エルフの隠れ里に向かうまで、そう時間はかからなかった。  距離にして――と説明するのは難しいので、時間で説明するとおよそ二十分程度。話をしていると気付けばもう到着していた――そんなくらいの時間だった。  とはいえ話なんてそんなこともあまり盛り上がらなかった。自己紹介をして、ぎこちない会話をした程度。  エルフの隠れ里に着いて、最初に異変に気付いたのはルーシーだった。 「……なんか臭くないか?」  鼻を抓みながら、ルーシーは言った。  彼の言う通り、鼻が曲がりそうな酷い匂いがした。正確に言えば、血の匂い。  ガリ、ボリ、ボリ――。  次いで、何かを噛み砕くような音が聞こえた。随分と節操とマナーのなっていないやつだ、そんなことを思っていた。  しかし、森の影に隠れていたのは――そんなことが言えるようなモノでは無かった。  それはまさに異形と呼べるような存在だった。普通、ドラゴンか何かだったら、顔は一つしかない。それは生き物それぞれが持つルールのようなものであって、たいていそのルールを守っていない生き物はいない。  しかし、それは顔が幾つもあった。  それだけで元来生きている生き物とは違う存在であることが理解できる。  そして、それは巨大すぎた。森に隠れている程度、とはいえ数メートルはある。僕たちの身体と比べればその大きさは一目瞭然、太刀打ちしようにもできるはずがなかった。  そして、その異形はあるものを食べていた。  それは小さな人のように見えた。  なぜそう言えるかというと、足らしきものが異形の口から見えたからだ。そして、同時に地面を見ると、薄く輝いている羽らしきものも見える。  ――それは、紛れもなく、エルフだった。 「嘘……だろ? まさか、エルフを食べているというのか……!」  ミシェラの言葉を聞いて、僕も現実を再認識する。  エルフ。またの名を妖精。空を華麗に舞い、自然物の精霊とも言われている神秘的な生物。  それが今、異形によって見るも無残な姿になっている。 「い、いや……」  見ると、メアリーが今にも大声を上げようとしている。  怖いと思っているのは、仕方がない。  しかし、今大声を出されてしまうとあの異形に気付かれてしまう。  それは出来る限り避けたい。  だから、僕はメアリーにそっとささやいた。 「気持ちを抑えて。叫びたい気持ちも解るけれど、今気付かれたら一巻の終わりだ」 「……そうね、ありがとう、フル。もしあなたが言ってくれなかったら、私は叫んでいたかもしれない」  メアリーはどうやら我に返ったようだ。  さて、ここからスタートライン。  対策をしっかりと考えていかねばならない。どのようにしてあの異形を対処していくか。 「おそらくあの異形が居るからこそ、エルフたちはエルファスに向かうことが出来ないのだろう……。ここはもともとエルフが住む場所だ。エルフたちにとっては生まれ故郷と言ってもいい。その場所が破壊されようとしているのならば、ここを脱出するわけにもいかないだろう」 『その通りです、若人たちよ』  カーラの言葉の直後、僕の頭に声が響いた。  どうやらそれは僕以外の人にも同様の症状が起きているようで、 「誰……?」  メアリーがその言葉について、訊ねた。  その言葉に呼び出されたかのように、目の前に小人が姿を現した。  そう、飛んでいた。  羽をはやし、僕たちに比べると六割程度の身長になっているそれは、耳が斜め上の方向に尖っており――。 「もしかして――エルフ?」  そう。  そこに富んでいたのは、エルフそのものだった。  緑の髪をしたエルフは頷くと、 『いかにも。私はエルフです。あなた方人間が森の精や妖精と呼んでいる存在、それが私たちになります』 「……しかし、エルフと呼ぶのもどこかこそばゆい。それは君たちの種族名なのだろう? 君たちにも個を識別するための何か……そう、例えば、名前とか、無いのか?」  ルーシーの問いに、首を傾げるエルフ。 『残念ながら、私たちエルフには名前がありません。すべて職業で認識されるためです。ですので、名前は――』 「解ったわ。じゃあ、呼びやすい名前を付けましょう。今からあなたはミント。いいわね?」  ミシェラはそう言って、ミントのほうを指さした。  ミントはその言葉を聞いて暫く首を傾げていたが、少しして頷いて、笑みを浮かべた。 『ミント……ミント。ええ、いいですね。良い名前です。解りました。では、私のことはミントとお呼びください』 「ミントさん。それじゃ早速質問するけれど」  メアリーはそう前置きして、質問を開始した。 「エルファスにある大樹はどうして枯れてしまったのかしら? あれはあなたたちエルフが管理しているものだと聞いたのだけれど」 『……そうですね。確かにその通りです。本当ならば私が向かわねばならないのですが……あのバケモノにエルフを食べられてしまい、今、エルフは私しかいません。だから、ここを離れることが出来ない。それが現状です』 「エルフが……一人しかいない?」  それを聞いて僕は冷や汗をかいた。まさかここまでエルフの状況が酷くなっているとは知らなかったからだ。 『そう悲観することはありませんよ』  僕の表情を見てからか、ミントはそう僕に声をかけてくれた。  慰めの言葉になるのかもしれないけれど、しかし、実際どうするというのだろうか。そんな言葉を投げかけても、エルフは復活することなんてないと思うけれど。 『あなたはエルフを何か勘違いしているかもしれませんが……、エルフは自然から生まれる精霊です。ですから時間さえ置けば幾らでも生まれるのです。……もちろん、管理限界はあるので、その人数を超えることはありませんが。しかしながら、あの異形が生まれた瞬間にエルフを食べてしまうものですから、溜まることはありません。私はどうにかして結界を張って、見つからないようにしていますが……。あの異形の頭が良くなくてよかった、というのが正直な感想になりますね』 「アイツを倒す方法というのは、無いのですか?」  僕はミントに訊ねてみる。もっとも、すぐに見つかるものではないと思っているが――。 『無いことは無いですが……。しかし、それを使いこなせるかどうかは解りませんよ?』  そう言って、ミントは僕の周りを一周する。 「あの……どうしましたか?」 『いや……うん。行けますね。ちょっとやってみましょう。物は試しです。あなたに魔法の技術、そのすべてを授けます』  魔法。  でも、僕が学んでいたのは錬金術だったと思うけれど……。  しかしミントは問答無用で、僕の前に移動すると、目を瞑った。  そして誰にも聞こえないような小さな声で、詠唱を開始した。  目と鼻の間の距離しか離れていないというのに、ミントの声はとても小さくて、聞こえなかった。  きっと、この声がミントのほんとうの声なのだろう。 「……うっ」  同時に、頭が痛くなる。  まるで大量のデータを思い切り脳内に直接書き込まれているような、そんな感覚。  有無を言わさずたくさんのデータが流し込まれていく。  それは魔法の原理、そして技術。  初心者である僕が、魔法を使いこなすには十分すぎるそれを、僕はミントの詠唱により思い切り流し込まれた。  頭痛がする。大量のデータを一気に、短時間で流し込まれた。処理しきれない、と言えばうそになるが――きっとそういう感覚なのだろう。 『……終わりました』 「これが……これが魔法だと?」 「ええ。しかし、その大きすぎる情報は、いずれあなたを滅ぼすでしょう。それだけは、理解していただきたいものですね……」  ミントは何か言ったけれど、囁く様な声だったので、僕たちにまで届かなかった。 「それでは、これであのバケモノと……!」 『ちょっと待ってください。まだ、まだ足りません』 「?」 『まだ使えるモノがある、ということです』  そう言ってミントはどこかへと向かった。少し動いて、立ち止まる。そうして僕たちのほうを一瞥して、また動き出した。  どうやら、ついてこい、と言っているようにも見えた。 「……どうやらまだ隠している何かがあるようだな」  ミシェラの言葉を聞いて、僕は頷いた。 「向かおう、ミントの動く方向へ……」  そして、馬車もまたゆっくりとそちらの方向へと向かった。  ◇◇◇  ミントが居た場所は、巨大な木の室の中だった。 「……カーラさん、ミシェラ。ここで待っていてくれませんか?」 「どうして?」 「いや、何か……何となくだけれど、僕たち三人だけに用事があるような気がするんだ。あのミントとかいうエルフは」  ルーシーはそう言って、馬車から降りた。  僕も、なんとなくそのような予感はしていた。  そして、それはメアリーも同じだった。 「あら? ルーシーもそう思っていたの? 奇遇ね、実は私も、なのよ。けれど、どうしてそういう感覚をしているのか解らないけれどね……。もしかしたら、ミントさんがそういう感覚を無意識に流しているのかもしれないわね?」  僕たちは、三人それぞれの言葉を聞いて――そして同時に頷く。 「解ったわ。それじゃ、私たちはここで待っています」 「何かあったら、すぐに私たちを呼びなさいよ」  カーラ、ミシェラはそれぞれ僕たちにエールを送る。  それを聞いて、僕たちは頷いて――木の室の中へと入っていった。  木の室の中には、小さな部屋があった。  そしてそこには、三つの武器が並んでいた。 「……これは?」 『これは、ガラムド様から渡された武器です。それぞれシルフェの剣、シルフェの杖、シルフェの弓……。聖なる力が宿っていて、絶大な力を誇ると言われています。この平和な時代に必要かどうか解りませんでしたが……、今ならば必要である。そう思うのですよ』  そう、ミントが言った瞬間――。  剣を見ると、それがほのかに緑色の光を放ったような気がした。 「?」  そして――剣がゆっくりと動き出す。ひとりでに、勝手に。 『まさか……剣が持ち主に呼応している、というのですか……!』  シルフェの剣はそれに頷くように、突き刺された地面から抜け出すと、自動的に僕の左手、その手元に柄が――まるでそこを掴め、と言っているかのように――移動した。  そして僕は、その、シルフェの剣を――しっかりと掴んだ。  同じ現象は、ルーシー、それにメアリーにも起こった。  お互い、無意識に見ていたのだろうけれど、ワンテンポ遅れて、ルーシーには弓が、メアリーには杖が自動的に装備できる場所まで、武器が移動してきた。 「これって……どういうこと?」 「解らない……。けれど、これで、戦える気がする……」  僕はその剣から感じる力が、とても強いものだと――感じた。  ミントは目を丸くしていて、とても驚いている様子だった。 『……まさか、このようなことが起きるなんて。ええ、ええ、これなら、これなら戦うことが出来るでしょう。剣、杖、弓、それはそれぞれあなたたちの基礎エネルギーを底上げすることで、普通の武器を装備するよりも何倍のパワーを出すことが出来ます。それならば、あなたたちもあのバケモノを倒すことが……きっと!』  その剣をもって思った感想は一つ。  その剣を持ったことにより、力があふれ出してきた。正確に言えば、その剣から力があふれ出ている、と言ってもいい。その剣を構えた時から、その剣に秘められた力が僕に流れ込んでいる――と言えば解るだろうか。  そして、その感覚を感じているのは、僕だけではないようだった。ルーシーは弓を、メアリーは杖を見つめながら、その力に驚いているようだった。 「……行ける」  僕はぽつり、そうつぶやいた。それはその力から出た自信の表れかもしれなかったが、現にそれほどの力を持っていたのだ。  そして僕たちは、木の室を飛び出していく。  目的はいつだって単純明快だ。  妖精を乱暴に食べているあのバケモノを倒す、そのために。 「私がバリアを作る! だから、フルとルーシーで攻撃をして!」 「「了解!」」  僕とルーシーは同時に頷いて、それぞれ行動を開始する。 「ねえ、こいつは一体どういうことなの?」  ミシェラがメアリーに質問する。 「ミシェラは回復魔法が得意だったわよね。だから、みんなのサポートをして。バリアを作ると言っても、それでどれほど軽減されるか解らない……。だから、ダメージを受けた時素早く回復をする。それがあなたの役目よ」 「……解った!」  ミシェラが物分かりの良い人で良かった。僕は心からそう思っていた。  そして、僕たちは攻撃を開始する。  メアリーが念じると、同時に僕たちの周りに球状のバリアが出現する。バリア、と言ってもこちらから攻撃することが出来る非常に曖昧な境界を持つものだったが、しかしながら、一番に彼女が驚いたのは――。 「嘘……。魔法陣も無しに、バリアを使えるだなんて……!」  魔法陣。  この世界の魔法は、円というファクターをもとにしていくつかの図形を組み合わせた陣――魔法陣を作り上げ、それにエネルギーを送り込むことで初めて魔法として成立する。  しかしながら、今メアリーが発動させたそれは魔法ではあるものの、そのいくつかの工程をすっ飛ばしたものとなっていた。 「凄い……」  ミシェラ、それにカーラは驚いていた。  当然だろう。きっと、これはこの世界でも珍しい存在なのだ。魔法陣を使わずに魔法を放つという、その行為自体が。 「これで……終わりだ!」  そして。  僕はバケモノの頭に――剣を突き刺した。 「がるる、がるうううううううううう……!」  同時に、苦痛にも似た表情を浮かべながらバケモノは雄叫びを上げる。  なんというか、とてもやりにくい。  表情が人間に似ているからだ。こんな敵と戦ったことなど(そもそも僕の居た世界では、『戦う』ということ自体がゲームの世界であることが殆どなのだが)無いので、とてもやりにくい。感情をそのまま、倒すという方向に倒しづらいとでも言えばいいだろうか。 「ここから……決める!」  そして、僕は素早く魔法陣を描き――剣で強引に切り開いたその先へ炎をぶつけた。  ◇◇◇  そのころ。  ラドーム学院の校長室では、ラドームが大量の書類と格闘していた。  そんな庶務をしているところで、彼は何か――不穏な気配に気付いた。 「隠れていないで出てきたらどうだね」  一言、隠れている相手にぶっきらぼうに言うラドーム。 「……さすがは、ラドームね」  ぽつり、どこかから声が聞こえた。  そして本棚のある部分がぐにゃり、と歪み――そこにぽっかりと小さな穴が出来た。穴から誰かが出てくるまで、そう間隔は空かなかった。  純白の、いわゆる普通の着物を身に着けて、赤い袴、ポニーテールに近い髪形で烏帽子を被っていた女性は小さな水晶を手に持っていた。  さらにもう一人、彼女の護衛――というポジションだろうか、がやってきた。  赤いシャツ、赤く燃え上がるような髪、ニヒルな笑みを浮かべたそれは、すぐに人間ではない別の何かだと理解できた。 「合成獣を連れてくるとは、ほんとうに趣味が悪い人間だな。リュージュよ」  その言葉を聞いて、笑みを浮かべるリュージュ。 「スノーフォグで争った以来かしら、ラドーム?」 「……そうだったかね? できる限り、貴様との記憶は忘れてしまいたかったので、もう覚えていないのだよ。まあ、まるで少女のような容姿をしおって。いったい、どういうマヤカシを使っているのか」 「あら。興味がわいてきた? けれど、教えてあげないわ。これは私が使ってこそ、生えるものだからね」 「フン」  ラドームは鼻を鳴らして、庶務を再開した。とはいえ完全にリュージュを無視することなど出来ない。突然彼女がラドームを燃やす炎魔法を放ってきても何らおかしくない、彼女はそういう存在なのだ。だから、意識はあくまでもリュージュに集中させつつも、処理しなくてはならない庶務を片付け始めていた。 「我々は、神の一族。だから、折衝はいけない。折衝も、殺生も。別にジョークを言っているつもりではないけれど、それについては間違いないわよね?」 「ああ、そうだな。神の一族どうしで殺しあったら、ガラムド様が何を言い出すか解ったものではない」  ラドームは庶務を進めながら、あくまでもリュージュに視線を移すことなく、言った。 「そう。だからここで、取引と行かないかしら?」  ぴたり、と庶務を進めていた手を止めるラドーム。 「取引?」 「そうよ」  リュージュはニヒルな笑みを浮かべながら、ソファに腰かけた。 「……予言の勇者を、こちらに受け渡してもらえるかしら?」  はあ、と溜息を吐き立ち上がるラドーム。  彼はこういう状況を予想していなかったわけではない。  予言の勇者が現れて以降、確実にそれを狙う相手が出てくることは明らかだった。  しかしここまで早く出てくるとは思わなかっただろうし、それが同じ祈祷師からのものだった――ということが彼にとってとても悲しかった。 「ねえ、聞いているかしら? 予言の勇者、それを受け渡してくれるだけでいいのよ」 「それをみすみす許せるとでも思っているのか?」  ラドームはリュージュの問いに、はっきりと答えた。 「……ハハハ、さすがはハイダルク一の頭脳と謳われたことはあるわね、ラドーム」 「いずれにせよ、私たちラドーム学院にすでに所属している学生を、お前にみすみす渡すと思っているのか?」 「ねえ、もう話すのをやめたほうがいいのでは? 政治にはまったくと言っていいほど詳しくないけれどさ……これはどうみてもずっと平行線を辿ったまま終わってしまうと思うけれど?」  そう言ったのは、炎のように燃える髪を持った少年だった。 「……そうね。面倒なことはなるべく避けたかったけれど、致し方ないことかもしれない。けれど、まあ、あなたは少々考えが固すぎるのよね、ラドーム」  リュージュは立ち上がり、とてもつまらなそうな表情をして、炎の少年に命令する。 「バルト・イルファ。命令よ。この学院をできる限り破壊しなさい」 「人は燃やしても?」 「構わないわ」  それを聞いたとたん――彼の表情が醜く歪んだ。  まるで新しい玩具を与えられた子供のような、純粋な笑顔。  それをして、彼は右手を差し出した。 「……私を殺すかね」  こくり、と頷くリュージュ。 「殺して、何が生まれるというのかね。少なくとも何も生まれないと思うが」 「何? この状況においても、そのような発言をするわけ。まあ、あなたらしいといえばらしいけれど。そんなあなたにこの言葉を贈るわ、ラドーム」  リュージュは踵を返して、指を鳴らす。 「言論だけで戦争を止められるなら、世の中に兵器や魔法が流行するわけがないのよ」  そして、それを合図として――バルト・イルファの右手から炎が放射された。 「それで? これからどうするわけ?」  校長室にある資料をすべて燃やし尽くしたバルト・イルファは笑顔でそう言った。 「あなたは学園の破壊を最優先しなさい。私はやることがあるのよ。ある人物に会って、話をつける必要がある」 「それじゃ、別行動?」 「そういうことになるわね」  バルト・イルファは頷く。 「それじゃ僕はここから、攻撃することにするよ」  笑みを浮かべたバルト・イルファは――両手から炎を放射して、T字路の左に進んでいった。 「……一応言っておくけれど、魔力を使い過ぎないでよ? あなたは、一応無尽蔵に力があるとはいえ、それは『木の実』で得られた魔力。枯渇する可能性も十分に有り得る。もし枯渇の可能性が出てきたら急いで私のもとに来なさい。いいわね?」 「解りました。まあ、それが出来るほど、楽しませてくれるかどうか解らないですけれど」  そう言って、バルト・イルファは今度こそ歩みを進めていく。  それを見送ったリュージュは溜息を吐いて、背を向ける。  バルト・イルファは『十三人の忌み子』の一人だった。そして、その中でも優秀な実力を持っていた。実験の中でも一番の成功、と科学者が認めていた。それがバルト・イルファだった。  しかしながら、副作用ともいえることがあった。それは人間だったころの記憶を一切保持していないということ。科学者によればそれは魔力を得た代償だと言っていたが、リュージュにとってはむしろ都合が良かった。 「……まさか、バルト・イルファの人格が、『兄』という人格になったとはね。それはさすがに想定外だったけれど……」  それでも結果としては問題ない。  彼女が望む方向に、計画が進むのならば、それだけで。 「さて……話をつけに行きましょうか。もちろん、それが解決するものであるとは思っていないけれど」  そう言って、リュージュは通路を進んでいく。  目的地はただ一つ。彼女が会おうと思っている、ただ一人の女性のもとへ。  ◇◇◇  獣は弱っていた。  炎の一撃が相当効いているようで、獣はふらつきながら、それでも何とか倒れまいとしていた。 「今よ、フル!」  メアリーの声が聞こえる。  そうだ、今こそがチャンスだ! 今なら、倒せるはず!  そうして僕は――獣の心臓に思い切りシルフェの剣を突き刺した。  獣はゆっくりと倒れていく。どうやらその一撃が急所――つまるところ、獣の心臓に命中したらしい。ようやく、というところではあるが、何とかといったほうがいいだろう。  僕とメアリー、ルーシーの三人は必死に力を合わせた。がむしゃらに戦った。そして僕たちは何とか獣を追い詰めることが出来た。  獣は力を失ったためか、その形を保てなくなっていったのか、身体が砂のような粒状に変わっていく。そしてその粒は風に舞って散っていく。 「やった……!」  僕は、シルフェの剣を持ったまま小さくつぶやいた。 「はじめて、魔物を……倒したんだ……!」  再び大樹に向かうと、ミントが僕たちを出迎えてくれた。ちなみに僕たちは戦闘が終わってへとへとになっていたけれど、ミシェラの回復魔法で何とかなった。彼女の回復魔法は一回でかなりのダメージを回復することが出来る。これについてまったく副作用が無い――というのは少々恐ろしいことではあるけれど、あまり考えないほうがいいだろう。 『あなたたちのおかげで、エルフの隠れ里は救われました。エルフもこれから生まれてくることでしょう。ほんとうに……ほんとうにあなたのおかげです』 「あの……差し出がましいようですが、これでエルファスには……?」 『はい。向かうことが出来るでしょう。もとはと言えば、あの獣が居たからこそ、この楽園は破壊されようとしていたのですから。その脅威がなくなった今、我々は再びあの大樹へと向かうことが出来ます』 「それじゃ……」  カーラさんの言葉に、ミントは微笑んだ。  もともと、そのためにこの場所にやってきたのだから、当然と言える。あの町にエルフが出現しなくなったから、その原因を突き止めるためにやってきた。そして、その原因は今撃破された。そうすれば、もうあとは……。 「これでようやく、リーガル城へと向かうことが出来る、ということかな?」  ルーシーの言葉に、僕は頷く。  随分と時間がかかってしまったけれど、城で待っている人は怒っていないだろうか? そこだけが少々不安なところでもある。大急ぎで向かわないと、悪い印象を与えかねない。 「それじゃ、一先ず町長さんに報告を――」  そう言って、カーラさんが振り返った――ちょうどその時だった。 「ねえ、あれ……いったい何?」  はじめにそれに気づいたのはメアリーだった。  彼女が指さしたその先には、黒煙が空へ伸びていた。  そしてその方角は紛れもない――エルファスのほうだった。 「エルファスが危ない!」  カーラさんは大急ぎで馬車に乗り込む。  僕たちはミントに急いで一礼して、彼女を追うように馬車に乗り込んでいった。  僕たちが乗り込んだと同時に、馬車は急発進する。この際、乗り心地など二の次。エルファスから延びる黒煙の正体、それを突き止める必要があった。  そのためにも僕たちは――急いで向かわねばならなかった。  フルたちの乗り込んだ馬車を見送ったミントは小さく溜息を吐いて、大樹を見た。  大樹からは白い光の粒が生み出されている。それがエルフであった。  エルフの隠れ里にはこれからたくさんのエルフが生まれることになる。  そして、ミントは考えた。  勇者に与えた三つの武器と、魔法の使い方。  勇者はこれにより魔法を使うことが出来た。しかし、魔法をつかうこと自体が――ノーバウンドでできるものではない。使うためにはエネルギーが必要であるし、代償も必要だ。  だが、ミントはそれを知っていて――フルに魔法の加護をした。  それはガラムドから言われていたこと。  それはガラムドから命じられていたこと。  ミントは空に向かって、つぶやく。 「――ガラムド様、あなたは、ほんとうにこれをお望みなのですか……?」  その小さく儚い声は、当然フルたちに届くことなど無かった。  ◇◇◇  エルファスに戻ってくると、それは酷い有様だった。  最初に到着したときにあった壁は破壊されているし、石造りの区々から火が出ている。道にはたくさんの人の――衣服だけが落ちていた。  まさに奇妙な有様。  死体ならまだしも、衣服しかない。 「これはいったい……?」 「予言の勇者サマのお出ましか。意外と早かったね……」  声を聴いて、僕はそちらのほうを向いた。  そこに立っていたのは、カーキ色の衣装に身を包んだ女性だった。髪はショートカットで、りりしい顔立ちは女優か何かと言われても信じることが出来るほどのプロポーションだった。  そして、その右手には町長の姿があった。 「町長!」  カーラさんは思わず馬車から飛び出そうとした。 「ダメ! 今出ると、敵の思う壺になる!」  それを制したのはメアリーだった。  それを聞いて、カーラさんは何とか外に出るのを思いとどまった。 「ボクの名前はラシッド。それにしてもまさか、『番外(アウター・ナンバー)』に出会えるとは思いもしなかった。……ま、そこまでの排除は求められていないから、別にいいけれど」 「アウター・ナンバー……?」 「十三人の忌み子、という言葉があってね。それに入りきれなかった人のことを言うのだよ。彼女たちはそれから逃げ出した。だから『番号から落とされた』。まあ、その忌み子も、もうイルファ兄妹しか残っていないわけだが」 「何を言っている!」 「君たちにはいずれ、偉大なる歴史の大見出しを観測する、観測者になってもらう。まあ、そう時間は無いからそれを食い止めることはまず無理なのだろうけれど。言っておくけれど、この町の人たちはみんな『溶かした』から。あとはこの町長だけ。けれど、この人は殺さないから安心して。この人にはこの町で起きた惨状を世界に伝えてもらわなくっちゃ! そして、魔法科学組織『シグナル』の名前も、ね」  そう言ってラシッドは無造作に町長を地面に投げ捨てた。 「町長!」 「ダメ! 今は出てはいけない!」 「ハハハ……。年下に宥められているようでは、感情がうまくコントロール出来ていないね? まあ、別にいいけれど。あーあ、取り敢えずやることは終わったし、ボクはこれで帰るよ」  そう言ってラシッドはウインクする。 「じゃあねっ!」  そしてラシッドの身体は――まるで空気に溶け込んだかのように、消えた。  ◇◇◇  次の日。  僕たちは町長の家で目を覚ました。 「……よく眠れたようだね」  町長の声を聴いて、僕はすぐに頷けなかった。町長からしてみれば、自分の町が何者かによって壊滅してしまったのだから、そう眠れるわけがない。 「気にする必要は無い。君たちはやるべきことをやってくれた。それはカーラとミシェラから聞いているよ。……むしろ、それを考えるのは君たちではない。私たち、エルファスの人間のほうだ。そして、君たちは前に進まねばならない」  そこに立っていたのは、兵士だった。銀色の、輝いた鎧に身を包んだ白髪交じりの男だった。男は僕の顔を見ると、柔和な笑みを浮かべて言った。 「やっと出会えた。私の名前は、ハイダルク国軍兵士長のゴードン・グラムと言います。エルファスの被害調査に出向いたら、まさか予言の勇者様ご一行に出会えるとは思いもしませんでした」 「……ハイダルク国軍?」  つまり、この人は軍人――ということか。  ゴードンさんは話を続ける。 「この町がなぜこのような事態に陥ってしまったのか、先ず調査を進める必要も有りますが……、予言の勇者様、あなたがここに居ることも驚きました。船が転覆してしまった、ということは聞いていましたが……」 「やはりあの船は、転覆してしまったのですか?」  こくり、と頷くゴードンさん。 「……ですが、安心してください。船員は全員無事です。港町バイタスに流れ着きましたから。ですが、あなたたちが見つからなかった。だからみんな心配していたのです。予言の勇者様は、どこへ消えてしまったのか……ということを城中皆言っていたのですよ」 「心配をかけてしまって、すいません」  僕は頭を下げる。  ゴードンさんは「いえいえ」と言って、話を続けた。 「むしろ、私たちのほうが見つけることが出来ず申し訳なく思っています。ほんとうに、ここで見つかったのは偶然だと思います。……さあ、ここは我々に任せて、あなたたちは城へ向かってください」  荷物をまとめて、外へ出た。  息が白く、とても寒い。  そういえば、もうこの世界にきて――二か月が経過した。この世界の季節は、どうやら元の世界の季節とあまり変わりがない。というか、変わらない。春夏秋冬、しっかりと季節が色づいている。  まるでこの世界は元の世界と同じような……そんな感じすら浮かんでくる。  けれど、そうだとしてもこの世界の歴史のことを考えると、元の世界と合致しない。だからこそ、異世界という感じがしないから僕にとってはとても有難いことなのだけれど。  ふと大樹を見ると、周りがきらきらと輝いていた。  エルフたちが僕たちのことを、見送っているように見えた。  馬車に乗り込み、僕は目を瞑る。未だ疲れているのか、とても眠かった。 「――僕はどうやってこの世界に来たのだろう?」  そんな、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いて、僕はそのまま眠りに落ちた。  ◇◇◇ 「やっと見つけたわ、サリー・クリプトン」  ラドーム学院は崩落しつつあった。様々な場所から火が出て、先生や学生が対処しているが、それでもバルト・イルファにはかなわなかった。  そしてサリーもまた、学院と学生を救うべく通路を走っていたのだが――それを遮ったのが、リュージュだった。 「……まさか、これをあなたが行ったことだというの? スノーフォグの王である、あなたが」 「正確に言えば、命令しただけね。私は直接手を下していない。交渉決裂してしまったから、致し方ないことになるけれど」 「校長は……」 「ラドームなら殺したわ」  淡々とした口調でリュージュは言った。 「まさか……そんな」 「嘘はついていないわよ。もちろん。アイツは交渉しようとしなかった。だから、殺した。そしてこの学院も、私が来たという証拠を残さないように消えてもらう。そういう運命なのよ」 「……あの予言を、実現させるつもりだというの?」  あの予言――それは即ち、テーラの予言だった。 「予言の勇者……あの忌まわしき存在を消し去らないと、私の野望が実現できない。それはあなただってそうでしょう?」  それを聞いて、眉を顰めるサリー。 「……何を言っているのか、さっぱり解らないのだけれど。私があの予言と何か関係が?」 「無いとは言わせないわよ。……もはや知る人も殆ど居ないけれどね、クリプトンという独特な苗字、そしてテーラの苗字を知る人間は殆ど居ない。……サリー・クリプトン。テーラ・クリプトンの子孫であり、その遺志を継ぐ者。テーラの予言を阻止するべく活動していた。そしてあなたはテーラが編み出した『禁断の魔術』を継承していた」  それを聞いてサリーは両手を上げた。 「……まさかそこまで知っていたとはね。さすがは祈祷師サマ、ってことかしら? それで? そこまで私のことを調べ上げて、何が欲しいの?」 「当然、『禁断の魔術』、その方法を」  それを聞いて、サリーは鼻で笑った。  当然それを見て苛立たないリュージュでは無かった。リュージュは一歩前に踏み出して、サリーの表情を見つめた。 「禁断の魔術……その方法、知らないとは言わせないわよ」 「禁断の魔術はどうして『禁断』と言われているのか、それを理解してから話したほうがいいと思うけれど? まさか祈祷師サマのくせにそこまで知らない、なんてことは……無いわよね?」  サリーはリュージュに対抗するように、そう言い返した。 「……人命を蘇生させる魔法、よね」  こくり、とリュージュは頷く。 「そう。そして、面白いことにその魔法は人間以外にも適用される。それは封印された、伝説のメタモルフォーズにだって……」 「やはり、それが目的なのね」  サリーの目線が冷たく突き刺さる。  しかし、そんなことリュージュには関係なかった。 「……オリジナルフォーズを復活させれば、世界を滅ぼすことだって、世界を管理することだって簡単にできる。だって、そうでしょう?」 「世界を滅ぼすことで……、何を生み出すというの? 何も生み出さない。それは無駄なことでしょう?」 「世界を滅ぼすことは簡単だ。その魔法を使ってオリジナルフォーズさえ復活させればいいのだから。そして、世界を滅ぼした後は新しい世界を生み出す。これぞ、テーラの予言を実現させたといえるのではないかしら?」  それを聞いて、サリーは溜息を吐く。  サリーは持っていた杖をリュージュに向けて、 「話し合いで解決するとは到底思えなかったけれど……、まさかこんな結末になるとはね」 「私を脅しても無駄よ。禁断の魔術が書かれた魔導書は、私の先祖によって封印されたのだから」 「封印……テーラめ、まさかそのようなことをしていたとは……!」  リュージュは深い溜息を吐いたのち、指を弾いた。  それと同時に、彼女の隣にバルト・イルファが出現した。 「やっほー。リュージュ様、いったい何をすればいいの?」 「この魔術師を殺しなさい。ああ、一応言っておくけれど手練れよ。そう簡単に倒せるものじゃない」 「なんか弱そうだけれど?」 「ルイスを殺したのは、この魔術師よ。そう言えば、あなたも少しは働く気になるかしら?」  それを聞いて、バルト・イルファは笑みを浮かべる。  今まで興味を抱かなかったのが、その事実を聞いて興味を持ったらしい。 「成る程ね……。ルイスを殺したのは、お前だったのか。だったらちょっとは興味を持ったかな」  そう言って、バルト・イルファは手から炎を出した。出した炎は何かの形に形成されていき、最終的にそれは剣の形となった。  炎の剣を構えて、バルト・イルファは言った。 「さて――どうなるか、試してみようかな。せめて僕を楽しませておくれよ?」 「そう余裕を言っているのも、今のうちかもしれないわよ?」  そうして、バルト・イルファとサリーの戦闘が始まった。  ◇◇◇  気が付けば、僕は白い空間の中に居た。  そしてそこには一筋の川が流れていた。  そこに流れていたものは、記憶。  森の獅子との戦闘。  船が爆発して海に放り出されたこと。  トライヤムチェン族の集落での戦闘。  ラドーム学院での日常。  ゲーム屋での出来事。  色んなことが、記憶の川を遡ると見えてくる。自分でも『こんなことがあったのか』と思うくらいだ。  記憶の川は、さらに遡ることが出来る。  これから青春を送ると思われた高校時代。  何事もなく、一言でいえば真っ白な中学時代。  小学時代は何も知らずにひたすら騒いでいた。  幼稚園のころなんてもっとそうだった――と思う。 「……意外と覚えているものなんだな」  僕はそんなことを独り言ちった。  幼稚園に入園する前の自分は、自分で言うことではないけれど、とても可愛らしい。  しかし、そこで唐突に記憶の川は涸れていた。 「……あれ?」  おかしい。  そんなところで記憶の川が涸れるはずが無かった。  だって、そこからさらに遡って――『生まれる』という記憶が残っているはず。  けれど、記憶の川はここで終わっている。  自分は母親から生まれた、という『記録』は当然残っている。  けれど、『記憶』が残っていない。 「いったい、どういうことなんだろう……」 『フル…………!』  そこで、声が聞こえた。  記憶とは別の場所からの呼びかけだった。  身体がゆすぶられて、僕はそこで目を覚ました。 「フル、フル! 起きて!」 「え……何……?」  見ると、メアリーが僕の身体を揺すって起こしてくれたのだと気付いた。 「もうすぐ城に着くよ。城に着いたら王様に謁見するから、きちんと眠気を覚ましておいてね」 「……ああ、解ったよ」  僕は目をこすりながら、馬車から外を見る。  どうやらもうリーガル城下に入っているようで、多種多様の店が軒先を並べ、人があふれていた。リーガル城は円形に形成されており、外殻に城下町が構成されている。内殻にある城と外殻にある城下町の間は堀があり、それを超えるために二つの橋が架けられている。しかしその橋も夜間になると閉められる――これはメアリーから聞いた基礎知識であって、僕はそれ以上のことは知らないのだけれど。 「フルは、リーガル城に来たことがないの?」  ミシェラの問いに僕は言葉を返す。 「そう言うからにはミシェラは来たことがあるのか?」 「城下町には数回ね。娼館は出張サービスもやっているから。さすがに城が近い場所だと警備も厳しいからあまり出来ないけれど、入口そばとかだと案外客が多いのよね」  溜息を吐いて、ミシェラは外を眺めた。  どうやら彼女にも彼女なりの思い出があるようだった。  橋を渡り、大きな門がゆっくりと開かれていく。  僕たちは、馬車に乗ったままリーガル城へと入っていった。  ◇◇◇  燃えていくラドーム学院を眺めながら、リュージュは歩いていた。 「……まさか簡単に逃げられてしまうとはね」 「擬態魔法を使うなんて、やっぱりテーラの子孫なだけはあるよね。いや、もしくは学校の先生だったから?」  バルト・イルファは両手を頭の後ろに回して組み、笑いながらそう言った。 「あなたがさっさと倒さなかったからよ」 「だって逃げるんだもん。素早い、と言ったほうが正しいかな? まさかあそこまで逃げ足が速いとは思いもしなかったし」 「……まあ、それは確かね。もしかしたら最初から逃げる目的だったのかも」 「これからどうするの? だって、魔導書を探さないといけないんでしょ?」 「……それもそうねえ。確かに探さないといけないのだけれど、場所の見当がつかないと無理だし……。一先ず戻ることにするわ。あなたは?」 「僕も戻るよ。だってもう面白いことは無くなってしまったし」  そうね、とリュージュは言って右手を天に掲げた。  そしてリュージュたち二人の周りに自動的に円が描かれて、それが緑色の光を放つ。  それが消えたと同時に、リュージュたちの姿も――消えた。