結論から言うと、僕たちがシュラス錬金術研究所からエノシアスタに戻るまで半日の時間を要することとなった。はっきり言って大して時間はかからないものだったのだが、案外竜馬車の疲労度がそれなりに高かったことが理由として挙げられたためだった。シュルツさんが厳しく否定したので、それについてはそうであると考えるしかない。  シュルツさんはベテランであり、竜馬車のプロだ。もちろん、本人はそんなことを気にも止めていなかったようだったけれど、僕たちにとってみれば唯一の専門家だった。それを考慮すれば、シュルツさんの意見を、ある意味鵜呑みにするしか手立ては無かった……ということになる。  それはそれとして。  シュルツさんはエノシアスタで僕たちを下ろしたあと、報酬の話をする暇もなく竜馬車のメインテナンスを行うためと言って小屋へと戻っていった。だからと言って僕たちもそこで報酬を踏み倒す気は毛頭無い。  よって僕たちはシュルツさんの小屋へと向かうのが当然であり望ましい結果だった。 「それにしてもシュルツさん……かなりあのドラゴンのことを思っているのだね」  そう言ったのは、レイナだった。  レイナはさらに話を続けた。 「竜馬車使いはドラゴンの心を理解することが出来る、とは聞いたことがある。シュルツさんもきっとそれに該当するのかな。恐らく、ではあるけれど。いずれにせよ、私にとってそれはあまり関係の無いことではあるけれど」 「特殊な技能を持っているとか、そういうことなのか?」 「たぶんおそらくきっと、そういうことになるのだろうね。別にそこまで珍しい話じゃないと思うよ。だって、竜馬車使い全員に言えることらしいからね。魔術でも錬金術でも召喚術でもない、第四の術ということになるね。魔術師は錬金術を使えないし、錬金術師は魔術を使えないけれど、竜馬車使いもまた、魔術や錬金術を使うことはできない。確かなんかの本にそんなことご書いてあった気がするよ」  こういう知識がすらすらと出てくるのは、メアリーの次に、意外にもレイナだったりする。レイナはもともと盗賊だったにもかかわらず、その生まれや育ちには決して比例しない(誠に申し訳ない発言ではあるのだが。なぜならこれは名誉毀損になるためだ)知識が蓄えられている。いったいどこの時間でそれほどの知識を蓄えることが出来たのだろうか? なんてことを思うときもあることにはあるが、しかしそれは極稀に過ぎない。非常にアブノーマルなケースに過ぎない。要するに滅多に発生することのない事象であり事実であり、しかしながら、それでいて真実だった。  話を戻そう。  僕たちはシュルツさんと別れて、とぼとぼと道を歩いていた。目的地はここに来て直ぐに確保した宿だ。決して安い宿ではないが、路銀自体はエノシアスタへの護衛の前金も含めて有り余るほどに持っているため、別にそれについては何の問題も無かった。  宿に到着し、階段を上る。二階の二部屋のうち、左はレイナだけの部屋、右は僕とルーシーの部屋になっている。とどのつまり、男女で部屋が分かれている状態になっている、ということだ。  分かれているのは確かだが、部屋の大きさはイコール。即ち体感的にはレイナだけの部屋の方が広く感じることだろう。シングルとかダブルとかあるわけだけれど、残念ながらここは異世界。僕の持っている常識が通用するはずもない。  ベッドに腰掛けた僕たちは、一先ず僕とルーシーの部屋に集まって、今後の会議をすることと相成った。 「とはいえ……これからどうするつもりだ? さっきまでは、手掛かりがあったからそこへ向かうことが出来た。しかし、今では? ヒントも何もない。その状況で世界を回っていくのは少々面倒なことだとは思うのだけれど」  ルーシーはそう言った。  しかしながら、手掛かりがないわけでも無かった。それはバルト・イルファが去り際に放ったあの言葉……。 「邪教の教会、だったかしら。あと寒い場所とも言っていたわね」  僕がそう思っていたところにレイナはそう付け足した。  僕は頷くと、話を続けた。 「レイナが言ったとおり、邪教の教会……それこそが今後の僕たちの旅にとっての、最大のヒントと言えるんじゃないか?」 「簡単に言うけれど……そもそも寒い場所かつ教会なんてたくさんあるんじゃないか? それこそスノーフォグは雪国だ。寒い場所なんていろんな場所にあると思うのだけれど」 「……いや、待てよ」  そこでルーシーは、レイナの言葉を遮った。  それを聞いて、レイナと僕はそれぞれ彼の方を向いた。 「ルーシー、何か知っていることでも? 何でも構わないぞ、今は有益か無益か解らなくても、何かピンと来たらそれについての情報をリストアップするしかない」 「……そう言われてしまうと、この情報が有益かどうか解らないけれど、スノーフォグには確か離島があったはずだよ。北側にあるはずだったから、その寒さも随一。常に雪が降り積もっているその島は秘境とも揶揄されている」 「その島の名前は?」  ルーシーには自信が無かったようだが、その情報はかなり有益なものだった。それをもとに調査を進めれば、或いは。  ルーシーは僕の言葉を聞いて、小さく溜息を吐くと、 「……フル。人の話は最後まで聞くように習わなかったのかい? まあ、べつにいいけれどさ、今は緊急時だからね。それと、その島の名前は確か……チャール島、って名前だったかな。召喚術の生みの親、マザー・フィアリスが暮らしていた島だ」  ◇◇◇  とある場所にて。 「……シュラス錬金術研究所が崩壊した、と?」 「はい」  バルト・イルファは隣にいるリュージュに短く答えた。  リュージュは水晶玉を見つめつつ、さらに話を続ける。 「まあ、あそこは最近有意義な研究ができていなかった、と思ったところだったし、別に問題ないかな。……それにしても、全員死んだということでいいのかしら?」 「いえ、ドクターとフランツ、それに僅かな人間が生き残ったものと……。彼らは恐らくあの巣から逃げ出したものかと思われます。実際、誰もいないと思われますから」 「あの場所から研究施設を削ったら、そこに残されるのはメタモルフォーズの巣になるからね。あの場所に生身の人間が生き残る環境があるとは到底思えないわ。あなたのように『作られたメタモルフォーズ』ですら、生き残ることは困難だと言われているというのに」  その言葉にバルト・イルファは何も言い返さなかった。  リュージュはさらに話を続ける。 「……『彼女』は別の場所に連れて行ったでしょうね?」 「それくらい当然だ。邪教の教会、今はあそこに連れて行ったよ」 「ああ、あのチャール島の……」  こくり、とバルト・イルファは頷いた。 「何しろ、けっこう大変だったよ? ちょうど転移魔方陣に乗せたタイミングで彼らが襲撃してきてね。時間がなかったところに、さらに彼らがメタモルフォーズを召喚してしまったものだから、面倒に面倒が重なってしまって」  溜息を吐き、バルト・イルファは肩を竦める。 「それでも、私の考えている道を歩んでいることだけは変わらないわ」  ふふ、と笑みを浮かべてリュージュは立ち上がる。  リュージュはバルト・イルファのほうを向いた。  バルト・イルファには何の感情も抱くことの無い出来事ではあったが、リュージュは絶世の美女といっても何ら過言ではないほど、美しい存在だった。白磁のような肌をもち、黒い髪はきめ細やかだ。彼女が神話と呼ばれるような時代から生きていた、と言われていても信じる人間は殆ど居ないことだろう。  いや、それどころか。  祈祷師は不老不死ではない。確かに長寿ではあるのだが、人間とは明らかに遅いペースで老化が進んでいく。だから、通常数十年で進む老化も数百年単位で進んでいく。  しかし、そうであったとしても。  リュージュは明らかに老化しなかった。同じ祈祷師であったラドームが疑問に感じる程度だった。どうして何百年も生きていてまったく姿が変わらないのか? 何か魔力を使っているのではないか? という疑問がすぐに降りかかる。  しかしながら、魔力をそのために使うには相当の魔力を要する。そういうわけだから、それを何百年も使いまくることは、ほぼ不可能に近かった。  だが、リュージュはそれを成し遂げていた。  だからこそその疑問が解決できなかった。けれど、リュージュはその疑問を解決していた。 「……リュージュ様、お薬の時間です」  三人目の声が聞こえた。  気が付けばそこには白いワンピースを着た青髪の少女が立っていた。お盆を持っており、カプセルが二つとグラスに注がれた水が載せられている。  それを聞いたリュージュは踵を返すと、 「あら。もうそんな時間だったかしら? ありがとう、ロマ。あなたのおかげでそれを忘れずに済むのだから」  そう言ってロマと呼んだ少女のもとに近づくと、カプセルを飲み口に水を含んだ。  そしてそのままそのカプセルを体内に飲み込んでいった。  このやり取りはバルト・イルファがリュージュの側近のような立場になってから、いや、正確に言えばそれよりも前から続いていることだった。実際に何をしているのか彼には理解できないし教えてもくれなかったのだが、決して彼女が病気では無いということから、それが何らかの習慣の一つであることしか、彼自身も知らなかった。 「……バルト・イルファ。このやり取りが気になっているようね?」  急に。  ほんとうに急にバルト・イルファに話が振られて、彼は一瞬困惑した。 「……す、すいません。しかし、確かにその通りです。実は少し気になっておりまして……」 「何もそれを過ちだとする必要はない。簡単なことだよ。これは、オリジナルフォーズのエキス……正確に言えば肉体の一部だ」  簡単に。  呆気なく。  リュージュはそのカプセルの正体を言った。 「私の美貌を保つにも時間と金と労力がかかってしまうものでね。色んな方法を試したものだよ。しかしながら、それはどれもうまくいかなかった。最終的にこの方法にたどり着いただけ、ということ。それは、永遠の治癒力と無限の力を秘めるといわれているオリジナルフォーズの力を体内に取り込むということ。なにせ、肉体はほぼ無限に復活する。そして、これくらいならばいくら取ろうが誤差に過ぎない。これを摂取しだしてから、私の美貌にはさらに磨きがかかった。いや、それどころではない。それどころか、さらに若さが増したようにも思える。魔力も満ち満ちている。これぞ、オリジナルフォーズの力と言えるだろう。体内に知恵の木の実を保持しているともいわれているからね、オリジナルフォーズは」  リュージュはそう言って、飲み干したグラスをロマに渡す。ロマは頭を下げると、そのまま姿を消した。  リュージュは再び自席に戻ると、水晶玉を見つめ始める。  そして、彼女は言った。 「それじゃ、観測を再開しようか。あの己惚れた国軍大佐がどういう作戦を立てて私を倒そうとするのか、見てみようではないか? まあ、どうせ人間のすることだから低能なことなのだろうけれどね」  薄ら笑いを浮かべて、リュージュは水晶玉を触れる。 「……さあ、せいぜい私を楽しませてくれよ?」  それは、すべて何もかも知っているような、そんな笑顔にも見えた。  ◇◇◇  その日の夜。  今日はとても疲れていたので、夕食を終えて簡単なミーティングを済ませたのち、それぞれの部屋に戻ってベッドに入っていった。  とっても疲れていた。正直ミーティングの後半は何をしていたかすら忘れてしまうほどだ。いや、それは訂正しておこう。もしルーシーがその事実を知ったら怒ることに違いない。  それはそれとして。  さあそろそろ眠りにつこうか、と考えていたちょうどそんなタイミングでのことだった。  音が聞こえた。  正確には、足音。それも複数の足音だった。 「……何だ?」  僕は起き上がる。そのタイミングでルーシーも身体を起こした。 「どうした、フル?」 「……何か、来る」  その瞬間だった。  僕たちの部屋の扉が強引に薙ぎ倒された。 「うわっ……!」  そして僕たちはその衝撃に、ほんの一瞬目を伏せてしまった。 「動くな!」  僕が目を開けたころには、もう僕たちは兵士に囲まれていた。 「……お前たち、いったい何者だ!」 「まあまあ、そう牙をむくな。簡単に終わらなくなるぞ?」  そう言って、兵士の向こうからやってきたのは、それよりも位が高いように見える男性だった。 「はじめまして、というべきかな。私の名前はアドハム。スノーフォグの国軍大佐を務めている。……まあ、このような行動をとった今、大佐というものはただの名前に過ぎないものになってしまったがね」 「国軍大佐……!」  ということは、今僕たちを取り囲んでいるのは……。 「国軍が、こんなことをしていいのか!?」  そう言ったのはルーシーだった。  そう。  僕たちの予想が正しければ、僕たちを取り囲んでいる兵士はスノーフォグの国軍だったということ。つまり、この行動はスノーフォグの国が理解している行動、ということだといえる。 「ああ、勘違いしないでもらいたい。スノーフォグの国軍に籍を置いているが、これは私独断の行動であるということだ。それに、この兵士も私独断の行動であることを理解している」 「……国を庇うつもりか?」 「若造が、知った風に話すな。……別にそのようなことではない。これは私の矜持の問題であるし、私自身の目的を果たすためだ」 「目的……だと?」  僕がそれについて、さらに話を進めようとしたちょうどその時だった。  背後に衝撃が走った。  そして、僕はそのまま倒れこむ。  そのまま、僕の意識は薄れていった――。  次に目を覚ました時、そこは牢屋だった。  石畳の床に直に寝かされていたか、とても身体が痛かった。 「……ここは? 僕はいったい、何を」 「解らねえよ。とにかく、ここからどうするか。それを何とかするしかない。生憎、全員が別々の牢屋に入れられることは無かった。そこは唯一のグッドポイントといえるのかな」  そう聞いて、僕は牢屋を見渡した。  するとルーシーのいった通り、すぐにレイナの姿を見つけることが出来た。 「……となると、どうやってここを脱出すればいいか。それが問題だな……」  やはり、根本的なそれが残る。  その問題を解決すれば脱出は容易かもしれないが、しかしそう簡単にできる話でもない。  しかしながら、今はどうにも出来ない。  そう思って僕たちは一先ずお互い考えることに徹するのだった。  ◇◇◇ 「予言の勇者一行が目覚めました」 「うむ。なら、適当なタイミングで食事を与えておけ。彼らに死んでもらっては困るからな」 「……しかし、大佐。大佐はどうして彼らを捕まえておく必要があるのでしょうか?」 「簡単なこと。予言の勇者が出てこなければ、世界の災厄を食い止めることはできないのだろう? だから、それを実行するまでだ。簡単なことであり、非常にシンプル」 「……大佐、あなたは世界を滅ぼそうと……?」 「世界を再生するための、その第一歩だ」 「…………」 「さて、これ以上話す必要はあったか? 取り敢えず時間的にそろそろ食事のタイミングなのだろう? だったら大急ぎで向かいたまえ。予言の勇者を殺しておくのは、非常に目覚めが悪い」 「了解いたしました」  そうして部下とアドハムの会話は終了した。  ◇◇◇ 「……アドハムの行動。いかがなさいますか?」 「簡単だ。もう少し見ているべきかと思っていたが……まあ、どうにかするしかないだろう。あいつは、少々世界を舐めていた。正確に言えば、私という存在をも、の話になるが」 「では、出撃と?」 「僕も出撃するということかな?」 「バルト・イルファ。まあ、問題ないでしょう。序でにロマも連れて行きなさい。そろそろ『調整』も終わった頃でしょう?」 「確かに、そうだね。まあ、ロマも外に行きたくて仕方なかったし、そろそろいい塩梅かも。了解、それじゃ連れていくことにするよ。もうすぐ出発するかい?」 「はっ。もう兵士の準備はできております」 「それじゃ、そこにイルファ兄妹も一緒にね。仲良く行動すること、いいわね」  そうして闇の中の三人の会話もまた、静かに終了した。  ◇◇◇  次に僕たちが目を覚ました時、それは扉が開かれてそこから部下とみられる男が姿を見せたときだった。 「外に出ろ」  僕たちはその言葉に、ただ従うしか無かった。  廊下を歩き、僕たちは一つの部屋へと到着する。 「失礼します」  ドアをノックしたのち、部下とみられる男は中へ入っていった。  そして僕たちも背中に銃を突き付けられ、半ば強引に中に入っていった。  そこにはリクライニングチェアに腰かけていたアドハムの姿があった。 「お前は……!」 「君たちに、なぜここに呼んだかというと簡単なことだ。私の目的を少しでも知ってもらおうと思ってね。まあ、理解してもらおうなどとは思っていない。ただ知ってもらうだけの話だ。ハードルはたいして高いものではない」  そうして僕たちは立ったまま、アドハムの話を聞くこととなった。 「簡単に話を進めるために、前提条件というか、そういうものを話していくこととしよう。この世界に起きている問題を、君たちはどれくらい知っているかね?」 「問題、って……ええと、貧困とか?」 「貧困。確かにそれも多い。現にこの町ではそれがピックアップされていないが、この町以外では貧困に苦しむ子供が多いといわれている。現に一般人の月収の十分の一未満で生活をしている人が世界人口の二割を占めるともいわれ、これは増加傾向にある。これは由々しき事態だよ。本来ならば世界で考えていかねばならない問題のはずだ。だが、国のトップは何も考えちゃいない。ただ私腹を肥やしているだけ……いいや、違う。それ以上の問題を孕んでいる」 「何で貧困になるんだ……?」 「いい質問だな、予言の勇者。それはシンプルにこう捉えることが出来る。『肥沃な土地が不足している』からだ。この世界の七割は土地の養分が少ない。だから食べ物を生産するのも難しい。エノシアスタでは人工植物を作りカバーしていることはしているが……、まだ大量生産には至っていない。この言葉の意味が理解できるか? まだ、世界の人間を養うほどの食べ物は、我々でも作ることが難しいということだ。かつて肥沃だった土地は、偉大なる戦いのとき、すべて分割して宇宙に放たれてしまったのだから」  肥沃な土地が不足している。  だから、そこで食べ物を作ることができない。  そして、食べ物を作ることができないけれど、限られた人が食べ物を寡占している。  結果として、貧富の差が広がっていく。  まるで僕がいた世界とあまり変わらない。いや、それどころかほぼ同じだと思う。  アドハムの話は続く。 「この世界は、裏ではリュージュ……スノーフォグが操っている。一応国としては三つに分かれているのだが、裏を見ている人間からすればそんなものはうわべだけに過ぎない。重要そうなことにかんしてはすべて、リュージュを通して実行される。彼奴がこの世界の王と言っても何ら過言ではないだろう」 「リュージュが……この世界の王……?」  ならば今、この世界がこうなっているのはリュージュが原因ということになるのか? 「そういうことになるだろう」  アドハムは、まるで僕が考えていたことを理解していたかのように、頷いた。  ただし、と言ってアドハムは話をさらに続ける。 「リュージュはこの世界では賢王だ。人々に愛され、リュージュも民を愛している。だから、人々からみればリュージュが政治を執り行うことは別に珍しい話ではないし、むしろ素晴らしいことだと思う人間が多いことだろう」 「……けれど、世界の裏ではリュージュが糸を引いている、と?」 「そういうことだ。だが、リュージュは何もしようとしない。正確に言えば、軍事力にその力を割いている、といっても過言ではないだろう」 「?」 「彼奴もまた、この世界の状況については理解している。なぜなら彼奴は祈祷師だ。未来を予言することができる。未来がどうなっていくかを一番理解することができる。だから、どうすれば未来を変えることができるかを、理解できるわけだ」 「……つまり?」  どんどん状況がおかしくなっていくのが、僕にも理解できた。 「この世界を変えるためにどうすればいいのか……いろいろと考えたのだろうが、彼女もまた最悪の指針を選択した、ということになる。リュージュはスノーフォグを軍事大国にして、どうしようと思っているか、分かるかね?」 「いったい何を……」 「リュージュはレガドールとハイダルクを滅ぼし、この世界を真に統一しようと考えている。いいや、そんな甘い話だけではない。そこで人々を選び……最終的にこの世界でシミュレートして生きていける人間の数だけ残すようにする。選民主義の国が誕生する、ということになる」 「選民主義の国……だって?」  アドハムの言ったことは、どちらかといえばあまり現実的なものではなかった。  けれど、もしそれが本当だったとすれば、リュージュはあまりにもとんでもないことを仕出かすのだということは、僕たちにも簡単に理解できることだった。 「でも、……どうすればいいんだ? 相手は一国の主だぞ。それを食い止めるとしたって……」 「そのために、我々は行動している。逆のことをしてしまえばいい。リュージュを倒すことで、この世界が守られるのならば、その犠牲は少なく済む。いや、もっと言えば……」 「?」  アドハムが一瞬言葉を躊躇ったので、僕は首を傾げた。  そして数瞬の時を置いて、アドハムはその続きを話した。 「……スノーフォグの人間を滅ぼす。この科学技術を、この世界には有り余るほどの科学技術を生み出したエノシアスタを滅ぼす。そのために我々はここにいるのだよ、予言の勇者よ」 「エノシアスタを滅ぼす……だって? そんなこと、許されるとでも!? できるわけがないだろう! 人間を、人間が殺すなんて!」 「別に人間が人間を殺してはいけないという理由は無い。その意味が解るかね? そもそも、なぜ人間は人間を殺すな、と言っているのか。それは簡単だ。人々が混乱してしまうから。では、混乱しなければいいのではないか? 正確に言えば、混乱すること以上に人間の危機が訪れているとすれば……人間を殺すことも厭わない。そうは思わないか?」 「それは……言いがかりだ! 言い訳に過ぎない。そんなこと、ゆるされるはずが……!」 「まあ、いい。所詮、予言の勇者とはいえ、ただの子供だったということだ」  そう言ってアドハムは右手を挙げた。  同時に僕たちは兵士に身体を強く引っ張られる。  面会の時間は終了した――ということだろうか。  いや、でも、まだ終わっちゃいない。  まだ話し足りない。  まだ話していないことが、たくさんある。 「アドハム、まだ話すことが――」 「連れていけ」  アドハムはその一言しかいうことはなかった。  そして僕たちはそのまま、兵士に引きずられる形で部屋を後にするのだった。  ◇◇◇  牢屋に戻って、僕たちは作戦会議をすることとなった。なぜそう簡単に堂々と出来るかというと、兵士はそう扉から近いところに立っているわけではないためだ。そうではあるが、それでも声は聞こえる可能性があるためトーンを落として、ということにはなるのだけれど。 「……これからどうする?」  ルーシーの問いに僕は首を傾げるしかなかった。  今僕たちがどこにいるのか。ここからどう脱出すればいいか。逃げることができたとしてもそのあとも追っ手を撒くことは出来るのか。問題は山積みだった。 「……とはいえ、だ。問題は山積みだとはいえ」 「ルーシー、何か言いたいようだね?」 「フル。お前は気にしていないのか、メアリーのことを。もう一週間近く……メアリーは敵につかまっているんだぞ。その間、彼女がどうなっているのか、俺達には一切解らない。それでも全然気にしていないというのか?」 「気にしていないわけがないだろう。でも、今はどうにかしてここから脱出しないといけない。メアリーのことよりも重大だ。そうじゃないか?」 「そうかもしれないが……。ほんとうにお前、そう思っているのか?」 「……というと?」 「というと、じゃないよ。何か最近のお前は……」 「ちょ、ちょっと待って! 今はそう争っている場合ではないでしょう? とにかく今は……」  それを聞いて、僕とルーシーはお互いレイナの顔を見つめた。  そして暫し考えて、僕たちは向かい合って頷く。 「……そうだな。レイナの言うとおりだ。ここで争っている場合じゃない。今はメアリーを探さないといけない。そしてそのためにはここを脱出する必要がある。そうだろう?」 「そうだ。そのためにもまずは三人が協力しないと……」  そう僕たちが団結した、その瞬間。  ゴゴンッ!! と地面が大きく揺れた。 「何だ!?」  牢屋にある唯一の窓から外を眺めようとして――ああ、そうだった。この窓は僕たちの伸長では到底届くことのない高さだった。肩車をすれば何とか届くかもしれないが……。  しかし、そんなことをする必要もなく、徐々に緊迫した空気が外から伝わってきた。 「何事だ!」 「はっ。メタモルフォーズが襲撃してきました! そしてその上には、バルト・イルファが居るものかと……」 「バルト・イルファだと!? ……まさか、リュージュめ。我々を本格的に捨てに来たというのか! というか、いつ作戦があちらに判明してしまった?!」 「……それは解らない。それよりも大佐が緊急招集をかけている。急いで部屋へ向かうぞ!」  そして、扉のすぐそばにいた兵士はどこかへ消えていった。  これはチャンスだ。これをうまく使えば脱出することができるはず。 「でも、どうやって?」  レイナからの質問。  そしてそれはルーシーも僕も、思っていることだった。  どうやってここから出るか。その答えが出ていないのに、出ることが簡単に可能になるわけがない。  しかし、動きは以外にも外からあった。  ガチャリ、と扉が開く音がしたからだ。 「……誰だ?」  僕たちは咄嗟に戦闘態勢を取り、その人間が出てくるのを待った。  数瞬の時を置いて、入り口から誰かが入ってきた。 「……いやあ、君たちが居なくなったときは驚いたよ。報酬踏み倒されるかと思った。だが、怪しい人間に捕まった、と聞いてね。これは居ても立っても居られなくなってしまった、というわけだよ。……それにしても、今は外も煩くなってしまっている。何が起きているか、説明しようか?」  そう言って入ってきたのは、シュルツさんだった。  シュルツさんは見た感じ武器を持っていないようだったが、どうやってここまで来たのだろうか――?  そんな疑問を思わず考えてしまうけれど、それはいったん置いたほうがいいだろう。 「説明は……ある程度は把握しています。メタモルフォーズがここに襲撃してきているのでしょう?」 「ああ、その通りだ。だが、どうやらそれがもともと敵と同じ勢力だったようでね……。仲間割れをしているようなんだ。だから、逃げるなら今のうちだ」  成る程。  確かにここで時間を潰している場合じゃない。  そう思った僕たちは互いに頷くと、そのまま牢屋を後にするのだった。 ◇◇◇  そして。  バルト・イルファは空を眺めていた。彼自身空を飛ぶことが出来ないため、翼が生えているメタモルフォーズの背中に乗っている形になるのだが。  そこに見えたのは、エノシアスタの中心部にある要塞のような建物だった。そこはかつてスノーフォグ国軍の所有物だったが、国の財政悪化に伴い民営団体に売却。しかしながらその広大な敷地のうち、塔のような建物になっている部分は老朽化が進み、結果として改修する資金もなくそのまま廃墟のような形で残されていた。 「それがまさか、テロリストの本拠地になるとはね……」 「お兄様、これからいったいどうなさるおつもりですか?」  そう言ったのは、バルト・イルファにしっかりしがみついて離れない、白いワンピースの少女だった。髪はパステルブルー、背中まで届く艶やかで長いものであった。  バルト・イルファは彼女の言葉を聞いて、彼女のほうに目線を向けた。 「そうだね……。リュージュ様から言われた言葉の通り実行するならば、メタモルフォーズの侵攻と偽ってこの町もろとも灰燼に帰す、かな」 「それでは、この町を壊す、ということなのですね? なんと恐ろしい……」  そう言って彼女は目を細める。  しかし、バルト・イルファは表情を変えることなく、そのまま彼女に語り掛けた。 「何を言っているんだい、ロマ。そんなこと一回も思ったことが無いくせに」  それを聞いて、彼女――ロマは表情をもとに戻し、さらに笑みを浮かべた。 「さすがはお兄様。私のことを解っていましたのね?」 「そりゃあ、ロマは僕の妹だ。それくらい造作でもない」 「きゃーっ! さすがはお兄様!」  そう言ってロマはさらにバルト・イルファへと抱き着いていく。  バルト・イルファはそれについて気にすることなく、再び空を見上げた。  そしてぽつりと、一言呟いた。 「――時は、満ちた」  ◇◇◇  対して、建物内のアドハムは冷や汗をかいていた。 「メタモルフォーズがこのタイミングで大量にやってくる……。それはつまり、我々のことをこの町もろとも殲滅するという算段なのだろう。リュージュらしいといえばらしいが」 「大佐! どうなさいますか!」 「我々はすぐにでも戦う準備は出来ております。大佐、ご決断を!」  アドハムの前には、すでに武器を装備している兵士たちが立っていた。  見る限り、アドハムの命令さえあればいつにでも戦う態勢を整えることは可能ということだった。  しかし、アドハムは長考していた。  いかにしてあのメタモルフォーズを捌き切ることが出来るのか、ということについて。  いや、正確に言えばメタモルフォーズだけならば人間の手のみで倒すことは可能だった。  しかし問題は一緒に来ているであろうイルファ兄妹だった。  バルト・イルファについては言わずもがな、問題は妹であるロマ・イルファ。  名前についてはそれしか知らない。アドハムほどの地位があっても、彼女の力については一切知らないのだ。  理由としては、『調整中だったから』の一言で解決してしまうらしいのだが、しかしそれがずっと続いていたため、彼女が戦力として数えられることは殆ど無かった。  だからこそ、アドハムにとってそこがネックだった。  もしバルト・イルファ以上の戦力となっているのだったら?  以上ではなかったとしても、それに比肩する戦力だったら?  メタモルフォーズ戦で疲弊したのちのイルファ兄妹との戦闘のことを考えると、そう簡単に出撃を命令することが出来なかった。  しかし、そう彼が考える間にも、メタモルフォーズの攻撃はこの拠点に向けられている。  つまりもう、手詰まりだった。  バッドエンド。  チェックメイト。  あるいは王手。  どう解釈を変えたとしても、その結論が変わることは無い。 「……だからといって、逃げるわけにはいかない、か」  仮にここで撤退したとしても。  リュージュがそれを許してくれるとは到底思えなかった。  だから、彼は。  漸く決意する。  立ち上がり、彼は兵士に告げた。 「……諸君。我々は今、窮地に立たされている。外を見てもらえれば解るように、空のバケモノが我々の城を破壊しようとしているのだ。だが、だからといって、それを許すわけにはいかない。あの空のバケモノに我々の城を破壊されるわけにはいかない。彼らに彼らの矜持があるというのなら、我々にも我々の矜持がある、ということだ。そして、それがどういう意味を為すか? この戦いは、我々の矜持と彼らの矜持、そのぶつかり合いだ。どちらが強くて、どちらが弱いか。それを簡単に決めることが出来る」  そこで。  一旦言葉を区切り、全員を見遣った。  再び、話を続ける。 「かつて人間は二千年以上も昔からあのバケモノに悩まされ続けてきた。しかしながら、それよりも昔は人間だけの楽園だった。なぜだ? 人間のほうがずっと昔から住み続けてきた。にもかかわらず人間はなぜあのバケモノに虐げられなくてはならない? 圧倒的な力を持っているからか? 圧倒的な肉体を持っているからか?」  首を横に振り、アドハムは目を見開いた。 「いいや、違う。あの肉体に畏怖を抱いているからだ。明らかに『異形』としか言いようがないあの身体。あれを見るだけで悍ましいと思う気持ちがあるからだ。そうして人々は逃げるしかなかった。倒せる手段は充分に存在するのに!」  剣を抜き、それを高く掲げる。  自然、兵士の目線も上に上がる。 「諸君、この戦いに勝つぞ。そして、我々が、この世界のトップに立っているのだということを、もう一度あのバケモノに思い知らせてやるのだ!」  それを聞いた兵士も雄叫びを上げ、アドハムの言葉に同意した。  そうして、一つの小さな戦争が、幕を開けた。  ◇◇◇  しかしながら。  メタモルフォーズと人間との戦い、その結果は火を見るよりも明らかだった。  メタモルフォーズは一体で人間何人分の戦力になるのか、単純に比較対象になるわけではないが、それがむしろ今回の戦いにおいて人間たちの油断に繋がった。 「……人間というのは、斯くも弱い生き物なのですね。お兄様」  ロマが廊下を歩きながら、隣に居るバルト・イルファに言った。  バルト・イルファは首を傾げながら、ロマの言葉に答える。 「うん? そんなこと、漸く気付いたのかい、ロマは。まあ人間はいつまで経っても愚かな生物だよ。そう、いつまで経っても……ね」  バルト・イルファはどこか遠い目つきでそう言った。  それを見ていたロマは違和感を覚えて首を傾げるが、それをバルト・イルファに訊ねることは出来なかった。  ◇◇◇  さて。  なんだか騒がしくなってきているが、僕たちは僕たちで行動していかねばならない。  いずれにせよ僕たちにとってその考えは正しいものだったと思うし、現状正しいか正しくないかを考える時間など無いに等しい。  通路を走っていく僕たちだったが、意外にも誰にも遭遇することは無かった。誰かと一回くらいは遭遇して戦闘に発展するものかと思っていたが、どうやらその予想は杞憂に終わってしまうようだった。 「……どうやら戦闘が思ったより激化しているようだ。これなら何とか逃げることが出来るはず……」 「やあ」  声が聞こえた。  その声は出来ることなら聞きたくなかった声だった。 「バルト・イルファ……っ!」 「私もいまーす」  そう言って、バルト・イルファの隣に居た白いワンピースの女性が手を上げた。  今まで見たことの無い人間だったから、少々驚いたけれど、バルト・イルファの隣に居るということは彼と同じ類の存在なのだろう。  バルト・イルファに比べて若干幼い容姿をしているそれは、バルト・イルファの妹のような存在にも見えた。 「……そういえば、君たちに紹介していなかったね。これは僕の妹だよ。名前はロマ。ロマ・イルファ。きっと君たちとはまた出会うことになるだろうからね。先ずは最初の自己紹介、といったところから始めようじゃないか」 「メアリーをどこにやった?」  僕はそんなこと関係なかった。  ただメアリーがどこに消えてしまったのか、それを知りたかった。  バルト・イルファは溜息を吐き、 「まあ。そう思うのは仕方ないことだよね。メアリーは君にとって、いや、正確に言えば君たちにとって大切な存在だ。そんな彼女がいったいどこに消えてしまったのか? それは気になることだというのは、充分に理解できるよ。いや、十二分に理解できる。けれど、僕も上司が居る。あるお方に仕えている。そのお方の方針には逆らえない。はっきり言わせてもらうけれど、いやいやではあったんだよ? 僕だって、女性をああいう風にするのは嫌だった。いや、ほんとうにそうだったんだ。それくらい理解してもらってもいいと思うのだけれどねえ?」 「お兄様。それ以上の発言は……。あのお方に何を言われるか解りませんよ。もしかしたら裏切り行為と思われる可能性も……」 「行為? そんなまさか。僕はあのお方に忠誠を誓っている。決してそんなことはしないよ」 「……お前はいったい、誰に仕えているんだ……。まさか、スノーフォグの王、リュージュだというのか?」 「だとしたら、どうする?」  バルト・イルファは否定も肯定もしなかった。  ただ僕の言葉を受け入れることしかしなかった。 「……お兄様。ここでお話をしている時間は無いものかと」  それを聞いたバルト・イルファは相槌を打った。 「ああ、そうだね。そうかもしれない。だったら、急ごう。僕たちがここにやってきた、本来の目的を果たすために」 「本来の目的、だと?」 「ああ、それは簡単なことだ。……一つだけ忠告しておこう。君たち、大急ぎでここから脱出したほうがいいと思うよ? どうせここはもう持たないから。あとできるなら、なるべく遠くに逃げたほうがいいね。商人の集団にも、出来ることなら関わらないほうがいい」 「バルト・イルファ。なぜおまえがそのことを……!」 「君たちは監視されているのだよ」  バルト・イルファは踵を返し、ただ一言だけそう言った。 「君は予言の勇者だ。それゆえに、世界から注目を浴びている。そして、その注目は君が思っている以上に高いのだということを、君はまだ理解しきっていない。それだけを、先ずは心にとどめておいてもらえればいいのだけれどね」  そして、バルト・イルファとロマ・イルファはそのまま僕たちの前から姿を消した。  バルト・イルファたちと別れて。  なおも僕たちは前に進んでいた。確かにバルト・イルファの言っていた言葉が妙に引っ掛かるけれど、それでも前に進むしかなかった。逃げることが前提ではあったのは確かだ。けれど、それよりも先に僕はバルト・イルファにどうしても聞きたいことがあった。 「……バルト・イルファにメアリーの行き先を聞きたい、だと?」  そう言ったのは、ルーシーだった。 「そうだ。バルト・イルファはメアリーを奪った張本人。ということはメアリーをどこに連れて行ったのか解るはずだろう? それに、シュラス錬金術研究所でもバルト・イルファは登場しなかった。それは即ち、バルト・イルファがメアリーとともに一緒にいたということを示す証にならないか。だから、僕はバルト・イルファに問いかけたかった。でも、あいつはさっさと姿を消した……!」 「でも、考えてみろよ、フル。あの場で僕たちとバルト・イルファが戦いになったとして、僕たちはバルト・イルファを倒すことが出来たか?」  その言葉に、僕は何も言えなかった。  確かにバルト・イルファと僕たちは一度として戦ったことが無い。それに隣には戦力未知数の彼の妹、ロマも居た。二人で戦って、僕たちは四人。戦力では二倍の差がつけられているが、それはあくまでも人数の話。単純に一個人が持つ戦闘力で比べれば、おそらくバルト・イルファのほうが圧倒的だろう。まだその差を埋めることは出来ない。 「じゃあ、じゃあ……。メアリーのことはあきらめろ、と言いたいのかよ?」 「そうは言っていないだろう。つまり、こういうことだよ。今はあきらめるしかない。そして、バルト・イルファを何とか倒すしかない。あとは……そうだな。世界を何とかめぐるか。それにしても少しくらいヒントが欲しいことも事実と言えば事実だけれど……」  僕たちが得ているメアリーの場所についてのヒント。  それはバルト・イルファ自身が示した寒い場所にある邪教の教会。  ただそれだけのヒントだったけれど、場所を示すものとしてはそれ以上のものは無い。 「寒い場所で邪教の教会、と言われるとなかなか難しいものがあるけれど」  そう話を切り出したのはシュルツさんだった。 「実はあれから調べてみたんだ。どこに行けばいいのか、と。そのヒントだけで結びつくものはないか……ということをね。そしたら、一個だけ見つかったものがある」 「あったんですか、邪教の教会が……」  こくり、とシュルツさんは頷いた。 「ああ。その通りだよ。チャール島にあるフォーズ教。その名のとおり、メタモルフォーズを神の使者と位置付けて信仰している邪教が居る。そして、その教会、その本部がある場所こそがチャール島だ。……まあ、それがほんとうにメアリーさんの居る場所かどうかは定かではないが、この世界にある邪教と言えばその程度しかない」 「フル」  ルーシーの言葉を聞いて、僕は彼のほうを向いた。 「この言葉、一度確かめてみる必要があるんじゃないのか? まあ、どこまで確かかはっきりとはしていない。きっとシュルツさんも書物とか文献とか口伝とか……そういう不確かなデータでここまでたどり着いたのだと思う。けれど、百聞は一見に如かず、ともいうだろ。まずはその場所に行ってみて、ほんとうにメアリーが居るかどうか、確かめてみる必要があるんじゃないのか。闇雲に進むよりかは、そちらのほうがベターな選択だとは思うけれど」 「……そうだな」  ルーシーの言葉は長い言葉ではあった。けれど、的確なアドバイスであることもまた確かだった。  僕は頷き、さらに前に進む。 「……じゃあ、一先ずここを出ることにしよう。バルト・イルファの言葉通りに従うのはちょっと気に入らないけれど……。今の僕たちには、それがベターな選択のようだ」  そうして僕たちは前に進む。  けれどさっきのように、不確かな考えではない。  一筋だけ見えてきた光の先に進むために、はっきりとした考えをもって進む。  目的はただ一つ。メアリーを、いち早く助けるために……。  ◇◇◇  そして。  アドハムは窮地に立たされていた。  あれほどたくさんいた兵士ももう彼を守る数人程の近衛兵しか居らず、しかもその殆どがバルト・イルファとロマ・イルファ――イルファ兄妹によって倒されたものだった。 「……まさか、イルファ兄妹が二人とも投入されるとは。それほどまでに我々は早急に対処すべき存在だと認定された、ということかね?」 「ええ。そうでしょうね。まあ、少なくとも僕はそこまで深いことは知りませんけれど。いずれにせよさっさと諦めたほうがいいとは思いますよ? あのお方が、裏切った人間をどう対処するかはあなただって知らないことでもないでしょう?」 「そうだ。だが、それで恐れていては今回のことなど進めることがあるものか」  アドハムはバルト・イルファを睨みつける。  バルト・イルファは溜息を吐いて、右手を彼らに差し出した。  目の前に立っていた彼らに炎の魔法が射出されたのはちょうどその時だった。  兵士は各々悲鳴を上げて自らの顔を手で覆い隠す。それでも炎の勢いが止まることは無い。それぞれは膝から崩れ落ち、それでも炎の勢いはとどまるところを知らない。地面を何とか回転して止めようと試みるがそんなことは不可能だと言ってもいい。 「無理だよ。そんな足掻きをして僕の炎が消えるとでも? 僕の炎魔法は特別だからね。そんな簡単に消えてしまう炎なんて使わないのさ」 「……何と酷いことを」 「だって仕方ないでしょう? 君たちは国を、スノーフォグを裏切った。だから言ったまでの話だ。そして実際行動に移したからわざわざ僕がここまで出てきて粛清しているということ。ただそれだけ」  確かに。  言葉を、真実を羅列すればその通りだ。 「だからといって……!」 「アドハム大佐。敬意を表して話をするけれど、あなた、いったい何をしたくて国を裏切ったんですか? 予言の勇者の力を借りたかったから? それとも予言の勇者を活用しようと考えていた国を出し抜きたかったから?」 「……」  アドハムは答えない。  それを見たバルト・イルファは笑みを浮かべる。 「答えられない。答えられないでしょうねえ! そんな簡単にボロを出してくれるとはこちらだって思っていませんよ。だってあなたは知略の将軍だ。知略のアドハムともいわれていたくらいですからね。……もっとも、裏では何か隠しているのではないかという噂が出回っていたくらいですが」  バルト・イルファの話は続く。 「でも、だからといってあなたのことを許すつもりなんて到底ありませんよ。僕にも、そしてスノーフォグ自体にも。そもそもあの国の方針からして裏切り者をそう簡単に許すはずがありません。あっと、それはあなた自身が良く知ることですよね? だって一時期はあなた自身が裏切り者の粛清を行っていたくらいなのですから」 「……だから、何だというのだ……! 貴様、バルト・イルファ、お前は何も感じないのか? 人間を殺すことについて。あれが、リュージュが言っているのは偽りの平和だ。あいつが言っていることを忠実にこなしたとしても、世界に平和は訪れんぞ!」 「だから、」 「は?」 「だから、どうしたというのです?」  バルト・イルファはにっこりと笑みを浮かべた。  まるで新しい玩具を与えられた子供のように。  まるで何も知らない無垢な子供のように。  アドハムを見下しているその表情を、彼は気に入らなかった。  彼の足元に静かに倒れこんでいる彼の部下たちのためにも、せめて一矢報いたかった。 「……バルト・イルファ。貴様、こんなことをして……。お前たちの考えは確実に世界を平和にするものではない! むしろその逆だ。世界を滅ぼしかねないことだぞ!」 「僕を説得するつもりですか? いや、この場合は説得ではありませんね。改心、なのかなあ? いずれにせよ、そんな薄っぺらい説得は無意味ですよ。むしろ、そんなことで解決するとでも? あなた、だとすれば勘違いも甚だしい。それに、僕の実力を見縊っていると言ってもいい。……まあ、だからこそ今回の反乱を起こしたのかもしれませんけれど」  溜息を吐いて、バルト・イルファは言った。  アドハムは腰につけていた剣に手をかけた。  それを見て、バルト・イルファは頷く。 「ああ。戦うのですね? だとしたらどうぞ。僕は刃を持たない人間とは戦いたくありません。出来ることなら臨戦態勢をとっている人間と戦いたいですし」  舐めている。  バルト・イルファは、戦闘を舐めている。  アドハムはそう思っていた。だからこそ、彼はバルト・イルファを許せなかった。  そもそもスノーフォグの軍について、簡単に説明する必要があるだろう。スノーフォグの軍は歩兵が優秀な軍隊として有名だった。ほかの二国が優秀な魔術師で軍隊を率いているのに対し、スノーフォグは未だに非魔術師をトップに置いていた。その時点でほかの国と違っている点と言えるだろう。  しかし、スノーフォグは優秀な魔術師を持っていないわけではなかった。バルト・イルファがその始まりと言われていた。  魔術師。それは人工的に作り出すことも出来るし、もともと自然に――正確に言えば、魔術師の家系から――生まれることもある。実際は後者が大半を占めており、その家系は元をただすと神ガラムドの血筋――祈祷師の血筋をひいているといえるだろう。  そしてバルト・イルファはスノーフォグが秘密裡に作り上げた、世界で最初の人工的に作り上げた魔術師だった。 「……魔術師風情が、軍の、戦いのノウハウも知らないで! ずけずけと戦場に上がり込みおって……。そして、そう見下すと? ふざけるな!」 「別に僕はあなたの人格そのものを否定するつもりはありませんが……正確に言えば、それは僕のせいではありません。時代のせいですよ、アドハム大佐」  悲しい表情で、バルト・イルファはアドハムを見つめた。 「若者が、魔術師が、何が解るというのだ! そんな解ったような眼で、私を見るなああああああああああああ!!」  そして。  剣を抜いたアドハムはバルト・イルファに切りかかった。  だが。  彼の剣が、バルト・イルファに届くことは無かった。  直後、彼の視界は水中に沈んでいったからだった。 「忘れていたかどうか解りませんが」  左から声が聞こえた。  そこに立っていたのは白いワンピースの少女――ロマ・イルファだった。  ロマ・イルファは冷ややかな視線を送りつつも。笑みを浮かべていた。 「……私も戦いの相手として、存在しているのですよ、アドハムさん?」  そうして、アドハムはそのまま水の檻に閉じ込められ――そのまま意識を失った。  ◇◇◇ 「アドハムが死んだか」  リュージュは王の間にて報告を受けていた。 「アドハムは、最後までバルト・イルファに盾突き、反逆する意志が見られたために水死させたとのことです。詳細を確認しますか?」 「いや、いい。別にわざわざ人の死に様なんて確認したくない」  そう言ってリュージュは部下の報告を切り捨てると、窓から外を眺めた。  外は二つの月が見えていた。 「あの二つの月は、今日も我々を見つめている。我々が月を見つめているとき、月もまた我々を見つめている……。ふん、哲学とは難儀なものだ」  リュージュは目を瞑る。 「私はこれから少しの間眠る。絶対にこの部屋に誰も通すなよ」 「はっ」  敬礼をして、部下の男は部屋を立ち去って行った。  ◇◇◇  僕たちがバルト・イルファに出会ってから少しして。  漸くその迷宮めいた場所から脱出した直ぐの出来事だった。  メタモルフォーズたちによって、アドハムの居城はいとも簡単に破壊されたのだった。  僕たちが居るにも関わらず、僕たちに攻撃をしてくるメタモルフォーズは一匹たりともいなかった。まるで今回は僕たちがターゲットではないと暗に示しているようだった。 「……メタモルフォーズたちのターゲットは、やはりアドハムだったということか……?」 「それにしても。バルト・イルファの言葉を真剣に受け止めると、これからあの商人たちのボディーガードをしないほうがいいのかもしれないな。もしかしたら、俺たちが原因で狙われる可能性も十分に有り得る」  言ったのはルーシーだった。  そして、その考えは僕も一緒だった。これ以上、他人には迷惑をかけられない。  だから、僕はシュルツさんに言った。 「シュルツさん、大変言い辛いのですが……」 「何を言っているんだ。まさか、こんなところまできて僕と離れるとは言い出さないだろうね?」 「え……?」 「だから、言っているんだ」  シュルツさんは溜息を吐いて、改めて僕たちに言った。 「僕もここまで来たら乗り掛かった舟だよ。僕もメタモルフォーズにはいろいろと未練があるからね……。まあ、はたから見ればただの勘違いと言われるかもしれないけれど、それでも僕にも戦う理由がある。それに、足も必要だろ?」  ちょうどその時だった。  シュルツさんの竜馬車が、僕たちのところにやってきたのは。 「……竜馬車はほかの馬車と違ってスピードが出る。さすがにトラック程のスピードは出ないけれど……。それでも、馬車に比べれば段違いだと思うよ。それに、徒歩でこのスノーフォグを、世界を歩くつもりだとするならば、それは少々無謀なことだと思うな」  やれやれと言った感じでシュルツさんはドラゴンの頭を撫でる。  ドラゴンは頭を撫でられてとても嬉しそうだった。 「……フル。確かにその通りじゃないか?」  ルーシーも賛同していた。  そしてレイナについても――もう表情を見た限りでは、何も言うことは無かった。  僕は頷く。 「シュルツさん、お願いできますか。僕たちのメンバーに」 「ああ、よろしく頼むよ」  こくり、と頷いたシュルツさんを見て、僕は彼に右手を差し出した。  そしてシュルツさんも右手を差し出して、僕たちは固い握手を交わすのだった。  ◇◇◇ 「これからどうなさるおつもりですか?」  メタモルフォーズの背に乗っていたバルト・イルファは、ロマの言葉を聞いて彼女のほうを向いた。  ロマはバルト・イルファの隣に、彼を見つめるように座っていた。  いつも彼女はこうだった。バルト・イルファとともに行動し、バルト・イルファの選択に追随する。  だから、彼の選択イコールロマの選択ということになる。 「……そうだね。僕としても彼らの行動には目を見張るものがあると思うけれど……、それ以前に僕たちはリュージュ様にお仕えしている身。そうともなれば結論は直ぐに見いだせるものだと思うけれど?」 「お兄様としては追いかけたい、ということでしょうか」  ロマははっきりとそう言った。 「そういうことになるね。興味がわいた、とでも言えばいいかな。ほんとうは任務をきちんとこなさないといけないのだけれど」 「いえ。別にお兄様を悪く言っているつもりはございません。ただ、私はただ、お兄様の考えをお聞きしたかっただけなのです。お兄様がどのような行動をとられるのかが、気になって……」 「まあ、そうだね。僕の考えはつまり、そういうことだよ。今から戻ったとしても、どうせ報告は別の誰かがしているだろうからね。それに、リュージュ様も僕たちの行動を、逐一とは言わずとも監視魔法で確認していることだろうし」 「それでは。やはり、予言の勇者を追いかけることはしない、と」 「出来ないなあ。それはやはりリュージュ様への裏切りになってしまう。それだけは避けておきたい。だって、僕たちはリュージュ様に作られ、リュージュ様のために生きている。そうだろう?」  ロマは頷く。  それが相槌であるのか、肯定であるのかバルト・イルファにはいまいち判別がつかなかった。 「……とにかく、僕は考えをまとめているということだ。いずれにせよ、予言の勇者が次にどういう行動をとるのかはとても気になるけれどね。もし次に行くとすれば……」  そう言って、バルト・イルファは立ち上がり――呟くように続けた。 「東にある港町にして、スノーフォグの首都。ヤンバイトだろうね」  そして、彼らを乗せたメタモルフォーズもまた、東に向かって飛び去っていくのだった。