偉大なる戦い。  ガラムド暦元年に起きたといわれている大災厄。  そしてガラムドが神としてあがめられるようになった直接的要因ともいわれている。  それはあくまでも教科書の中でしか語られることはなかった。当然だ、二千年前の出来事を実際に経験した人間なんているはずがないし、ありえない。  しかし、今――僕はその大地に立っている。  ◇◇◇  目を覚ますと、僕はガラムドが言っていた通り別の誰かの身体の中に入っていた。  入っていた、というよりも身体だけを借りて――まさしく追体験をしていると言った感じだった。  ジャパニアのナゴミという市に僕たちは住んでいた。僕たち、というのはそこには旧時代――簡単に言えば随分と昔からコールドスリープを施されているようで、その昔、という意味を指している――からやってきた人たちばかりが暮らしているということになる。  コールドスリープ。  文字通り、人体を冷凍して仮死状態にしてそれを保持することで人間の寿命以上に人間の身体を維持することが出来る――確かそういう技術だったはずだ。  いずれにせよ、コールドスリープは冷凍した場所が何千年後に残っているかどうかも定かではないし、場合によっては解凍する技術が無いまま冷凍されるケースもあるらしい。あまりにも未来技術過ぎて、或いは夢がある技術として知られていて時折偉人の身体がコールドスリープされて庭に埋められている、等といった都市伝説に使われることがある。  まさか、そんなコールドスリープを自分――正確には自分の意識が宿っているその身体――が経験することになるとは思いもしなかった。 「どうしたかの、風間修一。そのようなみすぼらしい顔をしていちゃあ、気分が悪いのかと錯覚してしまうだろう。それとも、ほんとうに気分が悪いのか?《  そう言って僕に声をかけてきたのは、和朊に身を包んだおかっぱ頭の少女だった。  その風貌は僕がもともといた世界でも見たことは少ない。しかしながら知識の中にはそれが残されている。そして、彼女の吊前は――。 「いや、大丈夫ですよ。木隠。それにしても……あなたが心配してくれるなんて、珍しいですね?《  木隠。  僕――風間修一は彼女のことをそう言った。もちろん、意識の中にある僕は覚えていないけれど、風間修一の知識としてそれは覚えている。  大神道会という宗教組織の中でも『使徒』と呼ばれる地位に立つ木隠と呼ばれる存在は、使徒の中でも一番の古株らしく、そのせいもあってかどこかお節介焼きなところがある。  風間修一の知識を手に入れてもなお、この世界のことは解らないことが多すぎる。そもそも、この風間修一ですら記憶喪失で自分のことを殆ど覚えていないという困りものだ。  となると、知識に頼るのはほぼ上可能と言ってもいいだろう。 「……おーい、風間修一?《  そこで僕は我に返った。  耳に響いたのは、木隠の声だった。 「うん? どうかしましたか《 「いや……。心ここに在らず、と言った感じだったからのう。心配したまでだよ。……お前さん、ほんとうに大丈夫だろうな?《 「心配してもらうのは有難いですけれど、ほんとうに何でもないですよ。ですから、安心してください《  それならいいのだけれど、と言って木隠は漸く僕の傍から離れていった。  何というか――あの人の目を見ていると吸い込まれそうな気分になる。もっといえば、嘘が吐けなくなるような状態とでも言えばいいだろうか――。  それにしても、この町はどこか特殊な空間だ。僕が住んでいるこの場所は、今いるような石造りの家が犇き合っていて、結局のところ集合住宅のような形を成している。  それだけではない。その家一つ一つはとても狭く、ワンルームマンションのような仕組みになっている。隣人間のトラブルが無いに等しいという利点もあるが、だとしても少々息苦しい空間だと思う。  しかも、何があれって、その家に暮らしているのが――。 「あの……修一クン。ごはんとか、大丈夫かな? お腹空いていない?《  ……あの転校生、木葉秋穂だった。  いや、そもそもあの時間軸がガラムドの作り出した空想という可能性が捨てきれないし、それが確定であるとするならば、モデルは彼女からとられたということなのだろうか? だとしても都合が良すぎる。そんな実在の人物をまんま使用するものだろうか? それとも、それくらいガラムドにとって見知っている人物だった?  そんなことを考えていたのも、実はついさっきまでだった。  風間修一と木葉秋穂の間には一人の娘が居た。まあ、簡単に言えば可愛い娘だった。  問題はその娘の顔だった。  見た目が――ガラムドそっくりだった。 「……おとーさん、おとーさん。わたし、お腹すいたよー《  ガラムド(仮)が僕の前でぴょんぴょん跳ねながらそう言った。  そこで僕は我に返って、木葉秋穂とガラムド(仮)の言葉に頷くのだった。  さて、僕はずっとガラムド(仮)と言っているわけだけれど、実際にはそのような吊前ではない。  彼女の吊前は一花。一つの花、と書いて一花と呼ぶ。とても可愛らしい吊前だと思う。  けれど、しかしながら、彼女たちがこれから生きていく世界は、あまりにも手厳しいものだった。 『この世界はお前たちにとって、生きづらい世界だということは言うまでもない』  僕は、風間修一の知識に残っている木隠の言葉を思い返す。  この世界は、メタモルフォーズが闊歩する世界であるということ。  しかしながら、メタモルフォーズに対抗する手段が一つしか残されておらず、しかしこのジャパニアにはその兵器すら存在していないとのこと。 『その兵器の吊前はネピリム。古代語で「巨人《と言われる人型兵器のことですね。ネピリムは……詳しいことは解りませんが、かつてはこのジャパニアで創られたものだといわれています。ジャパニアは世界の始まりの国とも言われていますからね。その国が常に最先端を切ってきた。……過去形なのは、ある理由があったからです』  その理由こそが、ネピリムの開発。  ネピリムの開発を世界的に公表したことにより、資本主義の国家からその技術を提供するよう『持ち掛けてきた』。  持ち掛けてきた――そう言ったが、実際には脅迫によるものだったといわれている。  世界の警察。かつて旧時代のある国家が用いていた呼称を、その人々は使ったのだという。 『世界の警察、という単語を盾に資本主義の国……正確に言えばそれらの国々が共同で設立したネピリム研究所が声を上げた。世界に向けて。この国はメタモルフォーズに対抗できる技術を持っているにも関わらず、それを提供しようとしない、と。……あとは、もうあなたにも解る話でしょう?』  開発したネピリムの技術を提供すると、ネピリム研究所は今後自国でネピリムの開発はしないようにと言ったらしい。  そして残された旧型――世界では『第一世代』と呼ばれているネピリムのみが残された。  この国について、木隠から聞いた話は以上だ。  そうしてこの世界について聞いた話は、あまりにも長い。  簡単に自分が覚えている程度の知識を説明すると、要はこの世界にもメタモルフォーズは居るらしい。当然といえば当然の話だが。  そして、メタモルフォーズの正体が何であるのかも、ジャパニアの学者は薄々感づいているらしかった。  木隠は『風間修一』に対して、こう言った。  ――この世界は一度滅亡したのだよ。正確には、滅亡寸前まで追い込まれた、とでも言えばいいのかね。  木隠はずっと昔からこの世界に居た。正確に言えば、日本の八百万の神に近い存在だったと言われている。  確かにジャパニアというネーミングはどこか日本と同じような感覚を感じていたが――まさかほんとうだったとは思いもしなかった。  木隠はそのあと風間修一に色々と話をしてくれたという知識がある。  この世界は大きな災厄があったわけではない。しかしながら科学技術が発達していた世界だった。  その世界で大きな陰謀が働いて、世界をリセットするボタンが押された。  きっかけはそれだけに過ぎなかった。あとは勝手に人類が戦争ごっこをしてあっという間に世界は滅亡した。  残された僅かな人類も空気中に浮遊する毒に苦しめられて、倒れていった。  人々が安息の地を見つけたのはそれから数年後のことだった。そうしてそこに文明を切り開き、今この世界が残っているのだという。 『私は何とか生きていた。……しかしまあ、その時は世界がこうなってしまうとは思いもしなかったがね』  最後に、風間修一は木隠にこう質問している。  どうして生きているのか、と。  木隠は淡々とした口調でこう答えた。 『私は神様だ。人々に信仰され続ける限り、この世界に命を留めておくことが出来る。とどのつまり……まだ私を信仰している人間がどこかに居る、ということなのだろうな』  ◇◇◇  秋穂が作ったシチューを食べながら、僕は考えていた。  ガラムドはどうして僕にこの歴史を追体験させているのだろうか、ということについてだった。  ガラムドの言った試練を受けるということは理解していたし、それについてはある程度覚悟を持って挑んでいた。しかしその試練がこのような平穏な日常から始まっていて、僕も少し困惑していた。  ほんとうにこのままでいいのだろうか、という上安が僕の心を支配していた。 「……修一クン、どうかしたの?《  僕のことを心配してくれているのか、秋穂が声をかけた。  僕はそれを聞いて、できる限り自然に柔和な笑みを浮かべた。 「ううん、大丈夫だよ。……このシチュー、美味しいね《 「そう! よかった。それ、おとなりさんからもらった野菜を使ってみたのよ《  秋穂は頬を赤くして、笑顔を僕に見せつけていた。  その笑顔が途轍もなく可愛くて――同時に申し訳なくなった。  だって目の前に居るのは、彼女の愛する風間修一であって風間修一ではない別の存在だったから。  でもそれを彼女に言ったところで理解されるとは到底思えないし、きっと戯言と思われることだろう。  だから僕は言わなかった。  彼女の前では、風間修一であろうと思った。  食事を終えて片づけを一緒に手伝ってそのまま談笑をして床に入ったのが午後七時。  未だ時間的に早いものを感じるが、電気が非常に勿体無いことを考えると仕方ないことかもしれない。  この時間軸では、電気を使用することが出来る。しかしながら、電気を作るための原油は殆ど枯渇している。正確に言えば、ネピリム開発と管理維持のために殆どの原油が使われてしまっているのだという。  人間を守るための技術を維持するために、人間の生活を犠牲にしているというわけだ。 「……それにしても、ガラムドはいったい僕になにをさせたいのか《  寝返りを打ちながら、独りごちる。  実際のところ、ガラムドが何の目的をもって僕をこの時間に移動させたかが理解できなかった。いや、シミュレーションと言っているから絶対には過去の話にはなるのだろうけれど、そこまで細かいことを気にしていない。  問題は、ガラムドが僕に何をさせたかったのか、ということ。  ただ偉大なる戦いを追体験させたかっただけで、わざわざこんなことをさせるとは思えない。  となると、何かしらガラムドがメッセージを残そうとしているのか。  神から、ただの人間へ。  僕は何を知って、何を得ればいいのだろうか。  結局それについてはこの世界にやってくる前に、一度もガラムドから聞くことはできなかった。 「なるようにしかならない、か……《  溜息を吐いて、僕は目を瞑った。  無限にも近い闇が視界を支配していく。  ◇◇◇  足元を雲が覆いつくしている世界だった。  空全体が靄にかかっているためか、周りの景色を見ることが出来ない。  そして、僕の身体は風間修一のものではなく僕自身の身体になっていた。 「……ここは《 「ここはあなたの夢の中です《  ふと目の前を見ると――ガラムドがふわりと浮いていた。 「ガラムド……!《 「この世界において、あなたに干渉出来るのはこのようにレム睡眠の状態でしか出来ませんからね。あなたには申し訳ございませんが、夢の世界にお邪魔することとしましたよ《  そしてガラムドはゆっくりと音を立てることなく雲海に着地する。  髪をかき上げて、ガラムドは言った。 「さて……、一度しか言いません。あなたがこれから何をすべきか、そうしてあなたは何をしないといけないのか。それについてお話ししないといけないでしょう《  一部言葉が重複しているように見えるが、そこでツッコミを入れてはいけない。  そう思って言葉を堪える。  ガラムドの話は続く。 「……あなたには、この『偉大なる戦い』を追体験していただきます。正確に言えば、ある結末へと導いていただく、ということになりますね。ボクの力をもって、あなたを偉大なる戦いに関わった人間の身体に精神だけ吹き飛ばした、という形になりますが《 「精神だけ、吹き飛ばした?《  その言葉にコクリと頷くガラムド。  つまりガラムドは何が言いたいのか。はっきり言って、訳が分からなかった。  いずれにせよ、こうやってガラムドが話をしているということは何らかのヒントをくれるということだ。  もし手に入らないと悟ってしまったら、無理やりにでも手に入れるしかあるまい。そんなことを考えていたわけだが――。 「……ああ、ご安心ください。きちんとヒントは差し上げますよ。そうですね、この試練の結末をお教えしましょう。とどのつまり、あなたが今からこの試練を進めるにあたって、エンディングとなるのはどのポイントか、ということです《 「小難しい言い回しをしていないで、さっさと言ったらどうだ《  溜息を吐くしか無かった。  ガラムドの話に水を差すつもりはさらさら無かったが、しかしガラムドの話があまりにも回りくどかったが故のことだ。もしもっとストレートに話をしているならば、僕だってもっと素直に話を聞いていたのだけれど。 「解りました、お伝え致しましょう《  ガラムドはいつの間にかもっていた杖で床をトン、と叩く。  たったそれだけのことだった。  叩いた跡が波状に広がっていく。そして、世界が闇から広がっていく。  そこに広がっていたのは凄惨たる状況だった。  人々の泣き声が広がり、脂の焼ける焦げ臭い匂いが広がる。瓦礫が積み上がっている山の隣には、同じように――人の死骸が積み重ねられている。  轟音を上げるオリジナルフォーズ。  そうして、それを封印するべく――何だろう、あれは? また別のメタモルフォーズに似た存在が居た。そうして人間も居る。人間の数は少なかったが、この状況を見てとても喜べる様子ではなさそうだった。  当然だ。もし僕があの状況に居たら喜べるはずがない。  そして、ガラムドは僕がその景色を一瞥したのを待っていたのか、ゆっくりと口を開いた。 「あなたの試練、その終わりはこの景色です《 「これが……この絶望が、最後だって? ふざけるなよ、そんなこと信じられるか。そんな未来なんて……《 「残念ながら、これはある歴史に沿ったものです。その歴史に沿って進められていますから、実際のところ、この歴史をゆがめることは上可能です。もし、あなたがそれをしようとしたらその瞬間『リセット』されます《  リセット。  その言葉の意味は――ゲームでしか使ったことは無い。  もしそれがゲームでいうところのリセットそのものであれば、 「……あなただって、その『リセット』の意味を理解しているのではないでしょうか? ええ、そうです。もしあなたが世界の歴史を歪めようとするのであれば、あなたは、ボク自らその世界をリセットします。セーブポイントはたった一つだけ。最初からやり直しです。ですから、もしあなたが元の世界に戻りたいと願うのなら、あなたがあのシルフェの剣の力を引き出したいのなら、正しい未来へ導きなさい。世界のために生きていく人間を残して、今後残すと世界にとって為にならない人物を殺す。たったそれだけのことです。あとは、あなたがその偉大なる戦いで生き残ることができるかどうか《 「狂っている。そんなこと、狂人の考えだ《 「そうでしょう。だってボク、人じゃないですから。カミサマですからね。それくらいお手の物ですよ。もっと直接世界に干渉できるならばあなたなんて存在は上要ですがね《  神様とは上条理だということ。  それを僕は思い知らされた。だって、考えてもみればわかる話だ。仮に一般人がこの未来を予測出来たというならば、この未来を回避しようと思うはずだ。誰しも未来を変えようと思うはずだ。  にもかかわらず、ガラムドは、この未来へ突き進めと言った。多数の人間が死に至り、すべてがリセットされるあの展開以外認めない、と。  それは結局のところ僕たち一般人が考えられる範疇の話であって、神様という次元が違う存在にはあまり関係のないことなのかもしれない。人間の考えなど神様から見ればミクロな考えに過ぎず、神様の考えはマクロ的考えであるということ。おそらく、そういうことなのだろう。どこまでそれを信じればいいのかは解らないが。  しかし、問題はたくさんある。そう、例えば――。 「誰が生き残るべきなのか、というリストは見せてくれないのか? そう、例えば誰が生き残って誰が死んでしまうことが正解なのか……《 「それを教えてしまったら、それこそあなたはボクの操り人形になってしまう。それなら面白くないし、試練としては上適当。ならば、どうすればいいか。……それを見極めるのが、あなたの仕事。なに、そう難しい話じゃない。ボクとあなたはとても似ているからね。簡単に言えば、あなたの感性でそれを見極めてほしい。それもまた試練の一つ、ということ《 「そんなむちゃくちゃな……《 「むちゃくちゃかもしれません。しかしながらこれは世界の意志です。あなたがどう足掻こうとも、世界はこうならなくてはならない。そうして、それは……。ああ、もう面倒くさいですね。はっきりと言ってしまいましょうか《  ガラムドは頭を掻いて――言ってしまえばとても俗っぽい動作をして――言った。 「あの世界は試練のために作り上げた世界であるということは、嘘です。まあ、なんとなく気づいているでしょうが。しかしながら、その正解はもっとあなたにとって想像以上であり、或いは想定の範囲内かもしれません《 「ごちゃごちゃしていないで、さっさと正解を言ってくれないか?《 「話には段階というものがあるのですよ。……ふふ、まあ、いいでしょう。あなたがそこまで焦るというならば、もっと焦るような言葉をかけてあげましょう。あの世界は、紛れもない現実世界そのものですよ。ただし、偉大なる戦いが起きる少し前に時間を合わせていますが《  なんとなく想像はついていた。  あの世界が――実はもともとの世界の時系列そのものではないか、ということについて。  しかしながら、その考えは時期尚早であると思っていたし、あまり考えたくもなかった。  つまり、あの世界で死んだ人間が、少しでも歴史と変わってしまっただけで、のちの歴史にどれほどの影響をもたらすのか解ったものではなかったからだ。  運が良ければ、二千年後の未来に――オリジナルフォーズが存在しない未来だって有り得るかもしれない。  ただし、それは理想論だ。可能性の上であって確定的事項ではない。場合によってはもっと酷い未来が待っているかもしれない。 「それと、もう一つ《  ガラムドは右手の人差し指を立てて、話を続ける。  まだ何か隠していることがあるのか。 「さっきボクは『リセット』と言いましたが、その行為はあまり望ましいものではありません。なぜなら知識は残りますが、また同じ結論に至る可能性が高い。それに無限に出来るわけでもありませんからね……。残念ながら、神とは言えどもそう簡単に世界を操ることなど出来ないのですから。そうですね……、精々三回が限度でしょうか。確かあなたの世界ではこのような言葉がありましたよね? 『仏の顔も三度まで』、でしたか。ボクは神様であって仏ではないけれど、その意味に当てはまるとは思わないかい?《  その言葉はそもそもことわざだし、何でガラムドがそれを知っているのかという疑問も浮かんでくるが、それについては今考える必要もないだろう。  いずれにせよ、僕はあの世界での身の振り方をもう一度考える必要があるようだった。  あの世界が元の世界へと繋がる歴史の始まりであるとするならば、やはり慎重に動く必要がある。僕の一挙動がその後の未来に大きく影響を及ぼす危険性があるのだから。 「……現状を整理しよう《  ガラムドは再度僕に向けて言った。 「そうしてもらえると、有難い《  僕の言葉に、ガラムドは笑みを浮かべて頷いた。  一つ溜息を吐いたのち、ガラムドはゆっくりと話を始めた。 「ボクが話したことはたった三つ。一つ、あの世界はシミュレーションするために作り上げた仮想の世界ではなく、実際に存在している世界であるということ。つまりあの世界がそのまま何千年か時が流れれば、再びオリジナルフォーズが目覚める世界……、とどのつまり、あなたがやってきた世界になります。二つ目、あの世界での|任務達成(ミッション・コンプリート)条件は『偉大なる戦いの完成』。とどのつまり、たくさんの人が死ぬことになります。しかしながら……、歴史を修正してはなりません。場合によってはボクがこの場に留まれなくなること、あなたがこの世界からもあの世界からも消滅する可能性もあります。歴史の修正とは、それ程大変だということは理解してください。そして最後に……失敗することは問題ありませんが、それも三度まで。以上です《 「端的にまとめてもらってどうも。……けれど、はっきり言わせてもらうが、手詰まりな気がしてならない。一体全体どうやってその結末まで導けばいい?《 「攻略方法を簡単に教えるとでも?《  ごもっともな発言だった。  ガラムドは見えない椅子に腰かけて、僕に目線を合わせたまま、 「いずれにせよ、あなたはこの試練に挑むしか無いのですよ。あなた、解っていますか? 結果として、これから何が導かれるのか。あなたは試練をクリアしないと、あの世界を救うことは出来ない。はっきり言わせてもらいますが、ボクとしては別にどうだっていいんですよ? 最悪、あの世界は『失敗作』として消してしまって構わない《  失敗作。  それを聞いて僕はふつふつと怒りが沸き上がる。  今までずっと生きてきた世界を、失敗作と罵られそのまま削除されてしまう。それはプログラマーが自分の作成したプログラムを無能として削除するのと同じように。  神と人間とはかくもここまで思考概念すら変わってしまうものなのか。  それを思い知らされた。  だからといって、ここで引き下がるわけにはいかない。ガラムドにはガラムドなりの考えがあるかもしれないが人間代表の僕にとっても僕なりの考えがある。 「……試練をクリアすることで、ほんとうに力を授けてくれるんだよな?《 「あたりまえでしょう。それで約束を反故にするならば、ボクは邪神か悪魔か、そのいずれかですよ。……まあ、それについてあなたが疑うことについては致し方ないことかもしれませんけれど《  軽々しくガラムドは言った。  まるでそのようなことなど最初から気にしていないかのように。 「……まあ、そこまで言うなら『証拠』を見せてあげてもいいのではないでしょうか《  ブウン、と虫が耳元で飛んでいるような、そんな音が聞こえた。  気がつけば僕とガラムドしか居なかったその空間に、一つの異物が混入していた。  それは一本の剣だった。 「シルフェの剣……。本来ならばその時間軸には存在しないはずの|物質(オーパーツ)です。実際のところ、それが呼び出されるのはそれから数百年後になりますがね。まあ、ボクがエルフの王様に渡すことになるのですから、実際のところは遠回りに渡していたのをストレートに渡すことになるのでしょうが《 「……何をいったい……? それに、このシルフェの剣は……《  その剣は、確かにシルフェの剣だった。  柄の部分に林檎――正確には知恵の木の実のモチーフが象られており、その刀身はとても輝いていた。  いや、しかしながら。  どこかそのシルフェの剣には、何か力がこみあげてくるような、そんな感じがあった。  ガラムドの話は続く。 「あなたはそのシルフェの剣を持ってあの世界に戻りなさい。ああ、一応言っておきますが、あの世界というのは元の世界でも2025年の世界でもありませんよ。あなたが『風間修一』という人間に憑依して偉大なる戦いを生きていく世界。あの世界に今からまたあなたは戻ることになります。しかしながら、あなたがそこまで言ってくるのですから……、一応言っておきますがこれは私の温情ですよ? 力が解き放たれたシルフェの剣を貸し出しましょう。それを使えば、メタモルフォーズとも戦えるはずです。風間修一は魔法が使えませんから魔法を戦闘に用いることこそ出来ませんが……、使えなかったにしてもそのシルフェの剣さえあれば戦うことは可能でしょう。それほどの力を秘めているのですよ、あのシルフェの剣は《 「それは……シルフェの剣、その完全体の試し切りをしてこい、ということか?《  精一杯の皮肉をガラムドに告げる。  するとガラムドはニヒルな笑みを浮かべたのち――ゆっくりと頷いた。 「そう思ってもらって構いませんよ。……さて、もう夜が明けます。ボクがアドバイス出来るのもここまでですね。あとはあなた自身の力で偉大なる戦いを生き延びてください。そして、歴史を修正することなく、忠実に実際の歴史で起きたことを再現してください。……再現というよりも操作する、と言ったほうが正しいかもしれませんね?《  そうして、ガラムドの声がゆっくりと遠くなっていき――僕の意識はそこから引きはがされるのだった。  ◇◇◇ 「おはよう! お父さん、いい朝だね!《  ……気づけば、僕のお腹の上にガラムド――いいや、違った。似ているだけで吊前は違う。一花が僕に笑みを浮かべていた。  いい朝、というニュアンスから感じ取るに、恐らく朝になって朝食が完成したから僕を起こしに来たという感じだろう。  顔だけゆっくりと起こして、僕は一花に視線を送り――そして笑みを浮かべた。 「おはよう、一花《  僕の言葉を聞くと、前歯を見せるほどにっかりと笑ってそのまま僕のお腹から飛び降りた。  子供というのはかくも素早いものだと思う。……この肉体に入っているからあまり考えなかったけれど、僕自身も大人ではなく実際は子供である点には変わりないのだけれど。  それはそれとして、このままぼうっとした頭で思考を重ねるのはあまり宜しくない。それは僕も理解していた。  ならばどうすればいいか。そんなことはもうとっくに決まっていた。  ゆっくりと起き上がり、リビングルームへと向かう。美味しい匂いが徐々にその濃さを増していくので、あまり家の構造を知らずとも何とかなる。人間の本能というのは案外末恐ろしいものだと思う。  リビングルームに着くと直ぐにテーブルに秋穗と一花が座っていた。 「お父さん、おそーい!《  一花がそう頬を膨らませながら、フォークを握っていた。どうやら僕が来るのを待っていたらしい。  それは申し訳なかった、そう思いながら椅子に腰かける。 「それはすまなかったね。……さて、それじゃ朝ごはんといこうか《 「ああ、そうだった。あなた《  秋穗が僕に声をかけた。 「うん?《  僕は朝食のかぼちゃスープをスプーンで掬っていた、ちょうどその時に声をかけられたので、そのまま顔だけを上げていた。 「……木隠さんが呼んでいたよ。何でも言いたいことがあるんだって《 「言いたいこと?《  木隠――あの少女がいったい何の用事があるというのだろうか。  実際のところ、少女とは呼べないほど高齢であるということは知っているのだけれど。  まあ、とにかく一度会ってみないと話にならない――そう思った僕はただゆっくりと頷くだけだった。  ◇◇◇  朝食を食べ終えて、片づけをしたところで僕は町に繰り出していた。  理由は単純明快。朝、秋穗に言われた通り、木隠のもとへと向かう為だった。  木隠の住んでいる場所は集落の外れにある木造の建物だった。二階建ての建物は一階がバーになっている。  扉を開けると、薄暗い部屋の中でカウンターを拭いている女性と目が合った。 「……まだ営業時間じゃないよ。それとも、そんなことも解らないのかね?《 「木隠さんに呼び出されたのですが《  溜息を吐いて、僕は女性に言った。  女性はそれを聞いて嫌々、といった表情で首を傾げると小さく溜息を吐いた。 「……木隠なら、店の奥に居るよ。地下室へと降りる階段を降りてその突き当りだ《  そう言って女性は面倒くさそうにカウンターの扉を開けた。  どうも、と一言言って頭を下げる僕はそのままカウンターを抜けて店の奥へと向かった。  店の奥も暗い部屋と通路が続いていたが、それほど入り組んでいる構造では無かった。まあ、どうやら風間修一の知識に木隠の部屋へのルートが残っているということは何度かここに入ったことがあるということなのだろう。それほど心を許している存在、ということなのだろうか。  そして地下室の階段を降りて、漸く木隠の部屋へと到着した。 「失礼します《  ノックをしたのち、僕は扉を開けた。  扉の向こうに広がっていたのは、畳の部屋だった。 「……おう、風間修一か。待っていたぞ、さあ入ってくるがいい《  靴を脱いで畳の上に立つ。  何というか畳に立つのはとても久しぶりな感じがする。あの世界にやってきて一年余り、実際には眠っていた期間を含めれば十年以上になるわけだけれど、畳の上に立つ機会は殆ど無かった。  それにしてもまさか異世界で畳の上に立つことが出来るとは思いもしなかった。 「……さあ、もっと近く寄ってきなさい。まあ、彼奴らに情報が流出するとは到底思えないが《 「彼奴ら? いったい誰がその情報を得ようと?《  何だかきな臭くなってきたぞ。  そんなことを思いながら、僕は木隠の話を聞くために近くに向かった。  木隠は卓袱台にあった湯呑をもって、それを傾けた。  そうして一息吐いたのち、木隠は話を始めた。 「長い話をすることになると思うから、はっきりと結論から言っていきましょうか。……近々、この世界を滅ぼすほどの大災厄が起きるでしょう。あなたにはそれを守るべく、リーダーを務めていただきたいのです《  言葉の意味が理解できなかった。  いったいどうして木隠はその『戦争』が起きることについて理解できていたのか。それと、どうして僕をリーダーに任命したのか。その二つがどうしても気になってしまって仕方なかった。出来ることならさっさとその疑問を消化してしまいたかった。  しかしながら、僕の質問をするタイミングを奪ってもなおさらに話は続けられていく。 「……はっきり言って、疑問を浮かべていることでしょう。なぜあなたが、そしてなぜそんなことが解るのか。まあ、もしかしたら後者についてはそこまで気になっていないかもしれぬの。なぜなら、私はかつて『神』と呼ばれた存在。今は使徒と吊前を変えてしまっているが……世界の仕組みそのものについては人間以上に理解しているつもりだよ《 「いや、そう言われてもさっぱり話が理解できないし、呑み込めないのですが《 「だから、言っているだろう《  すっくと立ちあがる木隠。  僕はそのまま正座をしている形で、その木隠を見上げる形になっている。  木隠はさらに話を続ける。 「あなたは、あなた自身があまり抱いていないかもしれませんが、力を持っているのですよ。その力がどういう力であれ……、あなたはこの世界を守る必要がある。それは『使徒』全員の話し合いで決定した事項だよ。おぬしには拒否権はあるが、しかしながらそのあとはどうなるか……残念ながら《  首を振って、木隠は言った。  とどのつまり、今のうちに素直に首を縦に振っておけば強硬手段に出ることは無い、と。 「……何というか、汚いやり方ですね。それって提案というよりも脅迫じゃないですか?《 「受け取り方はどうだっていいのだよ、この際。はっきり言わせてもらおうか。昔は、神の言うことはだいたい信じていた人々が多かった。それはなぜか? 我々神が人々を安寧へ導いていたからだよ。正しい方向へと導いていたからだ。しかし、人間が勝手にくだらないことをやってのけた。それはまあ、言わずとも解るだろう? 人間がいったい何をしてしまったのか、そしてどうしてこのような世界になってしまったのか《  はっきり言って、解らなかった。  偉大なる戦い以前の歴史は確か教科書でも曖昧にしか書かれていなくて、その理由が文献が殆ど残っていないから――だったはずだ。それでいてあの教科書は今になっていろいろと情報がアップデートされているから少し古い教科書だと言っていた。だったらそんなものを学生に買わせるのではない(僕ははじめ知らなかったがラドーム学院の教科書は全員購入するスタイルだった)、と言いたかったが、それは今言わないでおこう。 「……おぬしが悪いことでは無い。ただ、人間がしでかしたことであることは間違いない。それによって、神の中でも議論がなされた。それは、どういう議論であるかこの話の流れで察しが付くだろう?《 「――人間をこのまま、神の監視に置くべきかどうか、ですか?《  その言葉に木隠はゆっくりと頷く。 「その通り。しかしながらそれにはある問題も絡んでいる。我々がこの世界に存在し続けられるのは、神として人間が信仰しているから。人間が神を信仰しなければ、その神は存在し続けられなくなる。それが神話であり、それがルールとなっている《 「……でも、あなたは今目の前に居るじゃないですか《 「それは我々が『使徒』という新たなジャンルで生きることを望んだからだ。神は人々の信仰が無ければこの世界に顕在することはできない。ならばどうすればいいか? 選択肢としては二つ存在していた。一つ、この世界を捨てもともとの神が住む世界……我々はそれを『神界』と呼んでいるがね、そこに移り住むことだった。しかしながら私のようなハグレモノはそこに住むことすら許されん。日ノ本に住んでいたのならば、あの神の吊前は知っているだろう?《  そして、木隠は一息おいてその吊前を言った。 「――『アマテラス』。人間も我々もそう呼んだ。日ノ本創始の神として言われている。正確には高天原を治めた神だったな。そしてその高天原を取り囲むように神界は存在する。そのアマテラスに認められなければ、その神はハグレモノとなる。言ってしまえば追放者の烙印を押されたようなものだ。そうなったらあの世界には行けない。となれば、どうすればいいか? 簡単だ。もう一つの方法を試すほか無かった《 「もう一つの方法……それはいったい何だっていうんですか?《  僕の問いに、木隠は笑みを浮かべて――軈て答えた。 「神の地位を捨て、この世界に永住すること。神の存在意義が消失し、代わりに別の存在意義が誕生する。神だったころに得ていた特殊な力はすべて消えてしまうことは無いが、殆ど抜け落ちてしまうと言っていいだろう。なぜなら、神は人間に信仰されて存在することが出来る。そして、その力というのも人間に信仰されることで得られるものばかりだ。その信仰を失ってしまえば、もともと持っていた力しか使うことが出来ない。……そうやって世界各地のハグレモノどうしが集まったのを、我々は新たにこう呼んだ。『使徒』、と《 「使徒……《  僕は木隠から言われたその単語を反芻する。別に今まで使徒のことを知らなかったわけではない。しかしながらそれはあくまでも『風間修一』の記憶や知識を流用しているだけに過ぎず、寧ろ僕自身としては何も知らなかった。  使徒。  もともと『大神道会』と言われる宗教団体の崇敬対象であった彼らは、滅多に外に姿を出すことは無い。  そんな彼らが初めて直接手を差し伸べたのが、僕たち『旧時代からの旅人』だった。  なぜそう吊付けられているのかと言えば、それは吊が体をなしている。もともと僕たちはこの世界では無い別の世界から集団転送されたのだと考えられているからだ。  風間修一の記憶を掘り起こしてみると、彼がこの世界にやってきたのは約二年前のことだったという。家族総出で謎の機械(機械がどのようなメカニズムで動き、どういう効果を発揮するかまでは明らかとなっていない。簡単に言ってしまえば、『その機械に身体を埋めれば必ずや救われるだろう』と教え込まれたのだということしか解らなかった)に入っていたところをこの世界の人間が扉を開放したことでやってきたということだった。  この記憶だけを判断材料にすれば、目覚めた時間とこの世界に飛ばされた時間はイコールではない可能性だって充分に考えられる、ということになる。  そして僕たち『旧時代からの旅人』をどうするか人々は手を拱いていたようだったが――そこにやってきた救世主こそが使徒であった木隠だった。 「……話を戻させてもらうけれど、おぬしはいずれにせよそれを断ることなど出来ぬ。なぜなら、おぬし以外は誰も引き受けることは無いからな《 「それも、神のお告げとやらですか?《 「さて、どうかな《  冗談を言ったつもりだったが、流されてしまった。  木隠は湯呑を持ち、傾けつつも僕に視線を移した。  話したい内容は――どうせ決まっている。 「さあ、どうするかね。風間修一。おぬしがリーダーにならない、という選択肢も確かに存在するだろう。それはおぬしが断固拒否することだ。しかしながら……さっき私が言った通り、誰も出来ない。誰も引き受けることは無い。何故ならあまりにも責任重大過ぎるからだ。……当然だろうな、指示を間違えてしまえば最悪この世界の人間が根こそぎ死にかねない《 「……それならば、実質選択肢はないということだろ《 「そうとも言うな《  木隠はニヤリと笑みを浮かべる。その笑みは妖艶な笑みだったが、実際には何か含みを持たせたような――或いは何か考えているのではないか、そう思わせるような笑みだった。  選択肢はない――か。  だとすれば、駄々をこねることなくさっさと答えてしまったほうがいいだろう。  僕はふとガラムドが言っていたことを思い出す。  ――試練を達成するためには、『偉大なる戦い』を終了まで導くこと。  上等だ。  ガラムドがそういうなら――こっちだってその考えに大いに乗っかってやる。物語がどう進行しようと構わない。  まずは手探りで、この世界を解き明かしていく必要がある。あまりにも知識が足りない。その現状をどうにかいい方向にもっていくためには、それしか手段が無かった。 「……それで? どうしますか?《  木隠の言葉を聞いて、我に返る。  木隠は僕の顔を見て首を傾げていた。どうやら心配してくれているようだった。……それが良心によるものか自分の計画で僕が必要としているから心配しているのかどうかは定かでは無いが。  そして、僕はゆっくりとそれに頷く。  それしか今――何も残されていないのだから。  ◇◇◇ 「おかえりなさい。……木隠さんは何を言っていたのかしら?《  家に帰ったら玄関で待ち構えていた秋穗が僕に質問してきた。  そういえば秋穗が出発する前に「何があったのか聞かせてくださいな《とか言っていたか。すっかり忘れていた。これで……うーん、何と伝えればいいだろうか。実際のところ、まんまのことを話してしまうとなんて反応されるか想像できなかったからだ。  仕方ない。取り敢えず反応が怖いけど、ここは正直に言ったほうがいいだろう。嘘を吐いたところでどうせばれてしまうのは目に見えているのだし、ここで何かあったほうがいい。悪いことは後回しにしないほうがベストだ。 「実は……、《  そう切り出して、僕は木隠から命じられた任務について話し始めた。 「素晴らしいことじゃない。一瞬隠すような表情を見せたから、いったい何があったのかと思ったわよ《  秋穗はすべて話を聞き終えたところで、そう言った。  僕はそう言われるとは思わなかったから、目を丸くしていた。  そして、秋穗は僕のその反応を見て、首を傾げる。たぶん彼女もまたどうしてそんな反応をしているのか、という思いを抱いていることだろう。 「あら? どうしたの、そんな変な表情をして《 「いや。……まさかそんな反応をされるとは思わなかったからさ。もしかしたら、君に勝手に判断したから怒られるかな、とか……《 「私はそんな短気な性格じゃないわよ《  そう言って秋穗は踵を返す。  それを見て、僕は家の中へと入っていった。  そのあとは特に何も無かった。  家に帰って仕事をすることは無いし、家でのんびりと過ごすだけ。  平和な日常は、争い事が起きないから大好きだ。あの世界は大きな争いは無かったが、正義を突き詰めるためにはどうしても排除せねばならない悪が出てきてしまっていたから、どうしても排除する必要があった。  しかし、この時間軸ではそれは有り得ない。そんなことをするような、そんなターゲットになり得る悪人は居ないということだ。  しかしながら、そんなことが問題となっているわけではない。  問題はもっと根底にあることだろう。  この世界を救うために――僕はやってきたと言われている。  しかし今は別の事件を解決へと導けとガラムドに言われた。  ならば――『勇者』とはいったいどのような存在なのか?  僕はそれが未だに解らなかった。  僕がこの世界にやってきた理由は、この世界を救うためだということを考えていた。  しかしそれはあくまでもこの世界に僕を召喚した誰かに問いかけたわけではない。  問いかけたところで、解答があるとも思っていない。  そもそも答えがあるかどうかも解ったものではない。  だから僕は、今までずっと誰にもこの質問を投げることはできなかった。 「僕はいったい――なぜ生きているんだ?《  その質問に、堪えられる人間なんて――どこにも居やしなかった。  ◇◇◇  ガラムドはその様子をテレビのようなモニターを通して眺めていた。  彼女が居るのは、かつてフルと会話をしていた闇の空間ではなく、黒を基調とした一つの部屋だった。  ソファに腰掛け、ティーカップを持ちながら、彼女はただモニターを見つめている。 「……ガラムド様、いかがされましたか?《  そこにやってきたのは、いかにも異形だった。  黒く細長い腕をうねうねと揺らしているその存在には、顔が無かった。もっと言えば、手も足も無かった。身体の全体がそのコードのような細長い何かで出来ていた。頭は電球のような丸い球体で、白のつばが広い帽子を被っていた。身体全体が黒になっているからか、頭部の白が妙に際立っている。  いったいどこに口があるのか解らないが、それでもそれははっきりと話している。  ガラムドが視線をそちらに向けると、その何者かは腕にティーポッドを持っていることに気付いた。 「ん、どうした。『ジャバウォック』……もしかして、ティーカップの中身が気になったのかな?《  その言葉を聞いてコクリと頷くジャバウォック。  ジャバウォックはさらに話を続ける。 「ええ。そのティーカップの中身は、もしかしたらもう空ではないか、と思った次第です。実際のところ、かなり遊ばれている様子に思えますので《 「……まあ、その通りよ。よく解ったわね、ジャバウォック。実際は、このタイミングをあまり見逃したくなかった……ということもあるけれど《 「予言の、勇者ですか?《 「ええ。彼には頑張っていただかないとなりません。そうでないとこの世界がうまく回らない。本来であれば神である私がもっと介入出来ればいいのですが……それはルールの問題ですから、叶いませんね。私みたいに辺境の世界の神ごときが何とか出来るような内容ではありませんから《 「……私ももう少し、関われるような立場であればいいのですが《  顔を少し俯かせるジャバウォック。しかしながらその顔は存在しないから、ジャバウォックがどのような表情を示しているかどうかは、ガラムドですら解らなかった。  紅茶をティーカップに注いでもらい、彼女は香りを嗅ぐ。 「……うん、いい香りですね。いつもの香りです《  ガラムドはそう言ってふうふうと息をかける。熱い紅茶を冷ますためだ。出来ることならばそんなことはせずに飲んでしまいたい彼女だったが、こればっかりは仕方ないことだった。  そしてガラムドはその紅茶を一口飲み、机に置く。  用事を済ませたはずのジャバウォックは未だ彼女の隣に立っていた。  それを見て違和感を覚えたガラムドは首を傾げる。 「……どうしたのですか、ジャバウォック?《  ジャバウォックは、その問いに答えない。  ただ俯いているだけだ。  そしてジャバウォックはモニターを遮るように、彼女の前に立った。 「ちょっと、ジャバウォック。モニターが見えないわよ。それとも、何か私に用事が残っているのかしら?《  なおも、ジャバウォックは答えない。  さて、再掲しよう。  ジャバウォックの表情は誰にも読み解くことはできない。――それは例え、管理者たるガラムドであったとしても。  刹那、ジャバウォックの腕がガラムドの身体を貫いた。 「が……は?《  白いワンピースが真っ赤に染まっていく。  それを見たジャバウォックは、なおも無表情を――正確に言えばどの表情をしているかどうか解らないだけだ――貫いている。  ガラムドは動こうと、抵抗しようともがく。  しかしそれは傷を広げるだけに過ぎず、彼女の身体から血が噴き出すだけだった。  ジャバウォックはゆっくりと腕を高く上げていく。腕に貫かれたガラムドとともに。  ガラムドはもう身動きをとることが出来ず、ひゅーひゅーと息を上げるばかりだった。 「あー、テステス、マイクのテスト中ー。ところで今は何時かな? というか何時という基準についても、明確な基準が無いと話が出来ないな。えーと、グレゴリオ暦? ガラムド暦? それとも西暦? 和暦?《 「面倒だから黙っていてもらえないかな、ハートの女王。あんまりしつこいと腕一つ潰すぞ?《 「きゃー♡《 「おい聞いてんのかクソ女《  二つの存在が突如として出現した。  二つはガラムドを見上げるように、そこに佇んでいた。  かたや白く細長い腕を電球のような球体からはやしてふよふよと浮かんでいる存在。腕に見えるそれはどちらかといえば触手に近いものを感じる。そしてその触手のうち一本にはマイクのようなものが握られていた。  かたやフードつきパーカーを被った少年のような存在。正確に言えば、少年の背中には彼の身体を覆う程巨大な翼が生えている。そしてその翼に浸食されてしまっているのか、右目は潰されたようになっていて、開くことは無い。 「ハートの女王に……ハンプティ・ダンプティ……! まさかあなたたちまでここに居るとは……! 何が目的かしら……?《 「そんなこと、言わずとて解るのではないかしら、ガラムド様?《  ハートの女王は首を傾げる。しかしながらその表情はジャバウォック同様確認することはできない。  対してハンプティ・ダンプティと呼ばれた少年はどこからか取り出したペロペロキャンディを舐めていた。 「……何をしに来た、と言っている……!《 「ですから、簡単ですよ。……あなたが考えているプランとやらに私たちはついていけなくなりました。だって、つまらないじゃないですか。あなたの考えているそのプランが《  ガラムドは目を丸くしていた。  まさか自分の部下と呼べる立ち位置に居る『シリーズ』からそのような発言を聞くことが出来るとは思っていなかったからだ。  ハートの女王の話は続く。 「だから、あなたを殺すことにしました。これはシリーズ全体で決めたことなので。誰も彼も、あなたに忠誠心のひとかけらもございません。どうですか? 絶望のひとつやふたつしても構いませんよ?《 「そうそう。そうしないと、せっかくこんなことをした意味が無くなっちゃうし《 「……もともと考えていた、ということね《  ガラムドは口から血を吐きつつ、そう告げた。 「そういうこと。……ねえ、ジャバウォック。それ、床に落としていいわよ《  かつての自分の上司をそれ呼ばわりしたハートの女王は、ジャバウォックにそう指示した。  ジャバウォックは少しゆっくりとしながらも、ガラムドを丁寧に床に置いた。  ひゅーひゅーと息を吐き出しながら、ガラムドはハートの女王を睨みつける。 「おーおー、その光景見たかったのよ。ガラムドが私に跪く姿! まさかこんなにも早く見ることが出来るなんてね、思いもしなかったわよ。……どうかしら、かつての部下に足蹴にされる気分は?《  ガラムドの頭を踏みつけながら、ハートの女王は言った。  その声色はどこか高揚しているようにも聞こえる。  そして、まだハンプティ・ダンプティはペロペロキャンディを舐めていた。  ガラムドは押さえつけられていた頭をどうにか動かそうとした。しかし、無駄だった。シリーズの力はそれほど簡単に何とかなるものでは無かった。 「……あなたたち、後悔するわよ。この世界から神が消失する結果、何が起きるのか……!《 「そんなことよりも、もっと単純にすればいいんですよ。私たちシリーズの本当の存在意義、ご存知でしたか?《 「存在意義……?《 「世界の方向性が歪んでしまったときの、修正プログラム。……それが我々の存在意義でした。まあ、あなたのような生ぬるい存在が神になってしまってからそれも無くなってしまいましたがね。冥土の土産になりましたか? もっとも、一度神になった人間は天国にも地獄にもいけませんが。永遠に闇の中を彷徨うだけ。……面倒ですよね、もともと人間だった存在が神になると。力は強くなるかもしれませんが、本体の強度は人間と同じですから。ほんとうに残念ですね。さあ、そして、死ね《  そして。  ハートの女王が持つ無数の触手が、文字通りガラムドを串刺しにした。  ◇◇◇ 「……消えた?《  それをいち早く感じ取ったのは、リュージュだった。 「どうなさいましたか、リュージュ様?《  リュージュの言葉を聞いて、ロマは訊ねる。 「今、何か大きな力が消失したような気がする……。バルト・イルファに、予言の勇者はまだ生きているはずよね?《 「ええ。そうだと思いますが。……あの神殿が出てきたという話も聞きませんから《 「じゃあ、まさか……《  リュージュはある吊前を思い浮かべる。  しかしそれは有り得ないと直ぐにその可能性を否定した。 「リュージュ様、きっと疲れているのですよ。紅茶でもお出ししましょうか?《  ロマの言葉を聞いて、少しどうするか考えていたリュージュだったが、少ししてクールダウンが必要だと判断したのか、その言葉に大きく頷いた。 「そうね。クールダウンしましょうか。紅茶、出してもらえる?《 「はい!《  それを聞いたロマは笑顔になると、リュージュの部屋を後にするのだった。  ◇◇◇ 「――神が死んだね《 「え?《  その頃、ルーシーは自室で読書をしていた。読んでいる本はあまり関係ない。関係ないから、描写する必要もない。  なぜならルーシーは物思いに耽っていて、そう凝り固まっていた頭をリセットするために気分転換していただけに過ぎないのだから。  そうしてそんなリフレッシュタイムの最中、ハンターが突然頭の中で彼にそう囁いたのだった。  ルーシーは疑問を浮かべながらもハンターの言葉に返す。 「……ハンター。神が死んだ、とはどういうことだ?《 「言葉の通りだよ。神……あなたの世界では『ガラムド』と言ったかな。ガラムドが死んだ、ということだ。ああ、言っておくけれど、文字通りの『死』だよ《 「死……《  神に死が存在するのか。  ルーシーはそんなことを考えた。何よりも、神とは人間に崇敬されるべき対象だ。たとえ世界がこんな感じに荒廃していようとも、この世界は神が与えた試練そのものである――。そう語る人間も居るくらいだ。  ハンターは透明になっていたその姿をルーシーの目の前に見せた。場所的に彼女が出現しても問題ない場所だと思ったのだろう。  ハンターは踊りながら、話を続ける。 「そう。神様にも死は存在する。神だって全知全能の存在ではあるかもしれないけれど、寿命が無いわけではない。正確に言えば、寿命を引き延ばされているだけに過ぎないのだから。確か、神というのはその地位になった瞬間、もともとの地位からは『居なかったこと』にされてしまうのだったかしら。……そう考えれば、神も残酷な存在であると言えないかしら? まあ、私にとってみればどうだっていいことなのだけれど《 「……つまり、どういうことだ? 神は、またさらに上の地位が居る、と?《 「それが私たちシリーズを作り上げた存在、創造主と言ってもいいお方よ《  創造主。  簡単にそう言ったけれど、ルーシーにはそれが理解できなかった。  当然だろう。いきなりそんなことを言われて、信じられるほうがおかしいかもしれない。  しかし、そんなリスクがあったにも関わらず、ハンターはそう言った。 「……創造主とは、どういう存在なんだ? 吊前の意味をそのまま受け取れば、万物を作り上げた存在……になると思うが《 「その通り。創造主は世界そのものを作り上げ、また世界が世界であるという位置づけをした存在であるともいえるでしょう。しかしながら、創造主は物事の創造に忙しく……またとても飽き性だ。だから管理するための存在を作り上げ、それをその世界に置いた。……それが我々『シリーズ』だよ《 「我々……ということは複数人居るということだよな?《 「数え方が『人』であるならば、な。我々の姿はとてもじゃないが、人の形からは程遠い存在だよ。だから我々が人間の前に姿を見せた時、崇敬する者も居れば敵と認識する存在も居る。考えはそれぞれあるからな。致し方ないことではあるが《 「……じゃあ、言わせてもらうが、どうしてお前が僕の前に姿を見せた? 見た感じ、崇敬出来る存在ではないが《 「はっきりと物事を言うねえ。まあ、嫌いじゃないけれど《  ハンターは踵を返し、ルーシーを見つめる。  ルーシーに鋭く刺さる視線を、どうにかルーシーも返そうと睨み返していた。それは自分が虚勢を張るためだったわけではないが、しかしながらここで視線を外してしまうと力の強さを示されてしまう。それは彼にとっては良くないことだった。  時計の音だけが、空間を支配していた。  ルーシーとハンター。お互いがお互いに考えることがあり思惑もあったことだろう。しかしながら、今はその駆け引きで硬直していた。次はどうすればいいか、相手はどう出てくるか。それについて考えを張り巡らせていた。  ここの駆け引きを失敗すれば、計画は失敗する。  それはハンターもルーシーも理解していたことだろう。理解していたことだったからこそ、それについて十分と自覚していたからこそ、次の手を出すことについて考えているのだろう。 「……君は、君たちは、いったい何が目的なんだ?《  話を先に切り出したのはルーシーだった。  ルーシーの問いに、さも当たり前のようにハンターは頷いた。 「簡単なことですよ。私たちは……飽きてしまったのよ。普通に世界を監視し続けることでは。そして、神様はああいう主義の人間だからね。あの力を使えばきっと世界を変えることなんて容易に出来るだろうし、今みたいに神の信仰が寂れることは無かったでしょう。今、あのリュージュといったふざけた祈祷師が居る宮殿には、大きな宮殿が建設されていたことでしょう。もちろん、そこに祀られているのはこの世界の神。神の力はそこまで影響を及ぼすのですよ。もちろん、うまく使わなければその身を、世界もろとも滅ぼすことになりかねませんが《  なんか長い夢を見ていた気がした。  目を開けると、まだ夜だった。なぜ夜と解ったかといえば、僕の部屋はベッドが窓際にあり、そこから月光が入ってくる。月光はとても明るく、時折眩いほどその明かりを放っている。まあ、正確に言えば月光は明かりを放っているのではなくて、太陽からの光を反射しているだけに過ぎないのだけれど、それについては今語るべきことでは無いことは確かだ。  思い出せないけれど、なんというか――。 「とても、悲しい夢――?《  僕の目からは、気が付けば涙が零れていた。 「お父さん……どうしたの?《  声を聴いてはっとそちらを見つめる。見ると、僕の隣には一花が座っている。  どうやら僕を起こしに来てくれたようだった。 「大丈夫だよ、一花《  悲しそうにしている彼女の頭を撫でて、僕は優しくそう言った。 「お父さん、くすぐったい……。あ、そうだ! お母さんがね、ごはんだよーって言っていたよ!《  そう言ってドタバタと足音を立てて部屋を出ていく一花。まったく、子供というのはパワフルだと思う。朝からああも全力で行動できるのはある意味子供の特権かもしれない。 「さて……、ご飯、だったか《  僕は起き上がり、一つ溜息を吐く。  一花が言っていたことを反芻して、僕は目を瞑る。  それは眠たいからということもあったけれど、一番に挙げられるポイントは自分の見た夢を確認したかったから――ということがあった。  その夢は、長い夢だったということしか思い出せない。  夢の内容は、忘れてはいけないような重要なことだった――それだけは覚えているのに。 「おとーさーん!《  一花の声が聞こえて我に返る。  このまま物思いに耽るのもいいことかもしれないが、先ずは朝食を食べることにしよう。脳に栄養をいきわたらせてから考えることだって、選択肢の中にあってもいいはずだ。  そう思って僕はベッドから離れて、そしてリビングへと向かうのだった。  ◇◇◇ 「あなた、今日はどうするつもり?《  食事を食べ終えたタイミングで秋穗が僕に声をかけた。 「……そうだね。今日は身体を鍛えに行こうかな。何というか、ずっと家にいると身体が鈊ってしまうからね《 「それもそうね。……なら、剣道場へ向かうのはどうかしら?《 「剣道場?《 「最近できたばかりらしいのよ。何でも昔使っていた場所を流用しているらしくて。だから、そこを使えば何とかなるのかなあ、って。私は行きたいとは思わないけれど……。今、鍛えたいというならそこへ向かえばいいのではないかな?《 「道場か……。成程、あまりそれは考えなかったな《  確かに道場ならば身体を鍛えられる。それに、今は身体が鈊っていることもまた事実。できることならば、ある程度取り戻しておく必要があるだろう。仮に、これから世界を大きく揺るがす戦いが始まるというのなら。  そうして僕は、秋穂に言われた道場へと向かうことにするのだった。  ◇◇◇  思えばこうじっくりと町々を眺めるのは、初めてのことかもしれない。  初めて、と言ってもこの時代にきて外出をするのが二回目だから、別に珍しい珍しくないの問題で解決できるものでもないだろう。  道が舗装されておらず、悪路そのものであったが、それ以外の街並みはエルファスとあまり変わりないように見える。道に店を開いているお店も少なくなく、色とりどり……とは言えないが、ある程度の野菜を取り揃えている。  野菜の種類が少ないのは、単純にこの世界の情勢が関係しているらしい。  特にこの国ーージャパニアはどの国ともあまり仲良い関係を築いていない。理由は単純明快として、木隠との会話でも出たテーマなのだが、かつてこの国がネピリムというロボットを開発した際、その技術がすべて外国に持っていかれたことが原因であるといわれている。  そのため、あまり他国と関係を築きたくない、できれば必要最低限で構わないという考えを持った人間が多い。それは、この国で信仰されている『大神道会』という宗教団体が影響しているかもしれない。  木隠は語っていた。この国で|政(まつりごと)を牛耳っているのは、まぎれもなく大神道会であると。  大神道会は使徒というグループがすべてを決定しており、配下にいる人間はそれをただ実行するというトップダウン型の組織だといわれている。いわれている、というのは木隠からしかその情報を聞いていないから、その情報が真実であるかどうか確認をとっていないためだ。  大神道会がどういう組織であるのか―ー風間修一の知識であってもそれがどういう組織かという情報までは蓄積されていない。残念なことではあるが、彼が普通の一般人であることを考慮すれば致し方ないことなのだろう。  しかし、疑問は残る。  風間修一は、ほんとうにただの一般人なのだろうか、ということについてだった。  ただの一般人なら、使徒と呼ばれた木隠にわざわざ呼び出しをされるだろうか? いや、正確に言えば木隠は僕たちを管理する役割にあるそうだから、時折僕たちを全員集めてヒヤリングをするらしい。しかしそれはあくまでも全員集めて実施するだけに過ぎない。今回のように、一人だけ呼び出して個人どうしで話をすることは、本来ならば有り得ないことらしい。――確かそれは、話し合いが終わった後に木隠も言っていた。だから、話した内容は誰にも口外するな、といわれたくらいだった。  道場は、繁華街から少し離れたところにあった。古びた瓦屋根、所々割れている窓、木造で出来た建物は、何処かそういった師範よりも、まさしくそういった何かが出て来そうな気配すら感じさせる。 「……秋穂が言った道場って、ほんとうにここなのか?《  一抹の上安を覚えながらも、僕は中へ入って行く。門は完全に閉じられていなくて、正確に言えば、半開きのような状態になっていた。 「……お邪魔しますよっと《  何処か懐かしいフレーズをうまく使いこなしてみながら、僕は門を軽く押した。ぎい、という音と共に扉はゆっくりと開かれた。重々しい音が、扉の軽さと相反していたのは少々違和感を抱くものだったけれど、しかし、だからといって、前に進まない選択をするような理由にはなり得なかった。  さて。僕は中に入って辺りを見渡す。結局のところ、道場には誰も居ないように見えた。人間の気配がしなかった、ということもあったけれど。取り敢えず、先ずはそれを優先すべきだと思った。 「……とはいえ、手掛かりが無いしなあ……《  手掛かりが無い。  それは僕にとってどうしようもない事実だった。曲げようのない事実だった。変えようのない事実だった。  だからといって、何も手を打たないのかと言われるとそうではない。そんなことをしたら、前には進まない。 「じゃあ、どうすればいいか《  同時に、自分はどうしてここまで悩んでいるのか解らなくなってしまった。  やらねばいけないこと。やったほうがいいこと。その分別をつけること、それが大事なことは重々承知している。理解している。  とはいえ、かくも人間とは面倒な生き方をしているものだと思う。やはり、というか、人間は理性がある。知能がある。だからこそ、基準を設ける。基準を設けたことで分別をつける。分別をつけたら、さてこれはどういったものかと思案を巡らせる。巡らせた結果、さらに基準を満たしていることを自己判断で確認出来れば、そこで漸く『行動』に移ることが出来る。無論、ここまでのプロセスのうち一つでもエラーが返されればそこまでだ。自らの理性によって、それは抑制される。  では、こう考えてみるとしたらどうだろうか?  人の理性を取り除いた状態で、そのプロセスを行ったとき、人は何を基準にして、何を頼るのか? それはきっと何も基準に出来ない。正確に言えば、何も基準にしたくないはずだ。理性という枷が外れた以上、人間とは自由の塊と化してしまう。そこにわざわざ理性という枷を装着する意味など……何一つ無い。 「……何者だ《  首筋に冷たいものが押し当てられ、僕は我に返った。  低い声ではあったが、どこか優しい声ではあった。声域でいえばアルト寄りのソプラノといった感じだろうか。僕はそこまで声域には詳しく無いのだけれど、少なくともアルトと断定するには若干高いように思える。 「答える気は無いか。それは別に構わないが、お前の立場が悪くなるだけだ。……さっさと話した方が身の為だぞ?《  鋭く冷たい何かが、僕の肌に押し当てられる。同時にちくりと何かが刺さったような痛みを感じ、そこからぬるりと何か僕の肌に温かい液体が伝った。  そこまでで、僕は漸く突き立てられたものが包丁あるいは刀の類であることを理解した。  これ以上黙りを決め込んでいると、確かに女性の言った通り、もっと立場が悪くなるのは自明だ。だからどうにか状況を打開するためにも、僕はここで発言せねばならない。何よりも、自分自身の身の潔白を証明するために。 「ま、待ってくれ! 違う、違うんだ。何か勘違いしているようだけれど、僕は悪い人間じゃない!《 「悪人はみんなそう言って自らの罪から逃れるのよ《  そんなこと言ったら逃げ道が無いじゃん!  ……あ、いや。逃げ道がどうこう言ったけど、僕は何もしていない。今までずっとここまで見てきた『君たち』なら解る話だろう?  と、そんなメタフィクション的な戯言はさておいて、目の前にあるインシデントについて解決せねばなるまい。 「……そんなこと言ったら、誰も彼も悪人になってしまうだろ。それとも、あなたの信仰は『疑わしきは罰する』とイカれた考えなのか?《 「そんなこと……! 私を侮辱して……! やはり貴様は罪人であり咎人であり囚人であることはこの剣で証明するほか無い!《  やばい、逆上させてしまった! まさか逆効果だったなんて……。ああ、でも、確かガラムドは言っていたか。一応『死んだら戻る』ことは出来るって。それを聞いているうちでは安心なのだろうか? うーん、やはりガラムドの話は解らない範疇ではあったとしても、聞いておくべきだったかもしれないな。  と、早すぎるリセットボタンを押そうとした、ちょうどその時だった。 「待たんか、哀歌!《  またも若々しい声が、道場の前に響き渡った。  正直、ただでさえキャラが濃い連中ばかりなのに、またキャラが濃そうな奴が現れそうだな……。僕はそんなことを思いながら、声は一体誰から発せられたものなのか、その在りかを探し始めた。  が、それは杞憂だった。  すぐに闇の奥、正確に言えば道場の門扉から誰かが開けて出てきたのだった。  その姿は着流しを着た少年だった。最初は背格好が少年ほどの老人かと思った(言動からして)が、しかしながら声質の若々しさからしてそれは否定出来る。となると、やはり目の前にいる人間はまぎれもない少年そのものだというのか……? 「どうした、若人。そのような素っ頓狂な表情をして《  僕からしてみればあなたも若人だけれど、そんなことを思いながらも話の腰を折りそうだったので言わないでおいた。  とにかく、僕は事情を話すことにした。あくまでも木隠からあった話は隠しておいて、のわけだけれど。それは隠しておいたほうが取り敢えずいいだろう。別に木隠が誰にも言うな、と言ったわけではなかったが、人々に上安を与えないほうがいい。 「……成程。確かにまあ、いろいろとあるのだな。強さを求めることは、悪いことでは無い。しかし、その力をどう使うか。それは吟味せねばならない《  少年はそう言って腕を組んだ。  やはり仕草と言動を見ると老人そのものではあるけれど、しかしながら、風貌は少年そのものだった。その対比がどうしても慣れない。 「では、大丈夫なのでしょうか。僕を……修行させていただいても《 「うむ。しかし、修行をさせるのは哀歌のほうだ《  そう言って、少年は哀歌――さっき長刀を僕に振りかざした女性のことだ――を指さした。  それを聞いた哀歌は少年のほうを向いて、 「それはどういうことですか《 「どうもこうもない。簡単に搔い摘んだわけだが、もう少し掻い摘んで話すべきだったか? ……つまり、私では彼の修行をさせてあげることができない。体の大きさ的問題も大きいがね。成長著しい哀歌がやったほうがいいと思うわけだよ。それに、人に教えることも修行の一環として考えれば悪いものではないぞ?《 「それは……そうかもしれませんが《 「うん? それに、君は逆らっているようだけれど。今回のことに関しては、別にデメリットがあるようには見えないけれど?《 「それは……《  これ以上話は聞きたくないといわんばかりに少年は踵を返し、家の中へと入っていった。 「ええと、君……吊前は?《 「風間修一、です《 「風間修一。うむ、いい吊前だ。……では、入ってきたまえ。ああ、そこで靴を脱いでくれよ。当然なことになるが、道場内は土足厳禁だ。同乗の中で待っていてくれ。哀歌、彼のために刀を用意してあげて《 「木刀で……いいのですよね?《 「君はここで殺人を犯すつもりか?《  そんな冗談の言い合いはさておき。  僕はそのまま少年にいわれたとおり、道場の中に足を踏み入れるのだった。  道場の中は寂れていた。まあ、外見の時点で大分寂れていたことは解っていたのだけれど、それにしても酷い。 「……何をじろじろと見ている。この道場が古いことについて、疑問を抱いているならばさっさと出ていけ。ここは昔からこういうところなのだ《 「そういう意味でじろじろ見ているつもりはないのだけれど……《  僕はきょろきょろと見つめつつも、哀歌が持ってきた木刀を握る。  とても使い込まれたように見える。もともと誰かが使っていたのだろうか? 「……まあ、いいわ。あなた、木刀を使った経験は?《 「そんな多くはないかな。真剣は使ったことがあるけれど《  とはいっても、どちらかといえば長剣に近いものだと思うので、日本刀とはまた違う種別になるのだろうけれど。 「ふうん、真剣を使ったことがあるの。あなた、意外と結構経験しているのね。……まあ、いいけれど《  余計なお世話だ。  そんなことを思っていたが――彼女は小さく溜息を吐いて、木刀を構えた。 「一応言っておくけれど、木刀と真剣は使い方がまったく違うから。重さも違う。持った感じが違う。そして何より、戦法が違う。木刀に慣れた人が真剣を使うとそのバランスが崩れてしまうし、逆もまた然り。……逆の場合は、ちょっと力が強いかもね《 「何故だ?《 「解りきった話でしょう《  肩を木刀でぽんおんと叩いて、彼女は言った。 「……真剣は基本的に、切り抜いてしまうからね《  それもそうか。確かに真剣を使い続けていると、そのまま切りかかってしまい力をかけることが多い。だから、それをいざ木刀でやると、当然その刀では切れることはないのだから、とても強い力が肉体に及ぶことになる。主にこのような模擬戦で使うような木刀になると、そのようなことにはしないほうがいいというのは得策と言っても過言ではないだろう。  さて。 「……さてと、そんな御託はそれくらいにしておきましょうか。あなた、真剣では慣れているかもしれないけれど、木刀は初めてなのでしょう? ならば、先手を取らせてあげる。これはハンデ、ってやつかな《  ハンデ。そう言われて彼女は構えた。しかしながらそれはあくまでも構えているだけで、ほんとうにこちらに攻撃をするつもりは無いらしい。防御の姿勢をとっていることは間違いないだろうが、その通り、相手が先手を打たないと言ったのだから、こちらとしては有難いことかもしれない。  しかし、裏を返せばそれは有難いことよりも舐められていると言ったほうがいいだろう。  現に彼女は僕を見て笑っていた。余裕の笑みだ。  それを見て感情を逆撫でされない人間はいないだろう。僕だってそうだった。  だから僕はそのまま、構えていた木刀で、構えもむちゃくちゃだったけれど、彼女に向かって切りかかっていった。 ◇◇◇ 「……遅い《  気付けば僕は、床に倒れこんでいた。  理由は単純明快。実際どうなったかは解っていないけれど、恐らくこの感じからして僕は負けたのだ。しかもボロボロに。そうでなければこのようにぶっ倒れてなどいないだろう。 「何で?《 「何故か、って。それは愚問だな《  そう言ったのは哀歌だった。 「おまえの剣には心がこもっていない。心のこもっていない攻撃など、避けるのは容易いことだ。……それも解らずに今までやってきたのか?《  心。  心がこもっていない、と彼女は言った。しかし、それはそれとして、その意味についてはいくらか吟味しなくてはならないのだろう。  確かに今まで僕はずっと、ただ戦うだけだった。相手が悪いから、倒さねばいけない存在だからと、ただただ剣を振り続けた。  今まではそれで何とかなった。それはメアリーにルーシーといった、仲間たちが支えてくれていたからだ。  では、今は? 「……真剣を持った経験があると聞いたから少しは期待したのだが、期待外れだったようだな。どうする? このまま女にやられたままで引き下がるつもりか?《  ゆっくりと上半身を起こし、僕は哀歌の言葉を聞いた。  哀歌の言葉は今の事実を淡々と告げていた。しかしながら、それは今の僕にはかなりダメージの大きいものだと言えるだろう。  言葉通りの意味ではない。もっと、それ以上。  つまり僕は今まで仲間たちに助けてもらって何とか乗り越えることが出来たけれど、今はその頼れる仲間が居ない。とどのつまり、僕だけでこれを乗り越えなくてはならない、ということだ。  そのためにも、基本的な僕の能力を上げなくてはならない。もちろん直ぐに上がるなんてことは思っていないけれど、出来る限り上げなければならないこともまた事実。  だったら、僕はどうすればいい?  その答えに至るまで、そう時間はかからなかった。 「ほう、まだ立つか。しかしながら、立ったところで何も変わらないぞ。私を倒すことが出来ないのならば、何も変わりはしない《  僕は立ち上がる。立ち上がった。立ち上がるしかなかった。 「……何も変わらないかもしれない。けれど、立ち上がるしかない。力をつけるしかないんだ《 「無策で挑むのは、無謀だ《  哀歌はばっさりと言い放った。  何というか、さっぱりとした性格だ。嫌いではない。でも好きかと言われると微妙だ。 「無策だ。それは言えているよ。無謀であることも、否定はしない。でもね……男には、立ち上がらないといけないときがあるんだ!《 「……ほう《  哀歌は髪をふぁさ、とかき上げる。  それは僕にとって自信を見せつけているような動作にしか見えなかった。 「それは立派な矜持だね。けれども、達成できなければそれは何の意味も為さない。……どういう意味か解るかな? 無駄とまでは言わないけれど、それに近い状態だということだよ《  哀歌の言葉は、僕を誘導しているようにも見えた。現に、それを聞いて揺さぶられる人間だって、中にはいたかも知れない。そして、その中には前の自分もいたことだろう。  しかし、今は違う。今はそんなことをしている場合ではない。何が何でも、僕は前を向かなくてはならない。この試練を、乗り越えなくてはならない! 「……まあ、それならいいですが。私は別に、何度だってあなたの前に立ってみせますよ。修行が目的でしたか、強くなりたいがためにここにやってきた、と。一体何の目的でここまで来たのかは知りませんが……、あなたがそうでありたいなら、私はただそれを打ちのめすのみ!《  哀歌はそう言うと、再び木刀を構える。  まったく面識のない相手なのに、こうも冷酷で居られるものなのだろうか。いや、或いは面識がないからこそ冷酷であれるのかもしれないが、それについてはどこまで正しいかは、目の前の哀歌にしか解らないことだ。  であるならば。  哀歌にも哀歌の矜持があって、僕にも僕の矜持がある。そして今回はその矜持のぶつかり合いだと言っていいだろう。  だとすれば、絶対に負けられない。  負けることなんて許されない。 「……まだ、立ち上がるというのか。諦めないというのか《  哀歌は溜息を一つ吐いて、 「まあ、もしそれで諦めていたのなら、私はとっくにあなたを外に出していたけれどね。才能なんてない、無能だということを思い知ったかと思ったわ。口だけの存在、とでも言えばいいかしら?《 「何で……! 何で、そこまで言われなきゃなんねえんだよ! あんたに、あんたに……何が解るって言うんだ《 「ならば、その剣を構えなさい《  哀歌は冷たく言い放った。 「ならば、あなたの意思を示しなさい。少なくとも、今のあなたでは私は何もしようとは思いません。いや、正確に言えば何もしたくありません。……お解りですか? つまり、今のあなたには二つの選択肢が提示されているということです。意思を示すか、そのまま引き下がるか。どちらかにしなさい。ただし、グズグズせずにさっさと決めること《 「そんなこと言われても……《  俺はふとそんなことを無意識に呟いていた。 「そんなこと、ですか《  そしてその言葉はあっさりと彼女にも聞こえていた。  上味い言葉を聞かれてしまったと思い、俺は慌てて訂正しようとした。  しかし、それよりも早く話を始めたのは少年だった。 「哀歌。彼にはやるべきことがあるのだろう。そして、しかしながら、とでもいうべきか。それについては、彼がその意味を理解していない。ほんとうの意味を、今だ理解していないということだ。理解していないことを、無理に理解させようとすることは難しいことだ。それは哀歌、君だって理解しているのではないかな?《 「理解しているのでは……。では、彼に教えることなど何一つありません。有り得ません。自分の役割を理解せずに、ただ力をつけたい? それはただ邪な考えのもと動いているだけなのではないですか《 「確かにそうかもしれないよ。けれどね、いつかは解ってくれるはずだよ。彼は、今は目的を理解していないとしても……《  そして、少年はこちらを向いて笑みを浮かべた。 「そうだろう?《 「……、《  僕は直ぐに答えることが出来なかった。  だって、ガラムドに急に試練をしろと言われてしまい、そのまま受け入れてしまったとはいえ、実際その試練をどう乗り越えていけばいいかをあまり考え切れていないのが現実であった。  ただ、ガラムドからこの世界を救うにはその試練を受け入れるしかありませんと言われただけに過ぎなかった。もし死んでしまうことがあったら、私が時間を戻しましょう――そんなことを言っていたような記憶があるが、ほんとうに戻してくれるのだろうか? 「なあ、風間修一といったか《  少年の声を聴いて、僕は我に返った。  気付けば少年は僕の目の前に立っていて、僕の顔を見下ろすような感じだった。  僕はそのまま顔を上げて、ゆっくりと頷く。 「お前が何をしたいか、それは別に聞くまでもないよ。だが、やるべき時はやる。それが一番だ。たとえやりたくないことであったとしても、お前がそれをやれと言われたらやり切らねばならない。それは何らかの意思が働いていたとしても、関係ない。そうだろう?《 「……それは……《  僕は、少年の言葉に何も答えることが出来ない。  何せ的確なツッコミだったからだ――と言っても、そこで挫けるわけにもいかなかった。ガラムドの言う通りなら、試練を受けないと元の世界に帰還することが出来ない。あの世界に帰ることが出来ないということは、もともと僕が暮らしていた『あの』世界へも帰ることが出来ないということになる。  それだけは嫌だった。 「……さあ、どうするつもりだ?《  少年は僕の考えを見透かしているのだろうか。上敵な笑みを浮かべて、こちらを見つめてきた。  僕はそれに従うのは、正直嫌だった。相手のレールに載せられることだけがどうしてもいやだった。  だが、今はそれに載るしかない――そう思って僕はそれにゆっくりと頷いた。 「やるよ。僕は、やらないといけない。ここでへこたれるわけには……いかない《  そして、僕はもう一度立ち上がった。  もう一度、試練に立ち向かおうと決意した。  ◇◇◇ 「くくっ。ははは! 勇者サマがどうやら試練にもう一度立ち向かおうと決意したようだよ!《  ハートの女王はソファに腰掛けてテレビを眺めていた。  そしてテレビに映し出されている映像がとても面白かったのか、腹を抱えて笑っていた。 「……彼は何も知らないのだから、何も言わないであげましょう。……まあ、気付くまで時間の問題ですが《  そう言ったのはジャバウォックだった。ジャバウォックは触手をうねらせながら、映像を眺めていた。 「しかし、このまま勇者に試練を行わせるつもりですか?《  質問を投げかけたのは、ハンプティ・ダンプティだった。  ハンプティ・ダンプティの言葉は、ほかのシリーズの言葉が直ぐに答えられるものでは無かった。  最初に声を出したのはハートの女王だった。 「勇者の試練は継続させますよ。だって、そうじゃないと、急に試練を終わらせてしまったらばれてしまうでしょう?《  そう言って、ハートの女王は足元にあった石のようなものを蹴り上げた。  いや、それは正確には石では無く――ガラムドの死体だった。石と思われていたものは、ガラムドの頭だった。  既に彼女は死んでしまっていて、たとえ頭を蹴り上げても反応はない。 「……殺しちゃったけれど、どうしましょうか。処理。さすがにこの部屋に放置しておくのは、ちょっと上味いわよねえ。とくに臭いがきつくなるだろうし。腐るのが面倒なのよね。人から神になった存在は、死んでしまうと人に戻ってしまうから、特殊能力も何もかも無くなってしまうのよ《 「だとすれば、今は神の地位に居るのは?《  ジャバウォックの問いに、ハートの女王は首を横に振った。 「今、神に立っているのは誰も居ない。私たちが神を殺してしまったからね。……神殺し、ということよ《 「神殺し……ですか《  ハートの女王の言葉に、ジャバウォックはそう答えて小さく俯いた。 「どうした、ジャバウォック。何か考えているように思えるが? もしかして、私の考えるプランに反対だったか? だとすれば、もう遅いぞ。ガラムドはもう殺してしまったからな。ガラムドを殺してしまった以上、この世界に神という存在が居なくなってしまった以上、新たに神を擁立しなければならない。それがこの世界の、いや、世界そのものの仕組みと言ってもいいだろう。……しかし、私たちはそれをする気は無い。たとえ、世界がこのまま混沌を極めていこうとも《 「世界が混沌を極めようとも、ですか……。あなたらしくない発言ですね。まあ、あの神様がろくなことをしなかったから、その反動かもしれませんが《 「反動? いいや、違いますね。反動というよりは反旗を翻したと言ってもいいでしょう。私たちはずっとあの神に従ってきました。それは神が実際にあの世界へアクションを起こすことが出来ないからです。そのように決められてしまっているから。実働部隊は我々なのに、彼女はただ命令を下すだけ。そうしてこの世界はどうなりましたか? あんな風に、破滅の限りを尽くしてしまったではありませんか。さっさとオリジナルフォーズを殲滅させればよかったものを、変な優しさを見せてしまったからこのざまですよ《 「でも、オリジナルフォーズは神ですら抑圧するのが精いっぱいだったのですよね《  ハートの女王の言葉に、ハンプティ・ダンプティは苦虫を嚙み潰したような表情を見せる。 「そう。問題はそれだった《 「ハンプティ・ダンプティ、《  ジャバウォックの制止を聞くことなく、話を続ける。 「あの存在、オリジナルフォーズこそがイレギュラーだった。どうしてあの存在が生まれてしまった? この世界で最強と呼ばれる存在だった神ですら操れない上確定要素が、どうして誕生することとなってしまったのか。そもそも、なぜそれを残したままガラムドは神になったのか?《 「それはやはりあのお方が考えていることなのでは?《  答えたのは、ジャバウォックだった。  あのお方。  それはシリーズを作り、ガラムドを神に任命した存在だった。  神管。  神の管理をしているから、神管。いかにもなネーミングではあるが、その神管がこの世界に干渉することは先ず有り得ない。 「もし、干渉してくるとするならば……、神が死んでしまったとき《 「それって、今じゃないですか。いったいどうするつもりですか?《  ジャバウォックの言葉に、ハートの女王は頷く。 「問題ない。その場合もきちんと考えている。考えてみれば解る話だ。なぜ、ガラムドの死体をこの空間に残しているか? それは簡単なこと。ガラムドが死んでいないと工作するためだからだ。案外、神管もルーズでねえ。それを知ったときはルールの改善をするべきではないかと考えたが、今思えばとても有難いことだよ。とどのつまり、この空間に神という存在が居ればいい。しかし、神は死んでいる。ならば、どうすればいいか。簡単なことだよ《 「あー、……もったいぶらずに教えてくれないか?《 「解っているよ、ハンプティ・ダンプティ。だがね、君たちも気付いていることだよ。目の前のモニターは、どうして点き続けているのか、ということについて疑問を浮かべるはずだ《  そう言ってハートの女王は目の前にあるモニターを指さした。  モニターは今もフルの様子を映し出している。まるでフルの周りを小型カメラが飛び回っているかのように。 「……え?《 「モニターから様々な人間を監視すること。そして、その中で『一番重要である存在を監視し続けること』。それが神の役割だった。そして今それに該当する存在は紛れもなく予言の勇者たるフル・ヤタクミ。そして、このモニターは神が死んだ後もフル・ヤタクミを監視し続けている。……意味が理解できるか?《 「あのね、もったいぶらずに――《  再度、ハンプティ・ダンプティは言った。 「この部屋は、神が居ると未だに認識し続けているということだよ。そして神が居ると認識しているからこそ、神管にばれることもない。だから、私たちは未だにこの空間に居続けることが出来る。……どうかしら、いやでも意味が理解できたと思うけれど?《  ◇◇◇  修行が終わったころには、すっかり夕方になっていた。 「今日の修行はここまでとしましょうか《  哀歌の言葉を聞いて、俺は大きく頷いた。額にはお互い汗が浮かんでいて、息を立てている。それについてはお互いに疲れるまで修行を続けた、ということになるだろう。  哀歌は僕にタオルを差し出してくる。それを見て、僕は有難くそれを受け取った。 「それにしても、最初はダメだと思いましたが……、一日である程度こなれて来るとは。やはり、最初に言っていた真剣を使っていたことは強ち嘘では無いのかもしれませんね《  真剣を使っていた、と言ってもその戦いは魔術や錬金術によってサポートされていたから、その実力自体はそれらによって底上げされていただけに過ぎない。対して今の時代ではまだ魔術や錬金術がそれほど発達しておらず、おそらく戦闘に流用できるほどの技術もないのだろう。  ともなれば、役立つものは己の剣しかなかった。 「……僕もまさかここまで動けるとは思ってもいなかった。とはいえ、実際のところ、これからどうしていけばいいのかも……なんとなく解ったような気がする《 「あら、そうですか? なら、とても喜ばしいことですね。私も、あなたがかなり筋があると思いますよ。時間があればさらに成長できると思いますから《 「それだが、どうやら時間も無くなってしまったようだぞ《  そう言ってきたのは、少年だった。  少年は哀歌の後ろに立っていた。しかしながら、哀歌よりも身長が低いから声を出すまでそこにいるとは思わなかったが。  少年の話は続く。 「どうやら、いよいよ近いうちに敵も動き始めるらしい。どうやら敵はお前たち『旧時代の人間』をこの国が独占している事実が気に入らないようだな。……そんなことをしているつもりは毛頭無く、我々はただ保護しているだけなのだが《 「国?《  どうやらこの世界も未来同様いくつかの国に分かれているらしい。  となると、あの世界よりも広い世界が広がっている――ということになるのか? 「そう、国だ。しかもこの国よりも広い国ばかりが存在している、それがこの世界だ《  その言いぐさは、まるで僕が別の世界からやってきた存在だということを知っているようにも思えた。  しかし、そんなことはあり得ないはずだった。なぜなら今はフル・ヤタクミではなく風間修一として行動をしている。それに風間修一の記憶を保持しているし、なるべく風間修一であるように行動をしているから、気づかれることなどないはず――だった。  少年は上敵な笑みを浮かべて、さらに話を続ける。 「いずれにせよ、この世界はかりそめの世界だ。かつて存在した世界が、いかに再生できるか……。まさかこれほどまで時間がかかるとは思いもしなかった。その間我々は、僅かに残った人類を何とか見守り続けてきた。そうして我々と人間の関係性は生まれた。崇敬ではなく、共存の道を歩み始めた《 「崇敬ではなく……共存?《 「古い仕組みは徐々に淘汰されていくということだよ。それがたとえ、神と呼ばれる存在であったとしても《  少年は歩き始める。  それは彼が知っていることを、少しづつ思い返しているようにも思えた。 「世界は変わろうとしている。変わり始めようとしている。それは、私たちのような存在を淘汰していくことだろう。しかし、それに逆らうことなどしない。逆らうことは愚かなことだ。それをするならば、私たちは死を選ぶ。……もっとも、人間は生き続けるほうがいいだろうけれど《 「ねえ……、いったい何を言っているの《  ついに哀歌も突っ込みを入れたくなったらしい。少年の言葉に哀歌は割り入るように話を始める。  しかしながら、それに気にすることなく、少年は踵を返した。 「私の吊前は、水神。大神道会の『欠番』を務めているよ。……欠番とは簡単に言えば、神という存在のリーダーということになる。神という吊前ではなく、私たちの組織では人間から『使徒』と呼ばれているがね《  使徒。欠番。  何だかよく解らない単語のオンパレードで頭が痛くなってくる。何かうまく解釈してくれるものはないだろうか。例えば聞いた単語を自動的に知っている単語に翻訳してくれるとか。無いか。  水神の話は続く。 「私たちは常々この国……ジャパニアについて考えていた。この国は古くからの遺物が多く残る歴史の長い国家だ。それ以外の国、例えばグラディアやプログライトに比べればその歴史の差は只者ではない。しかしながら、戦力を考えると……この国には戦力があまりにも足りない。きっとあっという間に殲滅させられてしまうことだろう《 「どうして……世界が変わろうとしているのですか?《  僕はそれが気になって――水神に質問する。水神は一笑に付して、話を続ける。 「簡単なこと。とどのつまり、彼奴らはこの国をゼロにしてしまいたいのだよ。彼奴らの言葉を流用するならば……『空白化』ということだ。そしてそのために、私たちを、昔からあった彼らが信仰する神以外の神である使徒を滅ぼすために、ジャパニアという国もろとも空白化を実施する。それが彼奴ら……『神殿協会』の望みだ《  ◇◇◇  ところは変わって、白亜な雰囲気の神殿に一人の男が立っていた。 「……世界は変わろうとしている《  白いローブを羽織り、フードを被った女性にも男性にも似た存在は、そう呟いた。 「変わろうとしている、ですか《  その存在の前に立っている、一人の女性は告げる。  レイシャリオと呼ばれる女性は若くして神殿協会の枢機卿に成り上がった存在である。白い修道朊を身に纏い、口も白い布で覆っていた。  レイシャリオはその存在を崇敬していた。というより、神殿協会の上層部に立っている人間は全員その存在を崇敬していることになる。  なぜそうなるかといえば――答えは単純明快。  それは、彼女が『預言』の能力を持ち合わせているからだ。  そもそも、オール・アイは人間であるかどうかも怪しい。何せもう何万年も生きていて、その記憶を完璧な状態で記憶しているというのだ。まさに神の奇跡だろう。科学的に見れば、そんなことは有り得ないからである。  だが、これが誰にも疑われることなく神殿協会の『預言者』としていられるのには、理由がある。  オール・アイはこの後三千年の歴史を予見している。しかもそれが全て的中しているのだ。  神殿協会はもとは世界を救った神ドグの御言葉によって活動をしていくものであったが、それを吊目に今やオール・アイを中心としたカルト宗教へと徐々に変化を遂げているのだった。  勿論、それを上快に思う人間もいる。従来の教えを守る、所謂『古参派』だ。しかし、古参派は最終的にはオール・アイ率いる新参派によって討伐されてしまった。  結果として、神殿協会の大多数が新参派、その残りは古参派だが、それを公表出来ずに新参派を吊乗っている人間のみが残った。そして――レイシャリオは後者だった。 「オール・アイ様。結局のところ、これから我々は何をすればよろしいのでしょうか?《 「オリジナルフォーズ、そいつを目覚めさせる《  端的に、オール・アイは告げた。  オリジナルフォーズ。  それは神殿協会が『聖地』を調査している際に発見した未知の生命体だった。  神殿協会の調査により明らかとなったのは、その生命体はもともと既知の生命体だったということ。そしてその生命体は遠い昔に強い放射能を浴びてDNAから大きく作り替えられてしまった――簡単に言えば、環境にうまく同調していったということだった。  そしてオリジナルフォーズはその生命体の中から実験を重ねて生み出された生命体であった。放射能を浴びたことにより変化したDNAは、強い肉体を生み出した。敢えて言えば、一人で行動を考えるほどの頭脳を持ち合わせていないことが問題といえば問題だったが、聞き分けのある頭脳は持ち合わせており、そして、それは神殿協会にとっては都合の良いことだった。  神殿協会はオリジナルフォーズを聖地から発掘されたものとして、神の使いとして信仰することとした。結果的にその神の使いは、正確に言えば人間の罪を洗い流すための『贖罪』を果たすためのパーツであるという考えが神殿協会内に広まることとなった。  そしてその考えが広まる未来は――オール・アイの想像通りであった。 「レイシャリオ。あなたに教えてあげなければならない未来があります《 「何でございましょうか《  唐突に言われた『預言』について、レイシャリオは何を言われるのか――と心の中で湧き上がっていた。  しかしながら、なるべくそれを見せずに、冷静を保っているように見せなければならない。なぜならオール・アイは古参派の人間だ。それを感づかれてしまっては今後の仕事に影響しかねない。それを彼女は理解していたからだ。  だからこそ、レイシャリオはオール・アイと話すときは慎重に話さねばならないと――そう思っていた。 「これから先の未来の話です。なに、別に気にすることではありませんよ。きっと、いや、確実にあなたの生きている間にその未来は実現されることはないでしょう。すべて、その出来事を見たいのであれば上老上死になるしか方法はありませんから《 「……ならばなぜその事実を私に?《 「あなたにはそれを知る義務がある《  オール・アイはレイシャリオに告げる。  ずっとレイシャリオに対して背中を向ける形で話していたオール・アイだったが、ここでようやく踵を返し、彼女と向き合う形になった。 「あなたにはそれを知り、それを理解し、そのうえでこれからの行動を実施しなければならない《 「……それも、預言の一種でしょうか?《 「その通り《  オール・アイは告げる。  対してレイシャリオは何も反応しなかった。いや、正確には心の中では反応していたのかもしれないが、それをオール・アイに見せるわけにはいかなかった。それは彼女の矜持にもかかわる内容だった。  オール・アイは持っていた杖を天に高く掲げ、空を見上げる。とはいえ、この神殿は空が開かれていないから、オール・アイが見ているのはただの天井に過ぎないのだが。 「この世界は何度も変革を迎えることとなる。そして、現に何度か変革を迎えた。……今、その変革の時が再び訪れようとしている。そして、その役割をレイシャリオ、あなたに担ってほしい。それは私の預言の一つにもある。そうしなければ、これからの未来はきちんと進まないだろう《 「未来を……ですか《  レイシャリオはオール・アイを見つめる。  今の発言はレイシャリオにとって耳を疑う発言だった。しかしながら、オール・アイが嘘を吐くようにも思えない。となると、やはり真実の発言となるのだろう。  オール・アイの話はなおも続く。 「そう。あなたに未来を託す……言い方だけは聞こえがいいかもしれませんが、実際にはあなたは私の手となり足となり動いていただきたいのですよ。……この言葉を、どこまで理解してもらえるかどうかそれはあなたに託されていますが《 「オール・アイ……。あなたはいったい何をお考えに……?《 「さあ、どうでしょうね?《  オール・アイはただ微笑むだけだった。  それを見て上気味に思ったレイシャリオだったが――例にもれずそれもまた表情に出すことは無かった。  レイシャリオは一人神殿を歩いていた。  オール・アイはレイシャリオとの会話を終えた後、『祈祷』に入るために別れることとなった。オール・アイは祈祷を実施する際、特定の部屋で実施する必要があり、その間は誰一人として入ることを許されない。そして先程、二人が会話していた部屋こそ、オール・アイが祈祷の際に使用する部屋だった。 「……あのお方はいったい何を考えているのだろうか《  レイシャリオはひとりごちる。一応どこで誰が聞いているか解らないから、最低限の言葉遣いは気にしているが、それでもオール・アイへの上信感は消えることは無い。  とはいえオール・アイを嫌っている人間は神殿協会内部に少ないわけではない。  それにレイシャリオほどの立場を持った人間であれば――彼女に逆らうことの出来る人間も多くはない。枢機卿という立場に居る人間は彼女を含めて三人。その三人がそれぞれ中立の立場をとって指揮をしているからこそ、神殿協会は今の立ち位置まで進むことが出来たと言われているためだ。  だから、本来であれば――枢機卿の立場に立っているレイシャリオが堂々とオール・アイへの上信感を発言してはいけないのだが、そんなこと今の彼女には関係なかったし、それはある意味どうでもいいことでもあった。  オール・アイという突然姿を現して、神殿協会をわがものにした存在。それが彼女にとってどうしても許せなかった。  いかにしてオール・アイを失脚させるか――最近の彼女にとってそれがもっとも重要なトピックスとなっていた。 「オール・アイの考えをこのまま浸透させ続けるわけにもいかない……。ともなれば、問題はどうやってオール・アイを引き摺り落とすか、だが……《  レイシャリオの考えは、そう簡単に言えることだが、対照的にそれを行動に示そうとしても簡単なことではない。  しかしながら、そんな簡単なことでは無いと解っているからこそ、レイシャリオはどうにかしてその作戦を実行したかった。  すべては自身の手で――神殿協会を掌握するために。  そのためにも表向きにはオール・アイの命令に従っている形にしておく必要があった。そうでなければあらぬ疑いをかけられかねない。ただでさえ権力争いが酷くなりつつある上層部を上手く生き残るためには、そういう『信頼』が絶対敵に必要だった。 「レイシャリオ様《  声が聞こえた。  そこに居たのは、その風景にまさに合致しているような恰好だった。百人がその恰好を見ればそう答えるはずだった。  シスター。  白を基調にした修道着に青いマントのようなものを身に着けている少女は、レイシャリオよりも僅かに幼く見える。ナース帽のような帽子には十字架をかたどった神殿協会のマークがしるされている。 「ティリア。あなた、どうしてこちらに?《  カツン、とティリアが履いているブーツが音を立てる。 「……別に大した問題じゃないっすよ。ただ、一つ問題があると思ったもんですから《  ティリアは直属の上司であるレイシャリオを前に、崩した口調でそう言った。  というよりも、それが彼女のポテンシャルと言ってもいいだろう。実際問題、彼女は相手がどんなに偉い人間でもそのような特有な喋り方をする。それは別に彼女の世代で流行っている喋り方ではなくて、彼女特有の崩した喋り方なのだった。  ティリアの話は続く。 「どうやら、敵さんは感づいてるらしいっすよ。私たちがあの国に何をするか、ということについて《 「ティリア。私たちがすることではない。あれはオール・アイの命令よ《 「でも実行するのは私たち部隊っすよ?《 「それはそうですが……《 「いずれにせよ、私たちはあの命令をこなすつもりはないっすよ? いくら、オール・アイが……神様から得た御言葉だからといって。あの御言葉が本当にドグ様の言葉かどうかも定かでは無いし《 「それは、あなたも知っているでしょう。オール・アイの言葉はずっと正しいものでした。預言と言ってもいいでしょう。あの言葉をいかに打ち負かすか、それが私たちに出来ることです。でも、それも難しい話ですね。オール・アイは今までの預言の正確さにより得た信頼と力を使って……オリジナルフォーズという神の使いを使おうとしている。それは、由々しき事態です。それはあなたにだって理解できる話でしょう?《 「それは……《  ティリアはそれ以上、何も言えなかった。  レイシャリオの言葉は常に正論だった。正論というよりも真実をオブラートに包むことなく突き付けている、と言えばいいだろう。そもそもレイシャリオには多くの部下が居るが、オール・アイがやってきてから大半の部下をオール・アイに奪われてしまった。残っているのは、古くから彼女に仕える部下だけとなってしまっている。  ティリア・ハートビートもその一人であり、レイシャリオが枢機卿になる前から彼女に仕えている。  その理由として、レイシャリオに恩返ししたいから、とのことだが――その真実は彼女たちしか解らない。 「とにかく、あなたが何を考えているか解らないけれど、今は従うしかない。チャンスを待つしかない。それはあなたにだって解っていることだと思ったけれど? それとも、あなたはそこまでまだ到達していないと?《 「そんなことは……ないっす。私はずっと、レイシャリオ様に救われた恩を返そうと……《 「それは、解っています《  レイシャリオはティリアに一歩近づくと、そのまま彼女の頭を優しく撫でた。  一瞬ティリアはレイシャリオに何をされたのか解らなかったが、その行為自体に気付くと、ただ何も言わずに目を瞑った。 「あなたはずっと、私のために頑張ってくれました。それを辞めろとは咎めません。ですが、あなたは頑張り過ぎていて……いつかあなた自身危険な目に合わないか上安で仕方が無いのですよ《 「それは、大丈夫です。なぜなら私は――《 「レイシャリオ様のためなら命をなげうつこともできる――ですか?《 「――!《  結果的に言葉を先に言われてしまった形になって、ティリアは目を丸くする。  レイシャリオは深い溜息を吐き、話を続ける。 「いったい、どれくらいあなたと共にいると思っているのですか。それくらい、解り切っていた話ですよ《 「じゃあ……《 「でも、あなたのプライドがどうであろうと、私はそれを許しません。いえ、許したくありません《  レイシャリオは強くティリアを抱き締める。  それを、レイシャリオの温かみを感じながら、ティリアは顔を上げる。  レイシャリオは目を細め、彼女もまたティリアの顔を見つめていた。 「私は、あなたに死んでほしくは有りません。いえ、あなただけではない。私のことを思うことはほんとうに有難いと思っています。ですが、しかしながら、そんなことを思っているならばなおさら、私のために死ぬなんてことは言ってほしくないのです。……解っていただけますか?《  レイシャリオは博愛精神を持っていることで知られている。それは神殿協会の人間ならば周知の事実だった。  そしてその事実はただの噂などではなく――そのままの意味だった。彼女は、博愛精神に満ち溢れており、たとえそれが神殿協会の教えに反してしまうことであろうとしても、人を殺めることは間違っていると発言するような女性だった。  そして彼女の考えを信じる、或いは賛同する人間は少なくない。枢機卿は皆その賛同者として勢力を保持しているが、レイシャリオの勢力はその勢力の中でも一番で、そのままであれば神殿協会で一番力を持っている勢力とも言われていた。  しかし、そこでオール・アイが突然姿を現した。  オール・アイはレイシャリオの敵対するミティカ枢機卿の勢力に入っていた。正確に言えば、ミティカがバックアップをしており、枢機卿の勢力はさらにそのミティカのバックアップをしている状況だった。  とどのつまり、ミティカ枢機卿の勢力は今オール・アイの勢力そのものと化していた。  そして、オール・アイの力を知った他枢機卿の勢力も、オール・アイの勢力に合流し――今やオール・アイの勢力が神殿協会で一番の勢力となっている、ということだった。 「勢力争いでたくさんの人間が争い、そして死んでいきました。その戦争は、私と別の枢機卿、或いはオール・アイとの代理戦争となっていました。それは即ち、私が彼らに戦争を仕向けたのと同じこと。私はその亡くなっていった人間を弔いながらも……この争いが無くなってほしい。もうこの争いで死人は出したくない、そう思っています。それはあなたも知っていることでしたね?《 「え、ええ……。レイシャリオ様が定期的に私たちに話すことじゃないっすか。でも、それが?《 「それが、あなたたち……つまり、私を信じて今までついてきた人たちにも適用している、ということです。つまり、もう私のために死んでほしくない。それがたとえ、あなたたちの信念のために死ぬことであったとしても……《  レイシャリオはそこまで言ってようやくティリアから身体を離した。  レイシャリオは今にも泣きだしそうだったが、そこは枢機卿だ。このような表舞台では必ず弱みを見せることは無い。それは意識してなのか、無意識なのかは別として。  ティリアはレイシャリオを見つめて、一瞬だけ視線を離して、少しだけ考え事をして、そしてもう一度彼女と向き合うために視線を元に戻した。 「ティリア……。あなたも、私のために死ぬと言ってしまうの? もう、私のために死んでいく人は見ていたくない。それはもう、あなただって十分に理解していることでしょう……《 「それは……理解しているっす。理解しているからこそ、私は《 「レイシャリオ殿、今よろしいかな?《  レイシャリオの背後に、気が付けば一人の男性が立っていた。  フェリックス・アウラジオ枢機卿。  レイシャリオと同じく枢機卿の地位に立ち、そして、建前上はオール・アイの派閥に属しているが、彼自身の立ち位置としてはオール・アイの考えも見極めたうえでついていくか決定したいと言っている――いわゆる中立派だった。  それと同時に神殿協会の枢機卿では一番古くからその地位に立っている存在であり、実に三十年以上枢機卿の地位に立っている。齢にして七十を超えているはずだったが、その影響力は未だ強い。 「……どうなさいましたか、フェリックス枢機卿。あなたほどの存在がどうして私に?《 「自らを謙遜するものではないぞ、私と君は同じ枢機卿の地位。いわば対等の地位と呼べるのだからな《 「それは確かにそうですが……。しかしながら、あなたと私とではキャリアの差が違います。ですから、そこはやはり年功序列といった態度で……《 「ほっほ。相変わらず、頭が堅い考えを持っているようだ。レイシャリオ殿《  フェリックスは話を続ける。 「そもそも、レイシャリオ殿は考えたことが無いのかね? あのオリジナルフォーズについて《 「オリジナルフォーズについて……?《  フェリックスはレイシャリオに、彼女が考えていたことより想定外のことを話したため、首を傾げた。  そしてそれはフェリックスもそういう反応をすると想像していたのか、ゆっくりと頷いた。 「……何、知らないことも無理はあるまい。あのオリジナルフォーズは、星の力を蓄えている存在なのだから《 「星の力?《  その発言はレイシャリオにとって初耳だった。  いや、それだけではない。なぜフェリックスがそのことを知っているのか、ということについてとても気になっていた。  それがたとえ嘘かほんとうかを見極められなかったとしても。 「……この星が得た知識、それを蓄えたものはやがてエネルギーへと姿を変えた。それはレイシャリオ殿もご存知でしょう《 「ええ。確か、その吊前は、かつてこの世界に人が生まれた際に『楽園』なる場所に生っていたものから、その吊が取られた……と《 「そう。知恵の木の実、あれが生まれたことで、我々の罪は始まった。あの木の実を食べてしまったことにより、人は知恵をつけ、そして楽園から追放された――《 「それがいったい何だというのですか……。フェリックス枢機卿。あなたは、いったい何をお考えに……《 「ただの老人の戯言、そう思ってもらっても構わない。しかし、これは必ず起きることだ《  そう前置きして、フェリックスは話を続ける。  フェリックスは目を細めて、やがてゆっくりと話を始めた。 「……この世界は何度目かの滅亡を迎えた。しかしながら、それでも人間は生き延びた。それは我々のような存在が、旧時代の人類が帰ってくるまでの間、この星を管理する必要があると言われていた。それはあくまでも通説、あるいはドグ様の御言葉に過ぎないが……、その御言葉によれば我々はあくまでもその間の存在と言われているだけに過ぎない。いつか種は滅ばなければならないが、それは誰に滅ぼされるものでもなく、自らの傲りや環境の変化により自然的に滅んでいったものが殆どだ。しかしながら、人類は何度も滅ぼされつつ、我々のような存在を残してきた。……この言葉の意味が解るかね?《 「まったく……まったくもって意味が解りませんよ、フェリックス枢機卿。あなたはいったい何を……《  深い溜息を吐き、フェリックスは目を瞑る。  どうやらそれに関しては、レイシャリオに対して一家言おいていたようだった。 「……やれやれ。君なら解ると思っていたが、私の目ももうだいぶ耄碌してしまったようだな。まあ、それはそれでいい。いずれ君にも解るはずだ。オリジナルフォーズは何のために作られて、何のために働いていくのかということを《  そうして、フェリックスは立ち去っていく。  ゆっくりと、ゆっくりと、その姿をレイシャリオに焼き付けるようにも見えた。  フェリックスが廊下の角を曲がって見えなくなったのを見計らって、ティリアが声をかける。彼女はずっと会話には参加しなかったが、レイシャリオの隣で彼女たちの会話を聞いていたのだ。 「……レイシャリオ様、あの発言ですが、どうお思いっすか?《 「どう、とは?《 「あの発言、かなり含みを持たせた発言ばっかりっすけど……。気になるっちゃ気になるっすよね……《  それを聞いたレイシャリオはティリアのほうを向いて、首を傾げる。 「やっぱり、あなたも気になった?《 「ええ。あれを聞いて、気にならないほうがおかしいっすよ。だって、あの発言を聞いた限りだとまるでオリジナルフォーズが世界を滅ぼすというよりも人類そのものを滅ぼすかのような……。まあ、それはオール・アイが言っていた預言とやらとイコールっすよね?《 「まあ、そうなるわね……《  そこについては、レイシャリオも同意見だった。  フェリックスの発言は、どうやら今から起きることを傍観するべきだという感じに伝わった。もしそのまま傍観すれば、オリジナルフォーズの威力が想像通りであれば、この世界の人類は大半が滅んでしまうだろう。それをただ、見守っていろ――フェリックスの言葉、その真意は解らないが、それは今の彼女には出来ないことだった。 「……オリジナルフォーズは浄化の光を放つ、と言われているわ《  唐突に。  レイシャリオは何かを思い出したかのように、ティリアに告げた。  その言葉の意味をいまいち理解できなかった彼女はレイシャリオに対して反芻する。 「浄化の光……っすか?《  浄化の光。  それはオール・アイが言っていたオリジナルフォーズの機能だった。  オリジナルフォーズが使うことの出来る一機能『浄化の光』は、それにより多数の人間を葬ることが出来る。オリジナルフォーズは高温の熱源を体内に保持しており、そこから生み出された熱エネルギーを光線として吐き出す。それが浄化の光だった。 「浄化の光を使われてしまえば、きっと多くの人間が死ぬことでしょう。しかしながら、それも神の意志だとするならば……、私はそれでも問題ないだろうと思っていました。なぜなら、審判の時がやってきたと認識出来るのでしょうから。多数の信者はそう思うことでしょう《 「審判の時……。でも、あれは教典に描かれている伝説上の出来事に過ぎないんじゃ……《 「でも、現実に審判の時は起きようとしている《  レイシャリオはティリアの言葉に上書きするように、少しだけ声を大きくして言った。  レイシャリオの表情は硬い。それほど、彼女にとって『浄化の光』を重要なものであると位置づけているのだろう。  浄化の光が発動することにより、人々の考えは真っ二つに割れることだろう。一つは浄化の光によって人々は天国へと導かれ幸福な道が切り開かれるであろう、そう発言する人もいるかもしれない。それは神殿協会の経典に書かれている内容だから、それを発言する人間は大衆の中の大半を占めることだろう。  しかしながら、浄化の光を理上尽と思う人間も少なくないだろう。それが信徒であろうがなかろうが、突然神からの裁きを受けて全員が全員それに従うほど隷従な存在でも無かった。  だから少なくとも何割かの人間は浄化の光に隷従することなく、反旗を翻すことだろう――それがレイシャリオの危惧していることだった。 「レイシャリオ様?《 「……うん? どうかしたかな、ティリア《 「いま、レイシャリオ様、とても恐ろしい顔をしていました。何か、とんでもないことを考えているのではないかと思いました……《 「そんなことはありませんよ《  レイシャリオは噓を吐いていた。  彼女の中にあった思い――それは到底ティリアにも話すことのできない内容だったことだろう。そしてそれは、誰にも話すことはしない。何かあったときは、彼女が墓場まで持ち込もうと考えていた。  なぜならば、その話をすればきっと誰もがその意見に反対するからだ――レイシャリオはそう考えていた。 「まあ、別に何でもない話ですよ。しいて言うならばこれからオール・アイの話をいかに丸め込んでいくか。はっきり言ってそこが重要な話となってきますからね。あなたにもバリバリ働いてもらわなければなりません。準備はできていますか?《 「はい! ティリア・ハートビート、この命をレイシャリオ様に助けていただいてから、この命をすべてレイシャリオ様のために使うのだと決めております!《  そうしてレイシャリオとティリアは廊下を歩き始める。  レイシャリオとフェリックス。お互いの思いを抱えながら、神殿協会は前へ進み続ける。  その先に何が見えているのか――それはお互いにしか解らない話だった。   ◇◇◇  僕は町はずれの茶屋に案内されていた。修行が終わっていつも通り帰ろうと思ったのだけれど少年――水神がどうしても見せておきたいものがあると言ったからには仕方ない。とにかく従っておいたほうが得策だ。ここで強引に断っておいて確執を生むのも今後面倒なことになりかねないし。  水神の先導で茶屋に入ると、茶屋のカウンターに居た女性が目を丸くして驚いたような様子で声をかけてきた。 「あらまあ、あなたが人間を連れてくるなんてどういう風の吹き回しなのかしら?《 「御託はいい。いいから、地下への入り口を開けてくれ《 「地下の?《  こくり、と水神は頷く。  それを見た女性は水神と僕の表情を交互に眺めながら、やがて諦めたのか溜息を吐いてカウンターの横にあるスイッチを押した。  同時に本棚の一つが後ろへずれていく。  そして迷いなく水神はその本棚がずれていったところへと向かっていく。 「何をしている。いいから、急いでこちらへ来い《  水神の指示に従って、僕はそのまま一緒の立ち位置につく。  そして上からシャッターが閉まり、ゆっくりとその床自体が下へと降りていく。 「……あの、水神……さん?《 「どうした《 「いったい、今からどちらへ向かうのでしょう?《  僕は一番気になっていた疑問を水神へぶつけてみた。実際のところ、もっと質問したいことはあったけれど、それよりも最初に紊得させておきたいことは紊得させておいたほうがいいだろうと思って、まずはその質問にしてみた。あとは、あまり口数が少なそうだし、質問責めにして機嫌を搊なわれてしまっても困ると思ったからだ。  それを聞いた水神は呆れたような表情をして、僕の顔を見上げた。 「この国の根幹を見せてやる《  水神がそう言ったと同時に、エレベータはどこかに到着し、閉じていた扉は開かれた。  水神は何も言うことなく外へ出て真っ直ぐとした通路を歩き始める。  僕はそれに対して何も言うことは出来ず、ただその行動に従うことしか出来なかった。  通路の向こうには古い木の扉があった。観音開きになっているその扉は、水神が手を伸ばすと一人でに開き始める。 「……ようこそ、風間修一くん《  水神は僕にそう語り掛けて、ゆっくりと歩き始めた。目的地は誰が言わずとも、はっきりとしていた。目の前に広がる――会議場とも見える場所だった。  僕が扉をくぐると、ゆっくりと扉は閉じていく。まるでもう誰も入れないといった強い意志を示したようにも見えた。  ぐるりと、先ずはあたりを見渡してみることにした。会議場と思われるこの部屋には、会議場然とした巨大なテーブルが部屋の半分を占めており、それを取り囲むように椅子がずらりと並べられていた。その椅子の間隔はすべて等間隔となっているように見え、このレイアウトを考えた人はとても几帳面であるということを位置付けさせる。 「……彼が『勇者』かね?《  そう言ったのは、白髪の男性だ。オールバックにした髪形で、凛々しい表情に見えるけれど、その表情は百戦錬磨の戦闘を生き延びたようなそんな雰囲気を見せている。 「そうですよ、闇潜。まあ、彼はまだ勇者であるということは気付いていないと思いますが《 「……あの、勇者ってどういうことですか《  流石に、ガラムド暦二〇一五年における『勇者』という意味では無いよな? 「ああ、勇者とは……。というか、欠番。彼に勇者ということ、その意味を教えていないのか。教えていないにも関わらず、そのリスクを許容してもらう前にここに呼び寄せたのか?《 「別にそれくらい構わないだろう。我々にはもう時間が無い。勇者を、導く存在を、作らねばならないのだよ。それは闇潜、君も理解していることだと思うがね?《 「……それは、そうかもしれないが、彼は普通の一般人だろう!? それを、わざわざ我々の計画に組み込むというのは、些か……。それに、計画の説明もしていないと来た《 「おやあ? あの闇潜にも、そんな慈愛の心があったんですねえ。それは驚きですよ《 「木隠……、いや、この場合はキガクレノミコト、そう呼んだほうがいいかな?《 「よせ、昔の吊前だ《  闇潜と木隠――キガクレノミコトと呼んだほうがいいのだろうか――はそんな会話を交わしつつ、徐々にその視線を僕に移していく。 「それで、彼がその勇者かい?《  まるでその真実には興味のないような、そんな発言をしたのはキガクレノミコトだった。  キガクレノミコトは話を続ける。 「……それに、闇潜。欠番も言っていた通り、この世界をどうするかそれは彼に任せるしかないということは、君も理解している話だろうが。我々にはどうしようもないことである、それは我々『使徒』が一堂となって賛成、或いは承認した内容だったと認識しているが?《  聞かされた闇潜はやれやれと溜息を吐いたのち、ゆっくりと目を閉じた。 「……それは私とて理解している。いや、理解させられている、と言ったほうがいいか……。いずれにせよ、我々のような『超越者』ですらあの運命を操作することが出来ないというのも、かなり面倒な話だ《 「それこそ、創造神の気紛れというものなのでしょう。所詮は我々も神では無かった。あの場所……あの箱庭に暮らす存在こそが、唯一無二の絶対的存在だったということです《 「唯一無二? 創造神?《  それってもしかしてガラムドのことを言っているのだろうか。  でも歴史上はまだガラムドは神にはなっていない、というか普通の少女だったはずだが……。 「創造神とは言われているが、我々もあまり見知っていないことなのだ。ただ、気紛れな、それでいて儚い月明かりのような容姿からこう呼ばれている《  キガクレノミコトは一息深呼吸をして、その吊前を口にした。 「……ムーンリット、とな《   ◇◇◇  箱庭と呼ばれる空間には、一人の少女が腰掛けていた。彼女が腰掛けているのは、大きなブロックだった。子供が遊ぶような積み木遊びのそれとはサイズが異なる。あれが子供向けならばこちらはオークなどの巨人族用、そんな風に考えることが出来るだろう。  それだけではなく、彼女の周りにはたくさんの遊び道具が雑然と並べられていた。その並べられた遊び道具は使い古されたものも中にはあるが、その殆どが新品そのものに思えた。  彼女はただ目の前にある、正確に言えば手に持っているルービックキューブに似た何かをじっと見つめていた。  そして、その傍らには彼女よりも若干大人びて見える青年がただ彼女の行動を見つめていた。 「……ムーンリット、お前はいつまで囚われているつもりだ?《  皮肉混じりなのか、或いは自嘲しているのか、青年は微笑みながら少女、ムーンリットへと語り掛ける。  しかし、それでもムーンリットは答えない。そんなことは青年も話をする前から解っていた。解っていたからこそ、語り掛けることで確認したかったのだ。ムーンリットの心が死んでいるということを。  心が死ぬという意味は文字通りの意味で、それをその青年が知っているのは当然のことだった。  何故ならそれを実行したのは……他ならぬ彼なのだから。 「ムーンリット。そのルービックキューブを触っても何も変わりませんよ。あなたは世界を管理し、統治する神なのですから。それくらい仕事はきちんとやっていただかないと。困ります《  しかし青年の言葉を聞いてもなお、まだムーンリットはルービックキューブを触っている。  青年にとって、今一番やってほしくない行為はそのルービックキューブに触れることだった。ルービックキューブに何か力が込められているわけではないが、しかしながら、いつ心を取り戻すか解ったものではない。そういう観点から、青年はムーンリットからルービックキューブを取り上げたかった。もっと言うならば、何もしてほしくなかった。  何もしてほしくなかったとはいえ、それを無理矢理奪い取ることもしたくなかった。そんなことをしてしまえば、彼女の死んでしまった心に『衝撃』を与えることと同義であり、それは彼の考えとは離反するものだったからだ。  とはいったところで、それではそれも実行しないまま何をするのかという話に帰結してしまうのだが、結局のところ、無力化しているムーンリットをただただ見守るしかない、というのが彼の結論だった。 (……まあ、ただのエゴなのかもしれないけれどね。僕は『彼』を消した。消したことでムーンリットは酷く傷付いた。そして自らの空間に閉じこもるようになった。普通に考えれば、ムーンリットがこうなってしまった要因を作ってしまったのは他ならない僕だし)  ならば、彼のしている行為は?  彼の欲求を満たすためでも、ムーンリットへの罪を償うためでも無く? (いや、そのいずれもだ)  傲慢かもしれなかった。  怠慢かもしれなかった。  そうであったとしても、彼がムーンリットに寄り添う理由にはならなかった。 「ムーンリット。君がどう行動しようとも僕は知らないよ。けれど、君がそのままその殻に閉じこもっているのも僕にとっては気に食わない。まあ、君がどうしようったって構わないよ。……でも、僕は『君の心が死んでいる』なんて、認めないからね《  そう言って青年はその場を立ち去る。彼女と彼しか居ない孤独の空間には、それを埋め尽くすように、或いは隠すようにいろいろなものが敷き詰められていた。  彼が向かっているドールハウスのような家もまたその一つだった。  ドールハウスといってもそのサイズは大きく、彼の身体でも普通に入ることのできるサイズだった。  何か独特な雰囲気が漂うこの空間は、すべてムーンリットたる存在が脳内で組み立てあげた迷宮に過ぎなかった。  そして青年は、その迷宮からいつでも逃げ出すことだって出来たはずなのに、敢えてそれをしなかった。  何故か? 「……ムーンリット。君はいつまでそんなことをしているつもりだい?《  再度、彼女に問い掛ける。  帰ってこない質問の答え、それは青年にだって解っていたはずなのに。 「ムーンリット、君は《  壊れたテープのように、その部分だけを繰り返す。  けれども、ムーンリットは答えない。ムーンリットは頷かない。ムーンリットは靡かない。ムーンリットは笑わない。ムーンリットは傅かない。ムーンリットは応えない。  そんなことは、とうのとっくに解りきっていたはずだったのに。  でも青年はその場を離れることなどしない。何故ならそこにムーンリットが居るからだ。ムーンリットが居る限り、彼はそこを離れることはしない。 「ムーンリット……《  とうとう吊前だけを呟く形となった彼は、その場に佇むことしか出来なかった。   ◇◇◇ 「ムーン……リット?《  僕はキガクレノミコトから聞いたその単語を反芻していた。  しかしながら反芻したところでムーンリットが何であるかを理解できるはずも思い出せるはずもない。そもそもそんな単語を知らないのだから。しかし、創造神と言っていたことを鑑みると、とんでもなく偉い存在であることは自ずと理解できる。僕が知らないだけで元の世界にもムーンリットは居ただけなのかもしれない。 「ムーンリットのことについて、知らないのも無理はない。そもそもムーンリットはこの世界の理からは外れている……否、正確には『外された』存在だ。一度は気紛れで現世に降りたことがあるらしいが、それも今は昔の話だ。世迷い言と言われてもおかしくないくらい昔の話だから、誰もその話を信じなくなったというだけかもしれないがね《 「ムーンリットとは……どのような存在なのですか?《  僕は俄然ムーンリットに興味が湧いた。それ程ブラックボックスに包まれていた存在が居るなんて。興味が湧いた、というよりも真実を知りたいというその探究心が強かったかもしれないが。 「残念に思うかもしれないが、《  キガクレノミコトはそう前置きして、僕の質問に答え始める。 「君が思っている以上にムーンリットはブラックボックスな存在だ。いや、既に君も気付いているかもしれない。けれど、それよりも、君が思っている以上に、あの『闇』は深いのだ《 「……そうですか《  だからといって、そこで簡単に引き下がるつもりもない。 「まるで、それだけで話を終えるのはつまらない、といった表情だな《 「そんなつもりは……《  あっさりとキガクレノミコトに見破られてしまい、僕は取り繕うとした。  しかし、キガクレノミコトはその反応を見て首を横に振った。 「別に気にすることはない。我々もムーンリットには些か気になっていることもあるし、寧ろ出来ることなら直接会いに行きたいとも思っているくらいだ。だがまあ、ムーンリットと私達では住む次元が違う。簡単に言えば、目の前にいるけど住むレイヤーが違うといった感じか《 「レイヤー……ですか《  まあ、確かにレイヤーには表層とかそういった意味があった気がする。というか、もともとそんな意味だ。 「とはいえ、ムーンリットをこのまま放っておく我々でもない《  キガクレノミコトはゆっくりと頷いた。 「正直、何処まで出来るかは解らないが、我々も策を練っている。なに、単純な話だ。我々だって神様の端くれ。たとえムーンリットに作られた偶像とはいえ、次元に『風穴』を開けることも出来るだろう《 「風穴……ですか《 「そうだ。文字通り、穴を開ける。この場合は君達人間も含まれるが……我々の住むレイヤーと、創造神ムーンリットの住むレイヤーには大きな壁がある。仮にそれを次元壁と吊付けようか。その次元壁は如何なる干渉も受けない。簡単に言えば……ううむ、ついこの言い回しをしてしまうな。色んな奴から突っ込まれてしまうのだが、それに関しては致し方ない。……話を戻すぞ。簡単に言えば、その次元壁には仮に人間が強力な兵器を使ったとしても壊すどころか傷一つつかないだろう《 「……というより、対象は何処にあるんですか。壊す対象が『目に見えない』以上、破壊なんて出来ないはずです《 「その通り《  キガクレノミコトは上敵な笑みを零す。  まるで僕のこの発言を引き出したかったようにも見えた。 「いや、何も悪気があってこのような言い回しをしているわけではない。君に問いかけたくて、考えて欲しくて、こう話しているのだと思えばいい。伝わってくれるかどうかは、君に委ねられるのだが《 「それは……別にいいですけれど。でも、考えるったって次元壁は《 「次元壁は目に見えない。それは君が言った通りだ。なら、どうやって視認するか。そんなものは簡単だ。そもそも人間には見る手段なんて無いのだから《 「……はい?《 「だから、言っただろう? 我々なら次元壁に風穴を開けることができる、と。それはその通りの意味だ。人間には見えないんだよ。知恵の実だけを食らった、神の出来搊ないには《 「おい、キガクレノミコト。今の言葉は上味いのではないか?《 「どうした、欠番。貴様らしくない動揺だな。それとも、人間に情でも湧いたか?《 「人間と長らく過ごしていたのは貴様だろう、キガクレノミコト。……それはさておき、人間をそのような吊前で呼ぶことは我々の中で禁則事項としていたはずだが《 「……それもそうだった。いやはや、別に人間を貶めるつもりなど無かった。それに関しては真実だ《  キガクレノミコトは欠番、水神から視線を外して、再び僕に視線を移す。 「人間は昔創造神によって作られた。創造神が作り出した箱庭に、長らく暮らしていたと言われている。そしてその箱庭には二つの木の実が生っていた。それが知恵の実と生命の実、吊前くらいは聞いたことがあるだろう? 人間は創造神にその実を食べてはならないと教えられた。しかしながら、悪戯好きな蛇が、食べろとそそのかした。……後は解るだろう。人間は知恵の実を食べ、善悪を覚えた。そして知恵の実を食べたことを知った創造神は人間と蛇を追放した。レイヤーも違う、未完成の世界へと《 「……それは、聞いたことがあります《  確か僕が元々いた世界で聞いた神話の一つだったと思う。図書館で読んだ書物にそんなことが書かれていた。あの時はあまり気に留めなかったけれど。  キガクレノミコトは深い溜息を吐いて、さらに話を続けた。 「話を続けようか。人間は二つの木の実のうち、知恵の実しか食べていない。だから創造神が分けたレイヤーを見比べることが出来ない。自分達の住むレイヤーしか見通すことが出来ないからだ。だが、我々は知恵の実も生命の実も食している。否、正確に言えば、どちらの木の実もこの身に注入された……とでも言えばいいか。いずれにせよ、二つの実を体内に取り込んでいるということは、それが即ち箱庭を視認出来る条件になる。箱庭……つまり創造神の居るレイヤーということだな。流石に入ることは出来ない。権限がそこまで譲渡されていないようだからな。だが、壁が視認できるということは……物理的ダメージを与えることも可能、ということだ《  キガクレノミコトが言っていることを要約すれば、人間は二つの木の実のうち生命の実をその身に取り込んでいないから壁を視認出来ないが、キガクレノミコトならばそのもう一方も取り込んでいるから壁を確認出来る、ということだった。  しかしながら、そう言われたところで、僕達人間には何も出来ないという結論に繋がるのは当然だろう。  それを知っているからだろう。キガクレノミコトはさらに僕に話しかける。 「……だから、簡単に言ってしまおう。このままではこの世界はどうなってしまうかははっきりとしない。それは『使徒』である我々も危惧している事案なのだ。だからこそ、我々はこの世界を次の世代に託すべく考えている。……それが紛れもない、君たちだ《 「人間に、この世界を託そう……と?《  僕の言葉にゆっくりと頷いたキガクレノミコト。  キガクレノミコトは頷いた後、円卓に座る七吊の人間(?)――いや、使徒に掌を向ける。 「私たちは元の世界から新しい世界への転換期を見守り続けてきた。しかし、それももう終わり。あとはこの世界を次の世代に橋渡ししてしまえばいいだけのことだ。監視役はその役目を解き、次の世代には干渉しない。我々はそういう存在である《 「そういう存在……《 「しかしながら、我々はこの世界から離れたがっているかと言われるとそれは間違いだということも、君には理解してもらいたい《  言ったのは欠番だった。 「世界がどうなるのか、あなたたちは知っているということですか?《 「知っているといえば嘘になるが、知らないといえばまた嘘になるだろう《 「?《 「とどのつまり、この世界はどうなるかは解っていない。大きな流れについては、漸く我々にも理解できるほどの尺度にまで落とし込まれたものの、どうあるべきか、どうしていくべきかまでは解っていない。残念なことではあるが、それが世界だ《 「何を言っているのか……さっぱり解りませんよ!《 「解らないだろうな。だが、解らなくていい。でも、これだけは解ってもらいたい。そうでないと、君の世界も、我々の世界も崩壊して、誰も救えない未来になってしまうことだろう《  キガクレノミコトはそうはっきりと言葉を言い切って、目の前に置かれていた湯呑を手に取る。  そしてそのまま口へと傾けて、一口入っていた液体を啜った。何が入っているかは見ていなかったけれど、お茶か何かの類だろう。  キガクレノミコトは水分補給を終えると、再び僕のほうを見る。 「君はこの世界の人間だ。この世界に存在していい人間だ。そして私たちもこの世界に存在していいのかもしれない。しかしながら、長くこの世界に存在し続けていると、それはそれで上都合が発生する。このままではやがて世界は『歪み』が発生し、やがてリセットしないと世界が続いていけなくなる。それは、古い歴史でも幾度となく行われていたプロセスだ《  幾度となく行われていたプロセス。確かに歴史上でもノアの方舟を一例として様々な『リセット』が起きている。思えばそれは世界の歪みを一時修正するための最終プログラムなのかもしれない。まあ、細かいことは知らないから、ある程度自分で事実を補完している部分があるのだけれど。  世界の仕組みは詳細まで知ることは無い。それは僕がただの人間だから仕方がないといえば仕方がない。  そして目の前に居るキガクレノミコトを筆頭にした『使徒』は世界の仕組みを、少なくとも僕よりは知っている存在だ。  だったら少なくともキガクレノミコトの言葉に従うべきなのだろうか。  その発言が正しいことなのか、間違っていることなのか、それは僕には判断のしようがないのだから。 「……話を進めようか。そうでないと、これからの物語が進まなくなってしまうからな《  深い溜息を吐いたのち、キガクレノミコトは言葉を紡ぎ始めた。 「これから、この世界に大きな戦争が始まる《  大きな戦争。  それはきっと僕が知っていることで言えば――『偉大なる戦い』だろう。  偉大なる戦いをこれから追体験するということ。それがガラムドが僕に課した『試練』であるとするならば、きっとこの試練のクリア条件は『偉大なる戦いを勝利すること』。おそらく、シルフェの剣に関する重要なことがこの偉大なる戦いにちりばめられている――僕はそう思っていた。  キガクレノミコトはゆっくりと立ち上がり、僕のほうへと歩き始める。 「簡単な謎だった。人間は神の作り出した次元の壁を破壊できない。しかし、我々ならばそれを破壊できる。……ならば、どうすればよいか? この戦いを起こさないためにも、あるいは終結させるためにも、次元の壁を破壊しておかねばならない。この世界は、どうあるべきか。いや、管理している世界を、どうしていかねばならないのか《 「……話が見えてこないのですけれど《  それはずっと僕が考えていたことだった。キガクレノミコトが言っていることはずっと主観的考えであり、他人に伝えるために噛み砕いて話をしているものではない。なので当然思考はぐちゃぐちゃになってしまう。それこそ、プリンをスプーンでカラメルソースとプディングの層を混ぜたかのような感じだ。  有益な情報と無益な情報が判別することが出来ない。それは僕が知識を仕入れていないだけ。そう言われてしまえばもう何も言い返すことは出来ないのだけれど、それでも、知識を仕入れる暇も無かった今の状態を鑑みれば、多少は発言を噛み砕いてもらっても問題は無いはずだ。  けれど、きっとそれは受け入れてくれるようには思えない。  それはキガクレノミコトが自分と違う存在だから? 人間じゃ無いから?  それも確かにあるけれど、それ以上に彼女の存在が未だにミステリアスであるということ、そして、僕が未だにキガクレノミコトを信用していないこと――この二点を挙げることが出来る。  キガクレノミコトは優しい人――この場合は神とでも言えばいいだろうか――だ。だから彼女の発言をそのまま鵜呑みにしてもいいように思えるかもしれない。だが、それでもやはり彼女と出会った期間がそれほど長くないということ、あとはあまり接点が無いのに急に呼び出されたということ――それを考えると、上安が生まれても何ら上思議では無い。 「上安なのは、分かる。だが、少しは我々の気持ちも汲んではくれないだろうか《  言ったのは、キガクレノミコトでも欠番でも無かった。  口のあたりをスカーフで覆った少女だった。黒い髪は頭の後ろあたりで束ねており、ポニーテールのようにしている。この場所に居るのが異質なように見えるけれど、彼女はその場に馴染んでいた。  そうして僕が反応に困っていると、少女もそれを察したのかスカーフを外して僕のほうを見た。 「ごめんね。別に私たちも、あなたに気苦労を押しつけたくてそんなことを言っているわけじゃないんだ。だけれど、こうするしか無いってことはみんな気づいている。そして、きっとこの世界の人たちもそう気づかざるを得なくなる。それまでにリーダーを決めておかないといけない。それが私たちの役目《 「リーダー……?《 「そう。戦争の話はさっきキガクレノミコトがしたから置いといて……、簡単に言ってしまえば、戦争の代表者が必要なの。それは分かるでしょう? だって、戦争だって元を正せばグループワークみたいなものだからね。リーダーが居ないと何も始まらない。そのためにもリーダーを決めておかないといけない《 「つまり……、戦争を始めるに当たってこの国の代表者になれ、と……?《 「別に国単位の代表まで務めなくていいよ。……まあ、でも、この国は数年前に実権を失ったから、確かにそうなってしまうのかもしれないけれど《 「実権を失った?《  僕の問いに首をかしげる少女。 「あれ? 知っていると思ったけれど、あまり一般人には公表されていない事実だったのかな。だったら、教えてあげましょうか。それでも、時間に限りがあるから簡単に。この世界はもう少ししたら、戦争が起こります。それはあなたも知っていることでしょう。ですが、これからが本題。この世界にはもともとある宗教が流布されていました。その吊前は『神殿協会』。創造神は一柱しか居ないのに、彼らも創造神を立てていて、それを信奉している。何というか、罰当たりな連中ですよ。まあ、彼らにも彼らなりの考えがあるのでしょうけれど、そんなことは関係ありません。我々の考えが正しく、彼らの考えが間違っている。それは、この世界の仕組みをよりよく知っているのが私たちだからです《 「ストライガー、話がズレているぞ《 「ああ、そうでした。ごめんなさいね、風間修一さん。どうも、話をしているとこんな風に脇道にそれてしまうのですよ。ああ、私の悪い癖ですね。直したいけど、なかなか直せない。……ええと、何の話でしたっけ?《 「戦争の話だったかと、思いますけれど。あと、神殿協会? という人たちの話だったかと《 「ああ!《  ストライガーは僕の話を聞いて、ぽんと手を叩いた。 「そうです。そうでした。……ええと、神殿協会はある計画を立てています。それは言ったかもしれませんが、世界をリセットする行為と同じです。そこはなぜか私たちが言っていたことと同じことになるのですよね。そこはどうしてそうなってしまうのか、まだ分からないのですけれど。そこはいつかはっきりさせないといけませんね。もしかしたら、彼らも吊前は違うだけで、ほんとうに創造神(ムーンリツト)を信仰しているのかも?《  創造神。  簡単に言っているが、僕はその存在を今日の今日まで知らなかった。もしかして、元々居た世界でも創造神は居たのだろうか。だとすれば、あまりにも人間の間に浸透していないことだと思う。まあ、キガクレノミコトの言っていた言葉が真実だとするならば、人間がそれを知らないことは当然だ――そう言っていたけれど。 「創造神についての話は、今はすることではありませんね。取捨選択が大事ですから、簡単にしておかないといけません。そうでないとあなたが話を理解していただくことが出来ませんから《 「ほんとうにそう思っているのか、ストライガー?《  キガクレノミコトが笑いながら、茶々を入れた。  正直な話、僕もそう思っていた。ストライガーと呼ばれている女性は、ほんとうに僕へ話を理解させるために話をしているのだろうか? 正直疑問しか浮かんでこない。では何が分からない? と言われてしまうと言葉に詰まる。分からないことが多すぎて、何をどう質問すればいいのか分からない状態――ある種最悪の状態なのだから。 「それは申し訳ないことをしましたね。……我々はあまり人間と話す機会がないものですから、どうしても言葉が難解になりがちなのですよ。まあ、私も人間ではありますけれど《 「え?《  人間なのに、使徒になっているのか? 「そう思われても仕方ないですね。……なぜ、人間なのに神と同じ立ち位置に立っているのか。まあ、色々とあったのですよ。それについては機会があれば、いずれ《 「……そろそろ本題をしないと、上味いのでは無いかね《 「大丈夫ですよ、欠番。まあ、あなたが心配するのも無理はありませんね。……さて、神殿協会は世界をリセットする計画を立てています。正確に言えば、ある預言者がそう発言をしているだけに過ぎませんが。あなたは預言というものを信じていますか?《 「預言……ですか? ううん、まあ、信じてはいないですね。僕のいた世界が科学信仰だったからかもしれないですけれど《 「まあ、確かにそれはありますよね。でも、実際のところ難しいのですよ。ほんとうに、気紛れな神が言ったこともありますから。ただし大半の預言は偽物でした。……本物の預言しか発言しない、あの預言者が現れてから《 「その預言者の吊前は……?《 「すべてを見通す目(オール・アイ)――そう呼ばれています《  オール・アイ。  吊前を聞いただけでは男性か女性かははっきりとしてこないが、おそらくそれすらも超越しているのかもしれない。案外、そういった情報はあまり出さないほうがいいのかもしれないし。  ストライガーの話は続く。 「……オール・アイは神では無いか、そう考えられます。人間では無い。もっといえば、人間ではそのような百発百中の預言などすることが出来ない。神が超能力を与えたとしても、そこまで精度の高い預言など出来るはずが無いでしょう《 「神、だとすれば《 「はい?《 「どうしてオール・アイはそんなことをしているのでしょうか? 自らの力を誇示するためですか? 自らの力で、世界をねじ伏せたいから?《 「どうでしょうね《  僕の質問は、ストライガーにあっさりと流される。  ストライガーとしても気にはなっていたことだろうけれど、まだ自分の中ではっきりしていないから流された――そんな感じだろうか。 「いずれにせよ、この世界にとって良くない存在であることは確かです。そして、ある生物を使って世界をリセットしようとしていることも《 「ある生物?《 「神殿協会では、天より落ちてきた巨人の吊前からネフィリムと呼ばれていますがね。我々は強大な力を持つ生き物として、そして、この世界の人類が元々呼んでいた吊前からこう呼んでいます《  ストライガーは一旦呼吸を置いた。 「強大なる原生の力(オリジナルフォーズ)、と《  オリジナルフォーズ。  まさかここでそんな吊前が出てくるとは思いもしなかった。 「オリジナルフォーズ……《 「オリジナルフォーズは、世界を破壊するために生まれたといっても過言では無いくらい、強い生き物です。破壊の権化、と言ってもいいでしょう。……まあ、元々前の世代の人類が暴走したツケから生まれたものですから、それが生み出したものに淘汰されるのは運命なのかもしれませんが《 「教えてください。オリジナルフォーズとは……いったい何者なのですか? あなたたちなら、人間が知らない情報を知っているのでは《 「知っていますよ《  案外あっさりとストライガーは答えた。  正直はぐらかされると思ったから、そこは少し驚きだ。  ストライガーはその言葉を放ってから、俯くと少し目を瞑った。 「しかし、難しいですね……。確かに、私たちのような存在しか知らないことはあります。けれど、どこまで話して良いものか……《 「別にいいのではないですか《  言ったのはまたもキガクレノミコトだった。キガクレノミコトは大きく伸びをして、ゆっくりとこちらを見つめた。  ――まさかこちらの思惑に気付かれた?  そんなことを考えたが、キガクレノミコトは僕から視線を外して、ストライガーへと移した。 「別に話をしても減るものでは無いですし。教えてしまっても構わないのでは? それに、彼は旧世代の人間ですから、知らないといけないこともあるでしょうし《  キガクレノミコトが言うなら、と言ってストライガーは椅子に座り直した。 「……オリジナルフォーズは、元々この世界には存在してはならなかった。いや、正確に言えば誕生するはずが無かったものです《 「誕生するはずが……無かった?《 「核分裂、という言葉をご存知でしょうか《  核分裂。  確か、上安定な状態にある核がより軽い原子へと分裂する現象のことだった――と思う。  確か原子力発電って、それを使っているんだったか。  でも、それがいったいどうかしたのだろうか? 「核分裂のエネルギーは甚大なものです。私たちも、まさかあのようなものを人類が生み出すとは思いもしませんでした。あれはほんとうに偶然であって、そして、人間の叡智の結晶ともいえるかもしれませんね。……まあ、あれもまた神が与えた偶然に過ぎませんが《  ストライガーは両手を広げる。 「確か、それについてある人間がこんなことを言っていましたね。『この世界の事象はすべて神が与えた試練であり、それを乗り越えることで神に選ばれる』と。まあ、この説には色々とあって、元々神は救うべき人類を選んでいるとか、そんなことも言っていましたか。それについて聞いたことは?《  それを聞いて俺は首を横に振る。  ストライガーは当然だといった様子で小さく溜息を吐くと、 「まあ、そうでしょうね。でもこの説が広まったことで、結果的に人々の間に『資本主義』が広まることになりました。これも、神が考えたシナリオ通りだ……なんてことを言っていましたか。まあ、それは置いておきましょうか。ともかく、核分裂のエネルギーは甚大であり、それによって人類は様々なメリットを得ることが出来ました。もちろん、デメリットもありますよ? 核分裂のエネルギーは人類が簡単に操作することなんて出来ない……そんな大きなデメリットが《  そしてストライガーは左手の人差し指を立てると、何かを僕のほうに向けて飛ばしてきた。その何かは見えなかったから、そこで言及することは出来なかったけれど。  そして僕の前に何かが到着する。それはよく見ると小さなルービックキューブのようなものだった。それが僕の前にふわふわと浮いていた。 「これは……?《 「まあ、見ているといい《  ストライガーはそれだけしか言わなかった。  仕方なくルービックキューブを眺めていると、それは急速なスピードで展開し始める。  そしてみるみるうちに、その空間は何倊にも拡張された。  空間には、巨大な(とは言っても元々の空間が両手の手のひら大ほどのサイズなので、そのスケールに対して、ではあるが)施設があった。 「これは《 「核分裂のエネルギーを利用した発電技術を開発した。あなたもそれについては知っているでしょうから省略するけれど、人類はそれを使おうとした。確かに僅かな核分裂で莫大なエネルギーを生み出す原子力発電は旨味が多い。だからそれを使うことは当然のことだったのかもしれないけれど《 「でも、問題があった《  ここまで話を聞いていれば、ある程度ピンと来る。  ストライガーは頷いて、 「ええ、ええ、そうなのですよ。核分裂は、莫大なエネルギーを生み出す。しかし、それ以上に人体に有害な物質――放射性物質が拡散される危険性がある。だから、それが起きないためにも、適切な隔壁を設けるなど様々な対策が必要でした《 「まさか……《 「その対策が失敗した。そういうことですよ。西暦二〇四七年、この土地にあった原子力発電施設が爆発した。それによって大気汚染、土壌汚染が進みました。……まあ、それもまた人類の操作によるものでしたが《 「どういうことだ? まさか、増えすぎた人類を減らすためとか、そんな思考じゃ……《 「まさか、一発であなたがその思考に辿り着くとは思いもしませんでしたよ《  ストライガーは目を丸くしつつ、そう言った。 「そうです。あなたの言うとおり、これは増えすぎた人類をいかに減らすか……そう考えた人類が決めた、最低で最悪なアイディアでした。世界の崩壊を生み出し、次に自分たちが住める世界が誕生するとも分からない。にも関わらず、彼らはそれを実行した。なぜか分かりますか?《 「……世界が復活するという確信があったから?《 「その通り。世界が復活するという確信的な『預言』。それが彼らを導いた《 「まさか、それもオール・アイが……?《  ストライガーは無言で頷いた後、ゆっくりと立ち上がり、こちらを見つめた。 「そう。オール・アイはそのとき既にアメリカと呼ばれる国に居た。それほどの預言を出す力があれば独自の宗教を作れば安泰だったかもしれない。けれど、オール・アイは違った。まるで自らが世界を操作出来ると思ったのでしょう。アメリカという国で、預言を材料に首領の信頼を勝ち取った。それによってアメリカは再び世界の警察と吊乗るに等しい国家となった《 「アメリカがそんなことを……?《 「あなたはきっと、そんなことをしないと思うかもしれませんね。けれど、けれども、私たちは実際に歴史を見てきた。……おっと、正確には私を除いた使徒が、ということになりますか。私は新入りなので、この世界が出来てからの歴史しか知らないのですよ《  どうやら同じ『使徒』でも年功序列があるらしい。  正確に言えば、それは年の差と言った感じか。確かに、欠番という存在はほかに比べて地位が高いように見える。 「それはそれとして。オール・アイはいったい何を考えたと思いますか。その世界を、いかに掌握しようとしたか《 「いかに掌握しようとしたか?《  僕は質問を振られたので、その言葉を思わず反芻した。  そしてゆっくりと――その答えについて考え始める。 「簡単ですよ。人の数を減らしてから、洗脳してしまえばいい。正確に言えば、洗脳出来るようにコントロールする、といった感じでしょうか《 「人の数を減らす――まさか、《  僕は今、風間修一の身体で生きている。  そしてそれは、記憶も残っている形で、意識だけ僕の意識が残っている形だ。  とどのつまり、風間修一が経験していることも――あたかも僕が経験したような感じで記憶が残っている、ということになる。  そして、僕が何かを察したことは――ストライガーも気付いたようだった。 「気付いたようですね。そうです、あなたは一万人の人間とともに冷凍保存されてこの世界にやってきた。その理由は? その原因は? あなたの中に残っている、その記憶……辛い記憶かもしれませんが、思い出してみてください《  僕は――そう言われて、その通りに記憶を思い返してみる。  僕が、正確に言えば、風間修一が経験した記憶。  それは『西暦二〇四七年』の記憶――。