次の日。  僕とルーシーは燃えてしまって殆ど跡形も残っていないバイタスの町を歩いていた。  理由は単純明快。メアリーが攫われてしまい、その相手がどこの誰なのか、その手がかりをつかむためだった。 「バルト・イルファ、という名前しか今の僕たちには情報が無い現状、少しでもあの部屋に情報が残されていればいいのだけれどね……」 「どうなのだろうね……。あのバルト・イルファという男、実際どういう感じかは掴めない感じだったけれど、ぼろを出すようには見えないしなあ……」  それは僕も思っていた。  だからといって、探さない理由にはならない。  少しでもメアリーの手がかりを探さないといけなかった。 「……けれど、あれほど探したのに見つからなかったんだよ、フル。その意味が理解できるかい?」 「じゃあ、簡単に諦めてしまうのかよ、ルーシー。君はそういう薄情な人間だったのか」 「そこまでは言っていないだろう? ……まあ、いい。殺伐とした状況はあまり長続きさせないほうがいい。とにかく、メアリーの手がかりを見つけること。それを『実行する』ことは大事だ。そうは思わないか?」 「……そうだな。ここで言い争っている場合ではないし」  ようやくルーシーも納得してくれたようだった。  それにしても、昨日の火事は相当酷いものだったように見える。  建物の殆どは崩壊している。煉瓦造りの建物が数少ないためか、殆ど燃え尽きてしまっていた。また、煉瓦の壁で屋根が木材となっている家も多いようで、その場合は屋根だけが燃えてしまっていて俯瞰図のような感じになってしまっている。  瓦礫に向かって膝を折り、泣き叫ぶ人も居た。  僕はその人のことを、ただ一瞥するだけだった。  宿屋に掲げられていた看板を見つけて、その場所が宿屋だった場所だと理解できた。  宿屋だった場所は瓦礫と化していて、もはやその姿を為していない。  足を踏み入れる。瓦礫をかき分けて、どうにかメアリーの寝ていた部屋だった場所まで向かう。 「想像以上だったな……。これだったら、メアリーの手がかりどころかメアリーが眠っていた部屋すら判明しないんじゃないか?」  ルーシーの言葉はもっともだった。確かにこの瓦礫の中からメアリーが居た部屋だったものを探すのは難しい。簡単にクリアすることではない。  瓦礫をかき分けて、出来る限りメアリーの手がかりを探していく。一言で言えば簡単なことかもしれないけれど、けれどそれはただ無駄なことを続けて時間を消費しているだけに過ぎなかった。  しかし、僕たちはあきらめなかった。  僕たちがメアリーの部屋にあったと思われる書物を見つけるまで、そう時間はかからなかった。  書物の脇にはご丁寧にシルフェの杖も放置されている。シルフェの杖はバルト・イルファにとって不必要と判断されたのだろう。そのまま残置されているということは、即ちそういうことになる。  書物は『ガラムド暦書』と呼ばれるものだった。この世界の歴史を事細かに記した書物であり、宿屋には必ず部屋に一つは置かれている。ビジネスホテルに置かれている聖書のようなものだと思えばいい。  それにはあるものが挟まっていた。 「なんだ、これは……?」  拾い上げて、そのページを開く。  そのページはメタモルフォーズに関する記述のページだった。  そして挟まっているものは、小さなバッジだった。金色に輝くバッジはこちらの言語で三つの文字が刻まれていた。  その文字を、一つ一つ、僕は読み上げていく。 「ASL……?」  ◇◇◇  船が運航したのは、その日の午後だった。  徐々に小さくなっていくバイタスの町を眺めながら、僕はメアリーの部屋で拾ったバッジを眺める。 「ASL……といえば、あれしか思いつかないよ、フル」 「あれ?」 「シュラス錬金術研究所。スノーフォグが誇る、世界最高峰の錬金術研究所だ」  シュラス錬金術研究所。  確かに、錬金術の授業で習ったことがある。錬金術の研究に重きを置いているスノーフォグは、専門の研究施設を保持しているのだという。その研究施設の名前が、シュラス錬金術研究所だと。シュラス、とは錬金術師としても有名な高尚な学者の名前であり、その名前からとっているのだという。 「その研究施設が仮にバルト・イルファを生み出したのならば……問題と言えば問題かもしれない。だって、未だ『十三人の忌み子』の開発を続けている、ということになるのだから。それをさせないように国が管轄しているはずなのに……」 「その国が、それを許可した……ということになるのか?」  僕はルーシーに問いかける。  けれどその質問はルーシーが答えられるような、そんな簡単な質問ではなかった。 「……ごめん。ルーシーが答えられるような問題じゃなかった。けれど、たぶん、そんなところまで来ているのだと思う。このままだと世界は――」  ほんとうに、おかしな世界だと思う。  メタモルフォーズは大量破壊を可能とする、生物兵器だ。それを生み出して、それを復活させてその先に何を見出しているのだろうか? 最終的に、メタモルフォーズを生み出さないと倒すことの出来ない敵など居ない。むしろ、メタモルフォーズさえ居なければこの世界は充分平和を保っている。  にもかかわらず、メタモルフォーズが誕生する。  それによって、平和が破壊される。 「……だから、僕はこの世界に、」  勇者として、召喚されたのか。  そう思うと、いや、そうとしか思えなかった。  そんなことを考えていたところで、僕の肌に何か冷たいものが当たる。  それが雪だと気付くまで、そう時間はかからなかった。 「雪……」  そういえば、僕たちが今から向かう国の名前は、スノーフォグだった。  雪が入る国名、それは、その国がそれほど寒い国であることを象徴するようにも思えた。  そして外を眺めていくと、霧がかった向こうにうっすらと島が見えてきて、その島の高いところに明かりが併せて見えてきた。きっと灯台だろう。このような状態でも安全に航海が出来るように対策されているのだ。そう考えると、この世界の航海技術もそれなりに発展しているように思える。  そうして、僕たちを乗せた船はスノーフォグ最南端の港町――ラルースへと到着した。  碇が下され、埠頭へと橋がかかる。  そうして僕たちは船を下りる。町には雪が降り積もっていて、とても寒かった。こんなときのために外套を用意しておいてよかった――そう僕は思ったと同時に、メアリーが心配になった。彼女は外套を持っていない。正確に言えば、外套を持つこともなく攫われてしまった。場所がどういう場所だか定かになっていないが、もしそれなりに寒いところであれば、早く彼女を救出する必要があった。  ルーシーから聞いたスノーフォグの基礎知識を、脳内でまとめることも兼ねて簡単に説明することにしよう。  スノーフォグはもうすでに理解している通り、とても寒い国だ。国土自体北方に位置している国であるため、最南端であるこの町を皮切りに海に氷が張っている場所が多い。そのため、砕氷船を通して氷を壊していかないと、僕たちが乗ってきた船のように安全に航海することが出来ない。 「さて、問題は……」 「ここからシュラス錬金術研究所へ、どうやって向かうか、だね……」  そう。  シュラス錬金術研究所はスノーフォグのどこか、としか解っていない。だからどこかがはっきりしない限り、国内を縦横無尽に駆け巡る、ローラー作戦めいたものも考えてもいるが、はっきり言ってそれはあまりにも時間がかかりすぎる。それに、スノーフォグの全体的な面積はハイダルクのそれとほぼ同等であるため、そう簡単に駆け巡ることは出来ない。それに、この世界最大の離島もあるくらいだし。そんなところに、船を持っていない僕たちがどうやって行けばいいのか? それも問題だった。 「ただ、僕たちには唯一の手がかりがある」  一本指を立てて、僕は言った。 「どういうこと?」 「どういうことだ?」  ルーシーとレイナが同時にそう言った。 「ミシェラとカーラが言っていたことを、僕は覚えている。十三人の忌み子のこと、そして、彼女たちがもともと住んでいた場所のこと」  それは僕があの夜一人で聞いたことだった。  結局ミシェラは敵だったわけだけれど、あの発言自体の裏付けはカーラとエルファスの村長からとれている。だから滅んだ村の記憶はスノーフォグの人々に刻まれているはずだ。 「そうか……。その情報が真実ならば、まだ可能性は有るかな」  ルーシーの言葉に僕は頷いた。 「だとしても、問題はまだあるぞ。その『滅んだ村』だっけ? それを知っている人間がどれくらいいるか、だ。その十三人の忌み子とかよく知らねーけれど、結局それが組織によってもみ消されていたらそれまでじゃねーの?」 「それはそうかもしれない。けれど、そうだとしてもまずは聞き込みから入るしかないだろうね。滅んだ村はどこにあるのか、そしてこの町で拠点を確保することもね」  ラルースという港町について整理しよう。  ラルースは町の南部に埠頭がある大きな港町だ。町の中に灯台があるくらいだから、相当規模は大きいものと思える。絶えず積荷が船に載せられていくところを見ると、経済は運搬や商人で回っているようだった。  それに、どこか子供が多い。さっきも子供とすれ違ったけれど、その量は大人の倍以上に見える。もしかしたら航海に出てしまって殆ど大人は居なくなってしまっているのだろうか? だとすれば、ここはいわゆる子供の町と言っても過言ではないかもしれない。  僕の提言により、宿屋を探すことになった。宿屋は埠頭のすぐそばにあったので、そう慌てることもなかった。  中に入ると、カウンターへと向かう。カウンターに居たのは、予想通り子供だった。 「いらっしゃいませ、宿泊ですか? 休憩ですか?」 「宿泊で。女性が居るので、二部屋とりたいんですけど」 「余裕ですよー、空き部屋は幾らでもあるのである程度の希望は聞くことが出来ますけれど、何かありますか? 角部屋とか、日差しが入る部屋がいいとか」  不動産じゃあるまいし。 「えーと……いや、取り敢えずどこでもいいです。しいて言うなら二部屋は隣同士で」 「了解です。それじゃ、二階の二号室と一号室の鍵、お渡ししておきますね」  そう言って、カウンターに居る子供は鍵を二つ手渡す。  そのタイミングで僕は一つ質問した。 「そうだ。一つ質問したいのだけれど。……この近くで、何らかの要因で滅んでしまった村のことを知らないか?」 「滅んでしまった村、ですか? ……いや、あまり聞いたことがないですね。すいません。私、この町から出たことが無いので。もしかしたら商人さんに聞けば何か解るかもしれませんよ。だって、商人さんはスノーフォグの至る所からやってきて、ここから船に乗って世界各地へ向かうので」 「成る程、いい情報を聞いた。有難う」  一礼して、僕たちはさっそく休憩と今後の方針を考えるべく、部屋へと向かった。  ◇◇◇  休憩がてら僕たちは宿屋の一階にあった喫茶店に居た。僕とルーシーはアイスコーヒー、レイナはそれに追加してミルクプリンパフェを注文していた。それにしてもこの世界にもプリンとかコーヒーってあるんだな……。 「それで。これからどうするんだい?」  ミルクプリンを一口頬張って、レイナは僕たちに質問した。 「とにかく、先ずは宿屋の人から聞いた通り、商人に話を聞く」 「けれど、そう簡単に商人から話を聞くことが出来るとは思えないけれどね」 「……というと?」 「商人はけっこう疑心暗鬼になっている人間が多い、ってことさ。軍に助けてもらうことはせずに、わざわざフリーの傭兵を雇って警護させるほどにね。それでも、その傭兵も十分に信用はしていないけれど」 「……軍を、国を信頼していないということか?」 「スノーフォグはどうかはわからないけれど、少なくともハイダルクではそうだったよ。だから手を拱いていることも多かったのではないかな。同じ商人どうしならば競争原理が働いていたとしても同盟を組みたがるけれどね。国が介入して来たら競争原理が働かず、自分たちの思うようにいかない、と思っているんじゃないかな。まあ、私は商人じゃないから、そこまで確証をつかめた発言は言えないけれど」  疑心暗鬼。  もしレイナの発言がスノーフォグでも適用されるものであるとすれば、かなり厄介なことになる。  商人たちの心をつかむ必要がある。  レイナの発言は、僕たちのこれからの方向性を位置づけるに等しいものだった。  ◇◇◇  ラルースの北東に位置する商業区。  そこは軍の庇護も通らない、自警団が町を警護している非常に特殊な場所だった。  南門にいる兵士に通行許可を求めたけれど、武器を持っている人間は入ることを許さないということで、門前払いさせられてしまった。  門前にある四阿にて僕たちは休憩しながら、どうするべきか考える。 「どうする? 武器を没収させられてでも入る場所ではないと思うのだが?」 「でも、情報を得たいのは事実でしょう? だとすれば、何か策があるはずなのだけれど……」 「そこで一つ、提案があるのだけれど」  そういったのはレイナだった。  レイナはチラシを一枚持っている。どうやら先ほどの南門でもらったものらしいのだが……。 「それで? そこにはいったい何が記載されているのかな?」 「ここにはこう書かれている。今度商業区が隊商を出すらしいんだよ。そんで、それはどうやらエノシアスタという町まで向かうらしいよ。エノシアスタは世界でも有数の巨大都市だ。ロストテクノロジーじみた旧時代の遺物をこれでもかと使った結果、魔術や錬金術とは違う『科学』が発展した町として有名になった町……といえば、さすがのフルやルーシーも知っているだろう?」  正直知らなかったが、レイナが説明してくれたおかげで大体は把握することができた。  そもそも。  この時代を現代と呼ぶならば、偉大なる戦い以前の世界は『旧時代』と呼ぶ時代だった。そこでは今のような魔術や錬金術が発展していることはなく、科学技術の陰に隠れていたのだという。弾丸の雨も、旧時代のロストテクノロジーであったミサイルが何らかの理由で誤発射したことが原因だと言われている。  今でこそ寂れているが、スノーフォグは世界一の技術立国だった。スノーフォグの王がそれを好むかららしいのだが、それはいまだにこの世界で科学技術が後退していかない要因になったともいえる。 「……その町は研究施設が多いらしいし、もしかしたらシュラス錬金術研究所の情報も得られると思うのだけれど、どうかな?」  科学技術が発展している町ならば、確かにレイナの考えは正しいかもしれない。  シュラス錬金術研究所が相当の秘密主義であったとしても、噂のような感じでその研究所について知っている人はきっといるだろうし、情報を得る可能性はそっちのほうが高い。  だったらそこへ向かったほうがいい。  僕はそう思って、レイナの言葉にこたえるように――強くうなずいた。  南門。  僕は兵士にそのように言った。言った、といっても簡単なことだ。ただ、隊商の警備をしたいといえばいいだけのこと。  そういうことで僕たちは商業区の一番奥にある管制塔へと向かうことになった。  管制塔を囲むように家屋が軒を連ねており、それが商業区の長の家であった。 「……して、君たちがその警護を行いたいと立候補した者か?」 「はい」  目の前に立っている、大きな男が商業区の長だった。  大きな、というのは何も身長だけではない。肥満体ということで、横に大きいことだってある。まあ、そんなこと口が裂けても言えるわけがない。もし言ってしまったら、その瞬間牢屋に叩き込まれることだろう。 「しかし、子供三人が、ねえ……。できるのか? 武器も弓と剣とダガー……。どこか心もとない気がするのだが」 「それについてはご安心ください。僕たちはラドーム学院に在籍していた学生です。現在はいろいろな理由がありまして旅をしているのですが……きっと商業区長様が求められている人材であると理解しています」  ルーシーはそう言いながらも、恭しい笑みを浮かべている。  僕とレイナもそれに同調するようにうなずいて、笑みを浮かべた。 「求める人材……ですか。まあ、いいでしょう。実際、人材は多ければ多いほうがいい。現に今、とても人材は少ない。どうしてかわかりますか? あのメタモルフォーズという謎の獣がスノーフォグから出発したと噂されているからなのですよ」  淡々とした口調で話しているが、その口調にはどこか怒りが込められているように見えた。  商業区長の話は続く。 「それによって我々の商売は衰退の一途を辿っています。何故か解りますか? メタモルフォーズがやってくる国の商品など買いたくないなど言っているのですよ。はっきり言って言いがかりにも程がある、眉唾物の言葉ではあるのですが……。しかし、その言葉は案外強く効く。その意味がお解りですか?」  人の噂も七十五日、とは言うが裏を返せば七十五日間もその噂は継続するということになる。つまり今はその七十五日の間、ということになる。  噂が流れている間は、たとえ本人がそれを払拭しようと躍起になってもなかなか回復出来ないものである。  そしてそんなことは、商業区長も解り切っていたことだった。  だからこそ、敢えてその噂を大急ぎで払拭せねばならなかった。  商業は信頼が一番の交渉材料と言われている。たとえ品質の高いものを販売しようとしても、信頼が無ければそれを販売することは難しい。それどころか在庫が減るかどうかも怪しい。しかし、信頼さえあれば若干品質が低いものであったとしても、『信頼』が交渉材料として上乗せされて、販売が成立する。 「……まあ、そんなことはどうでもいい。問題はその影響が国内にも出ている、ということなのですよ。国内でもメタモルフォーズに関する不安を感じる意見はとても多い。そして我々のような人間を護衛してもらうために、たとえば用心棒のような存在もなかなか見つからないのですよ。メタモルフォーズに対処できるかどうか解らないということでね……」 「それであれば、僕たちは幾度かメタモルフォーズと戦ってきています」  それを聞いて、商業区長の目つきが変わった。  ほう、と頬杖をついて首を傾げる。 「ということはメタモルフォーズに対する策も幾つか持ち合わせている、ということでよろしいのですか? ならばこちらとしても願ったりかなったりではありますが……」 「ええ、そのような認識で構いません」  僕の言葉に商業区長は大きく頷いた。  どうやら交渉はいい方向に動いていったようだ。  こうして僕たちは無事――エノシアスタへの隊商、その護衛に合格するのだった。  ◇◇◇ 「いやあ、何とかなるものだね。それにしても、ちょっとは緊張していたものだったけれど、フル、全然慌てているように見えなかったよ。むしろどっしりと構えていたよね」  終了後、街並みを歩いているとルーシーがそんなことを言ってきた。  別に僕としてはいつもと同じように話していたつもりだったのだけれど――いや、それは訂正しよう。ちょっとは緊張していた――どうやらルーシーにはそれがどっしりと構えていた、という風に見えていたらしい。まあ、内面性と外面性は必ずしも一致しないからそれは案外普通なことかもしれないけれど。 「確かに、かなり落ち着いているように見えたよ。やっぱりフルをメインに据えていてよかった」  そう言ったのはレイナだった。レイナはそれを提案した張本人だったわけだけれど――、いざ始まってしまうと、案外話すことが出来ないものだ。というよりもレイナが話すよりも先に僕が話してしまって話の流れを作ってしまったのが一因かもしれない。  さて。  そうと決まれば出発日までの時間つぶしだ。出発日は明後日と決まっているので二日ほど、どこかで時間を潰さないといけない。宿はとっているから宿に戻ってもいいのだけれど、もう少しここで情報収集してもいいような気がするが……。 「というかここまで来たらエノシアスタに行ってから情報収集したほうがいいんじゃないか? それともここで情報を少しでも仕入れておく? それはそれで構わないと思うけれど」 「うーん、そうなんだよな。ここで有益な情報が手に入ったとしても、一度請け負った仕事はやっぱり最後までやらないといけないのは当然の責務だ。だから出来ることなら情報はここで仕入れないほうがいいかな、とは思うけれど――」 「おい、てめえ! ぶつかっただろ!」  僕たちの話を遮るように、昼間の状態には似つかわしくない男の大声が聞こえた。  そちらを向くと、酒瓶を持ったいかにも酔っぱらっています、という感じの男が立っていた。  男から少し離れた位置には大きな銃を背負った女性が背を向けて立っている 「……、」  女性は答えない。  男はさらに話を続ける。 「おい、聞いているのかよ! お前、さっきぶつかっただろ、って言っているんだよ!」  男はゆっくりと近づいて、銃に触れた。  その時だった。  踵を返し、男の手を取り、そのままその手を地面に落とし込んだ。男のほうが図体が大きかったにも関わらず、男は地面にその身体をつける形になった。  男はなぜそんなことになってしまったのか解らず、呆気にとられていた。 「……汚い手で私の銃に触れるな」 「……メタモルフォーズを倒せば偉いのかよ、掃除屋、っていう職業はよお!」  男は言葉を投げつけるが、女性は表情を一つ変えることなく立ち上がると、そのままもともと歩いていた方向へ歩いていった。 「……なあ、今聞いたか?」  ルーシーは僕に語り掛ける。  ああ、聞いたよ。  気になるワードが、幾つか登場していた。  メタモルフォーズを倒す、掃除屋。  もしかしたら彼女ならばメタモルフォーズに関する情報を幾つか掴んでいるかもしれない。そう思って僕たちは彼女の後を追いかけた。  ◇◇◇  路地に入ったところで、彼女は踵を返し――唐突に僕に銃口を向けた。 「……あんたたち、さっきから私のことをつけていたようだけれど、いったい何が目的? そういうプロにしてははっきり言って素人のような素振りだったし……」 「ちょっと待ってくれ。別にあんたを狙っているわけじゃない。まあ、つけていたことは事実だけど……。ちょっと聞きたい事があるんだ」  僕は必死に訂正した。  追いかけていたことは事実だけれど、先ずは彼女が僕たちについていいイメージを抱かせないといけない。正確に言えば敵意を消す、という感じかな。 「聞きたい事?」  警戒を解いてくれることはさすがにすぐにはしてくれなかったけれど、銃だけは僕の前から外してくれた。  しかしながらまだ目線は鋭い。ここはどうにかして警戒をもう少し解いてもらえるようにしないといけないのだけれど、そう簡単にうまくいくとは限らない。情報が手に入らない可能性もあるので、慎重に行動しなくてはいけない。 「……ああ。実は、メタモルフォーズに関する情報を知りたい」 「メタモルフォーズに関する情報……ねえ。そんなもの、聞いてどうするつもりだ? もしかしてお前たちも掃除屋か? 一端の掃除屋だったら同業者から何もなしで情報を得るなんてそんな暴挙簡単に出来ないと思うが」 「違う。そうではない。僕たちは掃除屋でも何でもないよ。けれど、情報は得たい。だから、出来れば情報を知っている人間を探していたのだけれど――」 「だから、言っているだろう?」  そう言って少女は僕に右手を差し出した。  その意味が解らなくて暫く彼女の右手を見つめていたのだが、 「まったく、何を意味しているのか言わないと解らないのか? あんまり言いたくないが、これだから何も知らない子供は……。見た感じ、それなりにいいところを出ているように見える。そうだろう? この世界でいい学校と言えば……、そうだな、ラドーム学院か。あそこの出ならば少なくとも常識くらいは知っているだろうが、しかしそれはあくまでも『表』の世界の常識。私たち掃除屋に代表されるような裏の世界の常識なんてまったく仕入れていないだろう? だから、そんな常識外……埒外なことが言える。それに私は腹を立てているのだよ。敢えて言おう、表の人間が必要以上に裏に干渉するな。これは警告だ。こう警告してくれる人間は居ないぞ」 「……じゃあ、解った。何をすれば情報を提供してくれる? まずはそこから始めようじゃないか」 「……そもそも、そこが問題だよね」  そう言って少女は僕の顔を指さす。 「対価を払わないとダメと言ったからと言って、対価さえ払えば問題ないというわけではない。私が知っているメタモルフォーズに関する情報は、長年の『掃除屋』としての経験から得たものが殆ど。それを教えるとは即ち私の掃除屋の経験そのものを伝えるということに等しいのよ。それの意味が理解できる?」 「……そうかもしれないけれど、こっちだって切羽詰まっているのよ」  そう言ったのはレイナだった。  レイナはどこか強い発言をすることが多い。というよりも発言がおのずと強くなってしまう、という感じだろうか。いずれにせよ、僕やルーシーのように強く言うことが出来ないタイミングでも言うことが出来るから、とてもそれについては有難いのだが。  しかして、こうもはっきり言われてしまうと当然相手の心情もどう行くか完全に二択になってしまう。 「……切羽詰まっている? どういうことよ」  首を傾げ、目を丸くする少女。  もしかしたら少しだけ話を聞いてくれるのではないか――僕はそんなことを思った。  そしてその『チャンス』を有効活用すべきだと思っていたのは、僕だけではなかった。 「私たちはメタモルフォーズを倒す必要がある。ね、そうでしょう? フル」 「あ、えーと、うん。そうだ」  唐突に会話の矛先を向けられてちょっと動揺してしまったが、ここでチャンスを逃がしてしまうとなかなか次のチャンスはやってこないだろう。  そう思うと、不思議と声は落ち着いてきた。 「僕たちはメタモルフォーズがどこからやってきたのか、それを探している。それが世界を破壊してしまう可能性があるから」 「まるで予言に示されていた勇者サマみたいな言い回しだな。……ほんとうに世界を救おうと考えているのか? あんたみたいな、学生風情が?」 「世界を救えるかどうかは解らない。けれど……メタモルフォーズはかつて世界の危機へと導いた存在だろう? ならば倒すのは当然だし、それがなぜ生まれてしまったのか突き止めなくちゃいけない。そのためにも……」 「ああ、いい。解った」  そこまで言ったところで少女は手を振った。  何か言っちゃまずいことを言ってしまったか――?  僕はそんなことを思ったが、少女は頷いて笑みを浮かべた。 「解った、解ったよ。けれど、あんたたち大馬鹿者だよ。どこへ向かいたいと思っているのか、解っているのか? メタモルフォーズの巣へ向かうと言っているんだぞ? そして、そこに進んでいく存在なんて居るわけがない。確かにこの世界はメタモルフォーズによって幾度か滅ぼされかけている。それは世界の歴史書にも示されている、殆どの人間が知る一般常識と言ってもいい。だが、その力は圧倒的すぎる。人間には到底倒すことが出来ない存在だったんだよ」 「解っている。解っているよ。……だが、どうにかしないといけない。そうしないと……助けられる人間も助けることが出来ないから」  それを聞いたからか知らないが、少女は小さく舌打ちをして踵を返す。 「……やっぱり、駄目か?」  僕は首を傾げ、少しだけ儚い様子で言った。恐る恐る、と言ったほうが正しいかもしれない。  しかし少女は踵を返すと、さらに話を続ける。 「違う。……さっき、私は言ったよな。タダで情報を得ようなんてことは出来ない。だから、それなりのものを提供してもらう必要がある、ということだ」 「交渉成立、ということか?」 「そう思ってもらって構わないよ。ただし、その『それなりのもの』はこの町一番の店でのディナーだ。はっきり言って、それなりに金は弾むぞ?」 「それで貴重な情報が得られるならば安いものだ。有難う、恩に着るよ。ええと、名前は……」 「リメリアだ。勘違いするなよ。お前たちにおける状況が私の琴線に触れた、というわけではない。それだけは理解してもらうぞ」  そう言ってリメリアは再び踵を返すと、歩いていった。  僕たちもそれを追いかけていくように、リメリアの後を追った。  ◇◇◇  目を覚ますと、そこは暗い部屋だった。  壁に松明がつけられていて、それが唯一の明かりとなっている。いったい自分がどういう状況に置かれているのか立ち上がろうとして、そこで自分の足首と手首が重たいことに気付いた。  少し遅れてジャラリ、という鎖の音が聞こえたことで、私の両手首と両足首が鎖によって動きを制限されていることを理解した。 「ここはいったい……」  そう私がつぶやいたところで、私の目の前にある扉が大きく開かれた。 「目を覚ましたようだね、お姫様」  その声を聴いて、私はそちらを向いた。  そこに立っていたのは燃えるような赤い髪の男――バルト・イルファだった。  バルト・イルファは笑みを浮かべて、こちらに一歩近づいた。 「怒りを抱いているようだけれど、ちょっとこちらに怒りを抱くのもどうかと思うよ。僕は主から命じられてやっているわけだからね。下請け、とでもいえばいいかな? とはいえ、君がそう思うのもわかるけれどね」 「……何が目的なの?」  私は一歩下がる。すぐに壁にぶつかってしまい、もうこれ以上後退することができない――その事実を受け入れざるを得なかった。  バルト・イルファはさらに一歩近づくと、私の腕を手に取って、強引に部屋から連れ出そうとする。 「君に真実を伝えるためだよ、お姫様」  そう言うだけだった。  私はそれ以上何も言うことなく――そのまま引きずられるようにどこかへと向かうのだった。  通路は薄暗かった。手枷と足枷を外してもらうことはできたけれど、だからと言って逃げ出せるような状況でもなかった。場所がわからない、ということもあるし、できることならこの場所の情報を少しでも手に入れたい――そう思っていたからだ。  通路の先に見える明かりは、ようやく見えた明かりだというのにどこか悲しそうに見えた。正直言ってあの先にあるものがはっきりと見えてこない。  そうして私はバルト・イルファを先頭にして、通路の先を抜けた。  通路の先に広がっていたのは巨大な空間だった。壁の殆どは透明になっていて、壁の向こうの空間に何があるか見ることができる。  そこにあったのは、巨大な獣だった。それがどんな動物であるかはっきりと解らなかったけれど、ただ一つ、これだけははっきりと言えた。――それは、どの動物とも違う肉体で、様々な動物の顔がいろいろな場所についていたということ。 「これは……」 「オリジナルフォーズ、といえば解るかな? いや、正確に言えばオリジナルフォーズの肉塊から生み出された別のメタモルフォーズといってもいいだろう。どちらかといえば、そちらのほうが正確かもしれないがね」 「メタモルフォーズ……。こんなにも大きな、メタモルフォーズが」  エルフの隠れ里で初めて見つけたそれよりも大きなメタモルフォーズが、目の前にいた。ただしそれは目覚めているわけではなく、ほのかに緑色の液体に浮かんでいて目を瞑っていた。それだけ見れば眠っているように見えるけれど……。 「そうだ。君の思っている通り、あれは眠っている。眠っているけれど、起きている。どういえばいいかな。二元性を保っている、といえばいいか」 「オリジナルフォーズを使って、世界をどうするつもり?」 「オリジナルフォーズ。あれはまだ目覚めることはないよ。それは主の計画にとっては非常に残念なことではあるがね。目覚める手順は解っているというのに、それになかなか手を出すことができない。現実は非情だねえ」 「オリジナルフォーズを目覚めさせることができない……? けれど、あなたたちが使っているメタモルフォーズは」 「あれは模倣だよ」  バルト・イルファはそう言葉を投げ捨てた。  水槽を眺めて、バルト・イルファは遠いところを見つめるかのように、目を細めた。 「そう、模倣だ。オリジナルフォーズから抽出したサンプルを用いて、同じ構造の物体を作り上げる。そうすることでかつてのメタモルフォーズと同じようなものが生み出されていく、というわけだ。とはいえ、かつての時代で世界を滅ぼそうとしていたあのメタモルフォーズと比べれば力のスケールは圧倒的に小さいものとなってしまうがね。やはり模倣はそれなりの力しか使うことができない、ということだ」 「酷い言い様だね。……バルト・イルファ、君はいつも科学者のことを考えない。研究している人間にとってみればそれが精一杯の成果だということを、君も彼女も考えないのだ」  その声を聴いて、バルト・イルファは踵を返した。  そこにいたのは白髪頭の男だった。白衣を着て眼鏡をかけていたが、その様子はどこか落ち着いている様子に見える。しかしながら、その男の様子はどこか不思議と落ち着きのないようにも見えた。 「ドクター……。相変わらずあなたはまたこのような場所に居るのですか」 「別にいいではないのかい? ……きひひ、私としてはいつまでも研究の場に立っていられることはとても素晴らしいことだといえるけれどねえ」  そう言ってドクターとよばれた男は私に近づく。一歩、さらに一歩。最終的に小走りになった形で私の目の前に立った。  目の前にいる様子では、ドクターは小奇麗な男だった。こんなところにいなければそれなりに活躍できるのではないか――とは思ったけれど、それも彼の思って進んだ道の結果なのだろうか。  ドクターは私の表情を確認するように見つめると、頷いて笑みを浮かべる。 「……いつまで長々と見つめているつもりだ、ドクター。何か思うことでもあったか?」 「いひひ。いいや、何でもないよ。あのお方の子供を目の当たりにできるとは思いもしなかったからねえ。研究は続けていくものだ」 「当たり前だろう。……彼女はピースだ。それでいてスペアでもある。王の器を受け継ぐには必要な存在だ……。お前たち科学者は常々そう言っていただろう?」 「まあ、間違いではないさ」  ドクターはくい、と眼鏡を上げる仕草をして、 「けれどその認識のままでいくといつかダメージを受けることになると思うよ? 残念ながら、まだ当分王はあのままでいくだろう。結果はどうなるか解らないけれど、過程としては素晴らしいくらい順調に進んでいる。計画はあと少しで終わりを迎える。いや、正確には今から始まり……ということになるのかな。いずれにせよ楽しみであることには間違いない」 「別にそこまで言わなくてもいいだろう? ……さてと、話が過ぎた。これから僕は彼女をある場所に連れて行かないといけないからね。これで失礼するよ」  バルト・イルファはそうして強引にドクターとの会話を打ち切って、私の手を取った。  ドクターは小さく舌打ちをして、 「強引に連れていくのは、女の子に嫌われるよ? そう、例えば君の妹のような子にも……」 「妹のことは関係ないだろう? 君こそ、そんな適当なことを言って、僕に何かされる可能性は考慮していなかったのか」  バルト・イルファとドクターは仲が悪いのだろうか。いや、こういう文句を言い合える仲は意外と悪いものではない、と聞いたことがあるし、そんなことはないのかも知れない。  ドクターはこれ以上何も言えないと思ったのか、諦めて手を振った。  けれど、その様子はまだ諦めていないようにも見える。どちらかといえば、そっちのほうが大きいかもしれない。……ドクター、要注意人物に入れておこう。 「それじゃ、向かうことにしようか」  踵を返し、バルト・イルファはそう言った。  いったい私をどこへ連れていくつもりなのだろう。  バルト・イルファに問いかけたかったが、そうすることもできなかった。  バルト・イルファと私の戦力差は圧倒的なものであるとすでに理解している。バイタスの街を彼一人で焼き尽くしたことからもはっきりしている。ならば、無碍に戦いを挑むようなことはしない。  おそらくフルとルーシー、それにレイナが私を探しているはずだ。しかし出来ることなら、彼らが来る前にここから脱出しておきたい。彼らがどういうルートを辿るのか、そもそもここはどこなのかすらはっきりとしていないけれど、できる限り情報を盗んでおいてから脱出しておきたい。  そんなことを考えながら、私とバルト・イルファはまたひたすらと長い通路を歩いていた。  長い通路を抜けた向こうに広がっていたのは、いろいろな機械がある空間だった。機械はたくさんのガラスがついていて、その小さな箱には一つ一つ今まで通った場所が透けて見えるようになっている。 「……その反応だと見たことがないようだね、これはモニタというものだ。そして、私たちが今捜査しているものはコンピュータ。これを使ってあれの維持とこの場所の管理をしている。まあ、実際のところこれほどの技術は外部に流出なんてさせないから、別にこれを知ったところで何の意味も無いのだけれどね」 「あなたは……?」 「はじめまして、メアリー……で良かったかな? 私の名前はシュラス・アルモア。シュラス錬金術研究所の所長であり、現在もこの『リバイバル・プロジェクト』の主任を務めている人間だ。これからきっと長い付き合いになるだろうから、よろしく頼むよ」  そう言ってシュラスは私に手を差し伸べた。  しかし私はそれに応えることなく――シュラスを睨み付ける。  シュラスはそれを見て舌打ちをするなり、私の脛を蹴り上げた。 「痛っ……!」 「お前は黙って話を聞いていればいい。いうことさえ聞いていればいいんだよ」  先ほどの丁寧な口調とは違うシュラスの言葉。きっとこちらのほうが普段の口調なのだろう。シュラスは私を蔑むように見下ろした。  バルト・イルファは私を見つめることなく、シュラスのほうをただ見つめていた。仲介することも話をすることもなく、ただ傍観していた。 「……まあ、取り敢えずこれ以上私の手を煩わせるな。いろいろと面倒なことになるのは解っているだろう?」 「お言葉ですが、シュラス博士。彼女はおそらく自らの立ち位置を理解していないものかと思われますが……」 「『十三人の忌み子』の末路である貴様が、何を知っていると?」  それを聞いて眉を顰めるバルト・イルファ。  どうやら彼にとってその言葉は耳あたりの良いものではないようだった。 「……所詮、お前も主には逆らえない従順な犬に変わりない。それを理解することだな」  そう言ってシュラスは立ち去っていく。  結局あのシュラスという男は何がしたかったのだろうか――私にはさっぱり解らなかったけれど、バルト・イルファはそんな私を無視するようにさらに引っ張り上げていく。 「バルト・イルファ、あなたはいったい私をどこに連れて行こうとしているの?」 「そう焦ることもないだろう? すぐ終わることだ。それに、立場を弁えたほうがいいぞ。君は今、捕虜の立場に居るのだから」 「……貴様がメアリー・ホープキンか。神の子であり、王の器の継承者でもある人間」  その言葉を聞いて、私は前を向いた。  そこに立っているのは、麻の服を着た男性だった。頭部がすっぽりと隠れる帽子を被って、暑さを遮っているように見える。 「……私の名前はアドハム。スノーフォグ国軍大佐を務めている。以後、お見知りおきを……。と言っても、貴様はどう足掻いても最終的に私の名前を覚えざるを得なくなるがね」 「スノーフォグの……国軍大佐、ですって? この研究施設は国の施設……!」  それを聞いたアドハムは何も答えることなく、小さく舌打ちした。 「王の器と相性は、ほんとうにあっているのだろうな?」 「当然でしょう。だって、彼女は王の子ですよ?」 「王の子、とはいっても彼女は情報を何一つ知らないのだろう? はっきり言って、その状態ではただの一般人と変わりないではないか。だったらまずその知識を植え付ける必要があるのでは?」 「器との相性、知識とは関連性はありませんよ。器と相性さえ良ければ問題ありません」  背後から近づいたのはシュラスではない、また別の研究者だった。 「フランツ……」 「おや、僕のことは呼び捨てか。僕も嫌われたものだね。十三人の忌み子を育てたのは紛れもない僕なのに?」  溜息を吐いた科学者はまだ若い科学者のようだった。シルバーブロンドのさらりと透き通るような髪をしていた。 「フランツ。君からも何とか言ってくれないかね、この実験結果について」  そう言ってアドハムはバルト・イルファを指さした。  バルト・イルファはそれを見てにらみつけるようにアドハムを見たが、アドハムは当然それに屈することなど無かった。 「……さて、フランツ。私は忙しいものでね、さっさとエノシアスタに向かわねばならない。まったく、あの女王にも困ったものだ」 「女王、ですか。……まあ、あの人は我儘ですからね、致し方ありませんよ」 「その発言、女王に聞かれたら貴様とてただでは済まないのではないかね?」 「そうなればきっと『あれ』が許しませんよ」  そう言って、フランツは背後に浮かんでいる何かを指さした。  それはメタモルフォーズだった。まだ眠りについているようだったが、先ほど見たそれとはさらにサイズが違う。それに周りにある液体を取り込みながら、若干ジェル状になっているようにも見える。 「……確かに、そうだな。貴様がまだここにいるのもそれが要因だ。せいぜい、やることを果たしてくれ給えよ」  そう言って、アドハムは部屋から出て行った。 「アドハムはいつもああいう性格で、ほんとうに困ります。まあ、彼がここに居るからこそ、こういう研究が出来るわけですが。それも合法的に」  そう言ってフランツは溜息を吐くと、改めて私のほうを見つめて、笑みを浮かべた。 「君がメアリー・ホープキンだね? いや、まさかこんなにも早く君に出会えるとは思わなかったけれど、生憎王の器の時間が限られていてね。次の器を用意する必要が出てきたのだよ。申し訳ないねえ、君は冒険をしているようだったけれど、強引にこのような場所に連れてきてしまってね。残念ながら、少しだけお話をさせてもらうよ。なに、そんな難しい話じゃない。ちょっとしたヒヤリングみたいなものだ」  そう言ってフランツは話を始めた。  バルト・イルファはさりげなく話が始まるタイミングを見計らって、少しずつ私のそばから姿を消した。  ◇◇◇  夜。  ラルース一のレストランに僕たちとリメリアは居た。六人掛けのテーブルで、片方にリメリアのみが座っており、もう片方に僕たち三人が座っている形になる。ラルース一のレストランとはいえ、銃器の持ち込みを禁止しているわけではない。  盛り付けられている料理を一言で述べるならば、肉料理が中心となっている。魚、鳥、肉……いろいろな種類の肉を使った料理がテーブルに所狭しに並べられている。  そしてそれをがっついているリメリアと、ただ茫然と眺めている僕たち。  光景だけ俯瞰で眺めると、意味が解らない状況であることは間違いないと思う。 「……あら、どうしたの? 別に、奢ってくれとは言ったけれど、全部とまでは言っていないわよ。さすがに食べきれないだろうしね。だから、あなたたちも食べてよ。……まあ、そんな言葉を言える立場でないことは重々承知しているけれどさ」 「それよりだな、情報はきちんと提供してくれるのだろうね?」  ルーシーが僕も気になっていたことを代弁して、話してくれた。  対してリメリアは豚肉のようなもの(おそらくハムか何かだろうか?)を豪快に口で引きちぎり、噛みながら笑みを浮かべる。 「当たり前だろ。掃除屋は嘘を吐かないものさ。ほら、それよりも食べないと冷めてしまうよ。それとも、冷めた料理が好きというのならばそれもそれで止めないけれど」 「あ、ああ……。そうだな。取り敢えず、頂くことにしよう」  本来は僕たちが支払うお金で注文しているので、リメリアの言う通り僕たちが普通に食べていい食事になるから、『頂く』なんて表現は少々変なことになるのだけれど、実際問題、それは間違った話ではないということになる。  そういうわけで、僕たちもまた食事に取り掛かるのだった。というか、それしか選択肢が残されちゃいなかった。 食事について特筆すべき事項は無いと思う。だって、実際に食事シーンをつらつらと説明する必要もないだろう? しいて言うなら、肉料理まみれというのもバランスが悪い食事だということを再確認出来た、ってことくらいかな。リメリアは野菜が嫌いなようで、殆ど肉料理しか注文しなかった。だから僕は我慢できなくなって(のちに聞いたがルーシーとレイナもそう思っていたようだった)、サラダを注文した。そのときリメリアはサラダも食べるのか、と言わんばかりの悲しげな表情を浮かべていたけれど、そんなことはどうだっていい。というか、嫌いならば食べなければいいだけの話だ。僕は肉料理ばかりだとなかなか舌がリセットされないから注文しているだけだから。  そんなことはさておき。  料理を食べ終えたところでリメリアはメニューを取り出した。あれだけ食べられない量を注文したというのに、また何か注文するつもりなのだろうか? というか、まだ君が注文したものすべて食べ終わっていないのだけれど!  そう僕が考えていたら、どうやらその視線に気付いたらしく、 「……何よ。デザートを食べようとしていただけじゃない」  デザートまで所望するというのか。  これは情報がそれなりのものじゃないと納得しないぞ。今日だけで懐がどれほど軽くなったと思っているのか。 「私が情報を持っていない、とかそんなこと思っているのならば安心しろ。きっちり私が持っている情報を提供してやるよ。無論、それがどこまで君たちにとって有益な情報であるかは、いざ話してみないと解らないことではあるがね」 「確かにそれもそうだが……。だからといって、それを理解していない僕たちでもない。掃除屋は実際の一般人以外で知っているような情報を仕入れているのだろう? 例えば……メタモルフォーズの住処、とか」 「……そこまで理解しているなら、話は早いじゃない。あ、バニラアイスパフェ一つ」  いつの間に店員を呼んでいたんだ。  そんなツッコミを入れようとしたが、それよりも早く注文を終えてしまったので何も言えなかった。情報が有益であるかそうでないかは、僕たちの情報分別能力にかかっている。  パフェがやってくるまで五分、それから食べ終わるまで十分。合計十五分をさらに待機していた僕たちは、さすがに大量の肉料理を平らげていて、リメリアがパフェを食べ終わるまで待機していた。なぜそのまま待機しているかというと、逃げられる可能性を考慮していたからだ。逃げられてしまったら、このお金も無駄になる。……少々豪勢な食事をした、と割り切ってしまえばいい話かもしれないけれど。  パフェをすべて食べ終わり、食後にサービスでやってきたホットコーヒーを啜るリメリアは、溜息を吐いて目を瞑った。  そして少しして目を開けると、リメリアは大きく頷いた。 「……それじゃ、少々時間はかかってしまったけれど、食事をおごってもらうのが約束だったからね。私もその約束を果たさないと」  紙ナプキンで口の周りを拭いて、リメリアは話を始めた。 「先ず、メタモルフォーズの住処について簡単に説明しようか。メタモルフォーズの住処、と言うけれど実はうまい特徴は見当たらないんだ。大抵場所は見つかっているけれど、……ああ、でも一つだけあったかな。その特徴、当たり前かもしれないけれど、人が少ない場所に住処はあるんだよ。それは当たり前だよね。メタモルフォーズは人間の敵だ。人間が逃げるか、メタモルフォーズを撃退するか、はたまたメタモルフォーズに返り討ちにあってやられてしまうか……そのいずれかだから」 「メタモルフォーズは、人間の進化形……それについて聞いたことは?」  ルーシーはこの前、リーガル城であった出来事について質問する。  リメリアは知った風な様子で答える。 「あれならば、スノーフォグならば常識だよ。逆に、ハイダルクではそれは知られていなかったのか? ……もしかして、ハイダルクだとメタモルフォーズが出現すること自体も少なかったのか?」 「そうかもしれないわね。メタモルフォーズはハイダルクでは殆ど発見されていない。この間の城へやってきたメタモルフォーズが初めて、なのかもしれない」  正確に言えば、それよりも前に僕とルーシー、それにメアリーがエルフの隠れ里で出会ったのが最初になるけれど……それは言わないでおこう。 「スノーフォグでは、恐らくメタモルフォーズにおける知識がある程度常識化しているかもしれないね。実際、スノーフォグはメタモルフォーズをどう倒せばいいか、ということについては私たち掃除屋や軍に投げっぱなしになっているところも多いのも事実だけれど。……大抵の一般市民は軍に頼るし、軍が嫌いな人間は私たちのような掃除屋に頼む。そういうものだよ」 「掃除屋はたいていフリーで働くものなのか?」  それを聞いて頷くリメリア。 「そういうものよ。あなたたちは掃除屋のことをどう思っているのか定かでは無いけれど……、掃除屋は世界から良い風に思われていない。それが現実。それが真実。だからこそ、私たちももう少しその地位を上げていかねばならないと考えてはいるのだけれどね」 「考えている……ですか?」 「まあ、それについては語る必要も無いでしょう。あなたたちが知りたいのは、もっと直接的な情報だと思うから」  そう言って、リメリアはコーヒーを飲みほした。 「メタモルフォーズの巣。私たち掃除屋はその情報を知っている。一番ここから近い巣はエノシアスタから南方に行ったところ。どうしてあのような場所にあるのか、と思うくらい人の里に近い場所にある。……まあ、私たち掃除屋にとってみれば拠点を作りやすいから有り難いといえば有り難いのだけれど」  それから、得られた情報はいろいろとあったけれど、最大の情報はやはりエノシアスタの南方に巨大な巣がある――ということだった。実際に、それ以外にも情報は得られている。たとえば、メタモルフォーズは基本的に『属性』があるため、その属性に弱い攻撃を与えないとなかなかダメージが通らないということや、しかしそのような属性があったとしても近距離からの爆撃はそれなりにダメージが通るということや、大抵は戦闘に関することだったが、メタモルフォーズに関するどのような情報でも欲していた僕たちにとって、それは有り難いことだった。 「……これくらいの情報で何とかなる、かなあ」  リメリアと別れた僕たちは宿屋にて休憩していた。部屋は二つとっているのだけれど、そのうちの僕とルーシーが眠る部屋にてレイナも集まっているという形になっている。 「それにしても、情報はそれなりにあったよね。まあ、豪勢な食事を食べてしまった、ということもあるけれど、かなり満足感は得られたのではなくて?」  レイナの言葉に頷くルーシー。  そして僕もその意見に賛成だった。満足感が得られた、ということよりもここまで簡単に情報が得られたということ。そしてその情報の一つが、明後日向かうエノシアスタに関する情報であるということがとても僕たちにとって有益な情報だった。 「それにしても、エノシアスタ……ね。行ったことの無い場所だからちょっと気になるけれど、いったいどのような場所なのかしらね?」 「機械都市、ということは聞いたことがあるけれど、どこまで機械じみているのだろうね? 僕も教科書でしか見たことは無いのだけれど……」  機械都市エノシアスタ。  教科書ではよく見たことのある、その都市の名前。旧時代にあった文明をうまく組み合わせることでこの世界では珍しい機械仕掛けの町を作り上げたのだという。そのため、世界各地から観光客が訪れている、スノーフォグ随一の観光地なのだという。 「確かにそんな場所ならば、ビジネスチャンスは多く存在するはずだよな……。あの商人が何をするのかは解らないけれど」  ルーシーの疑問も解らないではなかった。  ただ僕たちはまだ子供だ。そういうことに関してまだ解らないことが多い。解らないことが多いからこそ、知りたいと思うことも多い。  それについてはきっと、経験と時間が解決してくれるはずだろう。僕はそう思っていた。 「……まあ、明後日からはエノシアスタへ向かうことになる。どういう場所でどういうことになるかはっきり解ったものではないけれど……取り敢えず、今はゆっくり休もう。休息も大事だ。メアリーを助けることももちろん大事だけれど……」 「いや、フル。君の言っていることも解るよ。今はゆっくり休もう」  そうしてレイナは自分の部屋に戻り、早々に僕たちはベッドに潜った。  ◇◇◇  そのころ、メアリーも夜を迎えていた。  フランツからのヒヤリングは簡単なものだった。この世界の歴史について、それにスノーフォグについての基礎知識の質問がある程度で、そのようなものは頭に叩き込んでいたメアリーにとってそんな質問は楽勝だった。  しかし、どこか彼女にとって引っ掛かっていた。  なぜフランツはそのような質問をしたのだろうか? 「フランツ……。なぜあの科学者は」  思わず呟くが、けれども考えが進むわけでもない。  一先ず今の状況では、ここに居る人間が彼女をどうこうするという話にはまだ至っていない。それどころかどこか大切にされつつある状況にもなっている。  それが彼女にとって一番理解出来ないことであった。なぜ自分が大切にされる必要があるのか? それをフランツに訊ねたが、今は知らなくていいとの一点張りでまったく答えて等くれなかった。 「……今はもう、眠るしかないのかもしれないわね……」  まったく考えがまとまっていなかったが、このまま考え続けてもまとまるとは到底思えなかった彼女はそのまま横になり――そして、半ば強引に眠りにつこうとそのまま目を瞑った。  ◇◇◇  二日後。  僕たちは旅団と一緒に機械都市エノシアスタへと向かうこととなった。  エノシアスタへ向かうにはトラックを用いる。トラックが合計四台。荷物を載せているものが三台と人を乗せるために荷台部分を改造したものが一台となっている。人員はそれほど割かれているわけではなく、僕たちを除くと十人程度しか居ない。  そもそも一台――その人を乗せるためのトラックだけ明らかに巨大だった。もともとはダンプカーだったのかもしれないが、そうだとしても改造度合が半端ない。とにかく、人を乗せるためにいろいろな改造をとことんやってのけた、という感じがする。 「それにしても、こんな若い人が俺たちの護衛についてきてくれるとはね」  僕たちの居た部屋――と言っても間仕切りが殆どされていないので、部屋という空間と言っていいかどうか微妙なところだが――そこに入ってきた兵士はそう言った。  兵士――と言ってもそれはあくまでも推測しただけに過ぎない。本人から兵士だと聞いたわけではないからだ。ただ、ほかの人間に比べて若干装備が重装備に見えた。だから、そうかな、と思っただけに過ぎない。 「あ、俺のことかな? おかしいなあ、自己紹介していなかったっけ……。あ、していなかったかもしれないな。俺の名前はシド。こういう身なりをしているが、俺も商人の端くれだ。まあ、よろしく頼むよ」 「……よろしく」  シドさんが手を差し出してきたので、僕もそれに答える。きちんと答えないと意味が無いからね。それについては今から少しでも良い関係を築いておかないとギスギスしてしまうし。  シドさんの話は続く。 「まあ、君たちの実力を否定しているわけではないけれどさ。実際にその目で見たわけじゃないから、それを否定することも間違っていると思うしね。……取り敢えず、お近づきのしるしにどうぞ」  そう言って、シドさんは僕たちにキャンディを差し出す。  それを受け取ってそのままポケットに仕舞い込んだ。 「俺はいろいろと嗜好品を取り扱っていてね。まあ、別に珍しい話じゃないと思うけれど。特にここ最近嗜好品の売り上げが増えてきた。好調、とでも言えばいいかな」 「へえ、何故ですか? やはり、メタモルフォーズに対する不安?」 「そうとも言えるし、そうとも言えないかもしれない。メタモルフォーズは不安になる材料ではあるけれど、商業としては一番いいところを持ってきてくれるからねえ。何というの? その、災害特需、ってやつ? そういうことも多いわけだよ。今から向かうところも、確か一応メタモルフォーズの攻撃を受けてしまったために一部被災しているエリアがあるわけだが、そういう場所というのはもう何もかも足りないわけだ。人はもうあまりまくっているというらしいがね」 「人は余っている……?」 「『助けたい精神』の骨頂というやつだよ。助けたいけれど、何も出すものが無い……。だから自分の身体だけでも、という人間のこと。そういう人間は確かに有難いよ。人は多ければ多いほうがいい。けれどそれはあくまでも仮定に過ぎない。実際問題、増え続けてしまえばそれは過多になってしまう。食料の供給もまともに無い、寝る場所も少ない、まともに眠ることの出来る人間すら少ないというのに、人が増え続けてしまう。そうなったら、何が生まれると思う?」  その先に何が生まれるか。  ええと、おそらくきっと……。 「答えは簡単だ。供給と需要が割に合わなくなり、食料は益々減ることだろう。おそらく、寝るところも衣服も……何もかも足りなくなる。そういう場所に売りに行くのが……俺たち商人、というわけ」 「ボランティア……無料で提供しようというつもりはない、ということですか?」 「あるわけないでしょう。だって、ビジネスチャンスの一つだよ? そんなチャンスを逃がしてまで商品を出すわけにはいかない。世界の仕組みというのは、案外そういうものだよ。まあ、君たちのような子供にはあまり解らないかもしれないが……」 「けれど、それは理屈でしょう? ボランティアとは言わずとも、せめて安く提供することだって……」 「そんなことを言ってもね、俺だって、こっちだって商売だ。飯を食うために、そして何より生きていくために働いている。物を売っているわけだよ。もちろんなるべく安くしているつもりだ。けれど、これ以上安くしてしまえば俺だって生きていけなくなる。不謹慎? 悪者? そんなことを言う人だっているさ。けれど、そんなことですべて萎縮してしまったら世界もろとも暗い雰囲気に包まれてしまうとは思わないか?」 「それは……」  それについて、僕ははっきりと答えることは出来なかった。  無料で提供すること。それは出来なくても、安くすることは出来ないのか――ということについて。  それはきっとやろうと思えば簡単に出来ることなのだと思う。けれど、それを実際にしてしまえば今度は商人が生きていけなくなってしまう。そうなってしまうと経済がうまく回らなくなり、世界的に経済が破綻してしまう。要するに、一つの災害で世界を崩壊させてはならない……そういうことなのだろう。 「……まあ、君にそれを言うことは間違っていたかもしれないな」  先に折れたのはシドさんのほうだった。  もっとも、折れたというよりは話の流れをこれ以上続けても場の空気が澱むままだと判断したためかもしれない。 「邪魔したね」  シドさんは座席から立ち上がると、そのまま扉代わりのカーテンを開けた。 「それじゃ、また後で。何もないことを祈っているよ」 「ええ、僕たちも祈っています」  そう言い交わして、シドさんはカーテンを閉めた。  ◇◇◇  そして、そのシドさんの言った通り、何も起きなかった。  早朝出発して、エノシアスタに到着した頃にはその日の夕方になっていた。ちなみに到着したときには、 「おおい! もうすぐ、エノシアスタに到着するぞ!」  そんな掛け声だけだったが、僕たち以外の人たちはみんな続々と準備をしだした。どうやらそれがここにとってはアタリマエのことらしい。  窓から外を眺める。エノシアスタの町はどういう状態になっているのか、気になったからだ。  鉄で出来た城壁、そこから生え出てきているように見える石造りのビル群。それだけ見れば、僕がもともといた世界にもあったような町に見える。 「すごいなあ……こんな町があるんだ……」  僕は思わずそんなことを呟いた。  どうやらそれはルーシーにも聞こえていたようで、 「この町はスノーフォグだけじゃなくて、世界随一の技術を備えた場所……だったかな。だからこのようになっているらしいけれどね。おかげでこの町ですべてを賄えるようになってしまったらしい。あの町での技術は全世界の技術より二世代近く進んでいるとか……。まあ、噂に過ぎないけれど。あくまでも、それは一般的に科学技術が流通していないせいかもしれないけれどね。現にあの町は、ほかの町に科学技術を流出しないからって文句も飛んでいるし」 「ふうん……。そうなのか」  まあ、魔法や錬金術が主流になっている世界で、科学技術なんて流行らないのかもしれない。ただ、便利なものが便利であると証明されれば、それは確実に流行するだろうし、おそらくそれをする準備がとても面倒だったのだろうか。あるいは、この世界の人間性――ううん、そこまで考えるとなんだか面倒なことになってきそうだ。  そんな難しいことを考えていたら、ゲートに到着していた。  ゲートは誰か人がいるわけではなく、自動ドアのようになっていた。おそらく上部にセンサーがついているのだろう。それで判別しているのかもしれない。いったい何を判別しているのか、という話だけれど。 「すごいな、このゲート。自動で判別しているのかな? 人も居ないようだし」 「ほかのところとは違う感じだよね。もしかして通行証とか持っているのかな。それで判別しているのかも」  ルーシーの問いに僕の推測を伝える。  ルーシーはそれを聞いて頷きながらも、完全に納得しているようには見えなかった。まあ、仕方ないことだと思う。実際伝えたことも僕の推測に過ぎないので、それの裏付けもしていない。だから、それが本当だろうか? もっと別の考えがあるのではないか? という考えに至るのも自明かもしれない。  暫くしてゲートが開く。ゲートが完全に開ききったタイミングを見計らって、僕たちを乗せたトラックはエノシアスタの中へと入っていった。  ◇◇◇  エノシアスタの中心地にあるホテルにて、僕たちは一旦の契約解除に至った。一週間後に再びラルースの町に戻るときに改めて契約して、また戻るスタイルになるそうだ。ちなみに契約解除した時点で一回分の契約になったということでその分のお金は支払われた。  そういうこともあり、僕たちは現在小金持ちになっているのだった。 「それにしても……機械ばかりだよなあ……」  お店で販売しているものも機械。町を動いているのも機械。町に生きている人々もどこか機械を装着しているためか機械っぽさがある。  僕の住んでいた世界でもこんな機械を使っていただろうか、と言われると微妙なところかもしれない。 「うわあ、すごいよ、フル! 見てみて!」  そう言ってルーシーはウインドーを眺めていた。 「……子供ね」 「そう言ってやるなよ、レイナ」  レイナと僕はそう言葉を交わしながら、ルーシーのもとへ向かった。  ルーシーが見ていたのは一台のコンピュータだった。デスクトップ本体とキーボード、それにモニタが配線で接続されている。電源は入れられていないので画面が表示されることは無いのだが、それでもルーシーは興味津々だった。 「何だい、フル。あれはいったい? もともと来た世界にはあのようなものはあるのか?」  ルーシーの問いに僕は小さく溜息を吐いてから答えた。 「……ああ、あったよ。あれはコンピュータと言って、いろんなことを機械の演算で実行してくれるものだったはず。人間の脳で出来ることが実行できるのだけれど、それを並行で実施するから、人間が手で計算するよりも若干早く出来たはず。まあ、それもメモリチップという人間でいうところの脳みその大きさに依存する、はずだったけれど」 「……はあ、よく解らないけれど、すごいというのは伝わったよ……。すごいなあ、エノシアスタ。魔法とも錬金術とも、別の学問とも違う何かがここにはあるよ……!」  ルーシーの目はどこか輝いているように見えた。  別に彼は科学信仰というわけではないだろう。ただ珍しいものに興味を示しているだけ、だと思う。なぜそうはっきりと言えるかというと、もともといた世界でもそういう反応を示していた人が良く居たからである。 「確かにそう思うのも仕方ないかもしれないけれど……、私は少し苦手かな。ちょっと無機質過ぎるよ、この場所は」  苦言を呈したのはレイナだった。彼女みたく、このような無機質なものばかりが並べられた場所を嫌うこともあるのかもしれない。まあ、仕方ないことといえば仕方ないと思うのだけれど。  さて、そんなことよりも。  この場所で調査する時間は一週間しかない。はっきり言ってその時間のうちにやるべきことをやる必要がある。メアリーはどこへ消えてしまったのか、そしてシュラス錬金術研究所はどこにあるのか――その場所を調べなくてはならない。  そう考えて、僕たちは情報の収集を開始した。  メアリーに関する情報を少しでも集めることが出来ればいいのだけれど。  とまあ、そう勢いをつけた割には何も情報が得られなかった。強いて言えばやはりあのメタモルフォーズの巣に関する情報くらいだっただろうか。興味はあるけれど、今の僕たちで向かうのは少々危険過ぎる。  というわけで結局その日はエノシアスタの観光をすることにした。もちろん、情報収集も進めているけれど、想像以上に何も出てこない。話を聞くと、殆どここに住んでいる人はこの町から外に出ないのだという。だから、あまり他人に干渉しない。それどころか一人で動くのが好きなのか、そもそも話を聞いてくれる人すら居なかった。 「なんというか、この町の人、冷たい人だらけよね。話くらい聞いてくれてもいいじゃない」  そうレイナは言ったけれど、見ず知らずの人の話を聞く余裕がある人が案外居ないのかもしれない。見たことのない人間が突然声をかけてきて、反応してくれる人はそう滅多にいないと思う。大抵は忙しいとか用事があるとか言って適当なことではぐらかす人が大半だと思うけれど、どちらにせよ情報が得られないのは確かだ。  レイナは溜息を吐いて、空を見る。  エノシアスタの中心に聳え立つグランドタワー。  高さは聞いた感じだとリーガル城の二倍以上の高さを誇り、展望台からはスノーフォグを一望出来るどころかハイダルクも見えるのだという。 「……タワーにも入ってみる?」 「タワー……か。タワーに入って観光もいいかもしれないな」 「フル、レイナ。一応言っておくけれど、目的は忘れていないよな? 今回、ここにやってきた目的、それは……」 「メアリーの情報を入手すること、だろ? それくらい知っているよ。だが、情報を入手する可能性を高めるためにはいろんな場所に入る必要がある。そのためにもこの町を観光していきながら様々な場所を巡ったほうがいい。そうは思わないか?」  ルーシーの言葉に僕は答える。はっきり言ってもっともらしい言葉を並べただけで、実際はルーシーの言った通り。ただの観光となってしまっていることは紛れもない事実だった。  しかしながら、情報が少しでも得られるならば――その可能性が秘められていることもまた事実だ。あれほどの高い建造物から外を眺めることが出来れば、何らかの情報が地形から掴むことが出来るかもしれない。  ルーシーはまだ納得しきっていないようだけれど、結局僕がもうひと押ししたことでそれが成立することになった。高い塔から少しでも情報を掴むことが出来ればいいのだけれど……。  ◇◇◇  今日は朝から本を読んでいた。  なぜそんな自由なことができるかというと、あのフランツとやらが知識を得ることも大事だと言ってこの図書室に幽閉するよう部下に命じたかららしい。現にバルト・イルファが扉の前にある椅子に腰かけて何らかの本を読んでいるし。仕方がないので、私も何か情報を得るべく――本棚を見ていた。  けれど、本棚に入っていた本はどれも難しいばかりで、はっきり言って私が読めるようなものはこれといって無かった。  もうこのまま何も無いのかなあ、と思っていたけれど本棚の一番端にあるものを見つけた。やはりそれも表紙が掠れてしまって文字が読めなくなっているくらい古い本なのだと思うのだけれど、でもなぜかその本を開いてみたくなった。  今までのそれとは違って、表紙などから内容が掴めないからかもしれない。もしかしたらこの本にならば私が欲している情報が載っていると思ったのかもしれない。 「……これだ」  そう自分に言い聞かすように呟いて、それをもって椅子に腰かけた。  本を読み進めていく。その本は歴史書のように見えるが、メタモルフォーズの仕組みにも触れている。まさに今の私にとって一番重要な要素が詰め込まれているものだと思った。  一ページ捲る。そこには知恵の木の実のことについて、このように書かれていた。  『知恵の木の実』とは遠い昔、エデンにいたアダムとイブが蛇の誘惑に負け、食べてしまった果実のことを言う。それを食べてしまったことで、神は怒り、アダムとイブをエデンから追放してしまった。  なぜ神は怒り、アダムとイブを追放したのか?  神は『アダムとイブ』という人間が自分の地位に近づくのを恐れたのではないか?  そのように考えることもできる。  しかし、それは伝説上の産物である。  時は流れてガラムドが生まれ、そして空へ還った。  ガラムドの墓を守っていた男――ニーチェ・アドバリー、はガラムドの墓に樹が生えていることを見つけた。  その木の実は黄金に輝き、形は林檎のようだった。  その男は敬意を込めて、『知恵の木の実』と呼ぶのだった――。 「知恵の木の実、ねえ……」  私はそんなことを呟きながら読み進めていった。知恵の木の実は神ガラムドが生み出したものということで有名らしいけれど、こういう神話から裏付けされたということなのね。意外と原典を読んでみるのもなかなか面白いかも。というか、なぜこのタイミングでこれを面白いと思えたのかが面白いところではあるけれど。  まあ、それは戯言だけれど。  そんなことを言いたいがために私はこれを見ていたわけではない。さらに本を読み進めていけば、きっと私の知りたい情報が出てくることだろう。  そう思って、私はさらにその本を読み進めていった。  さらに読み進めていくとこのような記述を見つけた。偉大なる戦いのとき、ガラムドはある錬金術師に知恵の木の実を授けているのだという。そこでははっきりと知恵の木の実とは書かれていないものの、その説明文からして、その言い回しからして、私はそれが知恵の木の実であることを理解した。  しかし、知恵の木の実はその説明がいずれも事実であるとするならば、偉大なる戦い以前にも存在していたことになる。  それって何だか矛盾していないだろうか?  だって知恵の木の実が存在したのは、神が生み出したからと言われている。それがその通りであるとするならば、今の話題は完全に矛盾することとなる。どちらが正しいのだろうか? そう思ったとしても、この歴史書めいた古書にはどちらの説も記載されている。 「……だめだ。もっと何かあるはず……」  こう読み解いていくうちに、私は何かあることが気になった。  ――この世界は、何か裏があるのではないだろうか?  もしかしたら、私たちこの世界に住む人間の殆どが知らないような、重大な事実が。  この世界にはあるのかもしれない。もし、そうであるとするならば、私はそれを突き止めたい。そしてそれを、その情報の断片を少しでも得るためにはこの蔵書は役立つ可能性がある――そう考えて私は古書の読み解きを再開した。  ◇◇◇  グランドタワーの展望台に向かうにはエレベーターに乗る必要がある。正確に言えばエレベーターではなく昇降機と呼んでいたのだけれど、エレベーターの日本語訳が確かそれだったと記憶しているので、全然不思議な話ではない。  昇降機にはたくさんの人が載っていた。別に僕たちだけの話ではない。ここは連日多くの人が訪れる観光地のような場所なのだろう。そうかもしれないけれど、ここに住んでいる人もやってくるのだろうか? だって毎日のようにその姿を外から眺めているはずだから、そう何度も訪れることはないとは思うのだけれど。  それはどうでもいい。それについては僕が簡単に語るべきことではない。  飄々と。  淡々と。  黙々と。  それを僕が語る権利はないのかも知れないけれど。  昇降機を降りて、空間が広がる。目の前に広がるのは、広大な景色。ガラス張りになっているため、外の景色が一望できる。当然といえば当然かもしれないけれど、床は普通だ。壁がガラス張りとなっているだけ。僕の世界にあった、普通のタワーと同じような仕組み。  まあ、それについては予想通りだったと思う。  あと、これも予想通り。やっぱり外の景色を眺める人は居なかった。居なかった、とは言い過ぎかもしれないかな。実際には少しは見ている人も居る。けれど、実際に昇降機に乗ってきた人は展望台にあるレストランやちょっとした観光をしているだけに過ぎない。或いは楽しんでいるのは子供だけで大人は退屈そうに話をしているか本を読んでいるか……といった感じ。  正直、それだけ見ていると僕のいた世界と何ら変わりない。 「……わあ、いい景色だねえ」  レイナはそう言って、手すりに手をかけた。  確かに景色は良い。だが、広がっている景色は僕の想像通りの景色が広がっていたので、少し肩透かしを感じる。  そして、人もいない。  話を聞くこともできない。  はっきり言って、ここに来たことは失敗だったか? 「……あれ、フル、ルーシー。あれは何だ?」  レイナの言葉を聞いて、僕は踵を返した。僕だけじゃない。ルーシーもそうだ。ルーシーもその声を聴いてレイナに近づく。  レイナは僕たちが隣に立ったことを見計らって、それを指さす。 「ほら、あれ」  そこにあったのは岩山だった。ただの岩山という感じではない。粘土細工のような、ところどころ穴が開いている。 「……何だ、あれは?」  レイナが言った言葉をそのまま反芻する形で僕は言った。 「あれはメタモルフォーズの巣だよ」  声を聴いて、そちらを向く。  そこに立っていたのは眼鏡をかけたいかにもな一般市民だった。  一般市民の話は続く。 「……あれはかつてどこかの研究施設をメタモルフォーズが乗っ取った、と言われているよ。実際にどこまでほんとうなのかは解らないけれど。……この町の人間ならば常識だったと思うけれど、それを知らないところを見ると君たちは旅人かな?」  ニヒルな笑みを浮かべて、一般市民は眼鏡をくいと上げた。  僕は頷くと、一歩前に立った。 「はい。実は今日この町に来たばかりで……。機械がたくさんありますね。ほかの町とは違う。それにしても……あの巣は誰も対策しようとはしないのですか?」 「そんなことを僕に言われてもね」  肩を竦めて、話を続ける。 「ああ、でも、噂だけれど、あの巣をさっさと破壊しないのは裏の研究施設が未だ生きているからかもしれない……というのはあるよ。実際問題、あそこはメタモルフォーズの巣になっている。時たま、メタモルフォーズがここに攻めてくることもある。だが、根本的な対策には至っていない。それくらい科学技術が発展していてもおかしくないのに。だから、そういわれている。まあ、あくまでも噂の一つだから、本気で信じている人なんてそう居ないけれど」  噂。  噂、か。  人の噂も七十五日とは良く聞いたことのある話ではあるけれど、しかし存外噂というのはその日付以上に流通してしまうものだと思う。実際問題、それはよくある話だと思うし、間違っていないことだと思う。怖がることも面白がることも、興味が失せるタイミングまでずっとそのままでいると思うし、もしかしたらうまくずっと長く続けていられるかもしれない。広告的手法でも使えることだ。なぜ僕がそのようなことを知っているのかといえば、興味があることというよりも目についたものを片っ端から調べていたことがあったので、それで調べたからである。そのことの殆どは実際に役立つことは無かったけれど、まさかこのようなタイミングで、そこで調べた知識を思い出すことになるとは思いもしなかった。  知識を得ることに間違いなんて存在しない。だって、普通に考えてみて、知識を得ることで失敗した経験なんて無いからだ。それは僕が経験した、ただそれだけのことかもしれないけれど、それについては僕が保証する――なんて言ったとしてもそれはたったのこれっぽっちも認めてくれることはない。結局、ただの個人の自信なんてそのようなものだ。ただのハリボテと変わりない。  ハリボテと変わりないなら、結局そのハリボテをハリボテと思われないようにする。そういう風に思う人間だっているし、それを地で行く人間もいることもまた事実だと思う。現にこの世界に来ただけでもどれくらいの人間がそういう精神でやってきた人間が居るだろうか。数えたことも考えたこともないけれど、おそらくそれが世界の一般的な常識なのだと思う。  それが世界の普通で。  それが一般的な常識で。  僕にとってそれは普通じゃない、また何か違うことのように思えたけれど。 「でもそう思うことって間違いなんだろうな……」 「うん? 何かあった?」 「あ、いや。何でもないです。ありがとうございます」  貴重な情報を手に入れて、僕は頭を下げる。そうしてルーシーに声をかける。 「どうやら、行先はきまったようだぞ、ルーシー」 「……裏の研究施設がある、という噂のことか? まさかそれを全体的に信用するつもりなんじゃないだろうな?」 「それしか手段はないと思うよ。だって、現状の情報はそれしかない。だったら、そこに向かうしかないでしょう? 問題は、そこにどうやって向かうか、だけど……。やっぱり歩くしかないのかな」 「まあ、そうなるよな……。しかし、徒歩か。何かいい手段無いかなあ……」  僕とルーシーが頭を抱えていた、ちょうどその時だった。 「そういえば、さっき見たんだけど。この町、行商が多いよね。もしかしたら、それって使えない?」  そう言ったのはレイナだった。  行商? そんな情報、どこで入手したんだ。それにしても、その情報はほんとうに有り難い。 「行商……か。もし徒歩で行くならば、そちらのほうが問題ないといえば問題ない気はする。……なら、一度探してみる? それで良い条件の行商が見つかればいいけれど」  生憎今はそれなりの路銀を確保している。契約の時の値が若干張るものだったとしても、多少は何とかなると思う。  そう思って僕たちはタワーを降りて、行商のもとへと向かった。  行商通り。  実際には何か花の名前がついた名前らしいけれど、行商の家が多いためこのような名前がニックネームのような感じでつけられて、それが正式名称のようになっているらしい。  そして通りにはその名前を裏付けるように、馬車の車庫が多く面していた。 「しかし科学技術がここまで発展しているのに、まだ馬車が混在しているんだな……。もっと、何か無かったのかな。トラックとか」  確かに。  ラルースの人間でもトラックを使用しているのに、この行商通りの人間は殆ど馬車を使用している。まあ、全員が全員使用しているわけではないけれど、それでも馬車は未だ根強い。 「多分それって、この世界が未だ馬車のほうが主流だからじゃないか? だって、主流じゃないものを使い続けるわけにもいかないだろ。実際、同じスノーフォグですらこの町しか科学技術は発展していなくて、あとは横並びってくらいだし。だから、その横並びから突出していることを見られないためにも馬車を使っているとか。あとはメインテナンスの問題じゃないかな。何かあったとき別の町でも何とかなるじゃないか。ただトラックとか、この町特有の何かだったら別の町で故障した時も何か大変なことになるんだろうし」 「そうか……。まあ、確かに間違いではないだろうなあ。ま、別に馬車になろうが馬車以外になろうが問題ないよ。問題はメタモルフォーズの巣に進んで行ってくれる行商が居るかどうか、というだけ」  僕はシニカルに微笑むと、ルーシーもその通りだと頷いた。  実際問題、トラックだろうが何だろうがそこについてはどうだっていい。問題はメタモルフォーズの巣に僕たちがこれから向かう、ということだ。  メタモルフォーズの巣はこの世界の人間が考える危険地帯の一つだ。その場所だけじゃない、そこへ向かうまでの道のりも酷いものだと思う。果たしてそこに進んで向かってくれる人がいるだろうか? そう考えたときに、大分幅が狭くなってくると思う。  まあ、それよりも――実際にやってみないと解らない。  だから僕たちは行商を確保するために、行商通りにある店に向かうのだった。  まあ、そう簡単にうまくいくわけもなく。  そもそも僕たちの向かう場所がメタモルフォーズの巣。そうとも知ればそこまで生きたがる稀有な存在など当然いる筈もなく、結局のところ、交渉は難航していた。  そこまでははっきり言って予想の範疇。  問題はそれよりもスピードを優先すべきことだった。メアリーがどうなっているか解らない現状、大急ぎでバルト・イルファが向かったとされるシュラス錬金術研究所へと向かわねばならない。しかしながら、僕たちにはその場所を知る術は無かった。そうとなると、別のアプローチでシュラス錬金術研究所へと向かう必要がある。  現在において、唯一の情報はメタモルフォーズの巣があるという情報のみ。そしてそこへ向かうには徒歩では少し遠すぎる(必ずしも徒歩では行けない距離ではないけれど)。そうなると、やっぱり足は必要になってくる。そういうものだと思う。そうとなれば話は早い、ということで僕が主体となって契約をする必要が出てくるわけだ。  果たして、なんの契約か――なんてことは言わなくたっていいと思う。  馬車、或いはトラック。  正確に言えば足になるものがあればいいのだけれど、この世界において足と呼べるものはそれしか無い。実際、こういうものを使うとなると契約してお金を支払えばいい。別にお金さえ支払えば子供であろうが遠い場所であろうが対応してくれる――はずだった。それが上手くいかないのは僕たちが向かいたいその目的地が原因だろう。目的地はメタモルフォーズの巣、そんなところに行きたい子供を、果たして契約するといえ連れて行ってくれるだろうか? 良心の呵責があって連れて行こうとは思わないかもしれない。そもそも、実際そのように言われて断れたのが殆どなわけだけれど。 「……しかし、フル。これからどうする? このままだと何も解決することが無いまま時間だけ過ぎてしまうことになるが」 「それくらい解っているよ。……しかし、どうすればいいか」  ルーシーに指摘されなくてもそんなことは知っていた。  問題はそれをどう解決するか。その方法が思いついていなかった。それが一番の問題だったかもしれないけれど、とにかく見える範疇の問題を一つずつ解決していかないと、何も前には進まない。 「解っている……。だから、僕たちは作戦会議をするためにここにきているんだ。何か、考え付かないか、ルーシー。まあ、最悪歩いてもいいのだけれど、そうなると数日間の食料プラス眠るところを確保する必要がある。道中に何もないのが欠点だよな……。街道って、もっと普通ユースホステルみたいなものがあるんじゃないのか?」 「え、えーと、ユースホステル?」 「あ、ごめん。こっちの話。ルーシーには関係ないよ」  今、僕たちは作戦会議と昼食を同時に済ませるため、近所のレストランに居た。しかしながら、まったく意見が出ることなく、不毛な作戦会議となってしまっているのだけれど。  僕が食べているハンバーグも残り三分の一程度。さて、どうすればいいのやら……。 「ちょっとごめんよ。さっきから聞いていたのだけれど、行商を募集しているようだね?」  それを聞いて、僕はそちらを向いた。  隣のテーブルからの声だった。隣のテーブルでは、一人の商人が同じように食事をしているようだった。 「……そうですけれど、どうかしましたか?」 「いや、盗み聞きをしてしまったようですまなかったな。ちょっとその話を聞いていたら、適役かもしれない相手を見つけたんだよ。よかったら、ちょっと話だけでもそいつに話してはくれないか?」 「……別にいいですけれど」  クールを装っているけれど、これはチャンス。  ここで契約を上手く取ることができれば、メタモルフォーズの巣まで簡単に移動することが出来る。そう考えて僕は二つ返事でその商人と思われる男性の言葉に頷いた。 「いいのか? フル。そう簡単に了承しちゃってよ」 「別に問題ないと思うけれど。だって、僕たちも必要としていたのは事実。そしてこの人が適役を見つけてきている。それなら一度会ってみないと話は解らないだろう? そこで契約可能ならばしちゃえばいい。ダメならダメでまた別の可能性を探ればいい。そうだろう? そんなことよりも今は可能性の一つを潰してしまうことが問題だと思うよ」 「それはそうかもしれないが……」  ルーシーの言葉を聞いて、商人は向かいの席に腰かけていた――正確に言えば机に突っ伏して眠っている状態ではあるのだけれど――人の身体を揺さぶる。 「おい、起きろよ。眠っている場合じゃないぞ!」  そうしているうちに、漸くその人は起きだす。それでもゆっくりとした感じでとても眠そうだったが。 「……あれ? どうかしましたか。今日は僕が仕事の無さすぎを励ましてくれる会だったでしょう。もう終わりですか、お開きですか。それともアルダさんはお仕事があると、いやあ、いいご身分ですねえ。僕はずっとお仕事がありませんから借金も返せないのに」 「そういうことじゃねえ。自分を卑屈に思うのは辞めろ、仕事にも影響するぞ。……そんなことより、ビッグニュースだ。お前に仕事が生まれるかもしれないぞ」  それを聞いてビールと思われる黄色い液体を飲み干す男の人。顔はほんのり赤く染まっているのだけれど……大丈夫だろうか。ちょっと不安になってきた。  ビール? を飲み干したところで、男の人はそれでも向かいに座っているアルダさんが何を言っているのか理解できない様子だった。  そして少しの時間を要して、目を丸くして、身を乗り上げる。 「それは……本当ですか? アルダさん。僕のテンションを上げるための、面白がるための嘘なのではありませんよね?」 「お前のその状況を見て嘘を吐くような輩が居たら、そいつは相当捻くれ者だろうよ。それとも何だ? お前は俺のことを捻くれ者だと扱っているということか?」 「いやいや! そんなことは思っていませんよ。それにしても……え? ほんとうに、この僕に依頼が?」 「だから言っているだろう。ビッグニュースだと」  先ほどの酩酊ぶりはどこに行ったのか、あっという間によれよれになっていた服の襟を正して、僕たちのテーブルへと向かった。  そうして完璧にお辞儀をしたところで、 「はじめまして。僕の名前はシュルツ。シュルツ・マークラケンといいます。しがない行商ではありますが、腕に自信はあります。まず、きちんとお時間は守ります。たとえ無茶な時間を言われようとも、問題ありません。さすがにスノーフォグからハイダルクまでを一時間、というのは無理な話ですのでお断りする可能性もあるといえばありますが」  仕事の交渉一発目でそんな話をしていいのだろうか……?  そんなことを思ったけれど、それについては今語るべき話題でもないのかも知れない。  そう思って僕は話を始める。  これからは僕のターンだ。 「はじめまして、シュルツさん。早速ですが、僕たちが行きたい場所は既に決まっています。……まあ、先ずは座っていただいて」  流石に立たせたままで話をするのはちょっと周りからの目線が痛い。  そうともなれば、さっさと先ずは座っていただいてからきちんと話をしたほうがいい。 「ありがとうございます。……それで、ほんとうに僕でいいんですか?」 「かまいませんよ。僕たちも行商を探していたので。誰も見つからなかったのですよ」 「見つからなかった……? いったいどこへ向かうつもりだったのですか?」  そこで僕は、目的地をはっきりと告げた。 「メタモルフォーズの巣へ向かおうかと」 「すいません、お断りさせていただきます」  立ち上がろうとしたシュルツさんの腕を即座につかむレイナ。  僕の背後からアルダさんが茶々を入れる。 「おいおい、どうしたんだよ、シュルツ。別に問題ないだろう、お前、仕事が欲しいって言っていたじゃないか」 「言っていましたけど、言いましたけれど! けれど、こんな大変な仕事じゃ断りたくなるのも当然じゃないですか! わざわざ死地に赴く人が居るとでも!?」 「……やっぱりだめですよね。仕方ないといえば仕方ないかもしれないですけれど……。やっぱり、私たちだけで歩いて彼女を助けないと」 「彼女を? ……ええと、君たちはわざわざメタモルフォーズの巣へ向かって死にに行くということではなくて?」 「そんな馬鹿なことを自ら進んでするはずがないでしょう」  そう冷静に発言したのはレイナだった。  まあ、当然といえば当然なのだけれど。 「……メタモルフォーズの巣に、僕たちの大切な友達が居るかもしれないんです。もしかしたら居ないかもしれないけれど、居てほしくないけれど、でも手がかりは一つしか無い。だから、僕たちはそこへ向かわないといけない。……これは、きっと、誰も行こうとは思わないことかもしれないのだけれど」  言葉が、溢れていく。  メアリーは大切な友達だ。  この世界にやってきて、初めて知り合った友達。  そんな彼女を、このような場所で見捨てては――ならない。 「……解りました」  溜息を吐いて、シュルツさんはそう言った。 「それじゃ……」 「本当は嫌なんですけれどね。あなたたちの言葉に感銘を受けましたよ。まさかそのようなことを考えている人がいるなんて。正直、この世界はメタモルフォーズに心まで蹂躙されてしまった人間ばかりかと思っていました。けれど、違うのですね。解りました、向かいましょう。そうと決まれば、時間は急いだほうがいいでしょう?」  その言葉を聞いて、僕たちは大きく頷いた。  ◇◇◇  シュルツさんとの待ち合わせ場所は南門と呼ばれる場所だった。  そこから向かうことで、メタモルフォーズの巣へと一番近付くことが出来るのだという。実際には、それにプラスして馬車やトラックが出しやすい状況にあるらしいのだけれど。 「お待たせしました」  声が聞こえて、僕たちはそちらを向いた。  そこに居たのはシュルツさんと……小さい竜だった。いや、ただの竜じゃない。その竜が馬車を引いている。  驚いている様子の僕たちを見たシュルツさんは首を傾げていたが、少ししてその正体を理解する。 「ああ、もしかして、あれですか? 竜馬車を見たことがない?」 「竜馬車……。そういう名前なのですか、これは」 「ええ。正確にはミニマムドラゴンを使うことで馬車とは違うこととしていますけれど。スピードは馬車の数倍も出ます。ですが、うまく扱わないと馬車の中がごちゃ混ぜになってしまうことから操縦が難しいといわれていますけれどね」  そう言ってシュルツさんは竜の身体をぽんぽんと叩いた。けれど、竜はすっかりシュルツさんに懐いているようで、何もすることなくただシュルツさんのほうを見つめていた。  そしてシュルツさんは後ろにある馬車を指さした。 「準備ができているようならば、後ろの馬車に乗り込んで。僕はもう出発の準備はできているから、君たちに合わせるよ」  その言葉を聞いて僕たちも大きく頷くと、そのまま後ろの馬車へと乗り込んだ。 「それじゃ、出発するよ!」  竜に乗ったシュルツさんは、優しく竜に語り掛ける。 「さあ、出発だ」  それを合図として、竜は起き上がる。竜の大きさはなかなかある。跪いていたから正確なサイズが解らなかった、ということもあるけれどこう見ると圧巻だ。  そうして竜と、連結している僕たちを乗せた馬車はゆっくりとエノシアスタの町を後にするのだった。  ◇◇◇  竜馬車の乗り心地は事前に言われていた状態と比べると、とても心地よいものだった。もっとガタガタ揺れるものかと思っていたけれど、これなら普通の馬車と変わりないような気がする。  内装はかなり豪華な様子になっていて、椅子もふかふかになっている。このまま眠ってしまいそうだったが、それが『しまいそう』で済んでしまうのには理由があった。  理由は単純明快。どうやらあまりにも仕事が無かったためか、竜馬車の中身がシュルツさんの私物がたくさん詰められている状況だった。まあ、それでも十分広さは確保されているので別に問題が無いといえば無いのだけれど。 「……しかしまあ、やっぱり馬車を契約して正解だったね。徒歩よりかは早いスピードであることは間違いないし」  ルーシーの言葉に頷く僕。  確かにそれはその通りだった。車窓から見える景色はかなりスピードが速く流れている。確かにトラックと比べればそのスピードも大したものではないのかもしれないけれど、それでも徒歩で向かうよりかはマシだ。 「それにしても、このペースなら日が暮れないうちに到着しそうだな」 「そうだったらいいんだけどね。夜ならちょうど侵入も出来そうだし」  こくり、と僕は頷いた。  実際、もし研究施設が存在するならばその監視体制も厳重になっていることだと思う。何せ、メタモルフォーズの巣によってカモフラージュしているのだから。もしそうじゃなかったとしても太陽が出ているうちよりかは沈んでいたほうがメタモルフォーズに見つかりにくい。ならば沈んだ後の時間がどちらにせよ都合がいいということだ。 「それにしても……」  レイナは僕たちの会話の後に続いた。  うん? 何か気になることでもあっただろうか。 「この大きな武器……何だと思う?」  それは僕たちの背凭れの後ろにあるスペースに入りきらないほど大きな銃だった。ガトリングみたいにも見えるけれど、しかしその大きさはとても一人では抱えることが出来ないように見える。  いったい誰の持っている武器だろうか、なんて考えるのは野暮なことだろう。どう考えても九割九分はシュルツさんの武器だ。しかし、シュルツさんがそれくらい大きな武器を活用する時期があったのだろうか?  まあ、でも、行商はいろいろな危険を躱しながら目的地へと無事に到着することを目的としている。何も無ければいいのだけれど、何かあったときに武器が無ければ対抗出来ない。だからそのようなものがあるのだろう。多分。 「だからといって質問するわけにもいかないしなあ……」  そんな質問をしたところで護身用と答えられるのがオチだと思う。  だから僕は質問することもなく、そのままにしておいた。きっと、それを思っているのは僕だけではないと思う。三人ともそう思っているだけで、ただそれ以上議論を発展させないだけ。  そう考えるのが当然。  そう考えておくのが必然。  きっとそれ以上考えたところで袋小路に迷い込んでしまう話になってしまうことだと思うから、誰もそう言い出さないだけだと思うけれど。  斯くして。  僕たちは一つの秘密を共有したまま向かうことになる。  メタモルフォーズの巣にはいったい何が隠されているのか。  そしてメアリーは、僕たちの予想通りメタモルフォーズの巣に隠された研究施設に居るのだろうか。  そんな思いを乗せたまま、竜馬車は進んでいく。  ◇◇◇ 「君には別の場所へ行ってもらうこととなった」  朝、単刀直入にバルト・イルファが私にそう言った。  一体全体何があったのか私には解らなかったけれど、きっとそれを質問したところで答えてはくれないのだろうな。 「……怖いから睨み付けないでおくれよ。いいかい? 僕たちだってやることがある。そしてそのためにも別の拠点へと向かう必要がある、ということだ。君には場所を教えておこうか」  一歩私に近付いて、さらにバルト・イルファの話は続く。 「スノーフォグの北にあるチャール島、そこには『邪教』としてオリジナルフォーズを祀る神殿がある。そこへ向かうことになるだろう。なに、そう難しい話じゃない。そして、ここを捨てるつもりはない。ここは研究施設だからね。君をこのままこの場所に放っておくわけにもいかないということだ」 「……別にこのままでいいじゃない。どうして場所を変える必要があるのかしら?」  漸く。  漸く私はその言葉を口にすることができた。  しかし、バルト・イルファはそれにこたえることはなかった。  そしてバルト・イルファは――そのまま姿を消した。  それからバルト・イルファがやってきたのは、少ししてからのことだった。私が持っていた荷物をそのままバルト・イルファは持っていたので、てっきり返してくれるものかとおもったがそんなことは無く、私にここから出ろと言ってきた。  従わなければ何が起きるか解ったものではない――そう思った私は、それに従うこととした。 「少々急になってしまい申し訳ないが、今から出発する。なに、簡単だ。魔術を行使していけば一瞬で行くことができる」 「だったら急ぐ必要は無いんじゃない?」  廊下を歩きながら、私はバルト・イルファに問いかけた。 「……だから言っただろう。急になってしまったが、と。急にならざるを得ないことが起きてしまった、ということだ。それくらい少しは理解したらどうだ?」  その言葉を聞いて少々苛ついたことは確かだけれど、それを口にするほどでも無い。そう思った私はそのままバルト・イルファに従うこととした。場所が解らない以上、ここでバルト・イルファに抗ったとしても簡単に逃げることは出来ないだろう。陸続きならまだしも、ここが絶海の孤島という可能性だって十分に有り得るわけなのだから。  それに、魔術を行使して移動することもそれを考慮してのことだろう。陸路ないし海路で移動するとなると仮に目や耳を塞いだとしてもそれ以外の方法で察しがつく可能性がある。そう判断して魔術で瞬間的に移動させ、究極的に外へ出させないという結論に至ったに違いない。  結局、色々な案を脳内でぐるぐるシミュレートしてみたけれど、そのどれもが実行不可能であることを理解して、今はバルト・イルファに従うしか無い。そう考えるしか無かった。もしフルたちが今ここに向かっているとするならば、完全に行き違いになってしまうのだけれど。 「……どうかしたかな?」  ふと前を向くとバルト・イルファが踵を返して立ち止まっていた。どうやら私の様子を気にしていたらしい。バルト・イルファが私のことを? そう考えると、一笑に付してしまうこともあるけれど(そもそもバルト・イルファがそんなことをするとは考えられなかった)、しかしそれ以上のことを私は言うことはなかった。  そして、バルト・イルファもそれ以上のことを語ることなく、そのまま踵を返すと歩き始めた。  ◇◇◇  竜馬車がメタモルフォーズの巣に到着するまで、それから半日ほど経過していた。  あまりにも乗り心地がよかったので眠りについていたけれど、 「おい、到着したぞ。……ってか、どこがゴールになるのか明確に教えてもらっていないわけだけれど」  シュルツさんの言葉を聞いて、僕たちは目を覚ました。僕たち、と説明したのは単純明快。簡単に言えばルーシーもレイナも眠っていたということだ。彼らも乗り心地が良かったから眠りについたのだろう――そうに違いない。  そんな根拠もない机上の空論を考えながら、僕は窓から外を眺めた。  見ると景色は想像通りの岩山が広がっており、見るからに何か出てきてもおかしくなかった。 「……なあ、どうしたんだ? 今からどこへ向かうのか教えてくれてもいいと思うのだけれど。メタモルフォーズの巣といってもきちんとした場所は判明していないわけであるし」 「あ、ああ。そうだったっけ。まあ、そんなに遠くない場所だったはず。……確か粘土細工のような無機質な塔があったはずだけれど」 「その塔だったら、そこにあるよ?」  シュルツさんが後ろを指さす。  すると確かに、その通りだった。目と鼻の先の距離に粘土細工のような塔があった。  塔の根元は岩山になっており、洞窟が広がっているように見える。そしてその洞窟は――。 「メタモルフォーズが見張っている、と……」 「まあ、明らかに怪しいわな。けれど、あれを掻い潜っていけるほど戦力はこちらにないぞ」  言ったのはルーシーだった。  それについても首肯。 「……首肯するのはかまわないけれど、フル、何かアイデアでもあるのかい? 無いのならば、あまり無策で飛び込むわけにもいかないと思うけれど」 「それくらい解っているさ」  状況は把握している。  そして、どうすべきかも理解している。  けれど、それをどう対処すべきか――一番具体的で、一番重要なポイントが浮かんでこない。由々しき事態ではあるけれど、事態の緊急性を知っているけれど、けれどそれが浮かび上がってこない。 「……聞かせてもらったけれど、君たちは友達を探しているのだろう?」  シュルツさんの声を聴いたのは、ちょうどその時だった。  顔を上げると、シュルツさんは笑みを浮かべていた。 「はっきり言って、君たちは昔の僕と同じだ。未来に希望を見ていたころの僕と同じだ。そして、彼女を失う前の僕と――」  そうして。  シュルツさんは竜馬車に入っていたモノを手に取った。  それはガトリングだった。――けれど、正確に言えば銃の要素もあり、槍の要素も見えた。遠距離型武器と近距離型武器のいいとこ取り、とでもいえばいいだろうか。いずれにせよ、その武器が今まで見たことのないタイプであることは容易に理解できたことなのだけれど。 「今ここで諦めたら何もかも終わってしまうぞ、少年」  ガトリングから延びるネックストラップを首にかけて、頷く。  そうして、シュルツさんはスイッチを入れた。 「今ここで諦めたら何もかも終わってしまうぞ、少年」  ――そんなかっこいいことを言ってみたけれど、結局僕にはこれしか選択肢が無かった。  結局、僕にはこれしか無いんだ。  自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせる。  僕もかつては彼らみたいに旅をしていた――けれど、それは失敗してしまった。彼女を失ってしまってから、僕はずっと悲観に暮れていた。彼女のために、将来を考えようと思っていた。その矢先だったのに。  それを変えてしまったのは、メタモルフォーズだった。 「……結局、お前たちが何もかも変えてしまった」  ぽつり。  ほんとうに誰にも聞こえないくらいの小さな声で、僕は呟いた。  メタモルフォーズ。  どこからか、いつからか、何度人間が駆除しても姿を見せるその存在は、この世界が人間に与えた試練と言っていた人もいた。  でも僕はそんなものくだらないと思っていた。  試練だというのならば、こんな辛い試練僕は受けるなど一言も言っちゃいない。  神様は非常に残酷だ。  残酷で、非情で、絶望しか与えない。  そんな神様は、信じる価値など無い。  僕はずっと、そう思っていた。  逃げ続けていたばかりの僕に、もう一度メタモルフォーズを倒すチャンスを与えてくれた。  それはきっと神様と、あの少年たちに感謝しなければならないだろう。  僕はあのとき死んだ人間だ。いや、死ぬべき人間だった。  けれど生き残った。今もしぶとく生きていた。  そして、僕の目の前には昔の僕と同じように――今を生きている少年たちがいた。  ならばその少年たちのために、最後の命を使うのも悪くない。  そう思って、僕はその銃の引き金をゆっくりと引いた。  ◇◇◇  シュルツさんが撃った弾丸は、メタモルフォーズに命中した。  でも、それだけだった。  その弾丸一発だけでメタモルフォーズの勢いが止まるはずはなく、メタモルフォーズはなおも動きを止めない。  このままだとシュルツさんは――! 「シュルツさん――!」 「いいんだ、君たちは前に進め! まだ失いたくないものが、あるというのならば!」  そうして。  シュルツさんは――僕たちの目の前で、メタモルフォーズの足に踏みつぶされる。  呆気なかった。  一瞬だった。  それを冷静に見ることの出来た僕たちは――もしかしたら、異端だったのかもしれない。  僕たちは、前に歩み続けないといけない。 「……フル。行こう」  そして、最後のひと押しを、ルーシーが言ってくれた。  ほんとうに呆気なく、ほんとうに悲しい気持ちもあった。  けれど、僕たちは前に進むしかなかった。  メアリーを助けるために、前に進むしかなかった。  ◇◇◇  私は魔方陣の中にいた。  魔方陣は私がラドーム学院から出発したときと同じもの。つまり転移魔方陣、ということ。転移するためにも魔法が必要というのは厄介な世の中ではある。もうちょっとうまくできる方法は無いものかな。ほら、例えば、スノーフォグには科学一辺倒の都市があるくらいだし、その都市が何か開発していることは無いのだろうか。……まあ、無いのだろうね。もしそれが開発されていたとしても、それはきっとスノーフォグにしか流通しないだろうし、秘密裡にリリースされているだろう。 「……準備もできたところだし、もういつでも君を別の場所に飛ばすことができる。ほんとうはあのお方に会わせてからのほうがいいと思うのだけれどね……。まあ、あのお方も暇じゃない。だからここでいったん、先に君には移動してもらうという話だ。まあ、いずれ会えることだろう。君とあのお方は、そういう運命にある」  長ったらしい言葉だったけれど、うまく実感が沸かないのは事実。だって『あのお方』というのが誰だか解らないし、そもそもの話をすれば、私はその人のことを知る必要もない。運命とか信じていない、というところもポイントだけれどね。  それはそれとして。  この魔方陣にされるがままになっているわけだけれど、私だって少しはどうやって脱出すべきかを考えている。けれど、はっきり言ってこのままではフルたちとの合流は愚か脱出するのも難しいと考えている。だって、ここがスノーフォグなのか、ハイダルクなのか、はたまたレガドールなのか解らない、まったく未知の場所に居るのだから。せめてそれだけでも解ればまだ対策も立てられそうなものだけれど、しかしそれはバルト・イルファが許してくれるとは思えない。窓も無ければ図書室にも場所を示す蔵書も無かった。そうとなれば、この場所を教えてくれる手がかりなんて一つも無いわけで。 「失礼します」  魔方陣の部屋に私とバルト・イルファ以外の人間が入ってきたのはその時だった。扉は閉まっていたはずだったけれど、ノックをすることなく入ってきた。  ふつうはノックくらいするんじゃないかな、とかそんなことを思っていたけれど、 「……ノックをするのが常識だと習わなかったかな?」  その気持ちはバルト・イルファも同様に抱いていたようで、入ってきた男にそう問いかけた。  しかし男は軽く頭を下げただけで、話を続けた。 「申し訳ありません。しかし、しかしながら……侵入者が入った模様でして」 「侵入者、だと? ふむ、しかし入口にはメタモルフォーズが居たはずでは?」 「メタモルフォーズは侵入者のうち一名を捕食しています。ですが、残りの二名が……」 「もしかして、フルとルーシーが!?」  私のその言葉を聞いてバルト・イルファは静かに舌打ちをする。まさか私もこんなに早くフルたちがやってくるとは思っていなかったけれど、それはバルト・イルファも同じだったようで、 「急いで転移をさせる。……今、ここで君を彼に引き渡すわけにはいかない。こうなったら意地でも君を大急ぎで転移させる」  そう言ってバルト・イルファは目を瞑った。  刹那、私の視界が徐々に緑色に染まっていく。  バルト・イルファはそこまでして私とフルを再会させたくないのだろうか。でも、どうして? なぜ? そんな疑問が頭を過るけれど、けっして今の状態がいいことではない。それは火を見るよりも明らかだ。 「そうして、世界は消えていく。粛清へと歩みを止めない。それが一番だ。ベストだといってもいい」 「あなたはいったい……何のためにこんなことをするつもり?」  私は、最後にバルト・イルファに問いかけた。  バルト・イルファは笑みを浮かべて――言った。 「僕をこんな運命に仕立て上げた、神様の作ったレールを破壊するため、かな」  その言葉を最後に――私の意識は途絶えた。  ◇◇◇  僕たちは施設の中に入っていた。  施設、と言ったのは簡単なこと。洞窟の入り口かと思っていたのだけれど、いざ中に入ってみたら広がったのは鉄板で出来た壁だった。いくら何でも鉄板が自然で出来たとは考えられない。ということは、この壁は人工の壁だということに、容易に説明が出来る。  問題はこの場所の全容だ。扉が開いていたから何とか中に入ることが出来たものの、あの塔も含めて岩山全体がこの施設であるとするならば、攻略するのは難しいかもしれない。  しかし、メアリーを救うためだ。どうこう言っていられる場合ではない。 「……メアリーを助けるためには、もうなりふり構っていられないんだ……!」  目の前で、シュルツさんを失った。  彼のためにも僕たちはメアリーを助けなくてはならない。必ず。 「しかし、フル。こんな広い場所を簡単に探すことなんて出来ないと思うのだけれど?」 「それはそうだけれど……。でも地図とか無いしなあ」  これがロールプレイングゲームとかならば、きっとどこかに地図が落ちているか、セレクトボタンとビーボタンを同時押しすると地図が表示されるはず。けれどここは現実。異世界ではあるけれど、現実ということには変わりない。  そういうことだから、現物の地図を探す必要があるということだ。  しかし、はっきり言ってこのような場所に地図がご丁寧に置いてあるとは思えない。となるとやはり自分の方向感覚を頼りに闇雲に進むしかない――そういうことになる。 「……とにかく、ルーシー。このままいくべきだとは思わないか?」  だから僕は、ルーシーにそう言った。  別にルーシーだけに言ったわけじゃない。確かにルーシーの名前しか言っていないけれど、レイナもその発言を聞いて同じように頷いていた。  とはいえ、この状態が好転するものではなかった。  この場所の構造が判明しない以上、何かあったときに逃げることが出来ない。あるいは作戦を立てるときに厄介なことになる――それが面倒なことだった。  その時だった。  ドシン。  何かが響く音が聞こえた。 「……なあ、フル」 「ああ、ルーシー」  聞こえたのは僕だけじゃなかったらしい。ルーシーもそう言ったので、僕は頷く。  そしてそれはレイナも一緒だった。  いったい、何の足音だったのだろうか? ……ここでなぜ僕が足音と明言したかというと、すぐにその影が見えたからだ。 「……なあ、あれ」  あれはどう見ても人間の影ではない。  もっと違う、大きな、獣……?  ずしん。びちゃり。  先ほどの足音に追加して、何か濡れているような音も聞こえる。  獣は濡れている……? 「いや、違う。獣じゃない……! あれはまさか……!」 「いひひ。そうさ、その通りだよ。あれはメタモルフォーズさ」  そこに居たのは、白髪頭の眼鏡をかけた男だった。不敵な笑みを浮かべていた男は、どこか不気味に見える。 「お前は何者だ……?」 「僕かい。僕の名前は……そうだねえ、自分の名前をそう何度も言うことは無いから、覚えてもらう必要も無いよ。ドクターとでも言ってくれればいいんじゃないかな。いひひ、でも会う機会はもう無いと思うけれどね」  そう言ってドクターと言った男は眼鏡をくい、と上げて、 「なぜなら君たちは僕の開発したメタモルフォーズに蹂躙されるのだから!!」  刹那、ドクターの背後には巨大な獣が登場した。  その獣は今まで僕たちが見てきたメタモルフォーズ――厳密に言えば、エルフの隠れ里で出会ったそれと同じような感じだったけれど――とほぼ同じ容姿をしていたけれど、その身体自体はゼリー状になっていた。プルプル振動している、とでも言えばいいだろうか。 「……まさか、それもメタモルフォーズだというのか……?」 「どうやら、メタモルフォーズがどういうものであるのか、君たちはまだ理解していないようだけれど。メタモルフォーズはどのような容姿でも問題ないんだよ。もともとのメタモルフォーズ……オリジナルフォーズからの遺伝子を取り込んでいれば。そして、そこから改良されていれば」 「オリジナルフォーズ……」  ということは、彼ら研究者はオリジナルフォーズの遺伝子をどこかで所有していて、それを自由勝手に研究・開発をすることによってメタモルフォーズを生み出している――ということになる。 「研究のためだけに……人々を不安に陥れている、ということか!」 「研究。そうだよ、メタモルフォーズは人間の進化性、その一つとして挙げられている。そして僕もそのように考えている、ということ。それによって何が生み出されるのかはあまり明確に考えていない科学者も大半だけれど……、けれどそんなことよりも、僕は人間の進化の可能性以上のことを考えている。それはきっと君たちに話しても解らないことだと思うけれどね。君たちがここに居る時点で、ただの社会科見学、ということにはならないだろうから。いひひ! それにしても、勇者という職業は面倒なことだねえ。自ら、危険なところに首を突っ込むのだから。少しは休憩したいとか、面倒だとか、考えたことは無いのかい? ……まあ、僕の言葉は戯言だから、別に気にすることもしないのかもしれないけれど」  そうして、ドクターと呼ばれた男は僕たちに向かってこう言い放った。 「さあ、このメタモルフォーズに勝てるかな?」  ドクターがそう言った刹那、メタモルフォーズは動き始める。どうやら僕たちを明確な敵と認識しているらしい。厄介なことだった。せめてその研究者も敵と認知していればよかったのだけれど、分別は良かったほうだった。 「感心している場合じゃないぞ、フル。どうするんだ、これから!!」  問題は山積みだった。  メタモルフォーズに追われている状況をどうにかしなくちゃいけない。  しかも今はメアリーが居ない……。つまり、僕とルーシー、それにレイナで何とかあのメタモルフォーズを退けないといけないわけだ。 「何を勘違いしているか知らないが……、このメタモルフォーズはただのメタモルフォーズではない! 行け!」  そう言った直後、メタモルフォーズは通路を覆い隠すほどの水を放出した。  ドクターは別の通路に逃げてしまったためか水を浴びることはなく、そのまま僕たちはメタモルフォーズから放たれた水をもろにかぶってしまった。  水は若干粘度があったが、無臭だった。簡単に言えば、砂糖水のような感じだった。 「げほっ、ごほっ……。いったいこれは何だっていうんだ……!」  そしてそれを見計らったかのように、ドクターは笑みを浮かべ、 「管理者権限で以下の命令を実行する! 命令コード001、対象はお前の水を被った三名!」  そう叫んだ。  ドクターの言葉を聞いて、それに反応するかのようにメタモルフォーズの頭部にあった赤い球体が光りだす。 「貴様、いったい何をした!」 「命令コード001は殺しの命令だよ、この場所の秘密を知ってもらっては困るのでね。まだ僕はここでいろいろと研究をしたいからねえ、いひひ!」 「そんな自分勝手なことを……!」 「ああ、そんなことを言っている場合かな? 君たち、別に気にしているのかそれともその身体を神に捧げるつもりなのかは知らないけれど……、どちらにせよ君たちには勝ち目が無いよ。一応言っておくけれど、このメタモルフォーズは水を操作することが出来る。君たちの体内に含まれている構成要素、その八割が水分と言われているのは周知の事実であると思うけれど……、それを操作されてしまったら、どうなるだろうねえ?」  ぞっとした。  背中に悪寒が走る――とはまさにこのことを言うのだろう。いずれにせよ、このままでは大変なことになる。先ずはそれをどうにかしないといけない。ああ、メアリーを探さないといけないのに、こんな厄介なことに巻き込まれてしまうなんて!  そこで僕はふと、何かに気付いた。  もしかして――ここの研究員は僕たちが入ってくることを最初から察知していた?  だとすれば話は早い。僕たちが予めそこから入ってくるように仕組んでおいて、そこにメタモルフォーズを待機させる。そういうことで確実に僕たちを排除する狙いがあったとすれば? 「すべてあの研究者の掌に踊らされている、とすれば……」  それは非常に厄介であり、かつ非常に面倒なことだった。  しかし、どうすればいいのか……。 「何してんだ、フル!」  そこで僕は我に返る。  メタモルフォーズが走り出したのだ。それを見ていて何も動じなかった僕を見ておかしいと思ったのだろう。ルーシーがすぐに声をかけて、肩を揺すった。  そして目の前に迫るメタモルフォーズを見て、踵を返した。  先ずは逃げて時間を稼ぐ必要がある。  そう思って僕たちは大急ぎで走り出した。  ◇◇◇  バルト・イルファはモニタを見ていた。  そこに映し出されたのは、フルとルーシー、それにレイナが逃げている姿だった。 「……それにしても、あの時と比べると若干メンバーが増えているね。何の意味があるのか解らないけれど……、まあ、彼にも彼なりの考えがあるのかもしれないね。あの時も、確か結局それによって一つの結末を迎えたわけだし」 「どうするつもりかな? バルト・イルファ」  彼の背後には、フランツが立っていた。  声を聴いて、振り返るバルト・イルファ。 「……おや、フランツ。研究は休憩中かい?」 「侵入者と聞いて、安心して研究が出来るわけがないでしょう? しかもそれが予言の勇者というのであれば猶更です」  溜息を吐いて、モニタを見るフランツ。  フランツはモニタに映るフルとルーシーを見て、首を傾げる。 「それにしても、勇者は意外と若いのですね。ほんとうに、メアリーと変わらないくらい。簡単にメタモルフォーズどころか大人に殺されてしまいそうな子供ですけれど。ほんとうにこの子供が予言の勇者なのですかね?」 「気になるようであれば検証すればいいさ」  バルト・イルファは歌うように答えた。 「検証? そんなこと出来るとでもお思いですか。ただでさえ資金が枯渇してきそうであるというのに、そんなこと出来るわけがないでしょう。お上からの指示もまだ到達していないというのに……」 「結局、オリジナルフォーズそのものを起こすしかないわけだろ? 今までわざわざあの島に何度も遺伝子を手に入れるために肉片を回収してきたけれど、それにも限界がある。というかその処置自体暫定処置だった。暫定、というからには終わりが必ずある。そして、その後の対応が、オリジナルフォーズの覚醒……ということだ。そうだろう?」  フランツは苦虫を噛み潰したような顔をしてバルト・イルファを睨みつけた。 「君が何を知っているというのですか。所詮ただの研究結果の一つに過ぎないあなたが? 知ったような口で物事を語るのはやめたほうがいいですよ」 「果たして、そうかな。結構的を射ている発言だとは思うけれど」 「そう言っていられるのは外野の人間であると相場が決まっているのだよ。……いや、細かい話ではあるが、君は外野の人間は無いけれど、内野の詳しい事情を君は知らない。そういう人間がどうこう言おうとしたって、何も変わらないのが事実だし真実なのだよ」 「……そう回りくどい話をしても、結局意味は無いと思うけれどね?」 「意味があるか無いか、ではないよ」  フランツは頷いて、モニタに背を向ける。 「どこへ向かうつもりだ?」 「どこへ、と言ってもね。研究はまだ終わっていない。いや、そう簡単に終わっちゃいけないものだからね。先ずはそれをどうにかする必要がある。お上もそう言っているからね」 「だが、お上が言っていることってそう簡単にクリアできるものでもないだろう?」  フランツは出口に向かって歩きながら、笑みを浮かべた。  そして何も答えないまま、外へ出ていった。  バルト・イルファは溜息を吐いて、モニタに視線を移す。 「……結局、この世界をそう簡単に変えることなんて出来ない、ってことなんだろうな……」  バルト・イルファの呟きは、誰にも聞こえることなく、自然に消えていった。 ◇◇◇  僕たちは何とか右や左に角を曲がり、少しずつ距離を稼いでいった。  そうしてようやくある場所へ逃げ込むことが出来た。  第四倉庫と書かれた名板を見て、僕は何か隠れられないか――と考えた。  しかし、その考えはすぐに捨てることになった。 「フル。やっぱり、あのメタモルフォーズは倒すしかないんじゃないか?」  ルーシーの言葉を聞いて、僕はその言葉を受け入れなくてはいけないと思った。  やはり、あのメタモルフォーズを倒さないといけないのか。しかし、どうやって? あのメタモルフォーズは全体的にゼリー状で、とてもじゃないが斬撃が通る相手とは思えない。となると剣や弓での攻撃は不可能と言ってもいいだろう。  では、魔法なら?  しかしながら僕たちは今までメアリーに助けられっぱなしである事実を考えると、それも難しい話だった。それに僕もルーシーも高度な魔法を知らない。だって予言の勇者という肩書きこそあるけれど、僕たちはただの学生だ。学生に出来る魔法なんてたかが知れている。  となると、このままでは手詰まりだ。  ならどうすればいいだろうか……。  一先ず、倒すとするならば使えそうなものはフルで活用していったほうがいい。そう考えて僕たちは倉庫の中を探してみるのだが、 「ねえ、フル。これっていったい何かな?」  ルーシーがあるものを指さした。  それを見て僕は首を傾げる。  そこにあったのはモーターがつけられた大きな機械だった。そしてその機械の隣には燃料が入っているとみられるドラム缶が多く置かれている。 「……これは発電機のようだね。きっともともとはどこかで電気を作っているのだろうけれど、緊急時のために置いているのだろうね。こういう施設だから電気が無いとやっていけないのだと思うよ。それに、これは……?」  燃料の入っているドラム缶から少し離して、幾つかの薬品が入っているドラム缶を見つける。  それにはラベルが貼られており、やはりここが何らかの研究施設であることを改めて認識することとなる。 「これは……水酸化ナトリウム? ということは……」  僕は学校で習った知識を思い出す。確か水酸化ナトリウムと電気……何か法則性があったはず。なんだ、思いだせ。思い出すんだ……!  そして、思い出した。 「これだ……!」  そして、ルーシーとレイナにそれを告げる。 「これなら、あのメタモルフォーズを倒すことが出来るかもしれない!」 「成る程……。でも、無茶じゃないか!? そんなこと、実際に出来るかどうか……」 「出来るかどうかを考えるんじゃない。出来ると思って考えないといけない。この作戦なら絶対にあのメタモルフォーズを倒すことが出来る。だから、何とか頑張るしかない」 「けどこのドラム缶をどうやってあそこまで!?」 「あら、ルーシー。何か忘れていないかしら」  そう言ったのはレイナだった。レイナはあるものをひらひらと僕たちに見せつけるように持っている。  それを見たルーシーは目を丸くして、「あ!」と何かを思い出したかのように驚いた。 「そうか、それを使えば確かに……!」  ルーシーも作戦を理解してくれたのを見て、僕は大きく頷いた。 「さあ、時間が無い。あとは作戦を実行するだけだ。急いであいつを倒して、メアリーを探さないと!」  その言葉にルーシーとレイナは大きく頷いた。  メタモルフォーズが倉庫の中に入ってきた。迷う様子もなく一目散に入ってきたところを見ると、やはり水による探索機能はまだ生きている、そして嘘ではないということになる。それにしても、ほんとうに厄介な機能だと思う。そのような機能を付けるということは、相手を確実に死に追いやるということも考えられているのだろう。  それはさておき。 「いいか。レイナ。チャンスはおそらく一回きりだ。これを逃すとメタモルフォーズを倒すことは出来ないだろう。……まあ、別にここだけがタイミングを逃すとマズイところかと言われると、そうでもないのだけれど」 「解っているわよ。それに、そちらもきちんとタイミングを守ってよね? 私がうまくいったとしても、ダメになる可能性があるのだから……」  それくらい、百も承知だった。  だからこそどうすればいいとかそういうことを考えていて、最終的に僕が入口で監視することになった――そういうわけだ。ただし、それは入口にある荷物の上に居る、ということになるので、正確にそうであるかは言えないかもしれないけれど。 「今だ、レイナ!」  そうして、メタモルフォーズがあるポイントに到着した。  レイナはその瞬間、ある薬剤が入ったドラム缶に転移魔方陣が描かれた紙を貼付した。  その転移先は――メタモルフォーズの頭上。  そしてドラム缶は重力に従うままに、床に落ちていき、メタモルフォーズに命中した。  いや、正確に言えばメタモルフォーズから少し外れた位置であったが、むしろそちらのほうが、都合が良かった。  薬剤を取り込んだメタモルフォーズだったが、それが何を意味しているのかメタモルフォーズ自身も理解していないようだった。 「ルーシー、今だ。スイッチを押せ!」  今度はルーシーにスイッチを押すよう言う。  そのスイッチとは――発電機のスイッチだった。  そしてルーシーは大きく頷くと、彼の手元にあった発電機のスイッチを入れた。  一瞬だった。  床に置いてあった端子から電気が放出され、メタモルフォーズに電気が流れる。  もし、メタモルフォーズの主成分がただの水であれば、ただ水に電気が流れるだけで終わってしまうだろう。  ただし、メタモルフォーズにある薬剤が溶け込んでいるとしたら?  水酸化ナトリウム。  水に溶かし、電気を流すことによって電気分解をすることが可能になる薬剤のことだ。水は水素と酸素に分解される、電気分解という現象。それは、大規模な電気を生み出すことの出来る発電機と、大量の水酸化ナトリウムが溶けたメタモルフォーズが加わることで急激な電気分解が可能となった、ということだ。  メタモルフォーズは苦しみながら、雄叫びをあげながら、徐々にその身体を小さくさせていく。  メタモルフォーズは相当大きい質量であったが、その全体が水素と酸素に分解されるまで、そう時間はかからなかった。  そして、最終的にメタモルフォーズの頭部にあった赤い球のみが残されて――地面に落下し、四散した。 「……倒した?」  ルーシーは発電機のスイッチを切ったことを確認してから、荷物の上から降りた。  そこに残されていたのは、何もなかった。水素と酸素は空気に溶け込んでしまい、最後に残された赤い球体もまた風に吹かれて消えてしまったのだから。 「どうやら、そのようだね。……それにしても、メタモルフォーズを何とか倒すことが出来た。これで何とかメアリーを探すことが出来る。いや、何とかなったね」 「まさか……ほんとうにあのメタモルフォーズを倒すことが出来るとは……!」  その声を聴いて、僕たちは入口のほうを向いた。  そこに立っていたのはドクターと呼ぶ男だった。 「ドクター……だったか。お前のメタモルフォーズは既に倒したぞ。もうこれ以上秘策があるとは思えないがな」 「ぐぬぬ……。解ったような口を聞きやがってっ! それくらい解っているというのに! ……ええい、解った。これ以上無駄に技術を使うわけにもいかないし、まだ我々には次のミッションが残されている。だからこそ……」  ドクターはポケットにある何かのボタンを――押した。  刹那、地面が揺れ始める。  立っていられないほどの、大きな揺れだった。 「お前、いったい何をした!?」  ルーシーがドクターに問いかける。 「何をした? 簡単なことだよ、証拠の隠滅だ。これ以上この場所を残していても我々シグナルのためにはならない。それどころか世間にメタモルフォーズの知識が広まってしまう。それだけは避けなくてはならない。避ける必要があるのだよ。いひひ! まあ、せいぜい死なないように逃げることだね」  それだけを言って。  ドクターは一目散に走っていった。 「おい、どうするんだ! メアリーを探さないといけないし、このままだと……!」 「それくらい解っている……! だが、今は逃げるしかない!」  ほんとうは僕だってこの状況からメアリーを探したかった。  けれど、今は逃げるしかなかった。潰されてしまうよりはマシだった。メアリーも無事であることを祈るしかなかった。  だから、出口へと向かう。  僕とレイナ、それにルーシーは先ほど入ってきたところへと――戻っていった。  メアリーが無事であるということを、ただただ祈りながら。  僕たちが外に出た、ちょうどのタイミングで研究施設の入り口が崩落していった。 「……間一髪、だったのか……?」  ルーシーの言葉に、僕は頷く。  まさかここまでギリギリだとは思いもしなかった。正直な話、もう少し余裕があるものかと思っていたからだ。  それにしても、この建物が破壊されてしまったということは――。 「また、メアリーの情報が手に入らなくなった、ということか……」  そう考えると、とても頭が痛い。ようやくメアリーについての手がかりを見つけ、おそらく捕まっているであろう場所まで到着した――にも関わらず、 「どうやら、敵のほうが一歩先を進んでいた、ということになるのだろうね……。かといって、メアリーはいったいどこへ行ったのだろう? まさかこの瓦礫の中に――」 「ルーシー!」  僕はルーシーの言葉を聞きたくなかった。  その可能性だって、十分に考えられる話ではあるけれど。  今はできる限り、考えたくなかった。 「フル、ルーシー! ……ちょっと、こっちに来て!」  声を聴いて、僕たちはそちらへと向かった。  僕とルーシーを呼んだのはレイナだった。レイナは瓦礫の中に何かを見つけたらしく、それで僕とルーシーを呼びつけたようだった。  レイナが見つけたのは杖だった。その杖は林檎のデザインがされており、僕もルーシーもよく見たことのある杖だった。 「これは、メアリーが持っていた……!」  そう。  メアリーが持っていた、シルフェの杖だった。  それがそこにあったということは、メアリーがここにいた証拠になる。  けれど、 「でも、メアリーがどこかに行ったという証拠にはならない」  ルーシーの言葉は的確だった。  確かにその通りであったし、逆にメアリーがここに埋まっているのではないか? という最悪の答えを考える可能性もあった。 「メアリー・ホープキンは生きているよ。君たちの想像通りね」  声が聞こえた。  それは、僕もルーシーもレイナも、聞いたことのあるやつの声だった。 「バルト・イルファ……!」  頭上には、バルト・イルファが浮かんでいた。いったいどのような魔術を行使したのか、僕には解らなかったけれど、そんなことよりもどうしてバルト・イルファがそれを僕たちに伝えたのか――それが妙に気になった。  バルト・イルファは僕を見つめて、言った。 「どうやら君たちは気になっているようだね。どうして僕がメアリー・ホープキンの居場所を知っているのか。そして、それをなぜ教える必要があるのか。確かにそう考えるのは当然かもしれない。けれど、それは君たちに絶望を与えるためだといってもいいだろう。君たちにはもっと苦しんでもらいたいからね」 「貴様……! バルト・イルファ、お前だけは、絶対に許さない!」  僕はバルト・イルファを睨み付けて、そう言った。  けれど空を飛ぶ敵に対しての攻撃手段を僕は持ち合わせていなかった。 「……まあ、せいぜい頑張るがいいさ。そうだね、ここまでやってきた君たちにはリワードを与える必要があるだろう」  指をはじいたバルト・イルファは踵を返して、最後にこう締めくくった。 「メアリー・ホープキンは邪教の教会にいるよ。そこがどこにあるかどうかは、まあいう必要も無いだろう。そこまで言うとヒントではなくなって、それはもはや解答を示すことになってしまうからね。だから、そこは自分で考えたまえ。寒い場所だから、急がないと凍えてしまうかもしれないよ?」  そうしてバルト・イルファは、今度こそ姿を消した。 ◇◇◇  帰り道。  僕たちは行きと同じように竜馬車に乗り込んでいた。  では、操縦者はだれか? 「……まさか、シュルツさんが生きているなんて思いもしなかったですよ」  僕はその思ったままのことを、口にした。 「確かにね。まさか、メタモルフォーズの足に踏みつぶされたと思わせておいて、ただ隠れていただけなんて」  シュルツさんが竜馬車でコーヒーブレイクをしていたのを発見した時は、驚きというよりも呆れてしまったと言ったほうが正しかった。  なぜ僕たちにも嘘を吐いていたのか――まずそこが理解できなかったし、なぜそんなことをしていたのか、とても気になった。  しかしシュルツさん曰く、 「別にそれについて言う必要もないだろう? ……あと、敵をだますなら味方から、というくらいだし」  現に岩山の陰にはメタモルフォーズの死体が倒れていた。  どうやら研究施設の入り口にカメラがあることを見破ったシュルツさんは、敢えて一回自分が死んだように見せかけて、カメラの死角となっている場所でメタモルフォーズを倒したのだという。いったいなぜカメラの死角が解ったのか――それについては、あまり教えてくれなかったけれど。 「取り敢えず、次の目的地は決まったのかい?」  最後に、シュルツさんは、言った。  その言葉に僕たちは大きく頷いた。  そして僕たちは次の目的地へと向かう。  そのためには一度、エノシアスタへと戻る必要があったわけだけれど。  ◇◇◇ 「シュラス錬金術研究所が、崩壊しただと?」  スノーフォグ国軍大佐であるアドハムは部下からの報告を受けて、目を丸くしていた。  シュラス錬金術研究所を任せたはいいものの、まさかこうも簡単に破壊されるとは思いもしなかったからだ。 「それもこれも、ついこの間やってきたあのキメラのせいだ……!」  キメラ。  正確にはそうではないのだが、いずれにせよ彼にとってあまり理解していない分野のことだからそう説明するほうが正しいかもしれない。そのキメラはスノーフォグの王自らがそこへ向かわせたため、アドハムもそのキメラに従わざるを得なかった。 「まさかそこまで出し抜かれるとは思わなかった……」 「いかがなさいますか?」  部下の言葉に、アドハムは頷く。 「我々は我々で進めるしか無いということだよ」  窓から外を眺め、 「予言の勇者の抹殺。我々の計画はプランエーから、プランビーへ移行する。ほかの人間にもそう伝えておけ」  傅いた部下はそのまま部屋を後にした。  アドハムの思惑、そのやり取りは彼とその部下を除けば、空から眺める月くらいしか解らないことであった。