リーガル城。  ハイダルクの首都にある城であり、その城下町のことを言う。  そして僕たちはゴードンさんに連れられて、王の間、その入り口へとたどり着いた。  階段を上った先にあったその入り口の両脇には兵士が立っていて、それぞれ守っているようだった。しかしながら彼らはゴードンさんよりも階級が低いためか、ゴードンさんを見かけるや否や敬礼をした。 「ここが王の間です。どうか、粗相のないように」  そう言って、ゴードンさんは立ち止まる。  どうやら、僕たちだけで王の間に入れ――ということらしい。 「……」  そして、僕たちはゆっくりと王の間へと、足を踏み入れていった。  扉の中は広々とした空間だった。松明の光で明るくなっているとはいえ、あまり日が入らないためか若干暗い部屋になっている。そして、王の頭上にあるステンドグラスから殆どの光が入っているようだった。ステンドグラスには林檎を抱えた女性が描かれていて――。 「フル・ヤタクミ、ルーシー・アドバリー、メアリー・ホープキン……か」 「はい」  王様の前では、その一言しかいうことが出来なかった。  王様は思ったよりも若々しかった。僕と見た目が変わらないくらい、年齢が同じなのではないかと――そう思ってしまうほどだった。 「そう固くしなくてもよい。楽にしたまえ。ラドームから話は聞いているよ。なんでもフル、おぬしが『予言の勇者』である、と……」  王様の隣には、禿げ頭の大臣と思われる人間が居た。  若い国王の補佐――とでも言えばいいだろうか。国王の表情を窺いながら、僕たちを監視するように睨みつけている。 「陛下。いかがなさいますか? 予言の勇者一行をハイダルクで保護する、ということになるのでしたら……」 「むろん、そのつもりだよ。しかしどこが空いていたかな。城下町の宿屋では、正直警護が完全に確保しづらい。となれば、やはり城の部屋になるか……」 「しかし城の部屋は埋まっているのでは? 兵士たちの居る寮ならば、空いているかもしれませんが」 「そこで良いだろう。何かあったとき、すぐに兵士たちが対応できる」  国王と大臣の短い会話を経て、国王は改めて僕たちのほうを向いた。 「……おっと、放置して済まなかったな。場所も決まったことだ。先ずは君たちを部屋に案内しよう。そして、明るいうちにこの町を案内させよう。案内は、ゴードンに任せることにするか」  云々と頷いて、国王は言った。  ゴードンさんに連れられて、僕たちは部屋に到着した。場所は国王が言っていた通り、兵士たちの宿舎の中にあり、すれ違う兵士たちに毎回敬礼されるというのは、少々こそばゆい気分にもなった。  部屋は二つ。男女でちょうど二人ずつになっているので、男女で分かれるほうが賢明だった。そして荷物を置いて、少し休憩してから僕たちは町へ繰り出すことになった。  城と町を結ぶ橋を、今度は歩いて渡り、城下町へと到着した。 「リーガル城の城下町は東西南北、四つのエリアに分かれている。商業、娯楽、住居、自然の分割になっていて、大抵そのエリア分割で成り立っている。ここは商業エリア。だから店も人も多い。住居エリアや自然エリアに行けば、もっと人は少なくなるし静かになる。……まあ、そんなことはどうでもいいことではあるが」 「どうしてそうエリアを分割したのでしょうか?」  ゴードンの説明に、最初に質問を入れたのはメアリーだった。  ゴードンは顎に手を当てて首を傾げ、 「ううむ、それはあまり解らないのだよ。何せ随分と昔からこのルールが適用されているものだからね。しかし、これによって税率を決定することが出来るようになったから、もしかしたら国民のことよりも国政のことを思って計画されたものなのかもしれないな」  成る程。  確かにそれならばエリアごとに政治体制を変えていけば簡単に政治を行うことが出来る。頭のいいやり方だったかもしれない。けれど、それはきっと僕の居た元の世界では当然できることではないと思うけれど。  それにしても、この道はとても広かった。馬車が通っても全然邪魔にならないほどだったことを考慮すればそれは当然のことだったし、そもそもこの道自体が城から入口までずっと真っ直ぐな道なので特別な道だということは理解できることだし、それによってこのような広さが維持されているのだと思うと納得できる。 「この町は美味しいモノが集まっている、グルメな町とも言われている。どうだい? 何か食べてみる、というのは。今は食べ歩きがこの町のトレンドになっているんだ」  ゴードンさんはそう言って、僕たちに提案した。  ちょうど僕たちもお腹が空いていたところだった――そう考えていた僕たちに、イエス以外の解答は有り得なかった。  それにしてもこの世界での食べ物って、どうして元の世界のそれと変わらないのだろうか。  今僕が食べているのは焼きそば。名前こそ違っているが、味はほぼ変わらない。さすがにレシピまでは教えてくれなかったが、キャベツにベーコンに、味付けにはソースを使っているはずだ。……もしかして異世界でも焼きそばがブームなのか?  そんなバカな、というセルフツッコミを入れて、僕は考えるのをやめた。  ちなみにこの道はとてもきれいだ。きれい、というのはゴミが落ちていない――ということである。けっこう目につく距離にゴミ箱が設置されているためだ。しかし、ゴミ箱が設置されているだけで人がゴミを捨てるかと言われるとそうではない。『ゴミ箱があるからゴミを拾おう』という価値観が確立されていない限り、そんなことは出来ない。 「よう、兄ちゃん! アピアルはどうだい? 新鮮でとってもおいしいぜ。それに食べると元気になる」  焼きそばを食べていた僕にそう声をかけてきたのは、青果店――元の世界で言うところの『八百屋』のような場所に居た人だった。ねじり鉢巻きをつけて、僕に何かを見せつけている。それがアピアルというものなのだろう。しかしながら、それはどう見ても林檎の類にしか見えないのだけれど。 「アピアルはこの世界にとって、知恵の木の実と同じ形状をしているから、ということでとても重宝されているね。滋養強壮にいいというからねえ、アピアルは」  ゴードンさんはそう言って僕たちに補足した。  この世界では林檎が重宝されている、ということか。確か前の世界でも林檎は滋養強壮にいいって言われていたし、この辺りは共通認識なのかもしれない。異世界と元の世界で共通認識とは何事か、という話になるけれど。 「アピアル、先ずは一個食べてみないかい? 新鮮で、とっても美味しいからさあ!」  そう言って店主は僕にアピアルを差し出す。そこまで言ってくるというのなら、やっぱり味に自信があるのだろう。そう思って、僕はアピアルを手に取った――その時だった。  右のほうから、声が聞こえた。  最初は微かなものだったけれど、徐々にこちらに近づいてきているのか、その声のトーンが大きくなってきている。 「どいた、どいたーッ!」  セミロングの金髪の少女だった。  着古した黒を基調とした服装は、露出度がそれなりにある。へそ出しルック、とでも言えばいいだろうか。そういう感じ。そんな彼女は、とても足が速かった。 「おっと、ごめんよ!」  僕たちにぶつかりそうになったのを、彼女はそう言ってうまい具合に避けた。 「大丈夫だったかい。まったく、アレは盗賊だよ。ああいう風に何かを盗んでは質屋に売りつける。残念ながら、あれも一つのビジネスとして成り立ってしまっているのが実情だ。我々も何とかせねばならないのだがね……」  じゃあ、何とかしてくださいよ。さっきの、普通に考えれば警察的役割たるあなたが何とかしないといけませんよね?  そんなことを思いながら僕はふと手を見つめる。  ……無い。  さっきまで手に持っていたはずの、林檎が無い! 「ああ、もしかしてさっきの嬢ちゃんが奪っていったか? だとすれば災難だな。アイツは腕利きの盗賊として有名だよ。名前はなんと言ったかな……」 「レイナだ」 「レイナ」 「そう。彼女の住処は一切判明しないものでね。我々が探索してもうまく掻い潜るのだよ。味方であれば頼もしい存在ではあるが、如何せん彼女は盗賊だ。市民に迷惑をかけている以上、我々は彼女をとらえ、罰せねばならない」 「盗賊というのは、この町にたくさんいるものなのですか?」  メアリーの問いに、ゴードンさんは首を横に振る。 「いいや、そういうものではない。むしろ少ないと言ってもいいだろう。しかしながら、あのレイナという小娘は盗賊の中でも名が知れている。しかしながら、まだ住処の場所も掴めない。気付けば居る……そして雲のように消えてしまう……。そういう存在だと言われているのだよ、彼女は」 「だとすれば厄介だな……、あれ?」  そこで僕は、ある違和感に気付いた。  鞄に入れていたはずの、あるものが無かった。  それは鍵だった。トライヤムチェン族の長老からもらった、大事な鍵だった。 「……鍵が無い」 「鍵? 鍵ってまさか……」  一言だけメアリーたちに言うと、勘のいいメアリーはすぐに理解したようだった。青ざめた表情で、僕に告げる。 「うん。……トライヤムチェン族の長老にもらった、あの鍵が無い。どうやら盗まれてしまったみたいだ……」 「それは大事な鍵なのか?」  ゴードンさんの問いに、僕は頷いた。  小さく溜息を吐いて、ゴードンさんは踵を返した。 「まず町を訪れるときにそれについて説明したほうが良かったな……。いや、それについてはもう後の祭りではあるが、致し方ない。先ずは、それを解決する必要があるだろう」 「隊長、どうなさいましたか、このような場所で!」  ようやくレイナを追いかけていたであろう兵士が息絶え絶えにやってきた。  ゴードンさんは溜息を吐いたのち、 「どうした、ではない。ここに居る旅人も鍵やアピアルを盗まれたようだ。だから、私もレイナ逮捕に協力する。言え、やつは何を盗んだ?」  そうして兵士は頷くと、レイナが盗んだものを言った。  それは、銀時計だった。 「銀時計……だと? それは、国家直属兵士の証ではないか! なぜ、そんなことを盗まれてしまったのか? なぜだ!」 「はっ、恥ずかしいことではありますが、兵士が一瞬目を離したすきに……」 「馬鹿な。超人だというのか、あのレイナという盗人は!?」  ゴードンさんがそんなことを言ったが、きっとそんなことは無いのだろう。  紛れもない超人など、居るはずがない。きっと何らかのカラクリがあるはずだ。例えば、そう……。 「ゴードンさん。そのレイナという盗人は、魔術師だったのではないですか?」  ……僕がその結論について述べる前に、メアリーが先に到達してしまっていたようだ。というかメアリーも同じ結論にたどり着いていたというのか。まあ、別に問題ないけれど。  メアリーの話は続く。 「魔術師ならば、すべて説明がつきますよ。そのレイナという盗人は転移魔法と変化魔法を使い分けているのです。だからこそ、誰も見つけることが出来なかった」 「馬鹿な……。魔術師ならば、魔法を使うまでの間にインターバルがあるはずだ。詠唱や、円を描くこと。それについては、どう説明すると?」  ゴードンさんの意見ももっともだった。  魔法を使う上で必要なこと――詠唱とファクター、その二つをどのように処理すれば、瞬間的に魔法を行使できるのか、それがゴードンさんの疑問点だった。  それについてメアリーは顎に手を当てて、 「たぶん、これは良そうですけれど……、きっと、省略することが可能だったのではないでしょうか? 『コードシート』を使えば、少なくともファクターについては解決します。そして詠唱についても……技術があれば省略は可能です。少なくとも一言二言は必要になると思いますが……」  コードシート。  また新単語が出てきたが、まあ、名前からしておそらくコードをプリントした紙のことを言うのだろう。コード、とは魔法や錬金術などを実行するときに円をファクターとして描きあげる特殊な図形のことを言う。普段はそのコードを実行時に描くものだが、それでは描いている間の時間がもったいない。  そういう理由で生み出されたのがコードシートだ。コードシートは使いたいところでそれを使うことで、あとは詠唱すれば術が発動するらしい。――まあ、それはあとでメアリーから聞いた話なのだけれど。 「成る程。コードシートですか。ははあ、私はあまり魔法には詳しくありませんが、コードシートならば聞いたことがあります。実用化出来ていませんが、それを実用化していずれは魔法を軍事転用しようと考えている研究者も少なくありませんから」  まあ、それは当然の帰結かもしれない。  今まで一部の人間しか使用できなかった魔法が、コードシートの開発によって専門の知識を必要としなくなるのであれば、それさえ持たせてしまえば一般人にだって魔法を使うことが出来るのだから、それをうまく活用するには――やはり軍事転用しかないのだろう。単調な考え方かもしれないが、一番効率のいいやり方かもしれない。 「コードシートを使っている、ということにして……。ならば、詠唱については? メアリーさん、詠唱は省略可能なのですか?」 「技術的には、可能です」  ゴードンさんの問いに、メアリーは即座に答えた。  一拍おいて、さらに彼女の話は続く。 「正確に言えば魔法において必要な詠唱のみ行えば、魔法としては発動できる、ということになります。魔法詠唱において必要なものは『承認詠唱』と『発動詠唱』のみ。普段は必要最低限のコードを描き、それの補足として詠唱を行いますが……事前に用意しておけるコードシートを使用すれば、それらは完全に無駄になります。正確に言えば、コードシートにそれを含めて描いてしまえばいいのです。そうすれば、残るのは承認詠唱と発動詠唱の二つ。それらは多くて四つの単語で構成されているので、十数秒もあれば詠唱は可能です」 「……要するに、コードシートさえあれば一分もかからずに魔法は発動できる、と?」  こくり。メアリーは頷いた。  ゴードンさんは何となく理解しているような表情を浮かべているが、残りの兵士は首を傾げているばかりで何も言わなかった。どうやら何も解らないようだった。  まあ、当然といえば当然かもしれない。魔法を使うことが出来る人間は専門の技術を身に着けないと出来ないので、ただの兵士には魔法は使えない――そんなことを授業で習うくらいなのだから、きっと彼らは魔法についての知識は、一般市民が知る程度の基礎知識しか知り得ていないのだろう。  ゴードンさんは咳払いを一つして、さらにメアリーに質問を投げかける。 「しかし、そうなると問題はどこへ居なくなってしまったか? ということになる。コードシートは消えてしまうのか?」 「もしかしたら複合魔法を発動しているのかもしれません。別に、一つの魔法陣から一つの魔法が生まれるわけではなく、一つのフローにそって複数の魔法を発動させることが出来ます。ですから、転移魔法や変化魔法を行使したあとに、コードシート自体を焼却する魔法を使えば……」 「証拠が残らない、ということか。なんてこった、なぜ今までこんなことに気付かなかったのだ……。気付いてさえいれば、簡単なロジックであるというのに」  確かに、気付いてさえしまえば簡単なロジックだ。  けれど、簡単なロジックは気付いたからこそ言える言葉であり、気付くまではいったいどうやって行使したのか解らない。即ち超人しか出来ないことではないか? ということを案外勝手に思い込んでしまうものだ。  しかし、それにしてもメアリーはどうして自分の専門以外の知識も持っているのだろうか? 授業で習った――ということでもなさそうだし、はっきり言って、錬金術と魔法は基本が一緒であるとはいえ、その仕組みの殆どはまったく異なるもののはずだ。だとすれば、メアリーが仕組みを理解できているというのは、やはり誰かから教わった――ということになるのだろうか。 「兎角、問題は一つ解決した、ということだ」  ゴードンさんは兵士に向き直り、そう言った。  確かに、これによってレイナが実施した方法は解決した。  しかし、問題はまだある。たとえレイナの移動方法が解決したとしても、レイナの根城自体は判明していないからだ。 「結論は見えています。……次にレイナが何を狙うか、予測を立てるしかありません。あるいは、レイナがどこで盗品を売りつけているか」 「はっきり言ってそれが解れば苦労しない。アイツが品を売りつけているのは裏町のどこか、ということしか判明していない。もし解るとすれば……」 「裏町の情報通、」  塞ぎ込んだかと思われた道に、活路を与えたのはミシェラだった。 「情報通?」  ゴードンさんは首を傾げて、ミシェラの目を見つめる。 「裏町には情報通が居るはずだよ。名前は誰にも明かしていないから、その姿しか判明していないけれど……」 「情報通なら聞いたことはある。どこに居るのかは解らないが、よく裏路地の喫茶店に居るという情報はあるな。ただ、アイツは我々のような存在を嫌っている。……どうすればいいものか」 「それ、僕たちに任せてくれませんか?」  僕はとっさにそう言った。  鍵を盗まれたし、ほかにも盗まれたものがあるという。  だったら、それを取り戻さないといけない。それが僕たちにしか出来ないというのであれば、なおさら。 「……それは君たちには出来ないよ。もともと追っていたのは、私たち国だ。国で何とかしないといけない問題を、君たち冒険者に任せるわけには……」 「しかし、兵士を嫌っているのも事実ですよね? その情報通というのは」  ゴードンさんは何も言い返せなかった。  決してゴードンさんを言葉攻めにしたかったわけではない。むしろゴードンさんを助けたくて、僕はこう言った。  きっとメアリーとルーシーが口を開いても、こう言ったに違いない。現にメアリーとルーシーの表情を見ると、彼らもまた頷いていたからだ。  それを見たゴードンさんは溜息を吐いて、僕たち三人の顔をじっと見つめて、 「……解った。そこまで言うのであれば、君たちに任せよう。オイ、その情報通が居るという噂の喫茶店はどこだ?」 「カルフィアストリートの脇にある喫茶店です。確か名前はテーブルノマスです」 「テーブルノマス、だそうだ。申し訳ない、よろしく頼む」  ゴードンさんは頭を下げて、僕たちに言った。 「いいえ、大丈夫ですよ。僕たちも物を盗まれました。いわば被害者です。それを取り戻さないと、僕たちは先に進めませんから」 「解った。……それでは君たちにすべてを託そう。テーブルノマスへと向かう行き方は兵士から教えてもらうことにして、何かあったら詰所へ向かってくれ。この紙切れを渡してくれれば、きっと詰所の兵士からこちらに連絡があるはずだ」  テーブルノマスという喫茶店はすぐに見つかった。  客も入っていない、見た様子では寂れているお店だったが、外から見るとひとりの男性がコーヒーを飲んでいた。 「……もしかしてアレが?」 「かもしれない。だってこのような場所に一人、よ? はっきり言って怪しいと言ってもおかしくない。何か秘密があるからこそ、ここに居るのよ。きっと」  メアリーの後押しを見て、僕たちは喫茶店の中へ足を踏み入れた。  カウンターの向こうにはマスターと思われる男性がコーヒーカップを磨いていたが、客が入ったことに対する挨拶など無く、ただ自分の行っている行為に集中しているようだった。はっきり言って、そんなことは客商売が成り立っているのかどうか疑問だが、まあ、そんなことは客である僕たちが考える必要も無いだろう。  情報通と思われる、一人の男性の前に立って、僕は言った。 「……お前が情報通か」  情報通と思われる男性はそれを聞いて僕を一瞥して、すぐにコーヒーを啜る。 「だとすれば、どうする?」 「情報を買いたい。それも早急に」 「……どのレベルの情報かによるが。先ずは、何の情報が欲しいのか、それを教えてもらおうか」 「レイナという盗人の住処、そこを教えてもらおう」 「……レイナ、か」  それを聞いた情報通は目を細めて、窓の外を眺めた。  暫し時間をおいて、情報通は溜息を吐いた。 「十万ドムでどうだ?」  十万ドム。  確か出発前にサリー先生から戴いたお金の全額が四十万ドムだったから、四分の一ということになる。  正直、それほどの価値があるとは思えない情報かもしれないが、あの鍵を取り返すためにはその情報が必要だった。  だから、僕は頷いた。 「……思い切りのいい人間は嫌いじゃないぜ。じゃあ、前金で支払ってもらおうか」  そう言って情報通は右手を差し出す。  次いで、僕は麻袋から十枚の金貨を取り出してそれを情報通に差し出した。  情報通はしっかりと一枚一枚丁寧に数えて、頷く。 「よし、きちんと十枚確認したぞ。……それじゃ、お望みの情報を教えようじゃないか。しかし、残念なことに、あのレイナの居住地は誰にも解らない」 「ちょっとあなた、それって……!」  それは裏切りと言ってもいい。  メアリーが前のめりに彼に問い質そうとする気持ちも解る。  だが、情報通はそれを右手で制すと、 「ただ、レイナは毎日手に入れたものを裏道にある特定の質屋へと向かって換金している。そこはレイナをひいきにしているらしいからな。なんでも、レイナが盗賊稼業をする理由がその質屋にあるとも言われているが……、おっと、それは余談だったな。いずれにせよ、その質屋に行けば、確実にレイナに会えると思うぞ。まあ、そのあとはお前たち次第だがな」  レイナが行くという質屋は、そう遠くない距離にあった。 「ほんとうにあの情報通は、正しい情報を教えてくれたのでしょうね?」  メアリーは強い口調でそう言ったが、そんなことは正直言って誰にも解らない。解らないからこそ、実際に行って確かめるしかない。  裏路地はたくさんの店が軒を連ねている表通りとは違って暗い雰囲気に包まれていた。店も疎らだし、その開いている店も正直まともな店ばかりとは言い難い。まあ、だから裏路地と言われているのかもしれないけれど。表通りにはない店ばかりが並んでいるからといって、それが万人に受けるものであればさっさと表通りに移転するのが普通だろうし。 「……なあ、フル。それにしてもこのようなところに店なんてあるのか? 人も通っていないし、どちらかというと、ただの抜け道のような感じにしか見えないけれど……」 「そうかもしれないが、進むしかないだろ? 十万ドムの情報だぞ。はっきり言って安くない。それをどうにかして稼がないといけないことも考慮しても、先ずはこの情報を有用に使わないといけない。それが誤っている情報であったとしても、だ」  暫く歩いていくと、明かりが目に入った。この路地はとても暗くなっているためか、このような時間でも明かりをつけているのだろう。 「……もしかして」  小さく出ている看板には、『何でも買います 質屋シルディア』と書いてあった。 「これがあの情報通が言った……?」 「そうかもしれないな」  そうして、僕たちはその質屋へと入っていった。  ◇◇◇  質屋の中にはどこで手に入れたのか解らないモノがたくさん広がっていた。  そして、カウンターの向こうにはローブに身を包んだ白髪の女性が椅子に腰かけて、笑みを浮かべていた。 「いらっしゃい。……おや、見ない顔だね。売りに来たのかい、買いに来たのかい」 「人を探しているのだけれど。名前はレイナ」 「……レイナなら今日はまだ来ていないよ。だから、そう遠くない時間にやってくるのではないかな。……それにしても、彼女に会いたいとかどういうことかね? それに、別にここはそういう施設ではないし。まあ、彼女に会いたいということは大方予想がつくが」  どうやら彼女にモノを盗まれた人間がここまで到達することは、よくあるらしい。 「でも、彼女と交渉してモノを奪い返そう、というのであればソイツは筋違いだ。我々の世界では、奪ってしまえば同時に権利も奪える。即ち、奪ってしまえばそれはその奪った人間のモノになるわけだよ」 「そんなことが……!」 「有り得るわけがない。または、通用するはずがない。そう言いたいのだろう? でも、それは表の世界のルール。これは、裏の世界のルールだよ。それは別にへんなことではないし、むしろ裏の世界からすれば表の世界のルールがおかしい、ってものさ」 「そんな……!」  メアリーは思わず絶句した。  対してミシェラは何となく予想がついていたからか、何も反応しなかった。  彼女もどちらかといえば、娼婦という裏の世界に近い人間として過ごしてきたからか、そういうことも知っていたのかもしれない。 「……ただし、権利を譲渡することはたった一つだけできる。……モノを買えばいいのだよ」 「何ですって……」 「この世は金だ。金さえあればそんな些細な問題はあっという間に解決することが出来るよ。だから……どうだい? 金を払ってみる、というのは」 そんなバカな。  奪われて、それを取り返そうとしたら、金を払え――だって? そんな理不尽な話があってたまるか。そんなことを思わず口走りそうになったが、何とかそれを呑み込んで、 「……じゃあ、仮に、お金を払うとしましょう」  僕がどうするか齷齪しているとき、メアリーが一歩前に出て言った。  その言葉を聞いてメアリー以外の僕たちは、驚きを隠せなかった。対して、メアリーは自信満々な表情を浮かべて、さらに話を続けた。 「そうすれば本当に返してくれるのかしら?」 「あたりまえだ。この世は金だからな。それに対する代価さえ払えば、どんなものでも売ってやろうじゃないか。それで商売が成立するからな」 「言ったわね」  メアリーがなぜか珍しく、もう一歩前に進んで言った。 「……あ、ああ。言ったとも。だが、君たちのような学生に、そのような大金が払えるのかね? 払えるのであれば、どんなものでも売ってあげようではないか!」  メアリーはその言葉を切るように、カウンターにあるものを置いた。  それは、小さな紙切れだった。  そこには数字が書かれている。その数字は、とても大きな数字となっている。 「……な、何だ。この数字は……?」  あまりの大きさに、商人も呆れ返ってしまっていた。要は、それほどの巨額だった。  メアリーの話は続く。 「もしそれでも足りないというのであれば、まだ何枚か同じ金額が書かれたそれはあるわ。だから、幾らでも言うがいい」 「……あんた、あんた、何者だよ! どうして、どうしてそんな大量の金額を持っているんだ? 富豪か王族じゃないと手に入らないほどの巨額じゃないか!」 「私はただの学生よ」  商人の言葉をそう一蹴するメアリー。 「けれど、学生の本気は、幾らでも大きい。あなたが思っている以上に、ね。さあ、これでレイナからあの鍵とアピアル、それに銀時計を回収することは可能よね?」 「ふうん、なんだか面白いことになっているじゃないか」  背後から声が聞こえた。  その方向を振り向くと――そこに立っているのは、先ほど僕から鍵と林檎を奪い取った、レイナだった。レイナが笑みを浮かべて、そこに立っていたのだ。 「まさか、リムに自ら交渉をする人間が居るとは思いもしなかった」  レイナはそう言って、ゆっくりと僕たちのほうへと歩いていく。  それは興味を抱いているようにも見えたし、恐怖を抱いているようにも見えた。  レイナは僕の前に立って、呟く。 「……何が目的だ?」 「何が目的? そんなこと、言わなくても解っているだろう。鍵を返せ。それは大切なモノだ。あと、アピアルと銀時計も返すんだ。そして、もし可能ならば、出来る限り、奪ったモノをもとの人間に返せ」 「……欲張りだねえ。そんなこと、簡単に出来るわけがないじゃないか」  レイナはニヒルな笑みを浮かべる。  そんなこと予想は出来ていた。  だけれど、関係ない。  たとえそんなことを言われようとも――やらないといけないことがあるのは紛れもない事実だ。 「出来るわけがない……かもしれない。けれど、やらないといけないんだ。だって、僕は予言の勇者と言われているのだから。予言の通りならば、世界を救わないといけない」 「世界を救うぅ? そんなこと、出来ると思っているの!」  レイナは両手を広げて、口の端を吊り上げる。 「治安維持、という大義名分を掲げて私たちのような下位身分の存在を抹消しようとしていた、現政権のことを知っているかい?」  現政権。  即ち、現在も王として君臨している人間、ということになる。 「……現政権が、そんなことを言っているというの?」 「そうだよ。まあ、大臣がそれを止めていると言っているが、その大臣が止めている理由も、きっとろくでもない理由に違いない。おそらく、我々を必要悪として、庶民にとって最下層の存在を敢えて見せつけることで、それになりたくないと思わせることもあるのだろう。……まあ、どこまでほんとうかどうかは、あくまでも噂の段階だが」  噂の段階でここまで断言できるということは、それなりの理由があるのだろうか。 「でもそれはあなたの事情でしょう」  しかし、それを一刀両断したのはメアリーの言葉だった。 「何が言いたいの?」 「何度でも言ってあげるわ。それはあなたの事情。あなたの考え。それを他人に押し付けることは、はっきり言って間違っている」 「……あなた、態度と考えが間違っているように見えるのだけれど?」  レイナは怒っているように見える。  マズイ。このままだとモノを返してもらえなくなる! どうにかしてメアリーとレイナの口論を止めて、謝罪しないと、何も進まないし、これ以上話が拗れかねない。それだけは防がねば。 「まあまあ、そのあたりで……」 「それじゃ、私から一つ提案しましょうか」  レイナの言葉に、僕たちは目を丸くした。  いったいどのような提案を言われるのだろうか。まったく予想出来なかったからだ。 「私は昔からあるものを探している。それを見つけるためには、どのような手段だって問わない。その証拠というか、その秘密というか、その手がかりを見つけたかった」 「……それは?」 「知恵の木、という木だよ。すべてが金に輝く、伝説の木。その木には、『知恵の木の実』という木の実が生っている、とも言われている。けれど、その木を見つけた人間は誰も居ない。だから、それを見つけたい。そうすれば、私も世界に名を遺すことが出来る」  知恵の木。  知恵の木の実がどういうものであるかは知らないが、それが生るものということはもっとすごいものに違いない。 「知恵の木の実……伝説上に言われている、エネルギーの塊。それが生っているということは、エネルギーをさらに蓄えた、その源……ということよね? 知恵の木の実ですら伝説上と言われているのに」  こくり。レイナは頷く。 「話が解るようで何より。知恵の木は歴史書にも殆ど記述がないと言われているほど、観測者も少ない。だからこそ、探したいのよ。その『知恵の木』を見つけることが出来れば、私は先人よりも先に進むことが出来る……!」 「話を戻しましょうか」  メアリーは唐突に話のハンドルを切った。 「あなたの提案を、簡潔にまとめてもらいましょうか? つまり、『知恵の木』を探したい――と」 「知恵の木を探したい。それは確かにそう、そして、それを求めるためにはいずれリーガル城を出ていく必要がある。広い世界を知る必要がある、というわけよ」  レイナは壁をたたいて、さらに話を続ける。――正確に言えば、壁をたたいた段階で質屋の店主がぎょろりとレイナのほうを睨みつけたが、レイナはそれを無視していた。どうやら、日常茶飯事のようだった。 「そしてあなたたちは世界を旅している。だって予言の勇者、なのでしょう? ということは世界を救うために、世界を旅している。ということは、『知恵の木』の情報が手に入る可能性が高い……というわけよ。そこで、提案に戻る」  レイナは人差し指を立てて、メアリーに向けて言った。 「私を、あなたたちのメンバーに入れてよ。決して、悪い話ではないと思う……からさ」  はっきり言って、レイナのその発言を一言で示すとなれば、『自分勝手』の一言で収まると思う。だって、誰の意見も聞くことなく、対立していた人間と唐突に同盟を組もう、等と言い出すのだから。  そんなこと、普通の人間だったらどうやってオーケイを出すことが出来るのか?  きっと僕だったらオーケイを出さないかもしれないけれど――。 「ほんとうに、それを聞いたらモノを返してくれるというのね?」  そう答えたのはメアリーだった。 「ああ、それは嘘を吐かないよ。私は嘘を吐かないことを信条にしているからね。それに、君たちこそ信じてくれているだろうね? もし、君たちがやだというのならば、私もこれを返すことに関しては否定的になるけれど」 「……おい、メアリー。ほんとうにいいのか?」 「何が?」  僕はメアリーに問いかける。  けれどメアリーは何も思っていない様子で、きょとんとした表情を浮かべて首を傾げた。  きっとあまり気にしていないことなのだろう。 「……取り敢えず、交渉成立ということで。じゃあ、私はモノを返してあげる。だから、あなたたちのメンバーとともに旅をする、ってことでいいよね」  そう言ってレイナは僕に近づくと、あるものを差し出した。  それは僕から奪ったとみられる鍵とアピアルだった。 「……まだ足りないぞ」 「ああ。そうだったわね。ええと……」  そうしてレイナはもう一つ、ほとんど忘れ去られていたかのような扱いだった銀時計を差し出した。 「これで一先ず解決……か? まあ、いろいろと語るべきポイントはあるけれど」  ルーシーの言葉に僕は頷く。確かに、このような結末でゴードンさんたちが納得してくれるかどうか、それが一番のポイントだと思う。  まあ、取り敢えず、決まってしまったことは仕方ない――そう思うと、僕は目を瞑った。  ◇◇◇  結局、ゴードンさんは僕たちに対して怒ることはしなかった。  レイナに対しても、彼女がそう言ったのならば仕方がないとして、お咎めなしとなった。それが果たして今後どれだけの結果を生み出すのかは解らないけれど、一先ず僕たちはゆっくりと休むことにした。 「それにしても、旅はこれで終わりなのか……?」  みんなが集まったところで、開口一番そう言ったのはルーシーだった。 「少なくとも、これで終わりでしょうね。世界の終わり、と言われていてもどのように世界が終わるかも解らないし、そうなればこのまま待機するだけじゃないかしら。大人がどうにかしてくれる、というか子供がどう転ぼうとも大人はそれを咎めるだけだから」  ルーシーの問いに、現実的な解答を示すメアリー。  しかしながら、お互いの言葉はまったく間違って等いなかった。  しかしながら、それをそのまま認めるわけにもいかない。それは僕も思っていた。 「まあ、それについては明日考えることにしようよ」  僕はそう言った。  あくまでもその場を逃げるため――ではない。  お互いに考えるための時間を設けるべく、そう言っただけに過ぎない。  けれど、それがほんとうにどこまで出来るかは解らないけれど、とにかく、今の僕たちにとっては時間が必要だった。  そしてそれについて否定する意見が無く、僕のその意見はそのまま受け入れられることになった。  そうして、食事を終えて――僕たちはそれぞれに用意された部屋に入り、そして気が付けば僕たちは深い眠りについた。  その夜。  僕は夜空を見つめながら、記憶の川を遡っていた。  中学時代、小学時代、幼稚園――記憶の川はそこまで遡っても、鮮明に思い浮かべることが出来る。  しかし、やはりというか、予想通り、同じところで記憶の川はぷっつりと涸れていた。 「……どうして?」  僕は誰にも聞こえないほど小さい声で、ぽつりとつぶやいた。 「どうして……これ以上、僕の記憶は遡れないんだ?」  僕のつぶやきは誰にも聞こえない。そして、その質問は誰にもこたえることは出来ない。  そう思って――そう結論付けて――僕は無理やり目を瞑ってどうにかして眠ろうと布団に深く潜っていった。  ◇◇◇  次の日の朝は、轟音で目を覚ました。耳を劈く程の轟音は、それを聞いた僕たち全員が一斉に起き上がった程だった。 「なんだ、今の音は!」  起き上がると、僕は窓のほうを見る。  窓の向こうには城壁が広がっており、そのあたりから黒煙が上がっていた。 「みなさん! 大変です!」  ゴードンさんがノックもせずに入ってきたのは、ちょうどその時だった。 「何があったんですか?」  ほかの部屋に居たメアリーも、どうやらその轟音に気付いたらしい。目を覚まして、ネグリジェ姿のままゴードンさんに問いかける。  ゴードンさんは息を乱したままだったが、そのまま答えた。 「はい。実は、北のほうから大量のバケモノが空を飛んできているのです。目標はおそらく……いや、確実に、このリーガル城を狙っているものとみられます」 「バケモノ……もしかして!」 「ええ、おそらく、メタモルフォーズ、でしょうね」  ゴードンさんの言葉に僕とメアリーは意識合わせする。  対して、何も知らないゴードンさんは首を傾げる。 「メタモルフォーズ……とは?」 「説明している時間は有りません、残念ながら。取り敢えず、外へ向かいましょう。フル、ルーシー、ちょっと着替えてくるからあなたたちも着替えて。大急ぎで向かいましょう!」  メアリーはそう早口で捲し立てて、そのまま部屋へ戻っていった。  僕たちが着替え終わるまで二分、メアリーがその後遅れて三十秒後に到着。最終的に二分三十秒余りの時間を要して、僕たちは外へと向かうことになった。  外へ向かうまでは迷路のように入り組んだ通路を通ることとなるので、ゴードンさんを先頭にして僕たちは進むこととなった。  道中行き交う人たちは、どこか忙しない。毎回、僕たちに敬礼をしてくるので僕たちもそれに倣って返すのだけれど、外に近づくにつれてそれも億劫になるのか、立ち止まることなく一礼のみして立ち去る人も出てくる。 「どうやら、想像以上に大事になってきているようですね。兵士が無礼を働いているかもしれませんが、お許しください」 「いえ……。忙しいようでしたら、仕方ありません。別に、これが悪いことでもありませんから」  言ったのはメアリーだった。メアリーはこういうときでも落ち着いている。いや、むしろこれが彼女の取柄なのかもしれない。  外に出ると、すぐに爆音が僕たちの耳に届いた。 「……さっきの轟音はこれが原因か」  僕は呟く。状況判断して、それを呟いた。  爆音の正体は城壁の上に設置されている砲台だ。確か魔術で動く砲台となっているので、砲台の下には魔法陣が描かれており、その魔法陣には自動で作動できるようなプログラムが組み込まれているのだという。  魔術は古き良きスタイルで、いちいち魔法陣を描くスタイルもあれば、一つのシンプルなフローであればルーティンワークを実行するプログラムを魔法陣に組み込むことで自動的に魔術を打ち込むことが出来る、いかにも現代チックな魔術のスタイルもある。  ……まあ、なんだかよく解らないけれど、プログラムに関しては案外簡単な構文らしいので、学生でも作ることが出来るのだという。というか、ラドーム学院でも魔術のプログラミングの授業は設けられている。たしかカリキュラムにそんなことが書いてあった気がする。……それだけは、受けてみたい。 「問題は、あのメタモルフォーズ……だったか。あれに攻撃が命中しても、うまくいかないということだ」 「うまくいかない? それってつまり、どういうことですか」 「簡単なことだよ。命中してもダメージを受けているように見えないのだ。……あれほどの数が、一匹も倒せないままリーガル城の区々にやってきたら、すべてがおしまいだ。少なくとも、町に住む人々が犠牲になることは避けられない。だが、それを避けなくてはならない。どうにかして、あれを駆除する必要がある」  命中しても、ダメージを受けていない?  仮にそれが事実だとすれば、確かに非常に厄介なことである。即ち、今の僕たちの腕ではメタモルフォーズの大群を倒すことは出来ないということを意味しているのだから。  しかし、そうとすればどうすればいいのか……。 「ヤタクミ、どうやら助けが欲しいようですね」  声を聴いて、僕は振り返った。  そこに立っていたのは――サリー先生だった。 「サリー先生? どうして、ここに。ラドーム学院に居たはずじゃ……」 「再会の余韻に浸りたいところだけれど、それは一旦おいておきましょうか。問題は目の前に広がっている、あのメタモルフォーズの大群。攻撃が通らないということですが……、もしかしたら、可能性はなくなったわけではないかもしれませんよ」  そう言って、サリー先生はあるものを取り出した。  それは望遠鏡のようだった。そしてそれを通して、サリー先生はメタモルフォーズの大群を見つめる。 「……もう一発、砲台を使用してもらえますか?」  サリー先生の言葉を聞いて、ゴードンさんは頷いた。 「それに関しては問題ないが……、しかしメタモルフォーズにはそれが効かないのだろう? だとすれば使う意味が無いように思えるが……」 「いいえ、今こそ使うべきです。おねがいします!」 「……解った。おい、もう一度魔術を行使しろ!」  ゴードンさんの言葉を聞いて、砲台のそばにいた兵士が慌ただしく準備を始めた。  それから兵士が準備を終えるまで数瞬とかからなかった。ほんとうにあっという間に、「終わりました!」と言ってゴードンさんに向けて敬礼した。  それを確認したゴードンさんは頷いて、サリー先生に訊ねる。 「……よろしいのですね?」 「ええ。一つ、確認したい事があります。そのためにも、もう一度攻撃をしてもらうほかありません」 「了解しました。……おい、攻撃を開始しろ!」  即座に敬礼して、兵士は魔術を行使する。そして、数瞬の間をおいて、砲弾が撃ち放たれた。  砲弾――というのは説明としては間違いかもしれない。なぜならばその砲台から放たれたものはどちらかといえばレーザーに近いものだったからだ。レーザー、といえば科学技術の結晶に見えるかもしれないけれど、それはどうなのだろうか。案外、この世界の科学技術は発展しているのかもしれない。 「……やはり、そうだったのね」  双眼鏡でメタモルフォーズを見つめていたサリー先生は、そう言って僕たちのほうを向いた。 「……サリー先生、いったい何を見つけたというのですか?」 「一言、簡単に結論を述べましょうか」  サリー先生は歌うように言って、ゴードンさんの前に立った。  ゴードンさんは、彼のほうを睨みつけるサリー先生を見て、たじろいでしまう。 「な、何か解ったのであれば、教えていただきたいのですが……」 「あのメタモルフォーズはすべてまやかしよ。本物はどこか別に居る」 「何……だと?」  空に浮かぶ――こちらにやってくるメタモルフォーズの大群を指さして、 「なぜ私があなたたちにもう一度砲弾を撃ってほしい、と言ったかというと、これを確認したかったから。メタモルフォーズに命中したと思われるそれは、案の定命中したように見せかけただけだった。雲のようになっていた、とでも言えばいいでしょう」 「メタモルフォーズを操っている敵、ではなく……あれだけの量のメタモルフォーズが『居る』と見せかけた、ということですか?」  こくり。サリー先生は頷いた。 「成る程……。となると、それらを操っている敵を倒せば、あのメタモルフォーズの大群も消える、ということですね?」 「そうなるでしょう。……そして、その人間の見立てもすでについています」 「それは……いったい!」  ゴードンさんは鬼気迫る勢いでサリー先生に問いかけた。 「それは……」  指さしたその先には、一人の少女が立っていた。  そこに立っていたのは――ミシェラだった。 「……サリー先生、あなたはいったい何を……」  メアリーは疑問を投げかける。  しかし、それよりも早くサリー先生がミシェラのほうへと歩き出す。ミシェラはずっとサリー先生のほうを向いて、表情を変えることは無かった。  そしてミシェラとサリー先生が対面する。 「言いなさい。あなたは何が目的で、このようなことを?」  サリー先生の言葉に、ミシェラは答えない。  暫しの間、沈黙が場を包み込んだ。当たり前だが、このような間でもメタモルフォーズの大群は城へ向かって邁進し続けている。  沈黙を破ったのは、ミシェラのほうだった。  ニヒルな笑みを浮かべて、ミシェラは深い溜息を吐いた。 「……あーあ、まさかこんなにも早く判明してしまうなんてね。それにしても、あなたから出てくるそのオーラ、ただの学校の先生には見えないけれど」 「そんなことは今関係ないでしょう? 結果として、あなたはメタモルフォーズの大群を操っている……ということで間違いないのかしら」 「だとしたら、どうする?」  ミシェラはそういうと――消えた。 「消えた!?」 「いや、違う……。ここよ!」  しかし、サリー先生だけがその姿を捉えていた。  サリー先生の拳が、確かにミシェラの姿を捉えていたのだった。 「……くっ。まさか、人間風情に……!」 「人間だから、何だというの? そう簡単に倒せると思ったら、大間違いよ」 「貴様を逮捕する」  次いで、ゴードンさんがミシェラに近づいた。 「逮捕? そんなことは出来ないわ。するならば、それよりも早く――」  ミシェラはどこからか取り出したナイフを、自らの首に当てる。同時にミシェラはサリー先生の手から離れ、僕たちに見せつけるようにナイフに力をかけた。 「貴様、まさか――!」  サリー先生とゴードンさんがナイフを奪おうと、ミシェラのほうへ走っていく。 「フル・ヤタクミ。あなたはどういう未来を歩もうが、もう結論は見えている。この世界を救うなんてことはムリ。メタモルフォーズが世界を覆いつくす、その日は、そう遠くない!」  彼女は笑顔でそう言った。  その笑顔はとても臆病で、恐怖で、狡猾だった。 「……何を言っても、無駄だ。人間はメタモルフォーズには屈しない」 「そう言っていられるのも今のうちよ」  そうして、ゴードンさんがミシェラの前に立ったタイミングで――ミシェラは首を切り裂いたのか、彼女が横に倒れた。  なぜそれが断定出来なかったかと言えば、ゴードンさんが前に立っていて、その瞬間を見ることが出来なかったからだ。  もし、それを見ていたらきっと僕たちの心に何らかの傷を植え付けていたかもしれない。  ごとり、と何かが床に落ちる音――きっとその対象は、『首』だったのだろう――を聞いて、僕たちはゆっくりとそちらに近づく。  しかし、それをしようとしたタイミングで、サリー先生が僕たちの前に立ち塞がった。 「見ないほうがいい」  その言葉を口にしただけで、あとは何も言わなかった。  けれど僕たちも、不思議とそれ以上何も語ろうとはしなかった。  ◇◇◇  そのあとの話を簡単に。  ミシェラが殺されたことによって、メタモルフォーズの大群は消え去った。やはりサリー先生の予想通り、ただの幻影だったらしい。もし彼女が死んでも消えなかったらそれはそれで厄介だったが。  ミシェラの遺体は秘密裡に処理されることとなり、そのまま淀み無くエルファスに居るカーラさんの元へ届けられることとなった。『処理』と言ってもあくまでも火葬や土葬の段階まで進めたわけではなく、必要最低限の処置をしたまでのことだという。  カーラさんがどのような心境でその事実を聞いたのか――出来れば考えたくない。  その日の夜は酷く眠れなかった。  目の前で首を斬られた人間を見たから?  それとも仲間が裏切ったから?  ……いいや、何故だろうか。  どうして眠れなくなってしまったのか――それについては理解できなかった。理解したくなかった、と言えば間違いではないのかもしれないけれど、きっとそれは、いろんな感情がごちゃ混ぜになってしまった、その結果なのかもしれない。 「……フル、眠れないの?」  外を見つめていたら、隣から声が聞こえた。  その声はメアリーだった。そちらを向くと、メアリーも隣のベランダから空を眺めているようだった。ああ、そうだった。説明を省いていたかもしれないけれど、今日も男女別の部屋だ。別に何も起きないけれど、何か起きたら……という配慮なのだろう。 「そうだね、ちょっと今日はいろいろあったから……」 「そうだよね。仕方ない、なんて一言では片付けられないくらい、今日はいろいろとあったよ。……まさか彼女が敵なんて、知るはずがないのだから」  メアリーの言葉ももっともだった。もしあの状況で敵だと解るのならば、それは予知のレベルに近い。  でも、そんな理不尽ともいえることであったとしても、僕は自分が許せなかった。  どうしてこのような結末を、防ぐことが出来なかったのか――ということについて。 「難しく考えないほうがいいよ」  そう言って、深く溜息を吐いたのはメアリーだった。  さらにメアリーの話は続く。 「普通に考えても解る話じゃないよ。だって、あなたは悪くないのよ。私だって、ルーシーだってそう。みんな悪くないの。あなただけが悪いわけじゃない。誰も悪くないのよ」 「うん……ありがとうメアリー。なんだか少しだけ、頑張れる気がするよ」  メアリーはいつも勇気をくれる。僕を励ましてくれる。とっても優しい。  メアリーが居るから、僕は頑張れる気がする。  そう思ってメアリーと別れると、僕はそのままベッドに潜り込んだ。  やっぱり眠れなかったけれど、メアリーと話したからか、少しだけ眠れるような気がした。  ◇◇◇ 「リーガル城の襲撃は失敗に終わりましたか」  リュージュは水晶玉を見つめながら、彼女の向こう側に膝をついている科学者に告げた。 「はっ。リーガル城へと向かわせたメタモルフォーズが不完全だったようで……」 「だから言ったじゃない。自分で精神をコントロールできないようならば、ココロをメタモルフォーズに植え付けるのではない、と。メタモルフォーズはただの木偶。けれど優秀なメタモルフォーズにはココロを植え付けて自分で物事を考えさせる」 「僕のように?」  リュージュの隣にバルト・イルファが近づいた。  バルト・イルファはリュージュが腰かける椅子に体重を乗せて、 「……まあ、ココロって不完全で不確かなもの、というくらいだからね。それがほんとうに正しいか正しくないか、なんて科学者のミナサンにも難しいことじゃない?」 「……それをメタモルフォーズであるあなたが言うのかしら?」  リュージュは溜息を吐いて、再び科学者を見遣る。 「はてさて、今回の失敗について、どう言い訳をするつもりかしら」 「メタモルフォーズにはその種を広げていくための手段があることをご存知でしょうか」  逆に質問されたリュージュは一度バルト・イルファのほうを見て、考える。  数瞬の時間をおいて科学者を見ると、 「感染、だったかしら。空気感染ではなくて、経口感染だったと記憶しているけれど」 「ええ。そしてメタモルフォーズに感染する人間には特徴があると考えています。しかしながらまだその条件ははっきりとしておらず、未確定となっているのですが……」 「それがどうかしたのかしら? 明らかに言い訳とは繋がらないように見えるけれど」 「いいえ、これは言い訳ではありません。一つのプランの説明をしています。メタモルフォーズを失ってばかりでは、こちらもすぐに戦力の増強が出来ませんから。先ずは、あと一日お待ちいただけませんか。そうして、ある一定の結果を生み出すことが出来るはずです」 「……ほんとうに?」  科学者は何も言わなかった。  それを見たリュージュのほうが先に折れた。 「……解ったわ。あと一日だけ時間を与えましょう。しかし、それでいい結果が得られなければ……その時は、覚えておくことね」  小さく首を垂れたまま、科学者は何も言わなかった。  リュージュは椅子から立ち上がると、バルト・イルファとともに部屋を出ていった。