レガドール。  南国=温暖な気候、という安易な方程式はどうやらこの世界にも成り立つものらしい。  ちなみに今は長袖の服を身に着けているため、とても暑い。とはいえ、これを脱いでしまうと肌着しか残らないため、そう簡単に脱ぐことは出来ない。男だけなら何とかなるかもしれないけれど。  レガドールの港町、ラムガスには港町らしい喧騒に包まれていた。気温は暑いため、どちらかというと半袖の人間が多いわけだけれど。 「……それにしても」  港町はどの国に行っても活性だ。活気があふれている、という意味になるけれど、それにしてもほんとうに人が多い。美味しい海産物やそれらを焼いた良い香りが町の中を満たしているが、そんなことよりも探さないといけないものがある。 「それにしても……、リュージュが言ったレガドールへ来い、とはどういう意味があったんだ?」  ルーシーが少し声のトーンを落としつつ、僕に言った。 「……どうだろうね。もしかしたらどこかで監視をしているかもしれない。僕たちを貶める、そのタイミングを窺っている可能性も……」  あくまでも、想定だけれど。少しでもそう考えて緊張の糸を張り詰めておくことは悪いことではない。  だからと言って、あまり周囲をきょろきょろと見渡しているようでは、現地の人々に疑われかねない。 「おっ、そこの姉ちゃん! ちょっとどうだい、どうなんだい」 「……私のこと?」  商人の言葉を聞いて、メアリーが立ち止まる。  商人は云々と頷いたのち、 「ラムガスは海産物も、そりゃあ有名だよ。だって、港町だからな。しかしながら、そのほかにもまだまだあるよ。いろいろとね。それがこれ!」  そう言って看板を指さす商人。  そこにはこう書かれていた。 「塩……マッサージ?」 「そう。塩マッサージ」  聞いたことはある。塩を擦り込んでするマッサージらしい。それだけ聞けば、名前の通りではあるけれど、効能は定かではない。一体全体、それがどういう意味をするのか解らないし。 「……もしかして、俺がやると思っているかい? だとすればそいつは間違いだ。きちんと若い姉ちゃんがやってくれるよ。安心してくれ、ほら」  ちょうど同じタイミングで、奥にある家の入口にかけられた暖簾が手で上にあげられ、中にいる女性が柔和な笑みを浮かべた。  それならば未だいいのかな。というか、セクハラってやっぱりこの世界の常識にもあるのだろうか? 「うーん、フル。ちょっと気になるし、やってきてもいい?」  メアリーもメアリーでどうやらやる気になっているようだ。別にそれはそれで構わないけれど、危機感は無いのだろうか。  リュージュがレガドールへ来い、といった。それは即ち、彼女の監視下に置かれている可能性があるということだ。  けれども、それが一般市民まで浸透しているとは考えにくい。それに、何かあればすぐ対処出来るだろう。そうおもって、僕はそれを了承した。  奥の家に入っていくメアリー。商人にお金を支払う。 「なあ。フル。ほんとうに大丈夫か?」  言ったのはレイナだった。ほんとうはレイナにも受けてほしかったが、「そんな気分じゃない」と一刀両断されてしまったから、無理をさせるわけにもいかない。 「別に大丈夫だと思うよ。確かにリュージュの監視下に置かれている可能性は否めない。けれど、そうだとして、ずっとビクビクしているわけにもいかない。それこそ敵の思う壺だ。だからこそ、今回のように普通に過ごすことが――」 「きゃあああああ!」  僕の言葉に割り込むようにメアリーの悲鳴が聞こえたのは、ちょうどその時だった。 「嘘だろ!」 「ほら、言わんこっちゃない!」  ルーシーとレイナが大急ぎで家の中へと入りこむ。  しかしながら、既にその姿はなかった。 「ルーシー、レイナ! 上だ!」  しかし、僕は既にその敵の姿を捉えていた。  家の屋上に立つ、黒い服装の人間。――いや、正確に言えばこげ茶色、といったほうがいいかもしれない。口元まで隠すようになっているその装束は忍びのようなイメージすら与えている。  その人間は、メアリーを抱え込んでいた。メアリーは何の反応も見られない。口元は布で縛られていて、気を失っているらしい。 「メアリーをどうするつもりだ!」  僕の言葉に、その人間は答えない。  ただ、僕たちをじっと一瞥すると、屋上から降りて走っていった。 「おい、どういうことだよ、これは!!」  レイナは店主と思われる商人の襟を掴んで、抗議している。  しかしながら、今はそんな時間はない。 「レイナ! 今はそんなことをしている暇なんてない! メアリーを……メアリーを、助けないと!」  その言葉を聞いてレイナは舌打ちをし、商人から手を放した。  そして、メアリーを浚った謎の人間の後を追うのだった。 「早い……早すぎる……」  見失うことはないにせよ、その人間の姿が徐々に遠ざかっていく。  相手はメアリーを抱えているにも関わらず、そのスピードが落ちることはない。  何というか、魔力で増強しているのではないだろうか――なんてそんなことを思ったけれど、確かそのような魔術は存在しないはずだ。聞いたこともない。ということはやはり、もともと持っているフィジカルのみでメアリーを抱えながらこのスピードを出している、ということになる。何というか、恐ろしい。  体力に自信が無いとはいえ、それなりに学校のカリキュラムを乗り越えてきた。走って何とかしがみ付いている状態にはなっているが――それでも限界はある。 「ルーシー、大丈夫か!」  僕は必死に声を振り絞って、何とか隣に走っているルーシーに問いかける。  表情は見えないが、恐らくルーシーも辛いのだろう。  僕はそう思いながら、ルーシーの答えを待った。  ルーシーはワンテンポ遅れる形で、 「……そう言うってことは、フルも限界ってこと!?」  ……そう言うということはルーシーも徐々に辛くなってきている、ということだ。限界に近付いている。その通りだ。相手は何の力も使っていないように見えるが、まだ余力が見える。はっきり言って、分が悪い。 「フル、ルーシー!」  レイナの声が、背後から聞こえてくる。  振り返ると、僕たち目がけて竜馬車がこちらに向かってきていた。  どうやら船からおろしていた竜馬車を、シュルツさんが大急ぎで動かしているようだった。 「乗れ!」  走っている竜馬車になんとか乗り込んだ僕たちは、もう汗だくとなっていた。 「はい、タオル。気休め程度にしかならないけれど、汗を拭いてその気持ち悪さを取ることくらいは出来るでしょ?」 「……ああ、そうだね。ありがとう、レイナ」  僕はレイナからタオルを受け取ると、汗を拭った。タオルは水で冷やしていたようで、とても気持ちよかった。 「……それにしても、アイツは何者なんだ」  シュルツさんの言葉を聞いて、僕は頷く。 「解らない。けれど、魔術を使って体力を増強するなんて聞いたことはないし……」 「フル。つまり君の言いたいことはあれか。あの人並み外れた驚異的なスピードは、あくまでも人の力のみで生み出された……ということになるのか?」  こくり。僕は頷く。  シュルツさんはそれを聞いて、それでもなお信じられないようだった。 「信じられない……。あんな力を持つ人間が居るなんて……。しかも、魔術を行使していないとするならば、それなりの力をどうやって手に入れた? くそっ、まったくもって理解できないぞ……!」  竜馬車は市場を抜け、海岸線を走っていく。  そしてメアリーを抱えたまま走っていた人間は海岸のある場所で立ち止まった。  メアリーを地面に置き、僕たちを待ち構えているようだった。  竜馬車から降り、その人間と対面する。 「メアリーを返せ!」  僕は、その人間に向かって言った。 「そんなこと言われずとも……返しますよ」  パチリ、と指を弾く。するとメアリーは目を覚まし、勢いよく起き上がった。 「あれ、私、どうしてここに……?」 「メアリー!」  僕はメアリーに向かい、彼女の身体を抱き締める。そして、安全を確認すると、大急ぎで元の場所へ戻る。  黒装束はゆっくりと近づき、そして、腰を折った。 「?」  とどのつまり――お辞儀をした。 「無礼をお許しください。このようなことをしなければ、人目のつかない場所へ移動が出来ないと考えたためです」  頭につけられたローブを外す。黒装束の素顔が明らかとなった。  黒装束は女性だった。赤いポニーテール、力強くはっきりとした目は真っ直ぐ僕たちのほうを捉えていた。 「私の名前はキキョウといいます。残念ながらこの名前は本名ではありません。代々続く我々の一族の中で、強いシノビが持つことを許される名前……その一つとなります」  ちょっと待て、いま、シノビって言ったか?  シノビ。シノビ、って……『忍び』の? 「シノビとは……そうですね。古来より、文献によれば旧時代と呼ばれていた頃から、この世界に暗躍していたといわれている一族のことを言います。昔は幾つか一族が居たのですが、今はキキョウとスミレの二つのみ。……まあ、それはどうでもいいのですが。とにかく、いま私たちの国では大変なことが起きているのです」 「大変なこと?」 「この国はリュージュによって監視されています。もちろん、この国にも王は居ます。ですから、その発言は少々おかしなものになるのかもしれませんが……。ですが、それは間違いではありません」 「リュージュによって監視されている。やはり……」 「知っていたのですか?」  キキョウは驚いたような表情を見せる。  僕は頷いて、キキョウにここにやってきた経緯を伝えた。  それを聞いてキキョウは頷く。 「成る程。リュージュがこの国に来い、と……。しかし、リュージュはこの国には居ません。リュージュはある計画のために、動いているといわれています。ですから、私は国王から命じられて、あなたたちにその事実をお伝えするために……」  そこまで言ったところで、キキョウは踵を返した。  目を細め、どこか一点を見つめる。 「……どこに居る。出てきなさい、たとえ姿を隠していようとも、その悪しき気配までは消しきれませんよ!」  その言葉を聞いたのかどうかは定かではない。  しかし、それより少し遅れたタイミングで、ぐにゃりと空間が歪んだ。  そしてそこから一人の少女が出てきた。  青いロングの髪、白いワンピース。 「あーあ、見つかっちゃった。もうちょっとうまく誤魔化せると思ったのだけれどね。シノビも案外侮れないなあ」  溜息を吐いて――まるで遊びに負けた子供のように――僕たちのほうを見つめる。  そこに立っていたのは、バルト・イルファの妹――ロマ・イルファだった。 「ロマ・イルファ……、貴様、どうしてここに!」  はじめにそれを口にしたのは、キキョウだった。  ロマ・イルファはそれを聞いてつまらなそうに溜息を吐くと、 「別に何でもないわよ。ただ、一応伝えておかないといけないのかな、と思っただけ」 「伝える?」 「そう。リュージュ様の言葉を、私は伝えに来た。リュージュ様は、もうこの国に居ないということ。そして、リュージュ様の計画は最終段階に突入した。あなたたちを足止めするために、私たち兄妹はここにいるのよ」 「兄妹……ということは、バルト・イルファも居るのか!」 「ええ、お兄様もね。だけれど、今はここには居ないわよ。お兄様はお兄様で別の活動をされているから。……ほら、ここからも見えるわよ、炎がよく見えるわね、高台になっているからかもしれないけれど」  それを聞いて、僕たちは踵を返した。  確かに、ロマ・イルファの言う通り高台になっているためか街を一望することが出来る。  そして、その街の向こう、港には一つの大きな炎が燃え上がっていた。 「まさか……あれは!!」 「そう簡単に私たちもここから出したくない、ということなのよね。まあ、リュージュ様の命令、ということもあるけれど。そういう最初から勝ち組なのが気に入らない、というか? そんな感じかしら。あななたたちに解る? 最初から何もかも与えられた人間には、きっと解らないでしょうねえ!!」  ロマ・イルファは何故だか知らないが、怒っていた。それがどういう理由によるものかは定かではない。  ただ、これだけは言える。 「あなたねえ……どういう理由でそこまでフルを恨んでいるのかは知らないけれど。もしかしたら、フルがほんとうに悪いことをしたかもしれない」  ずっと何も言わなかったメアリーが口を開いた。てっきりフォローをしてくれるのかと思ったら、ロマ・イルファの発言を擁護するようなものだった。ちょっと待ってくれ、メアリー。君はどっちの立場で話しているんだ?  そして、メアリーの話は続く。 「……けれど、それと今回のことは別。あれはきっと……私たちが乗ってきた船よね。話は聞いたわ。あれはリュージュが私たちにくれたもの。だから、あなたが壊してもリュージュは別に気にしないかもしれない。けれど、けれど、船を作った人は? あの火事を消化するために繰り出された人たちは? その人たちの苦労を、あなたは少しでも考えたことがあるのかしら?」 「……リュージュ様から面倒な性格、とは聞いていたけれどまさかこれ程までだったとは。流石に想定外ね」  ロマ・イルファはまたも溜息を吐く。  それにしても、なぜリュージュはそこまでメアリーの情報を知っているのだろうか。ずっと僕たちを監視していたから、で簡単に解決してしまうのかもしれないけれど、それでもどこか気になってしまう。 「まあ、いいわ。私たちは目的を達成した。あなたたちをこの国に足止めする、という目的を……ね。それさえ達成出来れば今はどうだっていい。とにかく、あなたたちを足止めさえすれば、リュージュ様の計画は無事達成出来るはずだから……」  そして、ロマ・イルファはその場から瞬間的に姿を消した。  ◇◇◇  僕たちはラムガスの街へと戻ってきた。既に炎は消火されていて、そこには何も残っていなかった。桟橋も一部燃えて崩れ落ちてしまっていることも、その炎の勢いを感じさせる。 「それにしても、こんなひどい火事をいったい誰が何の目的でやりやがったんだ?」  市場を歩いていると、井戸に居た夫婦と思われる片割れがそんなことを言った。  対して、井戸の水を汲んでいる女性は、 「なんか聞いた話によると、赤い恰好の目立つ男が居たんだと。そいつがやったんじゃないか、って噂もあるよ。そんな目立つ人間、このラムガスには居ないからね」 「赤い恰好、ねえ……。炎の妖精か何かだったのかね?」 「馬鹿おっしゃい。妖精は元来私たち人間を助ける存在だろう? 私たちの生活に古くから根付いていて、私たちの生活を助けてくれるときもあれば、逆に私たちが助けるときもある。ま、持ちつ持たれつな関係じゃないか。私たちが妖精の怒りを買ったとは、到底思えないしねえ……」 「妖精の怒りを買った……とは言ったって、そんなこと、人間には解らないだろ? それこそ、どういう理由で怒りを買ったかなんて、人間には到底解りゃしないことばかりだと思うぜ。だって、人間と妖精じゃ頭の仕組みが全く違ってしまうわけだからな」  ……どうやらその会話を聞いているようだと、僕たちの船を燃やしたのはバルト・イルファで間違いないようだった。 「それにしても罠なんて……。くそう、リュージュのやつ、絶対に許さないんだから! ぎったんぎったんにしてあげるわ!!」  ぎったんぎったんなんて今日日聞かないなあ、なんてことを思いながら、僕は考えていた。  僕たちは転移魔術を誰も使えない。近距離、という制約を考えないならばレイナが使えないことはないが、それでも地繋ぎの場所だけ。しかも知っている場所というかなり厳しい制約付きだ。  とどのつまり、僕たちがリュージュの本拠地へと向かうためには、いずれにせよ船を手に入れなければならない……ということになる。 「しかし、いずれにせよ……船が必要になってきます」  そう言ったのはキキョウだった。確かにその通りではあると思う。船が無い限り、僕たちはこれ以上先に進めない。別の大陸に繋がっている通路でもあるのならば、話はまた別になってくるとは思うけれど、そんな都合のいい話が出てくるわけがない。  キキョウは口元を隠していた布を外すと、それをポケットに仕舞う。 「……ある場所に、あなたたちをご案内しましょう」 「ある場所?」  唐突に話が動き出したので、僕はキキョウに訊ねる。  対して、キキョウはもうその話を承諾しているような雰囲気で話を進めていく。 「レガドールの最高権力者、国王の住む居城です。私は国王から命じられて、予言の勇者を城へとお連れするよう言われました。しかしながら、先程も言った通り、この国は深層までリュージュの監視が広がっています。それは国王でさえ例外ではありません。国王の直下に居る大臣も数名、リュージュの腹心が紛れ込んでいると言われています」 「そこまで解っているなら、どうして排除することが出来ないのですか?」  核心を突く質問をしたのは、メアリーだった。お前がそんな質問をすることは何となく予想は出来ていたけれど、とはいえ、今そこでそれを質問するか。  キキョウは俯き、悲しそうな表情を浮かべると、軈て小さく頷いた。 「簡単です。それをすることによって、国民が不信を抱くと解っているのです。リュージュはそれを狙っているのでしょう。監視を続けて、もしそれを裏切るようであるならば、国そのものを崩壊させようと……」 「リュージュ……。そこまでして、いったい何をするつもりなのでしょう……!」 「解りません。ですが、国王はこうも言っていました。予言の勇者を気にしているということは、予言の勇者を利用するか、或いは恐れているのではないか、と」  僕を利用するか、恐れている?  しかしリュージュはそのような素振りは――少なくとも後者については見せなかった。それはつまり、リュージュが僕を利用する可能性があるということ。それはどうやって? でも、もし利用しようとしているならば、僕をここで足止めする意味があるのだろうか。  キキョウは踵を返し、僕たちをどこかへ誘おうとする。 「……どこへ?」 「先程もお話ししたと思いますが、この国の城に向かいます。すでに許可は得ております。しかし遠いので、行くとするならばそちらの竜馬車を使うことになると思いますが……」 「それならば問題は無い。さっき船の中で随分休ませたばかりだからね。まあ、君を追いかけるために少し疲労は溜まっているかもしれないが、それでも何とかなるだろう」  シュルツさんは即答して、云々と頷いた。 「ならば、大丈夫でしょう。それでは、向かいましょう。そしてご案内しましょう。我々の住む城へ」  そう言って、キキョウは大きく頷いた。  ◇◇◇  レガドールの中心にある聖山ライトス山。  この山の麓にあるのがレガドールの王城、ライトス城だった。  巨大な城壁と、城の背後に聳えるライトス山。守りだけ見れば完璧と言えるだろう。  城門を潜り抜け、中に入っていく。中はスノーフォグと同じように城下町が形成されていない様子となっていた。城門の中に城下町が形成されているのはどうやらハイダルクだけのようだった。  そもそもの話。  ライトス城の周りには町が無い。キキョウが言うには城下町はラムガスとなっているらしい。城下町とするにはその距離が遠いように見えるかもしれないが、ライトス山の周りはとても人が住む気候とはなっていないようで、城下町が出来るほど豊かな土地では無かったのだという。  竜馬車を降り、城内に入る。竜馬車を興味津々に学者なり兵士なり見つめていたが、 「それは客人の大事なものです。決して疚しい思いを抱かないように」  キキョウのその言葉で見るのを辞めた。  どうやらこの城での彼女の立場は相当高いものにあるらしい。確かに、国王直属のシノビとなっているのだから、地位としてはそれなりに高いのかもしれないが。  城内はキキョウが先頭になって進んでいた。それについては理由を訊ねるまでもなく、彼女がこの城の人間だからであり、それは当然のことだった。 「ここが、国王の部屋となります。……正確には謁見の間、になりますね。国王の部屋はまた別の部屋となりますから。しかしながら、基本ここに居る兵士や学者が国王と謁見する場所はこことなっておりますから……いつしかそう呼ばれるようになりました。通称みたいなものですね」  扉がある場所で立ち止まり、キキョウはそう言った。  扉には紋章のようなレリーフが描かれていた。そのレリーフは本をモチーフとしたようなものだった。 「本……魔導書?」 「では、扉を開けます。どうか、粗相のないようによろしくお願いします」  僕の言葉がキキョウの耳に届くことは無かったようだった。  キキョウはその扉を開けていく。  そして僕たちは国王の部屋――正確には謁見の間へと入っていくのだった。  ◇◇◇ 「よくここまでやってきた。……まあ、正確に言えばキキョウがここまで連れてきたのだから、ということになるか。キキョウよ、よく予言の勇者ご一行をここまで連れてくることが出来た」  レガドールの国王は、ハイダルクの国王と雰囲気が似ていた。とはいえ、古くは国王の一族は一人の男の子孫になっているらしいので、ハイダルクの国王とレガドールの国王は遠い親戚ということになる。 「さて、君たちが次に何をすべきなのか、教えて進ぜようじゃないか。聞いた話によれば、バルト・イルファという魔術師によって船が燃やされてしまった、と。ならば船を造らねばなるまい。とはいえ、この国で作る船は、ただの船じゃつまらないだろう?」  ニヤリ、と国王は笑みを浮かべた。 「国王陛下。……その、何をお考えになられているのでしょうか?」 「考えている。考えているとも。私は常にいつも考えている。……ええと、確か、そうだったな。ルズナは居るか?」 「ルズナ。……あの古文書ばかり読んでいる学者ですか? 彼が一体……」 「いいから呼んできなさい。彼の研究を使えば、きっと度肝を抜くはずですよ。あの神様気取りの馬鹿女の、ね」 「了解いたしました。……それと国王陛下、いくらこのような場所だとはいえ、言葉を慎んだほうがよろしいかと。どれほどあの女の手下が紛れているかどうか、未だはっきりとしていないところもございますので」  そう言って、キキョウは謁見の間を後にした。  キキョウがルズナと呼ばれる学者を連れてくるまで、五分ほどの時間を要した。キキョウに連れられてきたのは古く分厚い書物を読んでいた男性であり、連れてこられたというよりもその見た目からすると――『引っ張られてきた』という側面のほうが強いだろう。 「どうしたんですか、キキョウさん。急にこのような場所に連れてきて……。ややっ、ここは謁見の間ではありませんか。国王陛下への報告の日は未だのはずでしたが……。何かありましたか?」  眼鏡の位置を直しつつ、ルズナは言った。  なんというか、強烈なキャラだなあ……。 「ルズナよ。お前、過去に古文書にてあるものを発見した、と言っていたな。確か『空飛ぶ船』とか言っていたか……」 「……ええ、確かに言いましたが」 「それを作ることは、理論的にも可能だと、言っていたな。そして準備も進めている……と」 「ええ、まあ、確かに……言いましたが?」 「足りないものは何がある? ライトス銀か? 浮力を作る空気よりも軽い素材とやらか? それともそれ以外のものか?」 「いえ、そう言われましても……。ああ、確か、ライトス銀だったかと思います。ライトス銀なら、ライトス山から採掘すればいいのですが、最近、ライトス銀があの山から採掘されにくくなってきたのですよね」 「採掘出来にくくなった? ……ああ、そういえばそのような報告があったような気がしたな。なぜ採掘出来ないのだったかな?」  ルズナは眼鏡を直すような仕草を一つ。 「ええ、ええ。確か、採掘の最中にどうしても破壊できないような石が見つかりまして……。ああ、でも大きさ的には石じゃなくて岩になるのかな。とにかく、それを破壊しないと、もうこれ以上採掘することが出来ないのです。四方八方坑道は伸びているのですが、そこからは横にも奥にも進めることが出来ないのです」 「ふむ……。そうだったな。しかし、ライトス銀が無ければその空飛ぶ船も作ることが出来まい……」  国王陛下は何か考えるような仕草を始める。  つまるところ、これ以上は手詰まり。  やる方法としては、明確に一つ決まっているというのだけれど、それをこちらに提示することが出来ないということだろう。 「あの、僕たちが向かうことは出来ないですか?」 「……というと?」 「僕たちがライトス銀を取りに行くことは、可能でしょうか?」  国王陛下が言いたくて言えなかったことを、こちらから提案する。  それを聞いて目を丸くするのは国王陛下とキキョウだった。  ……当然だろう。あちらから言い淀んでいたことを、敢えてこちらから提示したのだから。 「それは不可能では無い……だろう。だが、そんなことを頼んでしまっていいのかね? 別に、ほかの人に任せてしまっても問題ない。君たちに危険を冒してまで、ライトス銀をとってもらう必要は無い。それに、ライトス銀が取れない可能性だってあるわけだからな」 「いや、けれど待っている時間もありませんから」  その言葉にメアリーたちも頷いていた。  どうやら、僕たちの考えは一緒だった。  それを見た国王陛下は頷いた。  その頷きは、ライトス銀を採取してきて良いという同意の頷きだった。  ライトス城、武具開発室。  その場所には、一人の男が紙に線を描いていた。それは直線だけではない。曲線も、円も、様々な道具を使ってはいるものの全て一人で描いていた。  それを見ていた僕は、一瞬でその集中力を削いではいけないと察し、何も言わずにただ踵を返した。  ただ、それだけだった。 「……別に俺に何か用があるのならば、言えばいい。どうせいつ完成するかも解らない夢物語な代物の設計図なんだからよお……」  背後から声が聞こえた。  低く、渋い声だった。  その声を聞いて、ゆっくりとまた元の位置に向き直した。  先程僕たちに背中を見せていたはずの男が、しっかりと僕たちを見つめていた。  長い顎髭、仏頂面、ぼさぼさの白髪。作務衣のような恰好に身を包んでいた彼は、その見た目から職人たるものだった。 「……それにしても、こんなガキどもが何の用だ? 俺は今忙しいんだよ、あのクソガキが言ってきた、空飛ぶ船とやらの開発でよ」 「え……。空飛ぶ船は、資材がなかったはずじゃ……?」  それを聞いた老人は首を傾げると、その発言をしたメアリーを睨みつける。 「おう、そうだ。……だが、なぜそれを知っている? それを知っているのはあのルズナって言うクソガキと、国王陛下だけだったはずだが……」  あの科学者、そんな呼ばれ方されているのか。  ちょいと可哀想な気がするけれど、そんなことを思っていては話がまったく進まない。だから、僕は話を続けた。 「知っている理由については、今は省かせてください。まあ、別に省く必要も無い程度の話ではありますが」 「ふん。どうせあいつが何か言いだしたのだろう? あるいは国王陛下がか……。まさか、お前たち実はそれなりに偉いとか、そういうことになるのか?」 「彼らは予言の勇者様ですよ、タンダさん」  そう言って僕たちの隣に姿を見せたのは、ルズナだった。 「……ルズナか。いったい何の用だ。ここに来た、ということは漸く見つかったか? あの岩盤をぶち壊すやり方が」  それを聞いたルズナは首を横に振り、 「いえ、残念なことではありますが、まだはっきりとしていません。寧ろ、それ以上の方法が見つかった、ということですよ」 「……まさか、予言の勇者に頼む、なんてことは言わないだろうなあ? 博識のお前が、他人を頼らないはずのお前が」 「……そんなことは言われたくありませんよ。それに、それは、昔のことでしょう。違いますか?」 「昔のことだから罪に問われないと思ったら大間違いだぞ、ルズナ。お前が何をしたのか知っている。お前がやったこと全て、たとえ国王陛下が容認されたとしても、その功績が認められ、国での一切の懲罰を受けないとしても!」 「やめなさい!」  ルズナが、聞いたこと無いような大きな声を上げた。  はじめ、彼自身は自分がなにをしているのか一切解らなかった。  だが、少し遅れてルズナは踵を返すと、大急ぎで来た方向に走って行った。  それを見たタンダは溜息を吐いて、 「……悪いな。変なところを見せてしまったな。お詫びと言ってはなんだが、何か飲んでいくか?」  その言葉を聞いて、僕たちは小さく頷いた。  ◇◇◇  タンダの居た部屋の奥には畳が敷かれていた。簡単に言えば和室そのものがあったわけだが、それについて訊ねようとしたところで、タンダから話が始まった。 「……それにしても、空飛ぶ船なんて、本当に出来るんでしょうか?」  メアリーが単刀直入にタンダに訊ねた。質問したい気持ちは解るけれど、メアリー、直球過ぎやしないか。  ……なんてことを思っていたのだけれど、肝心のタンダはなにも言わなかった。それについてはちょっとホッとしたところだったけれど。 「……まあ、お嬢ちゃんがそう思うのも仕方ない話ではあるな。かつてこの国もスノーフォグと同じように科学力では負けることは無かった。あくまでも『過言では無い』レベルであって、実際にそうだったわけではないがな。スノーフォグには負けていたものの、それなりの科学力があったわけだ。あの組織が成立するまでは……」 「組織?」 「……魔法科学組織『シグナル』」  タンダはぽつりとそう呟いた。 「その名前を知らない人間は、もはや殆どとなってしまったことだろう。それについては致し方無いことだとは思う。だが、そのシグナルという組織は、この国から科学者を根刮ぎ奪っていった。その先には何も残りはしなかった。それについて、勿論批判はしたがね。誰も聞く耳など持たなかったよ。そりゃそうだ、その時は、その組織は『世界の科学技術を一段階以上シフトさせる』という大義名分があった。それに逆らうことは間違っている、と違を唱える人間が殆どだったわけだからな」  シグナルの思想。  それは普通に考えると、世界のためを思っているものだと言えるだろう。マクロな視点から考えればその通りだと言える。  では、ミクロな視点にフォーカスを当ててみるとどうなるだろうか? 世界全体の科学技術を上げるため、とはいえそれが一極集中になることは好ましくないはずだ。特に、科学者を奪われてしまった国ならば、それは猶更だろう。 「……きっと、あんたはそれを理解して、聞いているのだろう。まあ、それはどうだっていい。もう過ぎてしまった話だ。もう終わってしまった話だ。それを理解して聞いてもらいたい。それがどうなろうと、俺にはもう関係のない……いや、それは言い訳だな。話を続けることにしようか」  タンダはそう言ってコップに入っていた水を飲みほした。 「……シグナルは最初こそ、どんな研究をしているか解らなかった。それはハイダルクにもレガドールにも知られなかったと言われている。まさにブラックボックスだ。そしてそれを知りたくても、こちらから手紙を寄せても、機密事項に係ると言われて何も出来なかった。だから我が国のシノビをスノーフォグに潜入させて、シグナルが研究していると思われる施設に入った」 「そこでは……いったいどのような研究が?」  タンダは頷いて、そうして、ゆっくりと話した。 「……人間を用いた研究、ということしか解らなかった。だが、人間の骨があまりにも多すぎた。人が死んだだけではあれだけの骨は出ない。きっと何らかのことが行われているはずだ……と。そしてそれは非人道的実験の賜物ではないか、という結論が出た」 「非人道的実験……」  こくり、とタンダは頷く。 「そうして、結局……はっきり言って結局のところ、それ以上の情報を得ることは出来なかった。しかしながら調査団の結果を鑑みたハイダルクとレガドールは戦争を仕掛けた。正確には仕掛けようとした、が正しいのかもしれないがな」 「何が、あったんですか」  メアリーの問いに、タンダは小さく頷いた。  そして目の前にあった水を飲もうとして――しかし、それはもう空になっているからただ飲もうとした仕草だけだったけれど――彼の話は続く。 「……お前たちも教科書や授業で知っているだろう。『弾丸の雨』……だ」  どういうことだ。  弾丸の雨はリュージュが予言した、世界の災厄。その一つじゃなかったのか? 「弾丸の雨について疑問を浮かべることもあるだろう。そして、それは当然だ。この世界の隠されるべき真実、その一つ。弾丸の雨の始まりは、こういうことだった」 「……明かされていない事実を、未来明るい子供たちに伝えて、何が面白いのですか」  気が付けば背後にルズナが立っていた。  ルズナを見つけてばつの悪そうな表情を浮かべるタンダ。 「未来明るいかどうかは、彼らが自ら切り開いていくものだ。果報は寝て待てとはよく言う話ではあるが、実際には待った者に良い未来が訪れるわけではない。努力を重ね、やるべき行為をすべて行った人間にこそ与えられる言葉なのだから」 「……そうかもしれませんね。確かに、それに、私が言える立場では無いと思いますが……」  ルズナはそう言いながらも、僕たちに近づいていく。  いったい彼は何がしたいのだろうか。それについて質問しようかと思っていたのだが、 「……結局、ルズナ。お前はいったいどうしてここに来た。お前が来る用事は無かったはずだろう?」 「あなたにはありませんよ、タンダさん」  ルズナはかけていた眼鏡の位置をずらして頷く。 「むしろ、私は君たちに話があるのですから」 「……僕たち、に?」  ルズナは頷いて、一枚の手紙を差し出した。 「国王陛下からの伝言です。それは、鉱山の地図である、と。そして鉱山の奥地に、先程言った『何故か固くて掘り進めることの出来ない』場所があります。そこに向かって何があるかは解りませんが……」 「やっぱり国王陛下は、あの奥に進んでライトス銀を手に入れようとしているのか」  憤慨した様子でタンダは言った。 「どうでしょうね。いずれにせよ、ライトス銀は様々なものに使われています。その一例が聖職者の生活用品です。あの場所はガラムド様が直々に名付けた聖山であることはあなたもご存じでしょう?」  ライトス山。  確か教科書の知識が正しいものであると仮定するならば、その由来はガラムドが実際にこの世界に居た時代まで遡ることになる。その頃はまだ名前が明確に付けられる前の話だったという。ガラムドがこの山に名前を付けた時、『聖なる光』という意味となったライトスという言葉をつけて、ライトス山と名付けた。その後、ライトス山には銀が豊富にとれるようになったため、ライトス銀と名付けられ、そのライトス銀は聖なる山からとれた金属として、聖職者が使う物品に主に使用されているのだという。……どれくらい使用しているのか解らないが、枯渇しないのだろうか?  まあ、恐らく枯渇しないか、それを考えていないかのいずれかなのだろうけれど。 「……ライトス銀は、そりゃあ、貴重なものであることは知っているよ。だが、別に採掘しないともう不味くなるほど余っていないわけではないのだろう?」 「それがですね、予言の勇者様に作る『空飛ぶ船』。これを実用化したいと言ってきたのですよ、真教会が」  真教会。  ガラムドのことを唯一神と信じ、神の一族たる祈祷師を準神という地位に置きながらも、神に等しい地位には置いていない。この世界の宗教としては珍しい立ち位置に立っていると言っても過言ではない。まあ、世の中にはガラムドを信じていない宗教も居るくらいなので、この宗教は未だ異端には入らないのだろうけれど。 「……真教会、か。あいつら、自分たちが唯一の正義と謳っているから言いたい放題だな。まあ、それを国の宗教としている以上、逆らうことはなかなかに難しいことなのだろうが。それにしても、烏滸がましい話とは思わないのか? 確か真教会の言い分だと、ガラムドは天界に居るはずだ。そのガラムドと同じ地位に立ちかねないものを進んで開発させるとは、はっきり言って信じ難いが」 「それは私に言われても困りますね」  ルズナは眼鏡の位置をずらすと、不敵な笑みを浮かべて、靴を脱ぎ、畳の上に入ってきた。  それを見たタンダは怪訝そうな表情を浮かべていたのだが、それを僕たちが居る場では言えないのだろう。というか、もう結構な回数僕たちの前で言っていることだし、別に隠す必要は無いと思うけれど。  それはそれとして。  タンダの言葉が無いことをいいことにルズナはずいずいと入ってきて、僕の隣に、正確には僕とメアリーの間にあった僅かなスペースに入り込んできた。 「ちょいと、失礼させてもらうよ。立ち話をするのも疲れるんだ。研究ばかりしているからだろ、と言われてしまうかもしれないがね……。まあ、実際にはそれ以外のこともしているわけだけれど」 「だからと言って、そこに入っていいと許可していないぞ」 「そうですか? ここにいる彼らはあまり気にしていないようですが。あなたの考え過ぎではありませんか。……とは言いたいところですが、私だっていろいろとひどい事をしてきましたからね。そう言われる気持ちも致し方ありません」  案外素直にルズナは謝罪した。  そうなってしまった彼を咎めることもできないタンダはいろいろと何か考えた挙句、頭を掻いて直ぐそばにあったコップを取り出し、水を注いだ。 「……、」  ルズナは何も言えず、ただ出された水を見てぽかんとしていた。  タンダは我慢できなくなったのか、お代わりした水を再度飲み干すと、 「なにぼうっとしてやがる。それはお前のために汲んだ水だ。それ以上の何物でもねえ。飲まねえ、って言うならすぐにまた俺が飲み干すぞ」 「いや、別に、そんなことは思っていませんよ。……いやあ、嬉しいなあ。ちょうど喉が渇いていたんですよ」  少しわざとらしいオーバーな反応をしてルズナはその水を一口飲む。 「……んで、話が進まないが、要はこいつらにライトス銀を採掘しにいかせる、ってことか?」 「正確にはライトス銀採掘の支障となっているものの調査、ですかね。ライトス銀は採掘するのにそれなりに高い技術を要します。それはこの国で長年培われてきた独特なものですから」  つまり、門外不出ということか。  それならば採掘させない理由も納得出来る。 「……さて、話がずれてしまいましたが、本題に戻りましょうか。国王陛下は言っていました。これはあくまでも『お願い』であると。だから断ることだって出来ます。そしてその場合はあなたたちに移動手段を持たせるための策を講じるとも言っておりました。ですから、これはあなたたち次第。あなたたちが出来ると言うのならば、ライトス山までご案内しましょう」 「そんなこと……」  はっきり言って、聞かれるまでも無かった。  そしてルーシーとメアリーもまた、同じ気持ちでいた。  だから、僕は、それについて大きく頷いた。  ライトス銀の採掘を阻害している謎の物体を除去する。ほんとうに自分たちに出来るかどうか解らないけれど。  それでも僕たちは、前に進むしか無かった。  ◇◇◇  ライトス山は銀山と呼ばれている。だから登山道とかルートとかしっかりしていなくて、結構面倒な道程になることを覚悟していた。  しかしいざライトス山に到着してみると、銀の採掘現場付近は流石に関係者以外立ち入り禁止にはなっていたものの、それ以外は普通に一般人も出入りが出来るようになっているらしい。 「……というか、これってただの観光地よね……」  メアリーの独り言にも僕はおもわず頷いた。何故なら僕もまた同じ考えを抱いていたからだった。正直言ってしまえば、もう少し質素なイメージがあったからだ。だが、いざライトス山に到着してみると登山ルートの説明があったりお土産屋があったりコテージまである。人も疎らとは決して言い難い程の人数が居り、場所を間違えてしまったかと思ってしまった程だった。 「仕方がないでしょう。あなたたちも見た通り、この国にはあまり観光資源がありません。本来ならこのような銀山は危険性を鑑みて立ち入り禁止にしてしまうのが筋ですが、有用な観光資源が出てこない以上ここを観光地とするほかないのですよ。それに、ほら」  一緒に案内役としてついてきていたルズナは非常に面倒くさそうな素振りで上を指差す。  その方向を見ると、山の上の方に建物があるのが解った。 「あれは真教会の修道院です。それと同時に本部も兼ねています。ここにはガラムドの魂が眠っているとも言われていますからね……。彼女が遺した痕跡も多いことから、彼女を崇拝する人間は年に最低一回この地を訪れて祈りを捧げていますよ」 「……それも立派な収入源になっている、ってことですか」 「まあ、そういうことになりますかね。その代りに国は真教会を正式な宗教として認め、活動の合理性をも認めていますから。ウィンウィンな関係なんじゃないですか。僕はそこまで詳しく知りませんが……おっと、そろそろ着きますよ」  それってつまり、金の代りに宗教を許容しているということになるのだろうか。政治と宗教がズブズブに嵌っている世界、ということになるのだろうけれど。  とまあ、そんなことを考えるのは今の時点では時間の無駄だ。とにかく今はやるべきことをやらないといけない。 「ここが入り口になる。本来ならば入ることは出来ないのだが……、私が持っているこのパスを利用することで入ることが許される」  扉の前に立つ屈強な男にパスを見せるルズナ。  すると彼の言った通り男は道を開けた。そしてそのまま僕たちは中に入っていく。  中は詰所のようになっていた。しかしながら誰も居ない。もっと言うならば住んでいるような形跡も見られない。恐らくはかつて採掘をしていた頃はここで多くの人が寝泊まりをしていたのだろう。ただ今は人が居たという形跡を残すのみとなっているのだが。 「ここから先は私はついていくことは出来ない」  その言葉を聞いて、僕たちは一斉に振り返った。 「言ったはずだろう? 私は道案内しかすることが出来ない、と。そして今、私の役目は終わったということだよ。地図は渡しただろう? その通りに進めば辿り着く。それからどうなるのかは……残念ながら誰にも解らない」  それってつまり僕たちに投げっぱなしにする、ということじゃないか。ちょっとした打ち切り漫画よりひどいぞそれ。  まあ、僕たちにそれを否定する権利なんてないのかもしれないけれど。  はてさて。  僕たちは今ライトス山の坑道を歩いている。坑道は最近人が使っていないから荒れ果てているかもしれない、と言っていたルズナの予想を大きく裏切る形となっていた。  一言で言えば、整備された坑道だった、ということ。  しかしながら、それは僕たちにとってラッキーだった。別にマゾ体質なんて無いし。 「……あ! もしかして、あれがその……」  ルーシーが指さした、その先には大きな石があった。それも他の壁はどこか灰色みたくなっているのにその石は何も混ざっていない、真っ白だった。 「確かに、他のものと比べれば『異質』よねえ……」  メアリーはペタペタとそれを触りながら言う。対して僕と言ったら、ただそれが気になってはいたけれど、実際に手出しすることは出来なかった。  どこか違和感があったんだと思う。ただ、見知らぬものを毒などのステータス異常に陥る可能性があるものだと勝手に割り振っていただけだったのかもしれない。  まあ、それは僕の勝手な推測だったわけだけれど。 『フル・ヤタクミ……、聞こえますか……』  声が聞こえたのは、ちょうどその時だった。ルーシーやメアリーの表情を見てみたが特に変わった様子は見られない。つまり、これは僕にしか聞こえない声……ということになる。 『フル・ヤタクミ。あなたはその石が気になっているのでしょう。……前に進むならば、その石に触れなさい』 「石に……触る?」 「ほら、フル。調査していないのは君だけだぞ。見た目であーだこーだと議論を重ねたいのも解るし、それも立派な思考の一つだ。だが、実際に触ってみることで何か違った考えが見えてくるかもしれないだろ?」  ルーシーの言葉と、僕の言葉はちょうど同じタイミングで発せられた。同じ波長が打ち消しあうだとか、その流れは理解出来ないけれど、それでも同時に話してしまったため、お互いに話を聞いていなかった。 「……いま、フル、何か言った? もし案があるなら先に言っていいよ」 「なんでも無いよ。ルーシーこそ、何を言ったんだ? もし現状を打開できる方法があるというのならば教えて欲しいかな」 「……解ったよ、フル。このままじゃ話が進まない。だからまずは僕が話すことにしよう。君はさっきから色々と見つめながら色々と考えているわけだけれど、それよりも実際に触ってみた方がいいのではないかな、と思ったまでだ」 「うん、成る程ね。……偶然かもしれないけれど、僕もそう思っていたよ。メタモルフォーズや、そうじゃなくても何かの生き物の可能性をどうしても捨て切れなかったから、無防備に近付くことが出来なかった」 「それなら大丈夫だよ。メアリーに、僕、それにレイナも触っているんだ。そしてその三人が危機感を抱いていない。いや、全く訳が解らないという意味では危機感を抱くべきなのだろうけれど……。いずれにせよ、安全は確保されている。だから、何の問題も無いよ」  ルーシーの言葉を聞いて、僕は少しだけ安心することが出来た。  そして僕はその石の前に近付いて……その石に触れた。  石がほのかに光り出したのは、ちょうどその時だった。  まるで主人を待ち焦がれていたかのように。  まるで認証が一致したかのように。  そして光は止まらない。そのまま石はゆっくりと窪んでいく。その形は紛れもなく何かを差せるような穴だった。それはまるで、 「……鍵穴?」  メアリーが一つの解答を示した。  そしてその解答は、少なくとも僕たちの中では共通認識として存在していたのか、ゆっくりと僕たちは頷いた。  鍵。  何か鍵を持っていただろうか。そんなことを考えながら、ふと思い出したことがあった。 「フル、その首飾り……」  どうやらメアリーもそれを思い出していたようだった。  まだ僕たちがラドーム学院に居たころ、トライヤムチェン族の長老からもらった小さな鍵があった。いつか使う時がやってくるはずだから、大事に取っておくこと。そんなことを言われたので、絶対に失くさないように首飾りにしていたのだった。 「もしかして……トライヤムチェン族の長老はこうなることを知っていた、ということ?」 「それは解らないよ、ルーシー。けれど、僕たちが持っている鍵はそれだけだ。そうだろう? だからまずは、やってみないと解らない。ほんとうにこれがその鍵穴に差すべきものであるのか、ということについて」 「……どういうことか解らないが、気になっているのならば試してみたほうがいいのではないか?」  シュルツさんの言葉に僕は頷く。  そしてさらに話は続いた。 「失敗してもいい。転げ落ちてもいい。けれど、何もやらないのは何もならない。それは私にも言える話ではあるけれど……、いや、そんなことはどうでも良かったね。とにかく、まずはやってみないと、何も始まらないよ」 「そう……ですね」  結局、何かアクションを起こさない限り、何も始まることは無い。その結果が良い方向に進むか悪い方向に進むかは、今考える話ではないということだ。  確かにそうかもしれない。  だからこそ、僕もまた悩んでいた。  殆どの人間は結果を仮定してから行動に移す。そしてそれは、僕も同じ考えを持っていた。  だからこそ、シュルツさんは僕に助言をしたのだ。何でもかんでもやってみないと何も始まらない、と。 「……いい?」  僕は、再確認する。  僕の行動で不利益を被る可能性だって考えられる。それは僕がやることではなくて、僕以外の誰かになる可能性だって十二分に考えられた。  だからこそ、僕だけの意思でその鍵を開けることは出来ない。 「何言っているんだよ、フル。その鍵は君がもらったものだ。今この状況を打開できるかもしれない唯一の策を、君が持っていた。もちろん、ほんとうに打開できるかどうかは解らないけれど……、それでも、君の考えに僕たちが異を唱えることは出来ないよ」  ルーシーの言葉を聞いて、僕は彼の顔を見上げた。  彼は笑っていた。まったくの屈託の無い、晴れやかな笑顔だった。 「フル、それは私も同じよ。私だって、あなたの意見に賛成」 「私も!」 「……当然、私もですよ。フル」 「みんな……」  僕の意見に、誰一人として反対する人間なんて居なかった。  そして、僕はそのまま持っていた鍵を……ゆっくりと鍵穴に差し込んだ。  ◇◇◇  そして視界が。  白で塗りつぶされた。  ◇◇◇  目を開けると、そこには何もなかった。  いや、それは間違いかもしれない。正確に言えば、白一色の世界が広がっていた。地平線が溶け込んで、いったい今どちらが上なのだろうか、と解らなくなってしまうほどだった。あいにく重力は通常に働くため、その違和感ののち、上下を判別することが出来たといえる。  振り返ると、メアリーたちが居た。どうやら彼女たちも無事だったとはいえ、この謎の空間に入り込んでしまった様だった。  そして再度前に向く。  そこには何も無かったはずだった。  けれど、確かにそこには小さな円柱が立っていた。  円柱の上には開かれたままで本が置かれていた。  不思議な本で、触ることも躊躇ってしまう程だったけれど、気付けば僕は一歩進んでいた。 『フル・ヤタクミ。その本を手に取りなさい。それにより、あなたはさらに大きな力を身につけるはずです』 「さらに大きな……力?」 「フル、どうしたのさ。独り言なんか言っちゃって」 「うん……、いや、何か頭に直接声が聞こえて……」 「もしかして、ライトが?」  ルーシーは振り返る。  背後に居たライト(普段は力を使いすぎないように姿を隠しているわけだが、今は半透明のような感じになっていて、目を凝らすと見ることが出来る)が首を傾げて、 「いえ、今の私は念話を使っていませんよ。それに今は主人たち以外いません。そのような状況で使うはずが……」 「おかしいな……。でも確かに聞こえたんだよ。この本を読むと力が手に入る、って」 「気のせいじゃないのか?」 「うーん、でも確かに聞こえたんだよなあ……」  声に従うまでもなく、ここまで来ていると僅かではあるもののその本に興味が湧いてきていた。本は読めない言語で書かれていたわけだけれど、それでも興味が消えることは無かった。  そして僕は、その本を手に取った。  同時に、僕はその場にうずくまった。  ◇◇◇ 「ふ、フル!」  ルーシーはフルの異変に気付いて、彼に近付いた。  うずくまったあとの彼は頭をずっと抑えていた。痛い、痛いと呻き声を上げていた。  それでもなお、片方の手は本を離すことは無かった。 「くそっ、まさかこの本は呪いか何かか! 解ってさえいればフルに持たせることは無かったのに!」  ルーシーはその本を呪いの類が書かれたものだと断定してそれをフルから外そうと試みる。  しかしがっちりと嵌っていて、外せそうには無かった。 「……何で……? 何で、外すことが出来ないんだよ?」  ルーシーはただ、苦しむ彼の姿を見守ることしか出来なかった。 「聞いたことがあります。この本……もしかしたら、『ガラムドの書』かもしれません」  そう言ったのはライトだった。ライトの言葉を聞いて、あるワードに引っかかったルーシーは踵を返す。 「今、ガラムドと言ったかい?」 「ええ。ガラムドが自ら記した魔導書、しかもそれは唯一の魔導書とも言われています。それが、ガラムドの書。全部で五十の魔法が記載されていて、それはすべて詠唱のみで実行出来ますが、はっきり言って魔法の範疇を超えていると言っても過言ではないスケールだと言われています」 「ガラムドの書……。どうしてそのようなものが、こんなところに……?」 「危険なものを自ら晒すわけにはいかなかったのでしょう」  静かに言ったのはやはりライトであった。 「……危険なもの?」 「ガラムドの書に収録されている魔法はスケールから違って普段の魔術とは大きく異なります。それに詠唱のみで発動できることから、魔術ではあく魔法に分類されることでしょう。しかしながら、ガラムドの書に記載されている魔法はいずれも消費エネルギーが膨大であるということと、それを詠唱出来る人間が今までいなかったと言われており、幻の書物として言われています」 「……ライト、それをどこで?」 「詰所に置かれていた書物を読みました。この地方の伝説について、でしたか」  いつの間にそのような本を読んでいたのか――とルーシーやメアリーは思ったが、それよりも問題はフルだった。漸く頭の痛みが治まったのか、立ち上がっていた。 「フル、大丈夫か――」 「……うん、大丈夫だ。頭の痛みも引いてきた。ごめんね、心配かけてしまって。たぶん、大丈夫だから」 「……あら、まさかもう辿り着いちゃったわけ?」  声が聞こえた。  その声は彼らもよく聞いたことのある声だった。  踵を返し、その相手を見つめる。  そこに立っていたのは――ロマ・イルファだった。  ◇◇◇  どうしてこんな調子の悪いタイミングで出てくるのか。そう言ったところで状況が好転するわけでもないので、ただの言い訳にしか過ぎないのかもしれないけれど。  ロマ・イルファは長い髪をかき上げて、僕たちに目線を寄せる。 「……まさか、こんなに早く魔導書を手に入れるとは思いもしなかったわ。それにしても、魔導書を手に入れないようにする、というのがリュージュ様の考えだったはず。どうしてこのようなことに……」  僕の手元には、もう魔導書と呼ばれているそれは無かった。  手放したわけでもないけれど、いったいどこに消えてしまったのだろうか?  僕の様子を見ていたロマ・イルファが舌打ちをして、言った。 「何を探しているのか知らないけれど、ガラムドの書は知識の具現化として存在しているものになる。だからそれを理解してしまえば知識として吸収されることになるから、ガラムドの書は具現化されなくなる。……マズイ、そいつは非常にマズイんですよ」 「マズイ? 別に僕たちにとってはどうだっていい。むしろ有利になったと言ってもいいだろう。お前たちがどうなろうと、こちらにとっては知ったことではない」 「まあ、そういうのが普通だろうね。……致し方ない、リュージュ様に報告することにしましょうか」  そう言って、何も言うことなく、踵を返して立ち去って行った。  逃げていくのであれば僕たちとしては何も言いようがない。それどころか言わないでいたほうがいいだろう。今の僕たちの実力からして、まだロマ・イルファを倒すことについては少々不安が残るからだ。  はてさて。  ロマ・イルファがやってきたときはどうなるかと思ったけれど、ただの様子見だったということで少し安心した。これで戦闘になったとすればどうあがいてもロマ・イルファに理がある。今の場所が坑道ではないとはいえ、閉鎖空間であることは間違いない。ということはいろいろな魔術を使う可能性が考えられると言っても過言ではない。バルト・イルファが炎ときたので、ロマ・イルファは水だろうか……。  そんなことよりも。  とにかくこの場所から出るしかないだろう。実際問題、この場所はどういう空間なのか、はっきり言って解らない。けれど、脱出しない限りは先に進めない。 「いったいどうすれば……」  僕はゆっくりと前に進み、出口を捜索し始める。 『……みなさん』  脳内にまた声が響いた。  だけれど、その声は先ほど魔導書を手に取る前に聞こえたそれとは違っていた。  しかも今度はルーシーとメアリー、それにレイナとシュルツさんにまで聞こえているようで、それぞれ反応を示していた。 「なあ、フル。今、声が聞こえたよな。フィアノの村の、あの時のように……!」 「ああ、聞こえたよ。そしてその声は……脳内から」 『今、私はあなたたちに聞こえるようにお伝えしています。私は、あなたたちをある場所にお連れしたい。そのために声を掛けました』 「その場所……とは?」  メアリーの問いに、少しだけ間をあけてその声は言った。 『樹に触れたものは、真の力を得ることが出来る……人間たちの中では伝説といわれている、「知恵の木」です』