知恵の木。  それはすべてが黄金に輝く伝説上でまことしやかに語られる存在だった。  レイナと初めて出会ったとき、そして仲間になりたいと進言したとき、彼女ははっきりとこう言った。  ――私は『知恵の木』を一度でいいから見てみたい。それが私の夢だった。  そして、レイナ――正確には僕たち全員という形にはなるけれど――知恵の木を目の当たりにしていた。あの声の導かれるままに魔導書があった場所を抜け出すと、僕たちに立ち塞がるように存在していた石は無くなっていた。それはそれで問題ないといえば無いのだけれど、問題はその先にあるものだった。  その先にあったのは、広い空間だった。とはいえ外に出たわけではなく、頭上にある穴から光が差し込める空間となっていた。  そしてその空間に、すべてが黄金に輝く木が生えていた。  枝も、幹も、葉も、実も。何もかも黄金に輝いていたそれは、非現実的なものではないか――今僕たちは集団的に同じ夢を見ているのではないかと錯覚してしまうほどだった。  だけれど、その木は確かに僕たちの目の前に存在していた。 『この木に触れた人間は能力を得ることが出来ます。正確に言えば能力を開放することが出来る、と言えばいいでしょうか……。まあ、表現としては間違った話ではないことは事実ですね』 「能力を開放することが出来る……だとすれば、やる人間は一人しか居ないのでは無いか?」  その言葉を言ったのはシュルツさんだった。 「私とレイナは、はっきり言って成り行きでここまで来てしまったようなもの。ともなれば、ずっと旅を続けてきた君たちにその能力を開放してもらったほうがいいだろう。で、確かこの前言っていたよね。フルは魔法の加護、そしてルーシーは守護霊の加護を受けている。あと受けていない人間と言えば……」 「……わたし?」  メアリーは自身を指さして、首を傾げた。  こくり、と僕は頷いた。  シュルツさんの言葉はもっともだった。僕たちを基本として、それぞれ二人は目的があり、その目的を達成した後は彼女たちの自由だ。メンバーを離れてしまっても構わないし、逆についてきてもらってもいい。はっきり言ってしまえば、ついてきてもらったほうが僕たちとしては戦力が増強されるから構わないのだけれど、そうもいかないのが事実。やっぱり、僕たち三人で何とかしないといけないのだろう。 『では、決まりましたか』  声は僕たちに問いかける。  僕は頷き、メアリーが一歩前に出た。 「……私が、するわ」 『では、木に触れてください』  その声の通り、メアリーは木に触れて――目を瞑った。  ◇◇◇  メアリーが木に触れたとたん、その手を通してエネルギーが流れ込んできた。そのエネルギーはまさにこの星の記憶。記憶をエネルギーとして莫大な量を保管している。そしてそれを凝縮して木の実としている知恵の木の実があるわけだが、その木の実ですらエネルギーは有限だ。  しかし知恵の木はその根源にあるわけだから――エネルギーはほぼ無限と言ってもいい。正確に言えば星の記憶をエネルギー変換することで莫大なエネルギーを無限として扱っているだけであり、莫大ではあっても無限ではないということだ。  彼女は目を瞑る。そのエネルギーの逆流は、痛みを伴う。静脈、動脈。あらゆる血の流れを押しのけるようにエネルギーが半ば強引な形で体内にめぐっていく。 「う……くっ……!」  耐えきれなくなって、思わずメアリーは声を出した。 『我慢してください。まだ、エネルギーの循環は続いています……』  声は聞こえる。だからメアリーは耐えるしかなかった。  フルとルーシーが加護を得ていることに劣等感を覚えていた、と言われれば嘘ではない。彼女も彼女なりにプライドがあり、それが傷つけられていた。もちろん、それは本人が知ってか知らずかのうちに、ではあったが。本人は別に傷ついたと思っていなくても、無意識のうちに傷つけられたと認識してしまうこともある。それが無意識にストレスとして蓄積してしまう。  強くなりたい。  フルとルーシーに守られるのではなく、フルとルーシーを守るような、強い力が欲しい!  そうしてメアリーの意識は――知恵の木の中へと取り込まれていった。  メアリーが次に目を覚ました時、そこは白い空間だった。 「……ここは?」  メアリーには見覚えのない空間だったため、辺りを捜索することから始めた。  どうして自分はここに来たのだろうか? ということまで考えることは無かったが、自然と彼女の口から、 「……もしかして、力を開放するための……試練?」  そんな言葉が零れ落ちた。  同時に、彼女の視界が描かれていく。まるで今までの白い空間がキャンパスだったかのように、ものすごい勢いでレイヤーに描かれていく。  そしてその空間が、漸く真の姿を見せた。  そこは、とある部屋だった。豪華な部屋ではあったが、人の気配は見られない。小さいベッドに子供が遊ぶような玩具がたくさん並べられている。  けれどメアリーとしては、その空間はどこか見覚えがあった。  でも思い出すことは出来なかった。頭の奥底にはこの部屋の記憶があったはずなのに、何故だか思い出すことが出来ない。それが今の彼女にとって、不思議で仕方なかった。  その部屋に誰かが入ってきたのは、ちょうどその時だった。  急いで部屋の隅に隠れて、彼女はその入ってくる人物の様子を窺った。  入ってきたのは乳母とみられる老齢の女性だった。なぜ乳母と解ったかといえば、その女性は一人の赤ん坊を抱えていたからだった。赤ん坊はその女性に慣れているからか泣くことなく、ただその適度な振動を受け入れているようだった。  赤ん坊はベッドに寝かしつけられると、そのまま乳母は部屋を出ていった。おそらく彼女にも用事があるのだろう。致し方ないことかもしれないが、一つの仕事ばかりを任されているのではなく、複数の仕事を並行しているのだろう。メアリーはそう推測して、その赤ん坊の表情を見るべく、ベッドのほうに向かった。  その顔つきに、どこか彼女は見覚えがあった。 「……もしかして」  彼女はずっと首を傾げて、記憶を整理する形でその赤ん坊が何者であるかを探していたが、漸く彼女は一つの結論を導いた。 「これは……私?」  そこに居た赤ん坊は――メアリーの赤ん坊だったころ、そのものだった。 「ということは、これは……私の過去の記憶、ということ?」  メアリーは推測を立てる。  しかし、明確に言えばそれは間違っていた。もしそれがメアリーの記憶であるとするならば、彼女が神の視点――いわゆる第三者視点からその記憶を見ていくことは出来ない。  だから彼女はその可能性を捨てる。  次に考えたのは、知恵の木が見せる『記憶』ということだった。  知恵の木は記憶エネルギーをメアリーの身体に循環させた。そして知恵の木が得る記憶はこの星の記憶ということになる。大地、空気、物体、液体――この世界に生きとし生けるものの記憶をすべて受け継いでいるのがこの知恵の木ということであるとするならば、この記憶も知恵の木の記憶を通して追体験しているのだと、そう考えたほうがまた現実味があった。  メアリーは少しこそばゆい気分になった。何故なら今目の前に居るのは彼女自身なのだから。即ちメアリー・ホープキンという人間は今この場に二人居るということになる。タイムパラドックスが起きてもおかしくないような状況であることは間違いないのだが、しかしこれはあくまでも記憶のお話しであり、実際に今その時代に居るというわけではない。 「……でも、どうして知恵の木はこの記憶を……?」 『それは、あなたが無意識のうちに封印していた記憶、それを知恵の木の記憶を通して提示しているだけにすぎません』  声が聞こえた。  その声は知恵の木に手を当てるよう言った声と同じ声だった。 「また、あなたですか……。あなたはいったい何者ですか……?」 『それはお伝えすることは出来ません。ですが、あなたにも、彼らにも悪い相手では無い、ということだけは言えます。それだけは信じていただけると、大変助かります』  そう言われてしまっては、何も言いようがない。そう思ったメアリーは致し方なく、その部屋の探索を再開した。 「……それにしても、」  メアリーは考えていた。  それは脳に直接聞こえてくる、あの『声』が言っていた、気になる言葉。  ――無意識のうちに封印していた記憶。  それはいったい、どのような記憶だったのだろうか? メアリーは考えていたが、やはり無意識のうちに封印していた記憶、となると意識しているうちではそれが出てくるとは考えにくい。  部屋にあったのは本棚だった。本棚なら何か情報を得られないかと思い、捜索を開始したが、しかしそこにあったのは想像通り子供向けの絵本ばかりが並べられていた。 「まあ、想像通り……よね。こんなところに何か資料があるとは思っていなかったし。となると……、やはりこの部屋を出ていくしかないのかしら」  溜息を吐いて、メアリーは部屋の外に出ようと出入り口へ向かった、ちょうどその時だった。  誰かが扉を開けて、部屋に入ってきた。メアリーはそれを見て物陰に隠れる。先程自分の判断で記憶の世界ということを判断したにも関わらず、やはり気になってしまうものなのだろう。  メアリーは物陰から、誰が入ってきているのか様子を窺う。  入ってきたのは一人の女性だった。影になっていて見えないが、服を足元よりも長くなっているように見えるので、それなりに地位の高い人間なのかもしれない。 「……メアリー」  女性は、赤ん坊メアリーを抱き締めて呟いた。  その一言は慈愛に満ちた一言のようにも見えたが、冷たい視線を送っているようにも見える。簡単に言ってしまえば、『どうでもいい』の一言で片づけてしまうような、そんな表情を浮かべているようにも見えた。  そこでメアリーは漸く誰であるかを――理解した。  メアリーは言葉を失っていた。  メアリーは見られたくなかった記憶を、無意識のうちに封印していた記憶を、思い出した。 「ああ……、ああ、そうだ。そうだった……」  メアリーを抱き締めているのは、メアリーに冷たい視線を投げかけているのは、メアリーに彼女の名前を投げかけているのは。 「リュージュ……!」  そう。  スノーフォグのトップであり、この世界を破滅へと導こうとしている元凶。  リュージュが赤ん坊のメアリーを抱き締めていた。  それは冷たい視線を送っているとはいえ、赤ん坊メアリーはそんな彼女を笑顔で見つめていた。  メアリーは赤ん坊メアリーの表情こそ見えないものの、全く泣かないところを見て、徐々に記憶を取り戻していった。 「……どうして、この記憶を……」  メアリーは、問いかけた。 『戦う前に、能力を開放するために、あなたは運命と向き合う必要があった。記憶が、運命が、あなたの能力の上限を低くしていた。だからその記憶を、半ば強引の形になってしまったかもしれませんが、引き出しました。メアリー・ホープキン、あなたがリュージュの娘であるという紛れもない事実を、封印していた記憶を、解き放つために』  メアリーの問いかけに、淡々と声は告げた。  メアリーはその言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかってしまった。その『試練』の意味が、理解できなかったからだ。理解したくても、理解できなかったのかもしれない。  メアリーの母親がリュージュであるという事実。それはメアリーの中では記憶として残っているものの、封印したかった程なのだから、それを表に出されたくなかったこともまた、紛れもない事実であった。 「何で……そんなことをしたのよ」  押し潰されそうな思いになりながらも、何とか彼女は言葉を吐き出していく。  しかし声は何も答えない。  リュージュは赤ん坊メアリーをベッドに戻すと、最後に一瞥してそのまま姿を消した。 「答えなさいよ……! どうして、この状況をわざわざ見せられないといけないわけ! 私は、私は……この記憶を消し去りたかった。頭の片隅にすら残しておきたくなかったのに……!」  だとしても。  リュージュとメアリーは血縁関係であること。その事実は変わりようがない。 「解っているわよ、それくらい……! でも、あのリュージュが、私の母親。そんなことを知って、どれくらいの人間が傷ついたと思っているのよ?! いろいろな人を失って、いろいろなことを思った。私はこの記憶を閉じ込めておこう。そしてずっと伝えないで生きていこう。そう思っていた、はずなのに……!」 『おや、それはおかしい話ですね。あなたは無意識のうちに封印していたはずなのに? まるでこの記憶を封印していた事実、それを認識していたかのように、あなたは話していますね。それはおかしい、おかしい話ですよ』 「うるさい、うるさいうるさい!!」 『……でも、現実を見据えていかないと、何も変わりませんよ。メアリー・ホープキン。真実を受け入れなさい。物語は、現実程の空想があってこそ語り継がれるものです。現実味しかない物語を、誰が受け入れるというのですか?』 「受け入れる……物語……。何よ、何よ! 私がいったい何をしたというの。私は被害者よ!」  同時に、何者かが再び部屋の中に入ってきた。 『さあ、始まりますよ。あなたが隠したかった記憶、そしてそれを乗り越えることで……あなたは力を身に着けるのですよ』  その人物は、彼女もよく知る人物だった。  白衣を着た科学者のような男性――その男性は、 「父……さん?」  メアリーの父親が、その場に立っていた。  男は涙を流しながら、赤ん坊のメアリーを抱き締める。  それはまるで別れを惜しんでいるかのように。  メアリーは父親と一度しか顔を合わせたことが無い。それも子供の時、親戚に引き取られて以降は一度も父親の顔を見てはいなかった。  だが、彼女の中で父親の顔はずっと記憶の中にあった。リュージュの記憶を封印していたからかもしれないが、それでも彼女の記憶の中には父親の記憶が刻み込まれていた。  父親は立ち上がると、メアリーを抱きかかえたまま、外に出ようとした。  リュージュと対面したのは、ちょうどその時だった。 「……何が目的だ、フィールズ」 「別に君に話すことではないだろう。それでは、僕は研究が忙しいのでね。ここいらで退散とさせてもらうよ」 「……そんな言い訳が通用するとでも思っていたのか? お前が今抱きかかえているのは、誰だ。はっきり言ってみろ」 「メアリーだよ。僕と、君の子供だ」  頷くフィールズ。リュージュは睨みつけつつ、フィールズに抱きかかえられたまま眠りについているメアリーを一瞥する。 「それくらい知っているのならば、なぜ私がお前に質問を投げかけているのか、それについても理解してくれるわよね。あなた、そこまで馬鹿ではなかったはずだから」 「いいか、リュージュ。お前がどうしようったって勝手なことかもしれない。だが、この子はお前の子供であると同時に僕の子供でもある。にもかかわらず、お前は、メアリーを勝手に実験に使おうとしている。それを許せると思っているのか?」 「学究の徒なら、研究をすることだけを考えればいいのではなくて?」  リュージュはフィールズを睨みつけたまま、見下すような目つきへと変えていく。  対してフィールズは小さく舌打ちをすると、赤ん坊を守るべくさらに強く抱き寄せる。 「学究の徒であったとしても、自らの子供を研究対象とするほど狂ったわけではない」 「……ねえ、あなた。何か間違っているのではないかしら。何か考えをただしたほうがいいと思うのよ。別に私は、あなたを騙そうとは思っていない。メアリーのことだってそう。私はただ、人類のために……」 「嘘を吐くな、ならば、オリジナルフォーズの覚醒計画についてはどう説明つけるつもりだ? オリジナルフォーズの封印を解いた先に何が待ち受けているのか、知らないわけではあるまい。その先に待ち受けているのは人類の滅亡だ。遥か昔、ガラムド自らが描き示したと言われている魔導書の力と、予言の勇者が来ない限り、オリジナルフォーズは誰にも倒せない。あのテーラだってそう予言していたはずだ」 「テーラ……。そんな祈祷師も居たわね。自らは表舞台に出ず、予言を無償で行うこと、そうして人々を安寧へと導くのが使命と考えていた、非常におめでたい思考の持ち主だったわね」  一息。  リュージュはどこか遠くを見据えるような表情をして、部屋をぐるっと見渡した。 「……けれど、そんな考えだけじゃ何も変わらない。少なくとも予言だけを示して人々に不安を与えるくらいじゃあね! そんなもので世界が救えるというのであれば、軍隊も要らないし魔導書だって要らない。……予言の勇者にすべてを任せる? そんな、いつやってくるかも解らない不確定要素に世界を任せる。その考え自体がおかしい話なのよ。何故自分でアクションを起こさない? 何故自分で世界を救うべく、世界をより良い方向に進めようとしない? テーラはほんとうに、大馬鹿者だったわね」 「テーラ様のことを否定できるのは、恐らく世界でも君だけだろうね。面と向かって否定していたからね。予言の勇者など有り得ない、と。けれど世界のほとんどはテーラ様の予言を信じていたけれど」 「予言は確かに間違っていないわよ。けれど、それに対する手段を全く考えていない。それのどこが問題ない、と? 祈祷師は確かに予言するだけの仕事かもしれない。けれど、そのあとの世界は勝手にすればいい、と。それは充分怠慢に値するのだけれど……あなたはそう思わなかったの?」 「思わなかったね。少なくとも彼は人類に対し危機感を持たせてくれた。それだけで問題ないのではないかね?」  フィールズはそこで会話を打ち切り、無理やり入口を塞いでいたリュージュを押しのけるような形で出ていった。  廊下の向こうで、声が聞こえる。 「待て、フィールズ。その子を……メアリーをどうするつもりだ?」 「彼女には幸せな人生を送ってほしい。このような場所で一生を終えるくらいなら……、彼女をここから出す」 「そんなこと、許されるとでも思っているのか?」  メアリーの位置からリュージュとフィールズの会話を盗み聞きすることは出来ても、実際の二人を眺めることは出来なかった。とはいってもここから出るとリュージュに見つかる可能性が高い。  しかしながら、まだメアリーは気付いていなかった。  この世界が知恵の木の記憶を通して描かれている世界であるとするならば、これは映像の一種であるということ。そしてその映像はメアリーに干渉しないし干渉されないということだ。 「……リュージュ。私は君のことをほんとうに愛していたよ。でも、それは祈祷師という地位と、その実力が欲しくて結婚したわけではない。君のその心を、清い心を愛していたからだ。でも、今の君にはそれが無い。世界を救うという建前で自分の欲望に忠実に働いている……バケモノと変わりないよ」  そして、足音が聞こえて、それが徐々に遠ざかっていく。  それがフィールズの足音であるということにはメアリーも理解していた。それは実際に見ていないとしても、状況で判断することが出来る。  リュージュは一歩前に進み、呟いた。 「……一回しか止めないわよ。後悔しないのね?」 「それは、君にも言えることだよ、リュージュ」  フィールズは立ち止まり、背中を向けたままリュージュに告げる。 「君がメアリーを産んだこと、それは君にとってほんとうに心から嬉しかったことなのかい? 今の僕にはそれが解らない。それでいて、僕にとってはほんとうに嬉しかったんだよ。メアリーが生まれて、僕の人生はバラ色に輝いていた。……けれど、リュージュ。君はどうやら違っていたようだね。乖離していた、と言ったほうが正しいのかな。今の僕には、メアリーのことを、母親として考えているのかが理解できない」  そうして、またゆっくりと歩き始める。  メアリーはもうこれから先を見たくなかった。はっきり言ってここまでの段階でも十分記憶の中から消し去りたかったものであったというのに、それでもまだ続けるというのか。 「いやだ……。こんな記憶を思い出させるくらいなら、私はもう……能力なんて要らない」 『自分の逆境を乗り越えることが、一番の試練でもあります。もしそれを乗り越えられないというならば、そこまでとなります。ですが、逃げることは……許されません。しっかりと前を見据えなさい。そして、自分の運命と向き合うのです』  声は冷たい調子でそう言った。  メアリーには、もう逃げ場が無かった。  リュージュは小さく呟いた。 「……止めるのは一度だけ。私は言いましたからね」  刹那、轟音が聞こえた。  そしてそれから少し遅れて部屋の中にも熱風が入ってきたことで、その轟音が炎魔法によるものであることが理解できた。  メアリーはリュージュに見つかる可能性すら考えることなく、部屋の外に出た。  リュージュの背中が見える。リュージュはメアリーなど居ないように、そのまま歩き出す。  炎魔法を撃ったその標的は、紛れもなくフィールズだった。 「……うん。やっぱり、防護魔法を使ったか」  燃えカスの紙を拾って、リュージュは小さく舌打ちした。 「けれど、ダメージを与えていないようでも無さそうだし……。取り敢えず、捜索しましょうか。まったく、人手が足りないというのに、困った殿方ねえ」  そうしてリュージュはゆっくりと現場を踏みつぶして、どこかへと向かっていった。  同時に、メアリーの居る空間全体にノイズが走り出す。  これで終わりだと思っていたメアリーは周囲を見渡す。しかし見渡したところで何も変わることは無い。  そうしてノイズが終わったころには、彼女はまったく別の空間に到達していた。  そこは下水道だった。下水道には樽があった。そしてフィールズの隣には一人の女性が立っている。 「フィールズさん、大丈夫ですか……!」  そこに居たのは、メアリーもよく知る人物だった。 「サリー……先生!? どうして、どうして先生がそこに!!」  もしこの情景が実際の風景であるならば、メアリーは直接彼女に質問をしたかっただろう。しかし、さっきのノイズでこの空間が実際の空間ではなく、映像のような空間であることを思い知らされ、その場で思いとどまるしかなかった。 「大丈夫だ、サリーくん。それにしても、君にはあまり迷惑をかけないつもりだったのだが……、大変申し訳なかったな」  そう言ってフィールズは項垂れる。サリーについて謝罪をしていたが、当の彼女はあまりそのような感情を抱いていないようだった。 「いいえ、別にそのようなことは……。私も、リュージュのことはどう考えてもおかしいと思っていました。しかし、今の研究員は大半が研究さえ出来ればいいと考えています。リュージュの傀儡と言ってもおかしくありません。誰もリュージュのことに『おかしい』と言う人は居ません。誰もが、リュージュのことは正しいと思って行動しています。いや、それ以上かもしれません。もしかしたら研究員の殆どはそこまで考えていないのかも……」 「それは僕も考えていた」  よろけつつも立ち上がるフィールズ。  倒れそうになった彼を倒れないように何とか彼女は肩を支えた。 「無理しないでください、フィールズさん! もう、これ以上は……」  声が、下水道に反響する。  どこに繋がっているかどうかも解らない、魔境と言ってもおかしくない場所。  左右に伸びている下水道だったが、右にゆっくりと水の流れがある以上は暫く進むと明かりが無いようで先が見えなくなっている。  その先に何があるのかはっきりとしていないが、この先は外に繋がっているということだけは知っていた。 「……この下水道は、ほんとうに警備が手薄なのかね?」 「ええ、それは確認しております。この下水道を通って海を渡るルートが一番安全にこの子を逃がす方法であると言えるでしょう」 「……解った。君が言うのであるならば、真実なのだろう」  フィールズは頷く。 「しかし、残念なことが一点だけあります」  サリーの言葉を聞いて、フィールズは首を傾げる。 「何だね、言ってみてくれたまえ」 「樽なのですが……二つしか用意出来ませんでした。つまり、どちらかが残らなければなりません」  それを聞いて、フィールズは目を瞑り、小さく溜息を吐いた。 「……そうか」  そして、それを見ていたメアリーは薄々何が起きるのか察しがついていた。 「フィールズさん、娘さんと逃げてください」 「サリーくん。君が逃げるんだ」  二人の言葉は、ほぼ同時に発せられた。  そして、暫しの沈黙が生まれた。 「……え?」  沈黙を破ったのは、サリーのほうだった。  対してフィールズは照れているのか頭を掻きながら、 「どうやらお互いに考えが交差してしまったようだな。残念なことではあるかもしれないが、これが一番現実味のある可能性ではあった。推測できていなかったわけでは無かったからな」 「……でも、フィールズさん。あなたはこの子の父親じゃないですか! それを、そんな……」 「父親だからこそ、だよ」  涙を流しているサリーの頭を優しく撫でるフィールズ。  フィールズは慈愛に満ちた表情でサリーを見つめていた。 「父親だからこそ、僕はメアリーを守らないと言えない。けれど、メアリーと僕が一緒に居ると狙われる可能性が高い。現に一度はリュージュを撒いたけれど、次は厳しいだろうからね。そのためにも、一度は時間を稼ぐ必要がある。解ってくれるかい、サリーくん」 「じゃあ、メアリーちゃんは……彼女は誰が守ればいいのですか!」 「簡単だよ、サリーくん。君が守ればいい。いや、守ってくれないか、メアリーのことを」  え? とサリーは顔を上げる。  そしてフィールズはサリーと互いの唇を重ねた。 「……もし、僕が追いつくことがあるのなら、また会おう」  そうして、フィールズはメアリーの入った樽の蓋を閉める。  サリーも踏ん切りがついたのか、自ら残っていた樽に入っていった。  蓋を閉めるとき、サリーは言った。 「絶対に、絶対に死なないでくださいね……!」 「ああ、約束するよ。だから、泣かないでくれ。また会えるのだから」  そうして、サリーの入った樽の蓋を閉めて、二つの樽をゆっくりと押していく。  水に浮いているからか簡単に動き出した。そしてあとは水の流れに従って、ゆっくりと動き出していく。  暗黒の中に二つの樽が消えていったのを確認して、フィールズは溜息を吐いた。 「……嘘は吐かないっていう性分だったんだけれどなあ……」  それを聞いたメアリーは、これから何が起こるのかを充分に理解していた。  再度ノイズが空間全体に走り、そして空間が移動した。  次にメアリーが到着したのは、広い部屋だった。質素な部屋に見えたが、立派な椅子があるところを見ると謁見の間に近い空間なのかもしれない。  そして、その場所にリュージュとフィールズが対面していた。 「まさか、逃げずにのこのこと戻ってくるとはね。……あら、けれど、メアリーが見当たらないわね。メアリーはどこに逃がしたのかしら? それとも死んじゃった?」 「メアリーのことについて、僕が言うとでも思っているのか?」  それを聞いたリュージュは溜息を吐き、椅子から立ち上がる。 「……何というか、まさかあなたがこんな人間だとは知らなかったわ。フィールズ」  リュージュは持っていた錫杖を床に勢いよく置いた。  それを一種の会話の切れ目であるかのように、リュージュは一歩近付いていく。 「それにしても、か……。まあ、君にとって僕という人間がどう映っていたのかは解らない。ほんとうに愛していたのかもしれないし、僕も道具の一つとして認識していたのかもしれない。今となっては知る由もないわけだが」  白衣のポケットに突っ込んでいた手を、ポケットから抜く。  そして彼はずれていた眼鏡の位置を元に戻すと、不敵な笑みを浮かべた。 「そうだった。フィールズ。あなたに一つ教えておきましょうか。あなたと私の認識のズレを少しは解消しておかないとね。きっとこれが最後の会話になるでしょうから」 「いったい何を……!」 「メアリーを外に出したことは、私の計画の範囲内です。これを言っても?」 「何だと……。それは、負け惜しみに過ぎないはずだ」  それを聞いたリュージュは高らかに笑った。 「……メアリーはそろそろ外に出しておかないとね。『スペア』の役割を担っていることだし。まあ、それはあなたもよく知っていることでしょうから、細かく今から話すことも無いでしょう。だって面倒だもの」  スペア?  それを聞いてメアリーはもっとリュージュの話を聞きたいと思っていた。自らにどのような役割があったのか、それが気になったからだ。  だが、リュージュはこれ以上話すことなかった。そして、それはフィールズも同じだった。 「スペア……。そうだったな。しかし、そうでも納得できない。まるでそのスペアを使う機会が無いから、追放したという風にもとれるが?」 「逆よ。スペアを使う機会があったから外に出したのよ。私の寿命は人よりも何倍も、いや、何十倍も長い。それはあなただって知っているでしょう? 祈祷師の寿命は何百年。人によっては千年単位も生きることだってあるけれど、そんなことはごくわずか。そのためにも、メアリーというスペアを用意した。私の力を直接引き継ぐためのスペアをね」 「……まるで君がすぐに死んでしまうようなことを言っているようだね?」 「私はいつ死ぬかなんてわからない。そんなことは『視』えないわけだから」  リュージュはそう言って、右手を差し出す。 「さて……、私のところへ戻ってきてありがとう。フィールズ。最後に何か言い残した言葉は無いかしら?」  炎を作り出し、それが徐々に大きくなっていく。  フィールズは何もせず、笑みを浮かべた。  何か策があるのか――リュージュはそう思ったが、まったく策なんて考え付いていなかった。ブラフをするつもりも無かった。  ただ単純に、笑っていただけだった。 「……まさか最後に君からそんなことを言われるなんてね。温情、ってやつかな。僕としてはただ一つだけ。これだけ言わせてくれよ」  そして、フィールズは眼鏡を上げて、 「――愛しているよ、リュージュ」 「そう。私もよ、フィールズ」  刹那、彼女の放った炎がフィールズに命中した。  ◇◇◇  メアリーは知恵の木に触れたまま、その身体を硬直させていた。  いったい何が起きたのか僕たちには全然解らなかったが、自然と僕たちは待機していた。  いつメアリーが意識を取り戻してもいいように、待機していた。 「メアリー……、大丈夫かな。いったい、どのような試練を受けているのだろう……」  頭の中に響いた声から、僕たちは試練のことだけを聞いていた。  けれど、僕たちはその試練がどのような内容なのか――というところまでは聞き及んでいない。 「うん。どうなのだろうか……。とはいっても、あのまま動かしちゃいけないとも言われているし……。ただ僕たちはその試練をクリアするかどうか、見守るしか無いのかもしれない」  動かしちゃいけないということ。それも頭に響く声から聴いたアドバイスのようなものだった。今から彼女は試練を受ける。けれど試練を受けている間はその身体を動かしてはいけない、ということ。正確に言えば知恵の木からその手を離してはいけない、ということらしい。理屈やシステムはよく解らないけれど、よく解らないなりに話を聞いて、従っているという感じだった。  メアリーの身体がゆっくりと反応を示したのは、ちょうどその時だった。 「メアリー!?」  僕たちはメアリーの反応を見て、急いで彼女のもとへと向かった。  メアリーは目を瞑っていたけれど、ゆっくりと目を開けて、僕とルーシーの顔を交互に見つめた。 「ふ、フル……それにルーシー……。あれからどれくらい経過したの?」 「たぶん、三十分も経過していないと思う。……メアリー、無事に戻ってきた、ということは……試練は成功したのかい?」 『ええ、その通りです』  再び、脳内に聞こえる声。  メアリーはその声を聴いて大きく頷いた。 「試練は終わった。……確かに、力を感じる。今なら、前よりももっと強い錬金術を使うことが出来る……と思う」  しかし、メアリーの表情は暗い。どうしてだろう? 無事に試練も乗り越えたはずなのに、どうしてメアリーの表情はまだ暗いままだったのか。  それを訊ねようとした、ちょうどそのタイミングだった。  メアリーが僕とルーシーの顔を再び交互に見て、大きく頷くと、 「フル、ルーシー。私、あなたたちに言いたいことがあるの。どうしても、今、伝えないといけないことなのだけれど……」  そう話を切り出して、一息。  言い澱んでいたけれど、ゆっくりと、メアリーは告げた。 「今回の敵、リュージュは……私の母親、よ」  ◇◇◇  メアリーはそのことを言って、自分を突き放すかもしれないと思った。いや、もっと考えれば見捨てる可能性すら考えられたのだ。  しかし、メアリーの発言を聞いたところで、ルーシーはきょとんとした表情で、 「だから、どうしたの?」  と言ってきた。  その言葉は予想できなかったメアリーも目を丸くして訊ねる。 「え……、いや……だから、私の母親は、世界を滅ぼそうとしている、あのリュージュなの」 「うん。だからさ、それがどうしたの。メアリーの母親がリュージュだから、僕たちの付き合い方が変わると思っていたのかい。そんなこと、無いよ。なあ、フル?」 「ああ、そうだ」  ルーシーの問いかけを聞いて、フルは大きく頷いた。  そしてフルに話者がバトンタッチする。 「たとえ、そうであったとしてもこれからもメアリーは僕たちの大切な仲間だよ。だって、リュージュは悪い存在かもしれないけれど、それがイコール、娘であるメアリーも悪い存在であるとは証明できないだろ。だったら、それでいいんだよ。メアリーはメアリー。リュージュはリュージュだ。それ以上でもそれ以下でもない」  それを聞いたメアリーは、ほんとうに驚きを隠せなかった。  自分を突き放すかもしれない。  自分を見下すかもしれない。  そんなマイナスな感情ばかり想像していたからだ。  しかし、フルとルーシーは違った。たとえメアリーとリュージュが親子関係にあったとしてもそんなことは関係ない。そう言ってくれて心がほんとうに軽くなった。そしてそれはとても嬉しかった。 「ありがとう、ありがとう……」  いつしかメアリーは大粒の涙を流していた。  そして、それを慰めるように、フルは彼女の肩をぽんぽんと叩くのだった。  ◇◇◇  知恵の木があった場所を離れると、気が付けばその入り口はどこかに消えてしまっていた。幻だったのかな、と頬を抓ってみたが痛くない。それに全員がその記憶を保持しているところを見るとどうやら幻や夢の類ではないようだった。  そして、通路の向こうには、壁一面が銀色に輝く光景が広がっていた。 「もしかして……これがライトス銀……?」  そこに広がっていたものこそ、ライトス銀だった。  坑道の外に出るとルズナが待ち構えていた。 「遅いよ、いったい何があったんだい。夕方というか、もう夜になってしまっているし……」  確かに、空はもう暗くなりつつあった。それを見ると、どうやら一日中入っていたようで、それならルズナが心配する気持ちも解るのかもしれない。  ルズナの言葉にメアリーが胸を張ってカバンの中身を見せる。 「遅くなった理由は……これよ!」  そこに入っていたのは、大量のライトス銀のインゴット。それにしてもこんなにたくさん入っているにも関わらず、あまり重くないのはライトス銀の特徴なのだろうか? だから、銀を使っても浮くことが出来るのかもしれないけれど。  それを見せたところ、ルズナは目を丸くして驚いていた。 「ちょ……ちょっとこれ、どういうことだい!? ライトス銀のインゴットが、こんなにたくさん……。まさかあの石を破壊して、通路の向こうへと行けた、ということか?」  正確には破壊したというよりも封印を解除した、と言ったほうが正しいのかもしれないが、それを細かく言う必要も無いだろう。そう思って、僕は適当に流すこととした。  ◇◇◇  結局その日は食事をしたのち、そのまま眠ってしまった。疲れがどっと出たということもあるけれど、メアリーが疲れてしまって食事を終えてすぐ部屋に入って眠ってしまった、という点が大きい。別に夜更かしをする必要も無いので、そのまま眠ってしまった、ということだ。最初は眠れなかったが、いざベッドに入ると簡単に眠りにつくことが出来る。ほんとうに、人間の身体の仕組みというのは面白いものだと思う。  それはそれとして、朝起きて、風呂に入って、食事をしていたちょうどその時、ルズナが僕に声をかけてきた。 「やあ、昨日はお疲れ様。……ついに完成したよ、国王陛下には報告済みだ。急いで外に来てくれないか?」  そう言って、ルズナはあっという間に退散してしまった。  いったい何があったのだろうか? と思ったけれど、取り敢えず彼の言葉に従うしかない。そう思った僕たちはそのまま外に出るのだった。  外に出ると、船が僕たちを出迎えた。 「……何、これ?」  メアリーが予想外の物体に目を丸くして、船の躯体に触れる。 「やあ、よく来てくれたね。ついに完成したんだよ、君たちがライトス銀のインゴットを大量に手に入れてくれたおかげでね、飛空艇第一号が完成したんだ!」  ルズナは右手を船に向ける。  そこにあったのは船だった。しかし、そう言われてみるといろいろなところが違っているように見えた。  まず、その船には翼があった。木製の翼であり、骨の部分など至る所に補強という形だろうか、ライトス銀が使われている。そして船の甲板へと延びる長い階段があった。 「……これは?」 「ここが入口だよ。残念ながら、船は高い位置にあるからね……。こうやらないとやっていけない、というか。まあ、ここは改善点かもしれない。今後の改善に用いることにするよ。そうそう、中に入ってくれ。いろいろと説明しないといけないことがあるんだよ!」  そう言ってルズナはうきうきとした様子で階段を昇って行った。 「あのルズナって科学者、ほんとうにモノづくりが好きなんだな」  ルーシーが僕にそう耳打ちする。それを聞いて僕も若干呆れ顔で頷くのだった。  ルズナに案内されたその先にあったのは、エンジンルームと呼ばれる場所だった。名前の通り、この船の心臓があるとルズナは言っていたが、それは普通の心臓とはまったく違うものだった。 「……これは?」  ドクン、ドクン……。  まるで人間の心臓のように、脈打つ音が聞こえていた。  そこにあったのは銀色の器だった。器の中身は何があるのかは解らない。しかし、その脈打つ音はとても生きているものの音にしか聞こえないし、その音は器の中から聞こえてくる――話をしただけではおかしいものだと思われてしまうだろうが、まさにその通りだった。 「……これは魔導エンジンだ。このエンジンは面白いものでね、エネルギーさえ注入してやれば暫く自分でエネルギーを変換してこの船のためのエネルギーとして船の中に満たすことが出来る。もちろん、満たすというよりも循環させると言ったほうが正しいのかもしれないが。……いずれにせよ、このエンジンはどこにもない、オンリーワンなエンジンだよ。これを量産することははっきり言って難しいだろうからね」 「このエンジン……いったいどうやって?」  メアリーの質問に、ルズナは唇に人差し指を添えた。 「それは秘密だ。それを言ってしまったら、世界中がこのエンジンを真似してしまうだろう?」 「……成る程。けれど、それを僕たちに与えてしまっていいのか?」 「技術を与えなければどうということは無い。それに、僕は金儲けをするつもりなんて無いからね」  そう言ってルズナは手を振った。  まるであとは任せた、と言わんばかりに。 「あ、あの……どこに?」 「どこに、って……。簡単なことだよ。もうこの船は君たちのものだ。そのための手続きをしなくてはいけない。それに、君たちも荷物を取ってきたほうがいいと思うぞ」  そう言ってルズナは姿を消した。  一先ず彼の言うことには従ったほうがいいかもしれない。そう思って、僕たちもルズナの後を追うのだった。  ◇◇◇  そして、旅立ちの時。  荷物もたくさん詰め込んだ。食べ物は国王陛下が大量に用意してくれたおかげで何とかなった。これほどあればどんなところに旅をしても余裕で間に合うことだろう。 「……まさか、空を飛ぶ船に乗ることが出来るとは思わなかったなあ」  ルーシーは甲板から外を見つめながら、言った。  それは僕だってそうだった。僕はずっとこの世界の科学技術がそれ程進歩していないと思っていた。だのに突然ガツンとボディーブローを食らった気分だ。 「それにしても、空を飛ぶといろいろと見えてくるものじゃないかしら。だって、ほら」  そう言って、メアリーはすっと指さした。  遠い方向には、煙が見える。 「……もしかして、あの方向は」  こくり。メアリーは小さく頷いた。 「ええ、あの先にあるのは……ハイダルクよ。リュージュ、もしかしたら最終決戦の地にあの場所を選んだのかもしれないわね……」  メアリーはそう言っていたが、きっと感情としては複雑なものだったのだろう。 「……みなさん、さようなら」 「おじさん、ありがとう!」 「おじさんじゃねえよ! 俺はタンダ・エーミッドって名前があるんだ!」  そう言われたけれど、僕たちはただ笑みを浮かべるだけだった。  そうして僕たちは――次の目的地であるハイダルクへと向かうため、飛空艇を動かし始めた。  ◇◇◇  リュージュは笑みを浮かべていた。 「計画は第三フェーズへ進んだ」  独り言をぽつりと呟く。  しかしその独り言は、背後に立っていたバルト・イルファが回収した。 「あとはオリジナルフォーズが目覚めるだけ……ですか」 「ああ、そうね。けれど、まだそれだけでは足りないかもしれない。まだ、私にはやるべきことが残っている」 「やるべきこと、ですか」 「そのためにはあることが必要よ。……しかしそれが失敗してしまったら、大変なことになってしまうかもしれない。けれど、私の目的を果たすためにも、予言の勇者には頑張ってもらわないとね……」  そうして、リュージュは空を見つめる。  月は、二つ。  輝いていた二つの月は、少しだけこの星に近づいているようにも見えるのだった。