チャール島の港町、フィアノ。  しかしその町は活気に溢れているはずにも関わらず、人の声が一切聞こえることがなかった。人が生きている様子が見られない、とでも言えばいいだろうか。 「…………」  その時だった。  微かにどこかから声が聞こえてきた。その声がどのようなことを話しているかどうかまでははっきりとしなかったが、何かを話している、それについてははっきりと解った。 「なあ、ルーシー。今、何か聞こえなかったか?」  一応、ルーシーにも確認。もしかしたら空耳の可能性もある。  ルーシーは首を傾げて、 「何か聞こえたか? ……生憎、僕には何も聞こえなかったようだけれど」  やはり、聞こえなかったか。となると空耳の可能性が高い。無理にこれ以上追及する必要も無いだろう。  そう結論付けて、僕はルーシーになんでもないと言うところだったが――、 「こっちに来てください……!」  再び聞こえたその言葉は、どうやらルーシーにも聞こえたようで、目を丸くしていた。  ルーシーは僕のほうを見て口をぱくぱくさせながら、 「……もしかして、フル、君が言った『何か聞こえる』って、これのことかい?」  こくり、と僕は頷き、 「うん。でもさっきはこれくらいはっきりと聞こえなかった。どこか遠くで誰かが話しているな、って感じしか解らなかったよ」 「そうか。……いや、いずれにせよ、あの声はどこから聞こえてきたんだ? この声はいったいどこから……」 「もしかして、あの洞窟からじゃないのか?」  そう言ったのはレイナだった。レイナが指さしたその先には――山にぽっかりと開いた洞窟だった。 「あの洞窟からか……。ちょっと気になるが、見に行ってみるか」  洞窟の中は鍾乳洞になっていた。水音が響く、幻想的な空間となっていた。  こんなところに人が居るのか? なんて思っていたが――そんなことは早計だった。  椅子に一人の女性が腰かけていた。  薄緑のドレスに身を包んだ女性だった。けれど、それがほんとうに人間であるかどうかは判別し難い。はっきり言って、今の見た目を考慮すればそれは人間とは思えない。  彼女はほのかに光り輝いていたからだった。 『……ようこそ、いらっしゃいました。ルーシー・アドバリー』  椅子に腰かけていた女性はルーシーの名前を呼んで、そう言った。 「ルーシー、知り合い?」 「いや、初めて出会ったけれど……」  ルーシーの言葉を聞いて、女性は椅子から立ち上がる。 『守護霊について、あなたはどれくらいご存知でしょうか?』  守護霊。  名前だけは聞いたことがあるけれど、それほど知識は無い。  ただ人と契約を交わし、契約者を守るために行動をする。ただそれだけしか聞いたことがない。 『……その様子だとあまりご存知ではないようですね。まあ、仕方ないことでしょう。この世界はどれくらい進んでいるかは解りませんが、錬金術や魔術に比べれば非常にマイナーな分野ですから。マリアが私と契約を結んだときでさえ、まだ興隆の余地が残されている……としか解っていませんでしたから』 「マリア……、もしかして、マリア・アドバリーのことか!?」 『ええ。ルーシー・アドバリー、あなたにとっての遠いご先祖ですからね。知らないはずが無いでしょう。神ガラムドに命じられました。予言の勇者に加護を与えるよう……。しかし、あなたはもうエルフの加護を得ている。ならば、次に加護を得るのは……』  そうして。  その女性はルーシーを指さした。 「……僕?」 『そう。あなたです。そもそも、私はもともとアドバリー家に仕える身としてマリア様に召喚されました。ですが、私はガラムドに守護霊神として命じられて、この地に住まうこととなった。この町は守護霊使いの村と呼ばれていますからね……』 「守護霊使いの村……」  僕は女性の言葉を反芻する。  それにしても、守護霊の神――か。人々はこの神を信仰していた、ということになるのだろうか。 『それでは、あなたに加護を与えましょうか。ルーシー・アドバリー。あ、そうでした。先ず、私の名前をお伝えしないといけませんね。私の名前はライトといいます。守護霊の神、ライトです。同じ守護霊を量産することで、この場から離れることが出来ないという問題を解決します。そうして、今から、』  ライトは右手を掲げた。  同時に、ルーシーの身体に何かが入り込んだように見えた。 「いったい、何を……?」 『文字通りのことですよ、予言の勇者。私はただやるべきことをしただけ。今、何が入ってきたかは見えたでしょう? あれは守護霊ですよ。守護霊を彼の体内に入れたのです。私は先程、加護を与えるといいましたが……その前には一つ「試練」があるのですよ』 「……試練?」 『ええ……』  ライトはルーシーのほうを見つめて、冷淡な口調ではっきりと言い放った。 『――守護霊が体内に入っても、耐えうる身体であるかどうか、試すものです』  ◇◇◇  僕の身体に、別の何かが入り込んでくる。  僕の心を、何かが破壊しようとしている。 「僕の身体を、乗っ取ろうとしているのか……!」  僕は、僕は、僕は――!  いいや、だめだ。  フルは予言の勇者としてエルフの加護を得ている。メアリーを助けるためには、僕だって強くならないと――。 「お願いだ。協力してくれ。守護霊」  僕は、そういって右手を差し出す。  自分を殺そうとしている相手に無防備に利き手を差し出す行為――はっきり言ってそれは自殺行為だということは解っている。けれど、僕はそれでも。 「強くなりたい」  その言葉が、自然に零れる。  一度その堰が壊れてしまえば、言葉はどんどん溢れてくる。 「僕は……何でも知っているメアリーや予言の勇者のフルと比べれば取り柄がない! だから強くなりたかった。誰かに守ってもらうんじゃなくて、自分自身を、味方を、みんなを、守ることのできる力が欲しかった!」  守護霊の攻撃が、僕の身体に当たる。  痛みは無い。その代わり、ぶつかった場所から煙のようなものが出てきて、僕の身体がそこを皮切りに消えようとしている。 「お願いだ。君は力を持っているのだろう? 僕は君を傷つけるつもりなんてない。僕はただ、みんなを守る力が欲しい! ただ、それだけだ!」  そして、僕の視界が光に包まれた――!  ◇◇◇ 「……ルーシー、大丈夫か……?」  僕たちは、ライトから言われたように彼女の前で待機していた。ほんとうはすぐにでも駆けつけたかったが、ライトからそれを抑止されてしまっては何も出来ない。ただ僕たちは、ルーシーの試練、その結果を待つしかなかった。  ルーシーは横たわったまま、動かない。 「ルーシー……大丈夫かしら……?」  レイナの言葉に、僕は頷く。 「きっと、ルーシーなら大丈夫な……はずだ」  ルーシーの左手がぴくりと動いたのは、ちょうどその時だった。  そしてルーシーはゆっくりと立ち上がった。 「ルーシー!」  僕は我慢出来なくなって、彼のもとへと向かい――彼を抱きしめた。 「良かった。ルーシーが無事で。もし失敗するようなことがあったら……、僕はメアリーに何といえばよかったか……!」 「心配をかけてしまったようだね」  ルーシーは僕から距離を置いて、僕を見つめる。 「けれど、何の心配もいらない。こうして、守護霊と解りあうことが出来た。さあ、急ごうじゃないか。メアリーを助けるために」 『どうやら、無事に試練を乗り越えたようですね』  ライトが僕とルーシーに語り掛けた。  それを聞いてルーシーは頷く。 『いい目をしていますね。それならば、彼女とともにこの村の人間も助けることが出来るでしょう』 「やはり、この村の人間も……」  ライトは頷くと、外へと僕たちを促した。  僕たちはそれに従って、外に出た。 「この村は守護霊使いが集まる村です。別に集まってきたわけではなくて、もともと守護霊使いがこの村を作ったからそういうことになったのですが、それは省きましょう。別に話す意味が無いからです。……それはさておき、あなたたちの探し物は、おそらくこの山の上にある神殿でしょう。そこに、いるはずですよ」 「神殿……。もしかして、そこにフィアノの人たちは!」 『ええ。何が理由でそうなっているのかは解りません。けれど、彼らがそこへ運ばれていったこともまた事実。ですから、もし可能なら……』 「許せない」  僕は、我慢できなかった。  何の罪のない人たちの命を、どうしてそんなに蹂躙出来る?  どうして罪のない人たちを、そう簡単に動かすことが出来る?  普通の精神で出来る話じゃない。  リュージュ。  祈祷師であり、スノーフォグの国王。  僕は彼女を、許せなかった。 「フル、待ってよ!」  ルーシーの言葉を聞いて、僕は我に返った。  どうやら僕はそのまま守護霊神の洞窟を抜け出し、神殿のある場所へと歩いていたようだった。 「君が怒る気持ちも解る。けれど、冷静にしていないとどうなるか解らないぞ。奇襲をかけられるかもしれない。それとも、バルト・イルファが面と向かって攻撃してくるかもしれない。いずれにせよ、僕たちが向かう場所は敵の本拠地だ。リーダーである君が冷静を欠いて、どうするつもりだい?」  それを聞いて、僕は少しだけ落ち着けようと、深呼吸した。  それを見たルーシーは笑みを浮かべて、 「落ち着いた?」  と優しく問いかけた。  僕は頷く。そして、改めてまた一歩神殿へと足を進めていった。  寂れた教会のような建物が僕たちの前に見えてきたのは、それから少ししてのことだった。 「……これなら神殿というよりも教会といったほうが正しいような気がするけれど」  独りごちり、扉をゆっくりと開ける。もちろん、警戒しながら。突然敵の攻撃が出てくることだって十分に考えられるわけだから、それに関しては慎重に物事を進めていかないと。  中は質素な教会で、長椅子が並べられている。しかし暫く人が入った様子が無かったのか、やはり寂れている様子が目立っている。  神父が居る机の後ろには梯子で降りることの出来る穴があった。 「……もしかして、何か隠されている?」 「まあ、ただの寂れた教会では無いだろうな。何かあることは確かだと思う」  そうして僕たちは教会の奥へと足を踏み入れていく。  梯子を降りた先には、廊下が伸びていた。壁には等間隔に蝋燭がつけられており、つい先程まで誰かが通ったような跡も見受けられる。  やはり、この場所には何か裏がある。  そんなことが解るような場所になっていた。  その廊下の続く先には、大きな聖堂があった。山の斜面にむき出しになっているのか、ステンドグラスから月光が入ってきている。  ステンドグラスには人々を導く神のような姿が描かれていた。正確には丘の上に立つ一人の少女が多数の民衆を導こうとしている、そんな様子だった。  そしてそんな厳かな雰囲気に似合わないものが動き回っていた。  のそり、のそり、と。  或いは息を吐きながら、もしくは涎を地面に撒き散らしながら。  メタモルフォーズがその姿を隠すことなく、ゆっくりと動き回っていた。  それも、一体だけではない。何十体といったメタモルフォーズが広い聖堂の中を動き回っていた。 「……なぜ、こんなにもメタモルフォーズが……?」  シュルツさんは顎に手を当てて、首を傾げつつ、言った。 「気になりますね……。しかも、人間を見ても何も反応を示さない。それどころか気にしていないようだ。近づいても威嚇すらしてこないし……」 「あっ、フル。もしかしてこいつら……、リーガル城を襲った奴じゃないか?」  リーガル城を襲った多数のメタモルフォーズ。実際には、首謀者を倒したことによってこちらに来ることはなかったのだが……、確かに翼が生えているところや四足歩行で歩いているところを見ると、その特徴は似ているかもしれない。 「もしかして、ここにメタモルフォーズを住まわせていたのかな。リーガル城にやってきたメタモルフォーズはここからやってきた、ってことになるよね」 「そうだね。元々の目的地はここかもしれない。けれど、今はメアリーが先。こいつらを掻い潜って、奥へ向かおう。どうやら聖堂の両側に扉があるようだし、もしかしたらそちらに居るかもしれない。フィアノの人たちが」  メタモルフォーズたちの真横を通って、僕たちは左側にある扉へと向かった。扉へ向かう際、何回かメタモルフォーズの身体に触れてしまったが、メタモルフォーズはそれを気にすることは無かった。  もしかしたら、彼らにとって僕たちは周囲を動き回る虫と同じ扱いなのかもしれない。それだったら殺すも生かすも自由だし。害を成す存在じゃないと解ってしまえば、放置することも十分に考えられる。  扉を開けると、その聖堂よりも何倍も豪華な神殿が広がっていた。装飾物も壁も床も――すべてが氷で作られたような場所だった。 「……まさか、地下にこんな神殿が隠れていたなんて……」  もともとあった場所なのか、リュージュのような人間が作ったのかは解らない。  けれど、その空間には聖堂や地上の教会と同じような神秘的な空間が広がっていた。  そして、その場所の中央。  そこには何人もの人が居た。  そしてその中の一人には――。 「メアリー!」  僕は、その少女の名前を言った。  ルーシーもほぼ同じタイミングで彼女の名前を口にした。  それを聞いて人々は僕たちのほうを向く。そして、メアリーはそれを見て僕たちのほうへと駆け出した。 「フル、ルーシー! まさかこのような場所まで来るなんて……!」  メアリーは感極まっていて、もう涙がでそうだった。  それにしても、ほんとうによかった。  出会えないと思っていたから。 「大丈夫、何か酷い目にあっていない?」 「ええ、大丈夫よ、レイナ。ありがとう」 「はじめまして、君がメアリーだね。僕の名前はシュルツ。彼らとともに旅をしている。よろしく頼むよ」  ああ、そういえば、シュルツさんとメアリーは初対面だったっけ。  そんなことを思いながら、僕はシュルツさんとメアリーの握手を目の前で見ていた。 「はじめまして、シュルツさん。私がメアリーです。よろしくお願いします」  丁寧に握手をしたのち、頭を下げる。  これで目的は達成。  しかしもう一つの、追加目的が残されている。 「あなたたちが、フィアノの人たちですか?」  僕はメアリーを除いた残りの人たちに語り掛けた。  反応は誰も同じ。頷いたり、ただ僕のほうを見つめたり。 「僕たちは、あなたたちを助けに来ました。急いで逃げましょう、この場所から!」  それを聞いて人々は安堵の表情を浮かべていた。  これで一件落着。追加目的も何とか達成できる――そう思った、ちょうどその時だった。  神殿の奥から、拍手が聞こえた。  反響音も相まって、とても大きく聞こえるが、それはたった一人の拍手だった。 「いやあ、よくここまで辿り着いたね、フル・ヤタクミ」  神殿の奥には、いつの間にやら一人の青年が立っていた。  それは僕たちもよく知る、あいつの姿だった。 「バルト・イルファ……!」  そう。  バルト・イルファが、憎たらしいような笑みを浮かべて、神殿の奥に立っていた。 「バルト・イルファ……!」  僕たちの先に必ずと言っていいほど現れる敵、バルト・イルファ。  彼はまた僕たちの前に立ち塞がり、何をしようとするのか。 「今日も月は、赤いね」  そんなことを思って、いつでも臨戦態勢にしていた僕たちだったが、バルト・イルファは想像の斜め上を行く言葉を口にした。  月が赤い、ってどういうことだ? 月は白く輝き、神聖なものの一つとも数えられているくらいじゃなかったか? まあ、その考えは僕が前居た世界の考え方であって、この世界の考え方とは少々違うのかもしれないけれど。  バルト・イルファの話は続く。 「もしかして、何も解らない? ステンドグラス越しにも見えるじゃないか。あの煌々と赤く輝いている月が」  ステンドグラス越し……。バルト・イルファがそう言ったので、僕たちもまたそちらの方を見た。  そこには、確かにバルト・イルファの言った通り赤い月があった。しかし、その赤い月だけではない。そのすぐ隣には僕が良く知るような白く輝く月も存在していた。 「この世界の人間は、昔からずっと二つの月があることを学んできていた。最初こそ、その月が二つある理由について知っていたかもしれないが、次第にそれを知る人間も少なくなってきた……。当然だ、リュージュ様が記憶を、長い時間をかけて操作していったからだ」 「……つまり、あの赤い月にはリュージュが隠しておきたい何かがある、ということか?」 「そういうことになるだろうねえ」  あっさりと、バルト・イルファはそれを認めた。てっきり焦らしてくるものかと思っていたのだが……。 バルト・イルファの話は続く。 「あの赤い月が何なのか、はっきり言って僕も知らない。知る意味が無いからね。知る必要も無いから、と言って過言でも無いだろう。世界にはまだまだ自分が知らないことや、知らなくていいことがたくさんある。そして君は……その一つを知ってしまった、ということだよ」 「このメタモルフォーズの巣が、知られざる事実だと? ならばなぜここへ導いた。お前がメアリーを誘拐しなければ、ここまでやってくることは無かったじゃないか」 「違うね。正確に言えば、これもまた事実の形としては正しいものだということだよ」 「……バルト・イルファ。そろそろ長ったらしい話をやめにしないか?」  声を聴いて、バルト・イルファは小さく舌打ちする。  まるでその声がやってくるのが、あまりタイミングの良くないように見えた。  バルト・イルファの背後には、気が付けば一人の少女が立っていた。臙脂色の制服みたいな恰好、同じ色のスカートに黒いタイツを履いている。  そして、驚いたのは。 「ルーシーに……そっくり?」  いや、そっくりって程じゃない。もっと言うなら、瓜二つ。双子か何かと言われてもおかしくない程度だった。 「ルチア……。どうして、ここに!!」  驚いていたのは、一番驚いていたのは、ルーシーだった。  当然かもしれないが、知識を持っていない僕たちにとってみれば、目の前に女装しているルーシーとただのルーシーが二人居るということになる。これは普通に考えてみればおかしい話だってことは直ぐに解る。  けれど、ルーシーはどうやらその存在を知っているようだった。 「あら、いやですねえ。どうやら覚えているようなんて。てっきり覚えていないものかと思っていたけれど、やっぱり案外記憶力だけはいいんだね?」 「黙れ。黙れ……、何でお前がここにいる、ルチア?」 「いいじゃないですか、別に私がどこにいようたって。それともあなたは縛るおつもりですか? 私を、この私を!」 「クラリス……いや、ルチアと呼べばいいのかな。今のこの現状では?」  バルト・イルファがルーシーとルチアの会話に入って、笑みを浮かべた。  対してルチアは溜息を吐いて、 「ほんとうにあなたは人が窮地に立つ場面が好きですね、バルト・イルファ。それはそれとして、私のことについて簡単に説明しておいたほうがいいかなあ、お兄ちゃん?」 「あれほどさんざん言っておいて、突然妹面かよ。さすがにそれはどうかと思うぞ、ルチア」 「妹……嘘だろ、ルーシー。お前、妹が居たのかよ」 「一人っ子だと思ったのか? まあ、言う機会が無かったからな。いろいろとあって、こんな感じになっていたわけだけれど……。まさかこんなところで再会するとは思いもしなかったよ、『三番目』」 「三番目?」 「……アドバリー家は六人の兄弟姉妹から構成されている。そして、その力はそれぞれ年功序列という形になっている。何と言えばいいかな? 力は強い順に並んでいる、といえばいいかな。僕は二番目、だから二番目と呼ばれている。兄とか名前とか、そんなチャチなものでは呼ばれない。残念なことかもしれないだろう? けれど、アドバリー家ではそれが普通でそれが日常だ」 「長ったらしいことを話す必要があるのかしら? ……まあ、それはいいけれど。とにかく、まさかこのようなところで『二番目』に出会えるとは思いもしなかった。それに、予言の勇者側についているとは。血は争えないのでしょうか。戦う能力を持った、世界最強の家族とも揶揄されたアドバリー家の血は」 「はたしてどうかな。兄さん……『一番目』は戦いを拒んだじゃないか。今はどこに行ったかも解らない。世界のどこかを旅しているかもしれないし、有り余った力を悲しく思って自分で自分を殺しているかもしれない。家族だってそういっていたじゃないか。だから、一番目は欠番だ、と」 「……、」  何だか一番目とか二番目とか面倒な話になってきた。ナンバリングがどうこう、という話でも無さそうだし、実際問題、今死闘を始めようとしている二人は、二人とも紛れもない兄妹であるということもまた事実だった。  でも、そうであっても。  二番目と三番目の間には、いつ戦いの火蓋が切られてもおかしくない……そんな緊張感が張り詰めていた。 「……ストップ、クラリス。はっきり言わせてもらうけれど、今日はそんなことをするためにここに来たわけじゃないだろう?」 「ああ、そうだったっけ。ごめんなさい、バルト・イルファ。ちょっと知り合いと出会うとどうも忘れてしまうのよね。リュージュには言わないでもらえる?」 「別に言う必要もないよ。だって、君はあくまでも僕のように直轄で居るわけではないのだから」 「あら、そう。リュージュも優しいのね」 「優しい、というか外様にはあまり言わないだけだよ。はっきり言って、対処をするのが面倒なのではないかな?」  ふうん、と言ってルチアは僕を一瞥する。 「……あんたが、予言の勇者? まあ、なんというかよわっちいね。私が普通に倒すことが出来そうだけれど。ねえ、バルト・イルファ。彼はほんとうに予言の勇者なのかしら?」  疑うのは結構だが、本人の目の前で言わないでほしい。 「うん。彼は紛れもない予言の勇者だ。リュージュ様の予言にも合っている」 「予言、ですか。まあ、別にいいのですけれど。その予言はどこまで的中するかも解らない。にもかかわらず、そう言うのもどうかと思いますけれど」 「それは君も一緒だぞ、クラリス。……おっと、話が長くなってしまったな。予言の勇者、君たちは組織のことを知りすぎた。知らなくていいことまで知りすぎてしまった。君は予言の勇者として世界を救う存在へと成長する。そのためには、早めに芽を摘んでおく必要がある。……ここまで言えば、僕が今から何をするのか解るだろう?」  一瞬のことだった。  バルト・イルファが右手から炎を生み出し、それを僕たちへ投げつけた。 「危ない!」  僕たちは何もできなかった。あまりにも早すぎて、反応が出来なかった――そう言ってもいい。  僕もどうにかしてその炎を避けようと思った。  だけれど、何も出来なかった。 「やられる……!」  そう思った、その時だった。  僕の手が、まるで何かに操られるように腰に差していたシルフェの剣に向かっていた。  そして剣を構えると、それを僕たちの前で一振りする。  すると僕たちの前に緑色の薄膜が生まれて、それがシールドとなり、炎を遮った。  しかし、それを見てバルト・イルファは笑みを浮かべていた。 「くくく……。さすがは予言の勇者! そうですよ、そうでないと! こんな簡単な攻撃に殺されてしまうようならば、予言の勇者としては名が折れるというものでしょう! ああ、楽しくなってきましたねえ!!」  そして、バルト・イルファは指をパチンと弾く。  すると、背後の扉が大きく音を立てて崩れ去り、そこから一頭のメタモルフォーズが入ってきた。  メタモルフォーズ――とは言ったが、実際には少年のように見えた。全身を白で覆いつくしたような少年はポケットに両手を突っ込み、ただ笑みを浮かべていた。ただ、人間が持っているような特有の生気が見られない。そこから、僕はメタモルフォーズであると判別しただけにすぎない。 「余所見をしている場合かああ!!??」  バルト・イルファは攻撃を開始する。さきほどと同じように、炎を生み出した。  しかし攻撃に対する処理が解っていればこちらのものだ。あのメタモルフォーズが攻撃してこないのが気になるが、そんなことはどうだっていい。今は目の前の攻撃に集中せねばならない。  そう思って、僕は先程と同じようにシルフェの剣を一振りした。  しかし、生み出されるはずの薄膜は生まれなかった。 「な、何で……! 何で、バリアが生まれないんだ!」  すんでのところで当たるか当たらないかのギリギリのところに炎は命中した。  もし、少しでもずれていたら僕の身体に火球が命中していたことだろう。そのとき、僕の身体はどうなっていたかは……出来ることならあまり考えたくない。  バルト・イルファはやっぱり、という感じで笑みを浮かべていた。 「……君は魔術について無知なところが多すぎるようだ。少し考えてみればこのメタモルフォーズが何を司るメタモルフォーズであるかどうか、解るというのに」 「……空気、かしら?」  即答したのはメアリーだった。  それを聞いたバルト・イルファは眉を顰める。 「原理は解らないけれど……、恐らくバルト・イルファと私たちの間に完成されるはずのバリアが完成されなかった。それは、魔術の原理である四大元素の法則を満たしていないから。そしてバリアを作るには空気の元素の加護を得る必要がある。たとえ、シルフェの剣であったとしても、その元素の加護無しではバリアを作ることは出来ない。……推測だけれど、そういうことかしら、バルト・イルファ」 「素晴らしい、素晴らしいよ。ご名答。まさにその通りだ」  バルト・イルファは拍手をしてメアリーを称えた。 「けれどね」  右手を掲げて、バルト・イルファは呟く。 「……そんなことが解ったとしても、その原理が解ったとしても、僕には勝てないよ!」  そして右手に火球を作り出し、それを僕たち目掛けて投げ出した。 「急いで、避けるわよ!!」  メアリーの言葉通り、僕たちは火球を避けることにした。シルフェの剣の加護が無い以上、こちらで守る術は一つしか無い。……避けるだけだ。避けるしか術が無いのならば、その方法をフル活用するしか、今の僕たちにはなかった。  逃げる――とは言っても、それほど広い空間ではないこともまた事実。こんな狭い空間でどうやって逃げ続けろというのだろうか。  どうやって?  どこまで?  いつまで?  僕の中に疑問が芽生え続ける。その疑問は解かれることなく、延々と続いていく。 「……バルト・イルファ。あいつはどうして無尽蔵に魔術を放つことが……」  呟くように、彼女は言った。  最初、どうして僕はそんなことを言ったのか理解できなかった。  けれど、少し遅れて……彼女の言っていた言葉の意味が少しずつ理解できてきた。  魔術を使うには、四大元素の力を使う必要がある。  火、水、土、空気。  それぞれの元素の力を借りることによって魔術を発動させる。裏を返せばその元素の力を借りない限り魔術を放つことは出来ない。それでいて、元素が存在しない場所ではその属性の魔術を使用出来ない性質と、魔術を行使することで元素が減ってしまうという性質を持っている。例えば乾燥してしまったところでは水属性の魔術を使いにくいし、それでも何回か無理して使っていればあっという間に枯渇してしまう。  だからこそ、バルト・イルファは無限に魔術を使えない。  別にバルト・イルファに限った話ではなく、だれもが魔術を無限に使うことは出来ない。それこそ、無限に元素を供給する環境が無い限り。  バルト・イルファの攻撃が止まったのは、ちょうどその時だった。 「……君たちはきっとこう考えていることだろう。『なぜ魔術を使い続けているのに、それが枯渇する可能性が出てこないのか』ということについて」  バルト・イルファは右手を彼の顔の前に突き上げた。  そして火球を生み出して、それを見つめる。 「……まあ、気になるのは当然のことだよね。僕も暇なことだし、教えてあげることにしようかな」 「そんなに自分の手を広げていいんですか、バルト・イルファ。いくら余裕綽々とはいえ、足元を掬われますよ」 「問題ないよ、クラリス。それに、僕が『言いたい』と言ったんだ。はっきり言ってきみには関係のないことだろう?」  クラリスとバルト・イルファは、やはりあまり仲が良くないようだった。  もしかしたら……その関係をうまく突けば、何とかなるか?  そんなことを思っていた、ちょうどその時だった。 『バルト・イルファ、もうそこまででいいわよ』  声が聞こえた。  奥から、誰かが出てきた。  メアリー以外の人間ならば、一度は見たことのある人物。  スノーフォグの国王、リュージュだった。 「リュージュ……!」  僕たちは直ぐに臨戦態勢をとる。  メアリーもどういう状況だったのかはっきりとしなかったようだったが、それでも少し遅れて臨戦態勢をとった。空気を読んだ、といえば聞こえがいいかもしれないが、状況を理解できていない中でそううまく取れるのは凄いことではないだろうか。 『……ほう、メアリー。やはりここに居たのか。いやまあ、別にどうでもいいことなのだけれど』 「……どうして、私のことを知っているの?」  メアリーは怪訝な表情を浮かべて、リュージュを睨み付けた。  リュージュにとってそんなことはどうでもよかったらしい。  リュージュは一瞥したのち、僕を見つめて、 『攻撃しようとしても無駄だよ。今の私はホログラムで再生している。正確に言えば、ここに私はいない。遠く離れた場所で私はこのホログラムを操作しているだけに過ぎないのだから。……まあ、操作は若干面倒ではあるが、わざわざ実地に出向く必要が無いのはメリットではあるかな』  ホログラム。  リュージュはそう言った。そんな科学技術が無いと実行出来ないようなものが、この世界で実現している――ということなのだろうか。だとすれば、この世界の文明レベルはほんとうに未知数だ。まあ、科学技術が世界中に流布されていないところを見た限りは若干低いのかもしれないけれど。その技術を世界中に広めただけで、世界の技術水準がどれ程進歩するか、それは考えただけでも恐ろしかった。  はてさて。  リュージュは再び僕たちを見つめると、笑みを浮かべて、話を続けた。 『バルト・イルファ。クラリス。我々はここから撤退することとしよう。別に、ここの基地なんてまったく必要ないのだから』 「しかし……いいのですか? 必要ないとはいえ、ここには多数のメタモルフォーズが……」 「バルト・イルファ。あなたも忘れてしまったの?」  言ったのは、リュージュではなくクラリス。 「リュージュが、メタモルフォーズを不必要とした。そのときは……計画が第三フェーズに進行している、その合図だと」  第三フェーズ。  その言葉を聞いてバルト・イルファは大きく頷いた。どうやら彼らの中でその言葉はある通称となっているらしい。 「それでは、いよいよ……!」  リュージュは頷く。 『ええ。我々が動くときです。ここまで来れば、あとは我々の番、と言ってもいいでしょう。わざわざ予言の勇者の追撃を受けることもありません。……ああ、それは嘘だったかもしれないわね。一通の招待状を出しておかないと』 「招待状、だと?」  リュージュは答えることなく、ただ一言だけ僕たちに投げ捨てた。 『私に会いたければ、そしてこの世界の真実を知りたければ、南国「レガドール」へ向かいなさい。相手にしてあげる』  そう言って、リュージュは指を弾く。  刹那、彼女たちの間に煙幕が生まれ――それを僕たちの手によって払う一瞬の間に、バルト・イルファやクラリスも含めて、姿を消してしまった。まさに、煙に巻かれたかのように。  同時に、けたたましいアラームが鳴り響いたのはちょうどその時だった。 「おい、これってまさか……不味いんじゃ……!」 「どう考えても不味いよ! とにかく、ここに居る人はフィアノの人たちだろうから……。おおい! 一先ず僕たちについてきてください、急いで外へ出ましょう! 慌てないで、ゆっくりと来てください!」  そうして、一先ず僕たちはフィアノの人々を助けるべく、神殿を後にするのだった。  ◇◇◇  フィアノの町では大宴会が開かれていた。  その主役は僕たち。何でもフィアノの人たちを救ってくれたお礼がしたい、ということで酒や肉やの大盛り上がりとなっていた。当然ながら、僕は未成年なのでお酒は飲まない。早いうちにソフトドリンク(という概念がこの世界にあるのかは定かではないが)を確保して、適当に飯を食べて、という形を済ませていた。  そうして、いま僕は海を眺めていた。ワイワイ騒いでいる様子は、はっきり言って苦手だ。そう思ったから。 「フルう? どうしてこんなところにいるの?」  声が聞こえて、僕は振り返る。その声はメアリーだったからだ。  メアリーの顔は真っ赤に染まっていた。そして片手には透明な水のような液体が入っているグラス。  その状況を見て、僕は直ぐにメアリーが酩酊状態にあることを理解した。 「メアリー、酔っているんじゃない? 何というか、辞めたほうがいいと思うな。身体に悪いよ、飲みすぎると」 「えぇ? 私が酔っている、ですって? ヒック……、そんなことあるわけないじゃない!」 「いやいや……。どう見ても酔っているよ。まあ、あまり言わないほうがいいのかな……。うん、取り敢えず、水を飲んだほうがいいと思うけれど」  酒を飲んだことがないから解らないが、水を飲むと良いというのは聞いたことがある。  しかし、メアリーはそれを素知らぬ顔で無視して、 「そんなことより……フル、助けてくれて……ありがと」 「なに、そんなことはないよ。仲間として当然のことだから、さ」 「仲間……か」  風が吹き付ける。  その風はとても冷たくて、目を瞑ってしまうほどだった。  メアリーは僕のほうを向いて、言った。 「ねえ、フル」 「うん?」  僕が彼女のほうを向いた――ちょうどその時だった。  メアリーが、僕の唇にそっと口づけた。  一瞬の時間に思えたことだけれど、その時は永遠にも思えた。  メアリーの顔が少しずつ離れていく。  メアリーは、いつもの位置に戻ると、笑みを浮かべた。 「私……あなたのことが、好き」  メアリーは、僕に向かって――そう言った。  ずっと旅をしてきて、はじめてこの世界にやってきてであったメアリーという少女に、告白された。  僕は、それを聞いて、直ぐに答えることが出来なかった。 「僕は……」 「フル。あなたは私のことが好き? それとも嫌い……?」 「それは……」  僕はどう返せばいい?  彼女の言葉に、どう返すのがベターなんだろうか?  そんなことを思っていた、のだが……。 「フル、メアリー! 町の人たちが最後に挨拶して欲しい、って!」  走ってこちらに向かってきたルーシーがそんなことを言ったので、僕とメアリーはそちらを向いた。ルーシーもいつも以上に笑みを浮かべていて、いつも以上に顔が赤く染まっていたので、見るからに酔っているということが解った。  そうして、僕たちはそれに従って再び宴会の中心地へと向かった。  ◇◇◇  次の日。  結局僕はメアリーに答えを言えないまま、フィアノの町を出ることとなった。  ルーシーとメアリー、それにシュルツさんは体調が悪いように見えた。恐らく二日酔いなのだろう。一切酒を飲まなかった僕にとってはどうでもいいことだけれど。因みに、それはレイナも同じだった。盗賊として過ごしていた彼女だったが、酒を飲むのは苦手のようだった。 「これで資材は全部ですね……。大量にあるかもしれませんが、私たちはこれでも足りないくらいです」  船にはフィアノの人たちがくれた大量の物資。別れを惜しむフィアノの人たちがせめてこれくらいは、という思いで戴いたものだがはっきり言って量が多過ぎる。まあ、有り余る程の物資があれば何とかなるかもしれないけれど。  そして、僕たちは船の碇を上げた。  フィアノからゆっくりと離れていく船。  僕たちの次の目的地――それは、南国レガドールだった。  ◇◇◇  数日後。  レガドールの研究所にて、リュージュはとある研究員と話をしていた。 「……アイツをうまく扱えるようにはどれくらいかかる?」 「調整のことを考えると、一か月程かと……」 「一週間に短縮しろ。もう時間はない」 「ですが、それは……」 「私に発言を繰り返させるつもりか? もう時間はない、と言っている。予言の勇者はこれからレガドールへ向かう。チャール島からレガドールまでは最低でも一週間かかる。ということは少なくともそれまでには、動かせるようにしないといけないのだ」 「しかし、それでは調整が上手くいくかどうか……」 「ごだごだ言うな、もう時間がないのだ!」  そうして、会話は一方的に打ち切られ、リュージュは踵を返し、姿を消した。  ◇◇◇ 「もうすぐ着くよ!」  フィアノを出発して十日。  マストに登っていたルーシーが、甲板に居る僕たちにそう声をかけた。  そうして、僕たちの船は港へと入っていく。  港には大きな木の看板があり、こう書かれていた。  ――南国レガドール一の港町、ラムガスへようこそ!