僕たちが学校へ戻るまでの道のりは、簡単に説明することは出来ない。  なんというか、あの体験は実際に体験してみないと、きっと共感することが出来ないだろうと思ったからだ。 「……わたし、初めて転送魔法を使って移動したわ。すごいんですね、先生!」  メアリーが興奮しながら話しているように、僕たちは転送魔法を使って学院まで移動することが出来た。  緑の光に包まれて、目を開けた先にはいつもの教室が広がっていた――という算段だ。 「転送魔法を使うのは、まだまだあなたたちに難しいことだとは思うけれど、そう悲観することは無いわよ。これは努力を積めば、簡単に習得できる魔法の一つなのだから」 「へえ……」  メアリーは目をキラキラさせながら、サリー先生を見つめていた。 「まったく、メアリーの魔法オタクには目を見張るものがあるよ」 「あら? でも私は錬金術が好きなのよ。魔法が好きなのはただ単に錬金術に近いものを感じているから。錬金術はバリエーションが正直言って少ないからね。魔法も一緒に使うことが出来ればとても便利ではあるのだけれど……なかなかそうもいかないのよね」 「ダブルスタンダードを持つ人間は、そう多くありませんからね」  サリー先生の言葉を聞いて、僕は頷いた。  ダブルスタンダード。  二重標準、と言えばいいだろうか。簡単に言えば魔法も錬金術も一流のレベルまで鍛え上げる人間のことを言う。はっきり言って鍛え上げることだけならばそう難しいことではないのだが、しかしながら錬金術も魔法も使いこなせる欲張りな人間になることは簡単ではない。 「錬金術も魔法も、似たような学問であることには変わりありません。しかしながら、だからといって誰も魔法も錬金術も使えるのかといえば、そうではありません。むしろ、それができる人間のほうが一握り……それは一種の才能とも言えますから」 「才能、ですか……」  僕はサリー先生の言葉に、そう続けた。 「……サリー先生、私たちは今からどこへ向かうんですか?」  そうだった。  僕たちは教室に到着してから、休むことなくある場所へ向かって歩いていた。  残念なことに僕たちはその目的地がどこであるかを知らない。知っているのはサリー先生だけだった。だからといって、サリー先生のことを信用できないわけではない。むしろ信頼しているといってもいい。 先ほどの戦いで、サリー先生は僕たちを守ってくれた。  それだけで僕はサリー先生を信頼することの理由たるものと言えた。 「着いたわ」  そこにあったのは石像だった。  図書室に入ったときには、本でも読むのかと冗談を言いそうになったが、真剣に歩くみんなの表情を見ているとそうも言えなかった。そう冗談を言える雰囲気ではなかった、と言ってもいいだろう。  石像に触れるサリー先生は、小さくつぶやいた。 「フル・ヤタクミ、メアリー・ホープキン、ルーシー・アドバリーの三名をお連れしました」  そう言ったと同時に、石像がゆっくりと競り上がっていった。 「うわあ……」  こんな仕掛けは見たことが無かった。  そしてそれはメアリー、ルーシーも同じだったようだ。  メアリーは手で口を押えていたが、ルーシーはぽかんと口を開けて呆然としていた。  自分たちの良く知る空間にこのような大仕掛けがあるとは思っても居なかったのだろう。 「……さあ、下りましょう。この先にあなたたちを待つ人が居ます」  石像の下には階段があった。延々と地下へ続いていく階段。  それを見て僕はどこか不気味な様子に思えたけれど――しかし僕たちは先に進むしかなかった。  その先に何があるのか、知らなかったけれど、僕たちに退路なんて残されていなかった。  ◇◇◇  階段を下まで降りると、そこには木の扉があった。  ノックをして中に入ると、そこは大きな部屋が広がっていた。図書室の地下にこのような空間があるとは知らなかったので、僕は心の中で驚いていた。 「フル・ヤタクミだな」  そこに居たのは――老齢の男性だった。  それを見たメアリーとルーシーはすぐに頭を下げる。 「校長先生……。ということは、まさかここは」 「はっはっは、そう緊張せずとも良い。ここは私の部屋だ。それにしてもみな、よく頑張ってくれた。サリー先生から話は聞いておるよ。ルイス・ディスコードという脅威を退けることが出来た、と」  退けた、というよりもあれは殺した――ほうが近いかもしれないけれど、とは言わないでおいた。 「まあ、そんなことはどうでもよい。私としては、敵が現れた時にいち早く守らなければならなかったのに、何も出来なかった……。私はそれが悔しくて仕方がなかった。どうか、今ここで謝罪させてくれ。ほんとうに申し訳なかった」  誰も、返す言葉が見つからなかった。  校長自らが僕たちに頭を下げていれば、言葉が見つからないと思うのは当然のことだった。  しかし、 「ヤタクミ」  その静寂を、僕の名前を呼ぶことで、校長自らが破った。 「何でしょうか」  僕は名前を呼ばれたので、それにこたえる。 「君は、なぜルイス・ディスコードに襲われることとなったのか知りたくはないか」  それを聞いて一番驚いたのはサリー先生だった。 「校長、それはつまり……!」  サリー先生がこれ以上何かを言う前に、校長が自らの手でそれを制した。 「もう隠し通せないだろう、ここまで来て。いずれにせよ、私は隠すつもりなど無かったがね。もっと早く、本人たちに伝えてあげるべきだと思っていた。……後悔はしないね? 例え、君たちが知る真実が、残酷なものであったとしても、それを最後まで聞く覚悟は出来ているかな?」 「当然です」  そう答えたのは、僕でもルーシーでもなく、メアリーだった。 「ほう……」  校長は顎鬚を弄りながら、笑みを浮かべる。  続いて、ルーシーがはっきりと大きく頷く。  最後に僕が――しっかりと校長の目を見て、 「お願いします、校長先生。僕たちに……いいえ、僕に教えてください。なぜ、ルイス・ディスコードは僕たちを襲ったのか、その理由について」 「いいだろう。しかし、これから話すことはそれなりに長くなる。サリー先生、椅子を彼らに渡したまえ、私も立ちながら長話はしたくない。だから私も椅子に座らせてもらうことにするよ」  そう言って校長は木製の椅子に腰かける。リクライニング付きのゆったりとした椅子だ。安楽椅子の一種と言ってもいいかもしれないが、揺れる機能がついていないから、正確には安楽椅子とは言わないのかもしれないけれど。  サリー先生がどこかから椅子を持ってきたのを見て、僕たちは頭を下げた。ありがとうございます、という感謝の気持ちを伝えることは、どんなことよりもシンプルであり、どんなことよりも大事だ。 「……それじゃ、話を始めよう。そしてその前に、一つの結論を述べることにしよう。フル・ヤタクミ。君は……予言の勇者だよ。何百年も前から語られていて、それが覆されたことのない『伝説の予言』とも言われているテーラの予言から来ているものだがね。君の目的は、テーラの予言によればただ一つ。いずれやってくると言われる世界の破滅から、世界を、人々を、救う。いわゆる君は……言い方を変えよう、英雄なのだよ」  校長が言った長い話を要約すると、こういうことだ。  ガラムド暦元年に、偉大なる戦いが起こる。偉大なる戦いでは、オリジナルフォーズが世界を破滅へと導いた。正確に言えばそれは未遂に終わり、神ガラムドがそれを封じ込めたと言われている。  ガラムドが神と呼ばれているのは、これが一つの大きな原因であると言われている。ほかにもその時代に人々を平和へと導いた『平和の象徴』としても語られているらしいが、それは今語るべきことではないので、割愛する。  ガラムドの子供は、二人生まれた。その二人がそれぞれ祈祷師と祓術師という二つの職業に就くことになった。もともとはどのような役職を作るか考えたガラムドが悩んだ末の結果であり、世界にあるあらゆる役職の上に立つ存在であると認識させるために躍起になっていたとも言われている。  祈祷師は神の言葉を代行する存在なのだという。そう考えると、成る程、祈祷師の初代は神を母親に持つのだから、まさに神の代行人という立ち位置に立っていても何らおかしくは無いのだろう。  祈祷師は力をつける一方で、祓術師は力を失っていく。  その象徴的な出来事がリュージュの二大予言だと言われている。今はスノーフォグの王となっているリュージュが予言した二つの事件。そのどれもが実際に起きて、多数の死者を生み出した。しかしながら、リュージュの予言によりそれによる被害者が少なく済んだとも言われており、のちにリュージュは一つの国を手に入れるほど信頼されるようになった。  リュージュの躍進とともにほかの祈祷師も高い地位に着くようになる。そのころからさらに祈祷師と祓術師の格差は生まれ、軋轢も酷くなってきたという。 「はっきり言って、あれはひどいものだったよ。私は祈祷師という地位に立っていたからこそ、あれを客観的に見ることは出来なかった。だが、助けることは出来なかった。助けることで私もその地位に転落するのではないかと思ったからだ。今思えば、恥ずかしいことなのだがね」  校長の話はさらに現在へと時系列を近づけていく。  祈祷師の一人、テーラはある予言を世界に発表した。 「それは世界を破滅へと導く予言だった。あれが発表された当時はほんとうに酷いものだったよ。だって考えてみれば解る話だ。世界が破滅していく予言だと? そんなもの誰が信じる。誰も信じない。それが当然であり、当たり前のことだったよ」  確かに、世界が破滅するなんて予言はそう簡単に信じられないだろう。仮にそれを聞いていた立場だったとしても、そう鵜呑みにできる話ではない。先ずは詐欺師を言うだろう。え? 誰のことを、だって? そんなこと、決まっているだろ、その予言をした人物を、だ。 「そうだ。その通りだ。テーラは詐欺師扱いされたよ。祈祷師の地位を下げるつもりか、と祈祷師も批判していた。だが、私は彼の予言を信じていた。ほんとうに起きるのではないか、と思っていたのだよ」 「どうして、そう思うのですか?」  メアリーの問いに、校長はしっかりとした口調で言った。 「私も見たからだ。――世界が滅びる、その日を」  嘘を吐いているようには見えなかった。  それどころか、はっきりとしている口調は、自信の象徴に見えた。 「その夢は今もはっきりと覚えているよ。業火に燃やされたハイダルク城、泣き惑う人々、そして区々を破壊し、我が物顔で闊歩するのは、見たことのない巨大なバケモノだった」 「バケモノ……メタモルフォーズのことですか?」 「知っているのかね?」 「ええ……。トライヤムチェン族の集落で、村長から聞きました」 「そうか」  校長はそれしか言わなかった。 「……予言を信じる人間は、別に私だけではなかった。しかしテーラを批判する人間からすれば、それは少数派に過ぎなかった。だからこそ、だからこそ……テーラは悩まされたのだろう。それを発表してよかったのかどうか、悩んだことだろう。けれども、世界の危機を予言したのならば、それは紛れもなく、人間に対する警鐘を鳴らしたことに等しい。だからこそ、人々はそれに気づきたくなかったのだろう。だが、それをテーラははっきりと人間に告げた。『四百年後、世界は滅びる』と」  四百年。  その時間はあまりにも長く、そして何が起きてもおかしくない時間だった。  その時間ののち、世界が滅びる――突拍子もないその予言を信じるほうがおかしな話かもしれないが、仮にそれが正しいものであるとすれば、四百年前にその予言をすることは、やはり祈祷師の力を確固たるものとするに相応しいものだったのだろうか。 「……テーラは耐えきれなかったのだろう。その翌年、死んだよ。海に落ちた。そして、テーラは遺言を残していた。そこにはこう書かれていた」  その予言は間違いではないが、一つ人間にとっての『希望』が残されていることもまた事実である――と。 「希望?」 「そう。それこそが……勇者の存在だ。三つの武器を使い、それぞれの術に長けた三人組。正確に言えばそのうち一人が勇者で、残りの二人は勇者に率いられた存在であると言われているがね。……まあ、それも眉唾物とも言われている。なにせ実際の遺言が残されていないのだ。だから、当初は……今もそうかもしれないが、テーラの弟子が自らの地位を上げるために死んだ師匠を利用した、なんてことも言われた」 「そんな酷いことを……」 「祈祷師はほかの人間に比べれば圧倒的に高い地位を手に入れていたが、それと同時に妬む人間もやっぱり多かった。神の血を引き継ぐといってもそれは二千年も昔の話。そんなもの、とっくに途絶えていてもおかしくない。だのにどうして祈祷師は未だにその地位を確固たるものとしているのか? とね」  二千年も自分の祖先が確定している、と考えれば凄いことだとは思うけれど、やはりそういう考えにはなかなか至らないらしい。 「まあ、テーラの予言がどこまでほんとうだったのかは解らない。ただ、これだけは言えるのだよ。テーラの予言があった年……それは、今年から四百年前のことだ。すなわち、テーラの予言が本当であれば、今年に世界は破滅へと向かっていく。そしてそれを守るべく勇者がこの世界にやってくる」 「それが……僕だと?」  馬鹿馬鹿しい。  そんなことがほんとうに有り得るのか?  いや、まあ、異世界に召喚――その時点で何となく普通ではないと思っていたけれど、まさかここまで普通じゃないなんて。あまりにも出来すぎている。まるで最初からこう進むようにレールが敷かれていたかのようだ。  まあ、そんなことはどうでもいい。  問題は、それが本当かということについて。  予言の勇者――それが僕であるならば、僕は世界を救う英雄になるということだ。 「……一つだけ、質問があります」 「言ってみたまえ」 「どうして、僕を予言の勇者だと断定するのですか。断定するからには、それなりの証拠があると思うのですが」  それを聞いてメアリーとルーシーは頷く。やはり彼女たちもそのあたりについて疑問に思っていたらしい。しかし相手は校長だ。そう簡単に質問できる事項ではなかったのだろう。  しかし、僕は当事者だ。どんな質問でもする権利があり、ある程度の解答を得る権利がある。だから僕はズバリ質問した。どうして――僕が予言の勇者だと断定出来たのか、そのことについて。 「予言の勇者は左利きだと言われている」  深い溜息を吐いたのち、校長はそう言った。  左利き。  またの名をサウスポー。  確かに僕は左利きだ。サウスポーだ。だが、それがどうしたというのだろうか? 左利きは珍しいことなのかもしれないが、生まれる確率はそう珍しくないはずだった。  いや、もしかしたらそれは僕がもともと生まれた世界だけの事象であって、この世界では違うのかもしれないけれど。 「左利きは神の一族だけが得ることのできる、実に特殊なものだよ。一般人が左利きにしようとしても、なぜか左利きにすることは出来ない。もちろん、フル、君が一族の一人である可能性も十分有り得たが、そんな人間が生まれたという情報もない。となると……」  予言の勇者しか、その可能性は有り得ない――ということか。  僕は校長の話を聞いて、そんなことを思った。 「……まあ、理解できないのも解る。急にこんなことを言われて困惑することも致し方無いだろう。だが、だからこそ、理解してもらいたい。君が世界に齎すものは、君が思っている以上に凄いことだということを」  ◇◇◇  寮は地下にあるため、空が見えない。  だが、今日は特別に上級生の居る寮の空き部屋を使ってもいい――先生たちにとってもそちらのほうが狙われたとき対応しやすいのだという――とのことで、僕たち三人は同じ部屋で寝泊まりをすることになった。 「それにしても、上級生の部屋が空いているからと言って、三人を一つの部屋に押し込めるのはどうかと思うけれどね」  ルーシーの言葉ももっともだった。実際、この部屋は僕が寝泊まりしていた部屋と比べれば広い。だが、それも限度がある。二人くらいなら何とかなるだろうが、三人となれば話は別だ。やはり三人ならばもう少し広い部屋か、せめて二部屋にしてほしかった。 「まあ、でも、ルーシー。贅沢は言えないわよ。せっかく先生が私たちを守ってくれて、そのために特別措置としてこの部屋を使っていいとなったんだから。ね、楽しみましょう? 辛気臭いとなんでもやっていられなくなるから」  そういうものだろうか。  正直、僕はまだ気持ちの整理がついていなかった。  校長から言われたこの世界に召喚された真実。それを成し遂げるために、僕はどうすればいいのだろうか?  いや、そもそも。  僕はほんとうに予言の勇者なのか?  断定しているだけで、ほんとうはただの人間なのではないか?  もしそうであるならば、きっと肩透かしだと言われるに違いない。そんなことは言われたくない。たとえ、『あなたたちが勝手に勇者だと崇めたのでしょう』と僕が否定したとしても。人間はどの時代だって、祭り上げるだけ祭り上げて、実際違ったらあとはポイ捨て。昔そう崇めていたかもしれないが――なんてことでお茶を濁す。そういうものだ。 「ねえ、フル」  メアリーが僕のそばに寄ったのは、そんな時だった。  僕は一人でベランダから月を眺めていた。この世界の月は、なぜか知らないけれど二つある。一つはもともとの世界にあったような、とても見覚えのあるそれだが、もう一つは――少し平べったく見える。けれどもこの世界の人間はそれも『月』なのだという。あれも衛星――星なのだろうか? きっとそう質問しても、それをほんとうの意味で答えてくれる人間がどれほどいるだろうか。そんなことを考えていた。  それは現実逃避に過ぎない。  僕が校長から『予言の勇者』と言われた――紛れもない事実から目を背けるために、必死に考え付いたことに過ぎない。 「あなたが来ること……正確に言えば、あなたが別の世界からやってきたということ、実は私は知っていたの」 「え?」  それは予想外だった。  というかここにきて新事実が判明しすぎだ。 「なんとなく予想はつくと思うのだけれど……実は私はもともと祈祷師の子供だったのよ。祈祷師の子供、というだけで箔が付くものなのかもしれないけれど、私は母親の顔を見る前に――捨てられた。いや、それは言い過ぎかもしれないわね。正確に言えば、ほんとうの母親の顔を知らないのよ。知っているのは、私を育ててくれた叔父さんと叔母さん……もちろん、その二人は血のつながりなんて一切ないのよ。けれど、捨てられていた私を、ここまで育ててくれた――」 「顔も知らないのならば、なぜ君は母親が祈祷師だと知っているんだい?」  僕はその話を聞いていればきっと自然に浮かんでくるだろう疑問を、メアリーにぶつけた。  メアリーもその質問は想定済みだったのだろう。すぐに頷くと、ゆっくりと澱みなく答えていく。 「私がこの学校に入学する一年前、突然父が私を訪ねてきた。当然叔父さんと叔母さんは驚いたわ。十数年前に私を捨てておいて、突然やってきたのだから。けれど、父は詫びた。そして、私をずっと引き取っていてほしいと言ってお金を渡した。それは、私の養育費としては将来分も加味して充分すぎるほどだった、そう言っていたわ」 「メアリーの父はお金持ちだった、ということか?」 「解らない……。けれど、その時に父は話してくれた。私の母は祈祷師なのだ、と」 「さすがに、自分の子供を捨てた理由は教えちゃくれなかったわけか」  僕はそこまで言って、自分の口を手で覆う。言っていいことと悪いことがある。今のは確実に後者――悪いことに属する。メアリーが今の言葉を聞いて烈火のごとく怒ったとしても、僕は何も言えない。それほどのことを、僕は自然と口に出したのだから。  しかし、メアリーはそれを聞いて一笑に付した。 「そうだよね……。やっぱりフルもそう思うよね。安心して、昔の私もそんなことを思って訊ねたわ。けれど、答えてくれなかった。当たり前といえば当たり前かも知れない。自分の娘に、娘を捨てた理由を訊ねられて答えられるわけがない。それは今思えば、当たり前のことだったのよ」  果たして、それはほんとうにそうだったのだろうか。  今となってはメアリーの父親にそれを聞く機会など到底残されてはいないわけだが、とはいえ、メアリーの父親がそれを隠していたのには、きっと何らかの理由がある――僕はそう思わずにはいられなかった。 「ところで、メアリー。それと僕がこの世界にやってくることを知っていたこと。それはどう繋がっていくのかな?」 「あ……。ごめんなさい、実は夢の中でね、神様を見たのよ」 「神様……って、ガラムドのことかい?」  僕の言葉に、こくり、と頷くメアリー。 「夢の中で、神様は私に言ったのよ。予言の勇者を手助けしろ、って」  神様直々の言葉とは、参ったな。  そんなに世界を破滅させたくないのなら、神様が自ら手を下せばいいのに。  そんなことは、口が裂けても言えないと思うけれど。 「だから私はフルがやってきた瞬間、ピンときたわ。あ、予言の勇者がやってきたの、って」 「けれど君は初日、僕を起こしてきたよね? まるで僕がずっとこの世界に住んでいたかのような扱いをしていた。それは、僕がこの世界にやってくることを知っていて、あえて演技をしていた……そういうことなのかい?」  核心を突く言葉だったのか、メアリーは俯いてしまった。 「……メアリー、もし気分を害してしまったのならば、それは申し訳ない。けれど、僕は知りたいんだ。もしそうならば、うんと頷いてくれないか」  そして、メアリーはゆっくりと――ゆっくりと頷いた。 「なあ、そろそろ眠らないか? 明日に響くぜ。明日の夕方にはみんな帰ってくるんだろ? ……正直僕だってこんな雰囲気壊したくなかったけれど、言いたいことだけは言わせてもらうよ。これで睡眠不足になって授業中に眠ってもらっては困るからね」  いいタイミングで、ほんとうにいいタイミングでルーシーが入ってきた。  僕はそれを聞いて、微笑む。 「これをバッドタイミングだと思うなら、君の目は節穴だぜ? 今は超絶好のチャンスだった。いい機会だよ。話もうまい具合に切れたし。……さて、それじゃ寝ることにしようか、メアリー」 「そうね」  メアリーは短く言うと、僕よりも先に部屋の中へ入ろうとした。 「……それにしてもメアリー」 「うん?」  メアリーは振り返る。  僕はメアリーのほうを向かないまま、二つの月を見て、言った。 「今日は、月がほんとうに綺麗だね」 「そうね、ほんとうに。いつもなら、こんなに明るくならないのに。それじゃ、私はもう中に入って寝る準備をするから。フルも早く寝てね」 「了解」  そう言って頷いて、僕もメアリーの後を追うように、部屋の中へと入っていった。  ほんとうに月が綺麗な、夜だった。  こんな夜は僕のいた世界でもあまり見かけなかったかもしれない――そう思って、名残惜しく、僕はベランダの扉を閉めた。   ◇◇◇  二日後。  二泊三日と言われた研修も終わり、普通ならばもう戻ってきていてもおかしくないはずだった。  しかし、誰も戻ってくることは無かった。 「……誰も来ないね」  ルーシーは言った。その言葉に僕は頷く。  確かにその通りだと思う。ほんとうにどこへ行ったのだろうか? まったく理解できなかった。 「……みなさん、おはようございます」  サリー先生が入ってきて、いつもと様子がおかしいことに気付く。  サリー先生はこの事実について気付いているということなのだろうか? 「学生全員、どこへ消えてしまったのか……あなたたちはそれについて聞きたいのでしょう」  サリー先生は唐突に核心を突いた発言をした。  確かにそれは聞きたかった。どうしてこんなことになってしまったのか――理解できなかったそのことを、もし知っているというならば教えてほしかった。 「……きっと、気付かれたのでしょう。この世界を滅ぼしたいと願う存在が、この世界を救うと言われている勇者が呼び出されたということに」 「勇者が呼び出されたこと……そんなこと、解るんですか?」 「それは、はっきり言って私が言いたいわ。けれど、そうなのでしょう。だって学生は戻ってきていない。予言の勇者が復活したことは、私たちしか知り得ないはず。けれどこんなことになってしまった。……原因は一つしか考えられませんよ」  それを聞いて、僕は、僕がその原因を作ってしまったのだと思い、深く後悔した。  はっきり言って呼び出された側である僕が迷惑を被っているわけだが、この世界の人間にはそんなことどうでもよいことだ。人間は誰も、自分さえ良ければいいと思っているのだから。 「そして、校長にこの事実をお話ししました。すると校長はこう言いました」 「ハイダルク城に保護してもらう。そのために、君たちにはフィールドワークをしてもらうのだよ」  サリー先生の言葉をさえぎるように、誰かの声が聞こえた。  その声がしたほうを向くと、扉のそばに校長先生が立っていた。 「校長! どうしてここに……」 「先生を通した発言を聞いてもらうよりも、君たちに対して私の発言を直接話したほうがいいと思ったのだよ。突然の方向転換で、ほんとうに申し訳ない。ほんとうならば、私の手で君たちを守りたいものだが……それにも限度があることもまた事実だ。それについては、申し訳ないと思っている」 「いえ、別に……」 「だが、学生を狙った後は、君たちを狙うはずだ。学生を吟味して、予言の勇者ではないと判別しているだろうからな。正確に言えば、予言の勇者かどうか選別していると言ってもいいだろうが……その細かい話についてはどうでもいいだろう。学生のことについては、私が全力で助け出す。それが、私の役目であり責務だからだ」  校長先生はそう言って、大きく頷く。  それに続いてサリー先生も大きく頷いた後、僕たちのほうに向きなおした。 「そういうことです。私たちがあなたたちを守ることが出来ないのはほんとうに残念であり心苦しいことではありますが……いつか必ず、あなたたちが戻ってこられるような学院にします。それが私たち先生の役割です」  つまり恒久的ではなく、一時的な措置。  サリー先生はそう言っていた。  ならばそう難しいことではないのだろうか? 実際、ハイダルク城までどれくらいの距離があるのか判明していない現状、途方もない未来について予想しているだけに過ぎないけれど。 「私の古い友人がハイダルク城……ああ、今あそこは『リーガル城』と呼ぶのだったか。つい古い名前で呼んでしまうな。まあ、それについてはどうだっていい。そこに古い友人が居て、そこに匿ってもらうことにした。どれくらい時間がかかるかは解らないが……君たちに危機が迫らないように、我々も頑張るよ」 「ということは……」  メアリーは何かを察したらしい。目を細めてサリー先生に問いかける。 「サリー先生、校長先生。私たちは……この世界を救うために、旅に出ろ……ということなのですか?」  サリー先生も、校長先生も、その言葉について明確な解答を示すことは無かった。  ただ狼狽えるような表情を、仕草を、雰囲気を見せるばかりだった。  ◇◇◇  次の日は、とても寒かった。  ベッドから起き上がりたくなかった。  昨日のような部屋ではなくて、僕のためにもともと用意されていた部屋だった。  ベッドのかけ毛布は今の僕にとってとても重たく、起き上がるのを拒むようだった。  そして僕自身も、起き上がることを拒んでいた。  ノックが聞こえたのは、そんな時だった。 「フル、入ってもいい?」  そう言ったのは、メアリーだった。  僕は何も答えなかった。答えたくなかった。答えられなかった。きっと恥ずかしい解答しかメアリーに提示することが出来なかったからだ。  するとメアリーは勝手に中に入ってきて、ベッドの上に腰かけた。  僕はベッドの中に引きこもり、メアリーはベッドの上から僕に問いかける。 「……ねえ、フル」 「何だい」 「……世界を救うとか、勇者とか、そういうこと私はあまり解らないけれど」  そう前置きして、メアリーは言った。 「そういうこと、私は素晴らしいと思うな。自分の役割がある、ということを言えばいいのかな? まあ、誰も役割が無いことは無いと思うけれど、あなたの役割はとても素晴らしいことだと思うのよ」 「……解らないくせに、何を言っているんだよ」 「解らないからこそ、よ。あなたのことは解らない。けれど、それは同時に逆のことでも言えるでしょう? 私のことを、あなたは解らない。そしてあなたのことを、私は解らない」 「そうなのかな……」  けれど、突然勇者だと言われて動揺しないほうがおかしい。  そして学生が消えた原因が――僕かもしれないと言われて、悲観しないほうがおかしいのだから。  おかしくない。おかしくない。  僕は普通だ。正常だ。  これこそが正常であり、そう考えないほうが異常なのだから。 「ほんとうに、そうなのかな」  メアリーは、さらに僕に疑問を投げかける。 「仮にあなたがそう思っていたとしても、それは間違っていることだと思うよ。きっとあなたはそれが普通だと認識しているのかもしれないけれど、私から見ればそれは異常だと思う。そもそも、誰もが見て『普通』なんてそう簡単に見つからないことだよ。だからこそ、あなたが勇者として選ばれて呼び出されたことも、私たちがあなたについていくということも、きっと最初から決まっていたのよ」  メアリーは、優しい。  彼女は巻き込まれた側であるというのに、どうして彼女はそこまで僕に親身にしてくれるのだろうか。  そんな彼女の優しさが――とても嬉しかった。 「取り敢えず、外に出ているからね。準備はもうできているからさ。あなたも準備が出来たら、いつもの教室に来てね。私とルーシーは、いつまでもあなたのことを待っているから」  そう言って、メアリーは部屋を出ていった。  ◇◇◇  僕が教室の扉を開けたのは、それから三十分後のことになる。  扉を開けたその中には、ルーシーとメアリーが大きな荷物を持って席に座っていた。 「おはよう」  僕はただ、その一言だけを告げて、いつも通り席に腰かける。 「おはよう、フル」 「フル、おはよう」  二人はそれぞれ僕に挨拶をかける。三十分も待ったことについて何も言わなかった。 「……」  そして、沈黙が教室を包み込んだ。  誰も話したがらないし、どことなく暗い雰囲気だ。やはりみんな、怖いのだ。誰もかれも、怖い。この先どうなってしまうのか、ということについて――考えるのは当然のことだろう。 「おはようございます」  サリー先生が教室に入ってきたのはそれから五分後のことだった。  僕たちはいつものように挨拶を先生にする。  サリー先生もまたいつものように教壇に立つと、僕たちを見渡して頷く。 「どうやら全員集まっているようね。それじゃあ、今後の予定を話すわね」  そう言って、紙を広げるサリー先生。  その紙を見ながらサリー先生は話を続ける。 「リーガル城があるハイダルク本土へ向かうには、やはり船となります。本来であれば転送魔法を使ってもよかったのですが、正直なところ私の力では港までが限界です。ヤタクミは知らないかもしれませんが、港からは本土への定期船が出ています。本土まではそれを利用し、そのあとは陸路となります。まあ、そう遠くは無いでしょう。校長先生曰く、途中の町までは使いを出すと言っていましたので」 「使い、ですか」  それにしてもそんなことをできる、校長先生の古い友人とはいったい誰なのか。まさか、国王とかそれくらい高い地位の人間じゃないだろうね? 「解りましたか?」  サリー先生は一人一人の表情を見つめながら、そう言った。 「はい」  やはりどこか表情が暗い。仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが。 「転送の魔法陣はすでに完成してあります。まずはそこまでみなさんを案内しますね」  そう言って、サリー先生は教室を出ていく。  僕たちは名残惜しく、教室を後にした。  魔法陣は校庭に描かれていた。  緑色の光が淡く滲み出ているそれは、どうやらもう魔法が発動しかけているのだという。 「それでは、これに乗れば自動的に――。あとは私の『鍵』によって発動しますが」  そう聞いて、僕たちは魔法陣に乗る。 「サリー先生……」  僕はサリー先生に問いかける。  ほんとうに幸せになるのか、と。  ほんとうにこの先、平和な世界がやってくるのか、と。  言おうとしても、その質問が、その言葉が出てこない。  それを理解してくれたのか、サリー先生は頷く。 「大丈夫ですよ、フル・ヤタクミ。これが今生の別れになるわけではないのですから。すぐあなたたちが戻ることのできるようにしてあげます。ですから、そんな悲しそうな表情をしないでください。いいですね?」 「は、はい!」  その言葉に、僕はとても勇気づけられた。  サリー先生の言葉は、そういう言葉の常套句を並べただけかもしれないけれど、それを聞いてなぜかとても安心した。  そしてそれを見て――サリー先生も察したのか、その最後の『鍵』を口にした。  目を瞑り、両手を合わせる。  そのポーズはどこか、神への祈りを捧げているような――そんな感じにも見えた。 「我、命ずる。かの者が、無事に辿り着くことを――!」  そして、僕たちの視界は淡い緑に包まれた。  ◇◇◇  船の上から見る海は、とても穏やかだった。  ゆっくりと小さくなっていく学院、そしてレキギ島を見て僕は小さく溜息を吐いた。  レキギ島とハイダルク本土を結ぶ定期船。僕たちはそれに乗って、ハイダルク本土の港町アリューシャへと向かっていた。 「船、乗ったこと無いんだよな。フルはあるかい?」  甲板に立って海を眺めていた僕に、ルーシーは問いかける。 「そうだね。僕がもともと居た世界では、船は世界中にあって、そしていろいろな航路があるからね。あとは空を飛ぶ船もあるよ」 「空を飛ぶ船、だって? そんなものがあるのか?」  ルーシーは身を乗り出して僕に訊ねる。余程空を飛ぶ船のことが衝撃だったらしい。 「まあ、その名前は飛行機というのだけれど、あれは快適だよ。けれど、船よりも大きくて船よりも早く進む。だからとても素晴らしいものなんだよ」 「へえ、それは一度ぜひ乗ってみたいものだな」  そんな二人の会話が流れていく、ちょうどそんな時だった。  ――唐突に、船が二つに割れた。 「……は?」  瞬間、僕は何が起きたのか理解できなかった。  そしてそれを部分的に理解できるようになったのはそれから少しして――正確に言えば、海に落ちたタイミングでのことだった。 「がはっ!! ……な、何で急に船が!」 「解らないよ! ええと、メアリー! メアリーは無事か!」 「ここにいるわ!」  メアリーはルーシーの後ろに居た。ほかの乗客も船員も何とか泳いでいる。どうやら無事らしい。 「けれど、ここからどうすれば……!」  まさに絶体絶命。  どうすればいいのか、すぐに冷静な判断が出来なかった。  逆にそれが命取りとなった。  目の前に出現したのは――その船を二つに割った元凶だった。  巨大な海の獣。  しかしその表情は、人間に近い――人間そのものと言ってもよかった。  牙を出して、目を血走らせ、僕たちを睨みつけている。  こんな獣が、この世界に居るのか。  そんな説明は、歴史の授業では無かったはずだぞ!  そう叫びたくても、今は無駄だし、もう遅い。 「……フル、ルーシー、潜って!!」  メアリーの言葉を聞いて、僕は言葉通りに潜る。  刹那、海を切り裂くエネルギー弾が撃ち放たれた。  その衝撃をモロに食らった僕は――気づけば視界が黒に染まっていた。  目を覚ますと、そこは砂浜だった。  白い砂浜、青い海。僕の居た世界だったら、素晴らしい風景の一つだろう。  けれど、今は絶望的なそれとなっている。  僕はぎらつく太陽で目を覚ました。  太陽がとても暑い。どうやらこの世界は、寒暖の差がとても激しいようだった。 「う、うーん……フル?」  メアリーが目を覚ました。どうやらメアリーも無事のようだった。ルーシーはまだ目を覚まさないので、待機することにした。  メアリーは起き上がると、砂だらけになっている衣服から砂を払った。……そもそも、水に濡れているうえで砂がついているので、その程度でとれるわけがないのだが。それを言ったとしても、きっと彼女はそれをやめることは無いだろう。女の子というのは、そういうものと案外相場が決まっているのだから。  ルーシーもそのあと目を覚まして、僕は二人の無事を確認した。無事、と言えば少々仰々しい話になるけれど、まあ、それは表現の問題ということで。  そして、僕は、二人に問いかけるように――こう言った。 「――ここは、どこだ?」  その疑問は、少なくとも今の状況では最大といえるものに違いなかった。