「リュージュ……、貴様一体何をしたいんだ!」  僕はリュージュの乗る飛空艇の後部座席に放り投げられていた。何とか脱出を試みるが、そう簡単に脱出出来るものでもない。両手両足を透明な縄のようなもので縛り上げられている状態になっているから、抜け出すことが出来ない。  リュージュはこちらに振り向くこともせず、そのまま質問に答えた。 「それは簡単なこと。あなたが必要なのよ。この世界をリセットするためには、ね」 「世界をリセットする……リバイバル・プロジェクトのことか!」 「あら、よく知っているのね」  リュージュはこちらを向いて、笑みを浮かべる。 「けれど、私の計画はそんな前世代的なものじゃないわよ。もっと単純な計画になるはずだから。……さて、私が今、どこに向かっているか解るかしら?」  外を見る。そこに広がっていた光景は空だった。いや、それだけ見れば当然なことかもしれないのだが、リーガル城が雲の下に見えることを考えると相当高い場所に居るのだろう。  そして、前方には小さな島が見えてきた。  僕の記憶が正しければあの島は――。 「知っているかしら。二千年前……『偉大なる戦い』が起きたころの話ね。あるバケモノが世界を混沌に陥れた。しかしながら、突如として現れた人類の救世主がオリジナルフォーズを封印するに至った。……その名前はオリジナルフォーズ。原点にして頂点、メタモルフォーズの頂点に君臨するメタモルフォーズ。それが眠る島に、今私たちは向かっているのよ」 「まさかそれを……復活させるつもりなのか、お前は……!」  それを聞いたリュージュは僕の襟をつかみ、睨みつける。 「お前、ねえ。予言の勇者も口汚いところがあるのではなくて? ……まあ、別にいいわ。これからあなたはずっと私たちと暮らすことになるのでしょうから」 「……はあ?」  リュージュは今、何と言った?  ずっと一緒に暮らさないといけない、だと。そんなことあってたまるか。それにこちらからお断りしたい案件だ。  リュージュは笑みを浮かべたまま、僕の表情を見つめていた。  そして、暫くして――唐突に目を細め、 「そう。やっぱり、嫌いね。あなたの表情」  刹那、僕の右頬を叩いた。  あまりにも痛く、一瞬気絶してしまう程だったが、 「そんなことで気絶されてはたまったものじゃないわよ、予言の勇者。それともあなたの力はその程度だった、ということかしら」  リュージュは再び前を向いた。 「……見えてきたわよ、予言の勇者。よく見なさい、あのオリジナルフォーズの雄々しい姿を!」  そして、リュージュの言われた言葉の通り、僕もまた下を眺めた。  そこにあったのは島だった。そして島には火口があり、その火口には恐らくマグマが溜まっていたのだろう。過去形にしたのは、今はマグマが溜まっておらず、別のモノが埋まっていたからだった。  そこにあったのは、異形というのが相応しい生き物だった。  無数の生き物の腕と目と足が至る所につけられているそれは、まるで生き物をごちゃまぜにしてくっつけたようなそんな感じだった。  その異形は今眠りについているようだった。いや、眠りについている、というよりは……。 「気付いたようね、予言の勇者。そう、今あのオリジナルフォーズは封印されている。二千年前にガラムドがね。その封印の魔法も、解除する魔法も……あの魔導書に書かれている」  魔導書。  それってまさか……。 「まさか、あのガラムドの書に……!」 「その通り。それについては察しが良いようね? まあ、別にいいのだけれど。とにかく、あなたがやることは一つ。オリジナルフォーズの力を封印している、あの忌まわしき魔法を解除する。簡単よ、あなたがその魔法を使えばいい、それだけなのだから」 「そんなこと……言われてすると思っているのか?」 「そうね。しないでしょうね」  リュージュは深い溜息を吐く。  そして、再びこちらに目線を向けて、 「だからこそ、遣り甲斐があるというのよ。しない、というのならば「させる」ように仕向ける。私がそう簡単に諦めるとでも思ったのかしら。だとすれば、ひどく滑稽なことではあると思うのだけれど?」  僕とリュージュを乗せた飛空艇は、オリジナルフォーズの眠る島へと向かっていく。  その島にはいったい何があるのか――今の僕には想像もつかなかった。  ◇◇◇  その頃、メアリーたちは突如としてフルが攫われたことについて、作戦会議を立てていた。 「……まさかリュージュ自らがフルを攫いに来るとは思いもしなかった。でも、これからどうすればいい? 相手はフルに何か利益があると思っている、ということか?」  ルーシーの言葉に同意するのはメアリーだった。確かに疑問を抱いていたことも事実であったし、フルが邪魔ならばその場で殺してしまえばいい話だった。  にもかかわらず、彼女はフルを攫った。  その理由がメアリーたちには理解できなかった。 「……もしかして、だけれど」  メアリーがその沈黙を破って、会議に意見を提示した。 「フルがライトス山で手に入れた魔導書……あったじゃない? 確か、フルが手に入れてから直ぐに消えてしまった、というアレ……」  それを聞いてルーシー、レイナは頷く。  確かに魔導書はフルが手に入れてから消えてしまったと言っていた。しかしながら、その魔導書の情報自体は彼の頭の中に刷り込まれている。だから、魔法を使うときは何も持つ必要が無く、脳内でページを捲るようにして、魔法を詠唱することになる。 「……ああ、それがどうかしたか?」  ルーシーの言葉に、メアリーは小さく頷いた。 「ねえ。解らない? フルはあの魔導書を使うことの出来る唯一の人間。ということは……あの魔導書に何らかのメリットがあって、それをリュージュは使おうとしている、ということに繋がらないかしら。それがどういうものかどうかは解らないけれど」  メアリーたちは作戦会議を終えて、走っていた。  目的地は飛行船。そして、飛行船に乗って向かう先は――。 「ねえ、メアリー! リュージュの目的が『オリジナルフォーズの復活』ってほんとうなの!?」  ルーシーの言葉を聞いて、メアリーは答える。 「ええ、だってオリジナルフォーズはスノーフォグが管理しているはず。そしてオリジナルフォーズは二千年前の偉大なる戦いで世界を破壊した最大級のバケモノであるはず。ということは、リュージュはあのオリジナルフォーズを復活させて……世界をもう一度破壊するつもりなのではないかしら!」 「オリジナルフォーズの、復活……」  ルーシーは考えた。  もしオリジナルフォーズが復活したらどうなってしまうのか。メタモルフォーズの源流とも言われているオリジナルフォーズが復活することで発生する被害は甚大なものであり、決して簡単に復旧するものではないことはルーシーの頭脳でも理解できることだった。  それ以上の被害すら考えられる。もしかしたら世界そのものが滅んでしまうかも――。 「理解できた? ルーシー。これによって何が生み出されるか。オリジナルフォーズが復活してしまえば先ず倒すことは不可能かもしれない。フルの覚えている魔導書の知識にそれが入っていればいいけれど、入っていない可能性も有り得る。入っていなかったとしたら、封印をし直すことも出来ない。それよりも先ず、フルを助ける必要もあるからね。フルを助けないことにはどうにもならない」 「でも、それってつまり……」  メアリーは頷いて、飛行船に乗り込んでいく。 「ええ。私たちの戦闘のタイムリミットはオリジナルフォーズが復活するまで。もしそれまでにフルを助けることが出来なかったら……その時点で私たちは打つ手なし、となるでしょうね」  飛行船に乗り込んだメアリーたちは進路を決めようとしていた。 「ちょっと待って、メアリー。こんな時は……これを使おう」  そうして操縦桿の上に置いたのは、金色のコンパスだった。 「……これは?」  メアリーは興味津々、といった感じで首を傾げる。  対してルーシーは待ってました、という表情で鼻を鳴らした。 「そうだね、メアリーはこれをもらったとき、パーティーに入っていなかったから知らなくても仕方がない。これは、探し物を探すコンパスだよ。普通コンパスと言えば東西南北を指し示すものだろう? けれど、これは違う。これは探し物のある方向に針が動く。だから……」  そう言ってルーシーはコンパスにそっと手を添える。  するとコンパスの針がゆっくりと動き始め――やがてある方向を指して止まった。 「つまりこの方向が……」  こくり、とルーシーは頷いた。 「うん。この方向が、フルの居る場所だ。この場所に……オリジナルフォーズも居ると思う」 「そうと決まれば行くしかないね!」  言ったのはレイナだった。レイナは笑顔でコンパスの針を見つめると、そちらを見た。 「この方角はやっぱり北東……うん、だから、あのオリジナルフォーズが封印されているという島に繋がっているわね。そこに向かうと、フルとオリジナルフォーズが居る、ということになるのかな」 「……それじゃ、向かうわよ。いいわね?」  操縦桿を掴んだメアリーは、ルーシーとレイナの顔を見合わせる。  ルーシーは大きく頷くと、メアリーに微笑んだ。 「当然だろ。世界を救う為でもあるし、それ以上にフルを助けるためでもある。そのためにも……僕たちは前を進み続けないといけない」 「そうだね。フルを助けないと、フルを助けて……ついでに世界も救っちゃおうよ」  三人の意志は、今一致していた。  そしてメアリーは頷いて、操縦桿を握りなおした。  刹那、飛行船はゆっくりと地面から離れて、浮かび始めていくのだった。  ◇◇◇  飛行船はゆっくりとリーガル城の上を進んでいた。 「……酷い有様だね」  下を眺めるメアリーたちの表情はどこか曇っていた。当然だろう。下を見ても誰もが操られている人たちだ。それだけならまだ救いがあるのかもしれないが、その操られた人間同士で争っているのを見ると、救いがあるとは言い難くなってくる。争いはどちらか一方が死ぬまで続き、瓦礫に死屍累々と並べられている。  まさに、地獄。  地獄のような光景が、眼下に広がっていた。 「……これは、酷い。リュージュはいったい何のためにこのようなことを……」 『きっと、世界をもう一度滅ぼそうとしているのでしょう』  言ったのは今まで何も話すことをしなかったアリスだった。てっきり電池が切れてしまったかと思ったがそうではないようだった。 「世界を……もう一度? 人間が、一万年前の人間がやろうとしていたことを、またリュージュはやろうというの? しかも、今回はコールドスリープなどの準備は一切していないのよね……!」 『未来のことを考えて実施することは投資と言えるでしょう。問題はそれに対する可能性を一切考えないことです。過去のことは五万人の人間を残しておきました。それは未来への可能性になりますよね。しかし、あのリュージュは何も考えていません。未来への可能性を一切残していない、ということです』 「……つまり、人類が滅ぶ可能性もある、ということね?」  その言葉に、こくりと頷くアリス。 『人間が滅びるという可能性。それは出来ることならば考えたくないことでありますね。私は人間に開発されましたから、人間のことを第一に考えています。そして人間のことを、開発者のことを親として崇めております。……その親も、一万年前の時空に取り残されているのですが』 「その開発者は、コールドスリープでこの世界にやってこなかった、ということ?」  アリスは頷き、ゆっくりと話を続ける。  彼女は無表情を貫いていたが、その俯き加減は、もし仮に人間であったならば涙を流しているくらいなのかもしれない。 『開発者であるその人間は、人を助けることがとても大好きでした。だからこそ、人間を助けるために私というロボットを開発したのでしょうが……、しかしながらそれはただの自己犠牲にすぎませんでした。人々は助かりましたが、彼は一万年前の世界に残ることを洗濯しました。それについて、世界の人々は悲しみ、そして後悔したことでしょう。なぜなら彼は世界の頭脳だと言われていましたから。コールドスリープ後の案内役である私を残して世界を去ったことについては、私を最後の研究だと言っていた人も居ましたからね。このような素晴らしいものを残して……と悲しくなっていた人も居ましたか』 「なぜ、そのように他人事に……?」  メアリーの言葉を聞いて、彼女は空を眺める。  そして彼女はゆっくりと語り始めた。 『……何でしょうね。信じたくないのですよ、開発者である彼が居なくなったことが、未だに信じられません。コールドスリープのリストに記載が無かったとしても、それを実際に見たわけではありませんから。もしかしたらコールドスリープをこっそりしていて、この世界にやってきているのかもしれない。そんなことを私は思うのですよ。……おかしいですね、アンドロイドは感情を持たない、はずなのですが……』  いや、それは嘘だった。  メアリーも、ルーシーも、レイナも、恐らく同じ感情を抱いていたことだろう。  このアンドロイド――言葉の意味こそ理解できなくても、人間のようで人間ではない、化学で出来た何かということは理解している――は感情を持っている。人間と同じように心を持っている。それを充分に理解していた。  たとえアリス自身がそれを受け入れていなかったとしても、メアリーたちはそれを受け入れるしかなかった。 「……あ、あれ。人じゃない!?」  ルーシーの言葉を聞いて、メアリーとレイナもそちらを見た。  そこに居たのは、二人の男女だった。 「ねえ、あそこに居る二人って……!」  それが誰なのか、三人は知っていた。 「ハイダルク王!」 「それに、カーラさん!」  ルーシーとレイナ、それぞれの声が響く。 「そこに着地するから、捕まっていて!」  メアリーは操縦桿を操作して、急降下していく。ルーシーたちは何とかその重力に耐えようと、甲板に捕まっていた。  そうして、飛行船はハイダルク王とカーラの居た場所に着地した。  急いで二人を乗せて、洗脳された人々を乗せないようにそのまま空へ浮かび上がる。 「……助かったよ。君たち、この空飛ぶ船はいったいどこで手に入れたのかね?」  疲労困憊のハイダルク王がメアリーに訊ねる。  メアリーはこの空飛ぶ船を手に入れた経緯、そして今彼女たちが向かっている場所とその目的を説明した。  ハイダルク王は話を聞き終えると、顎鬚を触りながら深く頷いた。 「成る程。いろいろと理解し難いところが無いわけではないが……、オリジナルフォーズをリュージュが覚醒させようとしている、と……。あの祈祷師め、何かするとは思っていたが、まさかそのようなことをしようとしていたとはな……。昔から読めないやつとは思っていたが、まさかこれまでとは思いもしなかった」 「ハイダルク王はこのことについてご存知でしたか?」  メアリーの質問を聞いてすぐに首を横に振るハイダルク王。 「まさか。そんなわけがないだろう。リュージュについての疑惑はところどころで見てはいたが……まさかこんなことになろうとはな」  ハイダルク王は深い溜息を吐いたのち、悲しそうな表情をした。  彼の居城――リーガル城があのような姿になったことについて、驚きを隠せないのかもしれない。 「……カーラさんはどうしてここに?」  ここで会話をハイダルク王からカーラに移したメアリー。理由として、ハイダルク王はすっかり憔悴しきってしまっていて話をするならばまだカーラとするほうがいいだろうという結論からだった。  カーラもまた若干憔悴しきってはいたが、話をすることは出来るようで、頷いたのち、 「私は村長についてきただけよ。エルファスの再生計画について、プランを国王陛下とお話しするために、ね。私はただの秘書的役割としてここに来ていただけだったのだけれど……、まさかこのようなことに巻き込まれてしまうとはね」  そう言って深い溜息を吐く。  カーラもまた、このような事態に巻き込まれることを想定外の事態だと認識しているようだった。 「……つまり、このようなことが起きるとは想定していなかった、と?」 「ああ、その通りだよ。まあ、そういっても無駄かもしれないがね……。すでにあのリュージュは世界の全権を掌握していたに等しい。私もそうだが、世界のトップに根回しをしているはずだったからな。……まあ、それでもほんとうに全員がそうであるかというのははっきりと言いづらいが」 「ハイダルク王。それはすなわち……」 「ああ」  ハイダルク王は深く頷いたのち、ゆっくりと話し始めた。 「……我々はリュージュがどうしていくのか、知っていた。知っていてなお、それを止めることはできなかった。正確には、行動すべてがリュージュに監視されていた、とでもいえばいいだろうか……。リュージュはあちらから積極的に発言していくことは皆無だった。しかしながら、こちらがリュージュの行動に干渉するようなことがあれば、それは直ぐに排除される。それが、リュージュのやり方だった」 「リュージュはすべてを把握していた。そして、掌握していた……。つまり、私たちの足取りも……!」 「はっきりと、解っていただろう。けれど、それについて私たちは何の関与もしていない。……なんてことを言っても無駄だろうな。君たちに嘘を吐いてしまったことはほんとうに申し訳ないと思っている。嘘ではない。信じてくれ」 「……もうこれ以上話をしている時間はないと思います」  言ったのはメアリーだった。  そして、彼女の話は続けられた。 「今から私たちは予言の勇者……フルを助けに行かないといけません。ですから、急いで向かう必要があります」 「……どこへ向かうというのかね」 「目的地ははっきりとしているのでしょう」  言ったのは、ルーシーでもメアリーでもレイナでもなく、カーラだった。 「かつてオリジナルフォーズが神ガラムドの手によって封印された、絶海の孤島。名前はついていませんが、その島からすべてが始まった……。そうでしょう?」 「なぜ、そのことを……」 「リュージュがオリジナルフォーズを復活させようとしているならば、向かうところはそこになるでしょう。予言の勇者を欲する理由は解りませんが……、もしかしたら、オリジナルフォーズを目覚めるには予言の勇者の力が必要なのかも……」  メアリーたちを乗せた船は、決戦の地へと向かっていく。  その場所に何が待ち受けているのか――今の彼女たちは知る由もなかった。  ◇◇◇  僕は監獄に入れられていた。  その場所には唯一窓がつけられていたが、その窓も鉄格子がつけられているため脱出することはほぼ不可能だった。  はっきり言ってしまえば道を覚えていないわけではないから扉を開けさえすれば逃げることは可能だ。この場所が絶海の孤島であることを除けば、の話になるけれど。  リュージュがこの島まで連れてきたのち、僕たちはイルファ兄妹に連れていかれる形でこの監獄に投獄された。  扉を破壊することは簡単だと思う。頭の中にあるガラムドの書、この魔法を使えばいいのだから。そして扉を破壊するための出力を出すことのできる魔法は脳内に幾つかラインナップされている。  問題はイルファ兄妹、リュージュ、その他の兵力に見つかった場合――のことだった。  一人だけに出くわすならばまだ何とかなるかもしれない。目くらましや背中を向けて逃げてしまえばいい。ただそれだけの話だ。あの三人のうち一人だけと戦闘になったとしても、きっと今の実力じゃ倒すことは出来ない。  問題は束になってかかってきたとき。イルファ兄妹にリュージュも追加されてしまえば勝ち目はない。素直に負けを認めるしかないだろう。……そのとき、それを素直に受け入れて捕虜としてくれるかどうかはまた別の話だけれど。一度逃げた捕虜を何も罰さずにもう一度捕虜として牢獄に閉じ込めることは、まあ、普通の感性であれば難しいことだろう。 「……じゃあ、どうすればいい」  どうやって、ここから脱出すればいい?  僕は何度も思考をめぐらせて、考えていく。どうすればこの絶海の孤島から脱出することが出来るか。いや、それだけではない。メアリーたちと合流しないといけない。メアリーたちはどうやってここを目指そうとしている? いや、そもそもメアリーたちはこの場所を知っているのだろうか。 「そうだ。確かルーシーがコンパスを貰っていたはず。あのコンパスさえあれば……」  ということは場所についての問題はオーケイ。  ならば問題はここからどのように脱出するか。はっきり言ってそう簡単なことじゃないというのは誰にだって解る。  やっぱりそういう結論に陥ってしまうわけか――そう思いながら、僕は改めてこの牢獄を見渡した。  一人用にしてはあまりにも広い部屋だった。かつてこの場所に宿でもあったのだろうか。ベッドもあるしトイレもついている。洗面台もある。シャワーまではないけれど、もともとここにあった宿を改修したようにも見えた。 「……どうやって、脱出すれば……!」  僕は入り口の扉についている小窓から外を眺めようと、出口に向かった。  扉が開かれたのはちょうどその時だった。 「やあ、予言の勇者クン」  入ってきたのはバルト・イルファだった。バルト・イルファは柔和な笑みを浮かべつつ、僕に近づいてきた。  そしてバルト・イルファは僕の腹を思いきり殴りつけた。  重い一撃だった。 「ぐはっ……」  思わず、床に吐瀉物を撒き散らしてしまった。 「……ごめんねえ、ついストレスが溜まっちゃって。どうやって吐き出そうかなあ、と思ったのだけれど。ここにいいサンドバッグが居たからね。ちょいと殴らせてもらったよ。まあ、君を殴ったのはそれだけではないけれど。リュージュ様から聞いたよ」  思い切り髪を引っ張り、無理やり顔を上げるバルト・イルファ。  そしてバルト・イルファは僕の顔を見つめて、 「君……似非魔術師なんだってねえ。いやはや、騙されちゃったよ。あれ程予言の勇者とちやほやされていたからそれなりに魔法を使えると思っていたのに!!」  今度は蹴りを入れるバルト・イルファ。  再び吐瀉物を床に撒き散らす。もう出すものは出してしまったのか、液体しか出てこない。 「ああ、ああ、ああ! 憎たらしい、憎たらしいよ、予言の勇者クン! まさか君が飛んだペテン師なんて誰も思いはしないだろうねえ! 魔法はすべてガラムドの書と、エルフの加護によるもの? つまり君自身が魔法を覚えたわけじゃなくてその加護で勝手に手に入れたものだというのだろう? ああ、憎たらしい!」 「バルト・イルファ。何をしているの」  二度目のパンチが加えられるか――ちょうどそのタイミングで、バルト・イルファの背後から声が聞こえた。  そこに立っていたのはリュージュだった。  バルト・イルファはそれに気づき、頭を下げる。 「申し訳ありません。少し興奮してしまったようです。すいません。……予言の勇者がペテン師だと知ってつい」 「まあ、それは構わないわ。だけれど、傷つけないようにね。まだやってもらうことがあるのよ。予言の勇者には」 「はあ……。ああ、そうでしたね。リュージュ様の部屋に連れて行かないといけなかったんでしたか」 「思い出したようだけれど、遅かったから私自らやってきたわよ。何となく、嫌な予感もしていたわけだし。そしてそれが命中したわけだけれど。……まあ、それはいいわ」  リュージュは一歩近づく。バルト・イルファはそれに従い、横にずれる。  跪く僕と、それを見下すリュージュ。 「ふふ……。いい光景ね。予言の勇者が私を見上げているわ。そして、私は予言の勇者を見下している。最高に滑稽な光景だとは思わない?」 「リュージュ様、その通りですね」  バルト・イルファはそれに賛同する意見を送る。 「あなたにしてもらうことは、たった一つだけよ。予言の勇者」  リュージュは水晶を見つめて、頷く。 「――オリジナルフォーズを復活させるための魔法、それを使うこと」 「イヤだと言ったら?」 「魔法を言うまで痛めつけるまでよ。こんな風に……ねっ!」  そう言って。  リュージュはどこからか取り出した鞭で僕の背中を叩いた。  バチン! という音が牢獄の中に響き渡る。  声も出ない痛みを、僕の背中から、身体全体に広がっていく。その痛みに思わず気絶してしまいそうになったが、リュージュは間髪入れずにもう一発鞭を打ち込んだ。 「……気絶して楽になろうと思っているのならば、それは辞めたほうがいいわよ。気絶しないように継続的に甚振り続けるわよ。これから解放されたい? だったら、魔法をこの場で呟くといいわ。オリジナルフォーズを復活させる、ガラムドの書に記載されているはずの魔法を、ね!」  目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。  どうやらあれから痛みで気絶していたようだった。背中を触ってみると筋のように瘡蓋が出来ている。恐らく鞭で打たれて皮が破けてしまったのだろう。跡が残らなければいいけれど。  ちょっとそんな楽観的なことを考えながらゆっくりと立ち上がる。気絶する前に吐いたモノも乾いている。生憎それ程匂いは気にならなかったのが不幸中の幸いだったかもしれない。これで匂いが酷かったら溜まったものじゃなかった。  そして扉の横にあるスペースに銀のトレーが置いてあることに気付いた。  近づいてみると、そこには幾つかに区切られたトレーのスペース一つ一つに赤や緑、青など様々な色の何かがペースト状になったものが満たされていた。はっきり言ってそれだけを見れば食欲は減退されるだろう。  まあ、出されたものだ。毒も入っていないだろうし、とにかく食べないことには何も始まらない。そう思った僕はトレーに置かれているスプーンを手に取り、赤のペーストを掬った。  そしてそれを口に放り込む。 「……不味い」  想像通りの味だった。ペーストは舌にざらついた感触を残す。まずそれだけでも不快だというのに、味はまったくしない。何というか、栄養を取るためだけのもののようにも思える。  まさかリュージュたちもこれを食べているとは思えないが――仮にそうだとしたら味覚がどうなっているのだろうか。考えたくもない。  一口食べて食欲がすっかり失せてしまったわけだけれど、しかしながらそれしか食料が無いので食べないわけにはいかない。  ゆっくりと、少しずつではあるが、僕はそれを食べていくのだった。  きっとメアリーたちが助けに来てくれると――そう信じながら。  食べ終わったタイミングで、今度はロマ・イルファがやってきた。  ロマ・イルファは空になったトレーを見て、つまらなそうな表情を浮かべる。 「ふうん……。食べ終わったんだ。あんなに不味いものなのに。あなたって結構ゲテモノでもいけちゃうクチなのかしら?」 「食べたかったから食べているわけじゃねえよ」  僕はそう苦言を呈したが、ロマ・イルファはただ、「そう」としか言わなかった。  ロマ・イルファが持っているものについて着目すると、彼女が持っていたのは水桶だった。文字通り、水を入れることが出来る桶だ。 「リュージュ様から聞いていると思うけれど、あなたは『魔法』を知っているはず。オリジナルフォーズを復活させるための最後のトリガーとなる鍵を、ね。けれどあなたはそれを言ってくれない。あなたが今置かれている状況を理解していないようなのよね。だから、それを解らせに来たということ」  パチン、と指を弾くと気が付けば空だったはずの水桶に並々に水が注がれていた。  瞬間移動の類だろうか――そんなことを考えていたが、 「これは特殊な水よ。私の意志を聞いてくれる、特殊な水なの。私が言えばその通りに従ってくれる。だから……」  説明を言い終わる前に、ロマ・イルファは桶に入っていた水を思いきり僕にぶちまけた。  何をするんだ――と言おうとしたが、水が口から離れずにただの泡と化してしまった。  いや、それだけじゃない。目も、鼻も、まるで顔全体に水がへばりついているような感覚。 「……解ったかしら? 私の能力、その真の力を」  解ったが、何も言うことが出来ない。それどころか呼吸をすることも困難な状況に置かれている。これでは何も反応することが出来ない。  我慢しようとしても、水がゆっくりと体内に入っていく。 「ほんとうはその水であなたの身体に侵入して支配してしまうという考えもあったけれど、身体と精神の支配はまったく別物になるからね、そう簡単に出来る話ではないし。だから、結局こういう原始的なやり方になっちゃったというわけ」  溜息を吐くロマ・イルファ。  まるでお気に入りの玩具を取り上げられた子供のような落ち込み具合だ。 「だから、だからね。……辛いでしょう? 空気を吸えなくて辛いでしょう? 人間って、酸素を取り込まないと脳の機能が低下して死んでしまうからね。とても脆い生き物だからね。だから、このままだとあなたは死んでしまう。それはとっても嫌な話よね?」  ロマ・イルファは小走りに僕の横に佇む。そしてそこから僕を見つめて、笑みを浮かべて、 「『魔法』を言えば解放してあげるわ。だから、言う意志があるならば頷きなさい。それ以外の反応は意志が無いと認めるから慎重にね?」  魔法。  その言葉をロマ・イルファに聞き返すほど僕も馬鹿ではない。  つまり、ロマ・イルファはここで魔法を言う意志があるなら頷けと言っているのだ。そんなこと、出来るはずがない。かつて世界を滅ぼすほどの力を誇ったオリジナルフォーズ。それを復活させるとどうなるか――はっきり言って、火を見るよりも明らかだ。  だから僕は頷かずに、そのままロマ・イルファを睨み付けた。 「ふうん……。つまんないなあ」  そう言うとロマ・イルファは再び空になった水桶に水を蓄えて、それをまた僕にぶちまけた。 「正直、男の子にこれをするのは非常に嫌な話ではあるのだけれど」  そう言って、ロマ・イルファは笑みを浮かべたまま、桶をひっくり返して椅子代わりにし、腰かけた。 「浸透圧って知っているかしら? 赤血球を真水に入れると、浸透圧に耐え切れなくなって溶血という現象に陥るらしいのだけれど、どういう状況になるのかしら? 科学者はマウスでは研究しているらしいけれど、まだ人間では研究したことがないって言っていたし。ちょっと面白いとは思わない?」  肌に水が纏わりつく。そしてその水はゆっくりと、『僕の身体の中に』入っていく感覚が走っていく。  それがロマ・イルファのいう話なのだろう。  身体の穴という穴から水を入れて、そして赤血球を真水に浸す。それにより溶血という現象を起こす。  考えただけで、身の毛がよだつ。 「……さあ、どれくらいあなたは耐えきれるかしら?」  ロマ・イルファの笑顔は、悪魔の笑顔にも似ていた。  何回気絶していたかどうかも忘れてしまうくらいだった。  ただ窓の景色がまだ暗かったことを見ると、それほど長い時間拷問を受けていないようだった。  だからといっても、その拷問をうまく逃げ切れた――とは思えていないこともまた事実。ただし次の日からまたどのような拷問を受けるか解ったものではないが。  リュージュたちの目的はただ一つ。  オリジナルフォーズを復活させるための魔法を僕から聞き出すこと。  簡単ではあるけれど、だからといってそれを素直に聞くほど頭は悪くない。それによってどのような被害が起きるか――考えただけで身震いしてしまうくらいだ。 「だから、絶対にその魔法を伝えてはいけない……」  それは解っている。  でも、裏を返せば。  その魔法さえ言ってしまえば、僕は解放される――ということだ。  その一言さえ口に出してしまえば、僕はこの苦しみから解放される。  しかし、オリジナルフォーズは復活してしまう。世界には、闇が広がる。 「やっぱり、だめだ。そんなこと……。絶対に、絶対に『それ』を伝えちゃいけない……!」 「へえ、強気だねえ。君は」  気が付けば、扉が開いていた。  そしてそこから誰かが入ってきていた。  それは人間でない、ということは直ぐに理解できた。なぜならその姿は氷像に似ていたからだ。正確に言えば人間の身体すべてが氷で出来ているようなそんな感じだった。  氷像人間は笑みを浮かべる。 「……どうやら、覚えちゃいないようだね。それもそうか。この姿で出会うことは初めてだったかな?」  ニヒルな笑みを浮かべたまま、もう一歩近付く。 「僕の名前はアイスン。かつて、ハイダルク国軍に所属していたゴードン・グラム……と言えば伝わるかな?」  ゴードン・グラム。  その名前を知らないわけがなかった。リーガル城で出会った兵士。そして、メタモルフォーズとの戦いののち、メタモルフォーズへの『反応』が見られてしまい、そのまま殺されたはずだった。  でも、ゴードンさん――アイスンはいま目の前に立っている。  はっきり言って信じられなかった。夢かと思った。  だからこそ、アイスンを見て、僕はずっと目を見開いていた。 「ありえないことはありえない」  ぽつり、とアイスンは言った。 「僕が所属する魔法科学組織『シグナル』の信条……とでもいえばいいかな。これは確かにその通りだと思っているよ。実際問題、シグナルはそれを実現している。僕たちが新しい世界が始まる、そのシグナルとなるのだよ」 「僕は……ゴードンさん、あなたが言っていることが解りませんよ」 「だから言っているだろう」  溜息を吐いたのち、ゴードンさん――アイスンは言った。 「僕はゴードン・グラムであってゴードン・グラムではない。今はアイスンというメタモルフォーズだ。そして、今はリュージュ様に忠誠を誓っている。つまり君とは敵という間柄になるね」 「アイスン。あまり長い話をしないことね」  アイスンの背後に立っていたのはリュージュだった。 「リュージュ。こんな夜遅くまでお前自らが出てくるとはな。よっぽど暇なのか、或いは余裕が無いのか。そのいずれかになるのか?」 「そうね。精々言っているといいわ。……まあ、その余裕を言っていられるのはいつまでかしら。そんなことを言っている場合じゃないのよ、アイスン。予言の勇者の鎖を外して。ああ、一応言っておくけれど手枷足枷はそのままにしておくのよ。当然だけれど、逃げる可能性は未だに充分とあるわけだから」  手枷足枷を外されて、僕は通路を歩いていた。先頭にはリュージュ、後方にはアイスンが歩いている状態となっている。時々通り過ぎるメタモルフォーズか人間か解らないような存在には、僕の姿を見て失笑している。そんなに人間が手枷足枷されていることが面白いのか。はっきり言って、つまらない。  だが、シグナルの連中にとってみれば僕は敵の親玉。敵の親玉を捕まえて喜んでいるのかもしれない。これで自分たちの目的に対する不安要素は無い、ということなのだから。 「着いたわ」  リュージュが言ったので、僕はそちらを見る。  そこにあったのは鉄の扉だった。魔法世界には似つかわしくないそれを見て、 「……ほんとうに、この世界って科学と魔法がごちゃ混ぜになっているんだな」  呟いただけだったが、その直後、後方から蹴りを入れられた。 「静かにしているんだな。君が現在置かれている立場を弁えたほうがいい」 「アイスン……いや、ゴードンさん。変わってしまいましたね、あなたも。メタモルフォーズになってしまってから、人間の心もなくしてしまった形ですか?」 「そう思ってもらって構わない。メタモルフォーズと人間は似ているようで違うのだから」 「そうね。アイスンのいう通り。人間からメタモルフォーズになってしまった存在というのは、大抵その前の記憶を保持している。けれど、感情や心情といったものは人間のようで人間じゃない、どこか冷めた感情……というのは言い方がよくないかもしれないわね。似たような感情ではあるのだけれど、どこか人間とは距離を置いた感情ということになる。やはり、人間は人間を一から作ることは出来ないのだろう。それこそ、『神様が作り出した方法』以外には」  リュージュが扉の脇にあるボックスに手を置く。  するとピンポン、という短い電子音の後に続いて、ゆっくりと扉が開かれていった。  扉の中は暗い道が続いていた。  しかしリュージュはすたすたと中に入っていった。  進むしか、今の僕に選択肢は残されていないのだろう。そう思い、僕はゆっくりとリュージュの後を追いかけていった。  道を進むと、自動的に天井につけられている電灯が点いていく。ここだけ世界観がどこか現代風ではあるけれど、恐らくスノーフォグの科学技術の賜物だろう。  そして、徐々にその風景が変化していった。最初はただの廊下になっていて、両側はただの壁となっていたが、広い部屋に入った途端壁を構成しているものが巨大な水槽になっていた。いや、水槽というよりもこれは……。 「インキュベーター」  リュージュはこちらを向くことなく、ただぽつりとそう言った。 「私たちはそう呼んでいる。保育器(インキュベーター)、とね。名前の通り、育てることを保つための器械。単純な名前ではあるけれど、私たちはこの名前のほうが呼びやすいものだからね」  保育器。  ということはこの機器に何かを入れて、育てているということなのだろうか?  今のところ、その保育器に何かが入っているようには見えない。緑色の液体がただ満たされているだけだった。 「……見渡しても無駄よ。この保育器には何も入っていないから。今、実用しているのは奥にある巨大な保育器のみに過ぎない。残りはただのガラクタ。使い道が無い、ただのガラクよ」  そのまま、リュージュは歩き続ける。もう少し調査しておきたかったところもあるが、後方にまだアイスンが見張っているのでおかしな行動は出来ない。諦めて、そのままついていくことしか出来なかった。  そして、その部屋の最奥部には巨大な保育器が壁一面に埋め込まれていた。  しかしながらすりガラスのようになっていて、その保育器の中に何かがいることは解っていても、それが何であるかは解らない。 「メタモルフォーズとは、いったい何者なのか」  リュージュが保育器を見つめながら、隣に立つ僕に言った。  しかし解答を求めることなく、そのまま話を続ける。 「メタモルフォーズは、オリジナルフォーズを『素体(オリジナル)』として作り上げた粗製品(コピー)。オリジナルフォーズの命令系統を継続しているから、メタモルフォーズはオリジナルフォーズの命令を聞くことは出来る。ただし、オリジナルフォーズには何百ものメタモルフォーズを同時に操る程の知能を持ち合わせていない。ならば、どうすればいいか。簡単なこと、知能を持った存在に手綱をひかせればいい」 「手綱を……知恵を持った存在に?」 「この世界で一番知能をもっている存在。それは人間よ。だって当然よね。人間がこの世界を統べていると言っても過言ではないのだから。神に比べればその地位は低いものかもしれないけれど、それでも神に次いで人間は知能が高い。それに人間が一番使いやすいのが人間ということも、火を見るよりも明らかではあるからね」  リュージュは壁につけられた計器類にあるボタンを押す。  すると、すりガラスだった部分は一種のフィルターとなっていたらしく、それが上にせりあがっていった。  徐々に、保育器の中に何がいるのかが、明らかになっていく。 「……これって……!」  保育器に浮かんでいたのは、無数の人間だった。  しかし、その人間は全員が裸で、髪色も髪型も目の色もすべて一緒だった。  金髪、ロングヘアー、赤い目。 「これって、まさか……!」  そう。  そこに浮かんでいたのは、メアリーだった。  いや、正確に言えばメアリーではない。メアリーに似た大量の何か、と言えばいいだろう。 「メアリーだと思っているのならば、それははっきりとした間違いよ。彼女たちはただのダミー。いえ、正確に言えば、『騎手になれなかった存在』。才能が無かったわけではない。知能が足りなかったわけではない。ただ、明確な何かが足りなかった」 「それは……?」 「なんだと思う? 予言の勇者」  首を傾げ、ニヒルな笑みを浮かべ、僕を見つめる。  きっと僕の表情は怯えているのだろう。今まで旅をしてきたクラスメイトの秘密を知ってしまったからかもしれない。  いや、だからとしても。  僕は前を歩き続けないといけない。  オリジナルフォーズの復活を阻止するために。  リュージュの野望を阻止するために。 「心……か?」  そして、僕はゆっくりとその答えを導き出す。  溜息を吐いたリュージュは数回拍手をして、 「まあ、何となくそうだろうと思っていたのでしょう。確かにその通り。このどこを見ているか解らない目つきを見れば一目瞭然かもしれないけれど、『これ』には心が無い。心は一番必要なものだからね。これを使ってメタモルフォーズの手綱を引こうとしても、先ずは私に絶対的に逆らえないということを植え付けないといけない。それを植え付ける土壌が無ければ、どうしようもないからね。石畳に種を蒔いても木は生えないでしょう? 要はそういうこと。これには心が無かった。いや、正確に言えば、これすべてに入れるだけの心が無かった」  リュージュは自らのお腹を摩りながら、笑みを浮かべる。  その笑みは、リュージュ自身を嘲笑しているようにも見えた。 「……面白い話よね。皆私から取り出した卵子をもとに作り上げたというのに……。心はたった二つしか生まれなかった。神というのは、どこまでも私の野望を阻止したがる。まあ、障害はあればあるほどそれを乗り越えるときが面白いのだけれどね」  僕はリュージュを見て、ある一つの感想を思い浮かべていた。  狂っている。  リュージュの考えは生物学的から見ればタブーなのだろう。人間は人間を作り出すためには、子宮という体内にある保育器を通してではないとダメだと言われている。まあ、それはあくまでも僕の世界だけの話になるのかもしれないけれど。  でも、リュージュの話を聞くところによると、恐らくそれはこの世界でも変わらない倫理観であると思う。 「……心を手に入れることができたのは僅かに二人だけ。一人はメアリー、そしてもう一人は……」  ゆっくりと動き始めるリュージュ。  それを見ていた僕はその後を追った。  この事実を、僕は知る必要があるのだろう。知ることによって、リュージュを倒すための手掛かりになるかも入れない。そう思ったから。  リュージュの進む先には階段があった。下りる階段だ。ここが地上何階か地下何階かも解らないけれど、少なくともその下りる階段は相当深い場所に下りていくように見えた。  階段を下りていくと、一つの部屋にたどりついた。  部屋の壁にはいたるところにパイプが繋がっていて、そのパイプは部屋の奥にある大きな椅子に集中していた。  その椅子には、一人の女性が静かにこちらを見つめていた。  その女性もまた、いろいろなパイプが繋がっており、そこから動くことが出来ないようになっている。 「……彼女の名前はベル。メアリーとベル、双子で生まれた彼女たちは、先ずメアリーにその資格があったから、メアリーを器にしようと仕立て上げた」 「器?」 「メタモルフォーズの王としての器、よ。オリジナルフォーズのDNAを注入することで、人間がメタモルフォーズを操作することが出来る。これは非常に画期的で、私の目的にとって非常に優位なものだった。まあ、オリジナルフォーズを操作することは出来ないけれどね。流石にそこまで優秀ではないから」 「にもかかわらず……、お前はオリジナルフォーズを復活させようと……?」 「言葉を慎みなさい。ええ、そのとおりよ。私はオリジナルフォーズを復活させる。そして、オリジナルフォーズを使って世界をリセットする」  リュージュの発言は、やはり何度聞いても理解できる思想では無い。  相容れないと言ってもいいかもしれない。その考えは、きっと狂人の考えであり、その考えは世間一般にとっては明らかに間違っている思想であることは容易に想像出来る。 「彼女の力は、世界のどこにいても通ずることの出来る……ということははっきり言って言い難い。今もまだ、どちらかといえば、この辺りとその周辺しかメタモルフォーズを操作出来ない。あくまでもこの力は不完全な力なのよね。残念なことに」  深い溜息を吐いたのち、僕のほうを向く。  そして僕の顎に手を取って、くいと上に上げる。 「だから、そのためにもあなたが必要ということなのよ、予言の勇者。あなたがオリジナルフォーズを復活させるための魔法を使ってくれれば、オリジナルフォーズさえ復活すればあとはベルの力をオリジナルフォーズ経由で世界中に届ければいい。ここだけの出力で補うにはとんでもないエネルギーが必要だ。ただでさえ、常に知恵の木の実のエネルギーを供給しているのだから」 「……意地でも僕に魔法を使わせようという算段なのだろうけれど、そう簡単に従うとでも思っているのか?」  その言葉を聞いてリュージュは舌打ちする。 「どうやらまだ、何も解っていないようね。あなたの立場はどういう立場なのか解っているのかしら?」 「……、」  僕は何も言えなかった。  言えなかったからこそ、くやしかった。今の自分の立場を明確に思い知らされた。  でも、それでも。  僕は言わなかった。僕は言いたくなかった。  その魔法を知っているからこそ、どうなるかを解っているからこそ。  僕はその魔法だけは口にしないと――心に決めていたのだった。  ◇◇◇  リュージュは焦っていた。  どうやって予言の勇者にその魔法を使わせるかどうか――それが彼女の中で一つの苦難となっていた。  オリジナルフォーズを復活させることで、自動的に彼女の目的は達成できる。  だが、その直前で彼女の計画は頓挫寸前まで追い込まれてしまった。 「……どうすればいいのかしら。あの予言の勇者に、魔法を使わせるには」 「お困りのようだね?」  そう言ったのは、バルト・イルファだった。  バルト・イルファは椅子の背もたれに手をのせて、首を傾げる。 「話を盗み聞きしてしまったようで申し訳ないですけれど……、どうやら予言の勇者にいかにして魔法を使わせるか、それについて考えているようですが?」 「え、ええ。そうね。予言の勇者は梃子でも魔法を使わないようだし。どうすればいいかしら……。まさかここまで精神が強いとははっきり言って思わなかったし」  リュージュは困っていた。  いかにして予言の勇者に、かの魔法を使わせればいいか、ということについてだ。それだけで状況はあっという間に好転してしまうというのに、しかしながら、それを実現することができない。実現することができないのならばリュージュの考えていることはただの夢物語に過ぎない。  夢物語を夢物語で終わらせたくないのは、リュージュの強い思いだった。ここまでやってきたというのに、ここで終わってしまうことが許せなかった。 「……僕にいい考えがあります」  言ったのはバルト・イルファだった。酷く丁寧な口調で言ったため、リュージュはバルト・イルファが何か裏があるのではないか――なんてことを勘繰ってしまう程だった。  対して、丁重に頭を下げつつも、話を始めるバルト・イルファ。 「どういう風にしていくのかしら?」  リュージュは疑心暗鬼になりながらもバルト・イルファの発言を聞いていた。 「簡単なことです。……『幻術』を使うのですよ」  そうして、バルト・イルファはにっこりと笑みを浮かべた。  その笑顔は玩具を手に入れた子供のように無垢であり、それにどこか恐ろしさを覚える程でもあった。  ◇◇◇  僕が目を覚ますと、そこは花畑だった。  夢か何かかと思ってしまったけれど、そんなことは今の僕にはどうでもよかった。  あの拷問から解放されているのならば、夢だろうが現実だろうがどうだって良かった。 「ねえ、フル」  声が聞こえた。  そこに居たのは、メアリーだった。  メアリーが僕の目の前に立っていた。 「メアリー……。どうしたんだい」 「ねえ、私……あの魔法を聞きたいな」 「あの……魔法?」  メアリーは僕に口づけする。  長い口づけののち、メアリーは僕を見つめる。  どこか甘い口づけだった。  メアリーは再び僕に言った。 「ねえ、私、あの魔法が知りたいの。というよりも、あなたが知ったあの魔導書のすべてが知りたい」  そうして。  そうして、僕は深い眠りに落ちていった――。  ◇◇◇ 「……まさか、これ程までに簡単に手に入るとはね」  リュージュとバルト・イルファは廊下を歩いていた。 「ええ、流石に僕もここまでうまくいくとは思いませんでしたよ」  リュージュがその魔法(フレーズ)を手に入れるために、何をしたのか。  バルト・イルファが考えた作戦をそのまま実行しただけに過ぎなかった。バルト・イルファは炎を使うことが出来る。だから、バルト・イルファは炎で『幻影』を見せた。その幻影は予言の勇者が一番信頼している存在であった。  そして『雰囲気作り』はリュージュの出番だ。麻薬にも似た効果を持つ魔術(同じく幻影を見せることが出来る)を予言の勇者にかけることで完璧なカモフラージュを行った、ということだ。  とどのつまり、予言の勇者にはある姿が見えているのだが、傍から見ればただ予言の勇者が独り言を呟いているだけになる。 「……はてさて、あとはこれをうまく使うだけね。まあ、とはいってももう解放されたことには変わりないけれど」  彼女たちは気づいていたが、今まで何も言いださなかった。  さっきから地面を揺さぶる、大きな振動が。 「この振動が……オリジナルフォーズが目覚めつつある合図である、と?」 「その通り、バルト・イルファ。もう私の野望が達成される日も近いわよ。準備なさい、決戦のお時間よ」  リュージュは早足でどこかに消えていった。  バルト・イルファはぽつりと呟いた。 「……これで漸く違う世界、か」  彼の言葉は、だれにも聞こえることはなかった。  ◇◇◇  メアリーたちを乗せた船がその島に到着したのは、リーガル城を出発した次の日の朝のことだった。  既に島は火山が噴火する直前のような地響きが一定間隔で鳴り響いていた。 「これは不味いわ……。でも、いったいどういうこと? まさかフルが魔法を言った、ということ?」 「そうとしか考えられないけれど……。出来ることならあまり考えたくないね。フルはそんな弱い奴じゃないと思っているから」 「この振動は……。ううむ、リュージュめ。まさかこのような島に作り替えているとは思いもしなかった」 「陛下。あまり騒がないほうが……。ごめんなさい、みなさん。私はここで国王とともに居ます。何が起きるか、解りませんから」  カーラの言葉を聞いてメアリーは頷く。彼女たちにとってもそちらのほうが有り難いと思ったからだ。それに探索をしていく上でははっきり言って邪魔な存在になりかねない。 「ふうむ、確かにそれもそうだな。私は魔法も錬金術も使えない。はっきり言って、君たちの戦いには邪魔となる存在だろう。……王であったとしても、進んで向かうべきだとは思っていたが、私ももう衰えた。……致し方ないのだろう、若い世代に譲るということも悪くない」  それを聞いたカーラは目を丸くする。耳を疑って、国王に再度話を聞く。  しかしながら、それをする前に国王はゆっくりと頷いた。 「エルフの村の少女よ、私はもう古い世代の人間だよ。次の世界は新しい世代の人間がこの世界を統治していったほうがいい。そう、例えば……」  すっと、指をさす。  その方向にいたのは――レイナだった。  レイナはそれを聞いて、目を丸くした。何を言っているのか、さっぱり解らなかったのだろう。  対して、国王はさらに話を続ける。 「君のことはリーガル城の城下町で盗みを働いていた時から知っていた。しかしながら、私の地位のこともあり、君のことを直ぐに言うことは出来なかった。それに、君に近付くことも出来なかった」 「……は? いったい、何を言っているのよ。私はただの盗賊だぞ。王様なんかに謝られるような立場じゃ……」 「いや、そんなことはない。君はまだ、自分の立場に気付いていないだけだよ。……かつてハイダルクには二人の王子が居た。兄より優れた弟は居ない、なんてことはよく聞いたことのある言葉かもしれないが、その王子たちにもそのルールは適用されていた。しかしながら、その兄はある日消息を絶った。国王が、国を挙げて探したというのに……それでも見つからなかった。だが、その弟だけは知っていた。兄が苦悩していたことを。何に? それは簡単だ。兄は、国王になることが決まっていた。その重圧に耐えきれなかったのだよ。そして優しい弟はそれを知って、兄の代わりに王になった」 「もしかしてその弟というのは……」  こくり、と頷く国王。 「……ああ。それは私のことだ。そして、その兄は……レイナ、君の父親にあたる人間だよ」 「私の父親が……国王のお兄さん……ですって?」  レイナは動揺していた。それは当然かもしれない。突然、そのような事実を言われてしまって、動揺しないほうがおかしいものだ。  国王の話は続く。 「まあ、無理もないだろう。実際問題、そのことについて気になることはあるだろうが、君の父親は確か流行り病で亡くなっていたはず。そうだったな?」 「え、ええ……」 「あれは痛み入ったよ。ほんとうに。まさかああなるとは思いもしなかった。私だって解らなかったのだから。しかしながら、君という存在が生きていてよかった。私と妃の間には子供が生まれなかったからな……。世継ぎがまったく居なかった状態だったのだよ」 「ちょ、ちょっと待ってよ。つまり……」 「国王陛下。レイナに王位を継承するつもりがある、ということなのですか?」  言ったのは、メアリーだった。  メアリーとしてもあまり他人の会話には口出ししないほうがいいだろうと思っていた。しかし内容が内容だ。この国の進退を決めることとなる重要な会話である。だから、彼女としてもこの会話に何としても入って確認しておきたかった。 「……そういうことになるだろう。この世界は、新しい世代の人間に託さねばならない。古い人間がずっと居座っていても無駄な行為だろう。それこそ、リュージュのように、腐った人間がいつか現れてしまうとも限らない」 「だとしても……」  レイナは否定した。  レイナにとってもこの出来事は想定外だったから、致し方ないことかもしれない。とはいえ、レイナにとってこの話は悪い話ではないことは確かだ。ただ、問題は多数あることだろうが。 「仕方ないことではあるのだよ。……教養が無いというのならば今から付ければいいだけの話だ。最初から誰もが完璧だったわけではないし、そのような人間はいない。だから、今からでも遅くないのだよ」 「しかし……」  やはり、そう簡単に決められない。  当然だろう。国王が言っているのは、レイナへの譲位。その意味を解っていないわけでは、当然有り得ないだろう。  地震が再び発生したのはちょうどその時だった。 「……さっきよりも長い……!」 「オリジナルフォーズが目覚めようとしているのかもしれないな……。ここで、こう長々と話している場合ではない。とにかく今は向かうしかないだろう。この島の奥に……確実にリュージュはいる筈だ。だから今は、私のことは気にする必要はない。終わったら、すべての話をしようではないか」  そうしてメアリーたちは島の奥地へと足を踏み入れる。  その先に何が待ち受けているのか――今の彼女たちには知る由もなかった。  ◇◇◇  朝。  朝日も入らないこの部屋でそれを確認するには白む空を確認するほかなかった。  ここに来てもう三日目となるが、いつも霧がかかっていた。  たぶんこの霧もこの場所を隠すために人工的に作られているものなのかもしれない。そうだとすれば、メアリーたちがここにやってきたとしても僕がここに居るということが解らないんじゃないだろうか。  それにしても、僕はずっとここに閉じ込められないといけないのだろうか。バルト・イルファが深夜にやってきてから一度も来ていない。だけれど、眠れなかった。寝付くことは出来なかった。あれ程傷つけられたから仕方ない、というかも知れないが、そうであったとしても、眠らないと身体が持たないことは理解していた。  しかし、あの魔法を言ってはいけないことを理解していたからこそ――彼女たちに対する敵意も緩めてはいけない、という思いがあった。その思いだけは絶対に崩してはならない、と。 「でもここを脱出するには……」  扉を開ける音がした。  入ってきたのはリュージュとバルト・イルファだった。 「……また拷問か? 言っておくが、絶対に魔法は言わない」 「それは別に構わないわよ。……取り敢えず、あなたには見せておきたいものがあるから。ついてきなさい」  その言葉を言って、リュージュは踵を返す。中に入るのはバルト・イルファのみで、そのまま僕の鎖を外した。そしてバルト・イルファががっちりと後方についたまま、僕は外を出ることとなった。  廊下を歩いて、僕は思った。 「……昨日とは違うルートになるんだな」 「昨日は昨日でまた違う説明だったからね。今日はあなたに状況報告をしておこうと思ったから。あなたも無関係ではないことだし」 「無関係ではない?」  嫌な予感がする。  リュージュが笑っていることもあるが、現状関係があるとなるとやはりオリジナルフォーズについてだろうか? オリジナルフォーズはまだ復活していないはずだ。となると、やはり眠っている姿を見せつけられるだけ? しかしそれだとあまり意味がないように見えるが、いったいリュージュは何を考えているのだろうか……。  階段を下りて、扉を開ける。  するとそこから強い風が吹き付けてきた。  それを感じて、僕はその扉が外に繋がっているものであることを理解した。  外に出ると階段が続いていた。どうやらここは火口のようだった。その火口に沿って階段がずっと地下深くまで続いている。 「……この地下に何があるんだ?」 「話を聞く必要があるのかしら? 別に私はここで話す必要は無いと考えているけれど。もし何か気になるならば、私が到着してから話してちょうだい。私としては、これ以上時間は無いのだから」  そう言ってリュージュはさらに階段を下りていく。バルト・イルファに背中を小突かれた僕はそのままリュージュの後を追って階段を下りていくしか手段が無かった。  階段を下りた先には、火口があった。とはいっても休火山となっているのかただの岩場が広がっているだけに過ぎなかった。  そこには古い扉があった。 「……『神秘科学研究所』?」  古い扉の脇には看板がついていた。その看板はとても古く、文字もところどころ掠れていて、読めないところもあったけれど、しかしはっきりとそれは――日本語で書かれていた。  リュージュは迷うことなくその扉を開けて中に入っていく。むろん、僕も追いかけた。 「そろそろ安定期に入ったころだからね……。やっと外に出してあげたのよ」  その中には壁一面がガラス張りになっている場所があった。それ以外は機械もある普通の研究室だった。しかし、いろいろと残置されている資料の殆どが日本語だったことは驚きを隠せない事実だったけれど。  つまり、この研究施設は僕がいた時代から――ずっと残されていたもの、になるのだろうか。  だとすれば、いや、だとしても信じられない。  だってアリスは言っていた。この世界は僕の暮らしていた世界から一万年以上後の未来だと。ということはこの施設も一万年以上残っていた、ということになる。ついこの間まで人が居たような痕跡があるというのに。ずっと、前から残っていた? 正直言って、あまりピンと来ない。  リュージュは窓から外を見つめる。  そして僕も――そこに向かって、外を見た。  そこにあったのは、驚くべき光景だった。  ここに来る前に、横たわっていたはずのオリジナルフォーズ。それがはっきりと外に出ていて、二つの足で立っていた。そして、オリジナルフォーズは空に向かって叫んでいた。  鳴き声、とでも言えばいいのだろうか。声にもならないその声は、聴いていてどこか不快なものだったことには間違いないだろう。  三日前に見た姿では鳥瞰図のようなものでしか見ることが出来なかったため、今の立ち位置から見たオリジナルフォーズは、普通のメタモルフォーズとは違うように見えた。  オリジナルフォーズは全身を黒く染め上げていた。それでいて身体のところどころに目があり、その目は至る所に視線を置いていた。さらに身体の至る所から同じように様々な動物の手足が生えており、それ一つ一つは動いていないにしろ、異様な存在感を放っていた。 「あれがオリジナルフォーズよ、予言の勇者。どうやらあなたは敵の正体について詳細を知ることなく旅していたようだけれど。まあ、それじゃ遅すぎたというだけの話。ラドームも愚策だったわね。いくら何でも敵のデータを伝えることなく、学生に旅をさせるなんて!」 「何が言いたい……? いや、そうじゃない。そうではない。あれはいったいなんだ」 「オリジナルフォーズよ。メタモルフォーズのオリジナルにして最強の存在」 「僕が話しているのはそうじゃない!」  話が進まない。いや、リュージュも敢えてそうしているのだろう。苛立ちを隠しきれずに、僕はリュージュに詰め寄った。  しかし、あと一歩というところで、その間にバルト・イルファが割り入った。 「……貴様、何がしたい?」  バルト・イルファは僕のほうをにらみつけて、言った。まあ、そう発言することは仕方ないことかもしれない。 「オリジナルフォーズがなぜ目覚めているんだ。オリジナルフォーズは……確かまだ目覚めていなかったはずだ……!」 「ああ、何だ。そんなこと」  リュージュはその質問を予想していたかのように、深い溜息を吐いた。 「……覚えていないということは、あなたが考えた作戦は完璧だったということになるのかしら? バルト・イルファ」  リュージュはバルト・イルファのほうを向いて言った。  対してバルト・イルファは頷いたのち、薄気味悪い笑みを浮かべた。 「その通りですね。……まあ、もう予言の勇者には教えてもいいのではないでしょうか? 別に減るものでもないとは思いますから」 「それもそうね……。予言の勇者、あなたに術をかけたのよ。強い催眠術、になるかしら。どうなるものかと正直不安ではあったけれど、無事にそれを成し遂げることが出来た」 「それは、まさか……!」  僕は最悪の考えに至った。  その意味はつまり……。  そして、リュージュはゆっくりと――告げた。 「ええ。もう、オリジナルフォーズは復活しているわ。あなたから聞いた、その魔法を利用して……ね」  リュージュは歩き始めて、直ぐ傍にあった椅子に腰かける。 「あなたには感謝しているのよ? だってガラムドの書を手に入れてくれたのだから。あれは知識を直接脳内に投入するタイプ……だったかしら? だから選択してその魔法だけ手に入れることは出来なかった。はっきり言って非常に無駄なタイプ。だからこそ、その魔導書を一旦誰かに手に入れてもらう必要があった」 「全て予測していた、というのか……? 僕がガラムドの書を手に入れる、ということが!」 「当然でしょう? だから、私はあなたたちをレガドールへ導いたのだから。あれは私と戦うためじゃない。あの魔導書を手に入れてもらうためだったのだから。きっとあなたたちは力を手に入れたと思っていたかもしれないけれど……、それは私も一緒だった。あとはどのように予言の勇者から魔法を聞き出すか。あまりにも簡単なことだったけれどね!」  リュージュは高笑いをして、僕をずっと見つめていた。  オリジナルフォーズは復活してしまった。  ならば――あとはどうすればいい? オリジナルフォーズを封印するにしても、それはガラムドにしか出来ないはずだ。なぜならガラムドの書にはオリジナルフォーズを封印する魔法までは記載されていなかったからだ。はっきり言って、不完全なものだった。  となるとあとは一つだけ。オリジナルフォーズを倒すしかない。だけれど、どうやって? オリジナルフォーズは復活して、既に力を蓄え始めている。長い封印で得た力を使おうとしている。何としてもそれだけは防がなくてはならない。この世界を無に帰すわけにはいかなかった。 「……一応言っておくけれど、あなたには何もできない。オリジナルフォーズは大いなる力を、この惑星から吸収している。けれど、そうね……。あなたははっきり言って邪魔な存在であることには変わりない。テーラの予言がどこまで当たるかは解らない。けれど、所詮予言の勇者なんて存在しないことを証明しないといけない。それによって、人々は絶望するのだから!」 「そんなこと……、そんなこと許してたまるものか!」 「あなたに何ができるとでも? 今のあなたは囚われの身。これで何かできると思っているのならばお笑い種ね。まあ、笑えないことは確かなのだけれど。いずれにせよ、これ以上あなたは何もできない。オリジナルフォーズが復活した時点でチェックメイトなのよ」  確かにそうかもしれない。  倒すことが出来ない。でもそれは確定じゃない。まだ僅かでも可能性が残っているはずだ。その可能性を突き詰めることが出来れば、或いは――。 「何を考えているか知らないけれど、これ以上は無駄。それを認めなさい。まあ、きっとあなたの仲間も気付いている頃でしょう。オリジナルフォーズが復活しているという事実を、認めざるを得なくなるわ」  ◇◇◇  メアリーたちは島の中心に向かうべく歩いていた。カーラは国王を守るべく船に残ったため、歩いているのはメアリー・ルーシー・レイナの三人になる。  深い霧の中をゆっくりと進んでいく。五里霧中、とはよく言ったものだった。 「それにしても……ほんとうに深い霧ね。霧を晴らすことの出来る魔法でも覚えていれば良かったのだけれど。そんな都合のいいものは見つからないし……」 「そうだね……。さっきから地響きもするし、もしかしたらオリジナルフォーズが復活しているのかも……」  彼らの疑問は専らそれで一杯となっていた。  オリジナルフォーズが復活しているのではないか、ということについて。疑問が浮かんでいた。  しかしながら、それは同時にフルが魔法を使ったということになる。力に屈してしまったのか、或いは操られているのか、或いは。 「彼自身の意志で魔法を使ったのか、……まあ、それは考えたくないけれど」  ルーシーがぽつりと呟く。  フルはずっとこの世界を救うために旅をしてきた。だからそれはあり得ない。それは彼ら全員の共通認識だった。  だからこそ、メアリーは理解できなかった。いや、どちらかといえば、リュージュの策略で無理矢理魔法を使ったと位置付けたかった。 「あ、霧が晴れてきた……」  進んでいくうちに、霧が晴れてきた。どうやら霧がかかっていた場所を何とか抜けることが出来たようだった。  そして、視界が開けていくうちにその光景を目の当たりにすることとなった。  そこに広がっていたのは、巨大な城だった。とはいえリーガル城やスノーフォグの城のようなものではなく、荘厳な雰囲気と堅牢な造りをしていた。どちらかというと城塞という言葉が近く、正しいものかもしれない。 「……これが、こんなものが、この島に……あったのか」  そしてその隣には、二本足で立つ巨大なメタモルフォーズ。その大きさは今まで彼らが戦ってきたそれとは桁が違うほど大きいものだった。 「まさか、あれがオリジナルフォーズ……!?」 「そうかもしれないわね。となると、やはりオリジナルフォーズが復活してしまったということは、信じざるを得なくなってきた、ということになる」  ルーシーとメアリーがそれぞれ会話をする。  そうしてルーシーたちは城塞を一瞥する。ぐるっと見渡すと、そこに入口のようなものが一つあるのが見えてきた。 「……誰も居ない。もしかして罠、か?」 「そうかもしれないわね。けれど……今の私たちにはここに入る以外の選択肢が残されていない。行くわよ、ルーシー、レイナ。フルを助けるために、そして、オリジナルフォーズを倒すために」  その言葉にルーシーとレイナは大きく頷いた。  そして彼らは――そのまま城塞の中へと入っていくのだった。  ◇◇◇ 「メアリー・ホープキンが侵入してきました」  しかしながら、メアリーたちが侵入してきたという情報はリュージュに瞬時に伝わっていた。  リュージュは笑みを浮かべて、情報を伝えてきた少女兵士を見つめる。 「ごくろうさま。それにしても、あっという間に到着してしまったわね。足止めはしなかった、とはいえ……あまりにも早過ぎるとは思わない?」  ジャラ、と鎖を地面に引き摺る音が聞こえる。  壁につけられた鎖を鬱陶しそうに見つめながら、痩せこけた男は笑みを浮かべる。 「当然だよ、彼らは私がかつて研究したあのコンパスを持っているのだから」 「『落とし物のコンパス』だったかしら……。はっきり言ってふざけた研究だとは思っていたけれど、まさかこんなことになるとはね。ねえ、タイソン・アルバ?」  リュージュの後ろにはタイソン・アルバが居た。その姿はかつてフルたちと出会ったときに比べて身体の肉が全体的にごっそりと減っているようにも見えた。やつれている、と一言でいえばそういうことになるのだろう。  リュージュの言葉を聞いて、タイソン・アルバは一笑に付す。 「そろそろ手詰まりだと考えたことはないのか、リュージュ」 「……何ですって?」  リュージュはタイソン・アルバの言葉を聞いて、首を傾げた。それは、タイソン・アルバに挑戦状を叩きつけているようにも見えた、高圧的な態度の現れとも言えた。 「そもそもこの世界を滅ぼすということが間違っていた。私が研究した人工的に知恵の木の実を作り出すことだってそうだった。その研究が世の中のために役立つのか? そしてリュージュ、お前がすることも世界に役立つことなのか?」 「……多元世界」 「……なんだと?」  今度は、タイソン・アルバが首を傾げる番だった。  リュージュは満足そうな笑みを浮かべて、話を続けていく。 「多元世界について、考えたことはないかしら。幾重にも重なった、世界の塊のことを言うのだけれど」 「それは知っている。理解している、と言ったほうがいいかもしれないな。しかしながら、それは現実味を帯びていない。はっきり言って無駄な考えだと言ってもいい。学会でもその考えは否定され続けたはずだ。まあ、それでも時折学会にその説を提示する学者は少なくないが……」 「まあ、そういうことを言う人も多いかもね。実際問題、それをどう思うかは学会の勝手だけれど。しかし、あれを考えることで何が生まれるか……学会は危険性ばかり危惧している。だからこそ、学者に多元世界について研究させない。させたとしても発表させる場を与えない。まあ、それは当たり前よね。私が裏から力をかけてそれをさせないようにしているのだから。だから学者はそれについて考えることはあったとしても、実際に研究することはしない」 「……なぜだ? なぜ、そこまでして研究を止めていた?」 「多元世界の存在を、確認してもらっては困る……ということよ。もうここまで来て解るかもしれないけれど、多元世界は存在するのよ。それは確率が無限大に存在する世界のこと。簡単な考えかもしれないけれど、多元世界の説明についてはこれが一番シンプルね」  そう言ってリュージュはどこからかアピアルを取り出した。  いったい何をするのか、タイソン・アルバは見つめていたが、 「ここに一つのアピアルがあるわね? それはとっても新鮮なアピアルだけれど……、」  そしてリュージュはそれに力を籠める。  少しして、アピアルは見事にリュージュの手の中で割れてしまった。 「これはアピアルが割れた世界」  割れたアピアルを床に投げ捨てて、濡れた手をタオルで拭う。 「だけれど、この選択の中にはアピアルが割れなかった世界も当然存在するはず。そうよね? アピアルは割れることが殆どかもしれないけれど、偶然そのアピアルが割れない世界があったかもしれない」 「それが、多元世界……」 「そう。割れなかった世界と割れた世界。今回の場合は二つのケースにしか分類できないかもしれない。ただ、そのあとはまた別の選択肢が存在する。そして選択肢の数だけ世界は分割する。パターンが選択される、ということになるわね。こうして無限大に、枝葉のように広がっていく世界。それが多元世界の観念になるわね」  多元世界の観念。  リュージュの語った答えは、少なくともそれについて語られたことであった。  しかしながら、タイソン・アルバには理解できなかったことがある。  どうしてリュージュは、タイソン・アルバにそのことを語ったのだろうか? 今更仲間として使おうとしたとしても、今のことは完全に違う話になるだろう。今の世界を破壊することと、多元世界が登場することは、何か関係があるのだろうか。そのことについてタイソン・アルバは考えていた。  しかしながら、考えていただけでは何も進まない。そう思って、タイソン・アルバは質問をした。 「……多元世界をどうするつもりだ?」 「多元世界を操作するには、一つの世界を破壊する必要がある」 「……何だって?」 「一つの世界を破壊することで、その世界は可能性を終了する。そして残された可能性はほかの世界に分配されることとなる。可能性という考えが気に入らないのならば、『運命』と言ってもいいでしょう。運命は、世界の可能性として存在することになるけれど、それと同時に、この世界に神が訪れる」 「神……ガラムドが、ですか? 何のために?」 「世界を再構築するために、かしらね。この世界が消滅することで、世界の枠が一つ消滅する。だからといっても、この世界の枠がそのまま埋まらないわけではない。リセットされた世界が再生されることとなる。その選択が選ばれる前の世界、ということにね……」 「世界を再生するために、神が降臨する、と……?」 「ええ。よく聞いたことがあるでしょう? 世界の危機に、神が訪れて人類を救うだろう……という在り来りな話よ。私ははっきり言ってそれを信じていないけれど、でも、私の計画にはそれが必要なのよ。ガラムドが降臨することを見計らって、その権限を盗む」 「権限を……盗む? そんなこと、簡単にできるのか……!」  タイソン・アルバはリュージュに激昂する。  しかしながら、そんなことを他所にリュージュは笑みを浮かべる。  リュージュにとってみれば、そんなことは知ったことではない、ということなのだろう。 「権限を盗む。はっきり言って、これは簡単に出来る話ではないわね。けれど、だからこそ、やってやろうという気になれる。しかしながら、私の目的とこれはイコール。どうやればいいのかも、計画は出来ている」 「計画は出来ている……だって? 一体全体、どうやって……」 「それはあなたに教える必要があるのかしら?」  リュージュは踵を返し、タイソン・アルバに背を向ける。 「とにかく、今のあなたには何もできない。これ以上、私の計画を話したところで、あなたにはこれを止めることは出来ない」 「……じゃあ、教えてもらってもいいのではないかな?」  その言葉に、リュージュは答えることは無かった。  ◇◇◇  メアリーたちは城塞の中を走っていた。城塞の中は入り組んでおり、まるで迷路だ。そう簡単に脱出することは出来ないだろう。 「……それにしても、正しい方向にきちんと進めているのかしら……? 人が出てこないことも、はっきり言って怪しいけれど」  メアリーは独りごちる。確かにそう言っても仕方ないことかもしれない。  メアリーは苛立っていた。苛立っただけでは何も変わらないかもしれない。しかしながら、そうであったとしても、フルを助けたいがために――少し焦っていたのかもしれない。 「メアリー」  言ったのは、ルーシーだった。  もしかしたらメアリーの異変に気づいたからかもしれない。そして、メアリー自身もルーシーに異変を気づかれたと思ったかもしれない。 「……どうしたの、ルーシー?」 「メアリー。少し落ち着いて考えてみよう。大変なことは十分に理解できる。フルを助けたい気持ちはみんな一緒だ。けれど、そうかもしれないけれど、落ち着いてみないと何も考えられないと思う。そうとは思わないかな?」 「……確かに、そうかもしれない」  メアリーはあっさりとそれを受け入れて、俯いた。 「けれど、フルを助けないと……! フルは、私たちにとって……!」 「大切な存在、かな?」  声が聞こえた。  そちらを向くと、そこに立っていたのは明らかに一言で言えば異質、といえるような存在だった。  スリングショットに身を包み、褐色の肌を思いきり露出している。しかしながらそれだけではなく、半透明のローブを被っている。ただそれだけでは彼女の肌を隠すことは到底出来ることはなく、その姿を露わにしているのだが。  少女は笑った。 「予言の勇者。ああ、何て面白い存在なのかな? 世界を助けるために、弱い人間を助けるために、それだけのために生まれた存在。それはどんなに特別で、どんなに優秀だったのかな? ……うん、まあ、それでも予言の勇者というのは張りぼてじゃあない。結局のところ、予言の勇者はそれなりに体力があるわけだからね。まあ、それを理解しているとはいえ、どうも面倒なことではあるけれど……」  ウェーブがかった銀髪だった。蝋燭の明かりを浴びて銀髪がほのかに輝いている。  少女は妖艶な笑みを浮かべて、話を続けた。 「システムとフェーズをとっかえひっかえしているうちに、物語の主題が解らなくなってきた……そんなところかな。問題は、それをどうすればいいかと考えることも出来ていないことだけれど。プログラムはミステイクばかり続いていたけれど、結局のところ別のプログラムで進めているようだし。結局、修正力、ということなのかな?」 「何を言いたい……! 何が言いたいんだ!」  ルーシーは弓を構え、少女に向ける。  しかしながら、少女はそれを見ても表情一つ変えることなかった。 「その弓で私を殺そうとしているのなら無駄だと思うよ。もっと考えたほうがいいと思うけれどね」  そう言って。  少女は持っていた小瓶の蓋を開けて、そこから何かを取り出した。  それが金平糖であることに気付くまで、ルーシーたちはそう時間はかからなかった。  金平糖を三つ程手に取ってそれを口に放り投げる。  ゴリゴリと噛み砕きながら、なおも笑みを浮かべたまま、 「つーか、物語に対するエクセプションってとっても面倒なことなのだよね。要は常識が通用しないということになるのだから。まあ、それが面倒であればあるほど遣り甲斐があるといえばあるのだけれど」  ジャキ、という音が聞こえてメアリーたちはそちらを注視した。  少女は巨大な武器を構えていた。彼女のか細い手に余るほど巨大な槍だった。金属の槍はところどころ切れ目があり、その切れ目は分解できるようになっているようにも見えた。組み立て式、とでも言えばいいだろうか。いずれにせよ、その武器は彼女たちがあまり見たことのないタイプの武器だといえるだろう。  なおも少女は語る。 「結局のところ、物語におけるファクターとはいったい何を指すのだろうね? 魔術におけるファクター、錬金術におけるファクターは円だ。円は力の循環を示す重要な意味を示していて、それに構成要素として魔術を組み込んでいく。それが魔法陣の基本要素だった。そうだったよね?」  槍を見つめながら、少女は言った。  メアリーは杖を、ルーシーは弓を構えながら、相手の出方を窺う。攻撃をどうしてくるか、ということが解らなかったこともありメアリーもルーシーもいつでも攻撃が出来るように準備を進めていたのだった。 「知恵の木の実というのは、なかなかに面倒なものであってね。確かに使い勝手はいいかもしれない。それを摂取することによって代償を大幅に削減することが出来る。非常に強力な魔術や錬金術も行使することが出来る。デメリットといえば、嵩張る点かな。知恵の木の実は果物でそれなりに大きいから面倒臭いのだよね、持ち運びが」  ザン!! と一振りする。  それだけで空気が震え、その一振りだけでその武器の効力が十分に理解できるほどだった。ビリビリ、と空気が震える音がして微かにメアリーたちにも伝わってくる。  見せびらかすように槍を肩に乗せて、少女は溜息を吐く。 「……結局のところ、世界はどうなっても私にとってはどうだっていい。予言の勇者のプロセスとか、リュージュ様のプログラムとか、そんなことは私にとっては……。けれど、私の今の雇い主はリュージュ様ということ。それだけで私は戦っている、ということ」 「善悪なんて関係ない、ということ……?」  メアリーの問いに、当然だと言わんばかりに頷き、笑みを浮かべると、 「……逆に言わせてもらおう。お前は何を考えていて、何を正義で、何を悪だと考えている? まさか、自分こそが正義で、自分に立ち向かってくる敵はすべて悪だと考えているのではないだろうね? だとすればそれは非常に滑稽だし、なにも考えなくていい、ロボットだけで行動すればいいだろうよ。簡単に言えば、プログラムで善悪を判断しているのと同じ。それも簡単に組むことができる、ルーティンワークでね」 「そんなこと……!」  メアリーは直ぐに答えることが出来なかった。  それは彼女の中に明確な正義の答えが無かったからではない。  どう答えれば、少女の考える正義に合致するかということだった。 「はい、時間切れ」  悪戯めいた声が聞こえて、メアリーは少女のほうを見つめる。  そして、少女は槍を構える。  メアリーとルーシー、そしてレイナは攻撃がいつ来てもいいように、同じように武器を構えた。 「……答えは簡単だよ、予言の勇者。いいや、この場合はただの取り巻きとでも言うべきかな。何れにせよ、このアンサーは誰だって考えられることは出来るけれど、正しいアンサーを求めるには難しいことだと思うけれど。知識も十分に必要になるだろうし、それ以上に、世界を、空気を読む力? そういうものも必要になったりするからね」 「何が言いたいのか、私には全然理解できないけれどね」  メアリーは強気の表情でそう言った。  しかし現状では――それはただの虚仮脅しだった。はっきり言って、今の彼女たちでは実力が未知数である少女を倒すことが出来るかといわれると微妙なところだった。  怖かった。  それが今の彼女にとっての、正直な感想だろう。実際のところ、彼女はどうすればいいのか解らなかった。解らなかったからこそ、少女の戦法をじっくりと見る必要があった。見るだけではない、分析する必要があったわけだ。 「はてさて」  溜息を吐いて、少女は言った。 「古くは戦いをする前に、お互いの名前を話すことがあったらしい。過去のことはつまらないことばかりだと思っていたが、そういう習慣も面白いものだとは思わないかね?」  槍をメアリーたちに向けて、少女はニヒルな笑みを浮かべる。 「……私の名前はフェトー。魔術師……とでも言えばいいかな。この槍に魔力を供給することで魔術を放つことが出来る。なぜ、これを今話すか……解るかな?」 「私たちには倒すことができない……そう思っているのね?」  メアリーの問いに、フェトーは頷く。  メアリーは我慢できなかった。  そして、目の前にいる敵――フェトーがとても強い相手であることを充分に理解出来ているにもかかわらず、彼女は倒そうと思った。  そして、彼女は頷いて――杖を握り返した。 「私の名前はメアリー・ホープキン。私は錬金術師、とでも言えばいいかな。まあ、学生だからその見習いという冠がつくのかもしれないけれど。あとはルーシーとレイナ、弓と短剣の使い手。3VS1ね……。あなたにとっては劣勢に見えるけれど、倒すことが出来るかしら?」 「せいぜいほざいていなさい、学生気分の若造が」  そうして、一つの衝突が起こった。  ◇◇◇  その頃、僕は牢屋に入っていた。  相も変わらず、と言う言い方が正しいのかどうかは定かではないけれど、いずれにせよここから脱出する術を持ち合わせていない以上、無駄な動きをする必要はない。メアリーたちの助けを待つしかない――というのが正直な感想だった。 「せめてシルフェの剣さえあれば……」  せめて武器さえあれば何とかなったかもしれない。あれを使えばシールドを張ることが出来る。だからそれを使えば、数回は攻撃を防ぐことが出来るかもしれない。  しかしながら、今僕の手元にはそれが無かった。  せめてそれさえあれば、まだこの状況を打開できると思っていた。 「……どうすればいい。どうすればここから脱出することが出来る……!」 「やあ」  声が聞こえた。  扉の向こうに立っていたのは、バルト・イルファだった。 「バルト・イルファ……。いったい何しに来た? まさか、僕のことを笑いに来たのか?」 「まさか。だったらもっと有意義なことをしているよ。……それはそれとして、」  そう言った直後、扉は思い切り開かれた。  バルト・イルファが蹴ったから――直後にそれを理解したが、とはいえ、納得出来ないこともあった。  なぜ、僕を助けるのか? ということについてだ。バルト・イルファは敵だったはず。なぜ僕をここから出そうとしているのか? 何か裏があるのではないか? そう思うのは至極当然なことにも思えた。  バルト・イルファはそれを聞いて――一笑に付す。 「何を考えているのか解らないけれど、僕は君を助けたいと思っているわけではない。正確に言えば、それを終点と考えているわけではないよ。もっと崇高な目的があると考えている。どんな目的か、って? それは言ってしまえばナンセンスだ。結局のところ、君には遠からず近からず関係ないことだということだ」 「……バルト・イルファ、お前がいったい何を言っているのかさっぱり解らないのだが?」 「解らなくていい。いずれ解るときがやってくるだろう」  そう言って、バルト・イルファは手を差し伸べる。  それを見て、僕はその手を――取った。  ◇◇◇  緑の閃光と赤の閃光がぶつかり合い、弾ける。  フェトーVSメアリー、ルーシー、レイナ。戦力差は単純に考えて三倍ではあるが、フェトーの攻撃はそれを単純に覆すことの出来るものだった。  フェトーの武器である槍は魔力を補充することが出来る。それによって魔法を放つことが可能となる。  正確に言えば、魔力を補充することで槍がファクターとなる。 「結局のところ、アサインメントは山積みとなっているよ。世界は崩壊していくにもかかわらず、その事実を誰も理解しようとはしない。……まあ、当然のことだろうね。実際のところ、世界がどうなろうと関係ない。簡単に言えば、リュージュ様の考えていることは、私には関係のないこと。ただ、強い人間と戦いたいだけ」 「つまり、あなたとしてはリュージュの思想と関係ない、と?」  確認するようにメアリーは訊ねる。  こくり、とフェトーは頷いた。  フェトーの槍が赤色のオーラを纏っている。それを見たフェトーは笑みを浮かべたまま、メアリーたちに襲い掛かった。  しかしながらその攻撃はメアリーが張ったシールドに遮られる。  ただ、それだけではない。シールドに刺さった槍からオーラだけがシールドに移っていく。シールドが炎に包まれていく。 「炎攻撃……!」 「ただ相手に直接ダメージを与えるだけが炎魔術じゃない。簡単に言えば、ダイレクトかインダイレクトか。その違い。明確に考えたことがないから、そう言わないのだろうけれど……、結局のところ、そういうこと。この槍から伝達したオーラは、シールドに炎を纏わせた。ただ、当然ながらあなたたちにメリットのある効果は与えることはない。蒸し風呂状態になっている、とでも言えばいいのかな? だからきっとあなたたちはいま、とても暑い状態になっているはずだと思うのだけれど」  フェトーの話はその通りだった。メアリーたちは今とても暑い状態に陥っていた。汗をかいていて、意識が朦朧としつつある。はっきり言ってこの状態を維持し続けてしまえば、倒れてしまうのは確実だろう。  それに、こうなってしまっては、フェトーは持久戦に持ち込めばいいだけの話だ。無駄にダメージを与える必要もない。勝手に自滅するのを待つだけなのだから。  そして、それはメアリーも理解していた。していたからこそ、次に何をしなければならないかを考えていた。 「……このままだと、蒸し鶏みたいになってしまう。それだけは避けないと……、けれど、どうやって? どうすればその状態を回避することが……。ああ、ダメ! 頭がまともに働かない……」  メアリーが独り言のトーンにしては大き過ぎるほどのトーンで言った。それは最早『呟く』ではなくて『言う』になっているのだが。  だからと言って、メアリーだけが何も考えている訳ではない。 「メアリー」  言ったのはルーシーだった。 「ルーシー……」 「きっと何か策があるはずだ。諦めてはいけない。それに……一人で抱えることは無いよ。ここには僕と、レイナがいる。フルが言っていただろ? 三人揃えば何とやら、って。だから、みんなで考えるんだ。君だけじゃ無い。僕の考えも、レイナの考えも。三人も居るんだ、きっと何かいい考えが浮かぶはずだよ」 「ルーシー……レイナ……」  メアリーはそれぞれ二人の顔を見合わせて、そう言った。 「それに……レイナは何か策を考え付いたようだよ?」  メアリーにとって、ルーシーから知らされたその言葉はビッグニュースにほかならなかった。  レイナはルーシーの言葉を聞いて大きく頷くと、 「……これが実際どこまで出来るかどうかは解らないけれど、たぶん原理的に出来ると思う。私はそれが出来ないから、メアリーとルーシーで協力すれば……」 「教えて、レイナ」  まだ彼女は彼女の考えたアイデアに自信を持っていないようだった。  しかしながら、それを後押しするように、メアリーは訊いた。 「でも……ほんとうにどこまでいくかは解らないよ? けれど、これをすれば何とかなると思うのよ……」 「うん。私が聞きたいのはそれ。……もしかして、レイナ、リスクを恐れているのかしら? 失敗したら自分のせいにされると思っている? だとすれば、それは大きな間違いよ。仮にそのアイデアが間違っていたとしても、あなたに罪を被せることは無いし、あなたのことを悪いとも思わない。先ずはチャレンジしてみないと失敗も無いからね」  メアリーは優しくレイナを諭した。  それを聞いた彼女はゆっくりと頷くと、メアリーとルーシーにそのプランを話し始めた。  ◇◇◇  人の呼気には水蒸気が含まれる。  例えばビニール袋を膨らましていって、暫くすると水滴がついていることがあるだろう。それが水蒸気である。  メアリーたちが居るバリア空間もまさにその状態になっていた。  とどのつまり、空気が循環される空間ならばそのようなことは無いのだが、メアリーの張ったバリアは閉鎖空間のそれと同じだ。即ち、空気が循環しておらず、酸素が供給されることも無いということを示していた。 「……白くなって、見えなくなったわね」  フェトーの目からも徐々に焦りが見え始める。時間が惜しいのか、或いはまた別の何かがあるのか。それは定かとはなっていないが、注目の的となっているのは確かだった。  水蒸気によって見えなくなっていることも知っていたし、それを見てあとどれくらいかで相手が戦闘不能に陥るかも解っていた。それは彼女の経験だった。  だからこそ、彼女はただ待つだけでよかった。或いは少し油断していたのかもしれない。あとは待つだけで戦いが終わるのだから、そう思うのは当然だろう。  そのシールドが割れた瞬間は、彼女が一番驚いた。  それは彼女にとってまったく想像出来なかったことだったからだ。なぜそんなことになってしまったか、ということよりもなぜ自分がそんなことも想像出来なかったのか、後悔のほうが大きいだろう。  この煙が出ている以上、簡単にメアリーたちを探すことが出来ない。それは即ち、彼女がこの戦いの中で初めて『失敗』した瞬間だった。 「……まずい。まずい、まずい、まずい! 何とかしてあの煙を打破せねば……」 「もう遅い」  それを聞いて、彼女は声のした方を向いた。  その方向を向いた瞬間、彼女の視界は唐突に閉ざされた。 「……何を!」 「目眩し。と言っても少々強力なものになるかしら。人間規格のものが通用するかどうか解らなかったけれど……案外通用するものね。もしかしてあなた、メタモルフォーズじゃなくてただの人間?」 「私が……、私が! メタモルフォーズなわけがあるまい! ああ、そうだ。そうだとも! 私はただの人間だ。メタモルフォーズに比べれば小っぽけで弱くて愚かな人間だ!」  はっきりと。  フェトーははっきりとそう言った。  彼女の言葉から推測するに……彼女は人間に執着しているようにも見えた。正確に言えば、執着よりも優位性を示したかった、或いは劣等感を意識していたかのいずれかになるのだろう。 「……私を蔑むか? 能力を持たない、この私を! 槍……この魔装具さえ無ければ、ただの人間と変わりないということを!」 「つまり、あなたは……『無能力者(ノン・アビリティ)』ということ?」  フェトーはそれについて、何も反応することは無かった。  無能力者。  名前の通り、魔術にも錬金術にも召喚術にも才能を見出せなかった人間のことを言う。大抵の人間はどれかの術の才能を持っている。その才能が開花したあとの進化、つまりはいかに成長出来るかは本人の努力次第と言えるかもしれない(とはいえ才能を持っていない分野の才能を無理矢理開花させるには、それこそ血の滲むほどの努力を必要とする。それでも、ほんとうにその才能が開花するかは確定事項では無い。あくまでも生まれ持った才能は、その才能が開花しやすいだけなのだ)。  しかしながら無能力者は、それに照らし合わせるとすれば、開花出来る才能を持ち合わせていないということになる。そして、それが意味することは……。 「無能力者は、この社会に適合していないとして『烙印』を押される……。だから、そのあとも無能力者は無能力者らしく生活していかざるを得ない……」  ルーシーは社会の授業で習ったことをそのまま呟いた。 「……その通り。だからこそ、私は能力を与えた。そうして、目的を与えた。それって結局、生きる目的を与えたことに等しいとは思わないかしら?」  声が聞こえた。  振り返ると、そこに立っていたのは、リュージュだった。 「リュージュ……!」  はじめに反応したのはメアリーだった。  もう彼女はリュージュが自分の母親であることを理解していた。理解していたからこそ、否定するのではなく、受け入れねばならないと思っていた。  だからこそ、彼女はリュージュを強い眼差しで睨み付けた。 「……何を考えているのか解らないけれど、その感じからしてみると、どうやら私を『母親』であると認識しているようね。それは至って素晴らしいことであるし、出来ることなら早く成し遂げておきたかったことよ」 「黙りなさい、リュージュ。あなたを。あなたのことを、母親なんて認めたく無い……!」 「強情な娘に育ったものね。いったい誰に似たのかしら? ……うん、それはあまり考えないようにしましょうか。非常に面倒なことになるのは明らかだからね。非効率な作業って、やる気にならないのよねえ……」  そう言って。  リュージュは腰に携えていた剣を引き抜いた。  細身の剣だった。波立っているそれは、燃え盛る炎のようにも見えた。 「……これはフランベルク。炎の剣とも呼ばれている剣のことよ。もともとは両手剣とも呼ばれているけれど、はっきり言ってそれは防御を捨てた無謀な行為に他ならないからね。私としては無駄な行為この上無い、というわけよ」  そうして、フランベルクを一振り。  刹那、メアリーたちの立っていた床が割れた。  割れたその先には空が見えて、地表が少し遠い位置にあった。 「これは……!」 「あまりにもスムーズに浮上していたから気づかなかったかしら? この城塞は空中城塞となっているのよ。即ち今移動しているということ。どこへ、かって? ……それは言わぬが花、ってものでしょう?」  このままだとマズイ。  メアリーは本気で思った。  しかし、しかしながら、それを理解した頃には……あまりにも遅過ぎた。 「……メアリー。本来ならここでは家族の感動の再会と言う場面なのでしょうけれど、そこまで私も甘くは無い。あなたを見て思ったわ……、あなたはやはり排除すべき存在だ、って。たとえあなたに、『適性』があったとしても」  そして、メアリーたちは地上へと落下していった。  リュージュが残したその言葉を、最後まで聞くことも無いまま。 「……リュージュ様。不甲斐ないところを見せてしまいました」  そう言って陳謝したのは、フェトーだった。 「いや。別に問題無いわよ。……だって、相手は腐っても私の娘なんですもの。だとすれば、それなりに大変になることは寧ろ当然と言えるかもしれないわね。見えていた、わけではないけれど」  リュージュは踵を返し、フェトーに近付く。  フェトーはそれを見上げる形だったが、 「……とにかく、『強化』が必要になってくるわね? フェトー。いや、もしかしたらあなたは気付いているのかも。あなた自身では、その力をこれ以上切り開けないということに」 「何を……?」  そうして。  フェトーがリュージュの言葉に疑問を呈した、ちょうどそのときだった。  リュージュがフェトーの胸に思い切り腕を突っ込んだ。  そして、的確に何かを掴み……そしてそれを体外へと出した。 「それ……は」 「あなたの心臓よ」  見せ付けるようにリュージュは言った。  その心臓は身体から切り離されているにもかかわらず、まだ脈打っていた。 「……何を……するつもりだ?」 「何をする、って。そんなこと、簡単ではないかしら? あなたの身体ではこれが限界。ならばどうすればいい? 答えは単純明快。あなたの身体を作り変える。そのためにもあなたの肉体の根幹である心臓を取り出す、ということ。それってあなたにとっても、もちろん私にとっても素晴らしいこととは言えないかしら?」  やはり、狂っている。  フェトーは前々からそう思ってはいたが、いざ自分がそう言われてしまうと、それを改めて実感してしまう。 「……さあ、何も怖くないわ。今はただ、眠りなさい……」  優しい母親のように、彼女はそう言って、フェトーを抱き寄せた。  そしてフェトーはゆっくりと……目を閉じた。  ◇◇◇  僕はバルト・イルファとともに行動をしていた。どこに向かっているのかと何度も訊ねたが、一切答えることはしなかった。 「……お兄様、いったいどちらへ向かわれるのですか?」  ロマの声が聞こえて、バルト・イルファと僕は立ち止まった。  彼女は僕たちに立ちふさがるように前に立っていた。 「ロマ……、どうしたんだい。急に?」 「それは私の言葉です、お兄様」  ロマは一歩前に出る。 「お兄様はリュージュ様の意志を裏切る、ということですか? リュージュ様は予言の勇者を幽閉しておこうという考えであったこと、それはお兄様も私も理解しているはずではないですか。そしてお兄様は否定しなかった。けれど、お兄様は今予言の勇者と共にいる。それは即ち、リュージュ様を裏切ったということと等しくなりませんか?」 「……そうかもしれないね」  あっさりとバルト・イルファは肯定する。  しかし、さらに話を続けた。 「けれど、僕はリュージュ様を裏切ったとは考えていないよ。別にこれは世界のためだ。リュージュ様のためでもあり、君や僕のためでもある」 「それは言い訳にしか過ぎません」  ロマは右手を掲げる。  同時に僕の両腕につけられていたバンドから水が溢れ出した。 「まさか……、リュージュ様はこんなトリガーを残していたとは!」 「お兄様、もうおしまいです。いったいどのような計画を考えていたのかは定かではありませんが、まあ、きっとそれは近いうちに明らかとなるのでしょう。お兄様がそんなことをするとは、思いもしませんでしたが……」  そして、水は僕の身体を包み込んでいく。  僕の意識は落ちていく。ゆっくりと、ゆっくりと。深海に沈んでいくように。 「お兄様、またいつかお会いしましょう。そして、お兄様は私に尊敬されるべき存在でなければならないのですから」  ロマのその言葉を最後に、僕の意識は途絶えた。  ◇◇◇  メアリーたちは船に乗っていた。  なぜ船に乗ることが出来たのか。それは単純明快であって、カーラが船を操縦し落下するメアリーたちの下に配置したためだった。 「まさかあんなものを用意していたなんて……!」  レイナは舌打ちをして、さらに浮上を続ける空中城塞を見つめていた。  メアリーは決意を固めるように呟いた。 「強くならないと」  それが聞こえたのか、ルーシーは頭を掻いた。 「まだフルは助かっちゃいない。とにかく彼を助けないといけない。そして……リュージュの野望を阻止しないと。だけれど、それには力が足りない。その為にも、強くならないといけない。そうだろ、メアリー? 仲間がいる。目的がある。強くなる為には、時間だって惜しむことはないだろう……。それがどれくらいかかるのか、ほんとうに解らないけれどね」  ルーシーの言葉に頷くメアリー。  そして、メアリーたちを載せる船は、空中城塞から落ちてくる瓦礫を避けるように、一旦そこから離れることとなった。  まさに断腸の思いではあったが、このままではリュージュたちを倒すことが出来ない。それが彼らの判断だった。  そして、その判断を知っているのか否か、リュージュも空中城塞で不敵な笑みを浮かべていた。 「……メアリーたちは一旦排除に成功した。予言の勇者の力も無効化した。面白いくらいに話が進んできているわね。いやはや、ここまで来ると神のご加護があるのかしらね?」  リュージュは誰かに問いかける。  しかし、答える人間は誰もいない。 「……さて、後は簡単。世界を壊して、ガラムドの救済を待つだけ。神が『落ちてきた』タイミングを狙って、神を『堕として』しまえばいい。それはもう、後少しの話」  そうしてリュージュは笑みを浮かべたまま、目の前にあるモニターを見据えた。  ◇◇◇  こうして、予言の勇者の物語は終わりを告げた。  だが、これでほんとうに終わってしまったのだろうか?  物語はーー英雄譚はーーまだ始まったばかりだとすれば。  その時間は、もうすぐそこまで迫ってきている。