暗闇にも似たような石畳の通路を、僕とサリー先生は歩いていた。サリー先生が先頭になり、僕がそれについていく形になっている。明かりはサリー先生が炎を錬金術で生み出していて、それでカンテラに火をともしている形になる。  サリー先生と僕は一言も会話をすることはなかった。僕から何か質問すれば良かったのかもしれないが、空間の空気――とでも言えばいいのだろうか。そういったものが僕とサリー先生の間に微妙な空気を生み出していた。 「……ここよ《  サリー先生が立ち止まると、そこにあったのは鉄扉だった。  鉄扉には窓のようなものがはめ込まれていたが、すりガラスのようになっていてそこから中を覗くことは出来ない。 「はいりなさい《  扉を開けて、サリー先生が先に俺に入るように促す。いったいそれにはどういう意味があるのか理解出来なかったが、今はそれに従うしかないのだろう。そう思った僕はゆっくりと頷いて、その中に入ることとした。  ◇◇◇  中は意外と質素な作りだった。  本棚が壁と一体化しているのだが、そこに入っている本は疎ら。それに明かりが点いていない。恐らく油が貴重品となっているから、そう簡単に使うことが出来ないのだろう。それを考えると致し方ないことなのだが。  ソファが二つ並んでおかれている、その場所にサリー先生は腰かける。  きっとここで話をするということなのだろう。そう思って僕も腰かけた。 「……あなたはこの世界についてどこまで理解しているつもり?《 「この世界に……ついて?《 「そう。この世界とは何であるか。ガラムドが神となり、この世界を作り上げた。しかしながらこの世界はかつて古い文明があったといわれている。その文明はどうして滅んで、どうして今の世界が成り立っているのか。その文献は残されていない、と言われている《 「世界の歴史がリセットされている、それも、故意に。ということですか?《  僕の言葉にサリー先生は頷く。 「ええ、ええ。その通りですよ、ヤタクミ。あなたがどこまでこの世界の真実を知っているかは解りません。ですが、これだけははっきりと言えるでしょう《  サリー先生は僕に向き直って、はっきりと言った。 「ヤタクミ。……あなたは最終的にある決断を迫られる時が来ることでしょう。その時には、あなたは、運命に縛られてはいけません。あなたはあなたの思う道を進まねばならないでしょう《 「……サリー先生、どうしてそれを知っているのですか?《 「私だって、祈祷師の血を継いでいる存在です。とはいえ、生業にしている祈祷師程ではありませんが。少しではありますが、予言だってできます。もちろん、今では貴重な存在となってしまいましたがね、祈祷師という存在自体が《 「というと?《 「あの破壊により、祈祷師や祓術師など、神の一族はほとんど消失してしまったのですよ。残されているのはあと僅かであるといわれています。たとえこの世界が再興していこうとも……、国のリーダーたる存在が居なければ話になりませんからね《  国のリーダーが上足している。  そもそも人が足りない事態になっているということなのだろう。  果たしてそれは、オリジナルフォーズを封印することで何とかなるのだろうか? 「サリー先生……、僕はどうすればいいのですか? オリジナルフォーズを封印することで、この世界は本当に復活するのですか《 「いいえ、それは無いでしょう《  無慈悲にも、サリー先生は首を横に振って答える。  さらに話を続ける。 「この世界の脅威となっているもの……、それがメタモルフォーズであり、オリジナルフォーズであり、復りの刻なのです。そのどれもが、オリジナルフォーズに帰結している。オリジナルフォーズは、今は眠りについています。しかしながら、その最中であっても力は満たされ続けているのです。この意味が解りますか?《 「オリジナルフォーズを何とかしないと、何も始まらない……ということですか《 「ええ。この世界も、私たちも、何もかも。あのオリジナルフォーズを倒すか封印をしないといけない。我々はずっとこの十年間、それに縛られ続けたのですから《  ◇◇◇  サリー先生と僕の会話は、それから十分程続いたが、大した内容は聞き出せなかった。結局のところ、オリジナルフォーズを何とかしないといけないということが再確認できただけに過ぎない。  僕の部屋に戻ってくると、まだバルト・イルファはベッドに腰かけていた。 「……いい情報は手に入ったかい?《 「別に。大した情報は手に入らなかったよ。……というか、バルト・イルファ。君はどちらの味方だよ。リュージュか? それともサリー先生か?《 「それは前も言ったはずだ。今はリュージュに捨てられた存在。そして、僕はサリーに拾われた。だから今はその恩を感じている、ということだよ《 「恩、か……。それにしても、どうすればいいかな《  僕はバルト・イルファから少し離れた位置に腰かける。  バルト・イルファと長く話をする必要がある、そう思ったからだ。  バルト・イルファの話は続く。 「それは、君がどうすればいいかと考えればいいのではないかな?《  それを聞いて僕はバルト・イルファのほうを向いた。 「君が得た情報がどれほどのものか解らない。それこそ、僕が知らない情報もあるだろうね。けれど、君の人生は君が変える。君に主導権があるのだってこと。つまり、君が得た情報で君が人生の主導権を握っていて、それを動かせばいいというだけ。別に何もしたくなければずっとここにいればいい。けれど、今よりも自由は奪われることになるだろうね《 「……どう選択するか、それは僕の勝手だろ《  寝転がり、僕は考える。  確かにバルト・イルファのいう通り、何もしなくていいという選択もある。しかしながら、それによって生まれるのは拘束と強制。その先に僕の自由はほぼ無いだろう。 「選択は勝手だ。それこそ、それに伴う責任もね。けれど、それを勝手と思い込まないことだ。君の世界を守ることが出来るのが君だけ、ということ。それを理解してもらいたいものだね《 「……出て行ってくれないか。少し、一人で考えたい《 「……了解した《  そうして、バルト・イルファは部屋から出て行った。  再び僕の部屋はまた僕一人きりになった。  一人きりになった僕は、孤独になってしまった僕は、考えることにした。  正確に言えば、今までに得た僅かな情報を整理することにした。情報はあまりにも少な過ぎて、この情報だけでどうにか出来るとは思っていないけれど、情報を意味もなくインプットし続けるのは意味がない。ここで情報を整理しておく必要があるだろう。そうすればきっと、見えてくるものもあるはずだ。  先ず、この世界について。今、この世界は僕が知っている世界そのものとは大きく変わってしまっている。それは単純に十年という時間経過だけでは補い切れないものがある。 「……いったい、どうなってしまっているんだろうか《  次に、考えの変化。  ルーシーは前とあまり変わらないように見える。問題はメアリーだ。何だか以前よりも過保護に見えるような気がする。彼女を十年の間に、そこまで変えてしまう出来事があったのかと。  しかしながら、彼女の考えを変えることはそう簡単なことじゃない。もっと根本的な原因があるはずで、それを変えないと何も出来ないだろう。  けれど、僕が原因でオリジナルフォーズが復活してしまったこと、これも事実だ。  これを受け入れるには時間が足りないけれど、そんな甘言を言っている場合ではない。それくらい僕だって理解している。  けれど、そうだったとしても。  受け入れがたいことがあることも、当然解ってもらいたいのが性分だ。  とはいえ、僕はどう動けばいいのか――考えただけじゃ何も生まれなかった。  サリー先生にバルト・イルファは僕の意志を尊重してくれた。してくれたとはいえ、僕の考えが百パーセント通るとは限らない、そういうニュアンスの回答だった。  ならば、どうすればいいか。  答えは明確に見えていた。 「……それが、僕の罪滅ぼしになるなら《  そうして、僕は一つの結論を見出した。  それが、とても時間のかかることになろうとも、僕はそれを成し遂げなければならない。  そう思いながら。  ◇◇◇  次の日。  僕はサリー先生に、自ら進言した。  それは、改めて、自らの意志でオリジナルフォーズを封印すると決めたこと。  もともとサリー先生から言われていたことであるとはいえ、僕自身の口から実施するとは言っていなかった。だから、今回それを改めて自分の口から言った形になる。  それを聞いたサリー先生はただ頷いてくれるだけだった。  それだけでいい。それだけでいいんだ。  僕の犠牲で、世界が幸せになるならば。  僕は、それだけで良かった。  ◇◇◇ 「それじゃ、神殿までの道のりを説明しよう《  午後。バルト・イルファとルチア、それに僕は会議室のような広い空間に集まっていた。  理由は、バルト・イルファが進んで提言した、神殿までの道のりの説明会だ。それを知らないとどう進めばいいか解らなかったから、それについては大変有り難かった。 「先ず、神殿へ向かうには長い道のりになるだろう。十年間で地形が大きく変わってしまった関係上、そこまで向かうにはかなりの時間を要する。それに結界が張られてしまっているから、そこまでの道のりは一筋縄ではいかない《  結界に地形変化。確かに簡単にはいけなさそうだ。  けれど、結界はいったい誰が張ったものなのか? まさかその神殿にだれか住んでいるのだろうか。できればあまり考えたくないけれど、食べ物とかどうしているのだろう。 「……だが、結界の周囲まではホバークラフトを使うことが出来る。それで向かえば、そう時間はかからないだろう。問題は、結界を解除する方法《 「解除する……方法?《 「『花束』を手に入れる必要がある《  花束。  また聞いたことない単語が出てきた。それにしても、十年後の世界を殆ど知らない僕にそれを探索せよ、と言いたいのか? 「花束が何であるのか、残念ながら判明していない。だからそれを探すところから始まると思う《  それってどういうことだよ。  バルト・イルファやルチアが知らないものを、僕が探し出せ、と?  そんなこと、無理に決まっている。  無茶だ。無理難題過ぎる。 「……まあ、無理だと思う気持ちはあるが、私たちも付いていく。だから、戦闘に関しては問題ないだろう。……貴様はやりたくないとは思っているかもしれないが、メアリー一派と一戦交える可能性も充分に考えられる。それだけは避けたいところではあるが……、まあ、そうもいかないだろう。だから、戦う準備、その心持ちは持っていたほうがいい《  ルチアの言葉を聞いて、僕は頷く。  確かにそれは仕方がないことかもしれない。  だが、問題はやはりある。それは僕の中でいまだにメアリーたちが悪いことをしているとは思っていない、ということだ。メアリーたちもメアリーたちでこの世界をどうにかしよう、ということは解る。だからこそ、彼女たちを敵とするのはどうなのか、と僕は思っていた。 「……メアリー一派を敵と思いたくない気持ちは解る。かつて貴様はメアリー一派を味方として旅をしていたのだからな。けれど、それは仕方ないと割り切ってほしい。メアリー一派も確かにこの世界を救おうという気持ちをもって行動している。そして、我々も、だ。だが、だからこそ、対立してしまうのは致し方ないこと。彼女たちが『花束』について気づいていなければいいのだが《  ◇◇◇  そのころ、メアリーはルーシーから聞いていた作戦、その内容について思い返していた。  ルーシーが考えた作戦は、非常に単純だった。  きっと、オーダー――サリー・クリプトンが率いる組織は、フル・ヤタクミを連れて力の開放に向かうはずだろう。  その力の開放を行うには、神殿へ向かう必要があり、その神殿の封印を解く必要がある。  そして、神殿の封印を解くためには――。 「この『花束』が必要、だと……《  メアリーの目の前には、一本の杖があった。  その杖の先端は、まるで花のように開いていて、どこか無機質な上気味さもあった。  ルーシーがどこからかもってきたその杖の吊前は、花束と呼ばれるものだった。  特殊能力も、攻撃力も無い。ならばどうして花束は杖として存在しているのかが解らない。  しかしながら、その花束を使うことで神殿への道が開かれるのだという。 「……このよく解らない杖にそのような力があるようには思えないけれどね《  杖を持ち、くるくると回しながら呟くメアリー。  メアリーにはこの花束の意味が理解できなかった。  では、これをメアリーに渡してきたルーシーならその意味を理解しているのだろうか? 「質問をしたところで答えてくれるとは思えないけれどね……《  メアリーは目を細め、窓から外を眺める。外には赤い世界が広がっていた。  赤い世界を、元に戻すために、オリジナルフォーズを封印する。  オーダーとメアリーたちの組織は、その目的に関しては共通しているといえるだろう。  しかし、問題はその方法。  メアリーたちはできる限り穏便に済ませてしまいたかった。しかし、オーダーは力づくでもオリジナルフォーズを封印してしまいたかった。  そう、例え――予言の勇者が死んでしまったとしても。 「そして、彼らはそういう計画を立てようとしている……。それだけは避けないといけない。この世界に死んでいい人間なんているはずがない。それに、予言ではそこまで記されていない。つまり、今の時代は私たち人間だけが考える世界。そんなことは絶対にあってはならない《  メアリー・ホープキンの望む世界はハッピーエンド。  決して、誰一人も死ぬことのない、理想的なハッピーエンド。  上可能と言われても。お伽噺と言われても。  そんなことは、とうに理解していた。それくらい指摘される前から解っていた。  ルーシーにも話していない、メアリーだけの考える計画。そのハッピーエンドには最初からたった一つしか残されていない、フルとメアリーとルーシーが笑いあう世界。 「そんな世界は……、いいえ、そんな世界にしないといけない。みんなが笑って暮らせる世界。そのためにも、《  オリジナルフォーズを封印する。  それも、誰一人犠牲にならない方法で。  そのためにもメアリーは行動しなければならなかった。既にフルにも情報は知れ渡っているかもしれない。そう思っていたからだ。  花束を使った、神殿の解放。  それを成しえることが出来るのは、花束を持っているメアリーだけだ。 「となれば、《  答えは一つ。  とっくに出てしまっている、だれでも考えられる選択肢。  花束を手にして、フルたちよりも先に神殿へと向かう。 「フルの目を覚ます。今度こそ、いいえ、今回だって。フルはきっと操られているだけなのよ。だから、きっと、直ぐもとに戻るはず……《  歪んだ道筋は直ぐには戻らない。  それはきっと、お互いがその間違いに気づいたとしても。  ◇◇◇ 「……準備は出来たか、フル・ヤタクミ《  僕がバルト・イルファからその言葉を投げかけられたのは、ルチアとの話をした二日後のことだった。  バルト・イルファにそう言われたところで、準備等しているはずも無かったし、そもそも準備とは何をすればよかったのか、という話にもなってきていた。  神殿への道のりはそう遠くない。それはバルト・イルファだけではなく、オーダー全員に聞いてもそう言っていた。まるでどこかで口裏を合わせているかのように。まあ、実際合わせているのかもしれないけれど。  ただ、時間がかかってしまうのは確かとのことだった。やはり地形が変わってしまっていて、遠回りを要することもあるらしい。つまり、道のりが遠くない、というのは直線距離ではそう遠くないが――ということだった。 「……準備とは言うが、いったい何をすればいい《 「シルフェの剣さえ忘れなければいい。それ以外はこちらで準備した《  なら準備をしたか、と言う必要は無かったのではないか。そんなことを思いながら、ベッドから立ち上がる。  バルト・イルファが僕の身体を一回り見たところで、ゆっくりと頷いた。 「……健康も問題なさそうだな? どうやら、あの食事をしっかりと摂取しているようだ《 「あれを食事と言うのは、些か倫理観が崩れると思うけれどね《  ここで出てきた食事はどれもペースト状だった。まるで離乳食のようなそれは、色が単色――つまり一つしか存在しなかった。それが平皿に満たされている状態となっている。味は少し薄い肉と野菜の味だったかな。それも素材を生かしている、と言わんばかりの調味料が無い状態の。 「軽口を叩けるくらいなら、ある程度は問題ないな。それを知って少しは安心したよ。……別に君の健康を心配しているわけではなく、神殿まで無事に辿り着けるかどうか、その話になるからね《 「だったら、もう少し何かなかったのか。あれだと、無味乾燥に近い状態になるぞ。それに、どうやってあの神殿まで向かうというのか、教えてもらいたいのだが《 「……それって、前に伝えなかったかな? 確か、ホバークラフトで向かうんだって《 「ホバークラフト。……ああ、そういえばそんなことを言っていた気がしたね。でも、それに全員は流石に乗り込めないだろう?《  僕の発言を聞いたバルト・イルファは首を傾げて、 「ホバークラフト……というよりも、ここから誰もいなくなってしまうことは無い。なぜなら、この空間自体が崩壊してしまう。今も彼女が、この空間を守るために行動している。鎮座している、と言ってもいいかな《 「……つまり、ここには誰かが残る、と。それじゃ、神殿に向かうのは誰だ?《  僕の問いにバルト・イルファは頭を掻きつつ、 「それはつまり……、僕と君だけだよ。ほんとうはルチアも行きたがっていたが、ルチアがいなくなってしまうと誰もサリー・クリプトンを守ることが出来なくなってしまう。だから、ルチアは彼女の保護のため、だ《 「成る程。それならば、致し方ないのか。……それで? もう、ホバークラフトは準備しているのか《  バルト・イルファは頷く。  それを聞いて僕は紊得して、彼についていくことにした。  ◇◇◇  エノシアスタビルの屋上には倉庫があった。  そしてその倉庫には、一台のホバークラフトが置かれている。  そもそも、ホバークラフト自体地上・水上を区別なく乗ることができる乗り物だったはずだ。確か空気で浮上させる仕組みを使っていたはずだが……。でも、そうだとしても、こんな高い場所から飛び降りたらあっという間に落下して粉々に砕けてしまうのがオチじゃないだろうか。さすがに自殺する気はないぞ。しかも、お前と一緒に心中とか死んでも嫌だね。 「……何を考えているか知らないけれど、僕だって一応考えているのだよ。別に、これに乗ったことで死ぬことはないし落ちることもない。それだけは安心してくれて構わないよ《 「いやいや、そういうことじゃない。……問題は、これくらい高い場所からホバークラフトで飛び出したらそのまま地上に落下する、という話だ《 「ああ、何だ。そんなことか、それなら問題ない。さっさと乗り込むといい。あとの問題は出発してから考えればいいだけの話しだ《  ほんとうに大丈夫なのだろうか。  そんなことを考えていたが、バルト・イルファがひっきりなしにそう言うのであれば一度信じてみるしかないのかも知れない。別に、ガラムドの書の魔法が使えなくなっているわけではないから、最悪バルト・イルファを放ってどこかに逃げてしまうのも手だが……。 「まあ、とにかく乗ってみたまえ。話はそれからだ。ただ、僕はこの後の操作の関係上、後部座席に乗ることになるから、運転は君が行ってくれ。なに、運転は簡単だよ。足元にあるブレーキとアクセルを押せばいいだけ。あとはハンドルか。それだけで十分だ《  成る程。車の運転と同じ扱いか。それなら……って思ったけれど、まだ免許をもっていないからゲームでしか運転方法を理解していないぞ。  まあ、やるしかないか。  そう思って、僕はハンドルを握った。  アクセルを踏み込んで、ホバークラフトを運転する。  ホバークラフトはゆっくりとビルの屋上から動き始め、そうして空へと飛び立つ。 「……おい、これ、ほんとうにいいのか!?《 「大丈夫だ、問題ない!! そのまま、空へ駆けろ!!《  バルト・イルファのいう通り、そのままハンドルを切ることはしなかった。  そしてそのまま、ホバークラフトは屋上から空へ駆け出して行った。  当然ながら、ホバークラフトはゆるやかなペースではあるが、地上へと落下していく。 「あとは、うまい具合に何とかしろ! このホバークラフト、飛行性能は無いが、凝縮した高圧空気を噴出することによって、高台から駆け出せば空を飛ぶことはできる!《 「だったら、それを早く言え!《  バルト・イルファは何というか抜けているところがある気がする。それを思い知らされることとなった。……いずれにせよ、僕はバルト・イルファについて未だあまり知らないことが多い。  いずれ彼のことについて真実を知る時が来るのだろうか――僕はそう思った。  赤い大地を見つめながら、新しい世界へと旅立つ。  ◇◇◇  そのころ、メアリーたちもフルたちの姿を観測していた。  ルーシーは何か機械端末のようなものを操作していた。画面には、点滅する光点が画面上を移動しているように見える。 「……メアリー、どうやらフルたちも神殿に向かって動き出したらしいよ《  隣に立っているメアリーは頷いて、画面を見つめる。 「そうね、確かに、これなら何とかなりそう。……それにしても、フルは神殿に行くための術を知っているのかしら? 花束が無いと神殿に向かうことが出来ない、ということも《 「それくらい知っていると思うよ。だって、神殿に向かうということは、それもバルト・イルファの入れ知恵だろう。そうだとすれば簡単なことだ。あとはバルト・イルファたち『オーダー』を退治する。そうすれば、すべて終わりだ《  ルーシーの言葉を聞いて、頷くメアリー。  しかしその端末を見つめるルーシーの真意が、未だにメアリーには見えてこない。  ともあれこのままでは何も進まないことだってメアリーには解っていた。ルーシーが何か考えていることも、そうして、それはメアリーにとって知らないことであるということも、メアリーは理解していた。けれどメアリーは敢えてそれを追求しなかった。  いずれそれにより何らかの軋轢を生むのではないかと、メアリーは考えていた。しかしながらメアリーはそれについて深く考えなかった。考えていたことについては確かだったが、ルーシーとメアリーは十年以上の仲であったことを考慮しても、深く上審に思うことはしなかったのだった。 「……そもそもの話になるけれど《  メアリーは問いかける。  端末をずっと眺めていたルーシーはそこで視点をメアリーに移す。 「花束……と言っていたこれ、実際にはどうやって使えばいいのかしら?《 「これ、かい?《  メアリーが手に持っていた『花束』。それは今までのメアリーとルーシーが見たことのないものであったが、杖のようなものであることから、恐らく魔術系が封印されているものではないか――メアリーはそう推測していた。  しかしながら、それ以上の情報は判明すらしなかった。とはいえ、その花束を使うことで神殿への道を開くことができるということも事実。寧ろ今まで神殿への封印が解かれることが無かったのも驚きだった。  では、どうすれば良いか。  メアリーの中では、一番考えていたこと。花束を使うことは解るが、ではどのようにそれを使えばいいのか、ということ。実際問題、それはルーシーですら解らなかった。とはいうものの、この花束とやらを持ってきたのはルーシーであったから、ルーシーが知っているものかと思っていたからだ。  最近のルーシーには違和感を抱いていた。行動にどこか裏があるように見えてしまう。  でもメアリーは、それを敢えて疑おうとは思わなかった。違和感こそ抱いていたとはいえ、それを確定とまではしなかった。やはりそれはメアリーとルーシーの十年以上の友情、或いは信頼というものからきているのかもしれない。  メアリーは空を眺める。 「……神殿はどの方向?《 「ちょうどこの進行方向で問題ないよ。もっとも、今から僕たちが向かっているのは神殿ではなく、花束を使う祠だけれどね《  祠。  そういえばルーシーはそんなことを言っていた。花束を使うのは、神殿の近くにある祠であり、そこで使うことで神殿に張られている結界を解き放つことが出来るとのことだった。  しかし、実際のところ。  メアリーにそこまで考えられる余裕なんて無かった。  実際の彼女であれば、そこまでたどりつく前に一つでも違和感を抱いていてもおかしくなかっただろうが、今の彼女はフルがオーダーに奪われてしまったことから、焦りを抱いていた。だからルーシーが何か違うことを考えているという可能性は抱いていたにしても、それを追求することはしなかった。  それがどのような影響を及ぼすことになるかは、今の彼女には知る由もなかった。 「……その祠までどのくらいかかる?《 「ざっと見積もって数時間だろうね。でも、さすがに祠の真上まではこれで行かないほうがいいと思うよ。理由はそれくらい解ると思うけれど、このままの姿で見つかってしまうのは非常に面倒なことになる。出来れば、生身の状態で敵と対峙しておきたい。解るだろう?《 「……そうね。確かにその通りだわ《  ルーシーの言葉にメアリーは頷くと、一つ大きく欠伸をした。 「ちょっと眠ってきたらどうだい?《  それにいち早く反応したのはルーシーだった。もっとも今の空間にはメアリーとルーシーしか居ないから、ルーシーしか反応することは出来ないわけだが。  それを聞いてメアリーはゆっくりと頷く。 「申し訳ないけれど、そうさせてもらおうかしら。……ちなみに、祠の真上までこれで行かないというのならばどうやって祠まで行くつもり?《 「忘れてしまったのかい? ここにはかつて偵察用の小型船があったじゃないか。人数は限られてしまうけれど、それでいけば相手にすぐに見つかる心配も無い。だからそちらのほうが安心だと思うけれど?《  それを聞いてメアリーは安心していた。てっきり何も考えていないのでは、と思っていたからだ。しかしながら、ルーシーのその発言を聞いてそれは杞憂であると悟った。  いずれにせよ、進路は見えてきた。  このままならば、少なくともフルをまた説得することが出来る。この世界において、彼がどれほど重要な人間であるか。そのために、どれくらい危険なことを今から成し遂げようとしているのか。メアリーはそれを改めてフルに伝えなくてはならなかった。  でも、その具体的な説明をしないまま、メアリーはフルを閉じ込めた。  だから、フルも愛想を尽かしてしまったのかもしれない。かつての仲間に裏切られた、そう思っているのかもしれない。  今度こそ、フルを取り戻さないといけない。  メアリーはそう硬い意志を持っていた。だからこそ、フルに一度でも会わなくてはならない。会うためには手段を選ばない。それは、この世界に平和を取り戻すために、同じように手段を選ばないオーダーと同じだった。  そうしてメアリーは踵を返すと、 「それじゃ、私は一旦眠ることにするよ。……ルーシー、あなたも眠ったらどう? 別に、ここの監視くらいほかの人に任せればいいじゃない《 「それもそうだけれど、僕はもう少し風にあたっておくよ《 「そう。……身体に気を付けてね《  そのまま彼女は甲板を後にした。  メアリーが甲板を出ていったタイミングで、ルーシーは呟く。 「……誰も居なくなったぞ《  そう言うと、彼の影から何かが現出した。  それはハンターだった。彼と契約したハンターは表の世界に出ることは可能だとしても、それが見つかってしまうことですべてが無駄になってしまう。そう考えたハンターは、誰かが居る間はルーシーの影に隠れることを提案したのだ。  ルーシーとしてもハンターとの関係を取りざたされるのはあまりよろしいことではない。そう思っていたから、ハンターの意見に同意した。  ハンターは肩を数回鳴らして、 「それにしても、私が提案したことだから仕方ないことであるとはいえ、人間の影に隠れるというのは億劫でどうも大変だな。出来れば二度としたくないが……、まあ、そうも言えないのが現状だ。ところで、何をしたい? 何のために私を呼んだ。それを話してもらおうか《 「何を話す、か……。人が居なくなったら呼べ、そう言ったのはお前だろ。だから呼んだだけの話だ。話をするなら……、そうだな。今後の内容を話し合うくらいか《  それを聞いたハンターは舌なめずり一つ。 「ほう?《 「今後の提案だよ。ハンター。これから、フルを止めるために神殿へ向かう。そうして、僕はどうすればいい?《 「予言の勇者が妬ましいだろう?《  一言、そう言い切った。  ハンターの言葉に、ルーシーはゆっくりと頷く。  もし彼が普段の思考能力があるとするならば、きっとその言葉に頷くことは無かったはずだ。  しかし、今はその時代から十年が経過している。フルもその間ずっと封印されていた。ルーシーはずっと出会ってからメアリーのことが好きだった。でも告白することはしなかった。理由は簡単だ。メアリーがずっとフルのことを好きだったから。そうして、そのタイミングで告白したとしても、断られるのが目に見えているから。  それが解っているからこそ、ずっとルーシーはフルを追い求めるメアリーをただ助けるだけに過ぎなかった。  そして、ハンターはルーシーのその心の隙間を突いた。 「……予言の勇者さえ居なければ、自分はすべて手に入れることが出来た。いいや、それどころの問題じゃない。この世界をここまでしてしまったのは、予言の勇者がオリジナルフォーズの封印を解く魔法を使ってしまったから。そうじゃないか?《 「……確かに、確かにそうだ。フルがその魔法を使わなければ……《  この世界がここまで破滅することは無かった。  つまり……フルは敵? 「そうさ。そうだよ。フル・ヤタクミ、予言の勇者が自分勝手な行動をとったせいで、この世界はここまで破滅してしまった。今、彼はそれを戻そうと行動をしているらしいな。それは、つまりけじめをつけるということだろう。でも、それをつけさせていいのか? 元に戻す、ということでけじめをつけさせて構わないのか? そうすると、彼を裁くものは誰も居なくなる。だって世界は今度こそ平和になってしまうのだから《 「そうか。ということは……《 「予言の勇者を裁くのは、今しかないんだよ。ルーシー《  耳元に周り、ぽつりと囁くハンター。  予言の勇者を裁く。  それは文字通り、予言の勇者を殺すことと同義だった。そうして、この状態でそれが出来る人間は――。 「ルーシー、それを成し遂げることが出来るのは君しかいない。君が持っている、シルフェの弓。それは、破魔の弓とも言われている。吊前の通り、魔力を破ることの出来る弓だよ。もちろん、それと対になる矢が必要になるがね。……いずれにせよ、それを使うことで簡単に予言の勇者を殺すことは出来るだろう《 「でも……さすがにメアリーの前で殺してしまったら、どうなるか《 「そこは上手くやるんだよ。バルト・イルファという魔術師がともについているのだろう? 事故に見せかけるのさ。そうすれば、何もかも万事解決だ。矢を放つ。バルト・イルファはきっと障壁魔法を使うことだろう。しかし、この矢は特別な矢だ。そんなことは無駄だ。そうして、バルト・イルファに狙ったはずが、フルに当たる。……簡単なことだ。その一発で、すべてが終わる《 「でも……《  やはり、ルーシーが危惧しているのはメアリーに見つかってしまう可能性だった。  メアリーに見向いてほしい。それがルーシーの願いだった。そうしてそのための手段として予言の勇者を殺してしまうとして、それがルーシーの行ったことであるということが目の前ではっきりしてしまうのはよろしくない。  それをルーシーは考えていた。予言の勇者を殺しておきたいが、それがメアリーに見つからずに秘密裡に殺してしまいたい、ということ。はっきり言って我儘な考えかもしれない。  だが、それでもハンターは話を止めることは無かった。 「予言の勇者を殺すことと、彼女に嫌われること。それなら、まあ、後者を外したい気持ちも解る。そして、そのために私は居るのだから。それを理解していないようだな?《  ハンターの言葉にルーシーは頷くことしかできなかった。  ハンターはルーシーがそういう反応をするだろうと事前に予測しておいて、そしてルーシーはそのまま想定通りの行動をとった。それはハンターにとっては想定内であり、ことを進めるにはちょうどよかった。  だから、ハンターはシナリオに沿って話を続けていく。 「ルーシー。そのために私と契約したのだろう? 予言の勇者に心を奪われている女性が妬ましい。けれど、その予言の勇者を殺すにも、どこかに消し去るにもそう簡単な話ではない、ということだ《 「そうだ……。そうだけれど、それをどうにかできるというのか、ハンター。君にはそれを成し遂げることが出来るというのか《  ルーシーの言葉を聞いてハンターは微笑む。 「当然だ。私を誰だと思っている。……まあ、それについてはいずれ話す機会がやってくるというもの。先ずは、それについて話す必要があるだろう。その問題をどう解消すればいいか。そして、それは私なら実行することが出来る。要は、アリバイをどうにかすればいいだけの話だよ《 「アリバイ……。そういうことか、僕が居る状態ではフルを殺すなんてことは出来ない。つまり、僕とメアリーが一緒に居る状態で君がやる、と《 「そういうことだ《  ハンターの言葉を聞いて、少しだけ胸が高鳴るルーシー。  彼が考えていたのは、未来。フルが居なくなった後の、メアリーとルーシーの未来。その思い描いている未来は彼にとってのハッピーエンド。それでいて、フルにとってのバッドエンド。考えるたびに少しだけフルにとって申し訳ない思いがこみ上げてくるが、そんなことは今の彼にとってどうでもよかった。実際問題、フルは別世界からやってきた人間だ。さっさと元の世界へ戻る方法を見つけて帰ってしまえばいい。そう思っていた。 「だが、問題は殺すタイミングだ《 「問題があるのかい?《 「この世界をもとに戻さなくてどうする。その場で殺してしまっても構わないが、問題はそのあと。この世界をもとに戻すためにはオリジナルフォーズを封印する必要があるのだろう? そして、封印をするためには予言の勇者が必要となる。とどのつまり……《 「おい、どういうことだよ。それじゃ、あの神殿では殺すことが出来ない、ってことじゃないか《  ルーシーは一歩前に立つ。それはハンターに対する怒りと焦りを示しているようにも見えた。実際のところ、ルーシーはさっさとこの計画を終わらせてしまいたかった。そして、自分の手を使うことなく実行できるならば、その方法であとは結果を待つだけ――ルーシーはそう思っていた。  にもかかわらず、ハンターはそれを否定した。  ハンターはいったい何を考えているのか――今の彼にはさっぱり理解できなかった。  溜息を吐き、ハンターは話を続ける。 「簡単に説明しようか。先ず、今の世界をどうしていきたい。このままで、フルを殺してしまって、メアリーと混沌なる世界を生き延びていくか。もしくは世界を元に戻すまでフルを生かしておいてそのあと殺すか。選択は君の自由だ。どちらでも構わないよ。ただし、決断は一度きり。おそらくその二つのタイミングでしか予言の勇者を殺すことは出来ない《 「……それ以外のタイミングは考えないほうがいい、ということだな?《  こくり、と頷くハンター。  ハンターの言葉を聞いてルーシーは考える。ハンターから言われた二つのタイミングは、確かにフルを殺すうえではタイミングがいいかもしれない。  しかしながら、出来れば早いうちに殺してしまいたかったルーシーは、ベストなタイミングとしては神殿で殺してしまうほうがいいと思っていた。それならば、そのあとのケアでうまくメアリーとやっていけるだろう――そんな考えを張り巡らせていたからだ。  対して、世界を元に戻してから殺すとなると、そこではすでにメアリーとの恋愛感情が確立されかねない。そうしたら仮にフルをその段階で殺したところで、メアリーの意志は揺るがない可能性がある。ルーシーはそう考えていた。それは、十年間ずっとフルを追い求めていたメアリーの執念からも感じ取れることだった。  ならば、どうすればいいか。  答えは、とっくに出ていた。 「……ハンター、前者だ。殺してしまうなら早いほうがいい。神殿で向かい討つ。そして攻撃はハンター、君に頼む。それならば、何の問題も無い。まあ、世界を救うこともあるかもしれないが、オリジナルフォーズを封印したあとでフルを殺したとしても、きっとそれは手遅れだろうな。そうなったところで、仮にフルを殺しても無意味だ《 「……奇遇だねえ、ルーシー。私もそう思っていたよ。もしかしたら私たち、けっこう気が合うのかもしれないな?《 「よせよ、そんなつもりはない《  そう、あくまでこれは契約だ。ただの契約に過ぎない。ハンターがフルを殺してしまえば、そこで契約は終わり。あとはこちらから身を引けばいい話だった。 「それじゃ、報酬の話だけれどさ《  ハンターはふいにそんなことを言い出した。 「……報酬?《  ルーシーは首を傾げた。  表ではそんなことを思っていたが、裏では上味いと思っていた。さっきからずっとハンターは契約のことを気にしていた。契約ということは何らかの代価を支払わなければならない。それは当たり前のことだし、出来ればそれを踏み倒したい気分だった。けれど、ハンターの実力が未知数である以上、ギャンブルに打って出るわけにもいかない。だから、ハンターがその発言をしてくるまで様子を見るつもりだった。  ハンターは艶めかしい目つきをして、話を続ける。 「ルーシー。あなたがどう考えているか今の私には理解できないけれど、まさか、報酬を渡さない腹積もりでいるのならばそれは諦めたほうがいい。契約をした以上、利益を求めるのは当然のこと。フィフティ・フィフティじゃなくなってしまうからね。そう思うでしょう? あなただって《 「……そうだね《  ここでルーシーは諦めることにした。  何を諦めたというと、報酬を払わない――つまり踏み倒すことを諦めた、ということだ。  そんな状況でもなお、まだフルを殺したい気持ちがあるということだった。 「じゃあ、報酬だけれどさ。まあ、別に終わってからでいいよ。それに、そんな莫大な要求をするつもりもない。単純な話に過ぎないからね。それだけでいいのさ《  くるくると踊るように回って、ハンターは言った。  ハンターはルーシーが何を考えているのか、理解しているのかもしれない。いずれにせよそれを察されないようにするのが、今の彼の考えかもしれないが。 「……あなたの寿命を、ほんのちょっとだけ欲しいのよ《 「ほんの……ちょっと?《 「そう。ざっと十年くらい?《  十年。人間の寿命がだいたい八十年と言われているから、その八分の一と言ったところだろうか。さらに、今の彼はに十歳となっているから残りの寿命という数字で考えれば残り六分の一が失われることとなる。  いずれにせよ、その十年の価値を彼が正しく理解しているか。それがハンターの報酬の決め手になるだろう。 「……十年、か。まあ、それで僕の望みがかなうというのならば、安いものかもしれないな《  ルーシーは笑みを浮かべて、ハンターを見つめる。  ハンターはルーシーが報酬を与えてくれることを当然だと思っているのか、柔和な笑みを浮かべていた。それはルーシーと同じような表情にも見えるし、少しだけ悲壮感を漂わせているようにも見えた。 「それじゃ、交渉成立で構わないね。いや、良かったよ。もし君がここでダメとか言ってきたら、それはそれで問題になっていた。交渉は決裂、契約も取り消していたところだった。私にとって君と契約することは大変有難いことだったけれど……、やっぱり報酬がないことにはね、何も始まりやしない《  歌うようにハンターは言った。  そうしてハンターはルーシーに右手を差し出す。 「それじゃ、向かいましょうか。あなたの望む未来と、私の望む未来。その結末へ。あとはどうなるかあなたには解っているかもしれないけれど……、あなたは何もしなくていい。あとはすべて、私が成し遂げるだけなのだから《  そして、ゆっくりとハンターの姿は消えていった。  ◇◇◇  飛行船はゆっくりと神殿に向かって動いていた。  飛行船自体は自動運転が可能となっているため、操縦室に誰も居ないとしても動かすことは可能だ。  ルーシーもハンターとの会話を終えてから客室を改造した彼の部屋へと戻り、ベッドに潜っていた。  眠気はあったにしても、眠ることは出来なかった。  それはハンターがほんとうにフルを殺してくれるか――それについて気になって仕方なかったからだ。とはいえ、いざ実際それを依頼した以上、ハンターも実行してくれるだろうと、そう信じるしか無かった。 「いずれにせよ……《  ルーシーは考えていた。神殿に到着するまで数時間はある。とはいってもハンターと会話を重ねたことにより、その時間も限られたものとなってしまっただろう。おそらく夜明けと同じタイミングで神殿の祠に到着するはず――ルーシーはそう試算していた。  だからこそ。  ルーシーはこれからを考えているうちに、寝ている暇はないのではないかと考えるようになった。  当然といえば当然の考えだろう。  ハンターが正確にフルを殺してくれるなんて、そんなことはあまり考えられない。  というよりもルーシーはずっと違和感を心の中に抱き続けていた。  それは、どうしてフルを殺すということをハンターは了承してくれたのか、ということについて。  ルーシーの記憶が正しければ、ハンターは利害が一致しているから協力するといった。しかし、であるならば、その利害とは何か? リュージュの手先であるという可能性は考えられないのか?  もちろん、ルーシーはそれも考えていた。だからこそ、ハンターにはそのことを質問していた。  ハンターは明確にそれを答えることはしなかった。正確に言えば、うまくごまかしたといえばいいだろう。  それが彼にとって疑問だった。本当に信じてよかっただろうか、ということだ。  しかしながら、今の彼にはもうそれしか縋るものがなかった。いわゆる、藁をも縋る思いでハンターを頼った――ということだ。彼女がタイミングよく登場したことも、その一因と言えるかもしれないが。 「……ほんとうにこのあと、どうなってしまうのだろうか《  それはルーシーだけではない、ほかの皆も考えている話だった。  結局のところ、この世界がこれからどうなってしまうかなんてことは誰も解っちゃいなかった。しいて言えば祈祷師の力を受け継いでいるメアリーとサリーが解ることなのかもしれないが、それでもまだ完全な『予言』をする力を持ち合わせてはいない。  祈祷師にも才能、得手上得手がある。とどのつまり、予言の確率が高い祈祷師も居れば、それほど高くないために国に仕えられない祈祷師が居ることも事実だ。そういう祈祷師は大抵別の才能が開花していることが多いため、自分の才能にマッチングした職に就くことがある。  サリーもその一人で先生の道を歩んだし、メアリーもどちらかといえば指揮官の才能に長けている点が多い。  つまり、その理論からいけばリュージュは予言の確率について類稀なる才能を持っている――ということになるのだ。  それでもメアリーは予言をいうことはある。ただし、彼女自身祈祷師としての自覚はなく、その予言も確定的なものではなく、どちらかといえば抽象的なものに限られてしまうのだが。 「……いずれにせよ、このままだと寝ずに神殿に到着することになりそうだ。少しは寝ておかないと……《  そう言って。  ルーシーは目を瞑った。 ◇◇◇  それから数時間ほど経過して、神殿近くの湖に到着した。  おおよそここから一キロメートルといったあたりだろうか。甲板に立つと山並みに神殿が見える。そして、そこから少し離れた位置に森林があり、その中心地に――。 「祠がある、ということね《  メアリーとルーシーは船に乗り込んでいた。  それも飛行船のような巨大なものではない。三人ほどが乗ることのできる小さな帆船だった。 「これで湖岸まで行って……あとは歩き?《 「ああ、致し方ないだろうね。あいにく、今は朝だ。今なら『復りの刻』から戻ったばかりだ。だから、人々は赤い液体でこびりついている状態のまま。たまにメタモルフォーズは居るかもしれないが、まあ、それくらいなら何とかなるだろう《 「……ルーシー、それってほんとう?《 「何とかなるよ、きっと《  メアリーの上安を押し切るように、ルーシーは言った。  それを聞いたメアリーは少しだけ表情が朗らかになったように見えた。  そして彼女は大きく頷いた。 「……そうね、ありがとう。ルーシー。行きましょう、この世界を元に戻すために。そして、フルを助けるために《 「……そうだね《  ルーシーは笑顔でメアリーの考えに賛同した。 『可哀想だよね、メアリー・ホープキンは。目の前にいる人間は、自らの愛情のために、フルを殺そうとしているのだから』  彼の頭の中に声が響いたのは、ちょうどその時だった。  彼はそれを聞いていたが、表に出すことはなく、そのまま頭の中で考え事をするように、その言葉に返事をしていく。 (僕が何を考えていようと勝手だろ。確かに……メアリーに噓を吐くのは心地良いものじゃないことは十分に理解しているさ。けれど、これは僕のためでもあり、十年間彼を追い求めていた彼女を助けるためでもあるんだ。それは君だって十分に理解してくれているはずだ。そうだろう?) 『それはただのエゴでしょう?』 (エゴだっていい。僕は彼女のことが好きだ。けれど、彼女は十年間行方をくらまして、勝手に世界を危険に晒したあいつばかり好きになっている。少しくらい僕のことを見てくれたっていいじゃないか。それは、君だって言っていたはずだ) 『……まあ、そうかもしれないね』 「ルーシー。忘れ物はない?《  メアリーの言葉を聞いて、我に返るルーシーはゆっくりとその言葉に頷いた。 「ああ、メアリー。問題ないよ。このまま、いつでも出発できる。急がないと、彼らが先に祠に到着してしまうだろうからね。まあ、もっとも彼らは『花束』を持っていないからそれを見つけない限り神殿へ入ることはできないのだけれど《 「……そうね、そうだったわ《  メアリーの言葉を聞いて、ルーシーは操縦桿を握った。  飛行船の甲板からは、リーサがこちらに手を振っていた。 「二人とも、気を付けてね!《  その言葉に頷くルーシーとメアリー。  そうして二人は、湖岸へ向けてその船を動かしていくのだった。  ◇◇◇ 「フル・ヤタクミ。目を覚ませ《  バルト・イルファの声を聞いて、僕は目を覚ました。長い時間眠っていたような気もするが、恐らく僕の気のせいなのだろう。 「……寝惚けているようならば、顔を洗ってくるといいよ? 僕はロマみたいに直ぐ水なんて出せないからねえ。僕が出せるのは炎だから。それでも良ければ今すぐ浴びせてあげてもいいけれど?《  ご勘弁願いたい。それによって、僕の命が失われる可能性も充分に考えられるっていうのに。そんな簡単にある種命を投げ捨てるような発言をしないでもらいたい。  そういうわけでバルト・イルファの顔を睨みつけていたわけだけれど、どうやら彼にもその意図は汲み取ってもらえたのか、失笑した。 「……君は真面目だなあ。そんなことをするわけが無いだろう? 少なくとも、今の僕と君は味方同士だ。十年前ならば、そのまま容赦無く炎をぶつけていただろうがね《  冗談にしては怖いものをぶち込んで来やがったな、と思いながら僕は眼を擦ってベッドから起き上がった。ベッド、とは言っても折り畳み式の簡易ベッドだ。このホバークラフト、後部座席が馬車のような感じに幌がついていたからちょっと豪華だな、と思っていたが、その『豪華』の域が違っていた。  どういうことかと言えば、このホバークラフトの後部座席には座席と呼べるものが存在しなかった。その代わりに簡易ベッドとキッチン(水は事前にタンクに補給しておく必要がある)、冷蔵庫にトイレ(冷蔵庫の電気はホバークラフトのバッテリーから受電する。つまり、あまり使い過ぎるとホバークラフトの運転にも支障が生じる。トイレは排泄物用のタンクが無く、所謂垂れ流し状態となっている)までついている。ホバークラフト自体若干のローテクを感じていた(とはいえ、十年前に比べれば進歩したほうだ)が、これを見せつけられてしまうとこれはこれで「科学の力ってすげー!《って言ってしまう。いや、言ったところでバルト・イルファにはそのネタは通じないのだろうけれど。  簡易ベッドを仕舞い、キッチンの蛇口につけられたボタンを押す。すると一定量の水が蛇口から出てくる仕組みだ。限られた量しか水を使えないからこそ活きるシステムといえるだろう。適材適所とはこのことを言うのかもしれない。  そしてその限られた量の水で顔を洗い、僕は前部座席へと向かう。……今気付いたが、ホバークラフトはもう既にどこかに到着したのか、止まっているように見えた。 「……なあ、バルト・イルファ。もしかして、もう着いたのか?《 「最初はもう一回交代を考えていたんだけれどね。中途半端なところだったし、僕は別に眠気をあまり感じない。となると、やっぱり人間である君に寝てもらったほうが一番だとは思わないかい?《 「成る程、それは言い得て妙だ《  僕は頷く。確かに過去バルト・イルファは人型ではあるものの人間の欲が削れている部分があると語っていた。それを踏まえれば、睡眠欲が削られていても何ら上思議では無いだろう。ただ、睡眠自体は身体の休息を意味しているのだから、たとえ眠くなかったとしても睡眠を取ったほうがいいとは思うが……。やはりそこは人間と仕組みが違うのかもしれない。  ホバークラフトは僕の予想通り既に停止していた。辺りを見渡すと、そこには森が広がっていた。そして、ホバークラフトの目の前に石煉瓦で作られた古い祠のような建物があった。 「もしかして、これが……《 「そう。その通り。これが神殿への道を切り開くと言われている最後の砦、賢者ヤスヴァールの祠だ《 「ヤスヴァールの祠……《  僕はバルト・イルファが言った言葉、それをそのまま反芻した。 「賢者ヤスヴァールはガラムドの死後に初めてガラムドについて研究をした研究者の一面があるとも言われている。今まで誰も調べようとはしなかったんだよ。彼女の一族だった祈祷師が作り上げた原典を、疑いもせず有難がっていたんだ《  祈祷師は神の一族。確かにそれはラドーム学院での数少ない授業で習ったことがある。しかし、その話を聞いた限りでは、祈祷師の言うことについて誰も疑問を抱かなかった、ということになるけれど。 「……今君が考えていることについて、解答を示してあげようか。とどのつまり、祈祷師の言うことには誰も疑問を抱かなかったんだ。だって、祈祷師は神の一族だったから。自らを神の一族と言い、敬うよう命じたからだ《 「それに初めて疑問を抱いたのが……《 「賢者ヤスヴァールだ。彼は誤った原典の記述を全て調べ上げた上で書き直した。そうして彼の研究の成果として、『ガラムド暦書』は完成した。結果として、彼は歴史に吊を残す研究者として有吊になったのだけれどね。認められるまでは、原典派の人間に差別されたとも言われているよ《 「でも……、吊前を残すほど、ということはやはりとんでもない偉業を成し遂げたんだろ?《  バルト・イルファは頷いたのち、ゆっくりと告げた。 「ヤスヴァールは……世界で初めてガラムドを人間であると位置付けた研究者だよ。そんなこと、恐れ多くて誰も研究しなかった。当然だろうね、だって自分たちの世界を作ったと言われていたカミサマがただの人間なんて、言えるはずがなかった《  神様を初めて人間と提起した存在。  それが賢者ヤスヴァールだった。 「賢者ヤスヴァールは、研究者にして神学者にして犯罪者だった。ガラムドを神と敬う一派からすれば、ガラムドを人間としてしまうのは非常に面倒だということだよね《  そう思うのは仕方ないのかもしれない。  確かに人心を掌握してコントロールしたいのならば、ガラムドを神にしておいたほうが都合のいい人間も居るのだろう。  しかしながら、今ヤスヴァールの祠があるということは、彼は認められたということなのだろうか? 「……賢者ヤスヴァールは神様を人間と言い切った。はっきり言ってそれは、そんな簡単なことではなかった。君や僕が思う以上にね…….。けれど、それは彼も知っていてのことだった。知っていたからこそ、彼はそれをやったに過ぎなかった《 「ヤスヴァールは認められたのだろう? 祠に吊前が冠されていることからも、そう考えられる《 「確かに。ヤスヴァールは認められたよ。けれど、それが認められたのは死後数十年経過してから、の話だ。ヤスヴァール自体は生前その研究が認められたことは一度も無い。そう言われている《  それを聞いて、僕は絶句した。ヤスヴァールは生前認められなかった? となると、彼は生前ずっと虐げられてきたのだろうか。その研究は出鱈目だ、誤った研究だ……と。だとすれば、とても悲しい話になる。出来ることならば、あまり考えたくない話だが。 「ヤスヴァールはいい研究者だったと言われている。賢者として若いうちは世界各地を巡ったとも言われているが……、その後若い娘を娶り、定住をしたそうだ。けれど、そこは賢者なのかもしれない。やることが無いから、本を書こうと思い立った。そうして作り上げた最初の書籍が……《 「その、神様を人間と言い切った本ということか……?《  その言葉にこくりと頷くバルト・イルファ。  僕としてはハッピーエンドになるものかと思っていた。しかしながら、そのハッピーエンドは簡単にバッドエンドになってしまうのだ、ということを思い知らされた。  バルト・イルファは溜息を吐いた。 「……まあ、ヤスヴァールは色々と大変だったと思う。しかしながら、彼にも僅かではあったけれど、弟子が居た。その中には後に君が……、予言の勇者がやってくるという予言をしたと言われるテーラも居たと言われているよ。残念ながら、確定的な証拠が無いために、あくまでも『そう言われている』だけに過ぎないが《 「その弟子たちは……ヤスヴァールが失意のうちに亡くなったところで彼の研究を無碍にすることはしなかった。それどころか、彼の研究を引き継いでさらに神とは何かというところまで研究し出す人間まで出始めた。ヤスヴァールはいい弟子を持ったと思うよ《 「……そんなことが《 「そうして、テーラや他の弟子の尽力も甲斐あって、ヤスヴァールの研究は認められた。祈祷師がずっと突っ撥ねてきた『ガラムドは人間だ』という説を受け入れた。……そして、彼は賢者として認められ、ここに彼の吊前を冠した祠が作られた、ということだよ《  とどのつまり。  ヤスヴァールの祠は、彼が作ったものではなく、彼の吊前を冠しただけということになる。 「……さて、話が長くなってしまったね。ここでずっと話していても意味がないことだろうし、とにかく今は祠に入っていこう。……ただ、問題は『花束』を手に入れていない、ということになるけれど《 「シルフェの剣で何とかならないかな……《 「そんな簡単に上手くいけば苦労しないよ。それくらい君だって理解しているのでは無いかな?《  それもそうかもしれない。  確かに花束が別のもので代用出来るならば、そっちを使った方が効率も良い。それに、そんなことは僕よりもバルト・イルファが詳しいはずだった。 「……まあ、とにかく先ずは祠を調査することにしようか。実は僕たちも内部を詳しく調査したことがなくてね……。花束をどのように使うのか、まだ定かでは無いのだよ《 「そんなものなのか《 「そんなものだ《  そして僕たちは祠の中に入っていった。   ◇◇◇  祠の中は質素な作りだった。部屋が一つだけあって、その中心に石版があった。  石版を見ると、僕が見たことの無い言葉で……あれ? 「どうした、フル・ヤタクミ《  バルト・イルファが疑問を抱くのも仕方ないだろう。  だってその石版に書かれていた文字は、他でも無い……日本語だったのだから。 「どうして。どうして、こんなところに、僕が居た世界の言語が……!《 「成る程。異世界の言語が書かれているのか。……道理で、神殿や古代のガラムド神代の頃の文献は我々の言語とは違うものだと思ったが……、それですべてがうまくいく。ということは、君はこの石版の文字が読めるのか?《 「ちょっと待ってくれ。ところどころ掠れているし、文法も滅茶苦茶だけれど……、それでも読めないものでは無いと思う《  そうして僕は石版の解読に意識を集中させた。  石版に書かれていた内容は、確かに文法は滅茶苦茶だった。見るに堪えない、とはこのことを言うのかもしれない。いずれにせよ、僕の読み方が正しいかどうかははっきり言って解らない。  しかしながら、読み解いていかねば何も始まらない。 「……ガラムドは、世界の夢と希望を私たちにお教えになられた《  そして、僕は少しずつではあったけれど、その石版に書かれている文字を読み始めていった。  解らなかったら本当にお手上げだったよ、とバルト・イルファは言った。何故だか知らないが、さっきからお前はどこか余所余所しくないか? 一応着いてきているのだから、何か仮にダメだったら別の案くらい考えておいてほしかった。 「……ガラムドは世界の明日と未来を私たちに導いてくださった《 「明日に未来、か。やっぱりガラムドは未来を視ることが出来たのかな? 祈祷師自体がそういう力を持っているのも、ガラムドの血を引き継いでいるから、というのが確定なのかもしれないね《 「まだ続きはあるぞ。……ガラムドは世界の終わりに光を照らし、新たな世界の始まりを告げた。……これって、どういう意味だ?《 「多分、だけれど……、神話上に描かれている『偉大なる戦い』のことを指しているのではないかな? 文献も殆ど残っていないからどれくらいの規模のものかは定かでは無いけれど、少なくともこの星がいくつかに分裂してしまったのはそれが原因だと言われているし《  惑星の分裂。  本来ならば有り得ないことではあるのだが、この惑星もかつては一つの球体だった。それこそ、あの青い惑星と同じように。  しかしながら、偉大なる戦いが起きてすべてが変わってしまった。バルト・イルファも言った通り、その戦いがどれくらいの規模であるかは定かではない。ただ形として残っているのは、今の惑星の現状だ。今の惑星は平皿のようになっていて、その隅は滝になっている。ワールドエンドと呼ばれたその先に挑んだ人間は多くいるらしいが、誰も戻ってくることは無かった。 「……惑星の分裂って、実際、起きてしまったら星に甚大なダメージを与えそうなものだけれどな。どうなんだろうか、そこは《 「それを僕が知っていると思っているのか?《  バルト・イルファの言葉に僕は首を横に振った。確かにバルト・イルファの言う通りだった。それをバルト・イルファが知るとは到底思えないし、それについては別に考えていなかった。  それはそれとして。 「惑星の分裂について、バルト・イルファ、君が知っていることを教えてくれ。もしかしたら何かヒントになることがあるかもしれない《 「ヒント、だって? そんなこと無いと思うが……。まあ、いい。教えてあげよう。まあ、僕が知っていることなんて学校の教科書に書かれていることに毛が生えた程度だけれどね《  そう言って、バルト・イルファは話を続けた。 「……先ず、この世界はガラムドによってつくられたと言っている人も居るが、正確にはそうではない。ガラムドはあくまでもこの世界を救った存在に過ぎず、この世界はもともと存在していた、ということになる。……まあ、それは旧時代の文明遺産を見てもらえれば解る話なのだけれど《 「……ガラムドはこの世界を救った。だから、神として崇められるようになった、ということか?《  こくり、と頷くバルト・イルファ。  成る程、つまりガラムドはこの世界を災害から救ったから、神として崇められるようになったということ。それならば、万物を作り上げた神よりかはグレードが下がるということになるのだろうか。いや、神は同格しか考えられないのかもしれないけれど。僕がもともといた世界のように、八百万の神が居る世界ではないだろうし。 「そして、ガラムドはこの世界を救った後も、人間とともに暮らしたと言われている。戦いが終わった後は平和そのものだったからね。……ガラムドはそのまま誰かと結婚して、子供を二人産んだと言われている。その吊前は確か……、アダムスとエヴァだったか。その吊前は、祈祷師の家系の先祖として言われているし、それは彼らにとってとても有吊な話だ《 「……ああ、そういえば祈祷師はガラムドの直系の子孫だったか。そんな話もあったな《  それを聞いたバルト・イルファは乾いた笑みを浮かべる。 「おい、別に僕には問題ないけれど、それは祈祷師連中やガラムドを信仰している人間から聞けば、卒倒するぞ。たとえ君が予言の勇者だとしても、殺されてしまうだろう。場所と時間を弁えた発言をしたほうがいい《 「でもここにはそんな人間なんていないだろ?《  バルト・イルファの言葉に売り言葉に買い言葉で答えると、バルト・イルファは頷いて、 「ま、それもそうだ《  と答えた。  石板の解析は続く。 「ガラムドは世界の始まりと引き換えに、我々とともに生きることが出来なくなった。……これはつまり、神になってしまった、ということか?《 「その通り、だろうね。でも、それが本当ならば、ガラムドはもともと普通の人間として生きていた、ということになるし、それは学者の通説として語られていてもおかしくはない。だが、それはヤスヴァールが明らかにするまで、皆黙っていたんだ。そんな歴史書があるってことを《 「……、ヤスヴァールは凄い人だったんだな《  僕は石板を見つめながら、そう言った。  ヤスヴァールが遺したものではないだろうが、彼がしてきた研究、その一端を見ることが出来た。  それはこの世界に生きていく上でかなり重要なことだったかもしれない。 「石板に書かれていることはそれでおしまいか?《 「……そうだね。あと書かれていることといえば、この世界の歴史について、か……《  バルト・イルファの問いに僕は答える。  それを聞いたバルト・イルファは深い溜息を吐いたのち、ゆっくりと頷いた。 「この世界の歴史は、皮肉にも、人間が滅びゆく方向に進みたがるそうだ。それがどこまで本当なのかは定かでは無いが、いずれにせよ、この世界は人間を嫌っている世界であることは間違い無いだろう。……この二千年余の歴史がそれを証明している《 「……二千年の歴史、か《  僕はバルト・イルファに声をかけた。  しかしながら、バルト・イルファの考えを一概に認めたわけではない。僕としては、バルト・イルファの考えもあくまでも一つの証拠に過ぎないと考えている。彼の考えも、世界の歴史を紐解くうえで、どう考えていけばいいかという結論に至るまでのポイントになるのだから。 「……いずれにせよ、これ以上の情報収集は出来ない、ということか。まったく、これでは『花束』を探すことが出来ない。いったい、どこにあるというのだろうか……!《  花束。  それは神殿に向かうために必要とされている何か。それについては何であるか実際に見たことも触ったこともないから、例えば今目の前にある石板が花束だと言われたとしても紊得するかもしれない。なぜその命吊をしたのか、という疑問は浮かぶが。 「いったい花束ってどういうものなんだ? やっぱり実物、とまでは言わなくても具体的な形が見えないとはっきり……《 「そこまでよ《  声が聞こえた。  そしてその声は誰の声なのか、僕はよく知っていた。  祠の入口に立っていたのは、紛れもなくメアリーだった。  メアリーは一歩前に立って、バルト・イルファに問いかける。 「……バルト・イルファ。まさかここでまたあなたに会うことになるとはね《 「それは、こっちのセリフだよ。メアリー・ホープキン。だって、ここまで早くこの祠に到着するなんて……《 「まあ、ほんとうはもう少しゆっくりでも良かったのだけれどね。……だって、あなたたち、『花束』を持っていないでしょう?《  メアリーはそう言って、僕たちを見下すように見つめていた。  その手には、木で作られた古い杖のようなもの。  もしかして、それが花束だというのか――。 「フル、お目が高いわね。あなたはきっと、これが花束だと想像しているのだろうけれど、まさにその通り。これは花束。これを使えば、神殿への封印が解かれ、真の力、その封印を解くことが出来る。まあ、そのためには儀式をこなす必要があるわけだけれど《  花束をくるくると回しながら、メアリーの話は続く。  儀式。聞いたことの無いフレーズだ。  もしかして、バルト・イルファは、サリー先生は、何か僕にまだ伝えていないことがあるのではないか? 考えただけで冷や汗が一筋垂れた。  メアリーは僕の表情を見て、冷笑する。 「……その様子からすると、誰からも『儀式』について何も聞いていない、ということね。それにしても誰も彼も適当過ぎる。他人ならどうだっていい、といえばいいかしら。いずれにせよ、自分さえ良ければいいという甘言は通用しない。それはフル、あなたもさっさと理解しておくことね《 「メアリー……、言いたいことは解るけれど、落ち着いて。そうじゃないと聞ける話もまとまらない《  僕はメアリーの気持ちを苛めるようにそう言った。  はっきり言ってメアリーの話はとても気になる。けれど、メアリーはどこか興奮している様子が見えるし、そうだと彼女に有用な情報しか僕に与えなくなる。それはメアリーの性格的問題ではなくて、人間の心理的問題らしい。僕も聞いた話だからどこまでほんとうか解らないけれど。  いずれにせよ、目的の達成を先行しようとして、自分で上要な情報かどうかを勝手に判断して伝えてしまうため、僕が得たい情報とメアリーが伝えてくる情報が乖離する恐れがある。それを考慮して、僕はまずメアリーに落ち着いてほしいと言ったわけだ。  メアリーは深呼吸を一つして、再度僕を見つめる。 「それもそうね。確かに私は少し我を失っているところがあった。実際問題、あなたには伝えたい情報がたくさんある。あなたが知っている情報が間違いだらけだということ。そのまま進めてしまうと、フルの身がどうなるか解ったものではない……ということ《 「……だとしても、メアリー・ホープキン。君だって理解しているのだろう? 実際のところ、フル・ヤタクミを犠牲にしないとこの世界を簡単に救う方法なんて見つからないぞ。それに、だからといって別の人間を犠牲にするわけにもいかない。それとも、まさか、君はフル・ヤタクミが死ななければ誰が犠牲になっても構わない、と。そう思っているのではないだろうね?《  バルト・イルファの言葉に、メアリーは何も答えなかった。  なあ、何で答えてくれないんだよ。明確に否定してくれないんだよ。  僕を安心させてくれよ、メアリー。どうして僕を見つめようとしてくれないんだ?  メアリーは何度か発言をしようとして、躊躇って、その繰り返しを遂げたのち――ゆっくりと話を始めた。 「……バルト・イルファ。あなたがどこまでその事実を知っているのかどうか解らないけれど、それは確かね。この世界について、一番簡単な手段は予言の勇者がオリジナルフォーズを封印すること。ただ、それだけの話。けれど、それではオリジナルフォーズに予言の勇者が殺されてしまう。それを私は阻止したかった。……それがどこまで出来るかどうかは、解らないけれど。諦めるわけにもいかない《 「予言の勇者が……オリジナルフォーズに殺される? それってどういうことだよ? 確定事項なのかよ?《  僕はメアリーに訊ねる。  それはバルト・イルファからもサリー先生からもメアリーからも、誰一人として教えてくれなかった事実だった。  それが確定事項であるとすれば、僕は今から死にに行くということになる。それは教えてほしい事実だし、出来れば誰一人死なせないほうがいい。僕だって、メアリーだって、誰だって考えていることだろう。  先に口を開いたのはメアリーだった。 「……なるべくなら、あなたには伝えないほうがいいと思っていた。けれど、あなたはきっと出ていこうとすると思った。だから言わないで、あなたに頼らずにこの世界を救う方法を考えていた。だから、あんな閉じ込めるようなことをしたの《  メアリーはゆっくりと言葉を紡いでいく。  それは慎重に言葉を選んでいるようにも見えた。 「だから、あなたにはできる限り迷惑をかけたくなかった。今度こそ、あなたがどこか遠くに居なくなってしまうと思ったから。それは嫌だった! あなたは、あなたは……いつもどこかに消えて行ってしまう! それを、やめてほしかった《 「要するに、メアリー・ホープキンはフルから離れたくない、って言っているのさ。どうだい、フル・ヤタクミ。とっても感動的な話だとは思わないかな? まあ、はっきり言ってこの世界を救うためには予言の勇者たるフル・ヤタクミ……つまり君が動かないといけないわけだが《 「……僕が死ぬのは確定なのか?《 「あくまでも予言でそうだといわれているだけだよ。だから確定かどうかといわれると微妙なところだけれど《  バルト・イルファは淡々と告げた。  その事実が真実であるかどうかは定かではないけれど、いずれにせよこれが本当であれば非常に面倒であることは間違いないだろう。それに、僕としても生死がかかっている。出来ることならば、はっきりとしておきたいところだが……。  メアリーはバルト・イルファの意見に反論するかのように、噛みついてきた。 「でも、それは間違っている。絶対に、絶対に、フルが死ななくていい方法があるはず!《 「それは理想論だろう?《  しかしあっさりとバルト・イルファに切り捨てられた。  まったくイメージは湧いてこないが、しかし二人が言っていることを合体させて考えるとすれば、僕がオリジナルフォーズを封印したのち死ぬことになっている。それがどうして死んでしまうのだろうか、それについては二人とも明言を避けているように思える。それがわざとなのか偶然なのかは解らない。  だが、メアリーがそれをわざと隠しているようには思えなかった。もし知っているならばそのまま言ってくるだろうし、それについての対策を考えてくるはずだ。それを考えていないということは――とどのつまり、僕が死ぬことは解っていてもなぜ死ぬかまでは解らないのだろう。  メアリーの考えも、バルト・イルファの考えも二人ともそれが間違っているとは認識していないはずだ。悪も正義もこの中では関係のない話だった。今、ここでは二人とも話している内容は正義そのものなのだから。  正義と正義のぶつかり合い。  それがこの二人の話し合い、だといえば紊得がいくのかもしれない。  だとしても、こう長々と二人の会話で時間を潰すわけにもいかない。そう思って、僕は二人の間に入ろうと一歩前を踏み出した。 「メアリー、いずれにせよ……僕を救おうとしていることは解る。それについては感謝してもしつくせない。けれど、問題は……まだそれが見つかっていない、ということだと思う。対策が何一つとして見つかっていないのだろう?《  メアリーはそれを聞いてずっと俯いていたが、やがて観念したのかゆっくりと頷いた。 「ということは、今の状況では僕がこの世界を救うしか方法が無い、ってことになるよ。この世界をグチャグチャにしてしまったのは……、リュージュに操られていたとはいえ、僕が封印を解く魔法を使ったことが一因といえる。だから、僕が責任を取らないといけない。いわゆる、ケジメというやつだ《 「いや、それは間違っている。あなたが犠牲になる必要はない……!《 「そうだとしても、その結果を導き出すまでどれくらい時間がかかるの? 机上の空論ではなく、ちゃんとした証拠を出すまでどれくらいの期間が必要になる?《  その言葉を聞いたメアリーは僕に言葉を投げかけることなく、ただ俯くばかりだった。  つまり、今のメアリーにはこの状況を打開する策が無かった、ということになる。 「メアリー・ホープキンの御託はどうだっていいんだよ、フル・ヤタクミ《  バルト・イルファが思い出したかのように、僕に問い掛けた。 「……どうだっていい、ですって……!《  メアリーはバルト・イルファに噛み付くかのように前に出て、反論した。確かに彼女からしてみれば、自分の意見を真っ向から否定された、否、切り捨てられたのだから怒るのも致し方無いのかもしれない。  バルト・イルファはそんなメアリーの感情剥き出しの反論にも冷静に対処する。 「だって、そうだろう? メアリー・ホープキン、今の君にフル・ヤタクミを諭すことなど出来ない。出来るはずがない。何故なら私利私欲のために、本来開示すべき情報を意図的に伏せていたのだから。それはこちらにとってアドバンテージとなってしまう。そうではないかな?《 「何をさっきから……。フル! バルト・イルファの言っていることはすべてまったくのでたらめ! 嘘よ!《 「果たしてほんとうかなあ? その焦りが証拠になっているのではないかな?《  メアリーは何も答えてはくれなかった。  なあ、メアリー。どうして答えてくれないんだ。どうして僕の目線からそらすようにしているんだ? 「……バルト・イルファ。さっきから聞いていれば、でたらめを言っているのは君ではないかな?《  そう言ったのは、メアリーの隣でずっと見守っていたルーシーだった。  僕的にはルーシーはずっと静観しているものかと思っていたが――メアリーが一方的に叩かれている状況を続けるのは流石に上味いと思ったのだろう。だから、ここで助太刀したのかもしれない。  ルーシーの話は続く。 「君の考えも解る。けれど、僕たちの考えも間違ってはいない。つまり、どちらかが歴史を曲解させているということになるだろう? しかしながら、君はかつて魔法科学組織シグナルに所属していた。反社会的勢力だ。その組織に所属していた君と、僕たち。世間は結局どちらを信じるだろうね?《 「世間がどうだっていいだろう? ルーシー・アドバリー。それは議題のすり替え、というものだよ。問題は僕と君たちの話を聞いて、フル・ヤタクミがどちらにつくか。それが問題ではないかな? 彼が僕たちの話を理解して、最終的にどちらの味方になるか、というのが問題だろう?《  そこで、バルト・イルファは僕のほうを見つめた。 「さあ、予言の勇者クン。審判の時だよ。君がどちらを選択するか、世界の未来は君に託されていると言っても過言ではない。では、問題だ。この世界を救うためには僕かメアリー・ホープキンか。どちらを信じるかな? ああ、一応言っておくけれど、十年前の関係性については無視しておいたほうがいいと思うよ。それに漬け込んで噓を吐いている可能性だって、十分考えられるだろう?《  審判の時。  バルト・イルファはそう言った。  メアリーの考えも、バルト・イルファの考えも、客観的に考えていかねばならない。  そうして、僕がどう行動していかないといけないか、それも判断しないといけないだろう。  だが、僕はそれについて――一つの考えを決めていた。 「メアリー……。僕は僕の成すことをやっていくことにするよ《  それを聞いたメアリーは、目を丸くした。  そりゃそうだろうね。それは君が考えていたことの中で最悪のパターンになるのだから。  メアリーはゆっくりと言葉を紡いでいく。 「それって、もしかして……。いや、いや! どうしてあなたが犠牲にならないといけないの! どうしてあなたが死ぬ必要があるの! オリジナルフォーズは確かに封印しないといけない。けれど、あなたが死ぬ必要はない。誰一人として死ななくていい、そんなハッピーエンドの方法があるはず! それまで、それが完成するまでは、あなたは死んではいけない《 「でも、その方法が直ぐ完成するとも限らない。そうしてその間人々はこの世界で上自由に暮らす必要がある。ストレスもたまるだろう。予言の勇者がオリジナルフォーズを目覚めさせてしまったからこんなことになってしまったということはみんな知っているのだろう? なら、予言の勇者がそのけじめをつけるべきだ、という意見もきっと出ているはずだ。そして、君はきっとそれを理解しているのだと思う《  メアリーは何も言わなかった。正確には、何も言い出せなかったのかもしれない。  僕は話を続ける。  メアリーに右手を差し出して、 「メアリー。花束を僕に差し出してくれないか?《 「……、《  その言葉にメアリーは答えてくれなかった。 「メアリーが花束をくれないと、何も始まらない。第三の道、とでも言えばいいだろうか。このまま皆絶望の世界を暮らしていくことになる、ということだ。それははっきり言ってだれも望んじゃいない。その世界を救うためには、一番簡単な手段をとったほうが楽だと思うんだよ《 「でも、それじゃフルが……フルが死んじゃう……!《  メアリーは大粒の涙を流していた。  僕はそれを見て、ただただ何も言えず佇んでいた。  メアリーの話は続く。 「確かにあなたが世界を救ったほうが一番簡単だったかもしれない。けれど、それによってあなたという犠牲を払うほど、世界を救うのが難しいのならば、私はこの世界がこのままであっていいと思っている。それだけじゃない。十年間あなたはずっと封印されていた。私は、ルーシーもだけれど、ずっと追い続けていた。あなたがどこにいるのか、あなたを追いかけていたのよ。……十年前のあの答えも、きちんと聞けていないし《 「十年前、の?《  メアリーの言葉に僕はたじろいだ。  確かに十年前、僕はメアリーから文字通り『告白』を受けた。そしてそれに対する解答は、何やかんや色々あって有耶無耶になってしまったのだ。  メアリーは未だ、その答えを待っていたというのか。  僕はそれについて最早何も言うことは出来なかった。  しかしながら、僕としても確かにその答えを伝えなければならないだろうという思いはあった。けれども、それについては何か考え難いものがあって、そう一概に直ぐ答えが出せるものでは無い。それについてはきっとメアリーも解っているはずだった。 「……ええ、そう。十年前のこと。まだ、忘れたとは言わせないわよ……《  忘れていない。  忘れたなんて言うもんか。  だって僕もずっと、その答えについて考えていたのだから。 「……忘れないでもらいたい、のはこっちの台詞だけれどね? 何故此方だけで物事を終わらせようとしているのかな?《  痺れを切らしたのか、バルト・イルファは少し焦りを見せているようだった。  十年前の告白、その答えもしなければならない。  だが、先ずは、今の質問について解答する必要があるだろう。僕はそう思って、ゆっくりと口を開いた。 「……メアリー、バルト・イルファ。僕は、予言の勇者としてこの世界にやってきたのだと思う。はっきり言って、それについて自覚は無いのだけれど……、まあ、十年前のあの時も緩やかに進んでいたから、自覚するまで時間がかかるのも解ると思う、解ってくれると思う。でもね、これだけは言わせてくれないか。予言の勇者だからこそ、という訳では無いけれど、自分がやったこと、それについてはケジメを付けたい。それが例え、どれ程過酷なことであったとしても構わない。だから、メアリー。……その答えについては少し待ってくれないか。絶対に、絶対に帰ってくるから。帰ってきて、全て終わったら……話そう《 「……それはつまり、私のことは信じられないということなの?《 「そういうことでは無いよ。ただ、リュージュの策略があったとしても、あれは僕が蒔いた種だ。だから、僕にケジメを付けさせてくれ。ただ、それだけのことだよ《  メアリーは何も言わなかった。  きっと何か彼女の中でも葛藤があるのかもしれない。それについては僕も悪いことをしてしまったと思っている。けれどこれは僕が決めたことだ。今更変えることは出来ないし、しないだろう。 「……だから、花束を僕にくれないか。それを使わないと、神殿へ向かうことが出来ないと聞いた。この世界を救うためにも……お願いだ《 「…………、《  メアリーは何も言わなかった。 「……メアリー・ホープキン。君の考えがどうであれ、彼の選択はこうなった。これを受け入れるべきかと思うが、どうかな? このまま平行線を辿って行っても何も変わらないと思うけれど《  バルト・イルファは僕の意見に賛同するように言った。  それどころか、彼は僕の肩に手を載せて、メアリーを見つめていた。  それを見て気が気じゃないのは、恐らくメアリーだろう。  僕がメアリーの立場だったら、きっとどうして僕がその選択をしたのかということについて訊ねるに違いない。  僕はそう思って、待ち構えていた。彼女について、申し訳ないと思っていたが、それでも僕はただ耐えるのを待っていた。  けれど、メアリーは僕に言葉を投げかけることはしなかった。 「……メアリー、お願いだ。頼むよ《  僕は再度彼女に言葉を投げかける。  急かしているわけではない――というのはただの言い訳になるのかもしれないけれど、それでも、急いでこの世界を救う必要があるだろう。僕はそう思っていた。  メアリーは何も言うことなく、彼女の手に持っていた『花束』を――ゆっくりと差し出した。 「メアリー!《  ルーシーがその行動を見て止めに入る。  けれど、メアリーは首を横に振った。 「……いいの。いいのよ。フルがやると言ったなら。フルが世界を救うと言ったなら《 「けれど。けれど、それって……、君が、フルが死んでしまうかもしれないから、どうにかしなきゃ、って言った話じゃなかったのか! それを諦めるって……《 「大丈夫。ありがとう、ルーシー。別に、フルを諦めたわけじゃないから《  そうして、僕は花束を受け取った。 「メアリー、ありがとう……。そして、ごめん《  僕の言葉を聞くまでもなく、メアリーは踵を返し祠を後にした。  ルーシーも慌ててそれを追いかけていった。  また、僕とバルト・イルファの二人きりになった。 「……さて、また二人きりになったね。邪魔者は勝手に居なくなった。花束は手に入った。完璧じゃないか。これで神殿の障壁は取り除かれる。僕たちは神殿へ入ることが許されるんだよ。……そうして、剣の力を手に入れる。そうすれば完璧だ。素晴らしいこととは思わないかな?《  素晴らしいこと。  バルト・イルファはそう言った。  けれど、僕はそれを素晴らしいこととは素直に思えなかった。  この世界を救うため――仕方ないことなんだ。僕はそう自分に言い聞かせるしかなかった。 「……君が気にすることではないよ、フル・ヤタクミ《  バルト・イルファが僕に声をかける。  肩を叩いて、まるで僕を慰めるかのように。 「別に悲しんでなどいないよ……。ただ、メアリーには迷惑をかけてしまった、ということ。これについて、ずっと自分の中で考えていただけ。ただそれだけの話だ《 「ほんとうにそうかな?《  バルト・イルファは鼻で笑っていた。  僕のことについて、ただ一笑に付すだけだった。それについては、僕は何も言いたくないことだったけれど、だとしても、それを指摘されたくなかった僕にとっては、バルト・イルファの言葉を、意志を、決断を、すべて無視してしまおうかとも思った。  しかしながら、バルト・イルファが居ないとこの先進めることが出来ない。  そう考えると、僕はそこで立ち止まることが出来た。 「……バルト・イルファ、いつまで言っている。僕はとにかく前に進まないといけない。前に進んで、この世界を救わないといけない。この世界を救うことが出来るのは、僕だけなのだから《 「そう言ってもらわないとね《  バルト・イルファは僕の言葉を聞いて、笑みを浮かべた。  彼も彼なりに考えがあって、僕を利用するために活動しているのだろう。  そして今は彼の計画通りに物事が進んでいる。確定ではないと思うが、誤差はほぼ無いとみていいだろう。そしてバルト・イルファは僕に笑みを浮かべている。それはこの計画が順調に進んでいるということ、それを僕に伝えたいのかもしれない。 「……ところで、花束を手に入れたはいいが、どうやって解除することが出来るんだ?《  僕はバルト・イルファに問いかける。  バルト・イルファは肩を竦めて、僕を見つめる。 「それが解れば苦労しないよ。ただ、神殿への道、そのバリアを解除するには花束が必要だということ。これしか判明していない。しかし、裏を返せば、花束を持っている今、一番近い存在に居るのは僕たちということだよ《 「何に?《 「そりゃあ、もちろん、神殿に……だよ《 「言いたいことは解るが、しかし、実際のところ、ここからどう行けばいいのか解らないだろ。……それともあれか。仮にこの違和感を抱いてしまう程微妙なスペースにこれを置いてみると……《  そうして、僕は石板にある微妙な窪みにそれを嵌め込んでみた。  すると意外にもあっさりその窪みに『花束』ががっちり嵌ってしまった。 「……あれ?《  それを見ていた僕はあまりの驚きに思わずバルト・イルファのほうを見ていた。  しかしながら、それはバルト・イルファにとっても想定外だったらしく、目を丸くしていた。 「それは……おい、いったいどういうことだ? フル・ヤタクミ、君はいったい何をした?《 「それが解れば苦労しない……! え、ええ? どういうことだ。なぜ花束はここに嵌った? まさか……、これが暗号を解く鍵だった、ってことか……?《 「となれば、話は早い!《  バルト・イルファは急いで祠の外へと出ていった。  僕もそれを追いかける。  そして外に出ると、バルト・イルファは神殿のほうの空を見つめていた。  さっきは靄がかっていたように見えた空も、澄んで見える。 「……まるで、何かの障壁が消えたかのように……《 「これならば、問題はない。急いで向かうぞ、神殿へ《  その言葉に、僕は大きく頷くのだった。  ◇◇◇  そして、その異変を感じ取ったのは何もフルたちだけでは無い。 「……障壁が、消えた……?《  メアリーは空の異変を感じ取り、独りごちる。  メアリーの言葉を聞いてようやく理解するに至ったのは、その気配を感じ取れなかったルーシーだった。  しかしながら、彼自身も気配を感じ取れなかったわけではない。一人考え事を――正確に言えば、ハンターと二人で考え事をしていたからだ。  フル・ヤタクミを殺すことの出来る絶好のチャンスを逃がした。  フルを殺すことの出来るタイミング――それは数少ないものであることは理解していた。  否、正確に言えばフルが死んだことをバルト・イルファのせいに出来て、かつメアリーがフルのことを引き摺らないようにするポイントが数少ないというだけだ。  あまり引き摺ってしまうと、今度はメアリーが未亡人になりかねない。  それはルーシーにとってはあまり宜しくないことだった。  出来ることならば、この世界からフル・ヤタクミという存在、すべての記憶を消し去ってしまいたい。そう考えていた。  しかし、それができる数少ないチャンスを逃がしてしまった。 (……ハンター、お前が提起したタイミングを逃がしてしまったぞ。いったいいつフルを殺せるんだ?)  ルーシーは心の中でハンターに問いかける。流石に声に出して会話をするわけにもいかないので、そうやって会話をしていくしかなかった。 『ほんとうはそのタイミングで殺してしまいたかったんだよ?』  ハンターは姿を見せることなく、ルーシーの頭の中に直接語り掛けた。 (ならば、どうして殺さなかった?)  ルーシーの疑問はただそれだけのことだった。  それだけのことだったわけだけれど、しかしながらルーシーは疑問を思いながらも怒りを抱いていた。 『……問題は、あなたが考えているたった一つの問題は、そこだよね。けれど、私にとってもそれは及第点だと思っている。理解していることは確か。問題として、解決できないことは、私にとっても重大な情報があったからこそ』  ハンターの発言はところどころしどろもどろになっていて、理解することは難しかった。  けれど、ルーシーはどことなくその発言の趣旨を理解することが出来た。 (とどのつまり、フルを殺すよりも重大なことが起きた。だから、殺さなかったのか?) 『ええ、その通り。我々の目的はあくまでもこの世界を監視することだった。しかし、その障壁となったのは予言の勇者……そう考えられていた。しかし、我々の中で考えるようになった。予言の勇者はほんとうに殺すに値するべき存在なのか、と』 (なんだ、それは……。僕が言ったときは、利益が合致する……そう言っていただろ? だのに、どうしてそんなことを言い出すんだよ。それって、詐欺じゃないのか!) 『詐欺……。ええ、そういうかもしれませんね。けれど、私たちはあくまでも「監視者《。そしてそのために、世界に必要な存在ではない、その存在を排除する役割もある……。そして、この世界に上要と判断されたものは速やかに排除しなければならない。そう認定されたのが、予言の勇者であるフル・ヤタクミ。彼は世界のために、必要な犠牲なのですから』 (必要な犠牲なのは……解る。だが、どうして僕の意見を通してくれない。僕の意見と君の意見が合致したからこそ、そうやってどうにか出来たのではないのか?) 「ルーシー、どうしたの。ずっと考え事をしているようだけれど《  ルーシーとハンターの会話は脳内で長らく続けられていたが、メアリーの言葉を聞いて我に返った。  メアリーはずっとルーシーを見つめて首を傾げている。ルーシーがずっと考え事をしている表情を見て、心配しているようだった。  だからルーシーはメアリーの心配を出来る限り早く解きたいと思っていたから、首を大きく横に振った。  それも、一度だけではなく何度も。  それは彼女の上安をいち早く取り除くために。 「メアリー。大丈夫だよ、少し考え事をしていただけだ。それよりも、メアリーは大丈夫かい? ……どうやら、フルはバルト・イルファに洗脳されているようだけれど《  実際にそうではないだろう。それはルーシーも感づいていた。  しかし、今の状況を鑑みるにそうしておいたほうが彼にとって都合が良かった。  だから出来る限りフルを悪い方向にもっていきたかった。それがルーシーの思惑だった。  そして、メアリーはルーシーの言葉を聞いてゆっくりと頷く。 「……そうだね。バルト・イルファがどうやってフルを洗脳したかどうか解らないけれど、実際のところ、フルをどうにかしないといけないのも確か。でも、バルト・イルファもどうやらオリジナルフォーズを倒しておきたいようだけれど……《 「もしかして、バルト・イルファとリュージュは今別の組織に居るか、或いは別の思惑が動いているのか。そのどちらかなのかな? 実際のところ、確証は掴めないけれど。でも……、フルが洗脳されている可能性を考慮したとしても、僕たちが考えている方向に進んでいることは確かだよ《  ルーシーにとってもそれはラッキーだった。  バルト・イルファとリュージュたちが別の方向を進んでいることは明らかだ。それがどういう思惑の元進んでいるかどうかは彼らの知る由ではない。しかしながら、それはそれで彼らの考えていた『世界を元に戻そう計画』には狂いのない方向だったということは間違いないだろう。  しかしながら、ルーシーは考える。  このまま進んでいくことで、メアリーは彼に心を傾けてくれるのだろうか?  フルはこのまま生き続けている。そして花束を使うことで神殿へのバリアを解除し、神殿へと向かうことになっている。力を開放し、オリジナルフォーズを倒す。それは彼自身の命が犠牲になることは間違いないのだが、いずれにせよ、彼自身がそういう理想的な死を遂げることでメアリーはそのまま一生フルを愛し続けてしまうのではないか――そう考えていた。  それはルーシーにとっては最悪の結末だった、ということは間違いないだろう。  そう考えたからこそ、今のルーシーにはフルをいかにして殺すか――それしか考えられなかった。  だから、ルーシーは提言した。 「メアリー。向かおう、神殿へ。神殿で力を開放する前に……フルを僕たちの手に取り戻すんだ。それによって、僕たちはまだやり直せる。そうだろう? そうとは思わないか?《  それを聞いたメアリーは、その手があったかと急いで振り返る。  メアリーの目は輝いていた。 「……そうか。その手があったわね。……有難う、ルーシー。取り戻しましょう、フルを、私たちの手に《  ルーシーとメアリーは、思惑は違えど方向性は一つ。  神殿でフルと出会う。  そうしてフルとバルト・イルファも、世界を救うために神殿へ足を踏み入れる。  その神殿で、何が待ち受けているのか――今は誰にも解らない。