を危険な目に合わせたくなかったから、それに尽きる。ほんとうは一花もそうしておきたかったが、あの創造神の気まぐれによって、それも出来なくなってしまった。はっきり言ってすべてが台無しになってしまった、ということだ。  だから、今の僕に出来ること。  それは彼女を救うこと。  どうにかして――秋穂を助けないといけない。 「ごめん、秋穂。黙っていて」 「……何か、やりたいことがあるんでしょう? ううん、どちらかと言うと、やらないといけないこと……になるのかな」 「それくらい、分かっているよ。けれど、あなたが何をしたいか……今の私には分からない。それだけは確か。でも、それがあなたのやるべき道なのでしょう。だとしたら、その道を突き進めば良い。あなたが生きたい道を進めば良い。それについていくのが、私の役目なのだから」 「秋穂……」  僕は、ようやくそこで気づかされた。  僕が思っている以上に、僕はたくさんの人から信頼されているのだということ。そして、たくさんの人に恩を受けていること。  ならば、それは返さないといけない。やり遂げなくてはいけない。やらなければいけない。 「そうだよ、お父さん」  後押しするように言ったのは一花だった。 「お父さんがどういうことをしないといけないのかは分からないけれど、でも、このままだとたくさんの人が死んじゃうんでしょ? それだけは食い止めないといけない。それはお父さんだって分かっていると思うの」 「それは僕だって……」  分かっている。知っている。理解している。  だからこそ、僕は。  例え押し付けられたようなことであったとしても、精一杯やり遂げなくてはならないと思っているのだから。 「じゃあ、次に何をするかは……もう分かっていることなんじゃない?」  秋穂の言葉は、次の僕の行動を指し示すには充分だった。  そして、僕はその言葉にゆっくりと頷いた。  ◇◇◇ 「秋穂はどこに逃げるんだ?」  僕は出かける準備をしつつ、同じくどこかに出かける準備をする秋穂に訊ねる。  秋穂は手を止めること無く、 「そんなことを言っている暇があったら、あなたの準備をして。あなたのやるべきことをして。私のことはどうでもいいから」 「どうでもいいから、って……。そんなこと、出来るわけ無いだろ」 「でも、そうしないと私もあなたもこの世界の人たちも助けることは出来ないわよ」  その通りだった。  そして、僕は秋穂の言葉に対して何も言い返すことは出来なかった。  異世界でも男は女の尻に敷かれるものなのかもしれない――そんなことを言うと、やけに批判する人が出てくるので、あまり強く言わないほうがいいのかもしれないけれど。 「……いずれにせよ、僕は行かないといけない。けれど、それ以上に僕は君が大切だと思っている。だから、君が逃げないと、僕は安心して戦えない」 「そんな甘いことを言っているんじゃないよ。……でも、それくらい大切に思ってくれてるって聞くと、何か嬉しいな」 「こら、そこ。いちゃいちゃしている暇があったら、お互いの準備を進めなさい。……それと、風間修一。ちょっといいかしら」  ストライガーが声を掛けて、僕を呼び出す。  秋穂は何があったのかと僕を見つめていたが、大丈夫だよとだけ言ってストライガーについていった。  少しだけ秋穂から距離を取った場所で、ストライガーは立ち止まる。  僕はそのまま立ち止まって、ストライガーと向かい合う形になる。 「……あなた、このままどうするつもり?」 「どうするつもり、って……どういうことだ」 「だから、世界を救いたいか否か、という話」 「それは……」  当然だ、とはっきり言えないのが失敗だった。 「当然、そこは救いたいと言っていただきたかったところなのだけれど……。そうも言えなかった、というのは何か後ろめたいことがあるのかしら?」 「後ろめたいこと? あるわけないだろ、そんなこと」 「だったらなぜ即答出来なかった?」 「それは、」  言い返せないから、後ろめたいことがあると確定されるのか?  それは間違いだ。そんなの間違っている。 「……まあ、あなたがどう考えているかは分からないけれど、私たちにとってはあなたはこの世界の最後の希望と言っても過言では無い。いや、寧ろ確定的事実と言ってもいい。でも、あなたはそれを自覚していない。ならば、どうすればいい?」 「どうすれば、いいって」  僕に何を求めているんだ。  僕に何を期待しているんだ。  僕はただの人間だ。ただ、剣に、神に、選ばれただけの――ただの人間だ。超能力もないし、ポテンシャルも無い。一般的な人間であって、普遍的な人間だ。  そんな僕に、何を求めているのか?  そんな僕に、いったい何を期待しているのか?  僕は分からない。分かりたくないわけじゃない。けれど分かるはずがない。  だって僕には――才能が無い。 「……はあ、とにかく、話がまとまりませんから、さっさと話を進めましょう。いずれにせよ、あなたは剣に選ばれた。勇者ですよ。たとえあなたにその自覚が無いとしても、あなたには勇者として世界の人々へ道を切り開いて貰わなければなりません。そういう運命なのです」 「運命?」 「そう。あなたは運命なんて信じませんか? ……なんて言葉は野暮ですね。いずれにせよ、あなたはこの先運命という言葉をきっと嫌という程聞くことになるのでしょうから。いくら人間だからといっても、わたしも『使徒』という人智を越えた存在の端くれでしたからね。それぐらい、理解できますよ」  使徒。  確かその存在は、ジャパニアでは神に等しい存在だったはずだ。なぜそれを知っているかと言えば、それは風間修一の知識から得たまでに過ぎないのだが。 「そうね。まあ、人間は運命をあまり信じないのかもしれませんね。かつては、運命や奇跡を信じた人間も多くいましたが、それも今や酔狂。結局は、この世界を人間だけで作り上げたと思い上がっているだけに過ぎないのですよ」 「そんなことを言ったら、あなたも人間ですよね?」 「ええ。私も人間、あなたも人間。けれどお互いにその存在からは一歩離れた存在である、そう認識しているはずよ。あなたも、わたしも」 「一緒にされちゃ困るな。あなたは確かに神の立場に近いのかもしれないが、いくら剣に選ばれたところで、僕はただの人間だ。……やっぱり、あなたと同格に考えられるのも、何かの間違いだと思うけれど」  言ったところで話の流れは変わらないだろう。でも、言ったか言わないか……そこに意義があると思う。  たとえ間違った解釈であったにせよ、発言することで自分の意思をはっきりと相手に伝えることが出来る。それは間違いではない。一つの明確な手段だった。 「まあ、あなたが何を言おうとしたって、世界は何も変わりませんよ。それこそ、世界の意思が働いているのですから」 「また、世界の意思か」  僕は思わず口に出してしまっていた。  ムーンリットという存在から幾度と無く耳にした『世界の意思』。  その言葉を、まさかストライガーからも聞くとは思っていなかった。なんだ、この言葉、流行っているのか? そんなシニカルめいた発言すらしたくなるほどのデジャビュだった。 「……何か聞いたことがあるようね。だったら話も早いんじゃない? いくらあなたが抗おうと、世界の意思には抗えない。あなたは、それを知っているはず」  世界の意思。  まさかその言葉をまた聞くことになるとは思っていなかった。  しかしながら、その言葉はムーンリットから聞いたものとは若干ながらニュアンスが違っているようにも感じられた。 「でも、それは間違っている」 「間違っている? いいえ、それはあなたの思想よ。あなたの思考が間違っている、というだけの話。或いは、逃げているだけ……とも言えるかもしれないわね」  淡々と、ストライガーは言った。  けれど僕は間違っていないと思った。  間違っていないと思ったから、ストライガーに抗った。 「ま、別にいいか。あなたがどういう考えだとしても、たとえ神を信じていないにしても、あなたはこのまま世界を救うために尽力しないといけない。それはあなたにだって、理解できていることの話なのだから」 「ねえねえ、いったい何の話をしているの?」  ストライガーと僕の話に割り入ってきたのは、一花だった。  一花は僕の表情を伺いながら、首を傾げる。 「一花。だめだろ。ここは大人の話をしているんだ。今は、僕とストライガーさんで、ね。だから一花は出かける準備をしないと――」 「出かける準備出来たよ。ついて行くから、私」 「……は?」  一花の発言は僕とストライガーにとって、想定外の発言だった。  いったい一花は何を言っているのか――そんな思考を処理すら出来なかった。 「ねえ、あなた。いったい何を言っているの? どこかに遊びに行くわけでは無いのよ?」 「知っているわよ、戦争でしょう?」  ストライガーの言葉に臆すること無く、一花ははっきりと言い放った。  一花が戦争のことを前々から知っていることは、ストライガーにも教えていない。というか、前々から知っているというよりも僕が教えた、というほうが表現的に正しいのだろうけれど。 「戦争のことを知っていて……、それでもあなたは一緒に行こうというの?」  こくり。  一花は頷いた。 「なら、どうして?」 「どうして……って。何か、私にも出来ることがあると思ったから」 「それは、誰かに命じられて?」  ストライガーはここで何となく『何か』を理解したのだろう。  徐々に、子供の戯言とは思わずにその真因を探る質問に変えてきた。 「うん。何か言葉を聞いて……。為すべきことを行え、って」 「為すべきこと……。やはり、あなた。『声』を聞いたのね」  声。  その一言を聞いて、一花はゆっくりと頷く。  そしてそれを見て、ストライガーは深い溜息を吐いて、僕のほうを向いた。 「……声を聞いたことを、なぜあなたはお伝えしなかったのですか?」  その声のトーンはいつもと変わらないようで、どこか末恐ろしさも感じられる。 「伝えなかったことに、何かデメリットがあるんですか?」 「無いわけではありません。しかし……、声を聞いたならば話は別。もっとやることが出来る。今までの考えだったら、ただの白兵戦となったわけですが……。でも、それはある意味チャンスと言えるかもしれませんね」 「チャンス?」  急に方向転換し始めたので、いったい何を言い出したのかと思っていたが――。 「分からないのですか? ならばお伝えしましょうか。あなた、神からの言葉を……なんと聞きましたか?」 「え……?」  ストライガーから急に話を振られたため(もっとも、ずっと話に加わっていたため『急に』というのは間違っているだろうが)、一花はストライガーの言葉を聞き返そうとしていた。  けれど、ストライガーは言い返すことなどせず、ただじっと一花を睨み付けていた。  その光景はまさに、蛇に睨まれた蛙。  怯えている一花の様子を見て、何もしないことなんて出来るわけが無かった。 「……ストライガー、もうそれ以上やめたらどうだ。一花が怯えているだろう?」 「あなたは口出ししないでください、風間修一。今は彼女と話をしているのです」 「しかし……!」 「しかし、ではありません!」  ぴしゃり、と一喝されてしまった。  たじろぐ自分。一花のほうを見ると、僕とストライガーのほうを交互に見ている。  明らかに困惑している様子だった。  はっきり良って、この状況は好ましくない。子供にとって、一番信頼しているであろう存在である親に頼ることの出来ない状況――それは子供から見れば崖から突き落とされたライオンのようなものだと思って良いだろう。まあ、あれは親心で突き落としたものだから若干違う考えなのかもしれないけれど。  それはそれとして、少なくとも今は一花にこんな姿を見せるわけには行かない。  一花の前では、頼れるような存在でなければ――! 「ねえ、話してくれないかしら?」  ストライガーはとっくに僕から目線をそらしていて、一花にロックオンしていた。  一花は僕を見つめていた。ほんとうは助けてあげたい。けれど、ストライガーに一喝されてしまった以上、そう簡単に手出しを出来ない。  僕は――弱い人間だ。  そう実感せざるを得ない、そんな状態だった。  一花は、なおもじっと僕を見つめていたが、やがてストライガーに視線を移し、ゆっくりと口を開いた。 「……分かりました。話します。声は、空からの声は、こう言いました。私に授けられた『祈りの力』を使って、世界を救え。為すべきことのために、その力を使え……と」  ぽつり、ぽつり、と。  ゆっくりと一花は言葉を紡いだ。  それを聞いた時は安堵した気持ちと同時に、ストライガーへの怒りも募っていた。  そこまでして、世界の意思を確認したかったのだろうか? 一花の意思は気にしないで、一花の意思は無視して、世界の意思を確認しなければならなかったのだろうか。  ストライガーは一花の話を聞いて、数回頷くと、 「成る程ね。ということは、あなたの力を使えばオリジナルフォーズを鎮める……いいや、或いは完全に消滅させることも叶うかもしれない」 「おい。何を言っているんだ……?」  僕は、嫌な予感がしていた。  嫌な予感、というよりも胸騒ぎ。  僕はこの戦いの顛末を知っている。ラドーム学院で習ったから、ある程度は教科書に掲載されていたから。  確かこの戦いの結末は――、ガラムドがオリジナルフォーズを封印させて終わらせたはずだ。  ならば、一花はやはり、ガラムドということになるのか? 「……簡単な話ですよ」  ストライガーの言葉を聞いて我に返る。 「祈りの力。それによって、仮にオリジナルフォーズの力を無効化出来るならば……、それを使ってみる価値はある。そうでなければ、そんなことを世界の意思として認めないはずですから」 「でも、それは……。ストライガー、君はそれを信じるのか?」 「何をですか?」  ストライガーは質問を質問で返すのが得意らしい。  はっきり言ってご勘弁願いたいタイプだが、そんな好き嫌いを言っている場合でも無い。  そしてストライガーは矢継ぎ早に言葉を口に出した。 「あなたは信じていないんですか?」 「…………は?」 「だから、あなたは、彼女の言葉を信じていないんですか? 親であるあなたが、娘である彼女の言葉を信じていないのか、と。そう言っているのですよ」 「そんなこと、あるはずが……」  あるはずがない。  なぜなら一花は僕の娘だからだ。  正確には、僕ではなく風間修一の娘にあたるわけだが。 「理由は分かりきっているじゃないですか。とどのつまり、そういうことですよ。あなたが信じる。そして私はあなたと、彼女を信じたわけです。そこに言葉の齟齬はありません。認識の乖離はありません。そうでしょう?」  それを聞いて、しばらく僕は呆然としていた。  しかし、言葉を理解した後は何か反応しないといけないと思ったが――それよりも先に、思わず笑みが零れた。 「何がおかしいのですか」 「いや。ストライガー、君も案外人間っぽい感情を抱いているんだな、と。そう再認識しただけだ」 「当たり前です。私は人間ですよ?」  そういうことを言っているんじゃない。  ただ、さっきまでのやりとりが機械的なものだったから――実はロボットなんじゃないか、なんてことを考えていただけの話だ。  まあ、それについてはストライガーには言っていないし、言わなくても良いことだと思うけれど。  ◇◇◇  それから。  僕たちは母親である秋穂の説得に追われることになった。一花が戦争に向かうことにまとまったから解決……なんてするはずもないし、そもそも普通に考えて娘が戦争に行くと聞いて黙っていられるはずもない。  それに、突然のことだ。最初はまるで絵空事のように捉えられていたが、それもストライガーが話し始めたことでようやく事の重大さに気づいてくれたらしい。  だが、それでも、彼女は一花の母親だ。 「……あなた、これをいつから知っていたの? どうやら、少なくとも今の時点では前から知っていたように思えるけれど」 「……、」  僕は、直ぐにその答えを出すことが出来なかった。  それは彼女に黙っていたから?  それは彼女に嘘をついていたから?  そのどちらもが正しく、どちらもが間違っていた。 「まあ、いいわ。仕方ないことよね」  これから長い話し合いが続くかと覚悟していたが、あっさり秋穂は引き下がった。 「え……え?」 「なに? どうかしたの?」 「いや……、もうちょっと何かあるのか、と思っていたから。こうあっさり引かれるとは思わなかっただけだ」 「そりゃ私だって心配していないわけじゃないし、出来れば戦争なんて末恐ろしいものには参加してほしくないよ。だって、もしかしたら五体満足で帰ってこられないかもしれないんだよ?」  その通りだ。  現に僕が知っている限り、戦争に出向いて五体満足で帰ってこれた人間は少ないと言われている。なぜなら、誰もが『国のため』に戦うからだ、と。たとえ自らの身を擲ってでも、戦争に勝たねばならない。そんな強い思いが働いていたからだと言われている。 「……でもね、正直そんなことも言ってられないんだろうな、って思ったんだよ。今は平和だけど、いつその平和が崩れるか分からない。そのとき、私は家族を安心できるのかな? って、そんなことを常々考えていたの。それは、あなたにも、誰にも伝えていない私だけの秘密。けれど、今ここで打ち明けるべきだと思った。だから私は今言った」 「……知らなかった。君がそんな思いを抱いていたなんて」  彼女はいつも明るく振舞っていた。  だから悩みなんて無いんだろう。そんなことを、彼女の気持ちを知りもせずに思っていた。 「いいのよ、別に。こう言うとさらに捻くれちゃうかもしれないけれど……。隠したくて隠していたわけでもないのよ。気が付けば、隠していた……とでも言えばいいのかな。ただあなたが悪いわけじゃない。悪いのは、私もそう」  秋穂はそう言って笑うけれど、それでも僕は秋穂に申し訳ないという思いだけが満ち満ちていた。  何が仕方なくて、何が駄目なのか。もはやその答えを簡単に導けることなんてできやしないのかもしれないけれど。 「……そろそろ、まとめてはくれないか。はっきり言わせてもらって、時間が無いんだ」  ストライガー、空気を読むということを知らないのか。今はどう考えてもそういう口出しはしちゃ不味いところだっただろう。 「空気を読むとか読まないとか、はっきり言って関係無いのよ。とにかく今は、人間の共通の敵……オリジナルフォーズをなんとかしなければならない。それくらい気付いているはずでしょう……?」  分かっている。分かっているさ。  でもスタンスとか雰囲気とか、色々な要素があるじゃないか。それについては、出来る限り崩してほしくないものだけれどね。こういうのは或いは『当たり前』とでも言うのかな。 「そうよ、あなた。これ以上話をごちゃ混ぜにしてもいけない。きっと、ストライガーさんはそう言っている」  秋穂もそんなことを言い出した。  さっきまで真っ向勝負と言わんばかりに、ストライガーと対抗していたのは誰のことだったかな。  なんて、そんなことを言ってしまうときっとさらに話が絡まってしまうことだろう。とどのつまり、話をこれ以上かき乱さないためにも僕はその言いたいことを心の内に潜めておくしかない――ってことになる。 「……分かった。とにかく向かおう。準備は出来ているか、一花?」 「うん。お父さん」  一花は僕の言葉を聞いて、はっきりと頷いた。  ほんとうによく出来た娘だと思う。父親として誇りに思うと同時に、ここまで育てた本来の『風間修一』は人格者だったのだと悟ることができる。 「さあ、向かいましょうか。戦場へ」  そして、僕たちはストライガーの言葉に従う形で、戦場となる場所へと向かうのだった。  ◇◇◇ 「どうやら、ジャパニアの蛮族は準備を進めているようですな」  月夜に照らされたとある一室。フェリックスがオール・アイに語りかけていた。  オール・アイは今夜も祈りを捧げている。その祈りが預言に繋がることはフェリックスを含め、神殿協会のほとんどの人間が知っていた。だからこそそれを無理に邪魔をしない。だから今の言葉も、重要なことではあるのだが、あくまで独り言の体で話をしなければならない。  しかし、そういう不利益がありながらも、オール・アイの預言が無ければ神殿協会がこれほどまで強固な組織にならなかったことも事実だ。 「ミティカは如何なさいましょうか。オリジナルフォーズの『リセットプログラム』を聞いて困惑しているようでしたが。……まあ、そう思うのも致し方ありませんね。実際、我々の生死に直接関わるものだ。ミティカはひどくあなたに陶酔していましたから、殊更驚いたのかもしれません」  なおも、オール・アイは反応しなかった。  フェリックスはそれを当然のように思っていたから、別に機嫌を損ねる事は無い。それは彼にとってルーチンめいたことと言っても過言では無かったからだ。実際の所、彼がどう嘆こうともそれは世界の意思には関係の無い話。 「……ミティカは、処分すべきかと思いますが。ぜひあなたの御言葉をお聞かせ願いたいものです」  独り言を投げるだけの時間が続く。  オール・アイは一切反応しないためか、フェリックスの寂しさが際立つ。 「ミティカ枢機卿の力は常々大きくなってきていると感じています。それに、あなたへの信仰心も増してきています。後者に対しては、この状況では都合が良すぎるほど素晴らしいことではありますが……。問題は、それからです。彼女は力を付けすぎた。彼女は問題ないかもしれないが、彼女の周りがあなたに危害を加える可能性もあるかもしれない。残念ながら、それは否定出来ないのが現状です。それについては如何なさいましょうか」 「……、」  オール・アイは漸く動き出した。  それと同時にフェリックスは慌てて跪く。 「……おお、オール・アイ様。どうなさったか。急に動くなどして……。もしかして、ミティカ枢機卿への罰を決めたと?」 「ミティカ枢機卿はまだ使える。だからそのままにしておくといい。ただし取り巻きは邪魔だ。あれは彼女の良さを曇らせる。そんな存在ならば要らない。必要ない。ならばどうするか?」 「……どうなさるおつもりですか」  フェリックスはオール・アイが何を言い出すのかさっぱり検討がつかなかった。だからこのような問いかけに問いかけで返すような感じになっているのだが、寧ろオール・アイはそれを狙っているためか、気にも留めなかった。 「……懐柔するのですよ。私が嫌いな人間なら難しい話かもしれませんが、ミティカはとっくに私の考えを理解し、同調しようとしている。であるならば懐柔は容易でしょう。それこそ、赤子の手を捻るように」 「赤子の……なんですって?」 「そういう例えですよ。実際にはやりません。それくらい簡単な話です、ということですよ。そのミティカを我々の勢力に引き抜くのは」  たまにフェリックスは考えていた。オール・アイは素晴らしい預言を口に出すが、それ以外の思考は常人のそれではない、と。  もちろん、オール・アイを人間だと認識しているのは殆ど居ないだろう。その誰もが、少なからず人間ではない別の存在だろうと曖昧な考えを持っていた。  とはいえ、オール・アイの持つ預言の力は求心力に適していると言えよう。いずれにせよ、彼女がそれを望もうが望むまいが人は集まるし物も集まる。彼女の力をうまく使ってやろうと考える人間もたくさん出てくることだろう。  フェリックスもその一人だった。決して彼は欲望を表に出すことはない。だからこそ権力争いではダークホースと呼ばれるわけだ。  とどのつまり、誰も気にしない存在。  それがフェリックスだった。  しかしながら彼が内に秘めたる想い、それは途轍もなく大きく、人一人で叶えられるものではない。  だから彼は好機を伺っていた。神殿協会で枢機卿という立場になっても、彼はじっとその好機を見ていた。いつになればその機会がやってくるのか、とじっくり待ち続けていた。  そして今、彼は最大の好機を目の前にしていた。 「フェリックス、どうなさいましたか?」  フェリックスはオール・アイの言葉を聞いて我に返る。彼としてはその僅かな間ではあったものの失態を見せてしまったため、どう取り繕うべきか画策していたのだが……。 「まあ、あなたも疲れている時もあるのでしょう。致し方ありませんし、それを苛めることもありませんよ。ただ、気をつけてくださいね」 「かたじけない」  何とか危機は免れたようだ。そう思いフェリックスは心の中でほっと溜息を吐いた。 「……それにしても、ミティカはかなり問題ですね。彼女はとても素晴らしいと思いますけれど、問題はその取り巻き。厄介ですねえ、ああいう存在は良い存在を悪くしかねない。まさかこんなところにいやしないとは思いますが……、しかして油断は出来ませんからね。やはり注視していかねばならないでしょう」 「オール・アイ。その……『注視』とは具体的に何をするつもりだ?」  それを聞いたオール・アイはニヤリと笑みを浮かべた。  不気味で、妖艶で、子供っぽくて、悲しげのあるその表情はほんとうに人間らしい。 「簡単なことですよ、取り巻きを完全に消し去る。それも完全に、ね。彼女には必要ない存在ですから。あなただってそれも理解しているはずでしょう?」  消し去る。  きっとその言葉の意味は、文字通りの意味なのだろう。例えば言葉はそうであっても実際には行動しない――正確に言えば行動には示さない言葉も、少なくないはずだ。  では、オール・アイはそのパターンか? と言われると話は違う。それはフェリックスも十分理解しているからだ。  だからフェリックスは、オール・アイには逆らわない。  それどころか、フェリックスは自分よりも強い存在には基本的に逆らわない。それが彼のモットーであり、スタンスだった。普通の人間だってそうするかもしれないが、それはフェリックスがフェリックスたる所以。彼がこの立場に立つことが出来たのも、多くのライバルが傷つき倒れていったからだ。そしてその争いの中で、いわゆるダークホースとして君臨出来たのも、それが理由だと言えるだろう。 「……フェリックス。あなたは私を裏切らないとは思いますが。大丈夫でしょうね?」  オール・アイは唐突にそんな質問をしてきた。 「大丈夫ですよ。何も問題ありません」  言い淀むことなく、フェリックスは答えた。  そうあるべきだと、彼は思っていたからだ。  しかし、フェリックスの身体はその刹那――巨大な剣に貫かれていた。 「……え?」  フェリックスはそのまま倒れ込む。  オール・アイはゆっくりとその身体に近づいて、ゆっくりと身体を落とした。 「あなたは私を信じているかもしれませんが、私はあなたを信じていないのですよ。それくらい理解していることかと思っていましたが……、案外理解していないものですね。歴史の傍観者として、私の使命なのかもしれませんが」 「使命……? 傍観者……? いったい、あなたは何を……」 「だから、簡単な話ですよ」  その声は、聞いたことの無い声だった。  どこか大人びた少年の声にも聞こえた、その声はオール・アイの目の前に立っていた。 「誰だ……! こんなところに入ってこれるのは、僅かな人間しかいないはずだ」  何とかやっとの思いで顔だけ上げて、その存在を見ようとする。  しかし、月の明かりだけで光源を取っているこの部屋では、その顔を見ることは叶わない。 「僕の名前は、そうだね。しる必要も無いと思うよ。だって、それをしったところでどうするというのかな? もう、あなたの命は無いと言っても過言では無いし、それはあなた自身が理解している話だろう?」  語りかけるような口調だったが、確かに彼の命はあと僅かだった。  それはフェリックス自身がよく理解していたことであったし、それを理解したくなかったのも紛れもない事実だろう。  でも、そうであっても。  フェリックスはその事実を曲げたかった。なぜ自分がこんなところで倒れなければならないのか、理解できなかったからだ。 「ま。仕方ないのかな。人間はどうしても高みを目指したくなるよね。それが自分の力量にあっていようが、あってなかろうが。それは関係ない。ただ自分が上に行ければそれでいい。そう思っているのだから、はっきり言って愚問だよね。疑問にもなりゃしない」 「アイン。それは私から告げましょう」 「アイン……?」  フェリックスは遠のく意識の中で、何とかその名前だけを言うことが出来た。  しかし。  その少年はただ笑うだけで、オール・アイの言葉には答えない。 「……アイン」  溜息を吐いて、オール・アイは言った。 「ほんとうは話をしてから……と思いましたが、あなたがそうなら仕方ありません。もう少しプログラムを修正しないとなりませんね」 「……?」  フェリックスはオール・アイの言葉に首を傾げる。  しかし、同時にこれはチャンスだと思った。この機会を逃してはならない。いかにしてこの絶好の機会を有効活用しようか……フェリックスはそんなことを考えていた。  しかしながら、実際には彼のそんな行動は間違っていて、そんなことを考える暇があるのならば態勢を整えるべきだったが、それはもう後の祭り。  刹那、アインの強烈な蹴りがフェリックスの身体に突き刺さった。 「……な……!」  そして、それを皮切りに彼は何度も何度も何度も何度も何度も蹴り続ける。  初めは辛うじて反応していたフェリックスだったが、徐々にその反応も薄れ、やがて何も反応を示さなくなった。 「よしなさい、アイン。もう彼は死んでいます」  それを聞いて、アインはようやく動きを止めた。  にやり、と笑みを浮かべて。 「ああ、そうだったね。申し訳なかった、とでも言えば良いのかな? いずれにせよ、彼は殺す予定だっただろうから、別にタイミングが変わっただけの話だろうし」 「それはそうですが……」  オール・アイはそう言って、ゆっくりとフェリックスの動かなくなった身体を見つめた。 「……それにしても、人間ってほんとうに脆いですよね? 何というか、普通それで死ぬか? って話ですけれど。それでほんとうに、世界を踏破出来ましたね?」 「人間は非力ですが、その分知識があるのですよ。だからこの世界で一番神に近い存在だと言われている。でも、そんな人間でもあるものは未だ手に入れていない。それが……」 「知恵の実、ですか」 「そう。知恵の実。それさえあれば人間は完璧な存在に……そう、神と同じ地位になることすら容易だと言われています。まあ、それを阻止するために私のような存在が居るわけですけれど」 「でも、どうしてそれをしようとしているんだ?」  アインの言葉にオール・アイは首を傾げる。 「なぜ、とは?」 「だって、別にそれをさせようとしたところで、害は無いはずだろ? 一応神の直属とは言ったところで、上司が替わったら施策が変わるのか? 待遇が変わるのか?」 「いいえ、自然の摂理……それに沿った形です。人間という存在が神へと昇華するのは間違っている。だから、我々は我々に沿った神というパッケージをアップデートし続けなければならない。それが私たち『シリーズ』の使命なのですよ。おわかりいただけますか、アイン」 「……シリーズ、ですか。実際の所、その名前は安直過ぎる気がしますよ。どうしてそのような名前になったのですか?」 「なったも何も、それについては仕方ないものだと思うしかありませんよ」  オール・アイはそこでニヒルな笑みを浮かべる。  今までまるで機械のような、愚直な反応しか示すことの無かった彼女だったが、そこでようやく彼女はどこか人間らしい表情を見せるのだった。  オール・アイの言葉を聞くまでも無く、アインはさらに話を続ける。 「いずれにせよ、これからは簡単に行動出来ないように見えるけれど。それはいったいどうやって処理するおつもりですか? オール・アイ……いや、『チェシャ猫』とでも言えばいいでしょうか?」  オール・アイ――チェシャ猫と呼ばれた少女は、それを聞いて微笑む。 「まだ時期は来ていないと思っていましたが……、どうやら私たちが思っている以上に世界は弱りつつあるのかもしれません」 「では、やはり、作戦を続行すると?」 「当然。それが我々の使命ですよ」  チェシャ猫の言葉に、アインは深い溜息を吐く。 「ならば、次の一手は?」 「次の一手?」 「まるで想像していなかったような雰囲気を漂わせているけれど、忘れたとは言わせないよ? ……次に何を起こすか、その預言と呼ばれた能力で探してみればいいじゃないか」 「預言は、実際に予知しているものではないということを知っていてその発言?」 「……さあ、どうでしょうね?」  チェシャ猫は微笑む。  その先に見つめていた未来は、いったい誰が立っているのか――それはチェシャ猫にしか分からない。  ◇◇◇  会議室には、三名の人間が集められていた。僕たちを含めると、六名と言ったところか。いずれも屈強な人間ばかり……かと思っていたがそうではなく、中には秋穂と同じ女性の姿も見受けられた。いったいどういう基準で集められたのだろうか――なんてことを思っていたが。 「お待たせいたしました、皆さん。なんとか集まったので、これから会議を始めたいと思います」  ストライガーの言葉を聞いて、全員がゆっくりと、ただ静かに頷いた。  それを見た僕たちはストライガーから順に用意された椅子へ腰掛けた。  そして全員が椅子に腰掛けたところでストライガーが話を始めようとした――その矢先だった。 「おい、ストライガーさんよお。どうして、そこに居るちび助も会議を見る役割に立っているのか。教えて貰いたいものだね。さすがに今回の戦争には参加しないのだろう?」  そう言ったのは、一番右端。見るからに屈強な格好をした筋骨隆々の男だった。RPGだったら鍛冶か武器防具屋を営んでいそうな風貌だが、そんなことは無いのだろう。たぶん、きっと。  男の言葉は想定の範囲内だったのだろう。僕よりも、一花よりも早く、ストライガーが口を開けた。 「彼女も紛れもない戦闘要員です。そして、今度の戦いで一番注目すべきポジションに立つと言っても過言では無いでしょう。ですから、彼女にも参加して貰いました」 「重要なポジション? このちび助が?」 「ちび助と言わないでください。彼女には風間一花という名前があるのですよ」  ストライガーはそう言って、強い目つきで男を睨み付けた。 「……別に良いけれどよ、俺たち以外の人間はそれを聞いて了承するかね? この時点で批判が出てきているんだ。場合によっては大多数の人間が……」 「あら。さっきから話を聞いていれば、まるで私たちまでその意見に反対しているかのような言い草ですこと」  そこに口を挟んできたのは、真ん中に腰掛けていた女性だった。チャイナドレスを身につけた女性は、足を重ねているようだが、それでも見えてしまうほどのスリットが入っていった。かなりきわどい服装だといえるだろう。何がきわどいかは言わないでおくが。  女性は柔和な笑みを浮かべて、さらに話を続ける。 「主語を大きくして相手を叩くことは良くないことですよ。なにせ、自分が小さく見える。もしその屈強な筋肉がこけおどしと思わせたいならば話は別ですが……」  どうやら彼女はかなり毒舌家のようだ。  聞いているだけでいつその男性の堪忍袋の緒が切れるかヒヤヒヤしてしまう。  女性の話は続く。 「まあ、私も否定こそしませんが気にはなりますね。いったい全体、どうしてその子供を戦線に入れようとしているのですか。それに、風間という名字からして、父親はあなた」  僕を指差して女性は言った。  それについては間違いない。僕は頷く。 「ならば、だとすれば、どうしてこれを止めようとしないのですか。普通の親ならば、こんなことはひどいことだと思うはず。自分の娘を、戦場へ送り届ける? それも、自分も向かう場所で、戦争がどんなものか知らないくせに。それを娘にも押しつける、と。それともそれをはねのけるほどの能力があるならば、話は別ですが」 「もちろんありますよ。聞いてください」  待ってました、と言わんばかりに女性の言葉に答えるストライガー。 「彼女は、神に選ばれた素質を持つ存在ですよ。それはキガクレノミコト……ああっと、あなたたちには木隠と言えば良いですか。ともかく、その存在に認められた存在です。それ即ち、聖女と言っても過言ではありません」  聖女、か。  それにしても一花――いや、もうガラムドと言ってもいいかもしれないが、彼女は神になる前からかなり『奇跡』という名前を冠していたのだな、と思った。いずれにせよ、ガラムドが神になるのはこの『偉大なる戦い』の戦果によるものだろうけれど、今はただの少女だ。  一人の少女に、戦場を経験させるほどこの国はまだ疲弊していない。  きっと国民の殆どはそう思っているに違いないはずだった。  だからこそ、僕の目の前に居る三人の人間はそう思っている、はずだと思っていたが――。 「……神の加護とでも言った感じかね。まあ、使徒の連中が言ったならそれなりの力は持っているということなのだろうな」  言ったのは、筋骨隆々の男だった。案外、男は神という存在を信じているようだった。  そして、それに続けて言ったのはその隣に居る女性。 「まあ、ストライガーがそう言うなら……私たちもそれに従うしか無いようね。別に問題は無いけれど。足手まといにならなければ、それで」 「まあまあ、二人とも。そこまで言う必要は無いでしょう」  そう言ったのは、白い帽子をかぶった女性だった。  つば広の帽子をかぶり、白いワンピースを身にまとった女性は、戦場というよりも花畑や海岸を歩くような清楚なイメージが見受けられた。 「……結局、戦場を制するのは力。あなたたち二人はそう思っているのでしょう? ならばそれで良いではありませんの」 「お前は回復術士(ヒーラー)だから、そういうことを言えるのだろうが……」 「何ですか? 回復術士だから、何か言ってはいけないことでも?」 「そういうことを言っている場合では無いでしょう!」  三人があわや喧嘩を始めるのでは無いか、と思ったタイミングだった。  声を出したのは、紛れもなく、ストライガーだった。  ストライガーの声を聞いて三人は一同に言葉を噤む。  それを確認したところで、彼女は深い溜息を吐き、 「これではこの先が思いやられるというもの。あなたたちはこれからこの世界を救うべく、あの化物……オリジナルフォーズと戦わなくてはならないのですよ。それを理解していますか?」 「ストライガーさんよ、オリジナルフォーズとは言うがな……。どうやって俺たちが立ち向かえば良いんだよ。問題はそこだろ」  それを聞いた僕は首を傾げる。  なぜそんなことを言ったんだ? ここに居る三人は、オリジナルフォーズを倒すために集められたわけでは無いのか? 「確かにそうですね。問題はそこです。あなたたちも知らないこと……それはオリジナルフォーズはどうやって倒すことが出来るのか? 有効な攻撃手段は存在するのか、ということについて……」  ストライガーは立ち上がり、僕たち五人を見つめながら、 「はっきり言って、オリジナルフォーズには弱点はありません」  そう言い放った。  それは希望を持っていた戦士たちにとって、その希望が打ち砕かれたような――そんな状態でもあった。 「そ、それはどういうことよ! だったら、手当たり次第攻撃しろ、と……。そう言いたいわけ?」  チャイナドレスの女性は立ち上がりテーブルを叩く。  慌てる気持ちも分かる。きっと、この三人はオリジナルフォーズに対してあまり情報を開示されていないのだろう。ただこの三人は『強い相手と戦う』としか知らされていないのだろう。  しかし、僕は違う。  オリジナルフォーズの恐怖を知っている。  弱点が無いことを知っている。  その先の未来も知っている。  だからこそ――今の絶望的状況も、どうしようもならないことも分かっていたからこそ、その情報を聞いても冷静でいられたのかもしれない。  ストライガーはチャイナドレスの女性の言葉を制するように、 「リーナ、残念ながらその通りです。グランズ、あなたも落ち着いて。でも……これは変わりようのない事実です。オリジナルフォーズには弱点が存在しません。ですから、有効な攻撃手段が存在しない。ですから、私たちに出来ることは、ただ一つしかありません。倒せないならば……弱体化させて封印させるまで。オリジナルフォーズを封印させることの出来る、現時点でのワイルドカードがあるとすれば? 少しは話を聞く気にもなれたのではないですか?」 「冗談だろ、ほんとうにそんなことを言っているのか」  グランズと呼ばれた男は、完全に諦めモードに入っていた。  何というか、その筋肉は見世物だったのか。そんなことを言ってしまいたくなるが、それを言うと話がこれまで以上にこんがらがるため言わないでおく。  ストライガーはグランズの言葉に続ける。 「私が冗談を言うような人間だとお思いですか?」 「いいや、そんなことは思っていない。だが、だがな……、ちょっと想定外なことが続いただけだ。それで? 聞かせて貰おうじゃ無いか、そのワイルドカードってなんだ?」 「そうよ、私も気になるわ」  グランズの言葉に会わせるように、リーナは言った。  一人、つば広の帽子をかぶった女性は何も答えないまま、ただストライガーを見つめるだけだった。  そして、その期待に応えるようにストライガーは告げる。 「……オリジナルフォーズを封印するための力。それは、彼女が――風間一花が使えます。祈りの力、私はそう言っていますが、その力を使うことでオリジナルフォーズを封印することの出来る力……『奇跡』を起こすことが出来る。私はそう考えているのですよ」 「……奇跡?」  グランズから発せられた言葉は、ストライガーの言葉を信じきれていない、懐疑的なものだった。  やはり、いくら使徒であるストライガーの言葉であっても『奇跡』という単語自体には引っかかるか。まあ、それは当然のことかもしれない。奇跡という単語自体、意味として滅多に起きないことという意味が付与されている。ならば、ストライガーの発言は奇跡を故意に作り出そうということだ。  ストライガーの話は続く。 「きっと私の言葉を聞いて、意味が分からないと思っているのでしょうが、そう思っていただいて構いません。けれど、問題は幾つかあります。その中でも一番なのは……いかにして彼女は奇跡を生み出すのか? ということについてです」  もっとも根幹であり、誰もが気になることを唐突にぶっ込んできた。ストライガー、お前はいったい何を考えているんだ……!  と、一人勝手に緊迫していると、リーナが声をかけた。 「……奇跡を信じるとでも言うのかしら? 仮にもあなたたちはこの国の神と呼ばれる存在だったはず。そんなあなたたちなら、奇跡を作り出すことも容易なはず」 「奇跡を作り出すことも容易……ですか。だったらいいですねえ、だったら」  しかしリーナの言葉にストライガーは臆することなく、ただ呟いただけだった。  それを聞いたリーナは普段と違うと思ったのだろうか、或いはこれは不味い状態だと思ったのだろうか、いずれにせよ、彼女は慌ててその場を取り成した。 「あ、いや! 確かに奇跡を作り出すのは容易とは言ったが、あなたたち自身の存在を否定したつもりはないわよ。それによってあなたたちがどうなるか、それは私たちにも充分理解出来ていることだもの」  持ちつ持たれつ。  まさにその言葉がぴったりといった関係だろうか。  いずれにせよ、この世界においての神と人間の存在及び関係性は理解出来ていないのだけれど、まあ、まだ知らなくていいのかもしれない。知り過ぎるのも良くないし、知らな過ぎるのも良くないけれど、 「……さてと。随分と話が逸れてしまいましたが、話はまだ序盤もいいところです。これからをどうすればよいのか? それについて、話し合わねばなりません。最悪…….我々の末路も占う必要もありましょうから」  末路。  縁起でも無い言葉――とも思えるかもしれないが、今の僕たちにとってその言葉は現実めいた言葉といってもいいだろう。  いずれにせよ、それを理解していた人間がどれほどいただろうか、ということになるのだろうけれど。まあ、間違っている解釈をしている人間は、きっとこの場にはいないだろう。 「……とにかく、この戦争をどうするか、だろう? けれど、さっきストライガー、あんたが言った通り、オリジナルフォーズには弱点が無いんだろ? だったら、こちらから攻撃を与えることなんて出来ない。いや、正確には大量の攻撃をずっと与え続けるしか無い。体力ゲージが可視化でもされてりゃ楽かもしれないが、そんな甘くは無い。いったいどうやって切り抜けるつもりだ?」 「……そりゃあ、決まっていますよ」  そう言って、ストライガーは一花を指差した。 「だから、話を戻す……そう言ったはずでは?」 「何を言っているんだ。まさか、ほんとうに……」 「ええ。その通りですよ。彼女の祈りの力は本物です。それを証明する術ははっきり言ってありませんが……、でも、我々の上位の存在がその力を与えてくださった。それはこの戦争の唯一の打開策と言ってもいいのではないでしょうか?」  その言葉を言って、果たして信じてもらえるのだろうか。  そんなことを考えたが、それは杞憂であると直ぐに感じることになるのだった。 「……まあ、ストライガーはそう言うと聞かないからな。それに、あなたたち使徒に今まで導いていただいた実績もある。そこを俺たちも信じたほうがいいのだろうよ」 「そうですね。確かに、それは一理あります。何だ、筋肉馬鹿かと思っていましたが、案外考えが回るのですね。まあ、伊達にこの会議には呼ばれていませんか」  グランズとリーナはあっさりと和解してしまった。  それはストライガーの作戦に同意したためか?  それはストライガーの地位に逆らえなかったからか?  いいや、それはどちらでも無いだろう。  確定事項は少ないが、今はっきりとしていることで持論を展開していけば、二人ともストライガーに色々と『借り』があるということだ。  だから、その借りを返すために――多少無茶な作戦であっても了承しよう、という考えなのだろう。二人の考えはそう考えていけば、至極納得がいく。  だが、問題は三人目だった。  三人目――リーナの左隣に座っている白いワンピースの女性は、ただこの状況を見つめるだけだった。静観している、とでも言えば良いだろうか。そんな状態だ。だから、僕はひどく不安になっていた。実際、この三人と僕たちは共闘するわけであって、三人の意見は少なくとも合致していなければならないだろう。  では、今、この状態は?  二人は少なくともストライガーの作戦に同意してくれそうだ。しかしながら、三人目の女性――そういえば名前はまだ聞いていなかったか――は、まだどうするか手を倦ねているようにも見える。  それははっきり言ってどっちつかずの状態だし、不安な状態といえるだろう。 「……一つ、よろしいでしょうか」  そんなことを考えていたら、案の定、彼女が質問をしてきた。 「……何でしょうか、メリッサ」  メリッサ。そういう名前なのか。覚えておこう。きっと何かの機会で彼女に出会うこともあるだろう――なんてことは余談だ。あまり考えないほうが良いかもしれないが、しかして名前を覚えておくことは大事なのでそれは仕方ない事だと思う。  それはそれとして、メリッサは笑みを浮かべて、すっと指を差した。  その先にあったのは――僕? 「私はそんなことなんてどうだっていいのですよ。その子供が神の啓示を受けていようと、受けていなかろうと。それが戦争の解決に直結するかしないかは、いざやってみないと分からないのですから。けれど、問題はあなた。誰にも指摘されるまでもなく、誰からも言われるまでも無く、しかしながら自分から話に入ってこようとしないあなた。あなたはいったい何者?」  僕のことを、どうも気にかかっていたようだった。  そう思う彼女の気持ちも十分理解できる。致し方ない事だと思う。  だが、けれど。  結局の所、それは議題のすり替えに過ぎない。  物事の根本的な解決には至っていない。  それをメリッサも理解しているはずだ。けれど、理解していたとしても、それを前に進めることなんてそう簡単にできる話じゃない。  そしてそれもまた、メリッサは理解しているのだろう。  ならば、どうして、回りくどい話から始めたのか? 「……ねえ、あなた、話聞いているの?」  メリッサの言葉を聞いて、僕は我に返る。  けれど、メリッサの言葉に、僕はどう答えればいいのか分からなかった。  それはメリッサの言葉が分からなかったから?  違う。  それはメリッサの言葉を受け入れたくなかったから?  違う。  それはメリッサの言葉を聞いたところで、何も変わらないと察したから?  違う。  では――どうして? 「彼は今回の戦争において、キーパーソンとなる存在と言ってもいいでしょう」  僕の代わりに答えたのはストライガーだった。  ストライガーの言葉に、当然メリッサは首を傾げる。  まるで『そんなこと知ったことでは無い』と言わんばかりに。 「キーパーソン? まさか、この何も知らないような少年に、リーダーを頼むと?」 「ええ。間違っていますか?」 「ええ。大いに間違っているね。それでもやるというならば仕方ないけれど、少なくとも私はこいつをリーダーとは認めない。実力もあるかどうか分からない新参者に」 「おいおい、そんなことを言ったら誰がも新参になるだろう」  ところが、僕をフォローしてくれる存在が居た。  それは、グランズ。まさかそんなことが起きるとは思っていなかったので、どうやって乗り切るべきか考えていたのだが――。 「グランズ、貴様……この男の肩を持つと?」 「別にそういうつもりは無いさ」  期待していた気持ちをばっさりと切り捨てられてしまった。  では、どうして僕をかばったのだろうか。 「俺は傭兵上がりだからかもしれないが、上には従うというのが絶対のルールだ。だから、仮に上が何も知らねえ真っ白な人間だって構わない。それはこちらがルールを教えてやりゃあいいし、だからといって遊ぶことも出来ない。遊ぶ、というのは……簡単に言えば上のルールを無視する、ということだな。それをするとどうなるか、答えは簡単だ。飯が食えなくなる。そういう職業であればあるほど、猶更な」  彼がどういう職業だったのか、それは僕も知らなかった。  ストライガーは知っていたのかもしれないけれど(案外、それを考慮した上での人選だったかもしれないが)、いずれにせよ、僕はこの三人をこれからまとめられるだろうか。はっきり言って、とても不安だ。 「……あなたがそう言うならば、仕方ありませんね」  そして。  案外あっさりとメリッサも納得してしまった。何というか、もっと何かあるのではないだろうか――なんてことも考えたけれど、まあ、それはあまり掘り返さないほうがいいだろう。話がややこしくなると、非常に面倒だ。 「話がまとまったようですね。それじゃ、修一さん。お願いしますね」  ストライガーから強引にバトンを投げられてしまった。  と同時に、グランズたちの目線が僕へと移る。まいったな、注目されるのはあまり得意では無いのだけれど、ほんとうにストライガーも人が悪い……あ、でも彼女は神様に近い存在だったか? だから、人の常識が通用しない、とか。  そんなことを考えつつも、僕はどうにかこの状況を打破しようと思い、ゆっくりと立ち上がった。 「ええと……。はじめまして、でいいのかな。リーダーに任命された、風間修一と言います。名前だけでも覚えておいて……ください」 「そんな弱気でどうするんだよ! もっとしゃきっと話してくれよ」  僕の言葉に活を入れたのはグランズだった。  きっと彼が一番先に文句を言ってくるだろうと思っていたから、それについては若干予想できていた。 「……ええと、まあ、仕方ないと思ってください。僕だって、ずっと前からこの立場に立つことが決まっていたわけではありません。だからそれについてはほんとうに――」 「だから、認めろと? お前が不甲斐ないことで、このジャパニアの人間が全員死ぬ可能性だって十分考えられる。それほどにオリジナルフォーズは強敵だというのに?」 「まあまあ、そう言うことでもないでしょう。確かに彼は何も経験を持っていませんが……」「持っていないならば殊更、どうして彼をリーダーに選任した? きっと使徒の連中がそう決めたのだろうが、とはいっても認められないものは認められないということもあるのではないか? いいや、認めるというよりもなぜ彼にしたのかを教えてほしいのだが」  お前さっき傭兵は上が誰であろうと従うと言ったよな、あれは嘘だったのか。  なんてことを思ったけれど、それを言ったところで知らぬ存ぜぬと言われるところだろう。きっと。 「……もちろん、理由はあります。それは、彼が……」  刹那。  一つの大きな衝撃があった。  先ず始めに大きな横揺れ。次いで、縦揺れ。  地震かと思った。地割れかと思った。 「……これは、いったい!」  大急ぎで僕たちは外に出た。  すると――そこに広がっていたのは、悪夢のような光景。  異形が、僕たちの居る場所をめがけてゆっくりと動き始めていたのだ。  遠くに見えるその姿――それだけでもその異形の巨大さがはっきりと分かる。  そして、僕はその存在が何であるか知っていた。 「まさか……あれがオリジナルフォーズだというのか……!?」  最初に言葉を発したのはグランズだった。 「そうとしか考えられませんね。あの巨大な獣……。あれが神殿協会が生み出した化物だというのですか……! あれを、我々はどうやって倒さねばならないというのか」  次に言ったのはストライガーだった。  グランズがあまりの巨大さに慌てているような口ぶりだったのに対して、彼女は落ち着いている様子に見えた。おおよそある程度想像はついていたのかもしれない。 「いずれにせよ、やるしか無いのでしょう」  風が、吹き始めた。  最初はただの気候の変化かと思っていたが、少ししてそれは僕たちの周囲に吹いているものだと分かった。そして、同時にそれは自然のものではなく誰かが人工的に作り上げた風だ――そう結論づけることが出来た。  そしてその風の中心に居たのは、メリッサだった。 「風を……操る?」 「ふふ。不思議なものですね。ずっと私はこの力を恐れていた。使いたくなかった。いや、使うとみんなが恐れるから、使うのを自ずと拒むようになっていた、とでも言えば良いでしょうか。なぜ私はこんな力を持っていたのか、って思うくらいには、悲観していた時期もありましたね」  メリッサは両手で何かを作り出すような、仕草を見せていた。  そして両手の隙間から――小さい竜巻のようなものが蠢いているのが確認できる。 「それは……」 「あら、お伝えしなかったかしら? 私、魔術師の家系なのよ。式山メリッサ、それが私の名前。ま、別に覚えなくても良いし、覚えていても良いし。それはあなたの自由」  そして彼女の掌の中で大きくなった竜巻を、オリジナルフォーズめがけて投げつけた。  しかしながら、そんな攻撃でダメージを与えられるような存在では無いことは、僕はとっくに知っていた。それが二千年後の未来だということは、きっと誰も信じてくれないだろうけれど。  案の定、撃ち出された竜巻はオリジナルフォーズに届いたものの、そのままオリジナルフォーズの進撃を止めることまでは出来なかった。 「……まあ、こんなもので止められるとは思っていませんよ。力量の確認、そのために撃ち出したまでに過ぎません」  何も言っていないのに、メリッサは言い訳がましくそんなことを言った。  まあ、別にメリッサが魔術師の家系だろうと、そんなことはどうだっていい。寧ろ、二千年後の世界で魔術が発達している理由が納得できたくらいだ。  メリッサたちが魔術をこの戦争で使うことによって、自衛のために魔術を学びはじめ、やがて素質のある人間が多く出てきて、魔術がデファクトスタンダードになった。大方そういう感じなのかもしれない。  続いて攻撃準備に移ったのはリーナだった。 「ったく、魔術の家系というからどういうものかと思っていたけれど」  チャキ、と金属が擦り合ったような、そんな音がした。  リーナが持っていたのは散弾銃(ショットガン)だった。多数の弾丸を散開発射する銃――とでも言えば良いかもしれないが、具体的に本物を見たことは無かった。  だから、僕がそれを見たとき――いったいどこから持ち込んできたのか、疑問を抱いていた。当然かもしれない。実際、会議の場では彼女は散弾銃や、それが入るだろうケースを持ち歩いていなかった。もしかしたらどこかに仕舞っていたのかもしれないけれど。 「ねえ、リーダー。撃ってもいいかい?」  準備をしつつ、リーナは僕に問いかける。 「許可を僕に求める、と?」 「どういう経緯であれ、あんたがリーダーだ。だとすればあんたに許可を求めるのは当然のこと。戦場の状態によっては闇雲に攻撃したところで意味が無いことだって十分有り得ることだからね。……で、どうするんだい? あのオリジナルフォーズとやらに攻撃をしてもいいのかい?」  まるでメリッサが許可を求めずにそのまま特攻したから、失敗したのは当たり前だ――と言っているようだった。  そしてメリッサも何となくそれを理解しているのだろうか。僕とリーナのほうを見つめて恨めしそうに睨み付けている。睨み付けられたところで、何かが変わるわけではないのだけれど。 「……問題ない」  僕は、そう答えるしか無かった。  それしか選択肢が思い浮かばなかったからだ。 「……では、行くぞ」  そして彼女は構えていた銃を、オリジナルフォーズに撃ち放った。  ◇◇◇  神殿協会。  オール・アイとアインは議事堂に到着していた。 「オール・アイ。まさかあなた様が自らここにやってくるとは……!」  名も無き――正確には名前も知らない神父たちが彼女を出迎える。 「ええ。今日は大事なことをお伝えしに来たものですから」 そう言ってオール・アイは議事堂へと入っていく。  後を追いかけるアインは鼻歌を歌いながら、オール・アイへと近づく。 「それにしても、巧い猫の被りようだね。どこで習ったの?」 「人間と長く生活を共にしていると、そういう要らないようで要る知識も身についてくるものですよ」 「そういうものかね」  アインはオール・アイの発言を鼻で笑いながら、流した。  対してオール・アイもアインに自分の発言が笑われたところで臆することは無かった。 「……ええ、そういうものですよ。人間というものは、かくも愚かな存在です。ですが、彼らはこの惑星でトップに立っている。人間は弱い存在ですが、それを補う知能があった。でも……もう人間は増えすぎてしまった。だから、どうにかして減らしていかないと」 「それは、一万年前の昔にもあったことだったと記憶しているけれど?」  アインは不敵な笑みを浮かべながら、そのまま歩いていく。  何人か神殿協会の神父やシスターとすれ違うこともあるが、誰もオール・アイにだけ反応し、アインには一切反応をしなかった。  そんな神父やシスターを振り返って見つめながら、彼は小さく溜息を吐く。 「それにしても、面白いよねえ。こんな簡単な認識阻害で見えなくなっちゃうんだから。これで『知能がある』って笑っちゃう話だよ。いや、でもこれは認識阻害というよりもレイヤーを一つ上にした、とでも言えば良いのかなあ? まあ、理解して貰おうとは思わないけれど」 「アイン。話をしすぎることも良くないと思うわよ? それに、あなたの話は今誰も聞こえないし、誰も理解できない。それを理解した上で話しているならば、それはまた別の話だけれど」  アインとオール・アイの会話は、そのまま続いた。 「それにしても……。どうして人間はここまで平和ぼけしているんだい? だって、もう戦争が起きているのだろう。ならば戦うべく力を合わせようとしても、或いはそうでなかったとしても、もう少し感情が浮き足立っても良い気がするけれど」 「それが人間の悪いところだと思いますよ。それに、この神殿は神のために祈り、神のために生きる人間が集う場所。戦争をしようなど思いもしませんでしょう。まあ、それが神の御言葉によるものだと直ぐに理解するのかもしれませんが」 「オール・アイが作った、偽りの御言葉だろう?」  シニカルに笑みを浮かべつつ、アインは言った。  オール・アイの御言葉――それはすっかり神のそれと同義になってしまっており、神殿協会の殆どの人間は、すっかりそれを信じ切ってしまっていた。だからこそ、オール・アイはそれにつけ込んだ。  オール・アイはこの神殿協会をバックに、いつ終末計画を遂行しようかと考えていた。  終末計画。  それは、この世界に増えすぎた動物を一度リセットするという漠然とした計画。  しかしながら今まで人間はその計画の存在を知らず、流れるように死に、そして生き続けてきた。  それは今だってそうだ。  そしてその計画を遂行していたのは、オール・アイ。  正確に言えば、終末をもたらすべく、人間をうまく操っていたのがオール・アイだった。 「さて……それでははじめましょうか」  神父の一人に説明を終えたオール・アイは、議事堂のテラスに立っていた。  そこから見える景色には、公園が広がっている。  そしてその公園には、至る所に人間がいて、彼らは皆オール・アイの御言葉を聞くべく待っていた。  オール・アイの御言葉。  それは神の言葉だった。  そしてそれは一般市民にも知れ渡っている事実だと言えるだろう。  だから彼らはオール・アイの御言葉を聞くために、仕事中であろうとも、授業中であろうとも、やってきているのだ。  これから――オール・アイが何を彼らに告げるかも、分からないはずなのに。  仮に分かっていたところでそれに背くことは考えられなかった。  オール・アイの計画は既にそこまで進んでいる。  オール・アイ自身、そう思っていたからだ。 「……皆様、お集まりいただきありがとうございます」  先ずは普通の挨拶から。 「今から私がお話しするのは、いつも通り、神の御言葉となります。普段ならば、枢機卿がお伝えすることになるのでしょうが……、今回は彼らではなく私自らが話をいたします」  それを聞いてざわつく群衆。  当然だろう。普段話をしているのは、オール・アイが言った通り枢機卿の面々だ。だからオール・アイを見たことの無い人間が殆どだ。だからいったい誰なのだろうか、なんてことを思っていたが――それを聞いて彼女がオール・アイであるということを確信したと言えるだろう。  さらに彼女の話は続く。 「私の話は、そう長いものではありません。ですが、とても重要なお話です。ですから枢機卿へ伝えるのでは無く、私の口から直接お話しさせていただこうと……、そう思っているのです。何をお伝えするか? それは簡単な話、神の御言葉。崇高なる神、ドグ様の御言葉です」  ドグの言葉など、もう聞こえるものではない。  いや、正確に言えば、ドグという神は存在しなかった。  この世界の神はすべて創造神たるムーンリットだけとなっており、あとはすべて机上の空論で存在しているだけに過ぎない。要するに、ドグという神も誰か気が触れた人間があるとき言い放った想像上の存在に過ぎず、結局の所その名前を借りているだけに過ぎない。  想像から生み出された存在が、数十万人もの信者を生み出しているのだから、人間の世界とはかくも面白いものだと、オール・アイは思っていた。  今のオール・アイにとってみればそれはとても都合の良い存在だとしか認識していないのかもしれないが。 「……審判の時が、ついにやってきました。私たちは、神の居る場所……『神界』へと向かうことが許されたのです」  そうして、オール・アイは言葉を紡ぎはじめた。  終末計画、その始動を合図する第一段階。  神殿協会から、その計画は始まっていく。 「審判の時、ってまさか……」  先程以上に騒ぎ立てる群衆。そう思うのも仕方ないものだろう。  審判の時。それは神殿協会の教典にも記されている、最終の時。  人間は生まれたときから、神の世界――神界に暮らしていた。しかしながら、神界に暮らしていた人間はあるときこの世界へと追放された。  それが『現罪』であり、人間が永遠に背負う罪であった。  しかしながら、その罪が許されるタイミングがたった一度だけ存在していた。  それは、この世界の――人間達が生きてる世界の消失。  人間が神界から追放され、そして追放された後の世界も消失するというのならば、その罪を許す機会を与えようでは無いか、ということだった。  それが、教典に記されている『審判の時』だった。 「……我々は審判の時まで生き抜くことが出来ました。そしてそのタイミングこそ、私たちが人間ではなく別の存在へと……神となる瞬間といえるのでは無いでしょうか」  ざわつく群衆。もうその騒ぎを収めることは出来ないだろう。  群衆の一人が、大きく声を出した。 「じゃあ、我々はどうやってドグ様の御座へと向かうことが出来るのですか!」  オール・アイはその言葉を待ってました、と言わんばかりに一笑に付す。  一拍おいて、オール・アイは言い放った。 「それは単純な話です。この世界で使っている身体から自らの魂を解き放つこと。それはこの世界での『死』を意味します。死は恐ろしいことでしょうか? いいえ、そんなことは有り得ません。死は新しい世界への移動を意味します。この世界から、別の世界へと向かうために……我々は今!」  オール・アイは両手を掲げ――ゆっくりと、しかしながらはっきりと言い切った。 「この世界から、自らの魂を解放するのです!」  オール・アイの言葉を聞いた直後、さすがに人々は沈黙した。  とはいえ、オール・アイの言葉を疑う人間はただ一人として居なかった。  人々は皆、審判の時を待ちかねていたのだから。  だから、次に人々がとった行動は――歓喜の声だった。  地鳴りを引き起こすほどの歓声だった。 「ついに我々は救われるのですね!」 「我々は、この汚れた世界から旅立つ時がやってきたというのだ!」  それを見たオール・アイは、詠唱を開始する。  その詠唱は、プログラムの最初の行動。  その詠唱は、長い目で見ればこの世界の為になること。 「……さあ、皆さん。一緒に死んで、神になりましょう」  そして、彼らは気付かなかった。  彼らの上空には、巨大な火球が浮かんでいるということに。  彼らはそれに気付くこと無く――そのまま火球に飲み込まれていった。 「ううう!」「助けて!」「いいや、このまま居るといいんだ」「神になる!」「ドグ様の場所へ行ける!」「この世界から消えることが出来る」「審判の時を迎えることが出来るなんて、幸せだ……!」  そんな怨嗟にも似た声が響き、やがて火球は消えた。  火球は骨すらも燃やし尽くし、そこには焦げ跡のみが残るのみだった。 「……一先ず、これで第一段階が終わったという感じかな?」  アインの言葉にオール・アイは頷く。  そしてその焦げ跡を流し、その場を後にした。  それからは、あまりにも簡単で単純な出来事だった。  火球は幾つも生み出され、議事堂はあっという間に火の海と化した。そして人々は逃げ果せると思ったのか周囲にちりぢりになるが、それをオール・アイが許すはずも無かった。。 「簡単に、神から逃れることができると思っていたのですか? だとすれば滑稽ですねえ、滑稽、無粋、あるいは欺瞞とでも言えば良いですか。結局のところ、あなたたちは審判の時を待っていたのでしょう? それを受け入れると教典に書いてあったじゃないですか。とどのつまり、その意味は――」  オール・アイはすらすらと、まるで呪文を詠唱するかのごとく話した。  目の前に居る人間たちはただ怯えるだけで、きっと話など理解できていないだろう。  だが、そんなことはオール・アイには関係ない。 「……怯えることで、祈りを、命を、救って貰おうと? だとすればそれは滑稽ですねえ! いやはや、ほんとうに面白い。ずっと隠し通していたからこれを隠さずに急に表にさらけ出したときの皆の驚きよう! ほんとう、何度経験してもこの恍惚感は誰にも味わうことは出来ないでしょう」 「騙していたのね……!」  やがて、名も無き市民の一人がオール・アイの言葉に反抗した。  しかし、オール・アイはそれを知らぬ風で首を傾げ、 「だとすれば、どうだと? わたしはきちんと能力を示しただけ。そうしたら、勝手にあなたたちが神の力だと崇め奉っただけ。ただ、それだけの話ではありませんか。……つまり、あなたたちは私を信じた時点で、ゲームオーバー。それにただ気付かなかっただけですよ。ま、そのおかげで私はプログラムを実行することが出来ましたがね」 「プログラム……?」 「教えて欲しいですか?」  オール・アイの目の前に居る女性は、気がつけばオール・アイに対する恐怖よりもその探究心が勝ってしまったのか、警戒を解きつつ話を続けた。  それにオール・アイは気付いていたのか気付かなかったのか、敢えて話を続けた。 「……この世界には、人間があまりにも増えすぎてしまったのですよ。だから、それをどうにかするべく私は、神の御言葉をいただいたということ」 「どういうこと……?」 「いつかきっと、私のやることを止めようとする人間がその力を身につけることでしょう。しかし、それはただのプログラムに過ぎない。人間が正しく生命を使うために、私たちはその管理をしているだけに過ぎないのだから。やがて、それを間違っていると思う人間が現れたところで、それは人間のエゴイズムにすぎない。人間は、誰にその生命を作られたのか。それをとっくに忘れてしまった、ということですよ」  エゴイズム。  人間の生命。  オール・アイはそう言って、難しい言葉で女性を捲し立てた。  当然ながら、女性はその言葉の意味を理解できやしない。  けれど、オール・アイにはそんなこと関係なかった。  たとえ理解出来ようが出来まいが、女性が知りたいと言っている事実には素直に答えてあげようとしていた。ただそれだけのことなのだから。 「……いったい、何を言いたいの。あなたたちは……何がしたいの……!」 「人間が、正しい道を進めるか否か。ただそれだけの話」  オール・アイはそれしか言わなかった。  そのあとは踵を返して、議事堂を後にするだけだった。  一人生き残った女性はそのまま呆然とした様子で、オール・アイを見送っていく。  ◇◇◇ 「……にしても、あれで良かったのかい?」 「というと。どういうことですか」  議事堂を後にしたオール・アイは、アインからの言葉を聞いて首を傾げる。  燃えさかる議事堂では、今は火を消すためにすべての人間がかり出されていることだろう。しかしながら、今そこにはその原因を作り出した張本人は居ない。とうのとっくにどこかに消えてしまっているのだから。 「だって、一人残してしまっているのでしょう。ということは、相手が誰であるか彼女が説明できてしまう。もし、説明できてしまったら……」 「それは無理でしょう。アイン、あなたは人間の『恐怖』というものを少しばかり誤解しているようですね」 「誤解?」 「ええ。人間とは、かくも恐怖を覚える生き物です。一度力を見せつけてしまえば、その恐怖の源に再度興味を示すことはあっても、接触することはありません。否、正確に言えば接触を試みることはありません、と言えば良いでしょうか。いずれにせよ、人間はそう簡単に私の所業まで辿り着くことはできませんよ」  鼻歌を歌いながら、まるで新しいオモチャを買い与えられた子供のように、楽しげに歩くオール・アイ。  そして、二人はそのまま議事堂から姿を消した。  ◇◇◇  僕たちは今、オリジナルフォーズの圧倒的な力を目の当たりにしていた。  まだオリジナルフォーズはジャパニアに到着していない。にもかかわらず、そのどこか遠くから撃ち放たれた一撃は、ジャパニアの半分を壊滅へと追いやった。  いや、それだけではない。その攻撃は地殻を刺激したためか、先程から地響きが止まらない。  ストライガーからの情報によれば、この惑星のマントルまで攻撃が到達し、このままでは惑星が幾つかに分裂する可能性が非常に高いとのことだった。  でも、それは僕たちでは抗うことの出来ない事実であるということも、同時に知らされた。 「……生憎、何とか惑星が分裂しても何とかそれぞれの惑星は軌道上に乗ることが出来る。そう考えられていますが……、しかしながら今まで一つの星で暮らしてきた皆さんと別れる必要が出てくるのもまた、事実です」 「ストライガー。いったい何を言っている!? 星の分裂、だと! そんなこと、信じられるはずが……」  言ったのはメリッサだった。  結局、三人居たリーダーもオリジナルフォーズが放った一撃で傷つき倒れてしまった。 「メリッサ。あなただけでも……生き残ってくれて、ほんとうに良かった。あなたも倒れてしまっていたら、私たちはほんとうにどうすれば良いのかと……」 「そんなおべっかを垂れても、今の状況は何も代わりはしない。問題は……そうね。とにかく、この危機的状況をどうやって乗り切るか。それが一番重要とは思わないかしら?」  メリッサはこんな状況でも冷静だった。  ストライガーですら、この状況は想定外だったのか焦りを隠しきれていないというのに。  いったいこの余裕はどこからやってくるのだろうか? はっきり言って、想像が出来ない。  もしかしたらその可憐な見た目とは裏腹に、波瀾万丈な人生を送ってきたのかもしれない。このような状況で無ければ、話を聞きたいところではあるが――それは今、忘れておいたほうがいいだろう。  それはそれとして。 「……それにしても、あの巨大な獣をどう対処すれば良いという訳? いくらなんでも、規格外としか言い様がない。あの獣をどうするか……、今の私たちには、それに対する術が見当たらない。それは先程の攻撃を見ても明らかでしょう?」  そう。そうだった。  さっき、メリッサたちは各々の攻撃をオリジナルフォーズに与えたばかりだった。そして、その攻撃はオリジナルフォーズが一切反応しないものであることもまた、目の当たりにしたばかりだった。  人間が小さい羽虫に刺されたところで、気にはとめるかもしれないが、それを本気に殺意や敵意へと変えることは少ない。要はそのような状態だった。 「オリジナルフォーズ。まさかあれほどの強さだったとは……。さすがにそこまでは想像出来ませんでした。そして、それは私たちの計画の失敗と言っても過言では無い。明らかに失敗でした。ほんとうに、ほんとうに……」 「今はそんな失敗を悔やんでいる場合じゃありませんよ」  僕は、やっとそこで発言をすることが出来た。  押さえつけられていたわけでは無い。どうすればいいかずっと考えていて、結果的に自らの意見を押さえつけていたのだ。 「……じゃあ、どうすれば良いと思う?」  メリッサは僕に問いかける。  メリッサは僕を睨み付けて、さらに話を続けた。  睨み付ける、というよりは、どちらかといえば舐めるように眺めていた、と言ったほうが正しいのかもしれないけれど。 「それは……」  直ぐには、答えが出てこなかった。  ずっと僕は考えていたのに。  ずっと僕は――どうすればいいか悩んでいたのに。  直ぐに答えが出ないことに呆れてしまったのか、メリッサは深い溜息を吐く。 「少しは期待していたけれど、どうやら間違いだったようね。ほんとうに、リーダーシップの無いこと。どうしてキガクレノミコトや使徒の面々があなたをリーダーに任命したのかしら。もしかして、あなたが腰に携えているその古くさい剣を使うに値する人間と思われたから? だとすれば、ほとほと呆れる。使徒の考えが間違っているとは言わない。けれど、あなたは、せめて少しくらい頑張ったらどうなの?」  期待に応えろ。  メリッサは僕にそう言っているようだった。  確かに、その通りだ。僕はただやってくれないかと言われて、ただそのまま頷いただけに過ぎない。それが剣の試練だということを理解していたから。これをクリアすれば試練をクリアするに等しいと思っていたから。  要するに、ゲームと同じ感覚。  そういう感覚に、僕はとっくに陥っていた。 「あなたがどういう思いでこの戦いに挑んでいるのか、それは分からない。けれど、あなたの選択が世界を生かすか殺すか。それを決めることになる。それくらいは、理解して貰わないと困るわよ」  メリッサはそう言って、踵を返すと、僕たちから離れていく。 「待ちなさい、メリッサ。戦闘において敵前逃亡は認められていない」 「何を呑気なことを。ちょっと休憩に行くだけよ。それに、オリジナルフォーズはあれほど遠い距離に居るけれど、実際は私たちに甚大な被害を与えるほどのダメージを出すことが出来る。それに対して、私たちは何が出来るかしら? 何も出来やしない。バリアすら張ることも出来ない。ならば、来たるべき時に備えて力を蓄えておく。それが一番、って話。ま、結局の所、それを理解できずにあの二人はくたばったわけだけれど」  早口でそう捲し立てるように言って、メリッサは僕たちの前から姿を消した。  僕は、どうすれば良いのか分からなかった。  どのようにこの戦争を終わらせれば良いのか、分からなかった。 「風間修一。あなたは、少し気負いすぎです」  ストライガーの言葉を聞いて、僕はそちらを向く。  ストライガーは真っ直ぐ僕を見つめながら、話し始めた。 「あなたは確かにこの戦いのリーダーです。リーダーということは、まとめ上げなくては為りません。戦う人数は少ないし、その人たちもそう簡単にはあなたに従うこともないでしょおう。けれど、それをいかにして従わせるか。それがあなたの考える道ではありませんか? 確かに、難しいことかもしれません。ですが……、それを乗り越えて欲しいのです」 「それは……分かっているけれど、」  分かっている。  分かっている話ではあるが、そうであっても、僕はいかにして乗り切れば良いかということを考えられなかった。  キャパシティオーバー。  とどのつまり、自分の処理出来る限界をとうの昔に突破していた、ということだ。  とはいってもそれで済むはずが無いのが、今の状態。 「……少し、考えたほうが良いかもしれませんね。いや、或いはリフレッシュとでも言えば良いでしょうか」  そうして、ストライガーは遠くを指差した。  その方向は、オリジナルフォーズを正確に捉えていた。 「予測では、オリジナルフォーズがやってくるまであと十四時間余りです。となると、明日の昼前が勝負。その時間になれば、オリジナルフォーズがジャパニアに上陸し、本土決戦とでも言えば良いですか、その状態になります。そして私たちはそこに達するまで有効な攻撃を与えることが出来ない。となると、それまでにジャパニアの人間を避難させて、戦う準備を整えなくては為りません。……だから、休めるのはその時間だけ」 「ストライガー、君はいったい何を……」 「今の状態では、あなたを含め十分な状態で戦うことは出来ない。そう言っているのですよ」  そして、それを合図として。  ジャパニア軍はオリジナルフォーズの上陸までの十四時間を休憩時間に充てるのだった。  もちろん、ただの休憩では無い。いつ戦いが始まっても良いように、十分な準備を整える必要もあった。  夜。  あっという間に晩餐の時間となった僕たちは、広い食堂で電気を点けずに食事を取っていた。食事も簡素なもので、乾パンと二種類の肉と魚の缶詰がそれぞれ一人ずつ配られている状態だ。別にそんなことはしなくてもいいのだけれど、これからの状態を考えるとこれは当然の選択だ――けれど、それは多くの人間を疑心暗鬼にさせてしまうことにも繋がるため、表裏一体の問題だと言えた。 「……仕方ないけれど、やっぱり物足りないよね」  秋穂の言葉に、僕はただ頷くことしか出来なかった。  仕方ない――なんて言えなかったけれど、結局の所はそれを肯定することしか出来ない。 「ねえ、修一。この戦いはどれくらいで終わるの?」  ちょうど食事を食べ終えたタイミングで、秋穂は僕にそう問いかけた。  秋穂は不安になっている。そしてそれは僕も十分理解している。  僕は――秋穂の大切な存在として、秋穂の不安をできる限り取り除きたかった。  本来なら、不安を取り除くために、直ぐに戦いは終わるなんてことを言えばいいのかもしれない。  けれど、その発言はあまりにも無責任だ。戦闘の最前線で戦っているにもかかわらず、いつまでこの戦いが続くか明らかになっていない状況にもかかわらず、希望的観測だけでそれを告げるのはあまりにも無責任だ。 「この戦いは……」 「終わるよ!」  僕の言葉を遮るように、そう言い切ったのは一花だった。  一花を見ると、自信満々といった感じの笑みを浮かべていた。  いったい彼女の中で何が自信となっているのか定かでは無いけれど、いずれにせよ、その言葉は秋穂の不安を少しでも解消出来たのかもしれない。 「ありがとう、一花」  秋穂は一花の頭を撫でて、ゆっくりと微笑んだ。  ――だが、平和はそう長く続くことは無かった。  ◇◇◇  朝。  地獄が僕らを待ち構えていた。  オリジナルフォーズがやってくるのは、確かにストライガーが予想していたとおりの時間帯だった。だからそれに併せて、僕たちは応戦準備を整えている状態となっている。  はっきり言って、それは焼け石に水――誰もがそんなことを思っていたに違いない。けれど、それはそのままにしておくべきだったのではないかと誰しも察してしまうのだった。  今、オリジナルフォーズはジャパニアの目の前まで侵攻を進めている。  そして、オリジナルフォーズの背後にはその躯に似つかわしくない、七色の橋がかかっていた。 「あれは……虹?」  オリジナルフォーズの背後には、大きな虹がかかっていた。  でも、普通に考えてみればおかしなことだらけだったのは、自ずと理解できている。だって、虹は雨が降った後に晴れることで、空気中の雨粒に光が反射することで起きる事象だった――はずだ。プリズムかなんかだったっけ。まあ、それは今あまり気にする話では無いかもしれない。  問題は、そこでは無い。  どうしてオリジナルフォーズの背後に、巨大な虹があるのか、ということ。  そして、その虹を見ると胸騒ぎを覚えるのはどうしてなのか――僕はそんなことを考えていた。  そして。  その胸騒ぎは、的中してはいけない嫌な予感は。  その直後に的中してしまうのだった。  オリジナルフォーズは雄叫びを上げる。まるで僕たちの攻撃を待ち構えるかのように。  僕たちはそれを聞いて、同時に攻撃を開始する。ジャパニアの砦、アンドー砦にはたくさんの砲台が用意されていた。もともと砲台が用意されていたわけでは無く、今回の戦いに備えて長きにわたって準備していたもの……というわけでも無いらしい。  そもそもの話、この世界は長い間戦争に見舞われてきた。ジャパニアだけは独自の文化が築かれていたこと、そして戦争を今のスタイルに仕立て上げたといわれる科学技術があったことから、他の国から避けられ続けていた。  それが功を奏したのか、この砲台が使われることは、今まで一度も無かった。  たった、一度も。 「まさか、この砲台を使う機会がやってくるとは思いもしませんでしたよ」  ストライガーはそう言って深い溜息を吐く。  確かに彼女はそう思っていたのかもしれない。そしてそれは、本心だったのだろう。  出来ることならば戦争は経験したくない。それは誰しも考える話だ。しかしながら、この時代では戦争はいつ起きてもおかしくない膠着した状態が続いている世界だった。  だからこそ、かもしれないが――普通、そのような戦闘準備を用意しておくのは珍しい話では無い。  しかしながら、そのように準備しておいたものを実際に長らく使用しなかったケースは、きっとジャパニアが初のことだろう。 「でも、使うときはあったんじゃないのか? いつだって、戦争をしてもおかしくない状態だったはず」 「それはそれ、これはこれ……ですよ」  ストライガーは目を細め、砲台の先に居るオリジナルフォーズを見つめた。  オリジナルフォーズは雄叫びを上げてもなお、その場に立ち尽くしていた。まるで僕たちの行動を監視しているかのごとく。  とはいえ、何も行動してこないのは怖さ半分、ありがたさ半分でもあった。準備を進めていく上で、こちらが追いかけられないほどの追撃をかましてくるよりかはマシだ。 「とはいったところで、この戦争は避けられなかったもの……だったのでしょうかね」 「ストライガー?」 「ああ、いえ。つい、弱いところを出してしまいましたね。申し訳ない、情けない、話ですよ。人間が人間として活動していく上で、重要なもの。私はそれを持つ『神』ですからね」 「人間が……人間として?」 「何だと思います?」  こんな状況にもかかわらず、ストライガーは僕に質問してきた。  むしろこういう状況だったからこそ、ストライガーは僕に質問してきたのかもしれない。  緊迫しつつある状況は、人間の感情をも操る。いや、別に緊迫しつつある状態でなくても構わない。そうであったとしても、濃い意識を持つ状況は、人間の感情にも溶け込んでいく。 「……ああ、わかった」  ストライガーが、目の前の存在が、神とは思わない理由。  それは僕が知っているもので、一番理解していて、一番理解しづらいものだった。 「感情……だな?」 「……ええ、そうです」  やがて、ストライガーはゆっくりと頷いた。  そしてストライガーは、僕が質問するまでもなく、ゆっくりと話し始めた。 「……私は、人間でした。人間だったんですよ。でも、神になると言われてどうするべきか悩みました。指摘されたのはたった二つの選択肢だったからです。それも、はいかいいえで答えることの出来るシンプルなものでした」 「シンプルなもの?」 「ええ。人間にとって大事なものを、あなたは捨てたいか? ……普通に考えれば、使徒という存在は人間ではない存在が集まる。いや、そもそも人間という存在を超越する存在です。その存在の一つになれるからこそ、きっとその質問をしたのでしょう」 「その質問をしたのって、やっぱり……」 「ええ」  僕が誰を思い浮かべているのか、ストライガーも理解できているのだろう。 「キガクレノミコト、ですよ」 「だと、思った」  肩を竦めて、鼻で笑った。  それくらい容易に想像出来る話だった。  ストライガーはなおも話を続ける。 「そもそもの話、キガクレノミコトは私のような人間を最初から迎え入れるつもりだったらしいのよ。けれど、あなたの思っているとおり、キガクレノミコトはとても変わった神ですよ。ずっとはるか昔からこの人間の世界で神として存在しているようだけれど。あのような容姿でも、使徒の中で一番古参の存在だったのよ、キガクレノミコトは」 「キガクレノミコトが……?」  何となく想像は出来ていたけれど、実際聞いてみると理解に乏しいものがある。  しかしながら、キガクレノミコトはどうして使徒という存在になっているのだろうか。あの風貌はどこか懐かしさを感じる。もちろん、キガクレノミコトと僕ははじめて出会ったわけだけれど。 「ええ。キガクレノミコトは、この世界を一万年以上……いいや、彼女の話が確かならばそれよりもはるか昔から、人間とともにあったと言われています。きっと彼女がこの世界から離れると決めたのは、この世界を守りたいから……。私は、そう思っています。直接彼女から聞いたわけではありませんから、細かいところはなんとも言えませんが」 「キガクレノミコトはこの世界を守って欲しくて……?」  この剣に、力を託したというのか。 「ええ、そういうことですよ。あなたがどう思っているかは別として……、キガクレノミコトの思いも少しは汲んでもらうことは出来ないでしょうか?」 「お父さん、何やっているのー! もう準備出来たって!」  僕とストライガーの会話は、一花の言葉で強制的に終了せざるを得なかった。  しかし、それは同時に攻撃準備が出来たということと等しい。 「了解。それじゃ、もういつでも放てるということだな」  僕の言葉に、一花は頷く。  ストライガーも僕の言葉と一花の反応を見た後に頷くと、やがてゆっくりと歩き始めた。  オリジナルフォーズはまだ動きを止めていない。ジャパニアへとゆっくりと侵攻を進めている。  つまり、ジャパニアへ最小の被害で攻撃をするには、今しか無い。 「発射用意――――!」  そして。  砲台から一斉に砲丸が撃ち放たれた。  ◇◇◇  虹は綺麗だった。  七色で構成されるそれは、見るものを圧倒させる。  そして、その虹の美しさに目を奪われるものは、そう少なくない。  ◇◇◇  オリジナルフォーズの背後にずっとあった虹に、僕は違和感を抱くべきだった。  その虹が徐々に動いていること、そして変化をしていることについて、僕は直ぐに気付いておかなければならなかった。 「……待て、あの虹。何か、変わっていないか?」  変わっている、というのは姿が変わってしまっている、という意味だ。  でも僕以外にそれに気付いた人間はおらず、砲撃が止まることは無かった。  そして、放たれた砲丸はすべてオリジナルフォーズの前方に展開された虹のシールドにはじき返される。落下していく弾丸は、ジャパニアの住宅街へと落下し、家々を破壊していく。 「虹がはじき返した……?」  そして、虹は分解を開始する。  巨大な輪の構成だったそれは、幾つもの細分化をしていき、やがてたくさんの盾ができあがった。  その盾は仄かな光を放っていた。  いったい何を始めるのか、僕は注視していた。  しかしながら、ストライガーは違う指示を兵士達に行う。 「次の砲撃準備を進めろ! 大急ぎだ。少なくとも、敵が攻撃を始める前に!!」  間に合うはずが無かった。  刹那、虹の盾から光の筋が大量に撃ち放たれた。  その軌道はすべて正確に兵士の心臓を貫いており、貫かれた兵士は血を出すことも苦しむことも無く、そのまま倒れていった。  僕はとっさにシルフェの剣を構えて、思い切り回転切りを行う。  すると、僕の想像通り――正確には二千年後の未来で僕が実際に経験した出来事として記憶しているのだけれど――バリアが僕の周囲に張り巡らされた。  その範囲はちょうど僕と一花を守るくらいのサイズ。二人を守るくらいならばこれくらいで十分だ。  しかし、倒れていく兵士たちを誰一人守ることが出来ない。それもまた事実だった。 「……まさか、こんなことが!」  兵士が、人々が、町々が。  虹の盾から放たれる光線により、破壊されていく。 「不味い、不味い、不味い……。どうすればいい? このままではたくさんの人間が……」  ストライガーにもどうやら手の打ちようが無いようだった。  僕もバリアはどうやらこの範囲までしか放つことが出来そうに無い。  ならば、どうすれば良いか――。 「分かったよ、お父さん」  そこで僕たちに声を掛けたのは、一花だった。  一花はじっと真っ直ぐ、僕を見つめている。その目は強い意志を持つ目だ。 「……分かった、って。いったい何を」 「私が、この戦争で与えられた役目」  ひどい寒気がした。  目の前に立っている風間一花という少女は、とっくに別の存在になってしまっているのではないか。そんなことを思わせてしまうほど、彼女は変貌を遂げていた。  さらに、一花の話は続く。 「このままじゃ、みんな死んじゃう。いくらどれくらいの人が避難していようと、あれを避けることはできない」  まるですべてを知ったような口調だった。 「まるで知ったようなことを言っているが……?」  ストライガーが漸くこの話題に噛み付いてきたと思っていたが、どうやら彼女も同じく疑問を抱いているようだった。  しかしながら、そのベクトルは僕とは違う。  僕は一花を信頼している前提でその話を聞いているのだとすれば、ストライガーは別だ。  つまりは一花を敵と疑っている。  普通に考えてみればそうなるのは至極当然なことだ。だからと言って、否応無しにそう断定するのは宜しくない。何しろ、今の一花だけでは敵だと断定できる証拠が一切無いのだから。 「私は敵ではありませんよ、ストライガーさん。ずっとあなたがそう疑り深いことは分かっていました」  先手を打ったのは一花だった。  彼女は先ず、ストライガーにそう言い放った。  ストライガーは何故そんなことが分かったのかと一瞬狼狽えたが、直ぐにその意味を理解した。 「成る程。あなた、『声』が聞こえるのね? 先天性か後天性かは知らないけれど、その力は神か神に認められた者しか使えない力のはずよ。いったいあなたはどうやって……」 「いつからかは分かりません。けれど、気付けばこの力を使えるようになっていました。……そう言えば、納得していただけますか?」  出来るか出来ないかで言われると、やはり難しいものがあった。  とはいえ、今の二人の会話にすら僕はついていけていない節がある。専門用語を捲し立てて話しているからいったい何なんだ、と困惑しているのが現状だ。何かの暗号なのか? 「力は簡単にいえば、他人の心の声が聞こえる力のことだよ、お父さん」  そして一花は、僕の『声』を聞き取ってそう答えた。  他人の心の声。  それが聞こえてくる。それが一花の持つ力だという。  けれどそんな力はいつから持っていたのだろうか? いつ手に入れたものだったのか。 「いつからかは分からないけど、たぶんきっかけになったのはあの時の夢」 「あの時……ってことは、預言を託された、あの?」  こくり、と一花は頷く。  となるとつい最近もいいところだ。せめて相談してくれれば、何か助けになったかもしれないのに。いや、ならなくたっていい。不安を抱え込んだままだと、確実に精神が汚染される。だから気持ちだけでも吐き出してくれればよかったのに。 「預言……だったのかな? あの夢を見てからずうっと頭の中で声が響いてきて。それが誰の声だか分からないの。男の人だったり、女の人だったり、子供だったり、老人だったり。泣き叫ぶ声も聞こえて来れば、怒号も聞こえてくる。優しい声も聞こえて来れば、悲しい声も聞こえてくる。けれど、今の私にはそれに応えることも出来ないし、その声を聞かないでおくことも出来なかった」 「栓をすることは出来ない、ということなのか」 「出来ますよ。けれど、それは充分に特訓を積まないと難しい話です」  一花の代わりに答えたのはストライガーだった。 「そもそも使徒も全員が全員その力を使えるわけでは無いのですが、私はなぜかその力を分け与えられました。ほかでもない、キガクレノミコトから。……今思えば、その時すでにキガクレノミコトは自分の死期を悟っていたのかもしれませんね。まあ、それは今は余談ですが」 「ストライガーもその力を使えるし、コントロールもできる、と?」 「そもそもコントロール出来なければ諸刃の剣どころか猛毒ですよ。一日中ずっと誰かの声が聞こえるんです。そんな状況で落ち着いていられますか? まず不可能だと思いますが」 「では、コントロールする方法は? このままだと一花は危ないんじゃ……!」 「お父さん、大丈夫です。それは……私が見つけるもの。お父さんにずっと頼ってばっかりじゃ、ダメですから」  僕とストライガーの話に割り入ってきた一花は、大丈夫だと、そう僕に告げた。 「そうですね。それを決めるのはあなたの意志です。あなたがどうしようと、私たちには何も出来ない。正確にいえば、あなたの強い意志あってこその問題になるのですから」  そして、僕を半分置き去りにして一花とストライガーは虚空を見上げた。  とっくに虹の盾は砲撃をやめていたが、徐々にその光を充填しつつある。いつまたあのレーザービームが放たれるか分かったものではない。  だとしたら、攻撃の手を緩めている今がチャンスだ。 「……ストライガーさん。先ずは私に任せてもらえませんか?」  一花はストライガーのほうを向いて、はっきりとそう言った。  ストライガーは突然何を言い出すのかと目を丸くしていた様子だったが、直ぐにいつもの硬い表情に戻る。 「そこまで言うなら、何か策があるというのね?」 「ええ。実戦は初めてだけど……たぶん私にしか出来ないことです」  一花は言い放つと、オリジナルフォーズを指差す。 「オリジナルフォーズを……二度と目覚めないように封印します」  オリジナルフォーズを封印する。  その言葉を聞いて、僕はあることを思い出していた。  偉大なる戦い、それは歴史上ではガラムドが魔法を使って封印したことによって終結したと言われている。  ということは、一花――ガラムドがこれから魔法を使ってオリジナルフォーズを封印する――それによって戦争は終結する、ということになるのだろうか。だとすれば、それは協力せねばならないし成功せねばならない選択だ。 「封印、とは言ったものの、実際にそれが出来る話なのかしら? 出来ないとは言わせませんよ」  水を差したのはストライガーだった。  確かに、ストライガーが気になることも分かる。実際、ストライガーはもう諦めモードではあるが、出来ることと出来ないことの分別くらいは出来ていることだろう。  しかしながら、僕は一花のことを信じたいと思った。もしこのまま巧くいけば、歴史書に沿った世界線に繋がっていく。となると、二千年後に僕が召喚され、勇者として旅立つということだ。  それは即ち、ガラムドの言った『試練』の成功に繋がるのでは無いだろうか。 「いちかばちか……やってみる価値はあるんじゃないか?」  そう言ったのは僕では無く、ストライガーだった。  ストライガーはあくまで一花の意見を尊重したいだけのように見える。それに、そう考えるのは何ら間違っちゃいなかった。  無策のようにも思えるがしっかりと筋が通っているわけだし、結局のところ僕も一花がそう言いだすんじゃないかと何と無く思っていた。 「もちろん、これはあなただけで決めることのできる問題ではない。正確に言えば、あなただけの考えで行えることではないということ。その意味が、理解出来るかしら?」 「……分かっています。私だけじゃ、これを実践出来ないことくらい」  一花は、僕が思っている以上に大人だった。  そしてそれはもっと早く分かってあげるべきだった問題だったのかもしれない。  とはいっても、それを風間修一ではない僕に押し付けるのは非常に酷なことだとは、きっと誰も考えやしないだろう。  結局はただ外面でしか人間を理解出来ていない、ということ。  それは誰だって例外なく言えることだし、指摘されたら誰も言い返せない問題だった。 「でも、あなたとそれを決めることが出来るのは、私ではありません」  深い溜息を吐いた後、ストライガーは僕を見つめる。 「……そうでしょう? 風間修一」 「そこで僕に割り振るか」 「当たり前でしょう。あなたは、彼女の父親ですよ? だのに、何も知らぬ存ぜぬとは言わせませんよ。いずれにせよ、あなたはこのままだとどうしようもないってことは、あなただって理解しているのでしょう?」 「それは、ストライガーだって理解しているはずだろうが……」 「それはそうです。けれど、決断をするのはあなたと一花でしょう」  言い切られてしまった。  そうなると、あとは僕と一花の間で決めるしか無くなってしまう。何というか、ほんとうに巧いやり方だと思う。  それはそれとして。  一花の提案を僕は無碍にすることなど出来るはずが無かった。だって当然だろう? 実際の所、子供がそうやって自らの意思でやりたい、と言っていることについて親が否定することは忍びない。僕の親も、自由奔放にやれば良いと言っていた。子供は、まだ責任を取るべき位置に立っていないから、好き勝手やっても責任を取る必要は無い――のだと。  今思えばその発言は常識とは若干かけ離れたものだったのかもしれないけれど、でも、今ならその話も少しだけ分かるような気がした。 「……一花。やりたいようにやりなさい」  僕は少しの間どう彼女に話をするか考えて――やがてその言葉を絞り出した。  そしてその言葉を聞いた一花は大きく頷くと、右手の甲を僕に見せる。  手の甲にはうっすらと文様が浮かんでいるように見える。よく見るとそれは詠唱の魔方陣か何かだろうか。 「これは……?」 「たぶん、これでオリジナルフォーズを封印出来るんだと思う。その効力がどれくらいのものなのか、はっきりとしていないけれど……。でも、私の本心がそう告げるの。これを使って、オリジナルフォーズを封印すれば成功する、って」  その成功も、二千年しか持たない。  でも今の彼女たちは永遠にそれが続くものだと思い込んでいる。まあ、確かに使ったこと無いものだからそう思うのも致し方ないのかもしれないし、僕としてもそれを別に言いふらすつもりは無い。水を差す、ということになるから。 「……さあ、はじめましょう。お父さん」  そうして、僕を見つめた後、視線をオリジナルフォーズへと移した。  オリジナルフォーズはゆっくりと近づいてきている。  その侵攻を見つめて、一花はゆっくりと目を瞑った。  ◇◇◇  一花は、こちらへと向かってくるオリジナルフォーズを見つめていた。  いつ封印出来るかどうかそのタイミングを見計らっているのだろう。いずれにせよ、今は集中しているため声は掛けないほうがいい。さっきストライガーが声を掛けてみたが一切反応が無いため、恐らく今の一花は――無防備だ。 「君はその一花を守る立場にある、ということだ。もちろん、私だって君たちを守るべく、最大限努力をしていくつもりだ」  口だけでは無いつもりなのは、理解していた。  けれどはっきり言ってしまえば、こちらには戦力が不足していた。  理由は単純明快。先程の虹の盾によるレーザー射撃だ。それによってこちらの人員の殆どが文字通り消失してしまった。今戦える人間は僅かしか残っていない。その僅かな人間も、避難所に居て避難中の人々を守っているため、戦闘要員へ変更することはほぼ不可能だ。  となると、あと自由に動くことが出来るのは僕たちだけ――ということになる。 「まだ、封印は難しいのか!?」 「正直、どうやって封印するのかはっきり分からないからなんとも言えないけれど、そう簡単にはできないのでは無いかしら。……ああ、こんなだったら事前にどうやって封印しておくのか聞いておくべきだったわね」  深く溜息を吐き反省している様子だが、はっきり言って時既に遅し。  しかしながら、実際の所、いつ一花がオリジナルフォーズを封印出来るかどうかは分かったものではない。だから今は、ただ時間が過ぎていくのを待っていくだけだ。  とはいっても、この時間が永遠に過ぎていくものではない。いつかは終わりが訪れるだろうし、また、そのリミットは僕たちの体力の限界とイコールになる。 「……結局、それがほんとうに成功するかどうかも危ういですがね」  ぼそり、とストライガーは呟く。  結局の所、出来るかどうか分からないことをメインにおいたところで、それを不安がることは間違っちゃいないし、正しい選択であることだろう。 「でも、やりきるしか無いですよ。……キガクレノミコトが、その力を一花に託した。ということは、それを使うことでオリジナルフォーズとの戦いが終結に導けるかもしれない。犠牲は多いかもしれないけれど……」 「それは分かっている! だが……」  僕とストライガーは、今思えば下らない話で喧嘩をしていた。  だからこそ、一花が何をしているのか、具体的にはあまり理解していなかった。  一つの咆哮があった。  一花は跪き、両手を合わせて、目を瞑っていた。  まるで祈りのモーションだ。  再度、オリジナルフォーズの咆哮。その動きはとても苦しんでいるように見える。  そして、変化もあった。  オリジナルフォーズの身体が徐々に光に包まれていった。  それはオリジナルフォーズだけではない。一花の身体も、そのまま光に包まれていく。  それでも、彼女は祈りを止めることは無い。 「苦しんでいる……? いや、弱っているのか!」  ストライガーはオリジナルフォーズの異変に気付き、そう叫び声を上げる。  そして、僕もその異変には気付いていた。  同時に、一花に訪れた異変も僕は気付いていたし、それについては何も触れることは出来なかった。  今、このタイミングで触れたところで僕に何が出来るのか?  だから僕は触れなかった。触れずにいた。たとえそれが間違っている選択だと――知っていても。 「……見て、風間修一。石になっていく。オリジナルフォーズがゆっくりと……」  オリジナルフォーズの姿が石に変わっていく。  それは封印に成功したという意味なのか。  或いは、殲滅したという意味なのか。  まだ一花が祈りを捧げている以上、その答えを聞くことは出来ない。  そしてオリジナルフォーズは完全に石像そのものとなり――動きを完全に停止した。  風の吹く音だけが、ジャパニアに響き渡っていた。 「ふう……」  漸く一花は祈りのポーズを止め、立ち上がる。 「一花。あなたのおかげよ。あなたのおかげでこの世界は守られた……!」 「どうやら、そのようですね……」  しかし、まだ一花の身体は光を放っていた。  どうしてなのか?  どうして、まだ止まらないのか?  僕は訳が分からなかった。そして、それはストライガーも同じ意見を持っていたことだろう。  唯一、すべてを悟っていたのはほかならない一花だった。 「どうやら、私はもうこの世界に居ることは出来ないみたいです」  そして、彼女はそんなことを僕たちに告げたのだった。 「一花。どういうことだ……? いったい、何を言いたいんだ?」 「キガクレノミコトから、私は言われていました。この戦争を、この力を使って終わらせることで、最後のトリガーとなる。とどのつまり、私はこの世界で普通の人間として過ごすことが出来なくなる、ということです」 「……成程。神格化した、ということね」  ストライガーは深い溜息を吐いて、冷静にそう答えた。  なおも意味が分からなかったのは、僕だけだった。 「神格化?」 「簡単なこと。神へなった、ということだ。キガクレノミコトからそう言われたのならば、間違いない。一花、君は……いや、あなたは神へその姿を変えようとしているということ。正確に言えば、この世界の存在ではなくなり、次元を一つ上の存在へと昇華することになる。私の言っていることが、分かるかな?」  こくり、と頷く一花。  とどのつまり。 「つまり、どういうことなんだよ……。一花は神になる、ということで……この世界には居られないってことで……?」 「その通りです。そして、私の名前は一花では無い、また別の名前になるということにもなります。がらんどうだった最高神の存在を満たすために、私は神となった。キガクレノミコトはそう言っていました。そして、その名前も、決まっています」 「その、名前は……?」  がらんどう。  神。  まさか……。僕の中で、気がつけばたった一つの単語が浮かび上がっていた。  二千年後の未来で、神と呼ばれた存在。そして、この世界の暦の名前にも適用されている、その神の名前。 「……私の名前は今日まで、風間一花でした。そして、今日からはガラムド。私の名前は、ガラムドです」  ガラムドの身体は徐々に光と化して消えていく。 「そのままだと……消えてしまいますね。私は、もうここでお別れです」 「どうすればいいんだ。おい、風間修一。あなた、何かやり残したことは無いの!?」 「ありません」  きっと、何を言っても見透かされているのだろう。  ガラムドの笑顔には、何か見通しているようなそんな雰囲気があったから。 「ありがとうございました」  そうして、ガラムドは。  そのまま光の粒となって、消えていった。  ◇◇◇  そして、同時に僕の意識も二千年前の過去から揺り起こされた。 『長い、旅でしたね』  気がつけばその空間は暗闇になっていた。 「ああ、そういえばこの空間に、僕たちは立っていたんだな」  あんまりあの空間に慣れていたものだから、すっかり忘れてしまっていた。  ほんとうは忘れてはいけない世界だったのに。  目の前に居るガラムドは――気がつけば、丸い球体へと姿を変えてしまっていた。 「ガラムド……。その姿はいったい?」 『この姿で、あなたの前に姿を現してしまうのは大変お見苦しい話ですが、許してください。残念ながら、私を狙っている勢力が居ることも確かだということです』 「……つまり、あなたは死んでいるということになるのか」 『死んでいる。いや、正確に言えば、死んでいるというよりも「地位を剥奪された」と言えば良いでしょうか』 「剥奪された?」 『まだ私はガラムドとして存在できています。けれどそれはあくまでも、次のガラムドが出てくるまでの間に過ぎません。それも期限が決められているわけで……。それに、誰もがガラムドになれるわけでもありません。それは、「祈りの巫女」で無くては為らないということ』 「祈りの巫女?」 『ええ。……私の力は、神格化後に数人の人間に分け与えました。その人々が後に、祈祷師や祓術師と呼ばれるようになったのですよ。神の血を引き継ぐ、とは言いますがそもそも神は子供など産みません。だから血など引き継いでいないのですよ。そこだけは不満がありますが……、まあそれを言ったところで何も始まりませんからね、別に良いのですけれど』 「……祈りの巫女、か」  ガラムドの言っていることが確かならば、リュージュもメアリーも神の血を引き継いでいないということになる。しかしながら、祈祷師の素質は引き継がれていると言うことか。それはどうやら血筋によるものなのだろうけれど。どうやら、それと一緒に神の血筋も引き継がれていると思い込んでいるだけなのかもしれない。  思い込み、というのは酷く恥ずかしいものではあるかもしれないけれど、それを証明することも出来ないから――結局の話、それはそのまま嘘を嘘として振り翳しているだけに過ぎない、という話になるのだろうか。 『そして……「祈りの巫女」の力を身につけているのは、今はたった一人だけ』 「まさか、それは……」  祈りの巫女として力を使う。  それは即ち――ガラムドと同じならば、この世界から離れなければならないということになるのか?  だとすれば。だとすれば。だとすれば。  それだけは認めては為らなかったし、それだけは信じたくなかった。  けれど、そんなことを知ってか知らずか――、ガラムドは言い放った。 『あなたはとっくに気付いているでしょうが……、その力を持っているのは、メアリー。あなたもよく知っている、旅の仲間ですよ』  雷に打たれたような感覚だった。 『もちろん、彼女はまだその素質には気付いていませんけれどね。ま、いつかは気付くことでしょう。或いは、薄々気付いているかもしれません。何せ彼女は勉強家ですからね。博識ならば、偉大なる戦いの結末ぐらいきちんと理解できているでしょうから』 「じゃあ、やっぱりメアリーは……」 『その力を使えば、彼女はあの世界で生きていくことは不可能ですね。私とともに……、いや、私と同じ地位になるだけの話です。もっとも、私はもうこの存在ではありませんから、私の代わりに「ガラムドになる」ということになりますが。代替わり、とでも言えば良いですかね?』  メアリーとは生きていられなくなる。  オリジナルフォーズを封印するためには、その力を使わないといけないのか?  メアリーの力を使わずとも、僕が持つこの剣を使えばいいんじゃないのか?  そもそも、僕はそのためにこの封印を解きに来たのに、それは間違っているということなのか? 『間違ってはいませんよ。別に、あなたの持つシルフェの剣を使えばもしかしたら封印ではなく、破壊することすら出来るかもしれません。けれど、あの状態から確実に為すことが出来る手段。一番簡単な手段……それこそが、祈りの巫女の力、その行使ですよ』  メアリーの力を使えば、簡単にこの戦いを終えることが出来る。しかしながら、いつ復活するか分からないし、メアリーとは二度と会えなくなるデメリットがある。  シルフェの剣を使えば、難易度は高いけれどこの戦いを終わらせるかもしれない。しかしながら、メアリーの力を使わないからメアリーと別れることは無い。  二つに一つの選択。  僕は――どうすればいいのか。 『あなたは、それを救うのが使命なのでしょう?』  ガラムドはそう言って、ゆっくりと姿を消していく。  同時に空間も徐々に朧気なものとなっていき、僕はその空間からの別離を悟った。 「ガラムド! どこへ行くんだ……!」 『私はただ、あなたを見守っていますよ。あなたの救う、世界を――』  そして、僕の意識は完全に途絶えた。