ハイダルク。  僅かな期間しか離れていないような感じに見えたけれど、いざ向かってみると随分と久しぶりな感じがしてならない。まあ、それについては別にどうだっていいのかもしれないけれど、ついにリュージュと直接対決するとなるとそれなりに緊張してしまうものだ。  ルーシーを見てみると、武者震いをしていた。興奮しているのかもしれない。メアリー以外の僕たちは一度リュージュを目の当たりにしている。会話もしている。だからこそ、リュージュという存在がどれほどに大きい存在であるかは理解していた。 「……何か、寂しいね」  レイナとシュルツさんは、レガドールで分かれることとなった。  だからこの広い船で僕たち三人だけ、ということになっている。  どうして分かれてしまったかと言えば、それは僕から言ったことになるのだけれど、結局のところ、僕たちがリュージュを倒すために行動している。そういう目的をもって行動しているのだ。  しかしながら、シュルツさんとレイナはそれぞれ別の目的があったために、僕たちと坑道していた。  そして、その目的はこのレガドールで達成出来てしまった。  二人はこれからも付いていくという言葉を僕たちに言ってくれたけれど、これ以上僕たちの我儘に振り回されてはいけない。そう思って僕たち三人で決めた結果だった。  ……はずだったのだけれど。 「……なあ、レイナ。どうして君はここに居るんだい?」  厨房の奥にある倉庫。その奥の箱にレイナは隠れていた。どうやら資材の搬入に合わせてうまく紛れ込んだらしい。資材の搬入をした人も言ってくれればいいのに、レイナの口車にうまく載せられたようだ。  それはどうだっていい。問題は、 「どうしてここに居るか、ですって? 簡単よ。私も一緒に世界を救いたい。そう思ったから。シュルツさんなら、居ないわよ。確か『僕はここでやることがある』って言っていたけれど、何がしたいのかしら? まあ、たぶんシュルツさんもシュルツさんでフルたちに力添えしようと何か策を考えていると思うけれど」 「そうじゃなくて……!」  僕が言いたいのはそうじゃない。  助けてくれる。尽力してくれる。はっきり言ってそれはとても有難い。  しかしながら、問題はそうでは無かった。どうしてついてこなくていい、と言ったのについてきたのか、それが問題だった。 「言いたいこともあると思うけれど、はっきり言ってあれでついてこない人間が居るというのがおかしな話だとは思わないかしら? だって私たちはあなたたちとずっと旅をしてきた。いわば旅の仲間だった。けれど、急に『これからは僕たちの戦いだから』ですって? そんなこと、許容できるとでも思っているの。それとも、私とシュルツさんは仲間ではないと言いたいわけ?」  レイナは怒っているようだった。  しかしながら、彼女の言い分ももっともだった。実際問題、彼女のことを見捨てたわけではない。むしろ、これからの戦いで傷ついてほしくないと思ったからこそ、そう言っただけだった。気遣いに近い発言だった、と言ってもいい。  しかしながらその発言は彼女には通らなかった。うまく伝わらなかったどころか、突き放されたと思われてしまった、ということだ。別にそういうことを思ったわけでは無かったのだけれど、そう言われてしまうとつらい。 「……フル。もう仕方ないんじゃないかな」  僕に助け船を出したのはメアリーだった。  メアリーは背中に両手を回して、 「この船に乗ってきた、ということは彼女にもそれなりの考えがあったからだと思うよ。そうでしょう、レイナ? あなただって矜持がある。その矜持を守るために、フルが僕たちの戦いだと宣言しても付いていこうと思った。だからあなたは今ここに居る。そうでは無くて」 「……やっぱり、メアリーは頭がいいよね。隠し通せないよ」  そう言ってレイナは照れくさかったのか、頭を掻きながら笑みを浮かべた。 「そんなことは無いよ。……ねえ、フル。レイナはここまでしてついてきてくれた。それを鑑みてはどうかな。別に引き返してもいいかもしれない。けれど、時間が無いこともまた事実でしょう? だったら正直なところ、もう選択肢としては一つしか無いのかな、って」  メアリーは僕を後押しするように、そう言った。  そして、ルーシーも同意するように頷いていた。  僕はそれを見て、大きくゆっくりと頷いた。 「……うん、そうだね。レイナ、ここまでして、僕たちについてきてくれてありがとう。僕は君のことを仲間じゃないなんて思ったことは無いよ。もし、出来るなら……、これからの戦いもついてきてくれるかい?」  その言葉に、レイナは大きく頷いた。 「あ、見えてきたよ……!」  その返答と同時にメアリーは言った。  それを聞いて僕たちはメアリーの居るほうへと向かう。  メアリーが居たところからは、あるものが見えていた。  リーガル城。ハイダルクの中心にある、立派な城だった。  その城が、燃えていた。 「なんてことだ……!」  リーガル城が燃えている、その姿が僕たちの前に、疑いようのない事実として、襲い掛かった。  船を降りて、リーガル城の城下町に僕たちは到着していた。そこに向かうまで、急いで様子を確認したくて小走りになっていたけれど、それでも町の状態が変わることなんて無かった。 「……どうして、こんなことに……」  そこに広がっていたのは、一言で言えば惨状が広がっていた。  燃える瓦礫、呻き声を上げながら歩く人たち、瓦礫に埋もれている身体を何とか引っ張り出そうと泣きながら力を込めている子供の姿。  そのどれもが、この惨状の様子をより恐ろしいものへと昇華させていた。 「なぜこんなことに……」 「おやおやあ、予言の勇者様の登場かな。それにしても随分と遅かったようだねえ、ロマ?」 「ええ、そうですわね。お兄様。まったく、予言の勇者はいったいどこで油を売っていたのでしょうか?」  声が二つ、聞こえた。  踵を返し、そちらを振り向く。  そこに立っていたのは僕たちの予想通り――バルト・イルファとロマ・イルファが経っていた。 「まさかお前たちがこれを……」 「さあ、どうでしょう? けれど、はっきり言わせてもらうよ。君たちがもう少し早く来ていればこの惨状も実現しなかったのではないかな?」 「何を……!」  歯を食いしばってそう言ったけれど、少し視点を変えてみればそうなのかもしれない。  一般の人間から見れば自分たちを助けてくれるはずの予言の勇者はなぜ現れないのか、となる。そして今やってきたとしても、どうして今頃やってきたのか、もう少し早くやってこられなかったのか、と批判を受けるのは火を見るよりも明らかだ。 「何を言っているのよ! あなたたちが炎や水の魔法でこんなことをしなければ……この町はこんな風にならなかった! フルがどうこうじゃない、あなたたちが燃やしたのが悪いんじゃない!」  そう言ったのはメアリーだった。同時に負のスパイラルに陥りかけていた思考が引き戻される。 「フル、しっかりして。あなたを精神攻撃でどうにかしようとしているみたいだけれど、絶対に屈してはいけないわ。あなたは強い。そしてあなたは絶対に遅くなったわけじゃない! もっと言うならば、遅くなった原因を作ったのは……紛れもない、あいつらなのだから!」  それを聞いたバルト・イルファは舌打ちする。どうやら彼らもあまり余裕が無いようだった。もしかしたら『計画』とやらの終わりが差し迫っているのかもしれない。  だとすれば好都合だ。余裕が無いタイミングを狙えばこの状態でも何とかなるかも……。 「何とかなる、と思ったのですか?」  冷たい口調でそう告げたのはロマ・イルファだった。 「お兄様も。余裕が無い、時間が無いのは解りますけれど、戦闘で気を抜いてはいけないのではないのですか。お兄様らしくありません。あの予言の勇者に誑かされたのが原因でしょうけれど……、でも、それはリュージュ様から見れば言い訳にしか見えません。先ずは、何とかしなければなりません」 「あ、ああ……。そうだったね。ありがとう、ロマ。君のおかげで何とかなった」 「いえいえ。私はお兄様のために存在しているのです。お兄様が居なければ、私は……」 「どうする、この状況……」  メアリーに問いかける。  イルファ兄妹がこちらに目線を向けていないうちに、こっそりと作戦会議を開始する。  いくら何でも加護を全員受けている状態だからと言って、イルファ兄妹を二人とも倒せるとは考えられない。ならばうまく二人を分割させればいいのだろうが……、それでもどう上手く分割出来るかが難しい。 「今は逃げるか? ……でも、いつかは倒さないといけない相手であることも間違いない。となると……」 「逃げるつもりかい?」  声が聞こえた。  油断していた――! そう思った次の瞬間には、僕たちの目の前に炎が迫っていた。  しかしながら急いでシルフェの剣を引き抜いて一閃。するとシールドが目の前に広げられて、炎の攻撃を遮った。 「ふん。……やっぱり予言の勇者だけはあるね。簡単にシールドで弾いてくる。はっきり言って、怨めしいなあ。もう少しうまくいくとは思ったけれど、まさかここまで君たちと戦いが縺れ込むことになるとは思いもしなかったからね」  バルト・イルファは愉悦にも似た笑みを浮かべつつ、再び炎の魔法を放つ準備をし始める。  守るばかりじゃだめだ。こっちも攻撃をしないと!  そう思って僕は、頭の中にある魔導書の中から魔法を一つ――選択した。 「ミーシュ・クライト!!」  詠唱。  同時に、地面が大きく割れてバルト・イルファのほうにその地割れが広がっていく。 「ふん。地割れで僕を飲み込もうという作戦かな。それに……詠唱ということは、それはガラムドの書にあった魔法、ということか……」  バルト・イルファは何かぶつぶつと呟いていたけれど、地割れの音に掻き消されてしまって何も聞こえなかった。  そしてその地割れはそのまま――イルファ兄妹がいた地面を分断した。  イルファ兄妹の足場を破壊したとしても、それでも勝ったとは思えなかった。やはりイルファ兄妹はそれ程に強い存在であるということ。そして、イルファ兄妹の気配がまだ色濃く残っていたからだった。 「……簡単に僕たちを殺せると思ったら大間違いだよ、予言の勇者。まあ、もしかしたら弱い君たちならばそんな想像をしたのかもしれないけれど」  想像通り――バルト・イルファは僕たちの目の前に姿を見せた。地割れによって土煙が立ち上がり、少しの間ではあったけれど、イルファ兄妹が居た場所は隠れてしまっていた。  バルト・イルファは律儀にも土煙が消えるまで何も行動しなかった。いや、正確に言えばそれが利口な考えなのかもしれない。土煙で視界が充分に確保されていない状態で攻撃をしたとしても当たるとは思えないし、敵の罠が仕掛けられている可能性も考えられる。  ロマ・イルファはバルト・イルファの隣で笑みを浮かべ、 「お兄様。だとすればお笑い種ですわ。予言の勇者はそこまで何も考えられないなんて!」  ロマ・イルファが僕を煽り出す。  兄妹、ほんとうによく似ている。それでいて、二人とも強い。はっきり言ってどちらかを離しておかないと倒すことは難しいだろう。二人の連係プレイがどういうものかはっきりとしない以上、その辺りはきちんと対策しないといけないだろう。 「……今度は、こっちから行くぞ!」  バルト・イルファが跳躍する。  その跳躍は軽く僕たちの頭を飛び越えてしまう程の高さだった。  そしてバルト・イルファは僕たちの頭上から、炎魔法を撃ち放った。  しかしそんな攻撃で倒れる僕たちではない。簡単に剣を一振りしてしまえばバリアを張ることができる。少なくともバルト・イルファの攻撃はそれで遮蔽することが出来るようだ。  問題はこちらからどのように攻撃すればいいか、ということ。守り続けることも間違いではないのだけれど、攻撃をするのも難しい現状ではこの戦闘を終えることもままならない。はっきり言って、このままではバルト・イルファが押し勝つ状況が見えてきても何らおかしくない。  ならばどうすればいいか、という話になるわけだけれど、結局そんなものは決まっていた。  攻撃できない場所ならば、相手をそこまでおびき出せばいい。 「メアリー、今だ!」  僕はメアリーに声をかける。メアリーはすでに準備が完了しており、その言葉に大きく頷いた。  メアリーは水の砲撃を開始する。とはいえ、錬金術は魔術のようにそのまま無から有を生み出すことは出来ない。  しかしながら、錬金術はその媒体さえ作り出してしまえばそれに則したものを作り出す放つことができる。メアリーが錬金術で作り出したものも、その水を生み出すに値する媒体であった。  巨大なポンプ。  メアリーが錬金術で作り出したのは、それだった。  そしてそのポンプは勢いよく水を出していく。  バルト・イルファに命中したその水は、彼が放った炎すらも飲み込んでいった。 「やった! これなら……」 「これなら、何だって?」  ぞわり。  僕たちの背筋に、寒気が走った。  今、バルト・イルファの声がした? そして、バルト・イルファは何と言った? 「……まさか、秘策がこれだっただとか、そういうことはないよね。幾ら何でも弱すぎるよ、秘策が。さあ、さっさと終わりにしてしまおうか、予言の勇者」  バルト・イルファは無事だった。  水が消えてしまったとしても、そんなもの受けなかったかのように毅然とした態度でその場に立っていた。浮かんでいるのだから、実際には立っていたではなく浮かんでいたのほうが表現としては正しいのかもしれないが。  そして、バルト・イルファは再び炎を作り出す。  その炎は手に収まりきらない程に大きくなっていく。炎はゆっくりとその手を離れて、最終的に彼の頭上に鎮座するほどまで大きくなっていく。  そして、その炎は、彼の身体の倍近くまで膨れ上がった。  絶望。  その一言が似合う状況とは、まさにこのことだったのかもしれない。  そして、バルト・イルファは呟く。 「――死ぬがいい、予言の勇者。もう少し骨のある戦いが出来ると思っていたのだけれど、残念だったね」  バルト・イルファは炎を僕たちに向けて投げた。  流石に今回は間に合わない。剣を一振りしてバリアを出そうたって、それがその炎を耐え得る強度かどうかも定かではない。だからといってそのバリアを超えるバリアを作り出せるかといわれると無理だった。 「――バリアード!」  声が聞こえた。  刹那、僕たちの周りにさらに堅固なバリアが出現した。さっき僕が剣を一振りしたことで生み出したバリアは薄膜のようなものだったが、こちらはガラスのように一部屈折しているようにも見える。 「……何とか間に合ったようね、フル、ルーシー、メアリー」  そして、僕たちは振り返る。  背後に立っていたのは僕たちもよく知る人物だった。 「サリー先生……!」  そう。  サリー先生が黄金に輝く果実――知恵の木の実をお手玉よろしく手でぽんぽんと投げながらそこに立っていた。 「サリー・シノキス。逃げ足が速かったからここにはやってこないものだと思っていたよ」  地面に着地したバルト・イルファはそう言って、ニヒルな笑みを浮かべる。  それを見た僕はサリー先生に問いかける。 「逃げ足が速い、って……。そんなことは無いですよ、ね? バルト・イルファの言っていることは真っ赤なウソ、ですよね」 「そうだぞ、バルト・イルファ! 何を根拠にそんなことを言っているんだ。サリー先生は立派な、僕たちの先生だ!」  それを聞いたバルト・イルファは舌なめずり一つ。 「ふうん……。だったら別にそれでもいいけれど。それにしても、少々間違いを孕んでいるように見えるけれどねえ……、そこにいるサリー・シノキスは何も言わないようだけれど、どうやらそれを隠したいのかな。サリー・シノキス。君はずっと逃げ続けていたじゃないか。十年前のあの時も、そして、この前のラドーム学院が僕たちに襲撃された時も」 「ラドーム学院が……襲撃?」  僕たちはそれを聞いて目を丸くした。  対して、サリー先生は僕たちから目をそむけるように、バルト・イルファに目線を向ける。 「バルト・イルファ、戦力を分散させようとしてもそうはいかないわよ……!」 「はてさて、どうかな? そう思っていても、君のかわいい生徒はどう思っているのだろうね?」 「……それはっ……!」 「サリー先生、本当なのですか?」  言ったのは、ルーシーだった。  僕は何も言えなかった。そして、メアリーも同じだった。メアリーもまた俯いたまま、何も言えなかった。  サリー先生はルーシーの表情を見て答えるしか無かったのか――小さく頷いたのち、 「ええ、そのとおりよ。フル、メアリー、ルーシー。バルト・イルファのいう通り、ラドーム学院は彼らに襲撃されて敵の軍門に落ちました。いや、正確にはそうではないわね。落ちたのは間違いないけれど、彼らは誰一人として生かすことはしなかった。そこに居た全員が、殺された。生き残ったのは……私だけ」 「そんな……。ラドーム学院が滅ぼされたっていうんですか! 先生たちもみな……」 「ええ。そして、私は逃げた。惨めかもしれないけれど、私は生き延びた」 「戦うこともせず、逃げ続けたのだよ」  バルト・イルファは話を続けた。  もう耳を塞ぎたかったけれど、恐らくそんなことは彼には関係なかったことだろう。 「サリー・シノキスはいつも逃げていた……。彼女は弱い人間だったからね。知っているかどうかは知らないけれど、彼女はかつてある組織に所属していた。僕たちの組織、魔法科学組織『シグナル』に……」  それを聞いた僕たちは、驚きを隠すことは出来なかった。  対して、サリー先生はずっと俯いたままだ。 「彼女はある研究をしていた。人が触れてはならない、禁忌の術。その名前は……『分解錬金術』。ふつう、何かを構成することが主たる術になっているのだけれど、分解錬金術は名前の通り、分解することを目的とした術だ。そんなことは人間には出来ない。まあ、錬金術自体若干触れているところがあるかもしれないけれど……、はっきり言って分解のほうがずば抜けているだろう。人間を、その構成要素一つ一つに分解できる錬金術、それを簡単に放つことが出来るとしたら?」 「……それを?」 「ええ。私が研究していた。あの頃は……、正直言って自分でも何をしているのか解らなかった。ただ自分の興味の延長線上に、支援をしてくれるところがあったから、そこで協力していただけ。あの頃は、まさかそんなことになるとは思いもしなかったけれどね……」  サリー先生は落ち着いた様子で、僕たちに語り掛ける。  バルト・イルファはそれをニヒルな笑みで見つめていた。 「……別に騙そうとか嘘を吐こうとか、そんなつもりは無かったのよ? ただ、私は、ずっと……神様に逆らっていたことを、謝罪し続けていた。色々とあって……シグナルを逃げ出した。そして私は、ラドーム校長の斡旋があってラドーム学院に入ることになったのよ」 「結論として……、サリー・シノキスは結局逃げ続けた人生だったということだよ。弱虫だ。君たちがずっと慕っていた先生は」 「違う、違うわ!」 「サリー先生は……弱虫なんかじゃない」  サリー先生の声をかき消すように、僕は声を出した。  バルト・イルファは首を傾げて、深い溜息。 「予言の勇者よ。信じたくない気持ちは解らないでもない。けれど、これは真実だ。紛れもない真実だよ。それを受け入れたくない気持ちも充分に理解できる。だけれど、信じることも大事ではないかな?」 「違う……。僕は、僕たちはとっくにそれを受け入れているよ。信じているよ。けれど、そんなことじゃない。僕たちが見ていたサリー先生は、決して弱虫じゃない。決して臆病じゃない! 優しくて、とても強い、いつも僕たちの味方をしていたサリー先生だ!!」 「ふん……。何を言い出すかと思いきや、結局精神論に過ぎないじゃないか。サリー・シノキスは二度もその場から逃げ出した。それは紛れもない事実だ。信じたくないと思うのは自由だけれど、真実を受け入れることも大事だとは思わないかい?」 「お兄様。たぶん、何を言っても無駄です。彼らは真実を受け入れることはないでしょう。叩き潰すしかありません。もともとの予定通りに」 「うーん、仕方ないかあ。とにかく、倒さないと何もかも進まないからね。それは紛れもない事実だし、リュージュ様もそういっていた。けれど、最後のトリガーは予言の勇者が引く必要がある。そういわれているのだから」  僕が、トリガー?  リュージュが行おうとしている目的と、僕が世界を救うということ。それは同義だということなのだろうか? ――いや、そんなことは有り得ないし、考えたくない。  バルト・イルファの話を遮るように、サリー先生は言った。 「ヤタクミ。あなたは知っているかどうか解らないけれど、リュージュの計画、その第一段階はコンピュータ『アリス』によるマインド・コントロールのはずです」  それを聞いたバルト・イルファの表情が一変するのを僕たちは見逃さなかった。  そして、バルト・イルファは苦悶の表情を浮かべ、大声を上げる。 「なぜ、それを知っている!」 「校長はどうやら昔からリュージュに被疑をかけていたようだった。……まあ、その証拠が見つからなかったから断片的なものでしか無かったらしいのだけれど。そして、最終的にリュージュがあるオーパーツを所有していることが明らかとなった。オーパーツ、とは言っても結局のところそれは旧時代に開発されたものなのだけれど」 「コンピュータ『アリス』……それはいったい何だというのですか?」  メアリーの質問に、サリー先生は首を傾げた。  そのような質問が来ることは想定内だったと思うのだが、サリー先生はそれでも首を傾げていた。 「……ごめんなさい。その質問ならば、来るのは想定していたけれど、それに対する回答は出来ない。正確に言えばその質問に対してあなたたちを満足させられるような回答を持ち合わせていない、というのが正しいかもしれないわね……」  首を振り、サリー先生はそのまま地面を見つめる。  しかしすぐに顔を上げると、僕たち四人の表情をそれぞれ見つめた。 「いずれにせよ、あなたたちが次にすべきことはたった一つ。『アリス』を止めること。それがどのようなものであるかははっきりとしていないけれど……、それでも、それが出来るのはあなたたちだけ。なぜならあなたたちは世界を救う勇者なのですから」  そしてサリー先生は僕たちの背中をばん、と叩いた。  とても痛かったけれど、それは一つの『勇気』をもらった気分になった。  だから僕たちは、大急ぎで走っていく。  アリスを止めるために。  そして何よりも――リュージュを止めるために。 「逃がすと思っているのか!」  バルト・イルファ、ロマ・イルファが背後から僕たちを追いかけようとする。  しかし、 「バードゲイジ!」  サリー先生がイルファ兄妹を鳥かごのような空間に閉じ込めた。 「……あなたたちの相手は私がじっくりとしてあげる」  踵を返し、僕たちに手を振ったサリー先生は、 「行きなさい! 私のことは、どうだっていいから!」  そう、言った。  そして僕たちは振り返ることなく――アリスの手がかりを探すべく、瓦礫と化した街の中へと走っていくのだった。  ◇◇◇ 「強い反応がある」  ルーシーの言葉を聞いて、僕たちは城内へと足を踏み入れた。  進むにつれて、一つ、大きな『異変』を感じ取ることが出来た。  それは襲い掛かってくる人たちのこと。襲い掛かってくる人たちは明確な悪ではない。給仕であったり兵士であったり……皆一般的な市民であった。まるで何か大きな意志に操られているような、そんな感覚だった。 「傷つけないで! きっと彼らは何かで操られているだけよ。動きのみを封じるのよ!」  そう言ってメアリーは彼らの足元に草を生やし、それを結ぶことで足を引っ掛けさせ、そのまま彼らの動きを封じた。 「それさえ聞けば……どうということはない!」  僕もそれに従い、スタンガンのように電撃をぶつけて気絶させていく。あくまでも気絶させるのが目的なので電流は少ない……はずだ。加減出来ているかどうかは解らないけれど、黒焦げになっていないからたぶんそのあたりは問題ないだろう。  ルーシーはどうしているだろうか――ふとそちらのほうを見てみると、常人には追い付けないようなスピードとパワーで次々と襲い掛かってくる人たちをねじ伏せていた。正確には一撃一撃が見えないほどのスピードで相手を気絶させている。 「……ルーシー、そのスピードとパワーはいったい……?」 「どうやら、主従融合というらしい」  ルーシーは自分の腕を見つめながら、そう言った。  ルーシーの話は続く。 「僕もこれがどれくらいの力を秘めているのかは解らないけれど……、でも守護霊と力を合わせることで、人並み外れたパワーとスピードを得る事が出来るらしい。現に今もそうだった。まるでこれは自分の力ではないような、そんな錯覚に陥るくらいだったよ」  そう言ってルーシーは笑みを浮かべる。  そうして僕たちはそれぞれの力を駆使して人々から戦力を奪っていったが――それでも処理能力が追い付かない。  埒が明かないと思ったのか――メアリーは舌打ちを一つして、僕たちに声をかける。 「もう、我慢できない! ……みんな、私のほうに集まって!」  声を聴いて、僕たちはメアリーのほうへと集まる。  同時に、メアリーは持っていたシルフェの杖で地面をトン、と叩く。  刹那、僕たちの居た部分の地面が大きく塔のように競り上がっていく。ゾンビのように僕たちに襲い掛かってきた人たちはそれによって地面に落下する人たちもいれば、塔を崩そうと無意味な攻撃を続ける人たちも居た。 「これで何とか目の前の問題は解決するはず……!」  メアリーはそう言って、深い溜息を一つ吐いた。  僕たちが次に地面に降りたったのは、周囲に誰も居ない広場だった。無論そういう場所を求めていたのであって、そこはちょうど理想な場所だったと言えるわけだが。  円盤のように象られたその空間は、まるで何かの舞台のようにも思えたが、それは結局ただの僕の思い違いに過ぎなかった。 「……静か、ね」 「そうだね……」  メアリーが言った通り、その場所はとても静かだった。正確に言えば遠くに人々の喧騒が聞こえてくるので全くの無音というわけではないのだが、それでもあまりにも静か過ぎる。まるで何者も寄せ付けない結界が張られているかのように。 『侵入者を発見いたしました』  ひどく滑らかな声だった。人間だったらつけるべきタイミングでつける抑揚がつけられていなくて、逆につけなくていいところで抑揚がついている。簡単に言ってしまえばあべこべな抑揚だった。  腰まで届きそうな金のロングヘアーにその背格好には見合わないぶかぶかの白のワンピース。  そんな少女がそこに居た。  少女には感情が一切見られなかった。もっと言ってしまえば生気すら感じられなかった。それはどういうことだったのかその時の僕たちには判別が付かなかったわけだけれど。  動きがあったのは、そのあとすぐのことだった。 『目視により身体的特徴を確認。……「ホープ・リスト」と照合します』  そして、少女はその場から、消えた。 「……痛っ」  刹那、僕の頬を何かが擦った。  頬を触るとぬるりと暖かいものが触れる。それを手に取って見ると、赤い液体だった。  それが血であることに気付くまでそう時間はかからなかった。頬の傷はそう深くなく、擦り傷程度のようだった。  そして背後を振り返ると……そこにはあの少女が変わらぬ姿で立っていた。  ただ一つ違うところを上げるならば、少女の右手にあったナイフに赤い血がべっとりとついていることだった。 「今のスピード……、主従融合した僕でもまったく捉えることが出来なかった……!」  ルーシーはそう言って、少女を睨み付ける。次はそのようなことはさせない、という彼なりの構えだったのかもしれない。  しかしながら少女はこちらに向かってくる様子は無く、僕たちをただ見つめているだけに過ぎなかった。気持ち悪いほどに、ただじっと見つめていた。 『DNA情報が一致。三名のうち一名を「ホープ・リスト」内の人物と断定。状況報告を開始致します』  そう言って、少女は一歩近づく。  僕も、ルーシーも、メアリーも、次こそは先手を取られない、いや、取られてたまるかという強い思いを抱いて構えを取っていた。  だからこそ、次の少女の行動が、まったくもって想像出来なかった。  少女は僕たちに近付いて、ちょうど僕と二メートルくらい離れたあたりで立ち止まり、そのまま跪いたのだった。 「……え?」  当然、僕たちは困惑してしまう。今まで僕たちに戦意を抱いているように見えたため(とは言っても感情は一切見えないから、それはただ行動を見て評価しただけに過ぎないのだけれど)何故そのような行動を取ったのか解らなかった。  行動さえ見れば、真逆とも取れる行動だ。一言で表せば一変、或いは豹変という言葉が似合うかもしれない。  いずれにせよ、少女の行動には理解し難いものがあった。 「……待って。今あなた、状況報告と言ったわよね? それってこの世界に関しての状況? それともフルが元々居たという世界と関係ある状況のこと?」 『……「現地人」にはもう状況がある程度察せていましたか。もっとも、現地人というよりも正確にはこう言ったほうが正しいのかもしれませんね?』  一息。  少女は一拍置いたのち、話を続けた。 『……未来人、と』  ◇◇◇  未来人。  少女はメアリーたちを指し示してそう言った。それはつまりいったい、どういうことなのだろうか。いや、言葉の通りに意味を取ってしまえば、メアリーたちは未来人でつまりここは未来の世界ということになる。  誰の世界から見て未来になるのか?  答えは単純明快。僕の世界から見た未来となるだろう。あの少女が言ったリストという言葉が気になるけれど……、それでも先ずは少女の話を聞くしかない。  思えば、いろいろと変わった点が多かった。  科学が主体ではなく、魔術が発展した世界。  しかしながら、メアリーは日本語を話すことができるし、ところどころに僕の居た世界のものがオーパーツよろしく紹介されていたこともあった。  つまり、 『地球復活計画(リバイバルプロジェクト)をファイナルフェイズに移行。生還者への状況報告を開始致します。改めまして、地球への生還おめでとうございます。先ず、私の名前から申し上げましょう。……私の名前は、Messiah(メシア)型アンドロイド「アリス」と申します』 「……え?」  僕たちはアンドロイド『アリス』が言った言葉の意味が理解出来なかった。 「待って。情報の整理が追いつかないのだけれど……。つまり、どういうこと?」 『この時代は仮に西暦で呼べるとするならば、12062年。あなたが実際に生きていた時代から「一万年後の未来」になります』 「一万年後の……未来?」 『そうですね。……私もさっき「状況報告」と言ってみましたが、一万年というのはあまりにも長い年月で、私の記憶媒体も徐々にその容量を確保出来なくなっています。メモリというのは読み書きをすることによって劣化していきます。何万回か何千回か……どれくらいになるかは解りませんが、いつしか寿命はやってきます。そしてその寿命を超えないように、なるべく読み書きしないようにしてきましたが……、それでも、一万年という年月はあまりにも長かったようですね』 「いや……、そんなことじゃない。そんなことは関係ない! 問題はどうして……その……」 『人間の文明が、あっけなく滅んでしまったか、ということについてですか?』 「……っ!」  僕は痛いところを突かれたような気分になった。  まあ、とは言ったところで、別に僕の発言に矛盾が生じてしまっているというわけでもない。実際のところはアリスが言ったその発言に動揺を隠すことができないだけだった。 『あなたが住む世界は、あなたが生まれてくる少し前から景気が悪くなってきました。いえ、正確にはそれだけの問題ではありません。環境汚染、食糧問題、戦争や紛争……、問題は数多くありました。それこそ、数え切れない程に』 「……確かに、そうだったかもしれない。けれど、それと僕がどういう関係に? 僕は確か、」 『あなたは選ばれた人間なのですよ。ホープ・リスト、私も先程申し上げましたが、そのリストに書かれた人類こそが世界の希望たる存在となっていました』  僕が、世界の希望?  いったい全体どういうことだというのだろうか?  アリスから面と向かってそう言われたところで、やっぱり信用出来ない。というよりも理解の範疇を超えている、と言ったほうが表現としては正しいのかもしれない。 『……話を続けましょうか。そのリストに書かれていた人物は合計で五万人。男女の番(つがい)で考えれば、二万五千。それが救うことのできる最大量でした』  五万人。  確か僕がいた頃の全人類が……七十二億人くらいだったか? それを考えるとけっこうな選民主義だ。いや、もしかしたらもうそれしか手が無かったのかもしれないのだけれど。 『世界の問題を解決するにはどうすればいいか。はっきり言って並大抵のことでは解決出来ません。そんなことは当然ですし、解りきっていました。ならばどうすれば良かったのか? 何日も何日も考えた結果、世界のトップはある方法を考えました。単純ですが面倒な、もしそれが事前に判明してしまったら大問題になりかねない大事故が……』 「それは……いったい?」 『模擬的に世界を破壊することです。リセットする、とでも言えばいいでしょうか? いずれにせよ、それは簡単に出来ることではありません。アイデアだけ考えてしまえば、ひどく単純ではあったのですが』  それにしても良く喋るロボットだった。僕が知っているロボットというのは、人間によってプログラムされた言葉しか話すことが出来なかったはずだった。それは即ち、このように人間みたく自然に言葉を話すことは出来ないということだった。  にもかかわらず、アリスは普通に話している。もしかしたら、アリスの居た世界と僕の居た世界は似ているようで違う世界なのではないか……? 『話を続けましょうか。その世界をリセットする行為ですが、メリットは簡潔であった以上にデメリットもまた簡潔でした。それは、リセットしたあとの人類が無事に生きていけるのか、ということでした。……当然ですよね、リセットしたあとは文明が殆ど残りません。残ったとしてもそれを維持していくためのエネルギーを生み出すことが非常に大変になるのですから』 「それでもなお……、世界を破壊しないといけなかった、ってこと? その……私たちのご先祖様は?」  ご先祖様。確かにそういう解釈になるのか。一万年も前の話を真剣に聞いていられるメアリーたちもメアリーたちであるけれど。僕だったら信用出来ずに直ぐ無視してしまうだろうけれど。  アリスは頷いて、さらに話を続けた。 『まあ、結果として一万年後、ゆっくりと人類の文明は復興していきました。いや、それだけではありません。一万年前とは違う新たな技術を発展させていき、最終的には元々の世界とは少し違った世界が作り出されました』 「魔術、か……」  今度はルーシーが言った。  魔術。確かにそれは元々の世界には無かった技術だ。ということはこの一万年の間、どこかで運命の悪戯が起きて魔術が世界の仕組みに組み込まれるようになった、ということなのだろうか。ううむ、話を聞いているだけで頭が痛くなってきた。 「……つまり、だけれど」  暫く何を話せばいいのか解らなかった僕たちは沈黙していた。  そして、その場の沈黙を破ったのはメアリーだった。 「フルから見て……私たちは未来人。そしてこの世界は一度滅んで……それから『魔術』が発展した形でこの世界は一万年かけて復興した、ということなの……?」 『その通りですよ。……ええと』  どうやらリスト以外の個人情報はインプットされていないらしい。もしかしたらそれすらもメモリの老朽化が原因なのかもしれないが。  そもそも、一万年前に作られたロボットが今も動いているということ自体がオーパーツなのではあるけれど。 「メアリーよ」 『ああ、メアリーですか。解りました。メモリがどうも古くなってしまって、こういうことも解らなくなってしまって。申し訳ありません。もしかしたら、また名前を忘れてしまうかもしれませんが』 「いいのよ、そしたらまた名前を言ってあげる。何度だって言ってあげるわ。その方が、あなたも覚えやすいでしょう?」  ロボット……というか機械全般として、得た情報はメモリに保存するため、0と1のデータに変換されてから保存される。即ち、一度覚えてしまえばこちらから消去しない限り忘れることは無いのだが……、それを言うのは野暮なことかもしれない。 『ええ……、そう。そうですね、ありがとうございます。メアリー。では、話を続けましょうか。あまり本筋から逸脱することも、悪くありませんが』  そう言って、アリスは再び話し始めた。 『そもそもの始まりは地球温暖化と呼ばれる現象からでした。地球温暖化とは名前の通り、地球が暖かくなってしまう現象のことを言います。それによって何が生まれるでしょうか? 解答は非常にシンプルなものでした。地球の氷が溶けてしまい、海水位が上昇してしまいます。そうなると、ただでさえ少ない人間の住処がさらに少なくなってしまうことでしょう。さらにそれほどの環境変化はそれ以外の動物にも変化を齎し……何が起こるか解らない状態へと昇華する。その当時の科学者は口々にそう言っていました』 「……そのために、地球をリセットしたのか?」 『それ以外の理由があったこともまた事実です。しかしながら、大元となったのは間違いなくその現象であったと考えられます。そうして2011年、ある災害が人間を襲いました』  記憶に新しい、あの災害のことか? 僕の知り合いも、そして、僕自身も被災したあの大災害。全世界が僕の国を心配し、全世界から義援金が送られた。それと同時にやり過ぎと言ってもいいくらいの『自粛』ブームへと発展していった。まあ、それ自体は僅か数ヶ月で終わってしまったのではあるけれど。  アリスの話はさらに続く。 『それによって世界は甚大な被害を受けました。それと同時に、世界のトップたちの中にはある一つの考えが浮かび上がることになりました』 「……それは?」 『地球復活計画、通称リバイバル・プロジェクトです』  リバイバル・プロジェクト。  これで漸く最初にアリスが言っていた言葉の意味が繋がった。つまり僕はリバイバル・プロジェクトの被験者として、一万年もの時を超えたのだ。  ……でも、どうやって? 『地球復活計画。そんなものが成功するとは思えない。それが当時の殆どの人間の考えでした。しかし、ある占い師がこのプランを推したことで実現しました。その占い師は予言をすることが出来ると言っていたそうです。断定的になってしまっているのは、リアルタイムで彼女にお会いしたことが無いからですね』  彼女、と言ったということは女性ということになるのか。その占い師はよっぽど信頼を得ていたか実力を持っていたのだろう。 『……彼女の言葉には半信半疑になる人間も多くいたかもしれませんが、彼女の予言は必ず当たっていました。だから彼女の言葉に、結果として従うこととなりました。彼女がこのプランを推していたころからこのプランが実行されることは自明だったのかもしれませんが』 「それにしても、その占い師って随分と優秀で、なおかつ相手を手玉に取るのが上手いのね。何というか、今のリュージュに通じるものがあるのかもしれない」 『結局、彼女のプランは実行されることとなりました。それによって、三十年近い準備期間が必要となりましたけれどね』  それを聞いて、僕は首を傾げた。  今アリスは何と言った?  準備期間が三十年?  それだとしたらおかしい。僕がこの世界にやってきたのは2015年だ。もし2011年から直ぐ準備を始めたとしてもそれが終わるのが2041年。だめだ、どう考えても計算が合わない。 「ちょっと待ってくれ。そいつはおかしくないか?」  だから僕はその言葉に辻褄が合わないことを物申すためにアリスに声をかけた。 『どうかいたしましたか? 何か私の説明に不備でも……?』 「不備というか辻褄が合わないんだよ、それじゃあ。僕がこの世界にやってきたとき、確か時代は2015年だった。でも、準備期間は三十年かかったんだろ? だったら最低でも僕は2041年以降にこの世界に来ていないと論理的におかしいことになる」 『……! それは、どういうことですか。つまり、あなたは2047年にコールドスリープされたわけではない、と……』 「だから言ったじゃないか。僕は2015年からやってきたんだ。だからその話は間違っているはずなんだよ」  それを聞いたアリスは表情を曇らせる。――いや、それは嘘だった。仮に人間であるならば表情を曇らせるかもしれないというだけで、アンドロイドの彼女には表情を変えることなど出来ず、ただ無表情を貫くだけに過ぎなかった。 『しかし、それは有り得ません。あなたは「ホープ・リスト」に明記されています。それを鑑みるにあなたは2047年からコールドスリープされていないとおかしい。いえ、されているはずなのですから』 「でも……!」  だからといって、証拠が無い。  アリスにはDNA情報という確固たる証拠があるけれど、それに対して僕には何も証拠が無い。その状況だけ考えてみるとアリスが有利であることは火を見るよりも明らかだ。  いや、それどころか。長くこの世界に来ているからか、徐々にその記憶が薄れてしまっていることも事実。もしかしたら2015年ではなくて、ほんとうにアリスの言うことが正しいのでは無いか?  いや、待てよ。……いまさっき、ホープ・リストには五万人もの人間が居ると聞いたけれど、それっていったいどういうことだ? 「ちょっと待ってくれ。もし、僕がホープ・リストに名前のあった人間だとして、残りの四万九千九百九十九人はどこに行ってしまったんだ? 流石に全員消えてしまったとか、そういうことではないよな?」 『……確かに、そう言われてみると残りの方々はどこへ消えてしまったのでしょうか? でも、あなたはこの世界に居る。流石に全員が失敗したとは考えにくいのですが……』  言いたいことは解る。  けれど、僕たちだって知らないこともあるし、僕だって気が付けばラドーム学院の自分の部屋に居た。だからどれくらいの人間が僕と同時にこの世界にやってきたかどうかなんて定かでは無い。はっきりとしない、とでも言えばいいかな。けれど、もし同じ言語を話す人間が周りに居るとすればどちらかが気付くはずだ。そしてレスポンスがやってくるはずだった。それが来ない、ということは僕以外の人間はこの世界にやってきていない、ということになる。はっきり言って、それは自明なことだと言えるだろう。 「……確かにラドーム学院に、フルのような人間はフルしか居なかった。だからそれは正しいと思う。この世界には……正確に言えばこの時代にはフルしかやってきていないのではないかしら?」  言ったのはメアリーだった。メアリーの発言には僕も完全に同意だ。それにメアリーの発言には理由がある。  彼女はラドーム学院の学生だ。だから学校のことはある程度理解しているはずである。そして、僕がやってきたのは昔から知っているとどこかで聞いた覚えがある。もし、その時にほかの人も出てきていることを知っているならば――仮に日本人が居れば、という話にもなってしまうが――日本語を話すことの出来るメアリーに興味を示すはずだ。  それが無いとみれば――メアリーもそれを理解しているのだろう。僕のような人間は、僕しかいなかった、ということに。 『いや、しかし……。それは有り得ません。成功率は九十九パーセント以上。そう設計されてテストも実行されて、その後に五万人のコールドスリープが実行されたはずです』 「ねえ。コールドスリープがどういうことなのかよく解らないけれど……、時間がずれていた、とかそういうことはないのかな? 例えば、フルだけコールドスリープの時間が一万年になっていて、ほんとうは違うとか……」 『それは考えられません。それに、コールドスリープは冷凍保存のことですね。人体を冷凍して、仮死状態で保存する。そうすればほぼ永遠の時間その身体を保持することが出来るのです』  即座に否定されたルーシーはばつの悪そうな表情を示す。そりゃそうだ、あれほど本気で考えた意見をそのまますぐに否定されてしまえばテンションが下がるのも当然だろう。  結局のところ、今までのことを整理するとやっぱり僕以外の人間はコールドスリープが失敗したのではないか、という結論になってしまう。だってそれ以外の人間は見られないのだから、そういう考えに至るのは至極当然なことだと思う。  アリスの事実を聞いて、僕たちは情報を整理しきれずに手詰まり感を覚えた――ちょうどその時だった。  僕の身体が、ふわりと浮かび上がった。 「フル!!」  メアリーが叫んで、僕の身体を地面へ戻そうとする。  けれど浮かび上がる力のほうが強く、メアリーの手も離れて行ってしまう。 「これはいったい……!」 「ついに予言の勇者を手に入れたわ」  上空には小さな飛空艇が飛んでいた。一人乗りのそれには、ある女性が腰かけていた。 「リュージュ……!」  そう。  そこに居たのは、今回の黒幕であるリュージュだった。  リュージュに手を取られ、そのまま強引に飛空艇に載せられてしまう。 「リュージュ! フルを返せ!」  ルーシーが声を上げるも、リュージュは聞く耳を持たない。 「何を言っているのかしら。ついに手に入れたというものを手放すわけがないでしょう? さあ、向かいましょう。予言の勇者。この物語を終わらせるために」  そして僕は何も出来ないまま――リュージュの乗る飛空艇に載せられて、メアリーたちの場所を後にするのだった。