竜馬車に乗って数日。  結局僕たちはあれから商人の人たちに何も言うことなく、エノシアスタを後にした。バルト・イルファの発言を真に受けたわけではないけれど、いずれにせよ、僕たちはその影響を考えなさ過ぎていたことも事実だった。  予言の勇者という冠は、僕たちの想像以上に、僕たちを苦しめていた。 「……見えてきたぞ」  シュルツさんがぽつりとそう言った。  それを聞いて僕は我に返り、窓から外を眺めた。  荒野の中に突如として現れた青い海と、港町と思われる城壁。そして城壁の中には堅牢な城が建っている。 「あれが、スノーフォグの首都……ヤンバイト」 「そうだ。あれがスノーフォグの首都にして世界有数の港町、ヤンバイトだ。それゆえ、あの町は食の都と呼ばれているよ。世界から様々な食べ物がやってくるからな。そういわれるのは当然といえば当然だろう」 「ヤンバイト……食の都、か。なかなか美味しいものがたくさんあるのかな?」 「そりゃあ、食の都っていうくらいだからたくさんの食べ物があると思うぞ。それに量だけじゃなくて、種類も多いと思う」  レイナの言葉に僕はそう答えた。  そうしてそれぞれの思いを抱きながら、僕たちはヤンバイトへと向かうのだった。  ◇◇◇  通りを歩くたびに、いろいろな香りが鼻腔を擽る。  店の前に立っているいろんな人は商品と思われるものを手に持ちながら、それぞれの商品が一番素晴らしいことをアピールしながら、声をかけていた。商品を売ることが商人にとって一番の儲けになるから無理やりでも売ろうと思う気持ちは解らないでもないけれど、あまり押しつけがましいことをしてしまうと、購買意欲を削いでしまうことになる。  だから、商人は適度なバランスで客寄せを行うことが求められる。まあ、そんなことは消費者には関係ないことだと言ってしまえば、それ以上どうしようもない事実ではあるが。 「……それにしても、ほんとうにすごくたくさんの商品が販売されているね……。食の都、とは言うけれどそれ以上に物が溢れすぎているのかもしれないな」  僕は冷静にそう分析してみたけれど、 「そうかもしれないけれど、やっぱり物って集まるべくして集まるものだと思うよ。実際に、ヤンバイトの人口は世界で二番目。それに港町として港運が発達しているから……。それだけを考えると、世界のどこよりも物がたくさんやってくるのは頷けるんじゃないかな。まさに、集まるべくして集まった、という感じだよ」  どうやらルーシーもルーシーで冷静に分析していたようだった。  それは僕にとっても想定外のことだったけれど、その『想定外』は嬉しい誤算だったといえるので別にどうでもいいことだった。 「それにしても問題は宿、か……。まだ夕方とはいえ、人が多い。ヤンバイトの宿はたとえどれほどグレードが高い場所であっても金さえ払えば満室に一つ空きを作ることだって出来る。……それだけを言うと荒くれものの街に見えるかもしれないけれど、でも実際はそんなことなんてなくて、正確に言うと、金さえあればどうとでもなる。それがこの町の常識とでもいえるだろうね」 「……成る程。金さえあれば、ね……」  要はまともに行政が動いていない、ということだろう。  あまりにも人が増えすぎて、それに行政が追い付いていない、ということなのかもしれないが。 「それにしても、人が増えたってことだよな? 人が増えたってことは、やっぱり物も増えるという感じでいいのか?」 「そうだね。人が増えた、ってことだろうね。ここは港湾としても有名だから、ここからハイダルクやレガドールに移動することもできるし。世界中を移動している船だっているからね。だから増減は激しいと思うよ」  船、か。  やっぱり船が必要なのかなあ……。また前みたいに定期船を使う手もあるけれど、そうなると定期船がない場所には移動できない、ということになってしまうし。うーん、RPGみたく、特定の場所にワープできる魔法でもあればいいのだけれど。 「やっぱり船かあ……」 「さすがに竜馬車は海を泳げないからねえ」  シュルツさんはそう言って、空を見つめた。  もし竜馬車が海を泳げるのならば、それを使って海を泳ぐことも可能かと思っていたのに、さすがにそこまで都合よく物事が進むことは無かったようだった。 「とりあえず、もし船が欲しいと思うのならば船を見に行くのもいいんじゃないかな? 生憎、この街にはドックがあったはずだし……」 「ドック?」 「船を作ったり修理したりする施設のことだよ。船自体どれくらいの値段がするのか解らないけれど、まずは見てみないと何も解らないし」  確かにそれもそうだった。  ただ、お金がないこともまたまぎれもない事実だった。  一先ずドックに行ってみないと何も進まない。そう思った僕はシュルツさんのいうことを信じて、ドックへと向かうのだった。  ◇◇◇  ドックは当然のことながら、海の近くに存在する。 「ドックなんて来たことないけれど、こんな活気のある場所なんだね……」  ルーシーはきょろきょろと周りを見渡しながら、そう言った。  はっきり言ってそういう行為は目立ってしまうのでできればやめてほしかったのだけれど、今の彼にきっとそんなことを言っても無駄なのだろう。 「おう。どうした、こんなところに子供がいるなんて。ここは子供がうろつく場所じゃないぞ?」  そう言ってやってきたのは筋骨隆々のタンクトップを着た男性だった。何かの資材を運搬しているようで、汗をかいていた。  男性の話は続く。 「……まさかとは思うが、船が欲しいのか? だったらここじゃなくて、販売所に言ったほうがいいぞ。ここはあくまでもドックだ。ドックの意味を理解しているか? ドックは船を開発・建造する場所。対して販売所は名前の通り船を販売する場所だ。船は開発しない限り、販売することは出来ないがドックで船の販売は出来ない。建前上、別々にしておく必要があるというわけだからな」  ぶっきらぼうに見えるけれど、案外丁寧に教えてくれるんだな。  僕はそう思って男性の話を聞いた後、男性にお礼を言って、販売所のほうへと向かうことにした。  販売所はそう遠くない距離にあった。正確に言えばドックの内部、その中心部にあった。  中に入ると恭しい笑みを浮かべて髭面の男がさっそく声をかけてきた。 「おやおや、いらっしゃいませ。若いのに、船を買いに来た。そういう感じでございましょうか? それにしても、最近の若者はかなり堅実ですねえ。ちょいと驚いちゃいましたよ。おっと、これはオフレコでお願いいたしますね。……はてさて、どのような船をお望みですか?」  早口でまくし立てるように話をする男は、いつもこのように話をするのだろう。先手必勝を地で行くとはまさにこのことだと思う。 「……いや、とりあえず少し船を見に来ただけです。欲しいことは欲しいのですけれど」 「さようでございますか。それではごゆるりと。何か用事がございましたらまた私に言ってください。それでは、以上よろしくお願いします」  そう言って男はカウンターの向こうへと姿を消した。まあ、いつもずっとついてくるよりかはマシかな。こういう店員は最初だけ簡単に対応しておけば問題ないだけのこと。  はてさて。  問題はここからだ。  僕たちが乗ることのできる船を、如何にして調達するかということについて。  当然、非合法的手段はあまりよろしくない。ラドーム学院の生徒、という称号がある以上それを後ろ盾に悪さをすることは無理だ。というか不可能と言って過言でない。  だったらどうすればいいか。  一番まっとうな手段で挑むならば、船を購入するに尽きる。けれど、船を購入するといっても――。 「……やっぱり、それなりにするね」  販売所には実際に船が置かれているわけではない。船の写真と値札が置かれており、店員にその船を指定して見せてもらうことが出来る仕組みになっているらしい。どうして知っているかというとショーウインドーにそう書かれた紙が置かれているからだった。  船の値段の相場が実際にどれくらいになるのかは定かではないが、並んでいる商品はすべて僕たちがもっている全財産をはるかに上回るものだった。仮にハイダルク王からもらった路銀を一切消費せずにここまでやってきたとしても、あまりに足りない。 「やっぱり購入するのは無理か……」  僕は店員に聞こえない程度のボリュームでそう呟いた。 「いらっしゃいませ。……おや、どうなさいましたか?」  カウンターのほうから声が聞こえて、僕たちはそこでまたお客さんがやってきたのだと理解した。それにしても船を買うなんて安い買い物では無いと思うのだけれど、よくお客さんがやってくるのだと思った。もしかして金持ちはシーズンで買い替えることもあるのだろうか? それこそ、衣服か何かのように。 「はあ。……わかりました。別にあなたたちに逆らうつもりなんてありませんよ。誰を求めているのか、お上の意向はさっぱり理解できませんが、とにかくお探しください」  カウンターの店員のトーンがすっかり下がっているのに、少しだけ時間を要した。  いったいどうしたのだろうか。そう思って僕は踵を返して――。 「フル・ヤタクミだな?」  そこに立っていたのは兵士だった。冷たい目をしていた。  兵士はこちらに目線を向けたまま、言った。 「国王陛下がお呼びだ。何を目的としているのかさっぱり解らないが……とにかく、予言の勇者を一目見たいと仰っている。このまま王城に来てもらうことになるが、構わないな?」 「……解りました」  その言葉に、ノーとは言えなかった。  ◇◇◇  高台に位置するヤンバイト城までは、ハイダルクと同じように馬車を利用した。ちなみにシュルツさんの竜馬車はこの町にやってきて早々に確保していた宿で留守番をしている。珍しい馬車であることには変わりないが、『操縦するのは僕だけしか出来ないから、盗まれることは先ずあり得ない』と言っていたので問題ないのだろう。たぶん。  兵士は馬に乗ったままこちらに会話を投げかけることは無かった。馬車の中では僕たちがただ静かに目的地に着くのを待つだけだった。  会話が生まれない時間は、はっきり言って不毛だった。けれど、皆緊張していたのだと思う。ハイダルクではない別の国のトップに謁見する。しかもこちらから申し込みなどしたのではなく、先方からの要望だというのならば猶更。  高台にある雪の城。  それは見るものを圧倒させる、荘厳な雰囲気を放っていた。  ヤンバイト城を見たとき、僕はファーストインプレッションとしてそう感じ取った。  ヤンバイト城に到着し、僕たちは馬車から降り立つ。 「こっちだ」  しかし兵士はそのまま息を吐く間も与えず、僕たちを誘導していく。 「いったい、兵士は何を考えているのだろうね? ……ふつう、少し休憩の時間くらい与えてくれるものじゃないか?」 「余程急いでいるんじゃないか。そんなに早く僕たちに出会いたいのか、という話に繋がるけれど」  僕とルーシーは兵士に聞こえない程度のトーンでそう言った。 「そうなのかなあ……。だとしてもこんなに客人を焦らせることttえあるのかい? まあ、国ごとの風習みたいなものがあるのかもしれないけれど。そうだとしてもちょいと不愛想な感じではあるよね」  そんなことを言っている暇などない。  まずは兵士の後をついていく。ただそれだけだった。  そして僕たちは兵士の後を追いかけていくのだった。  ヤンバイト城、国王の間。  荘厳な雰囲気を放っているその空間は、やはりなかなか慣れるものではなかった。  一度ハイダルクで経験したことがあるといえ、あまり経験しても意味はないのだと思い知らされる。  それはそれとして。 「突然呼び立てて済まなかったな、フル・ヤタクミにルーシー・アドバリー。それに、その仲間たちよ」  声が聞こえた。  とても優しい声だった。  僕たちは慌てて跪き、首を垂れるが、 「よい。特にそのようなことをせずとも、先ずは話がしたかっただけだ」  そう言って笑みを浮かべるだけだった。  その女性はとても美しかった。赤と白を基調にした服装――僕がもともと居た世界では巫女服とでもいえばいいのだろうか? 白い服に、赤い袴をアレンジした雰囲気、といえばいいのかもしれない。ああっ、くそ。こういうときに語彙力があればもっと伝わるのにな。なんというか、もう少し本を読んでおくべきだったかもしれない。 「名前と職業は知っているだろう。だから簡単に説明しておこう。私の名前はスノーフォグ国王、リュージュだ。こんな遠いところまでよくやってきてくれた。さて……なぜここまでやってきたのか、先ずはそれをお聞かせ願えないかな、予言の勇者殿」 「ここに来た理由、ですか……」  ここで僕は悩んだ。  正直に言ってしまっていいのだろうか、ということについてだった。  正直に言ってしまえば、メタモルフォーズがこの国から飛来してきたから、と言ってしまえばいい。だが、この国の王の前でそう言ってしまって何が起きるか解ったものではない。だから出来ることならそんな危険な賭けはしたくなかった。  では、適当に嘘を吐けばいいのか?  いや、でもすぐにそんな都合のいい嘘が浮かぶほど頭の回転が速いわけではない。  ならば、どうすればいいか。真実を告げるのも嘘を吐くのもリスキーだ。  それ以外の、第三の選択肢を考えないといけないのだが――。 「別に、言葉を飾る必要は無いぞ?」  そう言ったのはリュージュ王だった。  リュージュ王は、優しく、柔和な笑みで微笑んだまま、僕のほうを向いて、 「何か言葉を考えているように思えるが……もしかしてここでは言い辛いことだったか? 別にそんなこと関係ない。私の心は寛大であるからな。予言の勇者殿が一つ二つ失言したところで私の機嫌が損なわれることはない。むしろそんな程度で損なわれてしまっては、国王失格というものだよ」 「そういうものですか……?」 「ああ。だから安心して言ってもらっていい。さあ、この国に来た目的は?」  そう言ったのならば、正直に言うしかないだろう。逆にここで嘘を吐いてしまってはそれこそ何が起きるかわからない。逆鱗に触れてしまい折檻される可能性も考慮しないといけないだろう。  だからこそ、慎重に言葉を選んで、僕は言った。 「――実は、この国からメタモルフォーズが飛来してきました。僕たちはそれを調査するためにこの国にやってきました」 「ほう。メタモルフォーズがこの国から……。成る程。それは私の前では言えないことだな。その言葉は即ち我が国をメタモルフォーズの発生源として疑っているということに繋がるわけだからな」 「実際、軍部の人も……名前は確か、アドハムだったかと思いましたが……メタモルフォーズの開発に関与していました。研究施設があって……そこでメタモルフォーズを研究していたようなのです」 「ふむ。……メタモルフォーズの研究施設、だと? それにアドハムが関与していた、と言いたいのか?」  ずい、と身体を起こしてリュージュ王は言った。  流石に言い過ぎたか――そう思って僕は謝る準備をしていたのだが、 「成る程。しかし、まさかあのアドハムがそのようなことをしていたとは。ほかには? アドハムがした行為でもいい。君たちがこの国で得られたメタモルフォーズについての情報を教えてくれないか。もしかしたら、力になれるかもしれないぞ」 「え、……ええ。確か、アドハムは別の勢力に倒されてしまいました。バルト・イルファ……だと思います。とても強い魔術師が居るんです。きっと彼に殺されてしまったものかと……」 「その、バルト・イルファとやらはとても強い魔術師なのか?」  僕はその言葉にこくり、と頷いた。  それは真実だ。そこで嘘を吐いて虚勢を張る必要はなかった。虚勢を張ったところで僕の危険が増すだけだ。ならばここは正直に言ってしまったほうが後が楽だと――僕はそう思った。 「……そうか、それほど強い魔術師がアドハムとともに、少しの間であったとしても行動していたとは。そしてアドハムの勢力は何らかの理由でその魔術師の勢力と意見の相違があったのだろう。そうして倒されてしまった。力こそすべてだ。言葉がうまく通じなかったら、力の強い弱いですべてが決まってしまう。ほんとうに、ひどく残念な世界だよ。今の世界は」  リュージュは溜息を吐き、肘あてに肘をつく。  そして僕たちを舐めるように見つめると、大きく頷いた。 「それにしても、魔術師に狙われるほど、お前たちは何か喧嘩を買ったということ……ではないだろうな。いずれにせよ、『予言の勇者』というレッテルが君たちの運命をそうさせているのだろう。レッテルを張られた人間というのも滑稽で可哀想な存在だ。……っと、当事者の前で言う話ではないかもしれないが」 「?」  リュージュの発言はもうどこかに飛んで行ったような感覚だった。  正確に言えば、独り言。  もっと言えば、虚言。  ……さすがにそこまで行くのは言い過ぎかもしれないが、いずれにせよ、そういう判断に至る可能性があるほど、リュージュは周りの人間を放っている発言しかしていなかった。まるでフルフェイスのヘルメットを被って綱渡りをしているように。  実に危険。  実に奇妙。  それほどにリュージュの発言はどこか的外れで、見当違いで、不明瞭だった。 「……とにかく、これ以上の発言を君たちから得られることは出来ないだろう」  リュージュの発言は僕たちに対する諦観よりも、自分自身の考えの掘り下げがうまくいかないことへの気持ちを表しているようだった。  リュージュは隣の兵士に指示を仰ぎ、 「いずれにせよ、予言の勇者ご一行はひどく疲れているようだ。もうここの宿は決めたかね? 決めていないのであればこの城の宿舎を使用するがいい。生憎、設備こそ古いものではあるが浴場もある。食堂もある。それに……私も一つ君たちにある依頼をしたい。そのためにも、先ずはそれくらいの前払いをしたいというものだ」 「前……払い?」 「知恵の木の実について、どれくらい知っている?」  知恵の木の実。  リュージュの発言は簡単なことだった。  知識の説明を、明示。  正確に言えば、どこまでその単語について知っているか、知識量の提示。  いずれにせよ慎重に解答する必要がある質問であることには何ら変わりなかった。 「……知恵の木の実は代償無しで錬金術を行使することのできる夢のアイテムだ。正確に言えば、知恵の木の実はその名前の通り、この星の知識が詰め込まれている。いや、この場合は知識というよりも記憶といったほうがいいべきか。いずれにせよ、そのエネルギーは莫大なエネルギーだ。だからこそ知恵の木の実は伝説のアイテムとして知られていて、それを欲している錬金術師も少なくない」  僕がどう答えるか考えているうちに、リュージュが先にそう答えた。はっきり言ってまさか先に言われるとは思っていなかったのだが、しかし言われてしまったものは仕方が無い。  リュージュの話は続く。 「だが、その伝説のアイテムをいとも簡単に開発することの出来る物。それが開発されたとしたら?」  それを聞いて、僕たちは目を丸くした。  伝説のアイテム――知恵の木の実の錬成。それが簡単にできるアイテムが開発された?  もしそれを使って知恵の木の実を量産されてしまったら……正直、考えるだけでも恐ろしい。というより、なぜそのようなアイテムを開発したのか――という点が気になるところではあるけれど。 「もともと、わが国の軍事技術の転用のために開発されたそのアイテムだが、もう平和になってしまったからな。使わずに設計図は放置されていたのだよ。……だが、それをあいつが奪った。そのアイテムの開発者であるタイソン・アルバが、な」 「タイソン・アルバ……」  僕はリュージュから聞いたその名前を反芻する。  リュージュはそれを聞いてこくりと頷くと、ある書状を差し出した。 「今日はもう遅いから……明日、正式にこれを通知することになるが、いまドックには完成したばかりの船が数多く並んでいる。その中でも最新の船を君たちに与えよう。これは、それが記載された書状だ。これをドックの人間に見せればすぐにそれを渡してもらうことができるはずだ」  それって……!  つまり、願ったりかなったりじゃないか!  僕たちにとってみれば、メアリーを助けるためにも船が欲しかったところだ。  その船を、しかも無料で、最新のモノが手に入る!  僕は勝手に心の中でうれしく小躍りしていた。 「……ただし、条件をつける。その船の書状を渡すのは……タイソン・アルバという科学者を探してここに連れてくる。それが条件だ。ああ、もちろん、タイソン・アルバは海の向こうに逃げたという可能性も考えられるから、そのために船を与えると思ってもらえばいい。もちろん、タイソン・アルバを捕まえたあとも返してもらう必要はない。それは君たちの船になるわけだからな」  そこまで言って、リュージュは立ち上がる。 「……さあ、ここで改めて質問しようか? タイソン・アルバを捕まえてくれるかな。もちろん、拒否してもらうことだってかまわない。君たちは予言の勇者と呼ばれている存在。その第一目標は世界を救うことなのだから」  僕たちに、選択肢なんて無かった。  リュージュは犯罪者を捕まえてほしい。  僕たちはメアリーを助けるためにも船がほしい。  双方の目的が、これまで以上に合致している。  そうして、僕たちは――その言葉にしっかりと頷いた。  ◇◇◇  はてさて。  結局、その日僕たちはヤンバイト城の部屋にて眠ることとなった。食べ物も食堂にある料理を食べていい、ということだったので有り難くそちらを頂くことにした。そこについては国王の許可を貰っているので遠慮なく頂いたほうがいいだろう。もし何かイチャモンをつけてくる人間が居れば、そう発言して処理すればいい話だし。  しかし、生憎――というか結局、僕たちのことをとやかく言う人は居なかった。どうやら早くに根回しをしてくれたらしい。それはそれで大変有り難いことだと思う。  さて。  夕食は美味しいものだったかといわれると、はっきり言って普通だった。『普通』をどの段階で言えばいいのか……という話になってしまうかもしれないが、正確に言えば、だれも僕たちが居ることについて疑問を持たなかった。 「……味はそれほど、という感じなのかな」  プレートに乗せられているのは、それぞれ様々な種類の色をしたペーストだった。話によれば機械で作られているためか、そのような形式がここでは主流なのだという。栄養もしっかり管理されているので何ら問題はないらしい。  とはいえ。 「……食べた感じはしないけれどね」  ルーシーの言葉に、僕は一瞬頷くかどうか躊躇ったが、少しして僕はルーシーの言葉に同意するように頷くしか無かった。  確かにこれなら栄養はきちんと管理されているのだろう。けれど、『食べた』という感じが得られない。……何と言えばいいのだろうか、ええと、満足感? そういうものが獲得出来ない、とでも言えばいいのだろうか。いずれにせよ、僕たちはそれに不平不満を言うことはなかなか出来るものではなかった。  客室。  正確には、兵士詰所内部にある一室。  一応貸し切りとはしてくれたものの、部屋のスペースは四人で宿泊するには狭い。ベッドが二つしか無いということもあるが。  一応敷布団と掛布団は貸してくれたけれど、板張りの床にそれを敷くと腰が痛くなりそうだ。  いずれにせよ、寝ない限り明日はやってこない。  結局ベッドに寝るのは僕とレイナ、ルーシーとシュルツさんが布団で眠ることとなった。  本当は僕ではなくてシュルツさんが眠るべきだと思ったのだけれど、 「君が予言の勇者という地位にいることははっきり言って知らなかった。だからこそ、ここは君にその場所を譲るべきだと思うよ。それに、君が僕にここを譲ろうとしている一因は、年長者だからという単純な理由からなのだろう? もしそうであるならば、そんなことは気にしてもらわなくていい。君は予言の勇者なんだろ。だったら余計なことは考えないほうがいい」  ……という、長い理由を述べたまま頑として動かなくなってしまったので仕方なくベッドに眠ることになった、ということだった。 「……ということで、眠ることになったわけですが」  床に布団を敷いてしまうともう歩くスペースがない。足の踏みどころがない、とでもいえばいいのだろうけれど、まさにその通り。結局、僕とレイナがベッドに腰かけ、ルーシーとシュルツさんが布団に座っている形になっていた。これだけ見るとお泊り会か何かか、と疑われてしまうかもしれないがそんなアットホームな雰囲気が流れていることもまた事実なのであんまり強く言えない。 「明日の予定を改めて、説明しておくことにしようかと思う。この場合、説明というよりも整理になるのかもしれないけれど。……ええと、明日は朝起きて書状をもってドックへ向かいます。そして、新しい船を手に入れる。だけれど、問題はそこから。そこからどうするか? そのタイソン・アルバを捕まえることは別に問題ないのだけれど、彼がどこへ向かってしまったのか? それは国王……ですら解らなかった」 「確かに。それは問題だよな。それは話を聞いていて思っていた。どこへ向かったのか、はっきりしていない。海に逃げた、とは言っていたがそれはあくまでも可能性にすぎない。その可能性が消えている可能性だって十分、いや、十二分に有り得るわけだし」 「そうだよね……。ルーシーもフルもそう思っているよね。私も実はそう思っていた。けれど、国内の土地をやみくもに探すよりかはそちらのほうがいいんじゃないかな、って思うのよ。それに、もし海に逃げたのならばドックの人に聞いてみるのもいいアイデアなんじゃない? ドック、あるいは港は海からやってきた人も多くいるはず。そういう人たちなら海の向こう、あるいは海で得た情報を教えてくれるかもしれないし」  シュルツさんは僕たちの言葉にただ無言で頷くだけだった。  というわけであっという間に結論が出た。  僕は溜息を吐くと、ゆっくりとベッドから立ち上がる。 「……それじゃ、満場一致ということで、明日朝ドックで船を受け取るとついでに、港やドックでタイソン・アルバの情報を収集する。そうして改めて海に出る。……それでいいかな?」  その言葉に、誰も言い返さなかった。  僕はそれを了承という意味で受け取ると、右手を掲げる。 「それじゃ、何だか寄り道のように見えるかもしれないけれど……、メアリーを助けるためにも、明日からがんばるぞ!」  その言葉に、僕たちは大きく頷くのだった。  ◇◇◇  王の部屋。  ……その単語を聞いてどういうイメージを思い浮かべることが出来るだろうか。  正確に言えば、その部屋は王といろんな人間が出会うことの出来る部屋ではなく、王のプライベートの部屋ということになる。だから、そこに入ることが出来る人間は数少ない。  改めて、王の部屋について質問しよう。  その単語を聞いて、どのようなイメージを抱くだろうか?  王の部屋はプライベートな空間だ。だから簡単にほかの人が入ることは許されない。だから、正確に言えば、王が認めた人間しか入ることを許されない。それ以外の人間が勝手に入ってしまっては、賊か何かと疑われてしまう可能性もある。  王の部屋に一人の男が跪いていた。  バルト・イルファ。  炎属性の魔術を得意とする魔術師。それがいま王の前で敬意を表している。 「……予言の勇者がやってきたわ。やはり実物は違うわね。ずっと透視魔法を通して見つめていたからかしら。心なしかもっと溢れるオーラが違う。はっきり言って、あのまま放っておいてはマズイわね。非常にマズイ」 「では、どうするつもりでしょうか? 僕とロマはあなた様の命令でいつでも動く準備が出来ていますが」 「予言の勇者についていきなさい。もちろん、気づかれない程度のスニーキングでね」 「……言われている意味が解りませんが?」 「タイソン・アルバは、私が今もっと必要としている人物。当然よね。知恵の木の実を抽出する装置を開発するのだから。けれど、彼を探すのも予言の勇者に手伝ってもらおうって話。もしも、彼らがそのままタイソン・アルバを捕まえてそのまま連れてきてくれればいいのだけれど、連れてこなかったら……」 「僕が確保してこい、ということだね?」 「その通り。だからこそ、あなたには頑張ってもらいたい。その意味が解るわね、バルト・イルファ。あなたに今から任務を与えるわ、今からタイソン・アルバを探して、先ずはあの研究を再開するか否か聞くこと。そうしてその解答によっては……」 「燃やしてしまって構わない、と?」 「ええ。もし帰らないというのであれば、非常に残念ではありますが……彼は必要ありません。さっさと殺してしまいなさい。私たちの目的と、彼の研究が外部に漏れないためにも」 「了解。それじゃ、僕も明日から本格的に行動する、ということでいいのかな? 予言の勇者一行はさすがに深夜に外出することはしないでしょ」 「当然。それくらいはしてもらわないとね。それに、仮に深夜に外出するようだったら兵士に理由を聞いてあまり深夜外出するメリットが無さそうなら朝に外出するように促すよう言っているからそれについては問題ないでしょう。……予言の勇者が人の言葉を単純に無視するような大馬鹿者じゃなければ、の話だけれど」 「……それについては問題ないでしょう。何回か予言の勇者と邂逅したことがありますが、どれも人の話に噛みついてきたことばかり。それがヤバイ状況であるにも関わらず、です。売り喧嘩に買い喧嘩とはよくいいますが、それを地で行く感じですよ。だから、彼は周りの仲間が止めなければどんどん自分が良いと思った方向にしか進まない。……あれはそう遠くないうちに自滅するタイプですよ」 「……随分と、予言の勇者のことを調査したのね」 「それは、もう」  バルト・イルファは立ち上がり、踵を返す。 「それでは、僕はこれで。眠って準備をしておかないと」 「眠る……。ああ、そうだった。あなたは眠らないといけないのよね。別に身体の仕組みとしてはしなくても問題ないのだけれど、それをしないと気分的に」 「そうですね、まあ、人間時代からの残った忌まわしき風習じゃないですか? 今の身体ではそんなことする必要はないって言いますけれど、何か寝ないとはっきりしないというか。気持ちがリセットしない、とでもいえばいいのでしょうかね?」 「人間はそういう無駄な構造が多いからね。ま、私もそういう人間の一人ではあるけれど」  そう言ってリュージュは立ち上がると、バルト・イルファの顔を見つめる。  バルト・イルファはなぜ自分が顔を見つめられているのかわからず、首を傾げる。 「……あの、何かありましたか?」 「いいや、何でもない。とにかく、明日からタイソン・アルバを追いかけること。いいわね?」  はい、と言ってバルト・イルファは部屋を出て行った。  部屋に残されたリュージュは枕元のランプを消してベッドに横になる。  天井を見つめながら、彼女は呟いた。 「……人間の機能がメタモルフォーズに受け継がれている。それは、彼とロマだけ。そもそも彼らの素体は人間だ。人間ベースで生まれたメタモルフォーズだから、人間の仕組みがそのまま残ってしまった、ということなのかしら……?」  メタモルフォーズベースで人間のDNAを組み込んだところでそのようにはならない。  元々の形が人間であるからこそ、バルト・イルファとロマ・イルファは人間の形で行動出来るのである。 「まあ、小難しい話はあとで適当に科学者に話しておけばいい。あいつらは適当に科学の話をすれば平気で食いついてくるからな……」  科学者に任せてしまえばいい。  問題は一つ。  彼女にとっての問題は、現状一つしかなかった。 「予言の勇者の脅威がどこまで広がるか……」  予言の勇者は仲間を集めて、これからどんどんその勢力を増していく。  それがいずれ、彼女の計画に立ち塞がるようになったとしたら?  そして、バルト・イルファ等彼女の戦力を削ぐような戦力をあちらも保持するようになっていたら? 「そしたら、かなり厄介よね……。確かに私の目的には、あの予言の勇者が必要。だからそのためにも、彼らをあの場所に連れて行かねばならない……。いたって、いたって自然な形で」  ならばどうすればいいのか。  一体全体、どのように行動を誘導していけばいいのか。 「一先ず、あのタイソン・アルバを探してから考えるしかないわね。いずれにせよ、こちらもそう簡単に手を出せないし……」  そうして。  予言の勇者一行とリュージュ。  それぞれの夜はそれぞれの思惑や考えを張り巡らせたまま、ゆっくりと過ぎていった。  ◇◇◇  次の日。  僕たちはドックに居た。いつも通り、という様子でドックの人間はただ僕たちを見て通り過ぎていくだけだった。  ドック内にある売店に入り、カウンターへと向かう。 「いらっしゃい。……昨日来ていたガキどもか。一応言っておくが、冷やかしだけはやめておくれよ。船を買うだけの金が無いなら、最初から船を欲しいなんて思わないほうがいい。メインテナンスも面倒だからな」  店員が不貞腐れたような様子で僕に言った。どうやら船はあまり売れていないらしい。その鬱憤を僕にぶつけたいようだが、とはいっても、僕にぶつけられたところで何も物事が変化するわけではない。まあ、ストレス解消くらいにしか思っていないのだろう。はっきり言ってそれは悪循環の第一歩にしか過ぎないと思うけれど。  それはそれとして。  僕は書状を見せる。それは国王たるリュージュの書いた船を提供するよう求めている書状だ。許可状といってもいい。これを見せることで船が一艘手に入るという、大変便利な書状だ。  それを見た店員は目を丸くして書状と僕を交互に見ていく。  そして、ゆっくりと、恐る恐る呟いた。 「……あんた、この書状を一体どこで……? いや、それはどうだっていい。とにかく、船を一艘ということだよな。国王陛下のご命令ならば、最新鋭の船を差し上げねば! おおい、ちょっと来てくれ!」  そうして店員は裏へと消えていった。正確には裏の扉を開けて、外に出て行っただけだが。  ……何か、想像以上に面倒なことになりそうだぞ。  そんなことを思った僕だったが、もう遅かった。  十分後。 「うへえ、あなたが船を所望している、と? しかも、国王陛下から直々に……ちょいと書状を見せていただいても……。ああ、成る程。これはすごい。素晴らしい。本物ですね。まぎれもない、本物です。きちんとした印も押されています。では、これはやはり、本物であると。へへえ、流石ですね。それにしても、どうしてそんな……。ふむふむ、おやあ! まさかあなたは予言の勇者様であると? 成る程、成る程。そのために、世界を救うためにここの船を使っていただけるとは! 国王陛下も、流石です」  ……長い話をするのが好きそうな、恭しい笑みを浮かべた小太りの男が突然やってきて、僕たちに相槌をさせる暇も与えることなくずっと話をしていた。  ちなみに今の話の最中、相槌を入れようにも入れる暇が無い――というのはまさに文字通りの意味で、まるで何かを隠し通そうとしているくらいに間が無かった。 「とにかく、いずれにせよ、あなたたちに素晴らしい船を差し上げねば! そう、それは、最新鋭。世界のどこにもない、『錬金炉』によってエネルギーを転換させる技術を利用した、システム! これに名前を付けるなら……、いや、それは、いいでしょう。それは、所有者たるあなたたちが決めること。私たち、商人にとっては、どうだっていい話なのですから」 「錬金炉……って?」  そこで漸くルーシーが相槌、もとい質問をすることが出来た。  小太りの男はそれを聞いて大きく頷くと、踵を返す。 「あ、あのー……?」 「ここで説明するよりも、本物を見せたほうが、いいでしょう! あなたもそうは思いませんか? 確かに、説明することも立派な仕事です。ですが、見せながら説明することで、理解度が上がるはず! 現にこれから半永久的に利用されるのは、ほかではない、あなたたちなのですから!」  ああ、成る程。  そうならそうとはっきり最初から言ってくれればよかったのだが……、まあ、別につべこべ言う必要もないか。  そうして僕たちは船へと向かうべく、その小太りの男についていくのだった。  小太りの男が足を止めたのは、ちょうど船の目の前だった。  そこにあったのは大きな木造の船だった。はっきり言って四人で使うには大きすぎる。ただ、竜馬車は入ることが出来るのでそれについては問題なかった。 「この船は、設計から開発、そして完成まで、十年以上の歳月をかけています。ですから、我々の中でも自信作といっても、過言ではありません! ……さあ、中へお入りください」  それに従って、中へ入る。  甲板から階段を下りると、中央に巨大な機械が置かれていた。 「……これは?」 「これが、先程お伝えした、錬金炉になります。海水を取り出して、それを真水に分解します。そうして炉の中にある錬成陣……それにより酸素を作り上げます。一度、火をつけることでその火は消えることなく燃え続けます。そして、水は蒸気となりタービンを回して、エネルギーとなるのです。そうすることで、この船は、風が吹いていない凪の状態でも、動くことが出来るのです。どうですか、この船は」  つまり蒸気機関が搭載されている、ということか。  それにしてもこの世界の科学技術ってすごく発展しているように思える。まあ、もともと僕がいた世界に比べれば雲泥の差なのかもしれないが、魔術と錬金術が発達している時代であるというのに、これほどの科学技術を搭載した船を開発できる環境にあるということ、それについてはほんとうにこの世界の人たちが優秀なのだということが理解できる。 「船についての説明は、以上になります。何か質問はありますか?」  僕たちは何も言わなかった。  同時に、僕たちがこの船を選択した瞬間でもあった。  ◇◇◇  海原を甲板から見つめていた。  この世界の海を見たのは、実に二回目になる。一回目は自分たちの船では無かったが、今回は自分たちの船。一回目と比べると少々余裕が生まれている感じになる。正確に言えば、今回の船だって自分自身で手に入れたものではなくリュージュの温情によって手に入れたものになるのだけれど。 「……どこへ向かうつもりだい?」  同じく甲板に立っていたルーシーが僕にそう問いかける。 「先ずはチャール島へ向かおうと思う。タイソン・アルバの足取りがはっきりとしないわけだし……、この広い海を闇雲に探すよりかはそちらのほうがいいんじゃないかな」 「確かにそうかもしれない。けれど、タイソン・アルバの話は無下にしても別に問題ないような気がするけれど……」  それを聞いて、僕は思わず振り返る。  約束を反故にするなんて、ルーシーらしくない発言だ。いったいどういう風の吹き回しなのだろうか?  ルーシーの話は続く。 「確かに人と交わした約束は守るべきだ。それに約束を交わした相手が国の王ならば、猶更ね。けれど、それ以上にやらないといけないことがあると思うんだよ。そうは思わないか? まあ、君は予言の勇者として世界を救うという目的があるから、小さいサブミッションをこなすことも大事なのかもしれないけれど……」 「それはそうだよ。やっぱり、世界を救うことは大事だ」  そうは言ってみたものの、やっぱり世界を救う――その大まかな流れはどうすればいいかはっきりとしていなかった。だってそもそも世界が壊れるような大きな問題に発展していないのだから。  そもそもこの世界はほんとうに壊れていくものなのだろうか。実際、メタモルフォーズによって徐々に世界が蝕まれていくのは解る。けれど、僕たちが旅をするほど重要なことなのだろうか、と考えると答えは出てこない。 「……世界を救うこと、か。フルは強いんだな。俺には全然出来ないよ、そんなこと」 「僕は――」  強くない、と言いたかった。  けれど、それは出来なかった。  ルーシーの期待を、裏切ることになってしまうと思ったから。  ルーシーに申し訳ない気持ちになってしまうから。 「おい、二人とも。そんなところで話している場合じゃないぞ!」  レイナの言葉を聞いて、僕たちは踵を返した。  そこに立っていたレイナは真っ直ぐと海の向こうを指さしていた。正確に言えば僕たちの船の進行方向でもあったわけだが。 「何が向かっている……?」 「マストに上って確認してみたけれど、あれはどうやら海賊船みたいだ! ……急がないと、このままだとぶつかってしまう!」 「ぶつかる……だって?! 相手は認識している、だろうな。だから、避けることは難しい……。となると、後、残された選択肢は」  戦うか、逃げるか。  そのいずれかしか残されていない、ということになる。  ともなれば、どうすればいいか。 「フル」  ルーシーが、僕の隣に立って、言った。 「……こういうとき、メアリーなら何て言うと思う?」  それを聞いて僕は頷いた。 「……きっと、メアリーならこう言っていただろうな。『戦おう』って」  剣を構えて、海賊船を見つめる。  それを見ていたレイナとシュルツさんは小さく溜息を吐いて、 「仕方ないわね……。私たちも準備することにしますか」 「戦いはあまり好きじゃないのだけれど……。まあ、仕方ないよね。避けられないというのであれば、猶更だ」  そうして僕たちは、それぞれの武器を構えて――海賊船を見据えた。  海賊船が僕たちの船にぴたりと並ぶように停止したと同時に、僕たちの船も停止した。  そして、僕たちは海賊船の甲板に居る戦闘員たちをまじまじと見つめる。 「……人、多くない?」  ルーシーの抱いた第一印象――それは人の多さだった。  海賊船の人員がどれくらいかははっきりしていなかったとはいえ、四人で捌ききれる量だと勝手に思い込んでいた。  しかし、海賊船の乗組員は少なくとも五十人は居るだろう。その全員がサーベルを片手にこちらの船を見つめていた。 「人が多すぎ……。あーっ、でも、やるっきゃない!!」  レイナが覚悟を決めて、乗り込んでくるであろう戦闘員を待ち構えた、ちょうどその時だった。  先頭に立っていた赤いマントの男が右手を掲げた。  海賊が被るような黒い帽子を被っていた男は、おそらく船長だろう。赤いマントの下には黒い白衣――言葉が矛盾しているようだが、正確に言えば研究者が着用するような白衣だ――を身に着けていた。  男は言った。 「一言だけ言っておこう。我々は戦闘をする気はない。……そちらの船の面々とお話しがしたいだけだ。君たちは、おそらく私の名前を知っているだろう?」  そう言ってニヒルな笑みを浮かべる。  そして、僕はその顔を見て――失礼なことにその男を指さし、こう言った。 「お前は……まさか、タイソン・アルバ……!」  そう。  そこに立っていたのは、リュージュから捜索を依頼された、行方不明の科学者――タイソン・アルバだった。 「ん? その様子だと、もうリュージュから私の話を聞いている、ということになるな。結構、結構。できることならそちらのほうが大変有り難かった。一度初めから話をするのは非常に面倒だからな」 「……あなたは、いったい何者なんですか。確か、知恵の木の実を作り出すものを生み出した、と……」 「正確に言えば、そいつは間違っている。私はいろいろなものを研究し、そして実際に生み出した。しかしながら、それは大いなるリュージュ様のためを思って、そして、世界のために作り出したものに過ぎない。あのころの私は……はっきり言っておかしかった。風変りだった、といってもいい。けれども、私は研究が楽しかった。大好きだった。それを、あの女に付け込まれたといってもいいだろうな……」  そう言って。  タイソン・アルバはゆっくりとこちらの船に乗り込んできた。  僕たちはタイソン・アルバが何を仕出かすのか解らず、戦闘態勢を取った。  それは相手も同じだった。タイソン・アルバ以外の乗組員も皆、同じように戦闘態勢に入る。  しかし、タイソン・アルバだけが冷静に、それでいて普通に、踊るように歩いていた。 「……何を考えている? タイソン・アルバ。僕はあなたのことは知らない。知らないからこそ、訳が分からない。一体全体、あなたは何を……」 「私から言わせてみれば、君たちのほうがおかしい考えを持っている、ということになるよ。予言の勇者一行、とでも言えばいいかな?」 「……それをどうして?」 「知らないわけがない。リュージュはずっとそれを望んでいた。ずっと、予言の勇者がこの世界にやってくることを欲していた」 「……つまり、リュージュはずっと」 「ああ、知っていたとも。知っていたからこそ、計画を実行に移すことを考えていた」  徐々に、タイソン・アルバが恐ろしくなってきた。  いや、実際には予言の勇者――つまり、ぼくのことだけれど――を何らかの計画に組み込もうと考えていたリュージュが恐ろしいのだが、それ以上に、タイソン・アルバが恐ろしい。どうして彼はそこまで事実を知っているのか、ということに驚いている。そこまでぺらぺらと語られてしまうと、ほんとうに彼の言っている言葉は正しい言葉なのかどうか解らなくなってしまう。 「タイソン・アルバ。あなたはいったい、何を知っている? そして、何をしようとしている?」 「私は何もしようとは思っていないさ。……ああ、いや、それは間違いだったね。正確に言えば、私は間違いを正そうとしている。ただ、そのためには力が必要だよ。だからこそ、それは間違いだったと思っている、その自分を正すことと等しい。私はいったい何をしていたのか、気づくまでにあまりにも時間がかかりすぎた」 「それは……」 「リュージュに従って行った研究は、最終的に人間を滅ぼす悪魔の研究だった、ということだ」  その言葉は、端的であったが全てを表していた。  リュージュが求めていたもの――その意味が漸く解ってきた。  タイソン・アルバの話は続く。 「……正確に言えば、ずっと私の研究は私のメリットがあるものしかしてこなかった。それは当然だ。それが研究者たる所以と言っても過言ではない。けれど、あの研究を始めたとき……私はもう、あの女王にはついていけないと思った。知恵の木の実は、この惑星の長い記憶をエネルギーにすることで、それを錬金術の素材としている。そして、それを人工的に作るとすれば、……はてさて、何が必要だったと思う?」 「まさか……!」  ルーシーの言葉に、タイソン・アルバは大きく頷いた。 「そこの君はもう解っているようだね。……そうだ、知恵の木の実は記憶エネルギー。つまりその記憶エネルギーを濃縮させたものが知恵の木の実。……人間の記憶エネルギー一人分ならばたいしたエネルギーではないかもしれないが、それが何十人と集まれば、どうなるか? あっという間に知恵の木の実の完成だ」 「人を殺した、というのか?!」  僕は思わずタイソン・アルバを睨み付けていた。けれど、そうなるのも当然だ。つまり、私利私欲のためにタイソン・アルバはたくさんの人間を犠牲にしたのだから。  タイソン・アルバは憂う目で僕たちを見つめた。 「……そう言う気持ちも解る。だが、激高せずに最後まで聞いてほしい。私は確かにそれを望んだかもしれない。だが、それを作り出していくうちに、私は何をしているのか……解らなくなってきた。老人も、少年も、青年も、子供も……私は容赦なく彼らの記憶を知恵の木の実という器に満たしていった。それによって、私の精神は……壊れた。そう、壊れてしまった」 「それで――リュージュから逃げた、ということか?」  こくり。タイソン・アルバはそうしっかりと頷いた。  タイソン・アルバの話を聞いているうちに、僕たちは共通の見解を示すようになった。  ――リュージュは僕たちにとって、害のある存在ではないだろうか?  リュージュを害のある存在とは思っていなかった。別に百パーセントの善人であるとは到底思っていなかった。とはいえ、国を治める人間だからある程度の信用を置いていた。  しかし、今思えばそれが間違いなのかもしれない。 「リュージュはメタモルフォーズの研究をしていた。その指導者であったよ。正確に言えば、研究自体は研究者に任せて、彼女はその統括を行っていた……ということだ。私はその中で一研究員に過ぎなかったが……、その研究内容が高評価だったためか、かなりの確率でリュージュに途中経過を報告することが多かった」 「そこでリュージュに出会った、と」  再び、タイソン・アルバは頷いた。 「リュージュは、私の研究にかなり力を注いでいるようだった。シュラス錬金術研究所……今はどうなっているのか知らないが、あそこの所長がよく私に言っていたよ。メタモルフォーズの研究よりも、最近はそちらのほうに熱が入っている、と」  シュラス錬金術研究所といえば、この前入った場所だろう。メアリーをかくまっていたらしいが、僕たちがやってくる前にバルト・イルファが別の場所に護送したらしい。だから会うことは出来なかったのだが、最後に水を操るメタモルフォーズが出てきたのは覚えている。あいつはかなり強敵だった。レイナの機転が無ければ倒すことが出来なかったかもしれない。  ということは。  タイソン・アルバは別に悪い人間ではない――ということなのだろうか。確かに、話だけ聞いてみればタイソン・アルバは研究について自分の探求心を貫いてきただけであって、結局悪いことをしていたわけではない。むしろそれを命令したリュージュが悪い、という結論になるのだろうが。 「私の研究は長く続けられることとなった。潤沢な資金も入り、人を集めることもできるようになった。そうして、人はどんどん知恵の木の実になっていった。私はそれを毎日献上していった。それを目の前でリュージュは一口齧り、その味を確かめていた。……知恵の木の実に味があるのかは、食べたことのない人間には解らない話ではあるがね」 「……一つ質問なのだけれど、記憶エネルギーを失った人間はどうなる?」 「死ぬよ。記憶には色々な種類がある。記憶は行動を起こすと電気信号に変換され、脳のネットワーク内を縦横無尽に駆け巡る。そして最終的に長期的に記憶を保管する場所に記憶として保管される。そしてその容量は無限大といっても過言ではない。もちろん、星の記憶と比べれば微塵にも満たないがね。その記憶が一切失われた状態……それは即ち、赤ん坊と同じ状態になる。本来は生きていてもおかしくないのだが……、はっきり言って生きるのは不可能だと思うよ。だから、正確に言えば、死ぬのではない。『生きることが社会的に難しくなる』ということだ」 「新たに記憶を覚えることもできない、と?」 「簡単に言えば、記憶を覚えることと記憶を思い出すこと、この処理は有限だ。つまり回数を増やしていけば、それほど昔の記憶は思い出せなくなってしまう。記憶エネルギーの取り出しは通常の記憶を思い出すことよりも脳に負荷をかけてしまう。だから、記憶エネルギーを完全に吸い出されてしまったあとの脳は、記憶力がほぼ皆無と化してしまう。すぐに物事を忘れてしまうことや、メモを使わないと日常生活を送れなくなるほど。というか、自分が何者であるかすら解らないからね。まずはそこから覚えてもらう必要があるけれど」  タイソン・アルバはそこまで言って、会話を区切った。  僕たちとタイソン・アルバ、それにタイソン・アルバの船の乗組員たちの間で、静寂が広がる。  静寂を破ったのは、シュルツさんだった。 「……それで、今まで話を聞いてきたわけだけれど、一つ解らないことがある。タイソン・アルバ……だったかな。君はいったいどうしたい?」 「どうしたい、とは……どういうことだ?」  タイソン・アルバはシュルツさんのほうを見て言った。  睨み付けているように見えるが、敵意を抱いているのだろうか?  そんなことはないと思うが、シュルツさんもそれに負けじと同じように睨み付けるようにタイソン・アルバのほうを見て、 「つまり、簡単なことだ。タイソン・アルバ、あなたはずっと海で生活をしてきたのだろう? おそらく、リュージュから逃げるように。だけれど、彼らに話をしたということは、何らかの意味があったから。そして予言の勇者であるということを知っていたのならば、猶更だ」 「……そういうことか。確かにその通りだ」  タイソン・アルバは頷いて、僕のほうに向きなおすと、 「フル・ヤタクミ。リュージュを止めてくれないか」  唐突に話題が変わってしまい、僕はたじろいでしまった。  しかし、タイソン・アルバは今までの話を聞いていれば、リュージュは悪い奴だとしか言っておらず、助けてほしいなど一度も言ってはいなかった。いったい、どういう風の吹き回しなのだろうか?  しかしながら、タイソン・アルバの目は嘘を吐いているようには見えない。となるとやはり、ほんとうにリュージュを止めてほしいと思っている? 「信じてくれないかもしれない。だが、リュージュはきっと、何か考えがあって、それを行おうと思っているのだろう。それがどれほどの作戦の規模になるかは解らない。だが、そのために人間を……世界を危険に晒す必要なんて無い。それならば、何か別の方法があるはずだ。それを模索しないと、何も始まらない。そうではないか?」 「……つまり、あなたはリュージュは悪いことをしている一方、考えとしては悪いことをしていない、と?」 「そうは言っていない。ただ、殺すのはどうか、という話だ。戦うことは間違っていないだろう。なぜなら彼女は人道に反したことを行っているわけだから。けれども、そうだと言って、そのまま殺してしまうのはどうか、という話だ」  ……タイソン・アルバはリュージュの味方でありたいのか、敵で居たいのか?  解らなくなってきたが、それを簡単に質問するわけにもいかない。 「だから、私はそのためにできることをする。まずはこれを君にあげよう」  そう言って、タイソン・アルバは知恵の木の実を差し出した。  けれど、それは人の記憶が詰め込まれたものだ。もっと言うなら、人の命がその一つ作ることによってどれくらい失われたのだろうか。それを考えると、素直にそれを受け取ることは出来なかった。  タイソン・アルバは僕が困っている様子を理解したのか、首を傾げて、そちらを見た。 「……もしかして躊躇しているのかね? ならば、それはあまり考えないほうがいい。これを開発した私が言うのも何だが……。この知恵の木の実にはまだ人間の生きたいという意思が込められている。どうか使ってはもらえないか? そうでないと、記憶エネルギーを吸われた人間が浮かばれない。あくまでも、これは勝手なエゴになるわけだが……」  命はまだ生きようとしている。  このような姿になっていたとしても。  まだ生きたいと願っている。  おそらく――もう元の姿に戻れないと知っていたとしても。 「……じゃあ、僕は、僕たちは、これをどう使えばいい?」 「おい、フル! この科学者(マッドサイエンティスト)のいうことを聞くのか?!」  ルーシーが僕とタイソン・アルバの会話に入ってくる。それにしても、本人の目の前でマッドサイエンティスト呼ばわりというのはどうかと思うが……。  それはそれとして。  タイソン・アルバは溜息を吐いて、頷く。 「それで、どうする? これを受け取るか、受け取らないか。これがどう作られたかはさておいて、知恵の木の実はこの世界において重要なアイテムだと思うが?」 「それは……」  知恵の木の実さえあれば、どれくらい戦闘が楽になるか。それは僕だって解っていた。けれど、やはりそれが生まれた由来がどうしても気になってしまう。人間の記憶エネルギーを濃縮することで作り上げた、人工の知恵の木の実。それを使うことは、命を蹂躙することにほかならないだろうか? 「知恵の木の実は重要なアイテム。それは解っている。けれど、それは人の命を使って生み出されたものなのだろう? だったらやっぱり受け取ることは出来ないと思うのだけれど、どう思う。フル? これはあくまでも僕の考えだ。だから、君が受け取るべきと言うのであれば、受け取って構わないと思うよ」  つまり。  ルーシーとしては別にどうだっていいが、どちらにせよ、人の命を使って生み出したものであることには変わりないということだ。  それは僕だって解っているし、理解している。けれど、知恵の木の実さえあれば大分戦略的に余裕が生まれる。  じゃあ、どうすればいいか。  一体全体、僕はどう選択すればいいか。  タイソン・アルバは話をつづけた。 「……私は君たちに、世界を救ってもらいたいと思っている。そして、その第一段階で手助けをしたい。これは私自身の贖罪だ。君たちにこれを使ってもらって、世界を救ってほしい。その一助になれば……私はそう思っているのだよ」  それは、勝手な言葉だった。自分勝手な言葉だった。  タイソン・アルバの、自分自身の贖罪という言葉を果たすための。  自分勝手な言い訳に過ぎない。 「……もう、その研究はしていないんだよな?」  僕はタイソン・アルバに訊ねる。  それは、ほんとうに贖罪の意志があるのか――その確認でもあった。  タイソン・アルバは間髪入れることなく、はっきりと言い放った。 「ああ。もうその研究はしていない。それに関する資料は破棄している。そして、これが人の記憶エネルギーを使って作り上げた最後の知恵の木の実だ。ああ、あと言わないでいたが、ここに居る乗組員は大半が私の研究を手伝ってくれた人たちだ。だから、彼らも私の味方ということになる」 「……それを聞いて、少しだけ安心した」  僕はそう言って、タイソン・アルバが持っていた知恵の木の実を受け取った。 「おい、フル。……いいのか、そいつを受け取って?」 「ああ。別に何の問題もない。……この世界を救うためにも、僕たちはこれを使うべきだ。そうじゃないと、この知恵の木の実に蓄えられてしまった命が無駄になってしまう」 「そう言ってくれて、とても嬉しいよ」  タイソン・アルバはポケットに入っていたコンパスを差し出した。 「……これは?」 「これは不思議なコンパスでね。探し物を見つけることが出来る。普通のコンパスは向いた方角を指すだろう? だが、これは違う。探したいものを、その思いを込めることでコンパスが方角を指すということだ。これも君に差し上げよう。……恐らく、何か探し物をしているのだろう?」 「なぜ、それを……」 「まあ、色々と解るということだよ」  タイソン・アルバはただそれしか言わず、踵を返した。 「……これから、どうするつもりだ?」 「これから、か。まあ、簡単なことだ。私たちにはもう居場所はない。ただ海を彷徨うだけだよ。港に到着して、食料を調達して、……一応海賊行為はしていない。そんなことをしてしまえば返り討ちにあうのがオチだ。だから我々は平和な行動しかしていない。これがいつまで続くかは解らないがね」  ◇◇◇  僕たちは、タイソン・アルバとの船と別れた。  徐々に、タイソン・アルバの船が小さくなっていく。乗組員の人たちも、どんどん小さくなっていった。どうやら彼の言った通り、ほんとうに優しい人ばかりなのかもしれない。 「なあ、フル。ほんとうにこれを受け取って良かったのか?」  ルーシーは僕が持っている知恵の木の実を指さして、言った。 「まだ言っているのか、ルーシー? 別に僕は問題ないと思うよ。いや、正確に言えば問題ないわけじゃないけれど、このまま後ろ向きに物事を考えていちゃダメってこと。前向きに考えないと。僕たちはこの世界を、救わないといけないのだから」 「そう……かもな」  ルーシーはあっさりと納得してくれた。 「ところで、メアリーはどこへ向かったのかしら?」  レイナは僕の目の前にあったコンパスを覗き見る。  タイソン・アルバからもらったもう一つの品。金色に輝くコンパス。普通に考えると富豪が持つ嗜好品のように見えるが、彼曰く、探し物を見つけるためのコンパスなのだという。  だから、僕はその言葉を信じて、メアリーを探した。  するとそのコンパスは北西の方角を指した。 「……北西だ」 「北西。オーケイ、それじゃ向かおうじゃないか。メアリーを助けに!」  そうしてルーシーは舵を取ると、船を北西へ向けていくのだった。  チャール島が――僕たちの視界がそれを捉えるまで、そう時間はかからなかった。  ◇◇◇ 「良かったのですか」 「何がだね」  そのころ、タイソン・アルバの海賊船では、部下の一人とタイソン・アルバが話をしていた。  タイソン・アルバは部下の言葉を背中で受けて、踵を返した。 「予言の勇者に最後の一つを差し出して。確かにあれが一つあればリュージュを油断させることも出来ましょう。しかし、あれは我々の切り札だったはず。それを差し出すことで、我々には打つ手なしということになってしまいます。もしこの状況でリュージュの手先がやってくるようだったら……」 「それは、その時に考えるしかあるまい。神が我々の生きる時間がそこまでと定めたならば、それに従うまで、だ」 「しかし……!」  焦る部下を他所に、タイソン・アルバはその言葉を手で制した。 「積もる話もあるが、一先ずここまでとしよう。……なぜなら、」  彼の背後には、一人の少年が立っていた。  燃えるような赤い髪に、赤いシャツ。そしてその赤を引き立てるような白い肌。  バルト・イルファが、タイソン・アルバの背後に立っていた。  それを確認するように背後を見つめて、タイソン・アルバは言った。 「――上客がやってきたようだからな」  踵を返し、タイソン・アルバはバルト・イルファと対面する。  バルト・イルファは笑みを浮かべて、両手を広げた。まるで、自分には戦う意思が無いということを見せつけるかのように。  バルト・イルファは一歩近づき、 「お久しぶりです、タイソンさん。どれくらいぶりでしょうね? あなたが僕の調整役から離れて……ということになるので、もう五年近くになりますか? まさか、このような形で再会することになるとは……。いやはや。運命とは皮肉なものですね」 「バルト・イルファ……。私もまさか、このような状況で再会することになるとは、思いもしなかったよ。それに、これほどまでに時間がかかったのは、ただ手古摺っただけでは無いのだろう? 例えば、そう……。予言の勇者と私を邂逅させるために、それまで待機していた、とか」  それを聞いてバルト・イルファは目をぴくりと痙攣させた。 「……解っていましたか。さすがは、リュージュ様がお目を掛けていただけはある」 「舐めるなよ、メタモルフォーズと人間の合成獣が。私はお前をそのような戦闘兵器にするために開発したわけではないのだ。人間の進化の可能性に賭けていた……ただ、人間の進化、そのためだけに……!」 「舐めているのはお前のほうだよ、タイソン・アルバ」  バルト・イルファは今までと口調が変わった――冷淡な口調でタイソン・アルバに言い放った。  タイソン・アルバが驚いている様子を見せていると、バルト・イルファはそれに気付いて溜息を吐く。 「第一、僕が何を言っているか解っていない。もっと言うならば、なぜここにやってきたのか解っていない。タイソン・アルバ、お前は解っているつもりでその発言をしたのかもしれないが、リュージュ様はもともと人間の進化の可能性で僕たちを開発したんじゃない。いや、リュージュ様直々に開発したわけじゃないから、正確にはその命令をしただけではあるが。リュージュ様はもともと一つの結末に向けて、すべてそれのために物事を実行しているだけに過ぎない。僕たちを開発したり、メタモルフォーズの研究をしたり……」 「まさか……、そんな、まさか! そんなはずがあり得ない! リュージュが、もともと、人間の進化の可能性を考えずに……。では、もともとその得体のしれない計画を実行していた、ということなのか!?」  こくり、とバルト・イルファは頷いた。  それを聞いて、タイソン・アルバは信じられなかった。それは即ち、自分の研究がずっと裏切られていた――ということなのだから。  バルト・イルファの話は続く。 「リュージュ様は誰にもその計画を話したことはない。だが、僕たちの研究はもっと大きな計画によって実行されていたことは、僕たち自らが調べ上げて知ったよ。まあ、だからといって何も変わらない。リュージュ様に対する忠誠は変わることがない、ということさ」 「リュージュへの忠誠……。違う、それはきっと、プログラミングされたものに過ぎない! リュージュは自らの臣下に置くメタモルフォーズを開発する際、彼女の命令を聞くように、彼女の忠誠心を常に持つように思考をプログラミングしろ、というのがあった。だから、それによって……」  バルト・イルファはもう話を聞くのが面倒になったのか、頭を掻いた。  そうして、深い溜息を吐いて、バルト・イルファは言った。 「あんた、いろいろと煩いよ?」  バルト・イルファは右手に炎を作り上げた。ノーモーションで生み出す魔術は、彼自身が魔術の仕組みを理解していることと、それについての代償が存在していないと不可能だ。しかし、それが実行できているということは……、その二つが成し遂げられているということを意味していた。  それを見たタイソン・アルバは、もう逃げられないと悟った。  だからこそ、彼は言った。 「……こうやって邪魔者を消していく、というわけか。差し詰め、お前はリュージュにとっての邪魔者を消す暗殺部隊ということになる……わけか」 「何が言いたいのですか? 哀れみ? 憐み? それとも、悲しみ? もしその感情を抱いているのならば、無視していただいて構いませんよ。あなたにとって、それは関係のないことですし、そもそもあなたはその対象に殺されようとしているのですから」 「バルト・イルファ……!」 「一応、リュージュ様に言われていたので、最後に確認しておきましょうか」  バルト・イルファは右手に火球を構えたまま、タイソン・アルバに訊ねた。 「もし今、ここで『戻る』と言ってくれればあなたの命は保証しましょう。後ろにいる、正確に言えばこの船に乗っている研究員の方々の命ももちろん保証します。しかし、ノーというのであれば……」 「存在価値があるから、殺すのが惜しいということか。リュージュも切羽詰まっている、ということだな」  バルト・イルファは何も言わなかった。 「……図星か。ならば、答えは最初から決まっているよ」  タイソン・アルバは目を瞑り頷くと、バルト・イルファに向き直った。 「私はもうあの場所には戻らない。人間を危険に晒すような研究をわざわざやりに戻るほど、私も馬鹿な人間じゃない」  バルト・イルファはどこか遠くを見つめたような表情をして、頷く。 「……そうですか。それは非常に残念です。タイソンさんは非常に優秀な研究者であることから、戻る意思があるのならば丁重に扱うようリュージュ様からも言われていましたから……」  そうして。  バルト・イルファの持っていた火球が徐々にその大きさを増していく。  バルト・イルファの顔から、笑顔が消えて――彼は言った。 「ならば、あなたの逃亡生活もこれで終わりです。タイソン・アルバ。あなたがずっと過ごしてきたこの船と、あなたを信じてついてきた研究員とともに海の藻屑と消えなさい」  直後。  タイソン・アルバの乗っていた海賊船は、火球により真っ二つに分断された。  ◇◇◇  チャール島に到着したのは夕方だった。スノーフォグ本土、ハイダルク島と比べると非常に小さい島であり、海岸線及び港の周りに建造物があることから、そこが島の中心なのだろう。  港にある橋に船を停泊させ、碇を下す。 「着いた。ここが……チャール島だ……!」  僕はそう言って、チャール島の大地に足を踏み入れた。  ルーシー、レイナ、シュルツさん、それぞれ荷物を持って同じように大地に降り立つ。 「それにしてもとても小さい町だね……。もしかして、ここがチャール島の中心街なのかな」  ルーシーの問いに、僕は答えることはできなかった。  それよりも町に広がる異様な気配が、とても気になっていた。  夕方なら、町に活気があってもおかしくない。それどころか、民家に明かりが灯っていない。 「どうして、人気が全く無いんだ……?」  チャール島の港町、フィアノにはただ風の吹く音だけが空しく聞こえるだけだった。